《》第35話 胎する悪意

エノレコート王國の、王城の一室。

「……ん」

煌びやかな裝飾が目を引く天蓋付きのベッドの上で、もぞもぞとく影があった。

寢室と呼ぶには、あまりにも広すぎる部屋だ。

部屋のいたるところに置かれている調度品は、その一つ一つが途方も無いほどの価値がある一級品であることを疑わせない。

そんな部屋の巨大な窓から、し込んでいた。

夜の時間が終わり、太がその姿を現す。

「……んんーっ。あー、よく寢た」

そんな言葉をらしながら、ベッドに沈んでいたがうだるげにを起こした。

その僅かな衝撃で、を覆い隠していた布団がはらりと落ちる。

は何もにつけていなかった。

肩にかかる銀の髪が朝日に輝き、形のいい大きな房と純白のを惜しげもなく曬している。

腰はくびれ、付きもよく、まさに男のの対象を現したかのような煽的な型だ。

琥珀の瞳とその貌も相まって、彼こそが神である、と言っても、誰も何ら疑問は持たないであろうその容姿。

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はぼんやりとした眼差しで辺りを見回していたが、やがて気付いたように、

「あら、あの人はもう行ってしまったのかしら」

昨日し合った男の姿がどこにもない。

そのことを気に留めたが、それも一瞬のこと。

すぐに意識を切り替え、棚から取り出したキャミソールへと腕を通す。

適度に風通しが良く、すぐにげるこの服裝は理想的だ。

出會いがどんなところに転がっているかわからない以上、常に萬全の態勢でいるのは當然の努めと言える。

備え付けの姿見で自の姿を確認した彼は、満足げに頷いた。

そのとき、ドアをノックする音が彼の耳に屆いた。

まるで、彼が著替え終わるのを測ったかのようなタイミングの良さだ。

「はい?」

こんな時間に訪問とは珍しい。

はドアを開け、客人を出迎えた。

「失禮します」

ってきたのは、使用人の男だ。

まだ若く、理知的な顔立ちの男。

初めて見る男。

「エーデルワイス様。食堂にてカミーユ様がお待ちです」

その聲に、――エーデルワイスの思考が現実へと引き戻された。

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「ありがとう。すぐに向かうわ。――おや?」

エーデルワイスが、わざとらしい聲を上げて使用人の顔をまじまじと見つめる。

琥珀の瞳が男の顔を見つめ、その目線がどんどん下へと下っていく。

それはまさに、草食を狙う捕食者の目に他ならない。

「な、何か?」

「あなた、とてもいい顔をしているわね。今夜わたくしがあなたのところへ行くから、準備しておいてちょうだい」

「……承知致しました」

唾を飲み込む音を微笑ましく思いながら、エーデルワイスは部屋から退出する男のことを見送る。

今夜のことを楽しみに思いながら、エーデルワイスはカミーユが待つ食堂へ向かった。

「おはよう、カミーユ。いい朝ね」

食堂には、エノレコート城の使用人たちに混じって、見知った顔のがいた。

背骨は異様なほど曲がっており、その顔は驚くほど悪いが、エーデルワイスはそれがの普段の姿であると知っている。

赤いドレスをに纏い、黒い髪は異様なほどに長く、椅子に腰掛けているせいもあってか、かなり床に引きずられていた。

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つまり、明らかに不審な人だということだ。

「おはようございます、エーデルワイス」

「あなた、いい加減髪切ったら? 見苦しくて仕方ないわ」

「それはできません。しい彼が、ワタシの髪は長い方がいいと言ってくれたものですから。その言葉をに刻んで、ワタシはできる限りこの髪をばし続けなければならないのですよ」

熱っぽい表を浮かべながら、カミーユが手を合わせる。

そんなカミーユの様子に、エーデルワイスは呆れ顔だ。

「それならせめて、髪を結い上げるなり何なりしなさいな。あなたは見た目を軽視しすぎよ」

「お心遣いありがとうございます。ですが、ワタシの彼はこの程度でワタシのことを嫌いになったりはしないのです」

言っても無駄だとわかっているのに、エーデルワイスは言うことをやめられない。

こんな指摘は、それこそ何千回と繰り返ししてきた。

それでまったく改善されないのだから、どうにもならないものをどうにもならないものと割り切るべきだ。

「それより」とカミーユは話を區切り、

「朗報があります、エーデルワイス。――『霊の鍵』を、手にれました」

「……『霊の鍵』。そう。ようやく手にれたのね」

――『霊の鍵』。

それは、相応しいところで使用すれば、この世界のあらゆる扉を開くことができるとされている伝説の霊だ。

霊級魔師のラーデラが所有していましたが、ワタシが事を説明すると、喜んで差し出してくれましたよ」

「殺して奪い取った、の間違いでしょ。まったく……」

カミーユの言は曲解が多い。

相手の言をすべて自分の解釈で歪めてしまうため、カミーユの報伝達能力には難があると言わざるを得ない。

まったく、なんのための読心能力なのか。

「というか、そのラーデラとかいう魔師、まさか男じゃなかったでしょうね?」

「男と言えば男でしたが……あまりパッとしない、ただの薄汚い中年の男でしたよ。エーデルワイスのお眼鏡に適う人間だったとは思えませんね」

「そう? ならいいんだけど」

もしカミーユがいい男を慘殺していたとなれば、それ相応の罰は與えなければならないと考えていたが、今回については杞憂だったようだ。

「それで、赤い棺……だっけ? あれはまだ見つけられないのかしら?」

「殘念ながら、そちらについては手がかりすらない狀況です。そもそも、『始祖』とアリスの戦いを見た者の絶対數がなすぎる」

カミーユは無念そうな表を浮かべながら、『始祖』とアリスが対峙した時のことを思い出しているようだった。

「そもそも、本當にあるの? その赤い棺とやらは」

「あります。必ず、この世界のどこかにあるはずなのです」

アリスが『始祖』によって封じられた瞬間を、エーデルワイスは見ていない。

ゆえに、その赤い棺とやらが実際に存在するかどうかについても眉唾だと考えているのだが……カミーユはそれが存在すると言い張っている。

「――中にアリスのが封じられた、赤い棺が」

その中に、『終焉の魔』アリスのが封じられた、赤い棺が存在するのだと。

「……まあ、わたくしはその景を見ていなかったから、あなたほどの熱意も気力もないのは仕方のないことかもしれないわね」

エーデルワイスは、百年前にあと一歩のところまで行った世界の浄化が、あんな形で止められることになるとは思っていなかった。

今も昔も、エーデルワイスとカミーユがやっていることは変わらない。

カミーユは報と戦力を。

エーデルワイスは富と人間を。

それぞれ裏に集め、來たるべきこの世界の浄化の時のためにいているのだ。

その世界の浄化に、大罪の魔師の數の増強は不可欠。

仮にアリスを頭數にれたとしても、あと一人はしいところだ。

しかし、

「アリスが復活に非協力的なのが、一番の問題よね……」

何があったのかはわからない。

わからないが、おそらくアリスは満足してしまっているのだろう。

今の生活に。

「……ふふっ」

霊魂だけの存在が、人間と共に歩んでいく道を取るなんて、なかなかどうして、面白い。

そして、アリスを大罪の魔師側につける最も確実な方法は、

「ロード・オールノートを懐すること、でしょうね」

「……あなたにそれを任せると、アリスが怒り狂いそうな気しかしないので、できればやめていただきたいのですが」

「ふふ。冗談よ、冗談。いくらわたくしでも、そこまで非道なことはしないわ」

カミーユが見たという景。

それは、『終焉の魔』として恐れられていたアリスが、一人の年をカミーユの手から守ったというものだ。

當時のアリスを知っていたエーデルワイスからすれば、信じがたい話だ。

が、たしかにカミーユはその霊魂だけとなったアリスと話をし、それがアリス本人であることは疑いようがないという。

そして、そんなアリスが大事そうに守った年。

その年の名前が、ロード・オールノートというらしい。

ここから導き出される結論は一つ。

「アリスは、そのロード・オールノートという年のことを大切に思っている。……している、と言っても過言ではないでしょうね」

「ええ。だから、ワタシは彼を説得しようと試みたのですがね……なかなかどうして、うまくはいかないものです」

「あなたのことだから、説得がうまくいかなかったからって、途中で気が変わって殺しそうになったとしても驚かないわよ」

「ひどいですね。いくらワタシでも、そこまで破綻した人間は持ち合わせていませんよ」

心外だ、とでも言うようにカミーユが鼻を鳴らす。

おそらくそのとき、ロード・オールノートを襲ったのだろう。わかりやすい反応だ。

「ロード・オールノートをこちらへ引き込むために、わたくしたちができることは……」

そんなカミーユを無視して、エーデルワイスは思考を巡らせる。

だが、そこまで悩むこともなく、あるひとつの結論に達した。

「やっぱり、戦爭かしら」

聞けば、ロード・オールノートは、齢七歳にして中級魔を扱えるほどの腕らしい。

學院で腐らせておくのはもったいない才能だ。

その才能を発揮できる環境を作ってやるのが、先人であるエーデルワイスやカミーユの仕事というものだろう。

「魔も、技も、思想も、人を殺し、人に殺されることで初めて優れた領域にたどり著けるというもの。ロードくんには、頑張ってもらわないとね」

まあ、その過程でロード・オールノートが死んでも何ら問題ない。

する人を失ったアリスがどうなるか、エーデルワイスは既に知っている。

それがエーデルワイスとカミーユにとって、非常にましい結果を生むであろうことも。

「ディムールに戦爭を仕掛けるのはワタシも大賛です。個人的に、お返しをしなければならない方々もいることですし」

「ああ、たしか霊級魔師と、ラル君? だったかしら?」

「ええ。彼らには死んでもらいます。よくもなんの罪もないワタシの子供たちを……」

を歪め、苛立たしげにそう語るカミーユの姿に、エーデルワイスは珍しいものを見たような顔をする。

「そっか。じゃあ、その子達はちゃんと殺してあげないといけないわね」

「言うまでもありません。彼らはワタシが殺します。他でもない、この手で」

カミーユがそう言っている以上、エーデルワイスが彼らに関わることはない。

カミーユに狙われて命を落とさなかった者など、この世界には存在しないのだから。

「戦爭の機は……そうね。適當に王族でも殺せばディムールの奴らも逆上するでしょう。クレアちゃんか、……えーっと、誰だったかしらあれ、名前は忘れたけれど、たしかあと三人くらい子供がいたわよね。適當にそのうちのどれかを殺せばいいんじゃないかしら」

「いたような気がしますね。ワタシも名前は忘れましたが」

戦爭のきっかけなどというものは本當はどうでもいいのだが、國と國の戦爭である以上、それ相応の理由を用意しなければならない。

の子は咲かせたらそれで終わりだから楽なんだけど、男の子はそういうわけにもいかないから、兄か弟のほうにしておきましょうか」

「ワタシとしては殺すのはどちらでも構いませんが、心の臓はワタシに頂けませんか? 『霊の鍵』を使用するためには、それ相応の供が必要なので」

「もちろんあげるわよ。……ああ、でも條件を満たしているかはわからないわよね?」

「もちろん、頂く前に本人に確認は取りますよ。萬が一間違ってしまっては目も當てられないですからね」

基本的に、何かの供というのは、渉を行っていない子どもの心臓でなければならない。

まして『霊の鍵』のような贄を求める霊ともなると、相応の家柄の供でなければ、逆に使用者の命が危うい。

「『霊の鍵』が要求する供はいくつなのかしら?」

「三種以上の王族のものを合わせて、最低でも百の心臓が必要ですね」

「あら、意外とないわね」

世界の扉を開く、という強大な力を有している割には、良心的な霊と言えるだろう。

それから、エーデルワイスはカミーユとしばらく話をした。

だが、やがてカミーユが何かを思い出したような表を浮かべて、席を立った。

「それでは、ワタシはそろそろお暇させていただきます。々とやることも溜まっているので」

「あら、もう行っちゃうの? 寂しいわね……」

エーデルワイスにとって、気兼ねなく同じ立場から語り合える友人は貴重なものである。

カミーユは、數ないそのの一人だ。

そして、アリスもそのの一人だった。

「寂しいから、適當にその辺の男でも食べようかしら」

「……あなたこそ、その無差別に男を食い散らかす癖、なんとかならないのですか?」

「無差別にじゃないわ。ちゃんと相手は選んでるもの」

エーデルワイスは、しっかりと相手の顔と能力を選んで行為に及んでいる。

そして、エーデルワイスと行為に及んだ者は、皆等しく夢のようなひとときを過ごすことができるのだ。

「わたくしとの子孫を後世にせることが、どれだけ名譽なことなのか、あなたにはわからないのかもしれないけど……」

「そうですね。なくとも、ただ一人、この世界で彼だけをし、彼だけにされているワタシには理解できない考え方です」

そう言い殘して、カミーユは行ってしまった。

「あらあら。つれないわね」

一人食堂に殘されたエーデルワイスは、瞳を閉じた。

浮かんでくるのは、かつての親友の姿。

と臓腑に塗れさせながらも、ただ延々と殺戮を繰り返していた、『終焉の魔』――その在りし日の姿に、心の底から懐かしさがこみ上げてくる。

「――『私は世界のすべてが憎い』、か」

それは、かつてアリスが事あるごとに口にしていた言葉だ。

その言葉の一つ一つに、これ以上ないほどの憎しみを込めていた、舊友の口癖。

再會の予がする。

きっとこの道の先に、変わってしまった舊友の姿がある。

それを元のあるべき姿に戻すのもまた、親友としての務めなのだと、彼は自に言い聞かせた。

「ああ、あなたに會える日が今から待ち遠しいわ、アリス」

そう言って、エーデルワイス・エノレコート――『』の魔師が微笑む。

運命の歯車は、再び回り始めた。

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