《鮫島くんのおっぱい》雨の町③
案された部屋は、がらんとなにもない、まさにほこりっぽいだけの空き部屋だった。それでも屋があるだけ天國である。定期的に手れはされていたのだろう、ベッドの狀態も問題なかった。
「はあ、つかれたァ」
風呂上がり、火照ったにシーツが心地いい。うとうとしかけたところに、鮫島が部屋へ戻ってきた。梨太の後で風呂へ出かけていた彼は、そのままパブで購してきたらしい、グラスを持っていた。ナイトテーブルのそばに腰を下ろし、そのままちびちびと飲んでいる。どうやら酒のようだ。
ひとつしかないベッドを、二人掛けソファにしてくつろぐ。
「いいところに當たったな」
らかな聲で、ささやく鮫島。
「うん。ご飯も味しかったし。虎ちゃんもこればよかったのにね」
「一応、リタの風呂の間にいにはいってみたが、もう寢ていたんでメモだけ置いてきた。まあ、來ないだろう」
「傭兵ってそんなもんなのかな。ベッドも意外といいものだよ」
「それはよかったな」
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人事のように言う。鮫島は今、椅子がわりに座りはしても、そこで眠る気配がない。
梨太は首を傾げた。
「……鮫島くん、こっち來ないの」
鮫島は首を振った。やはり、床で寢る気らしい。
「鮫島くんも、運転してたんだから疲れてるでしょ。やわらかいマットで寢ようよ」
拒否しかしない鮫島。
この道中、鮫島は常に梨太を気遣い、心地の良いものを梨太に譲り、自分はく重く心地の悪いものを選んでいた。旅慣れた軍人が、長旅にむけて考えた采配だ。そこに梨太は文句を付けずに甘えてきた。
しかし、今日になって同衾を拒否する理由がわからない。
「なんでさ……」
梨太はなんとなく、頬を膨らませた。
別に――二人で一緒に寢たい、わけではなかった。むしろ今まで、鮫島の希に嫌々付き合っていただけである。だがあちらから拒否をされれば、腑に落ちない。
梨太は何となく、ぼんやりと彼の姿を観察した。
湯に濡れて、艶を帯びた黒髪。その隙間からのぞく細い顎は、闇夜に浮かぶ月のようにきらめいて見える。
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簡素な洋服でくつろぐ肢は、旅だった日と比べ明らかにんでいる。
男、である。男にしか見えない。
しかしさきほどパブで見せた凜々しさは失せていた。気がゆるみ、戦士の鎧が剝がれ落ち、純粋な彼のしさだけがそこにある。
なにか甘い匂いがする。鮫島の酒だろうか?
なにを呑んでいるのだろう。探る視線は、グラスではなく、彼の明な爪に送られる。
橫髪から一滴、雫が落ちた。鎖骨あたりに著地して、なめらかなの上をスウと音もなく滴る。合わせた布の隙間にり込んで、梨太から見えぬ奧の方まで。
瞬間、鮫島がピクリとを震わせ、のあたりに手をやった。くすぐったかったのを忘れるために、中指でそのあたりを軽くこする。
そうして、何事もなかったかのように酒を吸った。
嚥下で上下するに、骨の膨らみらしいものは見あたらない。
「……鮫島くん」
呼びかける。と、彼はなあにとらかな返事をしてくれた。その聲は男のもの。しかしらかく穏やかで、の聲によく似ていた。
梨太は一度つばを飲み込んだ。
「あの……さ。……なんていうか」
「ん」
「……今、、どんなかんじ……どうなってる?」
酒を含みながら、首を傾げる。
「……まだ男だけど」
微妙な回答だった。梨太は寢床からを起こすと、ベッドの縁に腰掛け、を乗り出す。鮫島はまたしばらく悩んでから、率直な返事をくれた。
「もともと、雌優位になっていたのを薬で無理やり雄化させてただろう? それが切れて、もともとの俺に戻りはした。そのうえで雄化しているかんじ」
「そ……それって、今日に、あの、いわゆるの子として充実したら、雌化が加速する的な」
「いや、別にそう言うことはないんじゃないか。ただ周期的なものだから、時間薬だろう。ここまで來たらあとは勝手に戻っていくと思う」
「あ……そうなの」
「そうなの」
言って、急に吹き出してクスクス笑う。
「リタの真似をしてみた」
実に楽しそうにそう言った。すこぶる機嫌はいいらしい。
梨太はもう一度、ごくりとのどを鳴らす。しを乗り出して、手を差し出すと、それだけで察した鮫島はすぐに酒をおいた。座っていた距離を詰めて向かい合ってくれる。梨太は無言のままそのった髪に手を當てて、ヨシヨシとでた。
頭頂から後頭部、耳のあたりまででる。彼は目を閉じて頬を染め、こめかみを梨太の指先にこすりつけていた。梨太は、彼の気持ちよさそうな様子を眺めながら、しばかりうわずった聲で、ささやく。
「ベッド、おいでよ」
彼は首を振る。
「さすがに狹いだろう。俺は床でいい」
「……そういうんじゃなくて……」
濁した言葉の意図を察し、彼は一瞬だけうれしそうな顔をした。だが、すぐに眉間を曇らせる。
「今はちょっと。一番、いやな時期」
そのように答えてくる。どういうことなのかと問いつめると、モソモソと居心地悪そうにをよじった。
「と神はイコールでつながっている。俺は男だと自認があり、雌化に傾くこの時期は……あまり、地球人に見せたくない」
「き、気にすることないと思うんだけどっ」
とは返したが、鮫島自が見られたくないと言う気持ちが強いのだろう。どうやって斷ろうかを思案しているようすである。
ラトキア人の生態は、知識としてはずいぶん仕れたつもりだが、心理的なものはよくわからない。地球人には、という言葉からして、ラトキア人同士ならば共有できる覚なのだろう。
(……男が、プールのあとみあがってるのを見られたり、がムダを隠したがる覚かいね?)
適當に見當をつけてみるが、合っているかどうかはわからなかった。
なんにせよ、そこを無理強いするほどに梨太は無神経ではない。梨太は速やかに、彼にれることをあきらめた。
――しかしふと、別のことが頭をよぎる。
そうっと、顔をうかがう。
妻になる日を間近に控えた友人は、梨太の手に頬をスリ寄せたまま、上機嫌に微笑んでいる。瞼に指先をはわせると、かすかに溫が上がっているようにじた。酒のせいだろうか。その熱をこすりながら、言葉を選んで、ささやいた。
「僕のほうをってもらう展開はアリでしょうか」
「ん」
鮫島は頷いた。とろけかけていた瞳をそのまま笑みの形に細めて、手をばす。栗の髪に指を通し、くしゃくしゃなでなで。それはそれで心地よかったが、梨太は穏やかに制した。
「じゃなくて。ええと。あのですね」
瞬きで相づちを打つ鮫島。
「……ええと。あれですよ。あのう。……男でなくちゃできないことは、時期を待つということで異論はないんだよ。焦っても仕方ないし。そこには別に不満はないんだ、うん」
「……?」
首を傾げながら、さらにヨシヨシとで続ける鮫島。梨太も同じく彼をナデナデしつつ、
「君の気持ちもちゃんと汲んでるよ。我慢――じゃなくて、不満はない。この先何ヶ月でも何年でも待ってるから」
反対側に首を傾げるのを、頭をぽんぽん軽くたたいて元の位置に戻してやる。されるがまま、頭の位置を梨太に任せる鮫島である。
基本的に、彼はとても素直な人間だ。従順とすら言ってもいい。
だからこそ、あまり多くのことを頼むのを遠慮してしまっていたが――
「――けども、やっぱりホラ、朝から晩まで共同生活でさ? 明日からはまた、虎ちゃんもいて。男子たるもの、日々『溜まる』ものがあるわけで。いや男子校でそういうこと考えたことは一回もないけども、今の君ならなんかいけそうかながふわっと、むらっと――」
「…………」
無言のまま、鮫島は、また真橫に首を倒した。
「たまる……?」
「エッそこで引っかかるの!?」
ふといやな予がし、ベッドの下に放り出していた鞄から書籍を取り出した。梨太のバイブル、『ラトキア人のこころとからだ』である。
鮫島に背を向けて速読。目當ての記述はすぐに見つかった。聲を上げて読み上げる。
「――生を行うには雌雄でをする必要があるが、妊娠に至るには生がが必要となる。年齢や外見は関係なく、數度のを行い異のを粘吸収することで生が長、外郭だけでなく臓から大人の生にして初めて雄はのなかに子を含み、雌は排卵を――
うおおおあああこれか! そうかそうなのか、ラトキアの男は『溜まらない』のかああああっ!」
びながら頭を抱え悶絶する梨太に、鮫島は不思議そうな顔をするばかりである。
考えてみれば、これもまた當たり前のことだった。
雌雄同であるラトキア人は、その期間、妊娠することが出來ない。ならば『させる』こともできないと考えて當然である。一冊まるごと読したつもりではあったが、どうしても雌の記述に意識が集中し、雄の生態にはなおざりになっていた。
ほぼ完全な雄であった鮫島に、どうにも男臭さをじられなかったのもこれが一因だろう。ラトキア人の頻繁な雌雄転化は、やはり、外郭的なものだけなのだ。
「道理で旅の道中しれっとしてるわけだよ。ああああそうかあああ……いいなあラトキア人、ラクで。そりゃ、男の気持ちなんか分かる訳ないわぁ……」
うめく梨太に、鮫島がムッと機嫌を損ねる。
「俺がリタに、何か気に障るようなことを言ったか」
「そういうことじゃないんだけどぉ。ああでも、そこんとこ慮ってくれないかなあってのは、一日中そばにいられるとね、ちょっと一人にしてくれないかなとか」
「だから何の話だ。ぶつぶつ文句言ってないで、俺に要があるならちゃんと言え」
いよいよ怒り始めたのを、梨太は目を據わらせてじっと見つめた。じろぎする肩を摑まえて、
「はい。言います。要するに、抜くのに文字通り手を貸してもらえないかということですよ奧様」
「……抜く?」
うなずく梨太。
そうして彼は、説明をした。
二十四歳の若年で博士號を修得、職場では観客相手に「おさかなせんせい」を演じ、八カ國語をる男が、脳をフル回転させて弁舌を振るった。
たっぷり五分、鮫島は黙って、梨太の講義をけた。その表はなにやらぼんやりしていたが、真面目に聞いてはいたらしい。ふうんと相づちを打つ。
「……それで? 的にどうしろというんだ。どうすれば抜ける。元を摑んで思い切り引けばいいのか」
「やめてください」
きちんとお斷りをれてから、梨太は実に的確な語彙をもってわかりやすく、的な作業容を提案した。鮫島は表を変えなかった。それじたいは、彼も知ってはいたらしい。すぐに理解して、しばらく思案。やがて視線をはずし、ぼそりを言った。
「……別にいいけど……」
「まじっ!? やったっ!」
萬歳する梨太。
「男の鮫島くんとラブラブするのはキツいけど、そーゆーのだけなら、目をつぶってれば覚一緒だしっ」
麗人は、そうして跳ね回る男を眺めていた。
どこか、胡な目つきで言う。
「で。それは何日に一度くらい必要なんだ? 毎日?」
「いやそんな。たまにでいいです、時々で。そのときどきで。鮫島くんの気が向いたときで」
「……リタはさっき、排泄とおなじ、男子の生理現象であり必要不可欠のものだと説明をした。だから仕方がないんだと。なのに定期でなくてもいいとはどういうことだ」
「そりゃ……だから、自分で」
「自分で? それができるなら、なぜわざわざ他人に頼む?」
梨太が絶句していると、鮫島はもう一気に酒をあおった。カラのグラスを置く、どん、と々暴な音。
「排泄介助は赤子や病床人、心の不自由なものが利用する、高度な醫療行為だ」
「え。は、はい」
「背中についているわけでもあるまいし。健康な大人なんだから、自分でできることは自分でするべきだと思う」
「はい」
「それを、他人がそばにいるとやりにくいというのは理解した。いままで無神経で悪かったな。しばらく席を外すから自由にするといい」
そういって、彼はさっさと部屋を出てしまった。下の酒場で飲み直すのだろう。
後ろ手で、寢室の扉がバタンと閉められるのを見送って――
「……アプローチのルートしくじった……」
梨太は頭を抱えた。
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