《ロシアンルーレットで異世界へ行ったら頭脳派の魔法使いになっていた件【三部作】》1-007.レデゥース・サ・ヒロ
 
ヒロは死をも覚悟したのだが、はヒロを一顧だにせず、その脇をすり抜けた。
――ドシュ!
(え?)
ヒロが振り向くと、四つ足の獣が真っ二つになっていた。姿形は犬に似ているが、地球の犬なんかよりずっと大きい。長は人程もあり、ハウンドドッグの如きよく発達した筋をしている。兇悪な口には鋭い牙が何本も生えていた。
ヒロは狼というものを見たことがなかったが、黒い獣はそれよりずっと兇悪なモ・ノ・に見えた。艶のある黒いに覆われたそれは、ビクンビクンと二度ほど痙攣したあとかなくなった。縦に二つに割れた黒い巨から鮮が流れ落ち、辺りの地面を茶褐に染めると、そのまま地に吸い込まれていった。
は黒い獣が絶命したことを見屆けると、片手で剣を一振りして糊を払う。そして剣を折り返し、切っ先を鞘口に當てると、そのまま鞘をすりあげるようにして剣を納めた。一分の隙もない見事な所作だ。の束ねられた髪が、どうだと言わんばかりに風に揺れた。
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「ライプェエアルバンドン?」
はヒロに振り向いて、異世界の言葉を発した。そして、くるりとターンして、つかつかとヒロに近づくと、片膝をついて、屈み込んだままのヒロの顔をのぞき込んだ。
(形だ……)
ヒロは息を飲んだ。顔立ちはやや東洋系だが、金髪と雪のように白いがそれを中和し、なんともいえない雰囲気を醸し出している。知的に輝く栗の瞳に長い睫が震えている。真っ直ぐ通った鼻筋。小振りのにはうっすらと紅がひかれていた。
は、固まったままのヒロを一通り見て、怪我がないことを確認すると立ち上がり、手の平を上にしてし上下に振って、起きあがるよう促した。
ヒロは素直に起きあがる。ようやくが自分を助けてくれたのだとヒロは理解した。
はもう一度ヒロの姿を上から下まで見て、傷を負っていないことを確かめると、小さく頷き軽く微笑んだ。笑みは人類共通のサインなのだろうか。ヒロの張がしだけ解けた。
は先程まで自分が座っていた建を指さした後、ヒロの前に立って歩きだした。背筋がピンとび、一定の歩幅で機敏に歩を進める。
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は十數歩、先をいってから振り返り、確認するかのようにヒロを見る。ヒロはの姿を見たまま立ち竦んでいた。
はヒロがその場からかないことを見咎めると、再び建を指さした。あそこに行けということなのだろう。ヒロは慌てて、の後に続いた。
◇◇◇
二人が著いた建は、末なものだった。四本の柱の上に木の板を乗せ、三方を囲っただけの、掘っ建て小屋でさえない。どちらかといえば、田舎のバス停留所と表現したほうが近い。
軒下には膝の高さに切りにした丸太が、四つ程無造作においてあった。ヒロがに促されて丸太の一つに腰掛けると、はその隣の丸太に座った。
ヒロは改めてを見つめた。先程は綺麗な顔に見とれて気づかなかったが、綺麗なのは顔だけではなかった。歳の頃は十五、六。ゆったりとした白いローブ風の服を著ているが、淡い青の幅広の帯で腰を引き絞っていて、かなの膨らみが余計に強調されている。背丈はヒロより若干低いが、手足はモデルのように長かった。
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は、何かを包んだ大判の布を背負い、絞った布の両端を右肩から、たすき掛けにして元で結んでいる。旅の途中か何かといった出で立ちだ。
「エイクナーレクラデゥス?」
がヒロに口を開く。異世界の言葉は分からないが、の言葉の語尾が上がっていた。ヒロは無意識に問いかけられているとじた。
「ありがとう」
ヒロは思わず聲を出していた。日本語が通じる訳がないと後で気づいたが、ほぼ反的にそう答えていた。危ないところを助けて貰ったのだ。禮をいうのは當然のことだ。言葉が通じなくても、気持ちだけは伝えたかった。
は小首を傾げ、ヒロの瞳を覗き込んだ。やはり日本語は通じていないようだ。
「エイクナーレクラデゥス?」
は再びそういった。が口にした音・から、ヒロは同じ事を聞かれているところまでは理解できたが、何を聞かれているのかも、どう答えるべきかも分からなかった。ヒロはの目を見つめたまま小さく首を振った。
は、言葉が通じないと分かったのか、し困した顔を見せた。ややあって、は自分のに手の平を押し當て、
「アー・ヤーフェ・ラ・セフィーリア」
と、一言ずつ區切って、ゆっくりと言った。自分の名前を言っているのだろうか。言葉の通じない相手との初めて會ったとき、まず自分の名前を名乗ることは自然な行だ。ヒロは、ここが異世界であることも忘れ、ボディランゲージならある程度分かるという気持ちになった。
続けては、自分のに當てた右手をばし、ヒロの方に向けた。手の平を上にして、親指をし折り、指先を中指の付けに軽く押し當てている。殘りの四指の指先は揃えられているが、らしくらかにし曲げられていた。だが、彼の薬指と小指の付けには、明らかにそれと分かる豆があった。毎日剣を振っていないとこうはならない。やはり彼は剣士なのだな、とヒロは思った。
「オツ・ナール・ヤーフェ?」
がヒロを見つめていた。語尾が上がっている。やはり自分に名前を聞いているのではないか。ヒロはそう當たりをつけた。
「ヒロ、カカミ・ヒロ」
ヒロはがそうした様に、右手を自分のに押し當てて答えた。多分これで通じる。拠はないが自信はあった。
◇◇◇
「ヒロ。ラ・ナール・ヤーフェ・ヒロ?」
はヒロと二度繰り返した。ヒロも二度大きく頷いた。
はヒロに差し出した手の平を、もう一度自分のに當てて、「セフィーリア」といい、そして、その手の平をまたヒロにむけて「ヒロ」といった。
ヒロは大きく頷いた後、と同じ事をした。自分のに手を當て「ヒロ」といい、に手の平を向けて「セフィーリア」と言った。
はほんのしばかり目を見開いてから大きく頷いた。ヒロ、ともう一度言って、満足気に微笑む。
――通じた。
ヒロは心の中でガッツポーズをした。コミュ二ケーションの方法論の是非はともかく、通じたのだ。名を名乗り合うなんて、自己紹介としてはイロハのイにも及ばないだろうが、兎に角通じたのだ。頷けば肯定。首を橫に振れば否定、というのも元の世界と同じだ。なくともイエス、ノーでの意志疎通はなんとか出來そうだ。ヒロはほっとして一気に張から解放された。
――ぐぅ。
気が緩んだからなのか、ヒロの腹の蟲が々盛大に鳴った。ヒロは自分の腹に視線を落とし、何もこんなときに、と思ったが後の祭りだ。ヒロはそっと、セフィーリアと名乗ったに目線を戻した。
「くすくすくす」
セフィーリアは笑っていた。聲を出さないように、一生懸命堪ようとしている様子がありありと窺えたが、それでも聲がれてしまっている。箸が転げても可笑しい年頃とはいうが、セフィーリアも同じなのだろうか。ヒロは、異世界ではあっても人間はそんなに変わるものではないかもしれないと妙な安心をした。
「ヒロ、ナール・ヤーフェ・ラ・ヒロ」
セフィーリアは元に結んでいた布の結び目を解き、背に背負っていた布の包みを手にして開けてみせた。手の平二つ分くらいの大きさで竹皮の様なもの出來た包みがあった。セフィーリアが竹・皮・を解くと、中に一口サイズの薄緑の塊があった。一ダース程のその団・子・は竹皮の中に二列に並んでいた。
「ヒロ、キビエ」
セフィーリアは団子を一つ摘まんでヒロに見せた。どうやらこの団子はキビエというらしい。ヒロは鸚鵡返しに、キビエと返した。
セフィーリアは、満足気にニコリとすると、手にしたキビエを自分の口に放りこんだ。しばらく咀嚼してから飲み込むと、もう一つ摘まんでヒロに差し出した。
(どう見ても、俺に食べろっていっているよな)
セフィーリアの意図を察したヒロは、手を差し出した。セフィーリアがヒロの手の平にポンとキビエを乗せた。
ヒロはキビエを手の平に乗せたまま、自分の口に近づける。手の平から伝わるキビエのは団子そのものだ。口にするのを一瞬躊躇ったが、一気に頬張る。かすかに草餅の匂いがした。
ゆっくりと噛みしめる。やや繊維っぽいことを除けば、食はやはり団子だ。だが元の世界の団子と違って味は殆どない。微かに塩味がするかしないか程度だ。お世辭にも味しいとは言えないが、吐き出したりなんかして、セフィーリアの機嫌を損ねる訳にはいかない。ヒロは無理して飲み込んだ。
――げほっ。げほっ。
咽る。ヒロはの辺りを自分の拳で叩いた。セフィーリアが心配そうな顔をして覗き込んだが、左手を上げて大丈夫だと返す。このボディランゲージで通じてくれたかどうかは定かではなかったが。
やっと咽りが収まったヒロは、水を飲もうとナップサックを手にした。しかし、はっとして、その手を止める。中の紅茶は兎も角として容のペットボトルはこちらの世界の人にとって未知のものに違いない。何が誤解を生むか分からない。ヒロはまだ、迂闊な行は控えるべきだとペットボトルの紅茶を飲むのは諦めた。だが、そんなヒロの配慮とは全く無関係にそれは起こった。
◇◇◇
――こっちよ。
突然、誰かが後ろから呼んだような気がした。
あれ、と後ろを振り返るが誰もいない。小屋の裏からか、と腰を浮かせたヒロを今度はセフィーリアが止めた。
「ヒロ、ナ・ケーフェ・アロ・ヒュペル・エーハウフ」
セフィーリアはヒロの手を取って、首を橫に振っている。何故だか分からないがいては駄目らしい。ヒロは浮かした腰を下ろした。
「ナ・ケーフェ・アロ・ヒュペル・エーハウフ」
セフィーリアの口振りは、何かを注意しているかのようだった。さっき真っ二つにして、哀れな軀むくろを曬している黒・犬・を指さしている。多分、この辺りはああいうモンスターが出るから気をつけろ、とでも言っているのだろうと思いながら、ヒロは曖昧に頷いた。
セフィーリアは本當に分かったのかとでも言いたげに眉を寄せていたが、やがて納得したのか、諦めたのか、キビエの団子がった包みをヒロに渡すと立ち上がり、風呂敷を背負い直して、両端を襷掛けにして結んだ。
一瞬遅れて、セフィーリアが出発するつもりであることを悟ったヒロは、慌てて立ち上がった。はっとして、渡された包みをセフィーリアに返そうと差し出す。
しかし、セフィーリアはヒロのその手をそっと押し戻して、軽く微笑んだ。次いで手の平をヒロに向けて大きく頷いた。
(呉れるのか?)
ヒロは包みを手にしたまま、もう一方の手で包みを指さした後、自分を指さした。セフィーリアは、そうとばかりもう一度頷いた。
「ありがとう」
ヒロは無意識に頭を下げた。この作の意味が通じるかは分からないが、が自然にいていた。
セフィーリアは、一瞬戸いの表を見せていたが、直ぐに元の凜々しい顔つきに戻り、爽やかにいった。
「レデゥース・サ・ヒロ」
セフィーリアは踵を返すと、ヒロに背を向け、山道を颯爽と去っていく。
「ありがとう。セフィーリア!」
ヒロは、小さくなっていくセフィーリアの背中に向かってんだ。セフィーリアは一瞬立ち止まり、こちらを振り返って手を上げた。こちらの謝の気持ちが伝わったかどうかは分からないが、セフィーリアが挨拶を返してくれたことが嬉しかった。言葉も慣習も全く分からない異世界でのファースト・コンタクトとしては上出來だ。ヒロはをで下ろした。
――レデゥース・サ・ヒロ。
あれは、別れの言葉だろうか、それとも注意の言葉だろうか、答えなど分かる筈もない問いが、セフィーリアの後ろ姿を見送るヒロの頭の中をスキップしては踴っていた。もしも、この世界の言葉が話せるようになったなら、そしてセフィーリアともう一度逢うことがあったなら、改めて今日の禮を言おう。梢かられ落ちる木れを頬にけながら、ヒロは彼との邂逅をに刻んだ。
 
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