《鮫島くんのおっぱい》盲目の梨太①

鰐と烏の共同生活は、二年近くもの長きにわかって続いたという。

ひたすらインドアな烏に対し、快活で能力に優れた鰐は、野生の捕獲や世話に大いに役に立った。

格面では、あまり相が良いようには思えない。しかしあの烏だ、本當に目障りならば追い出すだろう。実際仕事でも頼りにしていたし、雑談を楽しむ程度には心を許していたとみて違いない。

「プロポーズうんぬんってのは、烏から聞いた。自分が軍を辭める時、クゥをったが斷わられたって」

それは、ただの転職ではないかと梨太は思った。彼らがそういう仲でなかったことは、當人たちから聞いている。

だが、この鰐がそうけ取るくらいには危ういい文句だったのだろう。真偽を追求するつもりもなく、梨太は苦笑した。

「意外と、仲良くやってたんですね」

「まあな。――その時は」

含みのある言い方に首をかしげる。

それより、気になるのは。

「烏は、ここを買い取ってまで野生の観測をしてたんです? なんからしくないような気がするんだけど――っていうほど、僕もあの人知ってるわけじゃないけど」

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「……お前の知ってる烏はどんな人だ?」

「変態」

即答する梨太に、鰐は吹き出して大笑い。

梨太としては、冗談でもなければ悪口を言ったわけでもない。純然たる事実としての人評だ。

「命を取り合って戦った相手だけど、正直、悪人というには違う気がするんです。善人ではないでしょう――鮫島くんに、児待まがいの人実験まがいのことを繰り返してたんだ。僕は絶対に許せない」

「でもクゥは同意していた。あいつだけじゃない、実験になったやつはみな、ちゃんと説明をけて、許可をして手臺に寢転がったのさ」

梨太は頷いた。あまり肯定したくはないが、事実である。

続くセリフは、覚悟を込めていった。

「あなたは、烏の信奉者ですか」

「いいや。言ったろ、仲良くやってたのは昔の話。今はむしろ敵だ」

しかし鰐はあっさり否定した。ヘラリ、といつもの軽薄な笑みを浮かべ、資料書の頁を一枚めくる。そこの表題を、梨太は読み上げる。

「……豚の……『伝子組み換え豚の、観測記録』……」

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伝子組み換え、というのは、地球にはあるかい」

「……あります。僕は専門じゃないけど」

配との違いは判るな?」

梨太は頷いた。

「同じ、もしくはごく近似の種の二を掛け合わせ次世代を誕生させるのが配。全く違う種から、しい伝子報だけを抜きとり個に組み込むのが伝子組み換え。ですね」

「合ってるけど、いなぁ。まーつまり、クゥとリタが結婚して、賢くて強い子を作ることが配。リタの脳みそを樫の木に移植して、よくしゃべる樫を作るのが伝子組み換えだ」

妙に不穏なまとめ方だが、それでも真理はついている。

現在の地球人の食糧は、品種改良の歴史の上にある。配もまた、護の倫理にれる部分はあるだろう。だがもはや口出しできない領域にあることは、護団だってわかっているだろう。

伝子組み換えもまた同じだ。こういったことに閉鎖的な日本人の思っているよりも、ずっと當たり前に世界で流通していた。

しかし伝子組み換えは、まだ地球でも研究段階。倫理的にも、安全面でも、生分類學的にも問題山積。まだまだ、これからの研究だった。

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梨太は再び資料へ向き直った。

「烏は、この施設で野生を研究してたんじゃなかったんですか? 伝子組み換えなんて、その真逆みたいな技じゃないか」

「そうだよ。だから言ったろ敵だって。それにその手たちの同意なく行われた。人間サマと違い、獣に拒否権はないってことだ」

「それは……」

梨太はどちらの側に立つこともできない。もちろん待は忌のものだ。むやみやたらにげれば刑事罰だってありえる。

だがそうでなければ――目的のある実験なら――梨太だって、マウスに許可などとらないのだ。

黙ってしまった梨太に、鰐はもう視線をくれなかった。獨り言のように吐き出す。

「結局、烏は二年もせずにこの施設を出ていった。なんだかわからん、王都の方でテロリストとつるんで亡命したとか聞いたけど、ンなことぁどうでもいいんだ。

それよりオレは、この森でアイツがしたことが許せない。面白半分でたちを改造して、自然で生きていけないようにしてしまった。あの頃はろくに理解せず手伝ってたオレも同罪だ。オレは一生かけて、そいつらが天壽を全うできるよう、付かず離れずの距離で助けていきたい。あの『犬』だって――」

鰐の爪が、モニターを叩く。

「いつか、かつての野生を取り戻し、また木に登れるようになるだろう」

「……。あなたが星帝に立候補したのも、たちのためですか」

頷く鰐。

「施設の設備は烏の私財。維持費はなんとか、この地域の治安管理を名目にひっぱってるような狀態だ。野生の襲撃から、バルフレアと街道を守るのがオレの仕事。保護活なんてのは報告すらしていない。実態を知られれば閉鎖されるだろう。オレはその日が來るのをおびえて待つんじゃなく、正式に予算にしてもらいたいんだ」

「……じゃあ、あなたは星帝になってもここに居るもりで? 王都の政治経済、法の整備、人民の生活なんかには興味がないと?」

「もちろんだ」

「そのことを、あなたを推してるひとたちは知ってるんですか」

問われて、鰐はペロリと舌を出した。

「通っちまえばこっちのものさ。法案通したらさっさとトンズラするつもり」

「…………。鯨さんが……鮫島くんと同じくであるあなたには、頼らなかったわけがわかりました」

「さすがにには噓はつけないからな。それに、オレはクゥと違って、姉貴のために人生なげうつようなキャラじゃないのバレてるし」

「競えば、たぶん僕が勝ちますよ」

「だろうね」

鰐はあっさり肯定した。

この辺境でもニュースは聞けるという。梨太が現星帝皇后のほか、ラトキア三神教會の主から推薦されていることは知られているのだろう。

梨太は続けた。

「でも、もともと鮫島くんが持っていた、星帝皇后のだからという票を、僕とそっちとで二分してしまう。もっと強いひとが現れたら、漁夫の利を取られて共倒れだ」

「……だろうね」

「手を組みませんか? ここで辭退してくれたら、あなたのみを僕が実現します」

「ははっ!」

鰐は吹き出し、腹を抱えて笑った。

「いいね! 潔い。最優先するべき目的のために、手段だのプライドだのにはこだわらないか」

機嫌のいいその様子に、梨太は手ごたえをじて安堵した。これで鰐が退いてくれたら助かる。

「約束できますよ。僕が星帝になれば、かならずこの研究所に正式な軍公認の予算をつけます。僕個人的も、ちょっと気になることがあるし……なにより鰐さんとむやみに爭いたくないですもの。僕が鮫島くんと結婚すれば、お兄さんは親戚になるんだから――」

鰐は笑いながら、梨太の腕から雙子を取り上げた。梨太の前を過ぎ、もう一つ奧にあった、扉の前で微笑んだ。

「そうだな。結婚それがなければ、星帝立候補は辭退してやってもよかった」

「……どういうことです?」

「オレはこの研究、ラトキアのたちが好きだし大切だ。だけどクゥほどじゃない。この年になって、ベタベタの仲良しってわけにはいかないけど――やっぱりあいつは、オレの可い弟なんでね」

梨太は戦慄した。

(うかつだった)

想定外だった。

これまでずっと、梨太はこのラトキアに肯定されてきた。ラトキアの住人からヨソモノだと弾圧されることはなく、鮫島の両親、三人の姉に快く迎えれられて、すっかり油斷していた。

鰐の、底抜けに明るい笑顔に騙された。

(……可能を考えてもいなかった。このひとが、鮫島とくんの結婚に反対しているなんて――)

拳を握って、うつむく。

もはや研究どころじゃない、政治の話すらどうでもいい。

なぜ自分が、弟の婿に落第なのか。この男に問いただし、誤解があれば改めて、自分を認めてもらわないと――

「――あのっ、僕は」

顔を上げた瞬間、が揺れた。ひどく暴に、鰐は梨太の肩を摑み引き込んだのだ。前のめりに、バランスを崩したところで背中を蹴られ、梨太はそのまま倒れこむ。

大きく開かれた扉の向こうは、さいわいらかい土だった。屋外である。だが視界は夜の森ではなく、真っ白な煙――いや、湯気に覆われていた。

そしてその向こうには、湯気と変わらぬほど白い、人間のシルエット。ぼんやり浮かぶ人影が、怪訝な聲をらした。

「ルゥ?」

一瞬で理解し、梨太は慌てて扉を閉めた。鉄の扉、側に張り付いて、鰐に斷固抗議する。

「ち、ちょっと鰐さん! なんですか今の、さ、鮫島くん!? なんで!?」

「風呂は研究所のすぐ裏っていったろ。あの烏が面倒がって、そこに湯を引かせたんだよ。天の巖風呂だ。たちにも大好評」

「変な冗談やめてくださいよ、そりゃ僕も何回か鮫島くんの風呂に突撃したことありますけどもああいうのは気づかれないようコッソリ覗くことに異議があって――じゃなくて好奇心と若気の至りで――」

「別に、一緒にればいいだろ。おまえたちが夫婦なら」

「いやそれは、鮫島くんが嫌がってたし!」

背中の扉が、コンコンとノックされる振。じきに扉が開かれた。梨太のを押して、鮫島が顔をのぞかせる。

「ルゥ、ちょうどいい。実はタオルがなくて困っていたんだ」

直後、梨太の存在に気づき、彼は小さく悲鳴を上げた。一度、反的にを隠し、すぐに扉を閉める。ザボン、と湯に飛び込む音がした。

「見た?」

ニヤリと笑う鰐。梨太は嘆息する。

「見ましたよ。もーなんなのさ。気にらない弟婿にラッキースケベ演出して何がしたいんです」

「ほお、ラッキーだって思った?」

「思ってませんっ! あのね、地球人はラトキア星人と違って、基本的に男とにキッパリ分かれて生まれてくるんです。僕は男で、異者ヘテロだから。鮫島くんのことは好きだけど、男の時にどーこーしたいっていうのはないんですよ」

鰐は目を細めた。

「男のときに――お前は、今のクゥが、男のに見えるんだな」

「……えっ?」

ギクリと、をこわばらせる。

わけのわからない鰐の言葉は、なぜか鋭い刃のように、梨太の深い所に突き刺さった。ジクリ、とが痛む。

鰐は無言で、モニター前のパネルを作した。暗闇に覆われていた畫面にが付く。カメラを暗視モードにしたらしい。目をそらす梨太の肩をどやして、鰐は無理やり、それを突き付けた。

そこに鮫島が映っていた。から下を湯につけて、顔を手で覆っている。赤面しているのだろうが、そのまではわからない。

だがつきは、はっきりと映し出されていた。

夜闇に浮かぶ月のような白い。細長い印象は長ゆえであり、決してやせ細っているわけではない。引き締まった筋の外側に、らかな丸みがある。

小さな頭蓋に、広い肩。なだらかな、だが確かに膨らんだ元。部から臍に向かって、急速にくびれた細い腰。慎ましい房に対し、部のほうは極端なまでに蠱的だった。

梨太は、かつて一度、そのすべてにれた。

淡い産をたたえた恥丘も。

梨太はもう知っているはずだった。

直した耳元へ、鰐は靜かに、先ほどと同じ問いをした。

「――お前、これが、男のに見えるのか」

梨太は正直に、頷いた。

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