《鮫島くんのおっぱい》泣く子は男たちを黙らせる

梨太は息をのみ、蝶の言葉を理解する。

やっと出てきた聲は低く、かすれていた。

「……このラトキアに……奴隷はいないんじゃなかったの」

「ラトキアではな。だが異星人に、雌雄同年は高く売れるんだよ。おもしれーから」

答えたのは虎だった。

「特に俺らみたいな被差別種あかいろは、ターゲットになりやすい。食うに困って親が売ったり、子供みずから売りにきたり。上流階級の子供より、居なくなっても騒ぎにならねえから、人さらいも赤を狙うんだ」

「ああ、そうだ。蜻蛉が売られたと知って、騒いだのはおれひとりだったよ」

蝶が続ける。彼の聲は穏やかで、落ち著いていた。

「……もともとは、蜻蛉の母親がうちに『買われて』きた。……父親は、正式に離婚したんじゃなく、ただフラッといなくなったらしい。……もう二十年以上前だ、當時はいまのように、が一方的に離婚できる法律がなかった。再婚も出來ない、族年金や寡婦への保護費が出るわけでもない。お袋さんの選択肢はソレしかなかったんだと思う」

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「それで……お母さんは? 亡くなったの?」

「いや。蜻蛉を置いて逃げた。よっぽど、おれの親父はヘタクソだったらしいや」

蝶は苦笑した。この男は、笑うと異様な迫力がある。梨太は思わずたじろいだ。

「もしかしたら、そのまま面倒みてくれるなんて考えてたのかも知れないな。うちの母親も容認してたし、一人息子のおれと兄弟みたいに仲良くしてたからさ。

……でも、やっぱりそうはいかなかったんだ。前払いしてたぶんの給金を、親父はそのまま蜻蛉に請求した。十四のガキだ、払えるわけがない。かといって親父は――これだけは幸いなことに――コドモに興味が無かった。

おれは鮫さんの家に貴族奉公に出ていて、二年ぶりに還ったときには、もう母子はいなかった。最終的な行き場所はわからない、ただ、西の傭兵団にあいつを売ったって。親父から聞けたのはそれだけだった」

傭兵団、その言葉に虎がピクリと反応した。蝶は彼の方を見ることもなくただ淡々と言葉を続ける。

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「蜻蛉は自分の両親も、親父のことも恨んでいない。何もかも、仕方が無いことだって。……おれもそう思う。悪いのは、政治だ。

明るくて、やんちゃで、ちゃんばらごっこが強かったおれの親友を――子供が産めなくてごめんって、泣かせたのはこのラトキア國だ。

おれの房は、強いだよ。泥を噛んで生き延びて、自力でこの星に還ってきた。おれなんかよりずっと強くて賢くて、有能なんだ。

だけど泣くんだ。時々震えが止まらなくなる。抱きしめるとやけどしたみたいに痛がる。そのくせすがりつきながら、ちっちゃくなって泣くんだよ」

そこで、蝶は顔を上げた。梨太の方を見て苦笑する。

「リタ君、顔が真っ青だよ」

「……や……なんか。……なんか、にしみて、怖くなって」

「二十年前の話さ。星帝ハルフィンはこのあと政治を変えた。今はの人権は守られてるし、バングルで金銭のやり取りが厳しくなった。被害者の分に関係なく、拐や強は重罪だ。君の妻や將來の子供は、蜻蛉のような目には遭わないよ」

「はい。でも。……でも……」

梨太は靜かに呟いた。自分自に言い聞かせるように、ゆっくりと吐き出していく。

「でも……僕はこれから、ハルフィンを継ごうとしているから。……もし、僕が政治を間違えたら、またそんなひとを生んでしまうんだよね……」

蝶は笑った。不思議と、らかく穏やかな笑顔であった。梨太の頭に手を乗せて、ヨシヨシ、でてめる。肩と背中を叩き、挨拶程度にハグをした。

「その怖さを知ってくれたならそれでいい」

梨太は何度も頷いた。震えが止まっても、が治まらない。穏やかでいられる蝶を、すごい男だと思った。

「やーい、大人ぶってやんの」

隣で、虎が子供のような揶揄をした。棒読みで、空中に視線をやったまま。

「なぁーにが『仕方のないこと、悪いのは政治』だ。まるっきり言葉だけじゃねーか。かっこつけ。き、れ、い、ご、と。お前ってそういうとこあるよな。父親ぶん毆って豪商の跡取りを勘當されといてよく言う」

「ム、昔の話だろっ!?」

蝶はみるみる赤くなり、虎に向かって大聲を上げた。虎はどこ吹く風、目を丸くしている梨太に向けてにやりと笑った。

「おいリタ、このおっさんの言うことは、話半分――じゃなく、倍にして聞いておけよ。この笑顔ゴリラ、深刻な話をするのが嫌いでわざと茶化すクセがあるんだ」

「……は、はい」

「笑顔ゴリラってなんだそのアダナ!?」

「飄々とした紳士なんて薄い仮面、三年も付き合えばボロボロになるぜ。実際んトコ誰より熱いんだ。特に房がらみはな。……キューピット役への恩を、八年も忘れず面倒見ようってんだからよ」

「キューピット? 虎ちゃんが?」

「別にそれは関係ない!」

梨太を真ん中に、左右で応戦する男たち。梨太は顔をキョロキョロさせ続け、目が回りそうだった。あくまでその立ち位置のまま、視線は合わさずに虎が言う。

「――悪かったよ。蜻蛉教の件に、傭兵団が絡んでるなんて知らなかったし」

「……おう。言ってなかったな」

「つーか、ウチはそういう、拐だの人売買だののシノギはやらねーから」

「わかってるよ。組織がどうあれ、お前がそれをけるわけがない」

「……あと、俺もう二十四になるから。四十過ぎのおっさんから見たら、十六の貞とかわりゃしないんだろうけどよ」

「おれはお前をバカだと思ってるが、コドモだと思ったことはないさ」

ぼそぼそと、ぶっきらぼうに、呟きを重ねていく。誰に向かってでもなく、虎が問う。

「じゃあなんで、いつまでも世話を焼く?」

誰に向かってでもなく、蝶は言った。

「友達じゃん」

奇妙なうめき聲に、彼らは同時に、中央を見た。彼らの視線のし下で、梨太がしゃくりあげていた。ぽろぽろこぼれてきた涙を拭い、梨太は慌てて顔を覆う。

「ちがっ……な、なんか、すごくホッとして……勝手に……」

そんな言い訳も、ヒックヒックとしゃくりあげる音に遮られ途切れてしまう。蝶にでられ虎にくすぐられ、められても効き目はなかった。それもそのはず、悲しくて泣いているわけではないのだから。

不思議なことだ、と梨太は思う。

人し、大人になってから、梨太は涙もろくなった。高校の時ではめったにもしなかったし、小學生時分には無敵だった。

子供のころ、この世に怖いなどなかった。失う経験をするほどに、失うことが怖くなっていった。痛みや労働、ほかの多くの障害は、経験を重ねるほどに慣れていく。しかしこれだけは重ねるほどに哀しみが増した。

同時に、それを回避できた時の喜びも。

えぐえぐ泣いている人男子を取り囲み、戦士たちが大慌てで、見當違いのめをまくし立てていた。

「大げさなんだよ、俺らは別にもともと仲違いなんて……なあ蝶?」

「そ、そうそう。だからリタ君が気にすることないし泣くこともないし」

「だから泣き止めって。な。頼む、ほんとに」

「でないともうじき団長がっ」

「だんちょーがこういうとこ見たらっ!」

と、目の前の扉が靜かに開く。顔を出した鮫島は、いつも通りの端正な鉄面皮に憐悧な視線を梨太へとむけて、一瞬でそのすべてを変えた。

全力疾走で逃げ出す男たち。追う鮫島を捕まえて、梨太が弁解しなければ、現場は慘狀となっていただろう。

「長くかかったね。何の話だったの?」

狀況を理解し、平靜になった鮫島に尋ねる。彼は複雑な顔をした。

「今朝、リタのあの聲明が、國営放送で全國に流れたらしい。自宅にテレビを持っているのは一部だけで、ラジオに乗るのはもうし先だと思うけど」

「あっ、もう? じゃあそのラジオが流れて、町に広まる前に王都を出てしまいたいなあ」

「……ああ、うん。それより……その視聴者……一部の上流階級、貴族や豪商から、さっそく立候補者が出てきてるらしくて」

鮫島は珍しく、言葉を濁した。詳しくは、鯨から直接聞いてくれと部屋のほうへ手を引かれる。

そして先ほど自分が追いかけまわした、蝶のほうへ顔をやった。

「……蝶。俺の記憶が確かならば、たしかお前の父親、名前を蠍さそりといわなかったか」

「……いいますね」

答えを聞いて、鮫島は眉間にしわを刻んだ。それですべてを察した蝶はおおきく嘆息し、頭を抱えて、その場にしゃがみこんでいった。

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