《鮫島くんのおっぱい》梨太君の研究②

『あなたにはするものがありますか。

友人、人、家族。あなたが彼らをするように、彼らもまた、きっとあなたをしてくれていることでしょう。それは言葉にしなくても、長年の信頼関係でわかりあえるものです。

だけどもし、そんなのつながりを、迎えたばかりのペットや野生の獣ともじることができたなら――

覗いてみたいと思いませんか? 獣たちの、あなたへの想いを』

ナレーションに耳を傾けていた男は、怪訝そうに眉をひそめた。なにか、活字による解説を探したらしい、視線を巡らせる。すかさず、梨太はその軌道上に顔をれた。

「こんにちは! ようこそ」

「あ……こんにちは。ええと、これは……アレ? なんとかリンガルっていう……犬貓の言ってることがわかるやつ。流行ったよね」

梨太はにっこり笑って首を振った。

「あれは、の鳴き聲からわかるそのを、そういうセリフに充てこむことで、通訳をしているかのように演出するゲーム機ですね。これはそういう、言葉に訳すという機能はありません。概念としては同じようなものだと思っていいですけど」

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「なに? 昔のものより能が劣る、新作アプリを開発したのかい?」

ビジネスマンはくすりと笑った。そしてすぐに、學生相手に辛辣なことを言ったかと悪びれる。

梨太はもう一度首を振った。

「いいえ、もちろん、もっと斬新で、これまでになかったものですよ」

梨太の言葉に、ナレーションの聲が重なる。

『このアプリ、ドロップスならば、犬、貓はもちろんのこと、もの言わぬウサギやカメ、魚、そして噓をつく人間のココロをも読み取ることが出來ます。

誤解を生みだすコトバによるのではなく、もっとシンプルに、もっとダイレクトに、彼らの心のうちにれてみましょう』

「……どうやって?」

『使い方は』

「簡単ですよ」

の聲が重なる。話しながら、梨太はそうっとリモコンで、ビデオの音量をすこしだけ下げた。

重なるナレーションを無視して、ポケットからスマートフォンを取り出して見せる。

けば、に大きな変化が現れますね。まず、脳波。溫と心拍數、瞳孔の開き、発汗など。

このアプリ『ドロップス』は、そういったいくつもの変化をカメラ映像やレーザーによって測定、解析し、平常時と比べることで、どんなになっているかを導き出すアプリなんですよ」

ふむ、と、男はうなずく。ちょっと小難しい単語が出てきてしまうが、ムズカシイ話ではないはずだ。梨太は相手の姿をすべて視界にれて、その様子をうかがっていた。

しかめた眉、好奇心に輝く目、堅く結んだに、顎をくすぐる指先。リラックスしながらもつま先は外をむいている。

理解はしたが、納得をしていない。だが自分自が何に引っかかったのかがまだわかっていない――

梨太はしばらくそのまま、男の返答を待った。

やがて男が獨り言のように、

「つまりあれだろ、をすると、熱が出て脈が早くなって……なんだっけ、アドレナリンが出る? そういうのを計るの?」

「そういうことです。正確には、をするとアドレナリンが出て、それによって発熱や心拍上昇、ですね。あと中酸素量も増えます。続いてドーパミン。それにより張してきます。瞳孔が大きくなり潤いも増えます。

『ドロップス』の測定では、アドレナリンなどの脳質までは見ることは出來ません。でもの表面に起こったことは、鳥の高さにいたるまですべて取り込み、判斷材料にしていきます」

「ははあ、なんか、心理學みたいだな。腕を組んでたら警戒している……とか」

「そういう要素もってます。ただし、人の心理というのは複雑にできてますからねえ。正直な話、人間のココロの分析は度が低いですね」

きっぱりという開発者に、男は破顔した。

「いいね、そのヘタに誤魔化さないところ。難しいんだ?」

「深層心理そのものは読み取れますよ。でも、気持ちと行の間には展開がありますから」

「……うん? どういうこと」

「たとえば――お腹空いてますか? なにか食べたいですか?」

唐突な質問に、彼は一瞬きょとんとした。

「お腹? うん、まあ、そうだね。朝食をとっていないから」

「じゃあ奧に、僕のお弁當があります。食べたいですか」

「ええ? 食べない――食べたくないよ、だってそれは君のだろう」

そこまで答えて、男は理解をしたらしい。腑に落ちてニヤリとわらった。

「……なるほどね」

「思いやりからの遠慮、しかし噓をついたわけではないですよね? 食べたい、けど食べたくない。三大求という、もっとも原始的なでさえ相反するものが共存してしまうんです。けども、それは人間のような社會と高度な知能のある生に限ったことです。ならばこういうことはありません。群れのルールに従うし我慢はしますけどね。は、お腹すいた! 食べたい! の一で、僕が許せばすぐに食いついてくる。

を相手にするなら、こういう本能的な衝……いわゆる喜怒哀楽と三大求に関しては、ほぼ百パーセントの度になってますよ」

ふーん、と男は間延びした聲で、梨太の掲げたスマホを見つめていた。

「……まあ、うん。若いの子とかには流行るかもな。面白そうってのはわかるけど……ウチの仕事とは関係ないな。配信開始したら娘に推しておくよ」

それは、斷り文句である。梨太はそこに、返事をしなかった。想のいい笑みをくるりと変えて、不思議そうな顔をしてみせる。男は去ろうとした足をつんのめらせた。

梨太は問うた。

「お仕事でいらしてたんですね。今日はどんなアプリを探してたんですか?」

「あ、ああ。うちは食品加工をやっているんだけど、その品質管理に使えるタイムシフトレコードを」

「それって、ラインを流れる出來上がりから不良をはじくシステムのことですよね」

「そうだよ。今は完時點でのチェックではじくしかできなくて。でもどの工程で不良が多く出來るのか把握したいんだ。機械本にそういう機能がついてるのはあるんだけど、買い替えるとなると數千萬だから。天井カメラのほうをバージョンアップしようかと」

「『ドロップス』でも、できますよ」

男はつま先の角度を戻した。

「元々は、の心の健康管理をするための機能ですけどね。たとえば、コロッケというフォルダを作っておいて……」

言いながら、梨太はスマホ畫面を男の手もとで作した。

「『良品』を解析モードカメラ撮影。それで外見の、形、長と重と溫と水分量がるので、それを基準値として登録しときます。デフォルトは異常をメールで知らせるのですが、プログラムをいじれば切り替えることが出來ますよ。たとえば撮影モードにしておいて、基準許容値の幅を外れたものがカメラを通過したときブザーが鳴るとか、自的にさかのぼり録畫するとか」

「ん……むう、スマホでできるのか」

「デジタルビデオカメラにインストールできるソフトはまだ販売できる狀態じゃないですね。……サンプルでよかったら、後日郵送でお送りしましょうか。今日はあくまで、ゲーム覚のスマホアプリしか持ってきてないんですよ」

「あ、ああ、そう……」

「そうなんです。なので、新製品のサンプルを食べたひとの正直な想を視る、というくらいしかできないですね。それがものを話せない相手の製品――離食やペットフードならば特に効果覿面なんですけど」

「あ、そ、そういうこともできるのか……なるほど。うーん、どうかな……ちょ、ちょっとこういう形ってのは考えてなかったから……即決するわけには。……あ、でも俺個人のスマホでダウンロードできるのか。ふーん。うーん。ふーむ」

唸りながら畫面を覗き込みかなくなる男。それでも腕は組んだままで、自ら手に取ろうとまでは、まだしない。

梨太はふと、思い出したように、聲をあげた。

「あ。ちょっとすみません。僕は調節をしてくるので、その間、こちら遊んでいってください」

そう言って、端末をぽいと預けてしまう。そしてブースの奧、機材を積んでいるほうへと引っ込んでいった。

いきなりスマホを手渡されてしまったビジネスマンは、戸いを見せたあとすぐに気兼ねのない様子で、端末を自己流でり始める。

機材越しにコッソリ、それを確認し、梨太はなにやら機材を調整している――フリをして、ジュースを飲んで暇をつぶしていた。

そばにいた同級生が、不気味なものを見る目でささやいてくる。

「……栗坊。あのアプリで使われてる、心理學のなんちゃらっていうのは、お前がガッコで習ってれたのか?」

小聲で尋ねる。梨太も小聲で答えた。

「うん。それと実生活で採った二千人のパターンとね」

「……なんかわからんけど、いまやってることも、その応用なわけ?」

「これは販売とか営業のマニュアル」

「……お前さあ……お前自は、あのアプリ要るの?」

「要らない。だってアレ、ほとんどの人は僕みたいに『視え』ないって聞いて、そりゃ不便だろうなあと思ったのが開発のきっかけだもの」

しれっと言ってのける年を、友人はいよいよ不気味そうに見下ろし、苦笑した。

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