《視線が絡んで、熱になる》episode1-6

「ねぇ、そういえば藍沢さん、営業第一部に行ったらしいね」

「そうそう~なんで営業何だろう。一番向いてないように思えるけど」

「確かにねぇ、そうなんだよね。見た目もパッとしないし、いつも同じ服著てなかった?」

「そうそう。それでいて結婚してないんだよね」

「彼氏いそうにも見えないし…あの分厚い眼鏡なんてさ、のび太じゃん」

完全に自の悪口を言われているようで琴葉は落ち込む。

おそらく彼たちはコーポレートの経理部の陣だ。何度か會話をしたことはあるが親しいわけでもない。それなのにこの言われように肩を落とす。

どうせ彼たちだって琴葉が必死にオシャレをしてらしくなったところで、“似合わない”と言って鼻で笑うだろう。

コーポレートの社員は外勤など社外の人と會う機會がほぼないからオフィスカジュアルスタイルでスーツを著て出勤しなくてもいい。琴葉は普段から二、三著のブラウスやセーターを著まわしていたから同じ服を著ていると思われていたのかもしれない。

「あ、そろそろ時間だ~その口紅可い」

「でしょ~?新作だよ」

陣の聲が遠のいてようやく個室から出ると辺りを確認しながら鏡に映る自分を見た。

昨日と同じ服裝だけど、スーツだと特に気づかれないだろう。

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髪を整えて、琴葉はトイレを出た。

…―…

「おはようございます。昨日は歓迎會ありがとうございました」

一人一人にお禮を言って回る。智恵がパソコンの電源をれながら「昨日はちゃんと帰れたの?隨分酔ってたみたいけど」と琴葉に向かって言う。

一気に心拍數が上昇するが、かぶりを振った。

「帰りました。ありがとうございます」

そう、と素っ気なく返事を返されるが皆、琴葉が昨日柊の自宅へ泊ったことを知らない様子だ。

でおろしつつ、椅子に腰かけると隣の席の涼へ耳打ちをする。

「昨日、私そんなに酔ってました?」

「あー、そうだね。あんなに酔うんだって驚いたよ。俺が途中まで介抱してたんだけど、マネージャーが俺が代わるっていうから」

「…マネージャーが?」

「そう。仕事じゃも涙もないってじの人だけど意外に優しいところあるんだなぁ」

遠い目をして心するように頷く涼の話を聞きながら、彼の言があまりにも不可解すぎて整理できずにいる。

「おはよう」

「っ」

背後から今朝も聞いたばかりの聲がして琴葉はビクッと肩を揺らす。

柊は顔一つ変えずに琴葉の後ろを通りそのまま自分のデスクへ向かう。ちらりともこちらを見ない柊を橫目で確認して意識しているのは琴葉だけだと悟る。

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もしかしたらああいうことは彼にとって日常茶飯事なのではないか。それならば、琴葉にとっても都合がいい。

“忘れてもらう”だけだ。

しかし今朝、彼はなかったことにはしない、そうはっきりと言ってきた。

苦蟲を嚙み潰したような顔をパソコン畫面に向けているとトン、と肩を叩かれる。

涼が心配そうに大丈夫?と訊いてくる。これほどまでに爽やかで穏やかなイケメンはいないだろう。絵に描いたような爽やかイケメンは琴葉の目には眩しすぎる。

「大丈夫です、すみません」

「そう?今日は午後から外勤だよ!無理そうなら言ってね」

「いえ、大丈夫です。今朝メールいただいていた資料、理道のものですよね」

「そうそう。國大手化粧品メーカーで営業利益も売上高もトップだよ。ずっとうちのクライアントなんだ。今回は理道が新たに新ブランドを立ち上げる。それにかかわることになったんだ。そこそこ大きな案件だよ」

「はい」

ペンを用にクルクルと指で回しながらそう言った彼からは普段の穏やかさの中に垣間見れた闘爭心をじる。

理道は誰もが知る大手消費財メーカーだ。化粧品は売上構比で言うと二割ほどを占めており重要な事業分野であることは明白だ。

「なるほど…」

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理道の資料を読み進めながら、ふと大學時代のことを思い出した。

初めて購した化粧品は理道の商品だった。価格帯で言うとミドルコスメになるのだろうか。安い価格帯の商品ではなく、初めて購したものがそこそこの値段のする商品を選んだのは理由があった。

広告だった。何気なくドラッグストアにってふと目を向けると大きくポップが張り出されており、“あなたを、魅了する”というキャッチコピーとともに、真っ赤な背景に人なモデル、そして“変わるんだ、今すぐに”と下に書かれたそれは琴葉のために用意された広告なのではと本気で思ったのだ。

小さな頃から目が悪く、分厚い眼鏡をかけていた。そのせいで、小學生になる頃には“がり勉のガリ子”とあだ名をつけられ、そのくせ績も芳しくないというダブルパンチだった。

中學に上がる頃にはせめて見た目(あだ名)と釣り合うようになろうと勉強ばかりしていた。

公立中學だったが、高校験は都の偏差値70超えの私立高に見事合格した。

とにかく勉強しかしてこなかった。幸いにもひどいめのようなことをされた記憶はない。

ただ、友達は本當に數だったし思春期のあの漫畫のようなピュアなをすることもなく、むしろいじられるような位置づけで青春というものを経験してこなかった。

そのため、所謂高校デビューなるものも未経験である。

その後、大學生になって転機が訪れる。

周りはお灑落に敏で、ゆるふわな髪を靡かせ、流行りの服を著て、綺麗にメイクをして煌びやかな世界の中にいるのに自分だけは何一つ変わっていなかった。ただ、琴葉にとってそれらは別にどうでもよくて、大學は専門の高い知識を得る場所だと認識していたから周りから噂されようが気にも留めていなかった。

しかし、琴葉に彼氏ができたのだ。

『付き合ってくれない?』

たったその一言だった。

しかし琴葉にとってその言葉は生涯渡り言われることはないであろう言葉だった。

同じ學部のテニスサークルに所屬する笑顔の素敵な學生だった。名前は風野春樹。名前まで爽やかで驚いた。

どうして自分を知っているのだろう?と思ったが、『デートしよう』とか、『俺の家に來る?』とか、次々に発せられる未知の言葉に琴葉はただただ夢心地だった。

験も彼だった。好きな人との行為はとても幸せだった。

そのうち、琴葉にはあるが芽生えた。自分の地味加減に春樹は嫌にならないだろうか、と。

そう悩んでいるときに出會ったのが理道の化粧品だった。

一本3500円の口紅を手に取ってレジで會計をしてもらったあの覚は今でも覚えている。

真っ赤ではないが、赤にベージュを混ぜたような絶妙なで広告の通り、琴葉自を魅了する。

それを機に、他にも化粧品を購して髪型も変えて、服裝も変えるようになった。

付き合って一か月としが経った、夏休みのこと。

普段以上に化粧をして彼と會った。可いと言ってもらいたくて、綺麗だと言ってもらいたくてすべては彼のためだった。

だが…―。

『何その化粧。全然似合ってない』

『オカメインコみたいになってる。チーク?似合ってない』

彼は否定して笑った。琴葉の化粧のやり方が違うのかもしれない。もっと練習して次は可いねと言ってもらえるように、そう思った。

しかし現実はそう上手くはいかなかった。彼に“本命”の彼がいると知ったのはそのあとすぐのことだった。

どうやら、春樹が琴葉と付き合ったのは大學で浮いている琴葉をからかう目的だったようだ。つまり、サークルの話のネタにされていただけだったのだ。

は、一方通行の実るはずのない苦々しいものになった。初めてを捧げたのも、春樹だったのに。

『バカみたい、元が良くないのにいくら努力したって無駄なのに』

春樹の本命の彼から言われた言葉がの奧深くに突き刺さってどうやっても取り除くことは出來ない。

綺麗になる努力を皆で嘲笑していた、それが事実だった。

一か月とし、綺麗になるためにやってきた努力はすべて“黒歴史”として琴葉のの中に封じた。二度となどしない、男などいらない。そう誓った。一生、一人でいい。

「おい、藍沢」

「は、はいっ…」

理道の資料を読みながら學生時代を思い出しついボーっとしてしまった琴葉の名前を呼んでいたのは柊だった。

勢いよく立ち上がり、その反でデスクへ足をぶつける。

「これから個人面談だけどいいか?」

鋭い目線で琴葉を威圧し、大丈夫ですと答えるもその聲は屆いていない。

今にも食われそうなほどの圧をじつつ、立ち上がる柊の後に続くように急いでノートとペンを持って小走りでフロアを出る。

柊は振り返ることもせずにスタスタと廊下を出て、エレベーターのボタンを押す。その斜め後ろに立ち彼を窺うようにチラチラと視線を送った。

エレベーターのドアが開き、上司にボタン作をさせるわけにはいかないと、先にる。

そして何階の會議室か聞いてその階のボタンを押した。二人っきりのエレベーターでお互い無言だった。

のない會話を振るほどの余裕など持ち合わせていない。

ドアが開き、柊の後に続くようにしてエレベーターを降りる。

七階の第一會議室は人數用の會議室で個人面談などに使用される。ドアを開けるとすぐに照明をつけ、會議用の白いミーティングテーブルにお互いが向かい合うようにして座った。

會議室のミーティングテーブルは柊が使用すると途端、安っぽくじる。

「じゃあ、まず30分業務上の個人面談をする。そのあとは雑談で10分、合計40分藍沢の時間をもらうことになるけど、大丈夫か?」

「あ、はい。もちろんです」

柊の言い方に首をひねってしまいそうになる。

わざわざそこまで細かく確認を取る必要があるのだろうか。琴葉の疑問が顔に出ていたのか、すかさず柊が口を開く。

「クライアントとの打ち合わせも同じだ。相手の時間を貰って仕事をしている。遅刻したり延長するようなことはあってはならない。延長する場合は、相手の了承を得る。時間は無限じゃない、面談も同じだよ」

「…はい、わかりました」

顔を引き締めながら頷く。営業経験のない琴葉にとって柊の発する言葉一つ一つが重くのしかかる。しかしそれはいい重みだった。長できるきっかけにもなるそれを大事にしたいと思った。

「本題だが、」

柊はそう言ってノートパソコンを開く。姿勢を正すように座りなおして唾を呑み込む。

「何故この會社を志した?志理由と長所、短所を」

「え、」

琴葉が眉間に皺を寄せる。當たり前だ。急に志理由と長所と短所を話せ、などまるで就活生にでもなった気分だった。

しかし、柊の表は変わらずに早く言え、という視線を向ける。

目をしばたたき、考えながら言葉を紡いでいく。

「広告代理店を中心に就職活をしていました。理由は、」

ふぅ、と小さく空気を吐き出す。

「ある広告に銘をけたからです」

「ある広告とは?」

「H&Kで擔當している理道です。理道のツバキの広告を見て…それで」

琴葉にとって全てが黒歴史ではなかった。

確かに春樹と付き合ったこと、自分が綺麗になろうと努力したことは忘れてしまいたい過去だ。

しかし、あの広告を見て手に取った化粧品は今も琴葉の家に保管してある。

使用期限もあるし、それらを使用することはないと斷言できるがそれでも、捨てることはできなかった。

それはきっと、あの一瞬のときめきを忘れられないからだと思う。

いい商品が必ずしも売れるとは限らない。

それらを世に出すために、商品を売れるようにするために、広告代理店は存在する。

それに攜わってみたいと思ったのだ。

柊は琴葉の話を聞き終えると頷き、キーボードをたたく。

今の質問で何が知りたいのだろう。

心でため息を溢す。昨夜一緒に寢てしまったことが夢なのではと思うほど、目の前にいる柊はただの怖い上司だった。

「次は長所と短所を」

「はい…長所は、責任があるところです。一度任された業務は絶対に投げ出したりしません。短所は協調に欠けるところです。ないわけではありません。でも…周りの人と一緒に何かをし遂げる経験もありませんし、人付き合いが苦手です」

改めて言葉にして相手に伝えると何故広告代理店から定を貰い、現在営業として配屬されたのかわからなくなる。

「なるほど。うちの営業は特にチームでく案件も多い。それからわかっているとは思うが、企畫や制作部などとも頻繁に打ち合わせをする。そこでのり合わせや認識に乖離が生じると全部一から、なんてこともある」

「…はい」

「でも、きっと藍沢なら大丈夫だろうと思ってるよ」

沈んでいく顔を弾かれたように上げると、威圧的な柊はそこにはいない。代わりに優し気な目を向ける彼と視線がわる。

「わからないことは、新木や俺に聞くこと」

「はい!」

「結果を出すのが営業の役割だ。藍沢なら優秀な営業社員になると思っている」

も涙もないと涼が話していたが、そうでもなさそうだと思った。

上司として、部下を鼓舞する姿に琴葉はを打たれる。

だが、パタン、とノートパソコンを閉じて琴葉に向ける視線は、上司としてではなく完全に今朝見たそれだった。

「…で、殘り10分だが」

「はい」

「なんで隠すんだよ。大學時代のこと」

「っ」

艶っぽい瞳は、お互い下著姿で見つめ合った時と同じだった。

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