《冷徹曹司の無駄に甘すぎる豹変》3
※
「……なんだか変……かな」
鏡の前で私は気弱な聲をあげた。
映っているのはいつもとかなり違う私。
天然のウェーブヘアをアイロンでギリギリまでばし、ピシッと一本にまとめあげた。似合ってる……とは言えないが、いかにもなOLスタイルではあると思う。
昨日の夕方、急に仕事が決まり今から烏丸商事に初出社だ。
新しい職場の社長、烏丸憐は無駄を嫌い効率を重んじる、典型的な生産人間で「長い髪は無駄だ」ときっぱり言い捨ててしまう魔王的な男。
棚ぼたでゲットした仕事だからこそ、會社の役に立つ存在になりたい。
そのためにも、まずは社風に己を合わせよう。
というのは言い訳で。
私は自分に自信がない。
自分の書的な能力にも、記憶力にも、事務能力にも、魔王を敗するスキルにも、何もかもに自信を失っている。
昨日、魔王にウチに來いと言われたのは、夢だったんじゃないか。
行けば指をさして『本當に來たぞ』と笑われるんじゃないか。
そんな不安でお腹が痛い。
 
玄関の姿見に私の全を映してみる。
見た目より表がダメだ。不安でいっぱい……って顔をしている。
 気合れなきゃ。
……できる範囲で。
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ため息をつきながら、私は部屋を出た。
※
 
烏丸グループのビルは、渋谷の真ん中にでん、とそそり立っていた。
鏡面ガラスのビルの頂上は雲の上。
一階はレストランとロビーになっており、小さな公園がその前にある。スタイリッシュな男がせわしなく闊歩し、明なエレベーターが高速で上がっていく。
一瞬そのビルが魔窟に見えて、私は思わず立ち竦んだ。
てっぺんで待ちけるのは魔王、烏丸憐。
『君のような無駄人間はいらない。出直してこい』
不遜な聲と高笑いが頭の中に響く。
(怖い……)
ごくり、と唾を飲み込んだ時、「倉田ひかりさん?」誰かに名前を呼ばれてハッとした。振り向くと、スーツ姿の男が立っている。
細で長は烏丸さんより頭ひとつ分低いくらい。に笑みが浮かんでいて、茶の髪のが風にさらりとなびいている。一目であ、モテそう、とじられるタイプ。俗に言うシティボーイってじ。こんな人……私の知り合いには1人もいない。
「はい……倉田ですが……」
訝しみながらも答えれば、男は満面の笑顔になった。
「やっぱりそうか。あ、僕、烏丸商事人事部研修擔當の水上正《みずがみただし》です。今日からうちに來るんだよね。オリエンテーションを擔當するのでよろしくお願いします」
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「倉田ひかりです……よろしくお願いします」
私は頭を下げた。
「初出社ですよね。ご一緒します」
「ありがとうございます」
お禮を言うと、笑顔が返る。
私はホッとした。
魔窟で味方に會えた気分だ。
水上さんに続いて、り口の機械に社員パスをあてる。
バーが開き、私はをで下ろした。
「本だ……」
パスを見ながらニマニマしていると、水上さんの不思議そうな目と視線があった。
「あ、すみません」
急いで彼に肩を並べる。
広いエントランスを橫切って、沢山の人たちが立っているエレベーターの前に來た。
「あ、こっち」
そのエレベーターをスルーして、水上さんはし離れた場所にあるエレベーターの前に立った。
「社長室まで直通です」
扉が開くと、窓がシースルーになっている。
上昇するエレベーターの中で、水上さんは瞳をキラキラさせながら私に向き直った。
「早めに出社して良かったな。今日會えるのを楽しみにしていたんですよ」
「え? 私にですか?」
「そう。倉田さんに」
ありがとうございます、と答えながらも不思議な気持ちになる。
そういえば私の採用が決まったのはほんの半日ほど前のことだ。
なぜこの人はそれを知っているのだろう。
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「しっかし、あの圧迫面接の後、タツキさんと出會うだなんてドラマみたいですよね! 倉田さん、やっぱり持ってるなー。會社説明會ではあんなにオドオドしてたのに、いざとなるとキリッとして。ギャップ萌えしましたよ」
「あの、何のことですか?」
「これですよ、これ」
水上さんはポケットからスマホを取り出した。
畫の再生が始まる。
『すみません。もうすぐ救急車が來ますので、こちらに導してください!』
よく知る顔がんでいる。
「な、な、何これ私……?!」
私は仰天し、モニターに顔を近づけた。
小さな晶畫面の中に、公園のベンチでぐったりしているタツキさんと、介抱している私、バタバタと道路に向かって走る男の後ろ姿がある。
「昨日君に協力した二人組はコンビのYouTuberだったんですよ。1人がずっとカメラを回してたみたい。気が付きませんでした?」
「全然!」
畫には私がタツキさんに水を飲ませているところや、救急車に乗り込むところまで、所々早送りしながらもバッチリ映っていた。
恥ずかしさに気が遠くなる。
「このYouTuber、タツキさんの素をたまたま知ってたらしくて。しっかり烏丸商事のタグをつけていたんです。おかげで早めに削除依頼が出せたんですけどね。ちなみに、これは趣味で保存したやつ。あ、社長とタツキさんにも送ってますから」
にっこり顔の水上さんに、私は力しながら言った。
「消してください……」
「ははっ。ですよねー。気にってるんだけど……承知しました」
水上さんはピッと目の前で削除ボタンを押し、スマホをしまう。
「この畫をタツキさんと社長に送った時に、二人から倉田さんの採用を聞いたんです。やー、思わず僕はガッツポーズしちゃいましたよ!」
「えっ……どうしてですか?」
「だってこんな痛快な展開滅多にないでしょ! あそこまで社長にいじめられた挙句、會長に気にられて採用だなんて大逆転もいいとこですよ。社長、ギャフンって言ってませんでした?」
「いいえ……あ、でも、謝ってくださいました」
「おおお! あの烏丸憐が! それは凄い!!」
水上さんは、酔いしれるように天を仰ぐ。
私は曖昧な笑顔を浮かべる
この人は、烏丸さんが嫌いなのだろうか。
それにしても、社で社長批判ができるなんて、勇気がある。
水上さんはさらに満面の笑みで尋ねてきた。
「じゃあ、倉田さんは?」
「え?」
「ざまあみろって思ったでしょ?」
水上さんの目がいたずらっぽいへと変わる。
「あんたには見る目がなかったんだよ、って。それが証明されたでしょって。僕なら100%そう思うなー」
私は首を傾げた。
「ん?」
興味津々といった様子で顔を覗き込まれ、私は苦笑した。
「そんなこと……ちっとも考えませんでした。タツキさんのことがただひたすら心配なのと……不安だっただけで」
「タツキさんはもう大丈夫ですよ」
「はい。朝方メールをいただきました。良かった……」
「……で、社長に対してはどう思いました?」
「……どう思う……ですか?」
「ええ」
本音を言うと、昨日は悪夢にうなされた。
烏丸さんに脅かされる夢だ。だから、彼のことが怖いと言うのが本音だけれど、もちろんそんな事は言えなくて。
「お仕事をくださってありがたいです。お役に立てるよう頑張ります」
一番無難な言葉を選ぶ。
水上さんの笑顔がふっ、と消えた。
今まで浮かんでいた、親しみやすい空気が別なものへと変わっていく。
「倉田さんっていい人なんですね」
「え?」
「反骨心がゼロっていうか……の人ってもっと執念深いのかと思ってました」
ちん、と音を立ててエレベーターが最上階へ到達する。
私は一瞬で変化した水上さんの態度に、心戸いをじながらこう言った。
「の人……は関係ないかも……です。人それぞれって言いますか」
「ですね」
勘違いじゃない。水上さんは突然冷たくなった。
今の會話の何がいけなかったのだろう。
そして唐突に思い出した。この人は昨日、烏丸さんの暴走を止めようとしていた人だ。
(こんなに若いのに……勇気があるな)
流されてるだけの私とは、全然違う。
水上さんは重厚なドアの前で立ち止まった。
ノックの後「失禮します!」と大聲で言いドアを開ける。
「さ、どうぞ」
私を先にらせるとすぐに自分も中にりドアを閉める。
社長室の窓の外には天樓。
窓側に大きなデスクが、中央に黒革のソファと小さなテーブルが置かれてある。
ドキュメンタリーで見たのと同じ……震えるほど都會的でオシャレなビジョンだ。
烏丸さんは立って外を見ていたが、くるりとこちらを振り返った。
圧倒的な存在がの中に迫ってくる。
 
「來たな。無駄」
 
私を見た瞬間の第一聲がこれだ。さすが魔王。外さない。
「なんで引率つきなんだ?」
「ビルの前で心細そうにしていたのでエスコートしてきました」
「君は小學生か?」
烏丸さんが呆れ顔で呟く。
「すみません」
「息を吸うように謝らなくてもいい」
烏丸さんは水上さんに向き直る。
「ちょうどいい。彼の機と備品を用意してくれ」
「はい! んじゃ、失禮します!」
水上さんは敬禮すると部屋を出た。
二人の不思議な空気に、私は首を傾げてしまう。
水上さんの敬語はし軽く、それは私だけでなく、烏丸さんに対してもそうらしい。
二人っきりの部屋の中で私はドギマギとを高鳴らせる。
烏丸さんは腕を組むと高い位置から私をしげしげと見下ろした。
 
「……髪型を変えたのか?」
 
不躾な視線が私の髪に注がれている。
無駄、というワードを言われたくなくて、つい聲が早口になった。
 
「はい。ストレート風にしてみました。日曜日には短く切ってきます。ショートボブに」
 
彼はふん、と鼻を鳴らした。
「また無駄なことを」
「え? でも長い髪こそ無駄だって……」
「努力の方向が間違ってる。その髪を維持するのに何時間かけた? ストレートパーマをあてる暇はなかったろうから道の手を借りたんだろう。俺は真面目さを演出しろと言ったんじゃない。時短しろと言ったんだ」
「はい……確かに……」
私はしょんぼりと肩を落とした。
烏丸さんは私のバッグを取り上げると、ソファの上に置いた。
「今から部に挨拶に行く。総務と人事、営業あたりもだな。いい子にしとけよ」
「はい」
「……噓だよ。普通でいい」
「はあ……」
「ふん」
烏丸さんはなぜか楽しげに笑った。
もしかしたら私……遊ばれてる?
新たな疑が頭をよぎる。
※
総務課はエレベーターを下りてすぐのところにあった。
コピー機とエアコンの音に、談笑が混じるその部屋で、烏丸さんはパンパンと両手を打ち鳴らした。
「注目!」
フロア中の視線が私たちに集まり、ピタッと人の聲がやむ。
「今日から社長書になる『倉田ひかり』だ」
「よろしくお願いします!」
私は深く頭を下げた。
顔を上げて周りを見回すと、その場にいる全員が立ち上がって拍手をしている。
(え、何?)
「初めての書ね。烏丸くん、良かったじゃない」
窓際に座っていた、中年のが烏丸さんに話しかける。
「ご指導よろしくお願いします」
烏丸さんも丁寧に頭を下げている。
「社長をよろしくね」
優しげな笑顔で話しかけられて、たちまち気持ちが上向いていく。
「頑張ります!」
満面の笑顔でそう答えた。
周りの人たちもとても優しげな雰囲気だ。
「社長は平の時、一時的に総務にいたんです。だから皆と仲がいいんですよ」
ダンボールを抱えた水上さんが、すれ違いざまに話しかけてきた。
「わっ……と、そうなんですね」
「これ、書室に運んどきますね」
口笛を吹くような軽い調子で水上さんは去っていく。
それから二人して各課を回った。
人事部では、大勢の人に冗談まじりに『逸材』と褒められた。
昨日の経緯を知っているからだ。
烏丸さんはあちこちで誰かにつかまり談笑していた。
とはいえ、彼の表は変わらない。話しかけている人たちが笑顔なので、彼もそう見えてしまうが、基本的にはクールなままだ。
正直なところ、烏丸さんと社員との関係は想像していたイメージとは全然違った。
もっとギスギスしているかと思ったら、真逆だった。
そしてもう一つ気がついたこと。
フロアにいるたちは皆お灑落で、ロングヘアの人もたくさんいた。會社説明會で聞いた、ショートカットしか採らない、というポリシーと矛盾がある。
(不思議だなあ……)
烏丸さんの橫顔を見ながらひとりごちる。
ロビーで慌てふためきながら、タツキさんの病室に向かっていた、彼の姿が頭をよぎる。どれが本當の彼なのだろう。
※
社長室に戻ると、水上さんがいた。
「ふう。何とかこれで事務作業はできるようになると思いますよ。とはいえ、まだまだ先ですけど」
パソコンの載った機、引き出しの中にある文房などを見せながら水上さんが言う。
烏丸さんはり口ドアにもたれ、腕を組みマジマジとこちらの様子をうかがっていた。
「ん? どうかしました?」
水上さんが尋ねると、烏丸さんは言った。
「いや……別に……」
烏丸さんはそう言うが、何か考えているのは表から明白だ。
水上さんがすかさずにこやかに言った。
「そういえば、男陣の反応はどうでした? 昨日、みんな倉田さんのことを噂していたんですよ。あんな人と仕事がしたかったな、って」
いきなり話題が自分に向けられ、私はハッとする。
ところがそれは烏丸さんも同じだったらしく、「そうか。なるほど」とつきが落ちたような顔をした。
そして、烏丸さんは私に視線を向けると、人差し指をくいくい、と曲げた。
「え?」
「こっちに來い」
犬に対するようなジェスチャーにムッとしたが、反発できるはずもなく側にいく。
正面に立つと、烏丸さんの綺麗な顔が近づいてきた。
(ち、近い……!)
赤くなった私を観察者の眼差しで眺めながら、烏丸さんは髪へと手をばす。
ゴムが取られ、まとめていたウェーブヘアがふわっ、と背中に広がっていく。
「なるほど……確かに無駄に人だ」
検分完了、とでも言いたげな清々しい表で、烏丸さんは言った。私は唖然としてしまう。
「挨拶まわりの時、皆の視線が変だったことに気がついていたか?」
「え? いいえ……」
「まあ、いい。今夜、予定はあるか?」
「いいえ」
頬を赤らめそう言った。
「じゃ、そのままあけておけ。ディナーを予約しておく」
「ディナー?」
「知らないのか。夕食のことだ」
「いえ、それは知ってますけど」
手首が握られ、開かされた手のひらにゴムが載せられる。
溫かな指先のに、心臓が一瞬どきん、と跳ねる。
「水上、オリエンテーションは午後からで頼む」
「承知しました」
水上さんが出ていくと、烏丸さんは再び私に向き直り言った。
「ゴミを使える道に変えるのがビジネスの基本だ。今から君を磨き上げるぞ」
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