《鮫島くんのおっぱい》宴の

「リタ、こんなところにいたのか」

そう囁く鮫島の聲は、ほんのれていた。どうやら走って、探してくれたらしい。梨太は一度だけ彼のほうへ視線を向け、すぐにまた、手元の書へと戻した。

「どうしてこんな、村の出口に……冷えるだろう、焚き火のそばへ戻った方がいい」

「ここの電燈が一番明るくて。それに、靜かなところへ行きたかったんだよ」

応えた梨太に、眉を垂らす鮫島。

「たしかに、あっちは勉強ができる狀態ではないな」

遠く振り返ったむこうから、賑やかな歌聲が聞こえていた。

すっかりお祭り騒ぎになったバルフレアの宴。主役は新たなる住人――獣人たちは心から、彼を歓迎しているようだった。

俯く梨太に、鮫島がショールをかけてくれた。バルフレアの娘からもらったものだ。

「風邪を引くぞ」

「いらない。全然寒くないから。それより見てよコレ」

梨太は鮫島に、書を掲げて見せた。梨太のバイブルとなっているラトキア文化の教科書である。風習と民話、法律関係も、この國にある常識が幅広く書かれてある。

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中も読み込んでいた書、その一ページに、梨太はベタベタと付箋をり付けていた。

「見ろと言われても……古代史?」

「ラトキア人の起源についてさ」

「……三百年前、異星人に支配される以前、ラトキアには文字も文化らしいものもほとんどなかった。いまさら読み返すほどの報量はないだろう」

「書いてあるのはね。でも、ここに書いてあるだけが真実じゃない」

きょとん、という表の鮫島。興味があるのか無いのか、その顔つきからはわかりにくい。

梨太は気にせず、自分自に言い聞かせる復唱のように読み上げた。

「三百年前、ラトキア人は、現在王都のあるあの土地で、いくつかの集落をつくり暮らしていた。食糧は狩猟と採集が中心で、ゆえに天候や自然災害に非常に敏だった。……これを観測したり予言したりする、いわゆる天気予報が出來たある一族が尊敬を集め、全集落を束ねる王となり、やがて現人神として君臨した。それが現在の『の塔』、天皇の一族である――」

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「過ぎた歴史かこだ。ドームでの生産が安定している現在、現人神とはただの稱號で、やっていることは火葬場管理人だが」

「この國でトップクラスのエライヒトには違いないんでしょ。今も昔も」

「それは、もちろん」

「鮫島くん、會ったことはある? 天皇さま――えっと、名前は『狐シルビア』」

教科書の挿絵を指して言う。寫真とも肖像畫ともつかない、味気のないバストアップである。まだ二十歳ほど、たいへんに整った顔立ちの青年だ。鮫島は首を振った。

「直接會ったことはない。機會がある前に亡くなってしまった。六年ほど前になるか……この寫真も二十年ほど古いもののはずだ」

「えっ、死んでるの? でもコレ、出版されたのそんな前じゃないよ。カモメさんの試験にもそれで正解したし」

「正式に世代代がされていないんだ。『天皇不在の時期』というのは無く、新天皇が即位するまではそのままにされる。その魂はそこにあり、い我が子や代行の仕事を見守っている――というようなかんじで、それっぽく理屈をでっちあげてあるはず」

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「鮫島くんちょっと言い方にもふたもなさすぎない?」

「まあ、目的を果たすのに支障はない。推薦狀には代行役なり皇太子なり、誰かが天皇の名でサインをくれるはずだ」

やはりあっけらかんと言ってから、改めて、彼は教科書をのぞき込んできた。まだ読している梨太のじゃまをするようにして。

「それで、天皇がどうかしたのか」

「……きれいな青い髪だなと思って」

鮫島は不思議そうな顔をした。見つめる彼に、梨太はさらに言った。

「三百年前、異星人である支配者は、この星に降り立ち、そこにいたラトキア人を捕まえて奴隷にした。たまたま遊牧に遠出していた一族だけが逃れて、それが後に解放戦爭の立役者になった……これが鮫島くんのご先祖であり、三神の一族でしょ。――『黒髪』の」

「そうだ。知恵と勇気と力のある男たちがそれをした」

「現人神は? みんなと同じく奴隷になったの?」

「……いや……たしかに王都には連れてこられたが、尊い存在でありラトキア人たちの心のよりどころとして、特別待遇をされていた。そして解放戦爭のあと、あのの塔へ移っていったと歴史にはある」

「じゃあどうして彼らの髪は青いの? 天皇家が不可侵だったなら、原始のラトキア人と同じ黒髪であるはずじゃないか」

言われて、鮫島は眉をひそめた。そのまま回答をくれない。彼も知らないらしい。梨太はさらにたたみかけた。

「……ラトキア人の髪は青と赤、そしてその混により、濁った緑。黒髪は劣伝で、どのと混しても消えてしまう」

「……そうだな。隔世伝というより、突然変異というくらいの確率だ」

「三百年前はみんな黒髪だった。じゃあなんで、急にそれがなくなったの。青や赤はどこから來たの?」

「……異星人との混で……彼らがその伝子を持っていたからだと言われているが」

「だとしたら、『つき』はみな貴族に、奴隷はみな黒髪になってるはずでしょ。自分の子孫は可がるものだ。青と赤とで差別が生まれるのはおかしい」

「優れたラトキア人は青い髪の一族。劣った種族は赤い髪だった。もともと――」

「さっき異星人との混によりが付いたって言ったじゃん。報がおかしい。矛盾してるんだよ」

「…………どれかが噓……作だと?」

梨太はうなずいた。

「まず大前提。もともとラトキア人はみんな黒髪だった。髪での優劣なんかなかった」

確信を込めて、明言する。鮫島は黙って、夫となる男の言葉を聞きれていた。反論があるわけではなく、だが納得がいっていない顔をしている。梨太の言っている意味がわからないと言うよりは、言いたいことがわかっていないような顔。梨太は苦笑した。

「結構前から不思議に思ってたんだよ。……青い髪の貴族と、赤い髪の被差別分。まるで、誰かが目印にを塗ったみたいだなって……」

「――時の支配者、か?」

梨太はうなずいた。部屋の隅に転がした、旅の鞄にあごをしゃくる。

「鰐さんのところで、烏の研究資料を一部、預かったんだ。伝子改変手の実験記録――牛をおとなしくさせたり、犬に木登りの本能を植え付けたり――を変化させたりしている。まだ実験段階だけれども、人間にも可能だってさ」

「…………」

「資料にあったのはただその記録だけ。ここからは僕の推論。――おそらく時の支配者は、ラトキア人に目印をつけたんだ。基本的に全ラトキア人はただの奴隷。でも特別オキニイリのや、有能で役に立つ人間、特別階級には青を。民衆の不満を緩めるために必要な、『下にはしたがいる』役に、赤を。そうすることで、その子孫代々までをも縛り付けた。

――貴族と賤民は、支配者によって造られた。たった三百年前、異星人がアソビでつけたただの塗り絵、ただの水なんだよ、分差別制度あんなものは」

梨太の口上を、鮫島はまっすぐに、聞きれた。彼にとって初めての報がいくつもあったのだろう。黙って聞き終え、ゆっくり反芻してに落とし込むようすが見て取れる。

鮫島は素直な人間だ。部下でも獣人でも、この星に來てたった一ヶ月の人間でも、その言葉をまずすべて聞き、正當を判斷する。

頭が悪いわけでもない。彼は、理解した。

その上で、梨太に向かって靜かに言った。

「――だから、なんだ? 選民思想が作りだとして。それをもし國民みんなが信じたとして……それでなんになる。

作りでも、在るものはそこに在る。…………虎が、王都で安寧な暮らしができるようにはならないだろう」

梨太はグッとのどを鳴らし、一瞬のけぞった。だが「そうじゃないんだよ」とを乗り出し、鮫島に詰め寄る。能面みたいな整った顔に、つばが飛ぶほど梨太は熱弁した。

「人の手で造ったものは、人の手で直せる! 烏の研究はそこまで踏み込んでいたんだ。僕はそう書いてあるのが読めただけだけど……まだ何もできないけど、でも理論上は。あの人くらいに、知識と技があるひとがいれば。僕だってまだ、でも、將來は――何年か後には」

「虎の髪を、黒だか青だかに変えられると? ならわざわざ手などせず鬘かつらでいいし、ラトキア人のに合うよう、染料だって開発されているだろう」

「――そう、それだよ、染料! それもきっとマヤカシだ。髪を染めて目印がわからなくなってしまったら困るから、支配者が」

「染髪止の法律はこの百年以にできた。ラトキア人がつくったんだ。言っただろう、生まれた分を隠すのは、この國では違法なんだと」

「だからそれを、僕が変えるんじゃないか! これから星帝になって、僕が法律をつくっていくんだから――!」

び、梨太はに強い痛みをじた。自覚している以上に、聲に熱がこもっていたのだ。咳き込んだのを、鮫島が背中をなでてくれる。梨太は振り払った。

「時間がかかるのはわかってるよ。いろいろ難しいし、お金もかかる。でも分差別はこの國の課題だ、ハルフィンも取り組んでいたし、はじめからやるつもりでいた」

「それはいいけど、個人のは抜いておけ。今のリタは自分のやりたいことと政治家としてやるべきことを重ねている。ただの職権用だ。それは、権力者としては決して――」

「鮫島くんじゃ話にならない。虎ちゃんに言ってくる。時間はかかるかもしれないけど、かならず王都に戻れるように。騎士団でも心地よく過ごせるように」

「それを虎はんでいない」

カッと頭にが上る。そんなはずはない、とぼうとしたのを、鮫島が鋭い視線で黙らせた。そして彼は、しなやかな指で、遠くの燈火あかるびを指した。

燃える焚き火、暖かなオレンジから、賑やかな談笑が聞こえてくる。ひときわ大きな、ぎゃははという笑い聲が聞こえてくる。底抜けに明るいその聲は、きっぱりと聞き覚えのあるものだった――だが今は、それが誰の聲か、理解できないでいた。

(……いやだ)

耳をふさごうとした手を、すんでのところで鮫島は捕まえた。むき出しにした聴覚に、彼は穏やかに、殘酷なほど良く通る聲を差し込んでくる。

「虎がなぜ移住を選んだかはわからない。だがおそらく、王都がイヤになったからではないだろう。それ以上の理由があっただけだ」

(いやだ……)

「じゃあ、生まれ育った家や、家族や、親友より、獣人やこの村を気にったっていうの」

「それは――それもわからない。たぶん違う。でもなにか前向きな理由で、歩く道を変えたのだと俺は思う……」

鮫島は立ち上がり、梨太の手を引いた。

「仮に差別からの逃避だったとしても、結果として虎が幸せに暮らしていくなら、それはめでたいことではないのか。虎は笑顔で新天地に迎えれられている。ともに祝おう。リタも喜ぶべきことだろう?」

焚き火の方へとあごをしゃくる。それを悟り、梨太は悲鳴を上げた。

「いやだ!!」

見たくなかった。

バルフレア人に囲まれて、ここの住人となった虎など。

「どうした? 虎と會えなくなることがそんなに寂しい?」

鮫島の問いに、梨太は首を振った。そうではない、気がした。理ではわかっている、これは、彼の門出だ。

何が怖い?

自分は、いったいなにを――

鮫島はじっと梨太を見下ろしていた。

様子がおかしい夫を、星ほしの王になろうとしている、背がびた年の頭を見つめて――

「……そうか。リタは……他人ひとが変わるのが、なにかとても怖いのだな」

梨太は息をのんだ。

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