《鮫島くんのおっぱい》ラトキアン・アニマルズ
どうどうどうどう。い土を、さらにい蹄が削り土煙が上がっている。重は一トンを軽く超えているだろう、黒りする筋質な。下あごから生えた二本の牙は、むしろマンモスをほうふつとさせる。圧倒的に特徴的なのが、額の角だ。獲を突き殺す、そのためだけに存在する三角錐の一本角は、まっすぐにこちらを狙っていた。
梨太はんだ。
「牛ちがう! あんなの牛とちがう!」
「牛だろ」
虎があっさりとそう言って、窓からを乗り出し、小袋の中をぶちまけた。風に乗って、後方へと末が流れていく。
「虎、それは?」
「牛避け。狼エモリカの糞の末っすよ。この匂いを牛どもが嗅げば戦意喪失するはず」
「ねえその狼ってのもどうせ僕の知る狼じゃないよねきっと。哺綱鯨偶蹄目で食用家畜になりえる獣ってだけしか共通點のない怪獣が牛なんだったら狼はさしずめ食目イヌ科イヌ屬食哺類のキングギドラかなんかかな!」
「……リタ、何を言っているのかわからない」
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「うるせえぞリタ、頭伏せとけ」
二人のラトキア人からクールにいなされてしまったが、おそらく、自分の推測は正しい。國語辭典でその名をひいて、一行分で説明されているような超基本的な報――それが、一致しているだけの、まったく別の生なのだ。
「もしかしたらとは思ってた……『犬シェノク』そっくりだったバルゴに、犬居さんふくめまったく未知の、星外生って言ってた。バルゴはラトキアの『犬』に似ても似つかないんだ。犬だけじゃなく、ラトキアの名は全部そんななんだ」
頭を思い切り低くして、振に耐えながらぶつぶつ呟く。王都ではほとんどじなかった齟齬が、ここにきてのしっかかってきた。どっしりと超重量級の怪として。
最高速度の軍用車は、さすがに牛たちを突き放していった。虎の巻いた牛避けパウダーも効いているらしい。ドカドカという足音はずいぶん靜かになってきた。
しかし一つ、一頭分の足音が、いつまでたっても小さくならない。梨太はそうっと頭を上げて、窓から後ろをのぞいてみた。
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「げ!!」
腹の底から、悲鳴を上げる。
一頭の牛が、もうすぐそこまで追いついていたのだ。幸い額の一本角がなぜかなく、型もやや小柄。それゆえの俊足であろう。それでも軍用車と変わらぬ大きさだ。スピードと重量を考えればまるきり同じほどか。
虎が舌打ちした。
「群れのリーダーか? こりゃしつけぇや」
「ああ、おそらくは子供を産んだばかりのメスだろう。いちばん神経質な時期に通りがかってしまったな」
「なんで君たちそんな冷靜なのっ!?」
梨太のびに、視線だけくれて、鮫島。
「心配いらない、リタ。王都で食べられているのは品種改良したもので、溫厚で育てやすい。牧場は阿鼻喚ということはないし、味もずっといい」
「何の話だっ!? まずいよあんなのに突進されたら……!」
「だんちょー、この先道が悪くなる、追いつかれる前に先手必勝、仕留めたほうがいい」
やはり冷靜に虎が言い、腰から刃を取った。
見覚えのあるツインダガー……五年前、バルゴと戦っていた彼の武。どうやら騎士団支給品ではなく、特製の私だったらしい。その切れ味は梨太も知っている、しかし腕一本より短い短剣だ。猛牛と戦うような武だろうか。
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と、言うまでもなく虎は理解していた。刃で切りかかるのではなく、ただまっすぐに突き出して牽制する。牛が目前の刃を嫌い、ほんのすこし後退した。
「だんちょー、そのまま全速力で!」
鮫島はハンドルをしっかり握りこみ、走行の安定に集中した。虎のほうを振り向くこともない。
虎は窓からの半分以上を乗り出し、車外で上半を立たせる。當然、これ以上なく危険。梨太は慌てて、彼のを摑んで錘になった。
「おっ、サンキュ」
軽い禮が返ってくる。そのまま、彼は用にウエストポーチをまさぐると、二本の指に丸薬、もう二本の指にグミキャンディのようなものを挾んで取り出した。グミのほうを梨太へ投げてよこす。
「それ、指で五秒こねて俺によこせ」
何だかわからないが、言われたままにする。一、二、三、それはすぐにらかくスライム狀になった。異様に甘いにおいがする。
四秒目で、獣のいななきが聞こえてきた。
「――ばぶっしゃん!」
奇妙な音。そこで五秒。後ろ手で招いている虎に、ドロドロのを渡す。
彼が出した二つのものはいったい何だったのか――その答えは、すぐに出た。
――バンッ!――
火薬のはじける音、の悲鳴。が焼ける匂い。虎は車にり込み、窓を閉めた。
「オッケー、口の中でかんしゃく玉を破裂させてやった。ベロを大やけど、だな」
「かえって気を荒くしないか?」
鮫島の問いに、虎はヘラリと笑った。
「かんしゃく玉は半分がコショウで出來てるんだ。しばらくは悶絶でまともに走れねえよ」
そう言って、彼は梨太に手を差し出した。梨太は無言で、旅の荷からタオルを渡す。
そして、牛のヨダレと鼻水まみれになった傭兵をねぎらった。
「これから、こういうことが続くのかな……」
――夜。
野営を組み、焚火を囲んでの夕食で、梨太はぼそりと呟いた。獨り言ではあったが、問いかけととられたらしい。隣にいた鮫島が頷く。
「そうだな。夏に生まれた仔がよく食べるようになり、冬を間近に控え、獣たちはナワバリと食糧の確保に張している時期だ。一年で一番、が太って味しい季節だな」
「鮫島くん、食べの話から一回リセットしてもらっていい?」
梨太が言うと、鮫島は首を傾げた。もう嘆息するよりほかになく、諦めて、梨太はにかじりついた。
「実際、たしかに味しいけどね」
秋の獣はたっぷりと脂をたたえ、付きがよく味だった。先程、群れに遭遇し旅の食料としてかたっぱしから捕獲したである。ひきずるほど長い耳、背中にはちいさな翼、群れのすべてが一家族だという子だくさんな獣の名は、ウサギというらしい。まあ、許容範囲である。
俊敏なウサギたちを捕まえて、皮をはぎ捌いてくれた虎も得意面。
その間、キャンプの用意をしていた鮫島は、夜用の焚火を作っていた。
梨太のスネほどの木枝を、バキリバキリと、手折りながら。
「味付けはリタだ。リタの料理はいつだって味しい」
「……どうもありがとう。でもコレやっぱり多、野味が強いから煮たほうが良かったかも」
「軍用攜行食レーションの末スープと煮込んでも味いぜ。お湯に材料れて五分で完だ」
虎が言った。ラトキア騎士団はこうした野営演習もよくするらしい。手慣れているわけである。
王都を出て、半日ずっと走り続けた一行。日が暮れるころには當然、王都の壁は影も形も見えなくなっていた。
道は基本、踏み固められた砂利道で意外と快適であった。鮫島いわく、明日にはもっと山道になり、淺瀬を橫斷したりもするらしい。幸い、車酔いには強い。旅の不安はさほどない。
「でもいきなりあんな獣に襲われるなんて。危ないとは聞いてたけど、いくらなんでも先行き不安だよ」
「悪いことばかりじゃないぞ、食料の補給が出來た。攜行食を節約できるし、こっちのほうが味しいし」
あっけらかんと、鮫島。王都を出て以來、食べの話しかしない彼に、呆れ半分安堵半分で苦笑する。
いや、軍団長である彼ならば、食料確保はいっとう気にかけて當然なのかもしれない。
ベキリ。太い木枝が、妻の手によって薪になる。
「それより、やはり怖いのは山賊だ。街道に出たらよくよく周囲を見回していこう」
「街道? 王都の外にも、町があるの?」
今更の問いに、鮫島と虎、両方が同時に頷いた。
「この十年ほどで急に増えたのだけどな。このラトキア星で、亜人種と呼ばれるいくつかの集落に対し、王都との中継地點が作られたんだ。彼らとの連絡用と、旅承認の休息に使われる」
「あっ、じゃあそこで一応、食料や燃料補給はできるんだね」
「ああ。簡素だけども宿を取れる。心を休めていこう」
梨太は歓聲を上げた。野宿キャンプも攜帯食料も、それほど苦痛ではないが、やはりベッドは魅力的だった。
「俺は町の外で野宿か、駐車場で車中泊して待ってるぜ」
唐突に、虎が言った。驚く夫婦に、あっけらかんと手を振る。
「それが雇われ傭兵と雇用主の境界線。夜の番ももう、俺に任せて、テントにってくれていいぞ」
「え……そんな、いいよ。一人ずつ代で休めばいいんじゃない?」
「効率悪いだろ、二人とも腹が落ち著いたらさっさと寢ろ。明け方には起こすから、どっちかの運転で出発。俺はそれから車で寢る。もちろん、なんかあったら起きる」
「――ありがとう。ではそうしよう。おやすみ虎」
食い下がろうとした梨太を制して、鮫島は立ち上がった。傭兵と雇用主、というより、これは野営戦の役割分擔だ。學生気分で一蓮托生を願うより、素直に従うべきだろう。
バングルで時刻を確認すると、やっと宵の口という程度。一度立ち上がりはしたものの、旅立ち初日の興も相まって、すぐに眠れそうではない。もうしだけここにいていいかと尋ねると、虎はあっさり快諾した。座りなおした梨太に、鮫島が一歩、歩み寄る。
「……リタ」
「あっ鮫島くんは先に寢てていいよ。ずっと運転してて疲れただろうし。おやすみ」
「……。……おやすみ」
鮫島は一度、梨太の頭をぽんと叩いて背を向けた。いつもの細長いシルエットが、ぶれることなくまっすぐに、テントの中へと消えていく。なんとなく違和は持ちつつも、梨太は手を振って見送った。
その橫で――ふいに、虎が震えた。聲を押し殺し、クックッとをゆすって笑っている。
「何、何か可笑しいことあった?」
「いやあ。ククッ。お前らがホントに夫婦になったんだなーって、目の當たりにして実したもんでよ」
「? なに、いま? なんで?」
追及しても、彼は笑うばかりで答えなかった。鮫島が置いていった、薪を火の中へ足しながら、機嫌良さそうに目を細める。
「やっぱりじきにテントにいって、だんちょーの抱き枕になってやれや。雌雄同はいろいろデリケートなんだからよ」
そう言って、ぎゃははと明るく虎は笑った。
赤い焚火に照らされた、赤い髪をした男の橫顔。梨太はふと、彼の元妻が雌雄同だったことを思い出した。八年前、會ったきりの梨太は、彼が男の姿だったときしか知らない。あの時、彼らはどのようなコミュニケーションをとっていただろう。思い出せない。記憶に殘すほど意識して見ていなかったのだ。
虎の妻――鹿という名の青年。
その姿すら、もはや朧気である。ただしいひとだったという印象と、誰よりも鮮やかな、青い髪と瞳だけは憶えている。
「ねえ虎ちゃん」
話しかけて、口をつぐむ。気になることは山積みでも、言葉にすることが出來なかった。
ただおやすみとだけ言って、梨太は立ち上がった。彼に言われた通り、寢室であるテントへろうとする――と、その袖をチョイと引かれて引き留められる。何か言い忘れたことでもあるのだろうか。振り向いた梨太に、同い年の男は気軽に聞いた。
「で、お前ら、男同士のときはどっちが『』なん?」
「…………てぃやっ」
梨太は思い切り、虎にデコピンを放った。意外とイイトコロにったらしい、ギャンと悲鳴を上げる虎。今度こそ振り向きもせずに、梨太は大でその場を去っていった。
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