《鮫島くんのおっぱい》王都を出る前に

ラトキア王都を囲む石壁は、高さおよそ四メートル。正円形の都の、東西南北それぞれに四か所、王都外へ出る関所があった。國にたった四つしかない扉――そう考えると、その扉はあまりにも小さい。軍用車が三臺橫並びになれるほどだろうか。めったに出りする者がいないあかしだ。

そして思っていたより、厚みもない。王都を囲む壁は、かように簡素なものだった。ヒトが、抱えられるほどの石を積んだだけ――それもそのはず、この壁は敵軍隊から國を守るためのものではない。料理包丁くらいしか武のない、奴隷を囲うためのものだから。

門扉の前に、ちょっとしたビルが建っていた。門番の詰め所であり、出りを監修しているところらしい。

まず、梨太たちはそちらを訪問した。三神の教會、教主が事前に連絡をしてくれている。一行は簡単な分照會だけで出ていける――はずであった。

が。

「あっ、鮫騎士団長ご一行さまですね? では奧へどうぞ」

と、引き留められてしまった。あくまで俺がリタの連れだと眉だけで主張する鮫島を放置して、一応、梨太が前に出る。

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「……なんでしょう? 長くかかりますか? 車に仲間を待たせてるんですが」

「みなさん降りて、中でお待ちください。鮫騎士団長殿が凝られ次第、宮殿へ電話をつなぐよういい使っておりますので」

二人は顔を見合わせた。

「……星帝宮殿からっていうと、鯨さんだよね」

「だろうな。つい昨日に話したばかりだが……なにか急で連絡があるようだ」

このラトキアには、基本的に家庭電話というものはない。各バスターミナルと公的施設に公衆電話が置かれているだけだ。ラトキア國で指折りの要人である鮫島も、自宅には騎士団執務棟への直通電話のみ。攜帯電話である『くじらくん』は、任務中に貸し出されるインカムのようなものである。

用事があれば直接赴く。急事態には、公的施設を経由する。それがラトキアの通信インフラだった。

そんな世界で、ただ一人。どこにでもつながる電話を、自室にもっている人――それこそが、星帝皇后にしてラトキア國將軍、鯨であった。

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梨太は一度、詰め所を出て、車に騎士たちを呼びに行った。離れている間にまた々やらかしたらしい。二人とも傷が増えていた。

「蝶、いったいいつまでついてくるんだよ」

「……これで帰るさ。おれの勝手だろ」

「前席が狹いんだけど」

「運転してるのおれだし」

「はいはいそのへんにしましょうね」

適當にとりなしつつ、四人で建っていく。

「こちらが通信室です」

と、案された扉を、まずは鮫島が先頭でくぐる。梨太も続こうとしたが、門番が目の前に立ちふさがった。

「恐れります。宮殿との通信は國家機。一般の方はご遠慮ください」

「おい、この一行の代表は、俺じゃなくてリタ……」

鮫島が抗議しかけたのを、梨太は止めた。

「まあいいじゃん。ただ行ってらっしゃいの挨拶聞くだけなら、君だけで。僕が聞く必要がありそうなら呼んでよ」

若干不服そうにしながらも、彼は素直に従った。

そうして鮫島を見送って、冷たい石壁によりかかる。

(たぶんこれからも、こういうことが続くんだろう。ちょっとけないけども、プレッシャーがなくて気楽だな)

それが梨太の正直な気持ちだった。

と――ふと、肩を叩かれる。橫並びにもたれていた虎だ。彼は金の目を輝かせ、なんだか懐かしい、イタズラ小僧のような顔をしていた。

「やっぱり、客観的にお前らが夫婦っての、不思議な覚だよな」

そんなことを言う。梨太はなんの忌憚もなく笑った。

「そうだね。これでもだいぶ、凜々しくなったなんて言われるんだけど。さすがに鮫島くんと並べば見劣りするってのは自覚してるよ」

「いやむしろ、八年前のお前達のほうがお似合いだったぜ」

「なんだとこのやろー」

と、わき腹を手刀で叩く。虎はゲラゲラと笑った。

もちろん、梨太も本気で怒ったわけではない。仮に、虎がジョークでなく本心から言ったとしても、頷くしかないだろう。

彼と初めて出會ったのは、鮫島と同じく八年前。梨太は今よりも十七センチ背の低い年だった。梨太が鮫島の妻になるならば、誰も驚きはしないのだ。鮫島の両親が、なんの疑問も無くそう思い込んでいたくらいだから。

「……おれは、ちょっとこんな予がしてたけどね」

と、呟いたのは蝶だった。彼は梨太達とすこしだけ距離を置き、やはり石壁にもたれていた。

そういえばこの男に、路を邪魔されたことがあったなあと思い出す。鮫島が本気で梨太を好きになる、その可能をいち早く察したのは彼である。つついてみると、彼はなんとも言えない顔をした。いつも笑っているような顔に、引きつった苦笑いを浮かべる。

「いや、ほら――なんというか。……リタ君は、団長の好みのタイプってのがわかってたから。見た目だけじゃなく気持ちまで通じてしまったら、これはやばいなと」

「なにそれ。鮫島くんの好みって、僕すら初耳なんだけど。なんで知ってんの?」

「えっ。……それはその……騎士団の、正月の、飲み會で……」

しどろもどろ、できれば一分前の失言をなかったことにしたい蝶、何かの用事を思い出される前に、梨太は裾を捕まえた。虎を挾んで、蝶を捕縛する。

「わ! なんだよ、放してよ。なんでもないって」

「なんでもないことないでしょ、騎士団で僕の噂話をしてただなんて、僕にも聞く権利在るよね聞きたい」

「違う、リタ君の話をしてたんじゃなくて――」

み合ってるところで、ふと虎が手を打った。

「あぁあれか。昔、だんちょーが嫁さんを口説いてたっていう。そういえば蜻蛉トンボ教とリタってちょっと雰囲気にてるよな」

「……。…………えっ?」

目が點になる梨太。蝶は慌てて、虎の口をふさぎにかかった。

「口説いてない、ただイイナーって思ってたっていう話だろ! 不穏なねつ造するな!」

「そりゃそうだけどそこそこ本気だったんじゃね? じゃないと『今この瞬間だから言える、墓場まで持って行こうと思ってた大暴話』っていうクジ引いて言うことじゃないだろ」

「もう十年近く前のこと、聞いたのも六年前! 完全に過去の話だ。酒の余興だ、笑い話だ!」

「誰も笑ってなかったじゃねえか」

「だろうね」

その場の空気を想像して、梨太は半眼になった。ちなみに同じクジを引いた蝶は、「自分の結婚式に元カノから皮たっぷりの祝電がきた」という、さすがの模範解答をしたという。おそらく鮫島もその程度に消化済み、蝶の言うとおり、宴會のジョークとして話したのだろう。相変わらず、彼のジョークは気持ちいいほどよくる。

「それにしても、チョーさんの奧さんが僕に似てるなんて意外だな。なんかこう、たおやかでけなげな薄幸のを想像してた」

「……雰囲気だけね。ちっちゃくてフワフワしてるかんじ」

「見かけによらず気が強いってのも追加な。教も、あんな可い顔して大の男をびしばしシバくから」

「そういえば元軍人さんだっけ。虎ちゃんの教、なの?」

梨太の問いに、虎は頷いた。

虎は騎士になる前は、年兵として出征しつつ、兵卒養訓練をけていた。そこで実技と神を鍛え上げたのが、蝶の妻、蜻蛉というだという。このラトキアで兵士長とは、相當な傑だ。褒め言葉としてそう言うと、蝶はまた複雑な顔をした。

「……そうだね。彼は……とても運が良かった。もちろん、実力と努力があってのことだけど」

「つきあい長いんだよね。どこで知り合ったの?」

と――無邪気に問うてから、梨太はハッと息をのんだ。つい先ほど、虎が言っていたことを思い出したのだ。失言を自覚し黙り込んだ梨太に、蝶は苦笑する。彼は大人だった。

なじみだよ。蜻蛉の母親が、うちで住み込みで働いてた」

「えっ、じゃあ、まさか初が実ったってやつ? めちゃくちゃ意外!!」

梨太がぶと、蝶は聲を上げて笑った。

「ちがうちがう。あいつは元々、雄優位でね。うちにいたときは完全に悪ガキ友達。だけどあいつが十四歳の時、おれが騎士見習い生やってる間に出て行ってしまって……再會したのは十年以上あとなんだ」

そのときは、雌優位になっていた? ――という問いを、聞きあぐねて黙る。それは梨太が持つ社、これ以上踏み込んではいけないという警報だった。

この夫婦には、きっと悲しいがある――

しかし、その殻を破ってくれたのは、蝶自だった。

「……リタ君は、これから政治家になろうとしているんだよな」

そんな語り口で、梨太の意志を確認する。青年が力強く頷くのを、蝶はしっかりと確認した。そして目を伏せ、ぼそりと吐いた。

房は奴隷だった」

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