《鮫島くんのおっぱい》雨の町①

鮫島がキャンプに戻ってきたとき、梨太は虎と戦っていた。

「ふんぬぅううううう」

「――だからよぉ、俺ァ別にあいつらのキューピットだの仲人だのって偉そうなことはしてねえんだよ。ただ共通の知り合いで、プロポーズの瞬間に立ち會っただけ」

「ぅぎぎぎ……うおおおおっ!」

「蜻蛉教が、蝶の遠回しなプロポーズに気付いてなかったんだよな。蝶のやつ、黙って渡した『婚儀の紅』をなにこれボク化粧しないしって突き返されて、振られたと思い込んでた。アホだよなあ。ラトキア貴族伝統の婚約儀式なんて、スラムのが知ってるわけないじゃん。へんなとこ抜けてんだあの笑顔ゴリラ」

「――ふう。ふう。――……やあああああっ!」

「俺はその話をあとから聞いて、それ伝わってないんじゃねーのもっかいちゃんと結婚してくれって言ってみろって、背中押したわけ。ほんとにそれだけなんだよ。それからまあ々、禮のつもりだかなんだか……要領のいい不良騎士自稱してるけどジッサイ真面目で用貧乏で、貧乏くじ引いてるようにしか見えんわ。リタもそう思わないか?」

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「――おりゃああああああ」

「……何をしている」

鮫島の聲に、虎が顔を上げた。梨太にはその余裕はない。一心不に、虎を倒そうと全力を込めていた。

左手をあげて、ひらひらさせる虎。右手は梨太が握りしめている。

「おっすだんちょー、どうでした、もう町は見えましたか」

「……ああ。丘の上から確認できた。もうすぐ近くだ。夕暮れにはつくだろう」

「おりゃあああああああぅううううう」

「で、それはそうとしてなぜリタが、虎の手を握ってんでいるのかを知りたい」

「腕相撲で勝負中」

「……何の勝負?」

「んー、特に理由はねえっすよ。リタが言い出したんだ、ナニカを賭けて勝負しようって……なんだっけ?」

「今しゃべれないぃいいい」

「……平和だな」

鮫島は呟き、一人でテントの片づけを始めた。もちろん、彼一人にそれを任せる梨太ではない。だが今は手が離せない。勝負はすでに開始から十分経過、いくら元騎士とて、そろそろ疲れが出てくるはずだ。今を逃しては二度と勝てない。なにせ梨太は両手、虎は右手のみ。同じ年の青年だ、勝機がゼロというわけがない。そんなわけがないのだ。

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「……しかしリタ、両手つかってそれか。お前ほんと弱いな」

「ふざけんななんでビクともしないんだよ、詐欺だ!」

はっはっは、と軽やかに笑う虎。

「俺は騎士でも傭兵でも、力自慢ってほうじゃねえぞ。お前が弱いの」

「おっかしいなあ、おかしいよこれ。腕の太さに大差ないじゃん、僕だって五年間筋トレしてたんだよ!?」

「ばーか、ジョギングやダンベル上げと、人間相手とは違うんだよ。もういいだろ、そろそろ虎ちゃんも本気だしていっちゃうぞ」

「にゅああああああああ」

虎の右手にしがみつき、両足をばたばたさせて抵抗する梨太。それでも簡単に、虎の右手に倒されていく。

梨太の手の甲が地面につく間際――ふと、白い手が添えられた。

妻である。

「リタ。足をかすな。肩と肘を固定し、上を起こし、なるべく多くの面を地面につけて足指で土を摑むように固定しろ」

「へっ? あ、ああ」

言われたままにそうすると、腕力の負擔もなく、ぐぐっと虎の手も元位置に戻る。虎がアッと悲鳴を上げた。

「だんちょーアドバイスずるっこい!」

鮫島は聞かない。手を梨太の肘に添え、もう一方の手で左肩を抱いた。わずかに勢を直される。

「この角度。肩と肘はにくっつけてずっと固定。腕力じゃなくで向かい合え。重で戦うんだ。全重を手のほうに集中させる。ヨソの角度へ逃がさないように」

「あ……あ、おお。なるほど」

「わ、わっ」

虎の手が傾ぐ。顔が変わり、彼の二の腕が盛り上がった。とたん、虎の本気の腕力が伝わってくる。鮫島はじない。

「目的を理解しろ。力の最終到達點だ。今、梨太は虎を倒すことに一所懸命で、己の力を虎の手に向けている。そうじゃない。虎の手を、その向こう側、あちらの地面に倒すことが目的だろう? なら力の到著點は地面だ。そちらへ向けて、邪魔者ごと倒れこむ。虎の手は通過點に過ぎない。そう考えての角度を調節するんだ」

「! ――力の到著點……!」

梨太の全に力がみなぎる。理屈で理解をした、その瞬間、「しっくり」きたのを実した。腕相撲という、競技を理解しないまま戦っていた、方向音癡になっていた、その違和が解ける。とたん、虎は咆哮を上げ一気に猛攻を仕掛けた。一瞬で大発。抵抗する間もなく、梨太の手が倒される。手の甲に土をじてから、梨太は悲鳴を上げた。

「あーっ、せっかく今、しっくりきたのに!」

「だからって負けやしねえよ。戦い方がわかったところでイーブン、だったら純粋な腕力で俺の勝ち」

「ちょっと焦ったくせに。負けず嫌い!」

「そっち両手なんだから負けたって負けにならねえっつの」

「負けてくれたっていいじゃん、そっちはプロなんだし」

「同で負けてやるプロがいるか!」

喧々諤々、大騒ぎを始めた彼らに、四つ年上の鮫島は何を思うのか。無言でたたずむ妻に、ふと恥ずかしくなって、梨太は虎との口論をやめた。

虎という男は不思議なもので、話し相手の神年齢を年時代に引きずり戻す魔力がある。

「ところで、何を賭けてたんだ?」

鮫島が問う。梨太はテントをたたみながら答えた。

「いや、チョーさんとの友談義。ほら、三日前――王都を出た日、言ってたでしょ、あそこの夫婦なれそめに虎ちゃん関わってるって。その顛末を聞いたら妙にはぐらかすから……なんかその流れで」

「……それ、さっき勝負中にしゃべってなかったか?」

「だってリタ手ごたえ無くて、口が退屈でよ」

車に荷を投げれながら、虎。つまるところ、その程度の賭け勝負であった。

牛に追い回された初日以來、三日間、旅は極めて順調だった。なにもない平原を走りっぱなしで、青年たちは退屈をしていたのだ。ちょっとした刺激、である。

「虎ちゃん、刺激的な勝負っていうなら、鮫島くんともやってみてよ」

梨太の提案に、虎は大笑いした。

「無理無理! だんちょーと手合わせなら昔から何度もやってる。それこそ腕相撲みたいなゲームからガチの模擬試合までやってきたが、一度も勝てたことねえよ」

「そう? でも単純に腕力勝負なら――」

「それこそ団長のほうが強いんだって。そりゃ、雌化してたら腕相撲で負けやしないと思うけど」

と、言いながら、腕まくりをする虎。どうやら言葉に反して乗り気らしい。梨太に見せた負けん気は、鮫島相手だと諦めきっているようだ。負けて悔しがる、という刺激をしている。

梨太もそれを期待していた。自分をコテンパンにのした男を、妻がリベンジで叩きのめす。面白いエンターティメントショーだと思っていた。

が、鮫島は靜かに首を振った。

「……無駄な遊びで、肩を痛めでもしたらばかばかしい。出発しよう。今夜は川の水ではなく、あたたかなお湯を浴びたい」

穏やかにたしなめられ、二人は従った。車に乗り込み、ふと窓の外を見る。

王都を出て以來、ずっと視界にあった葦が途切れ、また別の植が繁茂してきている。自然発生にしては綺麗に並んでいるなと思いきや、やけにみぶりのいい、豆のさやがぶらさがっている。どうやら豆畑らしい。

「ラトキア王都は人口一億を超え、胃の數は増え、田畑を作れる土地は狹くなってきた」

運転しながら、鮫島。早朝の運転は彼の擔當である。虎は後部シートで寢ていた。

「やっぱりあれは畑なんだ。王都の外に、農村を作ろうとしてるの?」

「一次産業全般だな。ここはエベ豆のみだが、また別の町では酪農に挑戦している。まだなにもかも手探りで発展途上だ」

「豆の國、かぁ。――ねえ、その管理責任者はどうなってるの? 公務員が赴任してる?」

「いや、貴族が出向させられている。正式には、地方管理という職業名を與えられ、その地の國王のように君臨しているはずだ」

「會えないかな? 推薦狀をもらいに」

鮫島の橫顔から表が消えた。長い時間の沈黙。そしてちらりと梨太を見る。首を傾げると目をそらし、鮫島は小さく嘆息した。

「……そうだな。だが俺も會ったことがないひとだ。一度先に俺が會い、人がよさそうなら紹介しよう」

「やっぱり普通の貴族って、気難しいもんなの?」

「そうでもないが……俺の前と一般人の前とで態度が違うかもしれないし。……リタの気分が悪くなる可能は高いと思う」

なるほどと納得し、梨太は素直に引き下がった。無名の若者だ、侮辱されることはもとより覚悟の上ではある。しかし鮫島自が、それを見たくないのだろう。

鮫島はおせじにも人付き合いが上手いとはいえないが、騎士団長という肩書に恥じぬふるまい、禮節はわきまえている。任せて不安なことはない。

「王都の外の町か。ちょっと怖いけど、楽しみだな」

窓から外を眺める。

果てしなく続く、豆畑。やがて遠くに、赤レンガで作られた町の外壁が見えてくる。梨太は窓を開けを乗り出した。

その頬に、ぽつんと一滴――

「あっ、雨……」

梨太がこの星にやってきて、十日ほど。初めてのラトキアの雨であった。

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