《》第42話 クルト・ディムール
「――いかがなさいましたか、クルト様?」
「はっ」
周りを見回すと、多くの者が怪訝そうな表を浮かべていた。
どうやら、會議中に居眠りをしてしまっていたようだ。
「申し訳ありません。會議中に居眠りなど……」
「クルト様は長旅でお疲れでしょう。誰もそのことを咎めたりいたしませんわ」
そう言って、ウルスラさんがコロコロと笑う。
それだけで、會議室の中は再び溫和な空気に包まれた。
ウルスラ・エノレコート――このエノレコート王國の王族である彼は、度々ディムール王國へと特使として派遣されていた人だ。
寶石のような金の瞳に、をけてキラキラと輝く銀髪。
そのき通るような白いは、神聖なものをじさせる。
彼の背中からびる純白の羽も見事の一言で、ウルスラという完したをさらに際立たせている。
場所が場所であれば、天使と見間違うであろうその姿に、僕は心を奪われてしまっていた。
まあ、がとても大きいのも理由の一つだが。
「とにかくこれで、ディムール王國とエノレコート王國の間の不可侵條約は締結されました。まずは一安心、といったところですな」
「ええ、そうですね」
大臣の言葉に同意する。
ウルスラさんは外としても非常に優秀で、滯在してから僅か一日で不可侵條約を締結させてしまった。
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もちろん他にもやるべきことはあるのだが、最重要の課題が早速片付いてしまったディムール側の面々は、し気を抜いているように見える。
必然的に、ちょっとした雑談が目立つようになった。
「そういえば、クルト様はご結婚されているのですか?」
「いや、殘念なことに相手がいなくてですね……まだ獨です」
実際には婚約者候補には事欠かないのが事実なのだが、僕はまだ結婚するのは早いと思っていた。
しかし、ウルスラさんは僕のそんな心を知ってか知らずか、
「……それなら、わたくしが立候補してみようかしら」
「えっ?」
それはまさに、僕にとっては予想だにしていなかった提案だった。
「クルト様は素敵な男ですし、わたくしのようななど、相手にはしてくださらないかしら……?」
「そ、そんなことないです! ウルスラ様はとてもお綺麗ですし、僕のほうこそ……!」
「……ありがとうございます。クルト様」
僕がそうまくし立てると、ウルスラさんは微笑んだ。
理屈なしに守りたいと、男にそう思わせる魔の笑み。
「おめでとうございます、クルト様!」
「実にめでたい。これでディムール王家も安泰というものですな」
大臣たちが、口々にそんな言葉をらしている。
……この結婚が、エノレコートとディムールの関係を改善するための政略結婚なのだということくらい、僕にもわかっている。
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ウルスラさんが、心の底から僕に惹かれているわけではないことぐらい、わかっている。
「こちらこそ、よろしくお願いしますね。ウルスラ様」
だから、僕がウルスラさんを幸せにしよう。
ウルスラさんに、僕と結婚したのが間違いだったと思わないような、素敵な人生を送ってもらうこと。
それが僕の示せる、一杯の誠意に思えた。
「クルト様は、経験はおありになるの?」
「いや、ないですよそんなの」
僕は生まれてこの方、とお付き合いしたこともなければ、関係を持ったこともない。
生粋の貞だ。
「――よかった」
ウルスラさんのその安堵が表すものがなんなのか、僕にはよくわからなかった。
自分が初めてだから、相手も初めてであってほしいという、お姫様のささやかな願なのだろうか。
「――エーデルワイス。そろそろ茶番は終わりにしましょう」
どこからか、聲が聞こえた。
この場にはひどく不釣り合いな、欺瞞と悪意に満ちた聲が。
「……茶番を楽しめないは、嫌われるわよ?」
その聲に対して、ウルスラさんが呆れた顔で聲を返す。
彼の様子はまるで、長年連れ添った友人に話しかけるような、ある種の親しみに満ちたものだった。
「ワタシをしてくれている彼は、そんなことでワタシのことを嫌いになったりはしません」
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「ああ、そう……」
意味がわからない。
「この不快な聲はなんだ? 事を知っておられるのなら、ウルスラ様にはそれを説明する義務があるはずだが」
謎の聲と、突然態度を豹変させたウルスラさんに、大臣たちも困している。
中には、説明を求める聲を上げる者もいた。
「ウルスラ、様……?」
エーデルワイスというのは誰だ?
彼の名前は、ウルスラではないのか。
「カミーユ。外野がうるさいから、クルト様以外の方々はいただいてしまって構わないわ」
「わかりました。それではお言葉に甘えて」
次の瞬間、エノレコートの大臣たちのが膨れあがる。
のが弾け飛び、臓腑とと腐臭を垂れ流しながら、側から大量の赤黒い手が現れた。
「な、なんだ!? うわぁぁああああああ!!」
困した表を浮かべていた男が、四肢を手に摑まれ、好き放題に弄ばれる。
説明を求めた男は口へ手の侵を許し、そのままの中をまさぐられて破裂した。
「頭は置いておきますね。ディムールに送り返さないといけませんし」
「それもそうね。そうしてちょうだい」
ウルスラと謎の聲が會話をしている間に、他の者たちも次々と手に躙されていく。
老若男など微塵も関係がないとでも言うかのように、手たちは僕とウルスラさん以外の人間たちを全て躙し盡くした。
そこに至ってようやく、ウルスラさんが呼んだその名前には、聞き覚えがあることを思い出す。
「カミーユ……っ!」
それは、父上から最も注意するように言われていた人間の名前だ。
七つの大罪のうち『憤怒』を名乗るその魔師は、僕の大事なクレアを連れ去ろうとしていた人にほかならない。
「ありがとう、カミーユ。そこの、臭いから全部食べておいてくれないかしら?」
「わかりました」
どこからともなくそんな聲が聞こえたかと思うと、手たちは床にばら蒔かれている死を咀嚼し始めた。
をすすり、と骨と臓腑を噛みちぎる、この世のものとは思えないような音が辺りに響く。
思わず目を覆いたくなるような凄慘な景だ。
「さて」
そんな中、ウルスラさんだけが正常だった。
腰が抜けて立てなくなっている僕を視界にれながら、ウルスラさんは何事もなかったかのように呟く。
「邪魔も片付いたことだし、早めに終わらせちゃいましょうか」
「君は……君は自分が何をしているのかわかっているのか?」
いや、そもそも、これは本當に目の前にいるが引き起こした事態なのだろうか。
あの『憤怒』に指示を出せる人間というだけで、あまりにも逸してしまっている人間なのだということは、おぼろげながらわかるが……。
このは、一何者なんだ。
「なんのために、こんな酷いことを……」
「もちろん、ディムールと戦爭を始めるために決まってるじゃない」
ウルスラさんは、何を當たり前のことを、とでも言うような表を浮かべている。
「戦爭だって……? そんなことをして何になる!? また歴史の悲劇が繰り返されるだけじゃないか!」
「実際に歴史を見てもいない小僧が、歴史を語らないでちょうだい。それに、悲劇が繰り返されることのどこに問題があるっていうの?」
「は――ぁ?」
意味がわからない。
さっきまで、この生涯をかけて幸せにしてやろうと思っていたが、今は得の知れない化としか思えない。
「悲劇も、怒りも、絶も、みんなみんな、わたくしたちがしてやまないものだわ。それを否定する権利なんて、あなたにはないはずだけれど」
「だったら僕たちにも、その悲劇と怒りと絶をじるのを拒絶する権利があるだろう!」
「そんなものないわよ。そもそも、例えそれが苦しみであれ、恐怖であれ、悲しみであれ、このわたくしに何かを與えられるということ自が、あなたたち凡人にとってはに余る幸運なのだということを理解したほうがいいと思うわ」
し不満そうな顔をしながら、ウルスラはオレにそう語る。
……ダメだ。
こいつは頭がおかしい。
とても僕が説得できる相手とは思えない。
僕はこのまま殺されてしまうのだろうか。
ついさっきまで隣で僕の結婚を祝福してくれた大臣たちのように、およそ人間としての尊厳を失ったを、この王城に曬すのだろうか。
何もできないまま、何も殘せないまま。
「……あ」
そうだ。
僕にも、まだやれることがあった。
ラル君が僕にくれた腕。
これは、遠くにいても頭の中で會話ができるという優れものらしい。
カミーユだけではない。
このウルスラというも、『憤怒』と同等の立場で話している以上、普通ではない。
僕は、最後の希を抱いて、ラル君に意識を繋いだ。
聞こえるか、ラルく――。
「ん? なにそれ?」
次の瞬間、僕の右腕が元から取れていた。
「は?」
今、目の前にウルスラが立っている。
僕の腕を千切り、それにはめられている腕を興味深そうに眺めていた。
遅れてやってきたのは、この世のものとは思えぬ強烈な痛み。
「ぁぁあああぁああああぁああ!!」
痛い。
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。
まるで焼きごてを當てられたかのように熱い痛いあるはずのものがない強烈な喪失が圧倒的な痛みによって増幅される痛い痛い痛いこののどこにそんなにがっていたんだと思わせるほどの痛い出量痛い痛い痛い痛い。
「あらいけない。わたくしったら、またやってしまったわ。早く抜き取ってあげないと……」
ウルスラは慌ててこちらに近づき、僕の心臓の辺りに手を置いた。
その人のらかさに鼓を高鳴らせる余裕すらなく、僕はただ右腕の付けの痛みに悲鳴を上げ続ける。
「――――――っあぁ!」
何かく冷たいものが、心臓を突き破ったような強烈な痛みと不快があった。
そして、
「――『あなたがむ結末を』」
ウルスラのその言葉と同時に、僕の意識はブラックアウトした。
「――っ!!」
急速に意識が戻ってくる。
僕はベッドから飛び起きた。
「……どこだ、ここ?」
いや、わかる。
ここは教會だ。
ベッドだと思っていたのは、教會の椅子を何個も使って作られた、即席のベッドだった。
記憶がはっきりしない。
僕はどうなったんだ?
たしかエノレコート王國に行って、不可侵條約を締結したときに、ウルスラとの結婚の話が出て――、
「あらあら。いったいどうしたんですか、あなた?」
「っ!? ウル、スラ……?」
すぐ隣に、ウルスラがいた。
僕がし不安定な狀態なのを察しているのか、そのまなざしは慈に満ちており、見られた者全てを安心させるような、
不思議な力があった。
その穏やかな瞳に見つめられて、ようやく僕も平常心が戻ってくる。
そうだ。
あのあと僕とウルスラは結婚して、ディムールへと戻ったんだ。
不可侵條約のおかげでエノレコートとの関係は改善されて、今のところ戦爭なんて起こる気配は全くない。
とても平和な世の中だ。
「僕は……」
ウルスラはちょっと困った顔をして、
「まだ寢ぼけているんですか、あなた? もう、しっかりしてください。今日は、クレアちゃんの結婚式なんですから」
「ん? ……ああ、そうか」
……ああ、思い出した。
今日は、ラル君とクレアの結婚式だ。
クレアが結婚すると聞いたときは、相手がラル君とはいってもなんだかんだで難を示したものだが、今は不思議と穏やかな気持ちだ。
娘の結婚式を見る父親というのは、こういう心境なのかもしれない。
「ほら、あなた。みなさんが呼んでいるみたいですよ?」
「ああ、ありがとうウルスラ。行ってくるよ」
教會のり口のほうに、見知った顔が集まっているのが見えた。
「クレア! 久しぶりだね!」
「なに言ってるのクルト兄さん。つい昨日も會ったじゃない」
「あれ? そうだったっけ?」
「もう、忘れちゃったの? しっかりしてよ兄さん」
ウェディングドレス姿のクレアが、クスクスと笑った。
でも、いつの間にかとても大きくなったような気がする。
今のクレアは、なんだかいつもより輝いて見える。
「うん。とっても綺麗だよ、クレア」
「ふふ、ありがとう、クルト兄さん」
心の底からそう思った。
「クルトさん」
「……ラル君」
タキシード姿のラル君は、男である僕ですらため息をらしてしまいそうになるほど様になっていた。
銀髪翠眼の優しそうな顔立ちだが、僕は彼がそんなな男ではないと知っている。
「クレアのことを、頼んだよ」
「ええ、任せてください。クレアのことは、僕が必ず守りますから」
ああ、ラル君。
君がいれば、クレアは安心だ。そう思える。
たとえ、どんなことがあっても守り通してくれよ。クレアのことを。
「ロード君も、來てくれたんだね」
「クレア様には、一人の友人としてとてもお世話になりましたからね。まあ、その結婚相手がラル君というのも予想はしていたのですが、本當にそうなるなんて」
ロード君もタキシード姿で、ラル君の隣に並んでいる。
ラル君と並んでいたら、どちらがクレアの嫁なのかわからなくなりそうになるな……。
「それに、アミラ様まで……」
「教え子たちの晴れ舞臺じゃ。當然じゃろう?」
アミラ様は、漆黒のドレスを羽織っている。
いつも通りの服裝だ。
そのほかにも、ラル君のところのお父さんとお母さん、それにメイドのミーシャさんやカタリナちゃん、クレアの護衛のダリアさん。
王家からは、父上や兄さんたちが來客として來ていた。
クレアとラル君の結婚式なら他の貴族たちも來ていそうなものだが、今日の結婚式はだけで行うもののようだ。
「……っ、と」
急に、立ちくらみがした。
そのまま、僕は床に座り込んでしまう。
「クルト兄さん!? 大丈夫?」
「なに、ちょっと疲れてるだけさ。問題ないよ」
「きっとの疲れが今頃になってでてきたんですよ。無理しないで、式が始まるまで橫になっていてください」
「ああ、悪いけどそうさせてもらうよ」
心配そうな表のラル君の提案に素直に従って、眠っていた場所に戻ってきた。
「おかえりなさい。ちゃんと挨拶できましたか?」
「子供じゃあるまいし、それぐらいできるさ」
苦笑しながらも、僕はウルスラの隣に腰掛ける。
「式が始まる時間になったら起こしてあげますから、今はゆっくり寢ていてくださいな」
「うん。そうさせてもらうよ」
僕がそう言うと、ウルスラは僕が寢ていたところへと座った。
ちょうど、頭がウルスラの膝にくる位置だ。
「膝枕してくれるのかい?」
「教會のい椅子より、わたくしの太もものほうがあなたも喜ぶかと思いまして」
「嬉しいな。じゃあありがたく」
僕は寢転がって、ウルスラの太ももの上に頭を置いた。
「気持ちいいですか?」
「うん。とっても」
暖かく、弾力のあるがものすごく心地よい。
大きな房の影に隠れて、僕の頭をおしげにでているウルスラの顔が見える。
僕はちょっといたずらしたくなって、その大きな房を下から軽くつついてみた。
「ひゃっ!?」
「あ、ごめん。びっくりさせちゃった?」
「もう……おっぱいをるのは帰ってからにしてください」
「はいはい」
ウルスラに怒られてしまったので、大人しく眠ることにした。
「クルト様」
「……? どうした、ウルス――っ」
しを引いたウルスラが、僕のを塞いでいた。
れるだけのキスだったが、僕の心は暖かいもので満たされていく。
「ウルスラ……」
「……これで、安心して眠れますか?」
顔を真っ赤にしながらも、そんな軽口を叩いてくるウルスラ。
そんな彼のことがおしくて、
「ウルスラ。してるよ」
「っ! わ、わたくしも、クルト様のことをしております」
「……そう、か」
その言葉を聞いた瞬間、僕の意識は急速に遠のいていく。
視界が途切れ、覚がおぼろげになっていく。
「クルト様?」
遠くのほうから、ウルスラの聲が聞こえてくる。
それに応えられないことをしもどかしく思いながらも、僕の心の中は穏やかだった。
なにも心配することはない。
明日も、明後日も、一年後も、十年後も、未來はずっと続いていくのだから。
だから、今は眠ろう。
明日は、今日よりもっといい日であることを願って。
「……おやすみ、――」
――――。
――――――――。
――――――――――――――――――――。
「――彼は、いい夢を見られたかしら」
「……あなたにしては優しいですね、エーデルワイス。どういう心境からの行なんです?」
既に事切れたクルトの死を見下ろしながら、エーデルワイスとカミーユは、それぞれの言葉を発した。
エーデルワイスがクルトに放ったのは、『あなたがむ結末を』。
対象となった者が最もむものを、その人間に見せるという『』の固有魔だ。
カミーユは、エーデルワイスがこの魔を使うのをほとんど見たことがない。
ゆえに、今回の彼の行にしばかり疑問を持ったのだ。
「ちょっと、ね」
エーデルワイスの中には、僅かな後悔の念があった。
せめて死ぬ前に一度、彼に子種を注がれておけばよかったという、そんなささやかな後悔が。
クルトの心臓を『霊の鍵』の供にする以上、それは葉わぬ夢でしかなかったのだけれど。
「カミーユは、クルトさんが最後に見た景を知っているの?」
「もちろん見ていますよ。送りましょうか?」
「……いえ、遠慮しておくわ。その思い出は、彼だけのものだから」
人間のというものはあまりにも淺ましい。
クルトが最後に見た景も、どうせカミーユの口からは語るのもはばかられるような容に違いない。
行為の相手がエーデルワイスだったのか、クレアちゃんだったのかはしばかり気になるところだったが、それだけだ。
エーデルワイスは、目の前で事切れているクルトの首を、手刀で掻き切った。
らかな斷面から大量のが溢れ出し、エーデルワイスのと床を汚していく。
「――さようなら、クルトさん。もしまた來世で會うことがあったら、今度はきっと、を許してあげる」
エーデルワイスは、そので濡れたに口づけした。
軽くれるだけの、優しいキス。
こんな口づけをしたのなんて、いつぶりだろうか。
エーデルワイスはそんなことを思い、し笑った。
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