《鮫島くんのおっぱい》勇者の名
傭兵団のアジト――というと、梨太は映畫やゲームのイメージから、居酒屋風の汚い広間を想像していた。
だが実際にってみると、中小企業のオフィスのようであった。飾り気のない石の床と壁、造り付けの棚に、やはり可げのない資料書が置かれている。正面には腰ほどの高さのカウンター。その奧にはすぐ壁、扉があった。付レセプションの札はどこにもないが、そこに座っている男とみて間違いない。
四十がらみのいかつい男は、意外と想のいい笑みを浮かべていた。しかし三人の姿を見て取ると、すぐに眉を跳ね上げる。
「……なんだ、ラトキアの騎士さん。久しぶりだね。後ろのはもしかして騎士団長さん? もう一人可いのは、どっちの稚児さんかね」
蝶に向かって言う。蝶は軽く手を上げると、なんの想もなくを乗り出した。
「虎はいるか」
「…………。おいおい。一年ぶりに來てまた同じこと聞くのか。そんな傭兵いないと言ってるだろう」
「何度も言うが、おれは騎士としての捜査に來たんじゃない。ただ友人に――いや、今日は正式に依頼できた。金を払い虎を雇うつもりだ。隠す理由はないだろう?」
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「ああ、隠す理由はない。だから隠していないよ。虎なんて傭兵はいない。他の勇猛な兵でよければ斡旋する」
「……いったいどういうことなんだ。たしかに、ここにいるはずなのに……」
カウンターに拳を押し付け、蝶は奧歯を噛む。二年前から、何度もそうしてきたのだろう。悔しがる彼に、傭兵団の付は素知らぬ顔で伝票を整理していた。
鮫島が前に出る。
「では、いっそ捜査をしよう。中にるには容疑と令狀がいるが、このオフィス部分だけなら騎士はいつでも個人商店に対し業務を開示するよう命じることができる」
々、暴なことを言う。だが、付男はじなかった。むしろ面白そうに口元をゆがめて、どうぞご自由にと、伝票を手渡してくる。
「売り上げ履歴は十年分、そこの棚にあるが、ぜんぶ持って行ってくれて構わんよ。うちはホワイトで売っている。戦あらごとがないからって、他の傭兵団みたく賊をやったり、人さらいなんてしない方針なんだ。おなかのなかはまっしろなんで、どんだけ開かれても痛くない」
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「……では、暇な傭兵はどこにいる?」
「みんないつでも働いてるよ。引っ越し、掃除、子守でも頼まれればなんでも。主には警備や用心棒だな。他の傭兵団がブラックなおかげで、護衛の仕事にことかかない」
「うまいことやってやがんな。よっぽどしたたかじゃないか」
蝶が皮気に言うと、男は自慢げにをそらす。どうやら、おなかがまっしろ、というのは本當らしい。
一応、鮫島は伝票をぺらぺらとめくり、作業擔當者名欄を確認した。虎という名はないようだった。
「……所屬傭兵の名簿は? あるだろう」
これもすぐに提出された。こうなると見る意味もないと判斷し、返そうとしたのを、梨太は橫から奪い取った。ざっと目を通してから、蝶に向かって尋ねる。
「ねえ、鶴ジークンって、ラトキアで人気のある名前なの」
「……え? いや……さすがに名付ける親はいないかな。格好良すぎて名前負けする」
なるほどと、梨太は頷いた。鶴という生が、このラトキアでどのように認識されているかは知らないが、日本でも神格化されている鳥だ。きっと、相當格好よくありがたく、長生きを象徴する名なのだろう。
「じゃあ、象コメサバは?」
「それは最新の流行りだな。三年ほど前、初めて実在が認められたんだ。去年生まれた子供にはいっぱいいるよ」
「じゃあ、おそらくみんな十五歳は過ぎてるだろう傭兵団三百人のなかに五人もいるのは異常? ちなみに鶴は六人いた」
「……。……異常……だね」
梨太は名簿を閉じた。付男に向き直ると、彼は何か、とても上機嫌で目を細めていた。梨太も笑う。
「――この傭兵団に、本名が虎という青年がいますよね。彼のコードネームはなんていうんですか?」
「お稚児さん、やるね」
付男は、ひひっ、と聲を出して笑った。
「言っただろ。うちはホワイトで売っていて、他の傭兵団と直接爭う。そのぶんたっぷり恨みを買うんだ。俺たちが怖いのは監査なんかじゃねえ。そいつらが客のフリをしてい出し、罠にかけること。
それを避けるために、ウチはコードネームを作り定期的に変更するんだ。好きに名乗らせるからカブっちまうけどな。どうだい、うちは従業員にやさしい、ホワイトな企業だろう」
蝶はあんぐり口を開け、しばし呆然としてから目を見開き、地団太を踏んだ。
「なにがだ! そんなの、だったら初めからっ、二年前にそう教えてくれたらいいだろう!」
「聞かれなかったからねえ。おにーさん、虎という傭兵を出せばっかりでさあ」
「だっ――くそっ。わかったよ、じゃあ虎って本名の男を雇うから、コードネームを教えろ」
「當傭兵団では、いちげんさんのご指名はお斷りしておりまぁす」
「ふざけんな!」
カウンターに足を乗せ、付男につかみかかっていく蝶。さしもの好漢もキレたらしい。鮫島に引きはがしてもらって、梨太は再び前に出た。
「……コードネームを教えてくれないのも、指名不可ってのも傭兵を守るためですよね。彼は譽あるラトキアの騎士です。それでも信用できないのでしょうか」
「できないね。騎士が、じゃない。その男が騎士ということがだ」
「なんでだよ! ちゃんと証明書は見せただろ!」
「あんなもん、ブラックな傭兵団はいくらでも偽造してんだよ。偽の分を作ってほしいって依頼はなくないんだ。……あんたの顔なんて知らねーし」
「新聞に何度も載ってるんだけど!? けっこう長年活躍してきたんだけど! 覚えにくい顔と名前で悪かったなコノヤロー!」
騒ぐ蝶に、鮫島は無言で足払いをかけた。床に転がったところで圧し掛かり、背中に膝を乗せる。それで、蝶は靜かになった。
梨太も構わない。
「……蝶さんを知らなくて、信用できないてのはわかりました。実際地味だししょうがないと思います」
蝶が手のひらで床を叩く。放置。
「――でも、あちらの鮫騎士団長は知ってますよね? ラトキアで彼を名を知らぬものはいない、顔も星帝より知られていると聞きます。王都に寫真、肖像畫や彫刻まで売られているし、黒髪は極端に稀で、これだけきれいなひともそういない――なにより、あなたは鮫島くんを見て、開口一番こう言った。後ろのは騎士団長さんかって。……ですよね」
付男は肩をすくめる。
「そう怖い顔をするなよ、お稚児さん。可い顔が臺無しだ。――ああ知ってるよ。初めから誤魔化してなかったろ。追い込まれなくたってそう答えたさ、うちはホワイトなんだ。信用第一。お客様に噓はつかねえ」
「……では、僕たちを信じて、虎ちゃんに會わせてください。本當にお金を払って雇うし……それがだめでも……し、顔が見たいんです。お願いします」
あとお稚児さんはやめろ毆るぞと日本語で呟きつつ、頭を下げた梨太に、男は眉を垂らした。一度、鮫島の方へ視線をやって、嘆息する仕草。そして優しい聲を出した。
「まあ、そういうことなら別に、取り次いでやるのは構わんよ。依頼をけるかどうかは本人次第だがね」
「あ、ありがとうございます。嬉しいです」
「……ああ。しかし実はその……虎というのが、俺にもどいつかわからんのだ」
エエーッと抗議の聲を上げる。なんでもこの傭兵団、団時には分を提示するが、実際の登録はナンバーで行う。コードネームがカブっても日替わりにしても不便が無いのは、ナンバリングのおかげだ。そのため本名で呼び合う機會が無く、データベースは男の記憶だけ。それを忘れたというのだからどうしようもない。
あからさまにガッカリする梨太に、男は慌てて弁解する。
「すまんなあ、傭兵たちにも聞いてみるよ。誰か知っているかもしれん。現場に出てる連中には電話か、手紙を出すからもう二、三日待ってくれたら――」
「そんなぁ。ここまで來てあと三日なんて!」
「ううっ、じゃあなんとか思い出すから……」
後ろで、蝶が床を叩く。何か言いたいことがあるらしい。鮫島が膝をどけると、彼は立ち上がり、腰をばしてから、こう言った。
「前から思ってたけど、リタ君って男問わず、年増にモテるよな」
四歳年上の妻はもう一度、蝶を転がし上に乗った。
「特徴で探せませんか。僕と同じ年――いや、ラトキア人は若く見えるからちょっと年下……いやでも僕が顔だからやっぱり同じくらい。長はそっちの蝶さんよりし低くて、鮫島くんより骨ばってて。赤で」
「そんなの山ほどいるよ。傭兵は全員赤、それにたいていは若くて格がいい」
「うーん……こう、貓みたいな……ってラトキアの貓は僕の知る貓とは違うかもしれないか。一重瞼でギラッと大きくて、あとは八重歯と……」
「三本の指が義肢で、元にやけどの傷跡がある」
鮫島が補足してくれる。しかしやはり、男は首を傾げた。
「任務中は手袋してるやつが多いし、のどこかに傷はみんなあるしなあ」
「鮫島くん、虎ちゃんの寫真か何か持ってない? 蝶さんは?」
二人は首を振った。いよいよ行き詰まり唸る梨太。ふと、鮫島がカバンを開いた。中からメモ帳――いや、小さなスケッチブックを取り出し、素早くペンを走らせる。三分とせず、梨太たちに差し出してきた。
「あっそうか、似顔絵。うわすご。上手っ」
ドレドレとけ取る付の男。一度、梨太と同じように畫力を稱えてから、眉を寄せた。
「んーっ、これ、何年か前の人相か? たぶん『勇者』じゃねえかとは思うけど」
「……勇者?」
「コードネームだよ。ユウシャじゃなく、このラトキアで聞かない名前で……ロトとかアベルとかマリオとか。自分でそう著けるんで、どこからの引用だって聞いたらそう言ってた。どこかの國の英雄譚、お姫様を助ける勇者の名前なんだってさ」
言われて、梨太は虎が日本の漫畫、それもレトロな年漫畫や冒険譚の読者というのを思い出した。勇者というには違うキャラも混じっていそうだが、虎が好む語には変わりない。
「うん、きっとその人だ。かなりの確率で――」
「間違いない」
鮫島が言った。
ちょうど解放された蝶も、這いつくばったままく。
「『勇者』が虎だ」
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