《天の仙人様》第33話 名づけの親子

……名前。名前を彼に付けるということ。彼にとっては名前を付けてもらうということがどれほど大切なことを教えたつもりであるし、それを理解していると思う。それで、その大切なものを俺からもらいたいということも理解できる。出來ることならば、彼の気持ちを尊重してあげたいとは思う。しかし、しかし……。

「ごめん、それは出來ない。それだけは絶対に出來ないんだ」

俺はきっぱりと斷った。これだけは譲れないのだ。だからこそ、斷るし、納得してもらうしかない。だから、真摯に彼に向かって頭を下げる。これで納得してくれるだろうかという淺はかな期待すらものせて。

だが、當然であろうか。彼はひどく悲しそうな顔を見せる。全てに絶したかのような生気の抜けた顔であった。愕然と、それを聞いてしまったようである。これは、想像できたことではある。なにせ、俺が名前を付けてくれると思っていたのに、そうではないと知ったのだから。ならば、誰に名前を付けてもらえばいいという話なのだ。近くを通ったネズミだろうか? それはありえないだろう。だからこその、その反応なわけである。

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「ドウシテ? ワタシノコトキライ?」

すがるように呟かれた。消えるようなか細い聲に俺の神は大きく削られていく。俺は自分の魂を削る趣味でもあるのだろうか。それほどに、最近のダメージは大きい。死にたがりであろうか。人としての人格が完全に殺されてしまうのではないかと恐れてしまう。それだけに彼の震えるような、怯えるような聲は堪えるわけである。

俺は天を見上げて、こらえる。今すぐにでも名前を付けてやりたいという思いを無理やりに抑え込むのである。こればかりは彼のためにも俺のためにもならない。ここで今名付けるということは逃げるということと同義なのだ。それは俺が許せることではないだろう。だからである。

「そうじゃないんだ。お前のことは好きだ。大好きだよ」

「ジャア、ナンデ?」

「俺は親子にはなりたくないんだ。名前を付けたら、俺が親になってしまう。俺は親にはなりたくない。お前の親にはなりたくないんだ。お前とは対等な立場でいたいんだ。対等にし合っていたい、親子としてのではなく対等な人間だからこそ生まれるを。だから、名前を付けたくない。わかってくれるかい?」

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「ナマエ……オヤ……」

はしっかりと、俺の言ったことをかみ砕いて反芻している。理解してくれると嬉しい。俺は祈ることしかできないわけではあるが。それでも、俺の我儘を理解してほしいと思ってしまう。彼とは親子の関係にはなりたくないのだ。親子になったら、上下の関係が新たに生まれてしまう。それだけは避けたいという俺の小さな思いであった。

目をつむって、靜かに考えていた彼はぱちりと目を開いた。き通った眼である。しさに心惹かれてしまいそうであった。いいや、もう惹かれているのだ。だから、こんな我儘に近いことを言っているのだろう。だが、俺が絶対に貫き通したい我儘であるということもまた事実なわけである。

「……ワカッタ」

「ありがとう……ありがとう……」

俺は彼に腕を回して、抱きしめる。つい力がってしまったかもしれない。それに応えてくれるように、彼の細い腕も俺の腰に回される。ぎゅっと抱きしめ合う力は強まっていく。の強さが、直接なものとして表面に出てきているのである。

の頭をなでる。優しくゆっくりと。おしさが溢れるようにして、そして彼しさを崩すことはないようにれる。熱が伝わってくる。それがまた俺たちをより深く結びつけているように思えた。

「フフ……スキダヨ、アラン」

「ああ、俺も好きだ。している」

視線が合う。俺は盛り上がっているのだろう。顔がだんだんと近づいていく。止まることはない。止められない。この熱をわしたい。仙人であるが、その思いがふつふつと湧き上がってきており、どうしようもないのである。これほどまでの発を彼ならばれてくれるだろう。そう思えた。だから、近づいていく。今すぐにでもわり、れることになるだろう。俺はそれをんでいるのだ。

「ダメ」

しかし、止められてしまった。彼の顔はリンゴのように赤く染まっており、いまだに著させているのだが、なんというか、嫌じゃないけど、したくないというような、そのような気がする。俺の自意識過剰なのか? ただ、そのもやっとしたような獨特なに俺のこの熱は阻まれているのである。むずくはあるが、彼の気持ちには従わねばなるまい。

俺はじっと彼のことを見続ける。彼も同じようにしている。腕の力がし強まったのをじる。息がお互いの顔にかかる。

「ゴブリンダヨ? ミニクイゴブリン」

「……だから、どうした?」

そんなことで悩んでいるのか? 気にしなくていいのに。それを気にしているのなら、俺はこの気持ちを抱くことは永遠にないだろう。どうでもいいのだ。種族なんて、姿なんて。それに、ゴブリンはらしい顔をしているんだ。ときめかないわけがないであろうというだけである。

「ゴブリンなんて関係ないよ。それに、とても綺麗だ。お前は、俺がしたいと、幸せにしたいと思える程度にはしいなんだ。そんなことを気にしなくてはいいんだよ」

俺は、彼の頬をやさしくでる。口をパクパクと開閉させている。もじもじとを揺らしながらをより深く著させていく。その熱が、俺に心地よさを伝えて離すことはなさそうである。俺もまた離したくはないと、抱きしめる。ゆっくりと熱が換されていくような覚であった。

「アリガトウ」

は頭を俺のに押し付ける。俺は頭に手を回して、ゆっくりとでている。

しかし、俺が名前を付けないとして、誰に名前を付けてもらうべきだという話である。俺の親にはつけてもらえるわけがないだろう。ゴブリンは基本的に人間と友好的な関係を築いているわけではない。魔石目的に殺されてしまうだけである。だから、ダメだ。では、誰がいいのだろうか。他にいない……いや、いる。いるのだが、どこにいるのだか。俺にはどこにいるのかわからない。いや、見當はついているのだが、そこに行くだけの技がないのである。俺はまだまだ未ものであるということを突きつけられてしまっているわけだ。

「お師匠様、お助けください。私にはあなたしか頼るがないのです。まだまだ未ものな私をお許しください。許していただけるのでしたら、私に力を貸していただきたい。頼みます、頼みます」

俺は、天へと向かって祈った。しかし、それで來てくれるとは微塵も思っていない。しかし、こういう時に祈るのが俺であるし、人間なのではないかと思う。まだまだ俺は、人間をすることは出來ていないのである。三百年生きていようとできる気はしないが、今は、四年である。まだまだ、許されてほしいと思うわけだ。

「何を抱き合っているのだ、貴様は。わざわざ俺にその姿を見せつけるために呼んだのではないだろうな。しかも別の種族の生きとは。貴様という男は節のなさではぶっちぎりで一番かもしれないな」

目の前から聲が。俺はすぐにそちらへと顔を向ける。そこには、お師匠様が仁王立ちで立っており、俺のことを見ていた。チラリと視線をかし、俺が抱いているゴブリンも確認している。その視線は何を語っているのだろう。ただ、彼のことを軽蔑し、侮辱しているというわけではない。ただ、一つの生きを見ているというだけでしかない。そんな目つきであった。

「貴様は、ゴブリンとをはぐくんでいるのか? 普通の人間ではありえないだろうな。どうなのだ?」

「お師匠様、ゴブリンであろうとも、同じ生きとし生けるものであります。言葉が通じ合い、心も通じ合います。でしたら、をもって接することは出來ますし、をはぐくむことに何の障害も存在しません」

俺は、し反発してしまったが、それをお師匠様は靜かに聞いているだけである。目をつむり、うんうんと頷いている。

「くっ、そうか。やはりいいなお前。うちのジジババどもに聞かせてやりたいな。……貴様は永遠にを枯らすなよ。仙人は、老いてから到達する奴らばっかだから、も、も、も、すっかり枯れちまうのさ。お前だけは枯れるなよ」

「あ、はい、わかりました」

お師匠様は楽しそうに笑っていた。年のようである。どれだけの年月を生きたのかはわからないが、そこらの老人よりも老練な存在が、生まれて數年の年のように無邪気に笑みを浮かべるわけである。それに、心を引っ張られるような思いであった。

「で、何で呼んだんだ?」

「あ、そうです。彼に名前を付けてもらいたいのです」

俺は、お師匠様のことを先ほどからじっと見ていたゴブリンを自分の隣へ座らせながら、言った。お師匠様は顎をりながら、目を細めて、彼のことを見ていた。全てを見かすようである。同じように思ったのか、彼こまらせている。

「貴様は、アランのことをしているか?」

「アランハ……スキデス」

「ふうむ……いいだろう。貴様は本心から言っているようだ。お互いがし合っているというのならば、俺には特に何かを言うことはない。名前を付けてやる」

お師匠様はそう答えた。俺たちの顔はそれを聞いて明るくなる。ようやく彼に名前を與えられるのだ。それほど喜ばしいことはないであろう。

「いや、待て。何者かが近づいてきている」

風が吹き、魂に響くような流れる聲を聴いて俺たちはきがとまる。そこに現れたのは天龍様であった。圧倒的な威圧をばらまきながら今まさに俺たちの目の前に現れたのだ。前に対面した時から一切の変わりはない。押しつぶされそうな圧力をじてしまう。しさのままに平伏してもおかしくはない。

「天龍様! なぜこここに!」

これにはお師匠様も驚きを隠せずにはいられないようであった。お師匠様ですら予想できないことが起きているというわけだ。それなら俺が言葉も出ずに固まっているのも仕方がない。

「その者の名をつけるのであろう。ならば、わしにもつけさせてくれてもいいではないか? 鞍馬よりも良き名前を付けてやろうぞ」

「いえ、天龍様。それでは……その……私のお師匠としての立場が」

「構うまい。彼らは鞍馬、お主を尊敬しておる。であれば、鞍馬の尊敬するわしが付けることに異を唱えることないであろうよ」

「あ、あの……天龍様がゴブリンに名前を付けるのは構わないのでしょうか。明らかに格が違うと思うのですが」

俺はどんなに彼していようと、國王が平民の子供に名前を付けるというような、いや、それよりも大きな格の違いを持つ事態に対して疑問を持つ程度の脳みそはいていたわけである。しかし、天龍様はゆっくりと首を振った。

「関係あるまい。同じ生きであるのに変わりはない。大地に足をつけ生をかみしめている者同士だ。でしたら、その先輩であるわしはわしよりのちに生まれたものの親のようなものだと考えておる。そのわしが彼に名前を付けても問題はなかろう。わしも娘がもう一人増えるのは嬉しいことであるぞ」

「ありがとうございます、天龍様」

俺は頭を深く下げて、禮をした。彼もまねをして頭を下げる。俺はともかく、彼の禮をする作を見た天龍様は靜かに笑った。からかうような笑みではない。おしいもの、らしいものを見た時の母親のような笑い聲であった。それには溫かさがあった。

俺は顔を上げる、天龍様は目を細めてらかに笑みを作っていた。龍の表はよくわからないが、雰囲気から、笑みを見せているのだとわかるのだ。

「気にするな。……そうじゃのう……鞍馬よ。緑が綺麗じゃの。新緑の青じゃ。では、それにちなんで名前を付けるとするかの。……『ハル』。そこの小さきものよ。お主の名前はこれから『ハル』じゃ。に刻んでしっかりと生きなさい」

「ア、アリガトウゴザイマス」

は深く深く頭を下げた。

「では、わしはこれで」

天龍様は空高く昇って行った。俺たち三人はそれをじっと見ているだけだった。あまりにも、突然のことであった。臺風が過ぎ去ったかのようである。俺たちは何の反応することもできないのだから。天の上に住んでいる龍というだけはあるのだろうか。

「ハル……いい名前だな」

お師匠様がポツリとつぶやいた。俺の隣にいつもいてくれたゴブリンに名前が付けられたのだった。彼はまだそれを実できていないようだった。ぼーっと天龍様の姿を見えなくなった先でも見続けているのだから。それは、お師匠様が飛び去った後にようやく戻るほどであった。

そうして、をペタペタとり始める。俺も同じように頭に手を乗せてでる。俺のことをじっと見ている。俺は笑う。にこりと笑う。それで通じたようだった。

「ハル……ハル……」

「それが、名前……ハルの名前だよ」

「ハル……。ワタシ、ハル」

「そう、ハル。ハルだよ」

「ハル……ハル……」

はゆっくりと、自分の名前を呟いてになじませているようであった。初めて自分だけの名詞を持ったのだ。それをゆっくりと噛みしめているのは當然のことだった。目から涙が零れ落ちている。泣いているのだ。やはりそうか。當たり前だ。名前をもらって嬉しくないやつなんていない。

「ウ……ウウ……」

俺は、彼が泣き止むまでを抱き寄せて背中をさすり続けるのであった。それが俺がしてあげられることなのだろうから。ただしさの中で彼の喜びを分かち合うわけであった。

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