《鮫島くんのおっぱい》ラトキアの男と
(さて、どういうり方が引き出しやすいかな?)
視線を空中へ這わせ、しばらく思案。
梨太は豬の巨大な背中に向けて、端的に聞いた。
「イノさんてさ。自分が騎士団長になりたいって思わないの」
「……はるか昔には」
ざくざくと、砂利と金屬がこすれる音にまぎれてしまいそうになる低音を、耳を澄ませて聞き取る。
「今は鮫騎士団長殿がおられる」
「俺の方が強いっみたいなのは?」
「彼の方が強い。自明の理である。それだけではなく、多方面において優れておられる。より優れたものが長となる、道理である。なんら不満はありませぬ」
(ふうむ、これは堅い……)
梨太は腕を組み考えて、方向を変えることにした。
「もしも鮫島くんが、――一時的に雌化ってことじゃなく、完全なになったとしたら、口説く?」
一瞬、ぴたりと豬の手が止まった。
年の追及に、武人はをゆがませる。ひどく野だが、それは微笑みだった。
「いいえ。自分はあの方のために努めるのみ」
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そう、わかりにくいことを言った。
複雑な表で眺めていた虎が腰をばし、を尖らせると、隣の豬を視線で舐めあげた。ヤンキーが絡む様子そのまんまの仕草で年長の騎士を見て、
「そういや、俺ぁだいぶ後輩だから、よく知らねえな。あんたはだんちょーがまだ子供みてえな年で騎士になったとき、先輩としてすでにいたんだろ。いうたら生意気なガキじゃん? それが、いつからこんな、団長さまについていきますモードになったんさ」
他人のパーソナルスペースに己の鼻先をぶっこんでいく虎にはらはらしながらも、梨太は話が気になってその場で傍観した。
豬は、しばらく無言であった。
無視されたかと二人が思い始めた頃、突然語り始める。その口調は、ことのほか優しいものだった。
「……初めてお見かけしたときは、確かに。なんだこのちびは――というのが第一印象だったか。
まして団長殿の同期が白鷺という、あの大男ゆえ、隣に並ぶ彼の姿は雛飾りのようで。
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あの年で騎士団りした経緯は、あの黒髪を見れば明らかだった。元騎士団長の親のコネで、貴族のレールをのんびり歩いてきたお坊ちゃんだと、自分はそうとしか思えなかった」
(……黒髪?)
梨太はふとそこで引っかかった。だが豬は閊えることなく言葉を紡ぎ続ける。
「前騎士団長も、そのように考えていたらしい。団初日の洗禮として、新人と騎士団長が手合わせをする。そのさいに、子供相手と思えない卑劣な行でもって、あの方を昏倒させた」
えっ、という聲は虎が上げた。
「団長が負けたって? 前団長っていったら、あの貧相なオッサンだろ。人に命令ばかりして椅子からかない……」
「いや、団當初ってそりゃ鮫島くんも十二歳の子供でしょ。普通にやって勝てるわけがないじゃん」
梨太の言葉を、豬が笑って否定する。
「いいや。一対一の勝負で、あの方は前騎士団長を圧倒していたのです。今思い出しても、見惚れるほどうつくしい技でした。だが、倒れこんだ前団長はそれをけれなかった。同じく『黒髪』をよしとしなかった騎士らをたきつけて、試合後の禮をする年を、背後から打ち付けたのだ」
「そんな……」
「まさに卑劣である。前騎士団長は、もとより戦闘が得意ではなかった。しかし知略に長ける將だったのだ。年の技を素直に認めていればよかったものを……」
豬は分厚いを震わせた。
梨太は、彼が強くを表すところを初めてみた。それはやはり珍しいことらしく、虎は梨太以上に驚いて、武人の姿を凝視する。
だがその悲憤はじきに収められ、一転、彼は相好を崩す。穏やかな笑みを浮かべて見せた。
「……自分はそれにより、昏倒した年を醫務室へと運んだ。意識を取り戻した彼の言葉は、一言一句思い出せよう。
――油斷をしていた。訓練生同士での、模擬試合ばかりで腑抜けていたのを見事に突かれた。敵の絶命や伏兵の存在を確認もせず気を抜くなんて……これが実戦現場だったら俺は死んでいた。あの騎士団長殿は命の恩人だな――。
……自分は武骨な人間だが、人の心くらいある。どうせ騎士として生きるなら、この命、あのような方に捧げていきたい……」
そう言って、幸福そうに彼は笑った。梨太も思わず頬を緩める。
「鮫島くんらしいや」
年若い虎は、己の長のいころをうまく想像ができなかったらしい。なんとも複雑な顔で、隣の大男を眺めていた。
なんとなく沈黙が降りたタイミングで、豬はそのままボソリと続けた。
「ところで虎、おぬしのその服はなんだ?」
「あっ、ありがとう」
思わず禮を言う梨太。しかし虎の返事は簡素なものである。
「外國人向けの土産屋で買った」
「意味がわかっていて著ているのか?」
「意味わかんねーもんを買うわけねえじゃん。俺、日本語読めるし」
「……そうか」
「で? 豬の旦那、それじゃあの人が『』になったら、あんたが団長をやるのか?」
話題が錯綜する。前のめりにコケる梨太。
虎の問いに、豬は首を振った。
「仮にあの方が一般並みに弱化したならば、なおこのを捧げお仕えする所存だ」
「それって結婚申し込むってことか?」
ぶっこむ虎に、梨太は今度こそ盛大にコケて、さらに吹き出してむせた。げほげほぎながら、虎のほうへくってかかる。
「な、なんでそんなんなるんだよっ!?」
「え? 違う? だってよ、夫婦制度ってそのためのものだべ」
こともなげに言う虎。年の姿をした一児の父親は、シャベルで己の肩を小突きながら、妙に確信的な強さで斷言する。
「が一人で生きていくのは難しいぜ。雌には仕事がない。にした挙句ほっぽり出したんじゃ、そいつの人生臺無しになっちまう。だからプロポーズの言葉はそこを踏まえたもんになるだろ。俺が守ってやるから安心してになっちまえよって」
「……そ、それ……実際に鹿さんには……」
「もちろん言ったさ。初めからそのつもりだった。でなきゃ抱くかよ」
金の瞳でしっかり見返してくる虎。
「ラトキアのを口説くってのは、そういうことだ。一度や二度遊ぶくらいならまだしも、長年付き合えば、その別を固定しちまう。
男には、そいつと子供の人生を全部自分が背負うっていう覚悟と、力がいる。俺はお前より強い、だから雄の役をやる――お前が一人で生きていくよりもいい暮らしさせてやるよって、そんだけのもんを作り上げてからじゃなきゃ、ハイハイって『』になってはもらえねえよ」
梨太は、なにか大きくてらかい、ひどく重たいもので毆られたような気がした。
若者の會話を聞きながら、年長者は、困ったように眉を寄せていた。顎の骨をなで、一瞬だけ目を伏せる。そして珍しく、皮を言った。
「……結局離縁されたおぬしが言うことじゃなかろう」
それは冗談じみた口調であったが、言われた虎のほうは笑い話ではない。押し黙って掘りを再開した。拗ねてしまった同僚を放置して、豬は再び、梨太へと向き直った。
大男の豬からすれば、栗の髪をした年は子供以外のなんでもないだろう。年齢で半分以下、長で二十センチ、重差はゆうに五十キロはありそうだ。
それでも――豬は、梨太へ、敬語を使う。
「そうですな……この世の男が自分より弱いものだけになれば、自分が名乗り出ることにしましょう」
武人のつぶやきを耳にれた梨太は、後ろ頭を掻いた。
をとがらせ、虛空に向かってつぶやく。
「ラトキアのひとって……めんどくさぁー……」
梨太が、そうつぶやいたとき。
虎の差し込んだシャベルが突然、異様な深度まで埋まり、彼のが揺らいだ。
どうやらバルゴの巣は、り口からまず橫、斜めに深く、そしてまた橫になっていたようだ。真上から差し込んだシャベルが橫の空へと貫通したらしい。のぞきこむと、ボコッとが開いている。の回りほどだろうか、それは、バルゴの軀からするとえらく細いような気もしたが――
暗闇のなかで、きらりと何かがった。
豬が手に持ったシャベルを反的に振り上げた、まさにその場所に、泥だらけの黒い獣が突っ込んできた!
「うぐっ!――」
柄に獣の突進をけ、豬の巨軀がぐらりと揺らぐ。彼のを後ろ足で蹴飛ばして、獣――バルゴは空中を駆けた。
飛びすさる先に、梨太がいる。
「リタ!」
「うわっ!?」
虎の絶と同時に、梨太は真橫に飛び退った。脇腹の服をひっかいて、空振りしたバルゴは濡れた地面へ著地。
ウウウウ。低いうなり聲で威嚇される。梨太はあわてて、虎の後ろへ逃げ込んだ。盾にされた若い騎士はそれで気分を害することもなく、當然のように梨太をかばってくれた。ちら、と視線だけ背中へ向けて、かすかに笑う。
「さっそくやる気だな、バルゴ。リタ。これ持っとけ」
そう言って、彼は梨太へシャベルを渡すと、己は腰元のダガーを抜いた。
大きく反りあがった短剣は、騎士の手の中で息をのむほど冷たいを放つ。右に持ってバルゴを牽制しながら、左の腰からもう一本――両手にダガーを摑んで、彼は腰を落として不敵に笑った。
友人が戦闘態勢にったのを、息をのんで見守る。その橫で、豬もまたシャベルを捨て、軍服の背に負っていたを取り出した。手もとで作をすると、木の棒の左右に薄刃の刃が現れる。
仕込みの鎌――いや、あれは斧だ。この日本で忍ぶためだろう、豬の巨軀からすれば小ぶりなその武を、彼もまた油斷なく構える。
犬いっぴきに、武を持った大人が二人。負ける気はしないが油斷もならない。獣の迅はやさは人の及ぶところではなく、顎はの骨を斷ち切る強さがある。笛でも噛まれれば人は死ぬ。
騎士二人は背中に梨太をかばいながら、油斷なく、バルゴへと距離を詰めていった。一歩二歩、後ろ腳で下がる梨太。
かかとに、掘り返した巣のり口がれるまで後退して、梨太はシャベルを握っていた。
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