《鮫島くんのおっぱい》鮫島くん、本気の勝負①
晝日中のバルフレア村は、なにやら賑やかだった。獣人たちがみな忙しそうに走り回っている。
大きな木板を抱えているのは、小屋でも建てるのか。酒を抱えているのは酒屋だろうか。鮮やかな布は畑用の鳥よけか何か?
目の前を小走りで橫切られ、バルフレア人は働き者だなあと見送っていく。
(……誰か、暇そうなひとはいないかな。鮫島くんを見なかったかって尋ねたいんだけども……)
そしてふと、彼らのきの法則に気が付いた。みながいている――移しているが、作業している者がいない。そして持っているはバラバラだが、全員が同じ方向に向かっていた。村の中心部――昨夜、宴が行われた広場に、それぞれ持ち寄り集まっている?
「まさか、連日のお祭り……いやでも櫓(やぐら)は解してたしなあ」
首を傾げつつ、広場に到著する。そこに二十人ほどの娘がいた。みな同じ裝――昨夜、ハーニャが著けていたものの簡易版という、踴り子の格好で集まっている。
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梨太は気軽に聲をかけた。
「こんちは。踴り子さん? 今日もなにか踴るの」
「え! わ!!」
娘たちは跳ね上がった。慌てて散會し、に隠れてしまう。組み木のうしろから悲鳴じみた聲で、
「いけませんよう、婿殿が、事前に覗いては」
「用意が出來ましたらお呼びしますので、お部屋でゆっくりなさってて」
「……用意? 婿?」
「お聲をかけないでくださいまし!」
拒絶されてしまった。追いすがると困らせるようなので、とりあえず言われたまま、村長の家まで戻っていく。玄関前に村長と虎がいた。「ハーニャのヒステリーで追い出された」とのことである。それよりもと広場の一件を訪ねてみたが、村長も首をかしげただけだった。バルフレア族の長は、なにも聞かされていないらしい。
「おっしゃる通り、祭りは昨夜で閉めましたし、村の行事でそれらしいものは記憶しておりませぬ。リタさまを婿と呼ぶなら、鮫さまの仕業ではないかと」
「鮫島くんが? 僕、昨夜からずっと見てないんだ」
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「俺たちもだぜ。村の中にはいるはずだけどな……」
相談しても解答は得られず、疑問符を浮かべて立ち往生。目の前をまた村人が橫切るが、なんとなく村長すらも聲をかけられず見送ってしまう。男三人、完全に蚊帳の外、である。
そのまま、小一時間ほど経過したか。ちょこちょこと小刻みな足取りで、バルフレアの児がやってきた。
一度、虎の前で足を止め、あっ、と呟き梨太の前へと移する。そして聲を上げた。
「むこどの、お迎えに上がりましたぁ」
「……えっと、僕? お迎えって」
「わたくしについてきてくださぁい」
そう言って踵を返し、歩き出す。広場に向かう方角だ。とりあえず梨太がすぐ後ろに、し離れて村長と虎も一緒に、児のあとをついていく。
「ねえ、どこまでいくの? これは誰のお使い?」
「みんなお小遣いをたくさんもらってるの」
「……鮫島くんだよね、たぶん。目的を何か聞かされてない?」
「むこどのはお客さんなので大丈夫だよ」
「うーむ、コミュニケーションが立しねえー。人選に恣意的なものがあるなこれ」
梨太はもう諦めて、黙ってついていくことにした。ほどなく、広場に到著。やはりここが目的地らしい。一時間前には無かった、櫓が組まれていた。昨夜の祭りに遜ないスケールで、さらに飾り布で彩られている。ほとんど村人全員で作業にかかったようだ。
「むこどのは、こっち。他のふたりはあっち」
なんだか雑になった案に従って、所定位置に腰かける。木箱を布で飾っただけの椅子だが、広場のほぼど真ん中で寂しい。虎たちはそこから離れ、外周を囲むように座らされた。すでにかなりの數の村人がいる。
まさか、公開処刑裁判でもないだろうな――
そんな、不穏な妄想が頭をよぎる。
奇妙な張がそこにあった。
「――婿殿。こちらをどうぞ」
バルフレアの男から、渡されたのは木製のゴブレット、なみなみと注がれているのはどう見ても酒である。視線で助けを求めると、獣人はかすかにほほ笑んで、
「……ご安心を。鮫さまの監修で、ヒトにも飲みやすいものにしてあります。なんならをつけるだけでも構いませぬ。これは形だけのものだそうですから」
伝聞型だ。となれば、そう言ったのは鮫島だろう。やはり今日このイベントは、鮫島の仕業に違いない。
獣人は梨太の後ろに傅いた。黒子(くろこ)のようなものらしい。そこからはもう、何を聞いても一切答えてくれない。
周囲を囲むバルフレアたちも、みな一様に口をつぐみ――ただ靜かに、時を待つ。
(……いったい何が始まるんだ……)
沈黙は、突然に終了した。
――どんっ!――
ビクリと全が跳ねる。地震かと思ったほどに大きく臓を揺るがす、太鼓の音。
――どんっ。どん。どん。どんっ――どっ、どっ、どっ。
音の大きさはそのまま、速度だけがあがっていく。毆りつけるような振に、梨太の心臓もつられて早まる。
この太鼓の音に、なんとなく、覚えがあった。
つい最近に聞いた気がする、この音――
(ラトキア伝統の、演舞……)
間違いない。鰐のところで聴いた、年學校のお遊戯會だ。太鼓は複數人が擔當し、多のバラつきはあるがよく統治されたものである。
さらに、笛の音。びやかな高音が、獣人の村に響き渡る。これは聞いたことのないメロディだが、どこか懐かしさをじる。
踴り子は誰もいない。広場には梨太がひとり腰かけて、それをぐるりと遠巻きに囲まれているだけだった。視線をどこにやっていいかわからず、なんとなく、笛の出所を探す。
どうやら櫓――梨太の正面、白い布ですっぽり覆われた円柱型の建に、鼓笛隊が潛んでいるらしい。
キリのいいところで演奏者なり踴り子なりが出てくるのだろう、そう期待して、櫓を見つめておく。
やがて、歌が聞こえた。
ちいさなひとよ 我が寶よ
お前にどんな名をやろう
「……っ!?」
突然の詞に、思わず聲が出そうになった。あわてて口を塞いで振り返る。
櫓のなかではなく、周囲を囲む獣人たちだ。彼らは腰を下ろしたまま、突然、厳かに歌い始めたのだった。
ちいさなひとよ いとしきものよ
おまえに強くしく 賢く気高い名をやろう
鯨のように大きくて 亀のように長く生き
果ては鶴ほどの富豪となるか 烏ほどの賢者となるか
歌――なのだろうか?
ただ音に乗せ、節をつけて読み上げただけのような、恐ろしくシンプルな旋律である。それがほとんど変化なく、お経のように流れていく。
言葉を聞かせるための歌だ。
(それにしてもこれは……この文言は……)
歌はまだ続いている。
高く跳ねろ ちいさなひとよ
コオロギのごとく オルカのごとく
穏やかに眠れ 我が寶よ
鰐のように 鮫のように
気高く生きよ
鹿のごとく 狐のごとく
たくましくあれ
虎のように 豬のように
いずれお前もひとと逢い
ちいさなひとを生むのだろう
これは、三神の教會――このラトキアで、産めよ増やせよと教える、神たちの言葉だ。
あの噓発見にかかる試験會場、通る道々で洗脳でもするように読まされた。
母から子に伝える教えだった。
「ラトキア民族はかつて、獣とともにありました」
梨太の後ろで、黒子役の獣人がそっと囁く。
「小さく群れ、遊牧と日々の狩りで糧を得て生きていました。獣を従え、獣のを喰い、と皮を赤子に著せて暖をとらせ、獣と生き、死ねば獣にを與える――かつてラトキアの民がみな黒髪であったころ。ほんの三百年前。町と政治と科學がなにもかも変わるには十分な時間。いきものが進化や退化をするには、あまりにも短すぎる時間……」
視線だけで、獣人を振り返る。てのひらにビッシリ文字が書きこんであった。見なかったことにして、梨太は再び、視線を櫓へ戻した。
「いまでも、ラトキアの民は獣の名を頂く。それは親の祝福であり、祈りなのです。生まれた我が子を獣に見立て、そのや一生が、良いものであるようにと願い、その名前になぞらえて」
兎のように多く子を 犬のように安寧に
いずれは大地に充ち満ちて
とわにを継ぎ続けるだろう
あるいは自由に空をゆくか
蝶のように 虻のように
人にされまれながら
カモメのように ツバメのように
誰の手も屆かぬ天の果てまで
ハヤブサのように 鷹のように
遠く大きく 遠く大きく
泣くな嘆くな ちいさいひとよ
どのけだものに倣っても
お前のいく世は楽しいものぞ
――どんっ。――
ひときわ大きく太鼓が鳴った。
それを機にして、歌が止む。靜まり返った獣人の村で、梨太は再び、解説を求めて振り向いた。
獣人は微笑みを浮かべていた。
今度はカンニングしながらではなく、彼自の言葉で言ってくる。
「鮫って、いい名前ですよね」
「……この歌は……赤ちゃんが生まれたときの、お祝いの?」
獣人は視線だけでうなずいた。
どん、とまた、太鼓が鳴る。その衝撃に弾かれるように、櫓の布が取り払われた。
簡素な組木に、やはり十人ほどが固まっていた。いっせいに散らばり、梨太の目の前で円になる。
視界をふさがれたのは、ほんの數秒のことだった。
すぐに獣人たちは散會する。
一人の人間が殘されていた。
白い。
純白のを、申し訳程度に包む白い貫頭。
梨太の目の前に、脛をべたりと地面に落とし、俯いている――小さく丸めた背中には、長い黒髪が垂れている。
「……鮫島くん」
聲をかける。しかし、彼は返事はしなかった。
視線を合わせることすらせずに、立ち上がって背を向ける。
ぼそりと、小さな聲が聴こえた。
「見ていて」
いつもと同じ穏やかで、だがかつてなく強い聲。
広場の中央へ進む後ろ姿は、騎士団長のものとはまったく違う、踴り子の裝だ。
だが梨太は息を飲んだ。
彼の背中に、確かに鋭い刃をじる。
まるで戦場へ向かうように、踴り子はまっすぐ前へ進む。
そして、梨太の方を振り向いた。
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