《鮫島くんのおっぱい》ラトキアの世界

ラトキア屈指の大富豪、蠍。樞機院から雉と駝鳥。三神の末裔である大地主、犀サイ。とりあえず、名乗りを上げたのはこの四名だと、鯨は語った。

モニターのない、音聲だけが屆く通信機である。彼の表まではわからないが、聲のかんじからして――不敵な笑みを浮かべている。

「気にすることはない。鮫には降參して辭退していた連中だ。今は、鮫が候補から降りたと聞いてまた手を上げたが、リタ君が鮫の夫と聞けばまた辭退する。分の悪い勝負はしないだろう」

「……そういえば、立候補するのにはリスクがあるんですか? 大金がかかるとか」

「立候補自は手數料程度だが、本格的に競り合いが始まれば三ヶ月間、諸々で時間を拘束される。仕事は中斷、コネのない下級貴族や商人は回しにも金を使う。それで敗退すれば、立て直しに年単位の時間がかかるだろうな」

「なるほど。そう考えると、僕に失うものがないってのは有利ですね。この選挙戦に集中できる」

鯨はフフッと笑い聲をらした。

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「君のその、いつでも前向きなところはすばらしいぞ。どんな闇の中でも一筋の明を見いだし、摑み取る。……わたしにも鮫にもない力だ。誇りなさい」

「はい? ありがとう、ございます?」

よくわからない。隣で鮫島が深々と頷いていた。なぜかちょっと自慢げである。そういえば似たようなことを教會でも言われたなあと思い出し、とりあえずに刻むことにした。

己の武もちものを確認するのは、戦い前に必要な作業だ。

鯨の機嫌は良さそうだった。明るい聲のなかに將軍のすごみをじる。

「君たちはこれから王都の外に出るのだな。軍用車の無線は騎士団執務棟への直通でしかない。リアルタイムで通話は難しいと思うが……いよいよ困ったら連絡をよこせ。數日以には迎えが出せるはずだ。こちらからも大きなきがあれば連絡する」

「車はバルフレア村に置き、馬に乗りかえるつもりだ。それから先はどうすればいい?」

弟の問いに、姉はケラケラ笑い聲を上げた。

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「骨は拾ってあげるわ」

「……どうもありがとう。ヨロシク頼む」

彼は適當な相づちを打った。

ここから先は、なんの役にも立てないと鯨は言う。しかし梨太は首を振った。旅の道や傭兵の虎を雇った金、梨太のバングルに蓄えられた大金は鯨の私財だし、もとより彼の支持がなければ、梨太の名は無力すぎる。どれだけ謝しても仕切れない。そういっても、彼は否定した。

「禮をせねばならんのはこちらの方だ。どうか気をつけて、行ってらっしゃいリタ君。ここから先は危険な旅になる。使命よりなにより、己の命を大事にしてほしい。それをどうか忘れないで……」

「大丈夫、俺がいるから」

「それに、虎ちゃんもねっ」

梨太が言うと、鯨は一瞬いて沈黙した。數秒の間を開け、低い聲で問うてくる。

「どういうことだ、鮫? ……まさかさっきの、傭兵を雇ったという話……アレは虎のことなのか」

どうやら話していなかったらしい、梨太が肯定しようとすると、鮫島が人差し指をに當て、制してくる。いつもの鉄面皮、冷淡な聲で、マイクに向かって囁いた。

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「バルフレアの村までだ。どのみちあいつは『の塔』にはれないし」

「……わかった。決して近づけるなよ。お前達のにまで危険が及ぶ」

「承知している。俺もリタを危険にさらしたくはない」

何の話か、聞くタイミングをはかっている間に軍人二人はやりとりを重ね、さっさと通信を終えてしまった。

鮫島が電源を切ったとたん、後ろの扉が開く。門番役人たちである。

「お二人にこちらの武を渡すよう、星帝皇后陛下より承っております」

と、渡されたのは黒塗りの剣だった。腕の長さほど、形こそ剣――あるいは日本刀によく似ているが、刃はなく、束から先端まですべて堅いゴムのような素材である。リタにはもちろん、見覚えがあった。

「これって、騎士団の麻酔刀……!?」

「いや、これは麻痺刀だ。一般の公共施設で警備員が持っている。麻酔のような心地よい眠りではなく、もっと単純で攻撃的な電撃を食らわせる。地球にも似たものがあっただろう?」

なるほど、スタンガンの刀版ということか。部に金屬がはいっているらしく、普通に振り回せばただの鈍、手元のクラッチを引きながら當てれば電気ショックを與えられる。

「麻酔刀ほどではないが、使いやすい便利な武だ。相手を殺さないとわかっていれば、リタも躊躇なく振れるだろう?」

「それ以前に當てられるかどうか。僕この五年で多スポーティにはなったけど、剣なんか習ってないよ」

「道中、俺が教えてやろうか」

「えっ本當。えーっ……どうしようかなあ」

ぶらぶら振りながら、そんな會話をし、部屋を出て行く。ぎらつく刃の無い剣は、オモチャのようとまでは言わないが、武だという実はまだ無かった。

部屋を出た先に、待っていたはずの虎と蝶がいない。さらに進んで建から出ると、外界へ出る門の鼻先に、エンジンのかかった軍用車が止まっていた。傍らに蝶。虎は後部シートに腰掛けている。

「……お前さあ、節約するのはいいけど食費まで削ってないだろうな。が資本なんだろ、ちゃんと食えよ」

「食ってるよ人一倍。俺もともとれねーの。騎士団じゃだんちょー命令で、無理に詰め込んでた。これが俺のベスト型。オッサンこそちょっと腹出てきたんじゃねえか? 節制しろ」

「出てない。斷じて」

それなりに仲良く談笑していたらしい。駆け寄る梨太達に気がつくと、虎はヒョイと手を上げた。

「おう、おかえり。王都を出てしばらくまではそっちが運転してくれ。平地になったら俺が代わるからよ」

鮫島が黙って運転席にる。梨太は助手席にり、すぐに窓を開いた。蝶に向かってを乗り出す。彼はここから、シャトルバスで帰還するらしい。ダメで元々、梨太は甘えてみた。

「チョーさん、一緒に來てくれない?」

「行かなーい。房がうちで待ってるもーん」

妙な節を付けて、蝶。斷る気まずさをごまかすためだろう、彼はあえて軽薄な笑みを浮かべていた。

「団長と豬が抜けたぶん、おれは現場に呼び出しかかるだろうし。犬居と鹿がいないぶん、事務仕事も山積みだし。ひと月近くも王都外に出ている余裕なんてないよ」

「そっか……」

「行ってらっしゃい。ま、がんばって。応援してるから」

ひらひら、手を振ってくれる。聲は軽く、口調はひょうきんで、視線は適當なところにある。およそ誠意のない『応援』に、梨太は苦笑した。

行ってきますと返す梨太。無言で視線だけくべる鮫島。フテ寢したように、シートにを沈めている虎。友人同士は別れの言葉も特になく、靜かに車は走り出した。

王都と、ラトキア星外界を隔てる壁の門。

その砦は、越えてしまえばあっけなく、あっという間だった。

白い壁を越えると、一気に視界が開ける。くすんだ緑の平原だ。轍により踏みならされたらしい、土がむき出しになった、道のようなものがつづいている。そのさらに向こう――地平線は背の高い草の群生が遮っていた。葦の種だとしたら、近くは水辺ということになる。王都の水路をつながる池だろうか。

整備された計畫都市、王都とはがらりとかわった世界。

鋼鉄の柵が、背後で下りる。梨太は振り向かなかった。果てしなく続く、ラトキア星の大地を眺めていた。

「怖いか、リタ」

運転席で、鮫島。梨太は首を振った。

「ううん。なんかむしろ、懐かしいような気がしてた」

「懐かしい?」

それは本當に、梨太の救いだった。海外滯在経験富で、たいていの所で生活できる自信はあった。だが思いの外、ラトキアの景は梨太になじむ。カルチャーショックがないのだ。

ラトキア王都が機能都市だからかと思っていたが、そうではなかった。自然の大地を見て理解する。

(……この景は、僕が生まれたところに似ているんだ……)

「おいリタ、これ」

と、後ろから虎の手がびてきた。その手には折りたたまれた一枚紙がつままれている。開いてみると、『推薦狀』だった。一瞬、虎が書いてくれたのかと思ったが、騎士をやめた彼に參政権はない。書面の末尾に『蝶』のサインを発見。目を丸くする梨太に、虎がイタズラっぽく笑った。

「オッサン曰く、リタ君を認めたってわけじゃないよ、ただあの父親が星帝になるよりはるかにいいからね――だそうだ。本心だかツンデレだか知らねえが、もらっとけ」

「あっ……あ、ありがとうっ……!」

「俺に言ってどうするんだよ」

虎はゲラゲラ笑ったが、梨太はもう一度禮を言った。虎が絡んでいなければ、きっともらえなかった推薦狀だ。ありがたかった。

蝶は梨太を見込んだわけではないという、それが真実でも噓でも、何らかメリットがあって推してくれたのだ。の同票よりも嬉しいものだ。

(頑張ろう。この星で、僕は一生を過ごす。この星がよいものであるように、僕は頑張っていこう――)

中でつぶやき、己に言い聞かせる。の深いところにしみこませ、梨太は顔を上げた。ラトキアの大地を見渡し、大きく深呼吸。秋の暮れ、き通った空気のなかに、かすかに水の音がする。どうやら葦の向こうは小川らしい。

水生生態學研究職員のが騒ぎ、梨太は思わずを乗り出した。

「ねえ、出発してそうそうアレなんだけど個人的な好奇心で、ちょっとだけ水質調査にたちよって――……ん、うん?」

「どうした」

言葉を途中でやめた梨太に、運転しながら、鮫島は顔を向けた。

王都を出て、まだ十分も経っていない。距離で言えば五キロ強だろうか。視界の右側を遮っていた、葦の群生――その一部が風向きに対し、異様なき方で揺れている。

「鮫島くんホラあそこ、なにか獣でもいるのかな」

梨太の指さした方向を、鮫島はちらりと見て――瞬間、アクセルを踏み込んだ。発的にスピードがあがり、軍用車が平野を走する。アスファルトの整地などではない、思い切り縦揺れする車でひっくり返り、梨太は悲鳴を上げた。

「な、ななに? どうしたの!?」

「牛メガオロンだ!」

んだのは虎である。後部シートの彼は雙眼鏡を取り出し、遠ざかっていく後方を見ていた。

牛。哺綱鯨偶蹄目、ウシ科の。野生種を家畜化したのは、はるか紀元前である。はもちろん、革、料、労働力、移手段として、地球全世界中でヒトにされているだ。このラトキアでも食用としてたいへん一般的である。

梨太は歓聲を上げた。

「野生の牛? 懐かしいな。昔、僕ん家の近くに牧場があってさ――」

虎は黙って雙眼鏡を貸してくれた。うきうきと目元に當て、背後を見る。そして梨太は悲鳴を上げた。

そこにはモウモウと――牧歌的な鳴き聲ではなく、立ち上る土煙の向こう。

時速160キロで走する軍用車に全く遅れを取らずこちらに突進する、長五メートル、巨大な牙を持つ、一角獣の群れがそこにあった。

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