頬に風をけたで、オレは目を覚ました。

疲労のせいか頭が重い。

あまり頭が回転していないのが自分でもわかる。

空いている窓とカーテンの隙間から月がれて、オレの周囲を薄く照らしている。

どうやら、あそこから風がってきたようだ。

……ところで、ここはどこだろう。

今、オレが寢ている周囲の風景に見覚えがない。

とは言っても、視認できるのは月明かりがれている窓際付近だけで、室のほかの部分は暗くてよく見えない。

ベッドから降りて立ち上がろうとしたが、うまく起き上がることができなかった。

それどころか、をうまくかせない。

まるで誰か別の生きのにったみたいだ。

「――――」

聲を出そうと思っても、うまく発聲することができない。

まるで、が聲の出し方を忘れてしまったかのようだ。

混を抑えながら、今の狀況を整理してみる。

オレ、――は、昨日、普通に自分の部屋のベッドで寢ていたはずだ。

それがなぜ、こんな広い部屋で一人で寢ているんだろうか。

って、あれ。ちょっと待て。

自分の名前を思い出せない。

それは看過できない違和だった。

うまくをかせないことや発聲できないことはまだしも、自分の名前を忘れるなんてどう考えてもおかしい。

地球という星にある日本という國に生まれたことは覚えている。

そこで、稚園、小學校、中學校、高校、大學……大學の記憶がないような気がするが、とにかくその辺りまでは進學してちゃんと卒業しているはずだ。

そこで、自分の年齢まで忘れていることにも気付いた。

自分の一人稱すらあやふやになってきている。

オレ？　僕？　オレと呼んでいたような気がするが、僕と呼んでいた可能も捨てきれない。

自分という存在が曖昧になっていることへの恐怖で、オレは震えた。

パニックを起こしかけたそのとき、突然、窓際のカーテンが大きくはためいた。

窓の外。そこから、さっきまでなかったはずの人間の気配が、はっきりとじられる。

誰かがいるのははっきりしている。

だが、オレはただ橫になって、じっとそこを見つめることしかできなかった。

自分の心臓の音が聴こえるほどの靜寂。

……どれぐらいの時間が経っただろうか。

永遠に続くかと思われたその時間にも、とうとう終わりがやってきた。

やがて、カーテンの裏からその人・・・が姿を現すと、

「――――」

オレは思わず、ため息をらしていた。

月明かりに照らされたその人――彼の姿は、あまりにもしかった。

腰までびた深緑の髪に、翡翠の瞳。

その華奢な軀を、漆黒のドレスが覆い隠している。

年齢は十代前半だと思うが、その表はのものとは思えないほどに艶やかだった。

としてのさと、としての妖艶さを兼ね備えた、まさに魔のという言葉がよく似合う。

はオレの姿を視認すると、パッと表を輝かせた。そして、ゆっくりとこちらへ近づいてくる。

そこで新しい違和に気付いた。

顔がでかい。

いや、よく見ると顔だけじゃなくて全的にデカい。

……間違ってもに向かって言う言葉ではないが、実際にそうじるのだから仕方がない。

なんだこれ。どうなってるんだこれ。

「……してる」

彼の口から可憐な聲が紡がれる。

それは紛れもなく、オレへのを表す言葉だった。

瞳を潤ませ、頬を紅させた彼がオレの顔に近づき、やがてに何からかいものが押し付けられる。

その甘ながからのキスによるものだとわかった瞬間、オレの意識はブラックアウトした。

◇　◇　◇　◇　◇　◇　◇　◇　◇

二度目に目を覚ましたときは、太が高く昇っていた。

改めて、今自分が置かれている狀況を確認する。

が、場所自は昨日の夜と変わっていないようだ。

そういえば昨日の夜、の子にキスされたような気がするが……今はあまり深く考えないで置いておくことにする。夢の中の出來事かもしれないし。

そして、昨日とは明らかに違うものが部屋の中にあるのに気付いた。

いや、いる・・のに気付いた、と言うべきだろう。

「よしよし、ラルはあまり泣かないのねー。……ねぇ。大丈夫なのよね、この子。全然泣かないから心配だわ」

「そういう子もいますよ、特別変なことではありません。あまりにも様子がおかしい場合は治癒師プリーストを呼ぶべきでしょうが」

「そうね、そうよね」

オレの頭の上で、二人のの人が話している。

一人は、ゆったりとした白いネグリジェをに纏っただ。

見たじかなり若い。中學生ぐらいなのではないだろうか。

だが、それよりも目を引いたのはその容貌だった。

オレのことを見下ろしているその瞳のは朱だ。

というがすべて抜け落ちたような長い白髪に、灰の。

整った顔立ちのだが、どう見てもオレが知っている日本人の特徴とは一致しない。

いや、そこにも驚いたが、オレが本當に驚いたのはそこじゃない。

の背中から、彼のを包むように二対の純白の羽が生えているのだ。

全長はおよそ一メートルといったところか。

太のに反してか、その羽は微妙に発しているようにも見える。

もう一人は、メイド服のようなものをに著けただ。

歳は二十代前半ぐらいだろうか。先ほどのが可い系の顔立ちだったのに対し、こちらは人系だ。

ショートボブにしてある髪は藍で、は白い。

こちらのの背中には、羽は生えていなかった。

え？　なに？　コスプレ？

こんなド派手な裝をに著けた連中、日本でもそうそうお目にかかれるものではない。

それに、昨日の夜に見たと同じように、この二人もなんだかやたらと大きく見えるのは気のせいだろうか。

「さあ、ラル」

が、オレのほうへと腕をばしてくる。

なんとかこうともがくものの、相変わらずは脳からの命令をけ付けない。

何の抵抗もできないまま、オレはそのに抱きかかえられた。

……は？

意味がわからない。

オレの重は、こんな華奢な軀のに支えられるものではないはずだ。

混するオレをよそに、頭上の二人は會話を続けている。

「え、えーっと。こ、こんなじかしら？」

「奧様。恥ずかしいというお気持ちはわかりますが、このままではいつまで経っても終わりませんよ？」

「うう……わ、わかったわ」

メイドらしき人に急かされたは、覚悟を決めた表でオレに向き合った。

いったい何をするつもりなのだろうか。

「そ、それじゃ、ラル……」

は顔を真っ赤にしながら著ている服を緩め、その満なをさらけ出した。

突然目の前に広がった暴力的なまでのそのしさに、一瞬思考が停止する。

これはもう満とかそんなレベルじゃない。がつくほどの巨大な――、

「……！？」

次の瞬間、恐ろしいほどらかく溫かいものが、オレの顔面を完全に覆い盡くしていた。

なんとか呼吸をしようと口を開けるものの、空気がってこれるような隙間はどこにもない。

ああ、意識がどんどん遠くなっていく。

々と心殘りはあるが、こんな死に方も悪くはない、か。

「奧様、やり過ぎです。ラルフ様を窒息死させるおつもりですか？」

「えっ！？　あっ！　ご、ごめんねラル！」

メイドの指摘に気付いたらしいが、オレの顔を覆っていたらかいものを退けた。

そのおかげで呼吸ができるようになる。

危ない危ない。本気で窒息死するところだった。

こんなことで死んだらさすがにけなさすぎるぞ……。

そんなことを考えながられた息を整えていると、の大きなが丸出しになっているのが目にった。

自分の唾と思しきで濡れたそれの先端を見て、思わず顔が赤くなる。

「大丈夫、ラル！？」

けれどそんな不埒ふらちな気持ちは、一瞬にして吹き飛んだ。

オレを抱きしめて、半泣きになりながら心配そうに見つめてくる。

そして、本能的に理解する。

この人が、オレの母親なのだと。

そしてこの現実を端的に言い表すことができる言葉を、オレは知っている。

「ラル……」

――いや、母さんはオレを抱きしめた。

それと同時に、オレの頭は白い靄をかけられたように働かなくなる。

今度は苦しくなかった。

母さんは、とても大切なものを、壊れを扱うようなそんな優しい手つきでオレにれている。

どうしてだろう、涙が溢れそうになった。

この、あたたかいものに包まれているじ。すごく安心する……。

「あら、寢ちゃうの？　ふふっ。おやすみ、ラル……」

頭上から母さんの優しげな聲がかけられ、オレは意識を手放した。

◇　◇　◇　◇　◇　◇　◇　◇　◇

オレがこの世界・・・・で最初に目を覚ましてから、およそ一か月が過ぎた。

結論から言うと、オレは異世界に転生してしまったらしい。

剣と魔法の、ファンタジー世界に。

最初は半信半疑だった。

そりゃそうだろう。

異世界転生なんて所詮は語の中だけの話であって、どれだけ願ったところで現実に起こるはずなんてない。そういうものなのだと、信じていた。

だが現に、オレは生後約一か月の赤ん坊になって、異世界にいる。

この現実をけれなければならない。

とはいえ心配はあまりしていなかった。

この家は特別貧乏ということもなさそうだし、向こうが何を話しているのかもオレは知ることができる。

まあ何とかなるだろう。

問題なのは、オレが魔法や剣を扱うことができるのかどうかわからないことだ。

チートを持っている実はないし、努力の積み重ねでコツコツとやっていくしかない、か。

いや、もしかしたらチートも持っているのかもしれないが。

ただ、今はけない。

誰から魔法や剣といったものを教えてもらえるのかも見當がつかないし、そもそもオレはまだ字も教えてもらっていない子供。

そんな子供が魔法を使いたい、なんて言いだすのもおかしな話だ。

つまり、今のオレにできることといえば、もっとこの世界について知ることぐらい。

そういうわけで、オレはこれから魔などにれることができるまでの時間を、ひたすら報収集のために使って過ごすことにした。