翌朝、人生で最高の目覚めを迎えた僕は、爽やかな気分のまま顔を洗面所で顔を洗い、清らかな心持ちで食堂へと向かった。

いつもなら朝食を求める年でごった返すそこには、今日に限って誰も居なかった。

調理のおばちゃんも、いつもなら數人居るのに1人しか姿が見えない。

「おはようございます、クトゥーラさん」

「あんた……確か、シロツメちゃんだったよね」

食堂のおばちゃんはどうやら全員の名前を覚えてくれてるみたいだ。

伊達に騎士団の宿舎で働いてないってことか。

「良かったのかい、様子を見に行かなくても」

「何かあったんですか？」

「あんたの仲間が帝國からの使者を殺したって大騒ぎになってるのさ！」

「へえ、そうなんですか」

「心配だろう？」

「知ってるとは思いますけど、あの人たちと僕との間にはがあるので、興味はありません。それより食事を頂いてもいいですか？」

「あ、ああ……そうかい。わかった、はいどうぞ」

「ありがとうございます」

僕はおばちゃんから朝食の載ったトレーをけ取ると、いつもは勝ち組の3人が座っているど真ん中の席に腰掛けた。

主食はレウィスと呼ばれるパンに似た料理。

フランスパンよりはしやわらかいぐらいのそれを千切って、この世界の芋をとろとろになるまで溶かし、甘辛く味付けしたキャプシアンと呼ばれるソースに浸して食べる。

元が芋なだけあって、ソースの方にもボリュームがあり、満腹も申し分ない。

気分が良いこともあって、今まで食べたことの無いほど味しい食べのようにじられた。

今日から好はなんですか？　って聞かれたら、レウィスとキャプシアンって答えるようにしよう。

ゆっくりと食事を楽しみ、食を載せたトレーをおばちゃんに渡すと、僕は玄関へと向かった。

案の定、みんなはそこに集合していて、グループごとに別れて深刻な顔でざわつきながら外を見ている。

隨分と時間も経ったし、もう”彼”は連行されたあとかな。

僕は狀況を把握しようと、一番近くに居た彩花に話しかけた。

「おはよう彩花、何かあったの？」

「え？　あ……お、おはよう」

彩花は妙に驚いた様子で――ああそっか、この間の一件から一度も口きいてなかったんだっけ。

うかつだったな、気分が良すぎて忘れてたよ。

でもいっか、話しかけてしまったものは仕方ない。

「榮倉えいくらさんがアイヴィさんに連れて行かれて、帝國から王都に向かってた使者を……その、殺害した、とかで」

今朝になってそれが騒ぎになってるってことは、昨日は部屋に戻ってそのまま朝を迎えたってことか。

神経が図太いのやら、はたまた悪い夢だと思いたかったのやら。

おおかた、朝になってアイヴィに事の詳細を話したら、死んでたのが帝國の使者だということが判明、大騒ぎになったって所だろう。

真相を知った榮倉は今頃顔面蒼白で、自分がやらかした事に気づいてる頃かな。

はたまた、手紙を出した相手を恨んでいるのか。

その場合、恨まれるのは赤羽ってのが面白いところ。

「なんで、そんなことしちゃったんだろ……」

ふさぎ込む彩花を見ていると、が痛む。

を痛めるのに、今の僕のなんて関係ない。

馴染として過ごしてきた15年間の記憶はとっくにに染み付いていて、今さら彩花を信用できなくなった所で、そう簡単に消えるものではないから。

こらえ切れなくなった僕は、つい昔の癖で彼の頭に手を乗せてしまった。

小さい頃はよく、泣き蟲の彩花をこうしてめたものだ。

だからと言って、微妙な関係になってしまった今、そうする必要は無いはずなんだけど……思わず、反的にね。

當然、彩花は僕を見て驚いている。

クラスメイトたちの視線も痛い。

けど、まあ、乗せてしまったは仕方ないから、そのままでることにした。

「あ……」

すると、彩花はぼろぼろと涙を零しはじめる。

嫌がってる……って様子でもないな。

そしてそのまま、僕のに飛び込んで抱きついた。

今度は僕が驚かされる番だ。

この前は手と手がれ合うことすら拒まれたのに、今日は抱きしめるのもオーケーって、どこに境界線があるのか僕にはさっぱりわからない。

に顔を埋めてを震わす姿は、昔の彩花とほとんど変わりない。

こんな彼が、水木先生と関係を持っていると思うだけで死にたくなってくる。

あんな奴とで抱き合って、粘をれ合わせてるだなんて、信じたくはない。

僕の人生において、信頼に値すると思える人はたった2人しか居なかった。

彩花と、姉だ。

その彩花が信用できないんじゃ……僕は一、誰を信じて生きていけばいいんだろう。

そんな事を考えながらも、僕の手は自然と彼の背中にびて、あやすようにポンポンと優しくでていた。

そういうきが、に染み付いていたから。

「ごめんね、ごめん、岬くん……っ」

……どうして、彼は僕に謝るんだろう。

何を僕に謝ってるんだろう。

まさか、先生とそういう関係になったことを？

そもそも僕は彩花の人でも何でもないのに、なんでそんなことを謝られなくちゃならないんだ。

僕が彩花に惚れてるとでも思ってたとか？

自惚れないでしい、一度だってそんなことを言ったことは無いはずだ。

今の僕と彼に、馴染以上の関係はない。

しかも、中學の時までなら”親しい”馴染だったかもしれないけど、今は彩花の裏切りでほぼ他人同然じゃないか。

僕が思わず彼の頭をでてしまったのも、ただ単に赤羽グループの連中が死んで気分が良かったからであって――

ああ、だったら、この気持ち一何なんだろう。

僕が彼に抱く、明らかに他とは違う、不快な異形のそいつは。

なんかじゃない。

けれど、彩花を抱きしめる腕には自然と力がって。

”逃しちゃいけない”と、ただの馴染のくせに獨占みたいなどす黒いが顔を見せる。

あれだけ裏切られておいて、まだ信じるのか。

『気持ち悪い』と彼の口から告げられた日のことは、一生忘れられない。

この傷は、一生癒えることはない。

本當は、こんな僕の事を水木先生と一緒に『単純な男だ』とあざ笑っているかもしれないのに。

水木先生や磯干、広瀬と共謀して僕を陥れようとしているかもしれないのに。

それでも僕は……悪意の存在を、信じたくないと思っているんだ。

僕はどうしようもないやつだ。

そうやって期待するから傷つくのに、無いねだりをするから苦しむのに。

あれだけ痛い目を見ておいて、どうして學ばないかな。

◇◇◇

榮倉がアイヴィに連行されてしばらくして、徐々に玄関からは人が減り始めた。

やがて全員が自室に戻った頃、本日の訓練の中止という連絡が回ってくる。

つまり、休日ということ。

降って湧いた突然の休みに、気分転換だと王都に繰り出す者も居れば、そんな気分にはなれないと部屋に引きこもる者も居た。

自主訓練をするために訓練所に向かった人もいるみたいだ。

僕は彩花のことで、もやっとする気持ちを抱えたままを探していた。

赤羽百合。

今回の本命のターゲットだ。

彼の取り巻きを排除したのは、ただの前座に過ぎない。

桂と広瀬と赤羽。

この3人はクラスで一番の勝ち組であり、リーダーだった。

僕へのいじめが激化した要因の一つとして、広瀬が僕に暴力を振るい始めたことがあげられる。

そのせいで、”白詰には何をしても許される”という空気が生まれてしまった。

赤羽は、そんな広瀬の馴染だった。

彼は僕に遠巻きに罵聲を浴びせることはあっても、直接いじめに參加することは無い。

だから、僕は彼のことをさほど恨んではいない。

ならばなぜ赤羽を優先的にターゲットにしたのかと言えば――それは広瀬に復讐するための踏み臺にするためだ。

仲のいい馴染を利用される痛みは、僕が一番よく知っているから。

同じ痛みを広瀬に味あわせたいと思った。

赤羽を探して訓練所まで足をばしたものの、そこに居たのは桂と広瀬だけ。

自分の取り巻きが死に、罪を犯し、連行され、彼は相當落ち込んでいるはず。

僕が広瀬の立場なら、今ごろ赤羽をめているだろう。

そう考えてここに來たのだけれど――どうやら僕が考えているより、赤羽と広瀬の関係は乾いてるみたいだ。

あてが外れてしまった。

傷心の赤羽が王都をほっつき歩いてるとも思えないし、訓練所に居ないとなると宿舎のどこかに居るってことか。

そう考えて彼を探してみるけれど、くまなく探してもどこにも居やしない。

殘るは、宿舎の3階にあるテラスだけ。

どうかここに赤羽が居ますように、と祈りながら扉を開く。

すると、赤羽はそこでフェンスにもたれながら憂鬱げな表ではためく洗濯を眺めていた。

まったく、手間かけさせてくれるなあ。

扉が開く音を聞いて、赤羽は僕の方に視線を向ける。

そして、骨に顔をしかめた。

「げ、白詰」

顔を見るなり悪意満載のリアクション、相変わらず失禮なやつだ。

けれど、その悪意にもどこか元気がない。

いつもだったらもっと棘のある言葉を聞かせてくれるはずなんだけど、やっぱ仲間が死んだダメージはでかいらしい。

「おはよう、赤羽さん」

「あんたから挨拶とかされたの、初めてなんだけど」

そういう赤羽も、僕からの挨拶なんて、いつもなら無視して終わりのはず。

反応してしまうのは、彼の心が弱っている証拠だ。

まさか――『弱った人間ほど制しやすい生きはこの世に居ねえよ』と僕をマウントポジションで毆りながら言っていた折鶴の言葉を、自分が実踐することになるなんてね。

「になって格も変わったとか？」

「変わってないよ、ただ落ち込んでた赤羽さんを見て放っておけなかっただけ」

「何それ……気持ちわる」

「あはは、さすがにそれは傷つくよ」

もちろん噓だ。

その程度の罵倒で、言われ慣れてる僕が傷つくわけもない。

けど、人間味のある部分を見せておけば、しは赤羽の警戒心を解くことが出來るかもしれないと思ったんだ。

赤羽はまんまと僕の策にはまって、表を緩めた。

「ふん、傷ついてるなら普段からもうし抵抗しなさいよ」

「本気でそう思うんなら、広瀬くんに手加減してって伝えておいてよ。どうせ僕が抵抗したって無駄なんだから」

「無理無理、団十郎は私の言葉になんて耳を貸さないから」

それは意外だ。

我の強い広瀬は、小さい頃からの馴染である赤羽の言葉だけはしぶしぶ聞いてるイメージだったんだけど。

「馴染なんだよね？」

「そうだけど、だからと言って話が通じるってわけでもないの。偉月もそうなんだけど、あの2人って割とドライな所があってさ。自分に厳しいから、それと同じぐらいの厳しさを他人にも求めてるってことなのかな」

赤羽は寂しそうに言った。

だから広瀬は、彼をめもせずに放置したのか。

「二人とも高嶺の花だからね、相手に求めるハードルが高いんだよ」

「ふふっ、高嶺の花って……それふつーの子に使う言葉じゃないの？」

赤羽は笑いながら言った。

彼への憎悪が比較的弱いおかげか、今のところは順調に會話が続いている。

他人とのコミュニケーションが苦手な自覚はあったんだけど、やればできるじゃん、僕。

「ああ、やだな……なんで私、白詰なんかと話して元気になってんだろ」

「元気が出たならよかった」

「まさか、そのつもりでここに來たわけ？」

「狀況は違うけど、追い詰められる辛さは他の誰より知ってるから。しでも力になれればと思って」

「白詰、あんた……」

にこりと優しく微笑みかけると、赤羽の瞳が潤んだ。

ほんと、弱った人間ってのはちょろいもんなんだね。

けど、うまくいっている要因が彼の心が弱っていることだけとは思えない。

ひょっとすると、僕の姿がになっているのも、彼の警戒を緩めるのに一役買っているのかもしれない。

彼は慌ててそっぽを向いて、袖で目をこする。

「ち、調子に乗んないでよ、あんたなんかに元気づけられてたまるもんかっての」

「さっきは元気づけられたって言ってたくせに」

「社辭令よ、真にけないで！　ったく、せっかく靜かな場所見つけたと思ったのに……私、部屋に戻るから！」

荒っぽく言うと、赤羽はテラスから去っていく。

しかし、このまま去るのは彼のプライドが許さなかったのか、扉の前で立ち止まって、こちらを向くこともなく一言。

「……ありがと」

ぼそりと呟いた。

小さな聲は、僕の耳にまで確かに屆いた。

そして勢い良く扉を開き、さらにそのままの勢いでバタンと閉める。

赤羽がっていった扉を見ながら、テラスに殘された僕は1人で立ち盡くした。

「ありがと、か。はは……こういうやり方も、結構楽しいな」

僕の言葉あくいは風に乗って、誰にも聞こえないまま消えていった。