《鮫島くんのおっぱい》神の教會①

ラトキア星には、宗教というものが無い。しかし「無宗教である」と言ってしまうと暴である。

大自然は己の力により発生し、繁茂してきた。その生命力は強大であり、そのすべてが尊い。宇宙、生命の誕生や進化論が知られる前から、ラトキア星人はそうして、この世界のすべてを敬してきたのである。

「……うーん?」

アンチョコを凝視しながら、梨太はそのまま、首をかしげた。

「……なんかやっぱりよくわからないや。『で、結局三神とか教會とかってなんなの』っていうのがさ」

長い、長い、階段を上りながら、梨太は鮫島に尋ねてみた。

この國で暮らしていくには、宗教、文化は絶対に理解しておかなくてはいけないことだ。

だが一朝一夕ですべてを知ることはできない。せめて、これから訪ねる教會についてだけは理解しておきたいところだが……どうやら、獨學ではこれが限界らしい。

読み歩きをしていると躓きそうになる。リタはとりあえず書をカバンへ直した。

「これって原始的霊信仰アニミズムとも違う、現代の科學や進化論に近い覚だよね。神話、創世記ってのが見當たらないんだけど、三人の神っていうのが、この世界を作ったんじゃないの?」

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「全然違う」

鮫島はきっぱりと答えた。

「地球の『神』の概念は、俺達も一応、勉強した。神とは世界を作り上げた強大な存在で、ヒトでも生でもなく、半明だと」

「半明という言葉のチョイスはどうかな。ゴミ袋じゃないんだから」

どうでもいいところが引っかかる梨太。

「ミサイルも火炎放も絶対零度の氷結も効かないのだろう?」

「……たぶんね」

「ならばやはり、神という言葉の概念から違う。俺達の言う神は……そうだな……『素晴らしいものを作り、始めた、尊い人』と訳すのが、的確だと思う」

「やっぱり実在の人なんだ」

頷く鮫島。

「およそ三百年前、このラトキアは他の星からきた侵略者に支配された。そのとき難を逃れていたごく一部のラトキア民族が、百年後に解放戦爭を仕掛け、勝利。そして支配者を追い出し、ラトキア民族はこの星の帝王となった――この歴史は知っているな?」

もちろん、と梨太は頷く。もう何度も聞かされた、ごく基本的なラトキア建國譚だ。しかしその勝利にも、神の加護や奇跡というキーワードは絡んでいない。

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「三神ってのは、この歴史のどこに出てくるの?」

「解放戦爭の発起人であり、最大の功労者は、三人の男。この母親たちが三神だ。英雄たちを出産と教育によって生み出した創造者ということだな」

「あっ、なーるほど」

「彼たちは三姉妹だった。英雄は従兄弟ということになる。安寧な暮らしをしていながら、同族の解放のために可い我が子を死地へ送り出したんだ。偉大な母親だ」

ふうん、と梨太は気のない相槌をうった。なるほど素晴らしい母親だねと同意することは出來なかった。日本人としてはどうしようもない覚だろう。

「なら教會は、それを『よい親』『よいこと』として教えひろめている機関……ということか。うん、たしかにこれは宗教……だな」

「世代が若くなるにつれ支持者は減っているぞ。騎士団は教會に就いてはいるが、正直カタチばかり。ほとんどの一般都民には冠婚葬祭の付場所でしかないだろう」

「ははあ、そのへんはホント日本と同じようなもんだね」

梨太の表が明らかに緩んだのを見て取って、鮫島も眉を垂らす。

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「……の価値は強い子を産むこと、男の存在価値は、有意義な死に在り――この教えを信奉しているのは、僧を除けばもう年寄りくらいだな」

なるほどなあ、と思いつつも、そうは事が単純でないことを梨太は知っている。親世代で終わったこと、と言いながらも、その親の信念は必ず子に伝わっている。當人が無意識でも、なからず影響はあるだろう。

実際、このラトキアでは無職の男、生涯未婚のは許されない。

(……自分がんでそう生きるぶんにはいいけど、ただ別だけで人生選択を制限されるのは嫌だなあ)

そんなことを話しながらも、たっぷり一時間、足を持ち上げ続け。ついに、二人は階段を上りきった。

「ああ、疲れた。やっとついた!」

「お疲れ」

振り向き、ねぎらってくれる鮫島に笑顔で応える。顔を上げた視界に――がいた。

その存在に、二人が気づいた直後。

「てぃやーっ!」

というかけ聲とともに、蹴りが飛んできた。

「――うわあっ!?

すんでのところでをかわす。しかし、急な階段の頂點である。梨太はバランスを崩し、そのまま後ろ向きに倒れ込んだ。転げ落ちる寸前で、鮫島が助けてくれる。

「大丈夫か、リタ」

「ああ、ありがと……それより今のは?」

勢を直し、襲撃者を確認する。やはり、であった。

年の頃は梨太とおなじほど――ラトキア人ならば三十路過ぎか。背丈は低いが付きがいい。っているわけではなく、格闘技で筋をつけた軀である。

青い髪に青い瞳。どこかで見たような顔がたち、と思ったら、鮫島の母ツバメにそっくりだ。もしかしてと思う間もなく、彼自ら名乗りを上げた。

「よくかわしたな! このハヤブサの蹴りから逃れるとは、さすがは我が弟の伴というべきか。貴様、名のある闘士であろう!」

キンキンと耳につくような聲。梨太は目をしばたたせて、頭を掻く。

「えっと……いや職業は水棲生専門研究者、ひらたく學者。中學で卓球やってたせいか、視力と反神経だけはいいもんで」

「學者ァ? 弱な!」

いきなり罵られる。梨太は苦笑し、彼に跳び蹴りの真意を確かめようと踏みだした。その橫を、妻が音速で疾走する。

鮫島の拳がうなる。

どかんと通事故のような音がして、が吹っ飛んだ。門柱に當たって崩れ落ちたところを、さらに追撃しようとする鮫島。梨太は面食らって、腰を摑んで引き留める。

「なななななにすんのいきなりなにすんの鮫島くん!?」

「襲撃だ。撃退しないと」

しれっと、男前な面で言う。梨太は目をまん丸にして、鮫島に抗議を開始した。

「襲撃って、の子だよ! ちょっと固太りだけどもどう見てもの子だよ、いま思いっきり顔面毆ったでしょ!!」

「心配は無用だー!」

と、元気な聲でってきたのは、ぶっ飛ばされた當の彼。短く切った髪がれた程度。ダメージが見當たらないのは、鮫島の技か、それとも當人が頑丈なのか。

もちろん前者だよねと期待し、見上げると、鮫島は頬を膨らませていた。

「……ヒット直前に逃げられた。頬骨を砕くつもりで毆ったのに」

「だめだろ!!」

「……なんでだ? 日常生活ならば、相手の別や型、防力など関係なく毆ってはいけない。戦闘ならば、相手の力量も関係なく再起不能にしなくてはいけない。無駄に殺しはしないよう、加減はするが」

「加減だと? あたしは鮫よりも強いんだぞ! 手加減なんかしたら死ぬのはお前だからなー!」

またも口を挾んでくる。ほらあっちもそう言ってるし、と指を差す鮫島に、梨太もなんだかもうどうでもいいかなという気はした。が、それでも首を振る。

「ここは戦場じゃないし、命掛けで戦う場面じゃないでしょ。とりあえず僕も無傷だし、まずは話を聞こうよ。……あれって、君のお姉さん……だよね?」

鮫島は頷いた。

「まあ一応。うちの三番目の姉だな。名前はハヤブサ。年は俺の六つ上で、俺の知る限り、人がいたことはない」

「その報いるかっ!?」

ツッコミとともに、再び跳び蹴り。今度は鮫島の方に向けられた。騎士団長はあっさりかわすと、実姉の足首を捕まえて、そのまま地面に叩き下ろした。かつて自分が頭蓋骨を割られた攻撃方法である。恐ろしく容赦の無い技に、しかし地につく直前、全をひねって抜け出された。

鮫島が勢を直すより先に、コンパクトな打撃を二度、三度。鮫島が両腕を合わせ、防を固めたところに腕を差し込み、そのままくるりと回転。

鮫島の長が宙を舞う。

「――おおっ!?」

長は、鮫島よりも三十センチは低い。自分が高校生だった頃と同じくらいか。その格差で、鮫島を投げたのだ。一どんな魔法だ。

ドゥと音を立て、背中から地面に落ちた鮫島。しかし彼も負けていない。寢転がった姿勢のまま、ハヤブサの足を蹴った。倒れてきたところにすかさずマウント。だが譲らないハヤブサ。鮫島の長い手足を絡め取り、関節技をかけてくる。その鮮やかな捌きは、たしかに見覚えがあった。

「……怪獣映畫みたいだ」

梨太の呟きは、だれにも拾われなかった。

ハヤブサの技は巧みだった。自分より大きな格の男に、小柄であることを逆に活かして絡みつく。目にもとまらぬ早さで手足が、指がき回り、相手の急所を極きめるなり全重を集中させる。

――早い、強い。彼はきっと、近接格闘において鮫島と同門だ。しかも技ならば上をいっている。

「――ぐっ!」

鮫島の悲鳴。豬と戦ったときすら見せなかった、苦悶の表である。ハヤブサは笑った。

「はーっははははこの関節技はおまえが降參するまで解かないぞ! 右手を再起不能にされたくなければ、あたしこそが星最強だと認めろーっ!」

どうやら、そんなことが目的だったらしい。なんとしても助けるべきか、それとも傍観するべきなのか、梨太が本気で悩んだとき。

「…………認める。おまえが最強だ、ハヤブサ」

鮫島が言った。ハヤブサは目を見開き、破顔一笑。両手を天に高く上げ、高笑いをあげた。

「やった! 鮫に勝った!! ついにこれで、あたしは『王都最強の』ではなく、真に星最強の人間だぁーっ!」

鮫島、渾のアッパーカットが、ハヤブサを天へと打ち上げた。彼の全がきれいな弧を描いて空中浮遊、今度こそ、べちゃりと地面に倒れ伏す。

そうしてかなくなったのを、鮫島は片足で踏んづけた。ベルトに下げていた手錠を、何にも言わずに掛けていく。

実に鮮やかで手慣れた作業を、梨太は目を點にして眺めていた。

「……いくらなんでもひどくね?」

「軍人だからな」

失神した実姉を、肩に擔いで、鮫島。

別や年齢など関係なく、容赦もしない。だまし討ち、不意打ち、死んだふり、ひとりに対して集団、夜襲、兵糧攻め、偵潛、毒薬、含み針などなんでもありだ」

「はあ」

「これが格闘技のイベントで、正々堂々、腕力比べをしましょうと言われたら素直に降參もするけどな。軍人の強さとは、兵の取り扱いなども含むんだぞ。『俺より強い』を名乗りたいなら大陸間弾道ミサイルを防いでからでないと」

「はあ。まあ正論だとは……えっ鮫島くんICBM発の権限あるの!?」

「騎士団長だからな」

まじかよ、という梨太のつぶやきに特になんの反応もなく、鮫島はザクザク、砂利を踏み奧へと進んでいった。

「そのひとどうするの」

「教主に預ける。目を覚ませばまたじゃまするだろうが、教主がそばにいれば大丈夫」

「お姉さんを狂犬のように……」

鮫島くんと結婚したらこのひと達と親戚になるんだなあ……などと思いつつ、梨太は彼の後をついて歩いた。

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