ゆっくりと、が泥の奧底に沈んでいくような、そんな覚。

その中で、オレの心は妙に落ち著いていた。

そうだ。

オレはエーデルワイスに完なきまでに叩きのめされて、『リロード』を奪われた挙句、空中から落下したのだ。

タフネスが大幅に上がる『防力大幅上昇』まで奪われていたのか、たしかに全が砕けるような激痛に襲われたのを、おぼろげながら覚えている。

……オレは、どうなったのだろう。

死んだのか？

だとしたら、

「ここ、は……？」

死後の世界、なのだろうか。

意識を取り戻し、立ち上がったオレの目に飛び込んできたのは、奇妙な景だった。

まるで砂丘のように、延々と砂の山が続いている。

すくい上げると、きめ細やかな砂がサラサラと手のひらからこぼれ落ちていった。

上を見上げると、満點の星空が広がっている。

思わず、嘆の吐息をらしてしまった。

地球ではもちろん、異世界でもそうそうお目にかかれないほど見事な星空だ。

そして、砂山の遙か向こうには、

「星が、埋まってる……」

地球が、半分ほど砂に埋もれている。

すぐそこに見えているはずなのに、そこまでの距離は途方もないものであることを実させた。

本當に、よくわからない場所だ。

宇宙空間に、延々と砂丘が続いているような景、と言えばわかりやすいだろうか。

なんだか、無にもの悲しくなる。

手が屆きそうなのに、どう足掻いても屆かないという事実が、オレの心に突き刺さって――、

「そこに、行きたいの？」

「――っ！？」

いつの間に現れたのか。

聲のしたほうを振り向くと、一人のがいた。

しかし、オレが驚いたのはそれだけが原因ではない。

オレは、そのに見覚えがあった。

だが、彼の名前がどうしても思い出せない。

「……どちらさまですか？」

まあ、こんなところに現れるだ。

そんな得の知れない存在に、あまりいい印象は抱かなかった。

「――！」

萬が一の場合に備え、周りの霊たちを集めようとして、気がつく。

この空間には、霊たちが全く存在しないことに。

亜空間を開こうとしても、使える気配がない。

どうやら、魔や霊はここでは使えないようだ。

「大丈夫だよ。私はきみに何もしないから」

しかし、には戦意がない。

それどころか、何か特別な力があるようにも見えない。

……それがわかってもなお、オレは戸いを隠せなかった。

「きみには、わたしがどう見える？」

「どう見えるって……」

意味のよくわからない質問だった。

は、セーラー服のようなものをに著けていた。

肩の辺りまでびた髪は黒で、瞳は薄い茶。

年齢は高校生くらいで、人というよりは可い系の、のある顔立ちだ。

というか、どう見ても日本人だった。

「日本人、ということはないですよね？」

「まあ、日本人かと聞かれたら日本人でもある、と答えるしかないんだけどね」

肩を竦めながら、がそう答える。

彼の質問の意図もわからなければ、オレのした質問の返答も、人を馬鹿にするようなふざけたものだ。

文句の言葉をの奧に飲み込み、オレはの問いに答えた。

「セーラー服の、の子に見えるけど……違うのか？」

「なるほど。で、この場所はどこに見える？」

は興味深そうに頷くと、さらにそんな質問をしてきた。

何なんだ、一。

「宇宙みたいな空間に、延々と砂丘が続いている……みたいなじか？　よくわかんねぇ」

「うふふ。そっか」

何が可笑しかったのか、はクスクスと笑う。

でも、それは人を馬鹿にしたような笑い方ではなく、どこか溫かみのあるものだった。

そんなの笑顔を見て、オレも口元を緩めてしまいそうになる。

――それは、看過できない違和だった。

頭ではのことを警戒しているのに、心の奧底では彼のことを好いてしまっているという、思考と心の間にある、あまりにも大きな歪み。

それが気持ち悪くてたまらないのに、それでも彼に、心のどこかでは好意的に接している。

「■■くん――ああ、いや、今はラルくんだったね。おーけー。大丈夫。この彼が誰かもわかった。協力ありがとうね」

「は、はあ……？　どういたしまして？」

ますます意味不明な言葉を浴びせられ、オレは反応に困ってしまう。

このは、やはり電波なのだろうか。

そして、どうしてオレの名前を知っているのだろうか。

ここまで會話がり立っているようでり立っていない気がする相手と対話するのは、初めてかもしれない。

黒髪のは、地面に座って夜空を見上げている。

その表に思わず見とれていると、彼の口が再びゆっくりと開いた。

「ここはね、分岐點なの」

「……分岐點？」

「そう。きみのいる世界の未來が変わる分岐點。そこに今、きみは立たされてるんだよ。的に言うと、きみがエーデルワイスに殺されたところで、だね」

「――っ！！」

鮮烈に思い出される、耐えがたいほどの激痛。

やはり、オレは死んだのだ。

だとするならば、

「やっぱり、ここは死後の世界……なのか？」

「全然違うよ。詳しくは言えないけど、とりあえず死後の世界じゃないことだけは保証する。というよりも、厳に言えば、きみはまだ死んでいないんだよ」

ん？

あれ？

「オレは、エーデルワイスに殺されたんじゃないのか？」

「殺されたのと死ぬのとはまた別だよ。きみは今、生きているわけでも死んでいるわけでもない。まあ、わからないならわからないでいいんだけど」

「は、はぁ……」

よくわからないが、オレはまだ死んだわけではないらしい。

「じゃあ、まだオレはあの世界で生きられるのか？」

あの世界は、あまりにもやり殘したことが多すぎる。

オレのことを一人のの子として好いてくれているキアラやカタリナ。

それに、友人や家族としてオレのことを大切に思ってくれている人達がいる。

フレイズ、ヘレナ、エリシア、ミーシャ、クレア、ロード、アミラ様。

みんなの顔が、脳裏を過ぎった。

「それはきみの選択次第だね。このまま死ぬことをむなら、きみは死ぬことを選ぶことができる。でも、もしそれをまないなら、きみは死を避けるのを選ぶことができる。――『運命歪曲』の力を使えばね」

「『運命歪曲』って……」

それは、オレの能力一覧に存在しながらも、その効果や習得方法が一切不明だった代だ。

「オレは、『運命歪曲』を使えるようになったのか？」

「そうだね」

あっさりと、は頷く。

「それなら教えてくれ。『運命歪曲』っていうのは、どんな能力なんだ？」

『運命歪曲』が使えるようになった、と言われても、どういう能力なのかわからなければ、使いようがない。

このの言葉を鵜呑みにするのは危険だが、話を聞くぐらいはいいだろう。

「文字通り、運命をねじ曲げる能力だよ。そうなるはずだったものを、そうなるはずじゃなかった方向へと持っていく能力……と言えば、理解できるかな？」

「……まあ、しは」

いまいちよくわからない説明だったが、死ぬはずだった命を、この世につなぎとめることくらいはできそうだ。

それに、もしかしたら、

「その『運命歪曲』の力を使えば、エーデルワイスを倒すことができるのか？」

そう。

『運命歪曲』の力を使えば、あのエーデルワイスを倒すことすらできるのではないかと、そう思ったのだ。

「きみは運命というものをし勘違いしているみたいだね。多運命を変えたところで、圧倒的な戦力差は覆らないよ。はっきり言って、きみとエーデルワイスの間には、天と地ほどの力の差がある。『大罪』というのは、ゲームで例えるならバグみたいなものなんだよ。まず、正面からやり合おうとするほうが間違ってるの」

だが、そううまく話は運ばないらしい。

の口から語られたのは、『大罪』に真っ向から挑むことの無謀さだった。

「……じゃあ、『大罪』の魔師に勝つにはどうすればいいんだ？」

「簡単なことだよ。バグにはバグをぶつければいい」

あっけらかんと、はそう言った。

「バグには、バグ……？　どういうことだ？」

「『大罪』には『大罪』を、ってこと。というかきみ、しは自分で考えなよ。だいたい、能力にばかり頼ってるからきみはエーデルワイスに殺されたんでしょ？」

「っ！！」

……そうだ。

オレは、自分の力に酔っていたんだ。

自分より才能がある奴なんていない。

誰も、自分には敵わない。

ずっとそう信じて、今まではその通りだった。

でも、それだけじゃダメなんだ。

土壇場で、オレはエーデルワイスから逃げてしまった。

それはあまりにも慘めで、けない姿だった。

だけじゃなくて、心も強くならなければならない。

そして、そんな弱いオレの心を強くしてくれるのは――、

「――きみは、どうしたいの？」

「え？」

の目が、オレの目をとらえた。

「誰しもが、心の中にを持っている。きみのは、なんなのかな？」

さっきまでの、呆れたような聲ではない。

はこちらを優しげに見つめ、オレが何らかの答えを返すのを待っている。

「……オレは、護りたい」

オレがする人たちを、護りたい。

オレのことを大切に思ってくれている人たちを、護りたい。

「でも、それだけじゃダメだ。オレは、もっとみんなを信じなきゃいけなかったんだ」

みんなのことを、無意識のうちに下に見ていた。

自分は霊師で、霊級の魔を扱えて、能力も大量に持っているからと言って、みんなのことを軽く見ていた。

そんな自分自の反吐が出る人間から目を背けていたから、今回のような結果が生まれたのだ。

「だから今度こそ、オレはみんなと力をあわせて、この世界に與えられた能力を使いこなして、オレの大切な人たちを絶対に護ってみせる」

オレが愚かで弱いのは、今すぐにどうにかなるものではない。

だから、みんなの力を、みんなの勇気をしずつ借りて、オレはみんなを護る。

そう決めた。

「……うん。いい顔になったね。ラルくん」

今、初めてこのに名前を呼ばれた気がする。

なぜだかわからないが、それだけのことが無に嬉しかった。

「さあ、そろそろ行ってきなよ。どうやら、きみのことをしてくれている人が、起こしに來てくれたみたいだし」

地面に座り込んだが、空を見上げながらそう言った。

オレのことをしてくれている人？

一誰だろうか。

まさか、エーデルワイスじゃないだろうな。

そして、ふと気がついた。

オレはまだ、彼に一番肝心なことを聞いていない。

「……結局、何者なんだ。アンタは」

「私は、誰でもあって、誰でもない。今は多分、きみが心の底で一番求めている人の姿になっているはずだよ。この格好も、この聲も、この心でさえも、ね」

「オレが心の底で一番求めている人の姿……？」

そんなはずはない。

たしかに、オレはこのに見覚えがある。

けれど、名前すらも思い出せないを、オレの本心が求めているわけがない。

……なのに、どうしてなのだろう。

このを見ていると、心の底から抑えきれないほどの深いが沸き上がってくるのが、わかってしまう。

頭が、心が、記憶が否定しているのに、オレの魂が、目の前にいるを見てたしかに震えている。

「……君は、一誰なんだ」

「それは教えられない。私はきみの知るべきことと、きみが知っていることしか教えられないからね」

そう語るは、オレの顔を見て、し寂しげに微笑む。

「ちゃんとこの子を救ってあげるんだよ。――それが、きみがあの世界に再び生をけた理由なんだから」

「は？　おい、それどういう意味――」

オレの言葉が最後まで続くことはなかった。

「――っ！？」

足元が崩れ、オレのは莫大な量の砂と共に、常闇の中へと落ちていく。

の姿は、遙か彼方へと消えて。

そのまま、オレの意識は途絶えた。