梨太はしばらく一人、部屋で悶々としていた。

卑猥な期待はすでに失せ、後悔と素直な反省だけがを占める。

やがて、上著を羽織ってパブへと降りた。鮫島に謝り、ともに晩酌するつもりだった。

もう深夜といっていい時刻だが、店はこれからいよいよにぎわう頃である。階段を下りきると、ドッとにぎやか歓聲が梨太を迎えた。

「あれ？」

そこに、不思議な景があった。五十人ほどのキャパシティのパブ、その壁沿いに人がになって観覧している。先程の聲は観客のヤジである。

中央テーブルにいるのは、二人の男。ひとりはしなやかな肢の、中的な丈夫だ。

「鮫島くん？」

梨太の聲は、群衆の歓聲に埋もれて消えていく。鮫島が向かい合っているのは大柄な男だった。たくましい腕に禿頭と見まがうほどに短く刈り込んだ髪、名前はたしか、鈴蟲という――

「……何だ、結局、あんたらどっちがどっちなんだ？」

あれからずっと飲んでいたのだろうか、かなり酔いのまわった聲で、男が問う。鮫島は丸テーブルに腰掛けたまま、腕を組んで言い捨てた。

「どっちだっていいだろう。いずれにせよお前の出る幕はないんだ」

「いいや、もしあんたのほうが雌なら、話は大きく変わってくる」

男はを張り、斷言した。

「あんたの夫になるくらいなら、俺の妻になったほうがいい！」

ほう、と鮫島。

「俺よりも自分が上だというのか、仁。ならそれを証明してみるか。もしも俺を倒せたら、好きなだけリタを口説いていい」

「オイ」

梨太はうめいたが、やはりあちらには屆かない。鈴蟲はさらにを張る。

「いいや、あんたと喧嘩して勝てる気がしない。顔を知ってるぜ、あんたオーリオウルの英雄だろう。なるほど大したいい男だ……だがそれゆえに、リタには釣りあわない」

「別に、俺は多くを求めない。俺以上の男になれとリタのを叩くつもりは」

「不足があるのはあんたの方だ。あんたは男としては最高だが、としては悲慘すぎる！」

「う」

直球の攻撃に、鮫島が思わず言葉を詰まらせる。男はさらに言葉を重ねた。

「がなさすぎる。背が高すぎる。肩幅が広すぎる。可げがなさすぎる。公私のすべてを軍にささげた騎士団長、お前は戦う以外になにができるんだ？　家事は？　子供うめるのか？　育てられるのか？　つかそもそもなんであんたが妻役なんだ、どう考えても雌雄擔當が逆だぜ」

「……。そ、それは。だって……。リタが雌化できないから……。結婚するには、俺がにならないと」

「それであの子がシアワセになれると思うのか」

「……でも。リタがいいって……」

「本當に好きなら、そこでを引くのが本當のいい男だったんじゃねえのかい、英雄さんよ」

鈴蟲に突きつけられて、鮫島はいよいよ言葉をなくして立ち盡くした。俯いて小刻みに震えている。やがて、ひどく小さな聲で吐き出した。

「そんなことはわかってる……でもリタが……りたいって、言ってくれたから……だから」

梨太は嘆息し、目の前にある背中をひっぱたいて避けさせた。人混みをかき分けズンズン進む。の中、向かい合っている二人のラトキア人の真ん中へ飛び込み、梨太は聲を張り上げた。

「なにやってんだよもう！　鮫島くん、論のいちゃもん付け相手にまともに議論しようとすんなよ、そういうのクッソ弱いんだから」

「リタ……」

「おっさんもの子いじめんな。今はともあれこの人は僕の妻だし、僕はその夫だ。僕たちのことで何か文句があるなら僕に言って」

鈴蟲は一瞬きょとんとし、そして飲み込んで理解した。

「おもしろい夫婦だな。いや、悪かったよ。あんたのことは諦めるし、よその夫婦に口出しする権利があるわけでなし」

「まったくだ」

味方を得て強気になる鮫島。リタは深々と嘆息し、騒を取り囲む観客と、おなじくすっかり観客になっていた店主をぐるりと見渡して、

「見せじゃないぞ！　嗤うならこの人より人を連れてきてからにしろ。宇宙の果てから天遠鏡で探しても、そんなの一人も見つからなかった」

それはそれで観客を楽しませたらしい、おおーと無責任な歓聲が上がり、あちこちから拍手が飛んできた。

「マスター、今夜の主役ふたりに、夫婦円満になる飲みを。道化のおごりだ」

店主に向けて、鈴蟲。またか、と梨太は思ったが、どうやらそれはラトキアでの風習らしい。けるのが禮儀なのだろう。

「かしこまりました。鈴蟲さま、今日はもうお帰りで？」

「ああ。夜食にいつものを包んでくれ。代金は全部まとめてうちの屋敷にな」

それだけ言って、偉丈夫はパブを立ち去った。店主はほくほく顔でカウンターへ引っ込むと、さっそく飲みを勝手にこしらえ、でこぼこ夫婦の前に置いた。二つのグラス、中のが全く違う。中は何だと尋ねると、店主はにやりと笑みを浮かべた。

「こっちのカクテル、奧さんのほうはよりいいになれるものですよ」

「……的には？」

「ザクロリキュールの豆割り。おっぱいが大きくなるそうで」

鮫島は無言でけ取り、無表で飲み干した。そんなんで劇的に変わったら苦労しないよ、という思考はおくびにも出さず、梨太もグラスをけ取り、飲み込む。ほんのしだけ舌を刺す刺激。やけに甘い薬湯のようだが、飲みにくいほどではない。

杯を空けてから中を聞いてみる。店主は再び、ニヤリと笑った。先ほどよりもなお、ゲスに。

「旦那さんが、よりいい男になれるクスリだよ」

「勘弁してくれよおおおっ」

梨太の泣き聲が、部屋につもった埃をふるわせる。狹いベッドの上、シーツにくるまって、梨太はをめて悶えしていた。床の寢袋から、鮫島が心配して聲をかける。

「どうしたリタ？　おなかが痛いのか」

「いいい痛くはない、痛いのはもうちょっと下。ちょっとだけ痛い」

「なに？　どこ？　大丈夫なのか」

「大丈夫、ただの皮不足だから。あああいかん見るなるなこっちくんな」

「……あ。えっと。……ああ、うん」

「ああああもうくっそ、ラトキア人め。文化レベル高いくせに、っこはどうもマッチョというかなんというか、倫理が原始人なんだなもう！」

ぶ。今夜のことで、梨太はそれがよくわかった。

やはり、ラトキアは原始的、男支配社會なのだ。

男尊卑しかり、父権制度しかり。高度な科學技はつい三百年ほど前、異星人からの侵略によってもたらされたオーバーテクノロジーであり、彼らの手には余っている。それは文化もまた同じだった。

教養の高い騎士から、民間人、下町、王都の外へと下がるほどに、文化レベルが下がってくる。よく言えば素樸、悪く言えば民度が低いのである。すなわち、に奔放。

「夫婦だからって、いつでもセックスできるわけじゃねーんだぞこんにゃろう。奧さんに拒否られたところに、無駄な闘魂注されたら大迷だよ。あのくそ薄ぇ」

妻に背を向け、ぶるぶる震える。鮫島はしばらくの置きように困っていた。ベッドのそばで黙り込んでいたが、ふいにを屈める。

スプリングに膝を埋め、上半をこちらへ近づける。背を向けた梨太の耳元で、ったの聲がささやいた。

「……俺は服を著たままでいい、なら……」

全に巻いたシーツの隙間に、しなやかな手がり込む。梨太は息をのみ、直した。じろぎ一つできないを、後ろからぬくもりが包み込む。鮫島の爪が産にれた、それだけで聲こえを上げそうになるのを、奧歯をかんでこらえた。

「……えーっと」

後ろからのぞき込み、眉をしかめて呟く鮫島。

「……どうだっけ。たしか……まず、元をつかんで思いっきり、引」

秋雨に濡れる夜の宿。青年の絶が響きわたり、豪雨に飲まれて消えていった。