《冷徹曹司の無駄に甘すぎる豹変

「……なんだか変……かな」

鏡の前で私は気弱な聲をあげた。

映っているのはいつもとかなり違う私。

天然のウェーブヘアをアイロンでギリギリまでばし、ピシッと一本にまとめあげた。似合ってる……とは言えないが、いかにもなOLスタイルではあると思う。

昨日の夕方、急に仕事が決まり今から烏丸商事に初出社だ。

新しい職場の社長、烏丸憐は無駄を嫌い効率を重んじる、典型的な生産人間で「長い髪は無駄だ」ときっぱり言い捨ててしまう魔王的な男。

棚ぼたでゲットした仕事だからこそ、會社の役に立つ存在になりたい。

そのためにも、まずは社風に己を合わせよう。

というのは言い訳で。

私は自分に自信がない。

自分の書的な能力にも、記憶力にも、事務能力にも、魔王を敗するスキルにも、何もかもに自信を失っている。

昨日、魔王にウチに來いと言われたのは、夢だったんじゃないか。

行けば指をさして『本當に來たぞ』と笑われるんじゃないか。

そんな不安でお腹が痛い。

 

玄関の姿見に私の全を映してみる。

見た目より表がダメだ。不安でいっぱい……って顔をしている。

 気合れなきゃ。

……できる範囲で。

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ため息をつきながら、私は部屋を出た。

 

烏丸グループのビルは、渋谷の真ん中にでん、とそそり立っていた。

鏡面ガラスのビルの頂上は雲の上。

一階はレストランとロビーになっており、小さな公園がその前にある。スタイリッシュな男がせわしなく闊歩し、明なエレベーターが高速で上がっていく。

一瞬そのビルが魔窟に見えて、私は思わず立ち竦んだ。

てっぺんで待ちけるのは魔王、烏丸憐。

『君のような無駄人間はいらない。出直してこい』

不遜な聲と高笑いが頭の中に響く。

(怖い……)

ごくり、と唾を飲み込んだ時、「倉田ひかりさん?」誰かに名前を呼ばれてハッとした。振り向くと、スーツ姿の男が立っている。

長は烏丸さんより頭ひとつ分低いくらい。に笑みが浮かんでいて、茶の髪のが風にさらりとなびいている。一目であ、モテそう、とじられるタイプ。俗に言うシティボーイってじ。こんな人……私の知り合いには1人もいない。

「はい……倉田ですが……」

訝しみながらも答えれば、男は満面の笑顔になった。

「やっぱりそうか。あ、僕、烏丸商事人事部研修擔當の水上正《みずがみただし》です。今日からうちに來るんだよね。オリエンテーションを擔當するのでよろしくお願いします」

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「倉田ひかりです……よろしくお願いします」

私は頭を下げた。

「初出社ですよね。ご一緒します」

「ありがとうございます」

お禮を言うと、笑顔が返る。

私はホッとした。

魔窟で味方に會えた気分だ。

水上さんに続いて、り口の機械に社員パスをあてる。

バーが開き、私はで下ろした。

「本だ……」

パスを見ながらニマニマしていると、水上さんの不思議そうな目と視線があった。

「あ、すみません」

急いで彼に肩を並べる。

広いエントランスを橫切って、沢山の人たちが立っているエレベーターの前に來た。

「あ、こっち」

そのエレベーターをスルーして、水上さんはし離れた場所にあるエレベーターの前に立った。

「社長室まで直通です」

扉が開くと、窓がシースルーになっている。

上昇するエレベーターの中で、水上さんは瞳をキラキラさせながら私に向き直った。

「早めに出社して良かったな。今日會えるのを楽しみにしていたんですよ」

「え? 私にですか?」

「そう。倉田さんに」

ありがとうございます、と答えながらも不思議な気持ちになる。

そういえば私の採用が決まったのはほんの半日ほど前のことだ。

なぜこの人はそれを知っているのだろう。

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「しっかし、あの圧迫面接の後、タツキさんと出會うだなんてドラマみたいですよね! 倉田さん、やっぱり持ってるなー。會社説明會ではあんなにオドオドしてたのに、いざとなるとキリッとして。ギャップ萌えしましたよ」

「あの、何のことですか?」

「これですよ、これ」

水上さんはポケットからスマホを取り出した。

畫の再生が始まる。

『すみません。もうすぐ救急車が來ますので、こちらに導してください!』

よく知る顔がんでいる。

「な、な、何これ私……?!」

私は仰天し、モニターに顔を近づけた。

小さな晶畫面の中に、公園のベンチでぐったりしているタツキさんと、介抱している私、バタバタと道路に向かって走る男の後ろ姿がある。

「昨日君に協力した二人組はコンビのYouTuberだったんですよ。1人がずっとカメラを回してたみたい。気が付きませんでした?」

「全然!」

畫には私がタツキさんに水を飲ませているところや、救急車に乗り込むところまで、所々早送りしながらもバッチリ映っていた。

恥ずかしさに気が遠くなる。

「このYouTuber、タツキさんの素をたまたま知ってたらしくて。しっかり烏丸商事のタグをつけていたんです。おかげで早めに削除依頼が出せたんですけどね。ちなみに、これは趣味で保存したやつ。あ、社長とタツキさんにも送ってますから」

にっこり顔の水上さんに、私は力しながら言った。

「消してください……」

「ははっ。ですよねー。気にってるんだけど……承知しました」

水上さんはピッと目の前で削除ボタンを押し、スマホをしまう。

「この畫をタツキさんと社長に送った時に、二人から倉田さんの採用を聞いたんです。やー、思わず僕はガッツポーズしちゃいましたよ!」

「えっ……どうしてですか?」

「だってこんな痛快な展開滅多にないでしょ! あそこまで社長にいじめられた挙句、會長に気にられて採用だなんて大逆転もいいとこですよ。社長、ギャフンって言ってませんでした?」

「いいえ……あ、でも、謝ってくださいました」

「おおお! あの烏丸憐が! それは凄い!!」

水上さんは、酔いしれるように天を仰ぐ。

私は曖昧な笑顔を浮かべる

この人は、烏丸さんが嫌いなのだろうか。

それにしても、社で社長批判ができるなんて、勇気がある。

水上さんはさらに満面の笑みで尋ねてきた。

「じゃあ、倉田さんは?」

「え?」

「ざまあみろって思ったでしょ?」

水上さんの目がいたずらっぽいへと変わる。

「あんたには見る目がなかったんだよ、って。それが証明されたでしょって。僕なら100%そう思うなー」

私は首を傾げた。

「ん?」

興味津々といった様子で顔を覗き込まれ、私は苦笑した。

「そんなこと……ちっとも考えませんでした。タツキさんのことがただひたすら心配なのと……不安だっただけで」

「タツキさんはもう大丈夫ですよ」

「はい。朝方メールをいただきました。良かった……」

「……で、社長に対してはどう思いました?」

「……どう思う……ですか?」

「ええ」

本音を言うと、昨日は悪夢にうなされた。

烏丸さんに脅かされる夢だ。だから、彼のことが怖いと言うのが本音だけれど、もちろんそんな事は言えなくて。

「お仕事をくださってありがたいです。お役に立てるよう頑張ります」

一番無難な言葉を選ぶ。

水上さんの笑顔がふっ、と消えた。

今まで浮かんでいた、親しみやすい空気が別なものへと変わっていく。

「倉田さんっていい人なんですね」

「え?」

「反骨心がゼロっていうか……の人ってもっと執念深いのかと思ってました」

ちん、と音を立ててエレベーターが最上階へ到達する。

私は一瞬で変化した水上さんの態度に、心戸いをじながらこう言った。

の人……は関係ないかも……です。人それぞれって言いますか」

「ですね」

勘違いじゃない。水上さんは突然冷たくなった。

今の會話の何がいけなかったのだろう。

そして唐突に思い出した。この人は昨日、烏丸さんの暴走を止めようとしていた人だ。

(こんなに若いのに……勇気があるな)

流されてるだけの私とは、全然違う。

水上さんは重厚なドアの前で立ち止まった。

ノックの後「失禮します!」と大聲で言いドアを開ける。

「さ、どうぞ」

私を先にらせるとすぐに自分も中にりドアを閉める。

社長室の窓の外には天樓。

窓側に大きなデスクが、中央に黒革のソファと小さなテーブルが置かれてある。

ドキュメンタリーで見たのと同じ……震えるほど都會的でオシャレなビジョンだ。

烏丸さんは立って外を見ていたが、くるりとこちらを振り返った。

圧倒的な存在の中に迫ってくる。

 

「來たな。無駄

 

私を見た瞬間の第一聲がこれだ。さすが魔王。外さない。

「なんで引率つきなんだ?」

「ビルの前で心細そうにしていたのでエスコートしてきました」

「君は小學生か?」

烏丸さんが呆れ顔で呟く。

「すみません」

「息を吸うように謝らなくてもいい」

烏丸さんは水上さんに向き直る。

「ちょうどいい。彼の機と備品を用意してくれ」

「はい! んじゃ、失禮します!」

水上さんは敬禮すると部屋を出た。

二人の不思議な空気に、私は首を傾げてしまう。

水上さんの敬語はし軽く、それは私だけでなく、烏丸さんに対してもそうらしい。

二人っきりの部屋の中で私はドギマギとを高鳴らせる。

烏丸さんは腕を組むと高い位置から私をしげしげと見下ろした。

 

「……髪型を変えたのか?」

 

不躾な視線が私の髪に注がれている。

無駄、というワードを言われたくなくて、つい聲が早口になった。

 

「はい。ストレート風にしてみました。日曜日には短く切ってきます。ショートボブに」

 

彼はふん、と鼻を鳴らした。

「また無駄なことを」

「え? でも長い髪こそ無駄だって……」

「努力の方向が間違ってる。その髪を維持するのに何時間かけた? ストレートパーマをあてる暇はなかったろうから道の手を借りたんだろう。俺は真面目さを演出しろと言ったんじゃない。時短しろと言ったんだ」

「はい……確かに……」

私はしょんぼりと肩を落とした。

烏丸さんは私のバッグを取り上げると、ソファの上に置いた。

「今から部に挨拶に行く。総務と人事、営業あたりもだな。いい子にしとけよ」

「はい」

「……噓だよ。普通でいい」

「はあ……」

「ふん」

烏丸さんはなぜか楽しげに笑った。

もしかしたら私……遊ばれてる?

新たな疑が頭をよぎる。

総務課はエレベーターを下りてすぐのところにあった。

コピー機とエアコンの音に、談笑が混じるその部屋で、烏丸さんはパンパンと両手を打ち鳴らした。

「注目!」

フロア中の視線が私たちに集まり、ピタッと人の聲がやむ。

「今日から社長書になる『倉田ひかり』だ」

「よろしくお願いします!」

私は深く頭を下げた。

顔を上げて周りを見回すと、その場にいる全員が立ち上がって拍手をしている。

(え、何?)

「初めての書ね。烏丸くん、良かったじゃない」

窓際に座っていた、中年のが烏丸さんに話しかける。

「ご指導よろしくお願いします」

烏丸さんも丁寧に頭を下げている。

「社長をよろしくね」

優しげな笑顔で話しかけられて、たちまち気持ちが上向いていく。

「頑張ります!」

満面の笑顔でそう答えた。

周りの人たちもとても優しげな雰囲気だ。

「社長は平の時、一時的に総務にいたんです。だから皆と仲がいいんですよ」

ダンボールを抱えた水上さんが、すれ違いざまに話しかけてきた。

「わっ……と、そうなんですね」

「これ、書室に運んどきますね」

口笛を吹くような軽い調子で水上さんは去っていく。

それから二人して各課を回った。

人事部では、大勢の人に冗談まじりに『逸材』と褒められた。

昨日の経緯を知っているからだ。

烏丸さんはあちこちで誰かにつかまり談笑していた。

とはいえ、彼の表は変わらない。話しかけている人たちが笑顔なので、彼もそう見えてしまうが、基本的にはクールなままだ。

正直なところ、烏丸さんと社員との関係は想像していたイメージとは全然違った。

もっとギスギスしているかと思ったら、真逆だった。

そしてもう一つ気がついたこと。

フロアにいるたちは皆お灑落で、ロングヘアの人もたくさんいた。會社説明會で聞いた、ショートカットしか採らない、というポリシーと矛盾がある。

(不思議だなあ……)

烏丸さんの橫顔を見ながらひとりごちる。

ロビーで慌てふためきながら、タツキさんの病室に向かっていた、彼の姿が頭をよぎる。どれが本當の彼なのだろう。

社長室に戻ると、水上さんがいた。

「ふう。何とかこれで事務作業はできるようになると思いますよ。とはいえ、まだまだ先ですけど」

パソコンの載った機、引き出しの中にある文房などを見せながら水上さんが言う。

烏丸さんはり口ドアにもたれ、腕を組みマジマジとこちらの様子をうかがっていた。

「ん? どうかしました?」

水上さんが尋ねると、烏丸さんは言った。

「いや……別に……」

烏丸さんはそう言うが、何か考えているのは表から明白だ。

水上さんがすかさずにこやかに言った。

「そういえば、男陣の反応はどうでした? 昨日、みんな倉田さんのことを噂していたんですよ。あんな人と仕事がしたかったな、って」

いきなり話題が自分に向けられ、私はハッとする。

ところがそれは烏丸さんも同じだったらしく、「そうか。なるほど」とつきが落ちたような顔をした。

そして、烏丸さんは私に視線を向けると、人差し指をくいくい、と曲げた。

「え?」

「こっちに來い」

犬に対するようなジェスチャーにムッとしたが、反発できるはずもなく側にいく。

正面に立つと、烏丸さんの綺麗な顔が近づいてきた。

(ち、近い……!)

赤くなった私を観察者の眼差しで眺めながら、烏丸さんは髪へと手をばす。

ゴムが取られ、まとめていたウェーブヘアがふわっ、と背中に広がっていく。

「なるほど……確かに無駄に人だ」

検分完了、とでも言いたげな清々しい表で、烏丸さんは言った。私は唖然としてしまう。

「挨拶まわりの時、皆の視線が変だったことに気がついていたか?」

「え? いいえ……」

「まあ、いい。今夜、予定はあるか?」

「いいえ」

頬を赤らめそう言った。

「じゃ、そのままあけておけ。ディナーを予約しておく」

「ディナー?」

「知らないのか。夕食のことだ」

「いえ、それは知ってますけど」

手首が握られ、開かされた手のひらにゴムが載せられる。

溫かな指先のに、心臓が一瞬どきん、と跳ねる。

「水上、オリエンテーションは午後からで頼む」

「承知しました」

水上さんが出ていくと、烏丸さんは再び私に向き直り言った。

「ゴミを使える道に変えるのがビジネスの基本だ。今から君を磨き上げるぞ」

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