《天の仙人様》第49話 空の心
すぐさまお醫者様が呼ばれて、母さんの診察が行われた。俺たちは、その様子をじっと見るしか出來なく、その視線をけているお醫者様もやはり、張しているらしかった。貴族の心配な視線というものはやはり、他の視線とは違うのだろう。しかし、俺たちには嘆き、悲しむことしかできない。外に出て待っていればいいのかもしれないが、そうは出來ないでいる。今ここから離れてしまえば、二度と顔を合わせることが出來なくなってしまうのではないのかなんて、不吉なことが頭をよぎってしまうのだから。
とはいうが、俺としては母さんの病は結核なのではないかと思っている。おそらく、全員がそうだろう。それならば治る。だから、心配ではあるが、絶はしていない。この世界でも、結核は簡単に治る病気なのだから。後は、診察結果を待つだけである。
「……ザイン様」
「なんでしょうか、お醫者様」
「あの、敬語はおやめください。わたしはしがない村醫者ですよ。領主さまに敬われているなんて思っただけで、震えてしまいますよ。わたしにはそれだけの地位も名譽もありませんものですから」
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「ですが、俺には病気を治す力はありません。自分にはない力を持つものを敬わなければ、誰を敬えと言うのでしょうか? そんな慘めで哀れな人間にはなりたくはありません。そのように、息子たちにも教えているつもりですし」
「そうですか。……わかりました。では、心して聞いてください。奧様の病気は……イブラヒット病です」
「……イブラヒット病?」
俺たちは首を傾げた。そうなのだ。誰一人として名前を聞いたことがない病だった。そして、俺たちは不安に駆られる。今まで心のどこかにあった安心が、音を立てて崩れていっているのだ。父さんは汗をびっしりとかき始める。恐怖からくるのだ。俺の目に涙が溜まってきてしまう。防ぎようもなく、あふれ出してくる。
まだ五年しか生きていないのだ。それなのに、もう母親を失うというのか。そんなことがあっていいのか。俺はその恐怖に駆られていく。大したことがないような病気ではないことがすぐに伝わってくるのだ。お醫者様の表がすべてを語っているのだ。俺は悔しくなり、をかむ。がにじんでくる。しかし、その痛みすらも大したことではない。母親がいなくなってしまうことの痛み以上のものなど存在するわけがないのだ。
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今まさに、摑んでいたものが、近にあった手が、遠ざかっていくかのような気の遠くなるような、そんな覚に襲われてしまうのである。しっかりと握りしめていたはずなのに、いつの間にか消え去ってしまって、どこにも存在していない。真っ暗闇の中にポツンと一人置いていかれているような気持になってしまうのである。
「母さん……」
心細く、弱々しく、わずかな聲量で、すぐさま消えてしまうかのような聲でそれは発せられた。抑えきれなかったのだ。それが表面に現れてしまっていた。こういう時に不安な気持ちを出すことの意味などない。それは伝染するのだから。だから、気丈に振る舞うべきだった。しかし、それは出來なかった。俺のに引っ張られるように周りの人間も不安げに見てしまっている。もう取り返しがつかない。俺は自分自の心の弱さを呪っているのだ。
お醫者様も、今この場で、それも俺たちがいる前でも、はっきりと言ってしまったことに対して申し訳なさをじているようであった。彼はそう思う必要はないというのに。ただ、真実を述べたというだけなのに。それはとても誇るべきことであり、なにも間違ってはいない。それを聞いた俺たちが勝手に不安になって怯えて、恐怖しているだけなのだから。それを彼が悔やんでも仕方がない事であり、意味のないことなのだから。ここで、を見せてはならないのだ。それが出來なかった。お互いに。を出してしまうのだ。こらえきれずに。
「ええと……イブラヒット病というのは、魔力をけれられなくなってしまう病気です。呼吸からってくる魔力にすらアレルギー反応を起こして、過剰にが対応しようとします。そのせいで、喀することになるのです。肺からにかけてが特に反応してしまいますからね。そして、最悪の場合は死んでしまいます。そして治療方法ですが、ありません。魔法で治そうとしたら、余計に弱りますし、薬など存在しません。一応、が正常に機能することが出來れば治るとされていますが、呼吸をするだけで弱ってしまうので自然治癒も期待できません。ですから、我々には治せません。……申し訳ございません」
それを聞いた父さんは、俺たちは何も言わずにじっとしていた。事実なのだろう。どうしようもないのも。上を向いて神に祈ることしかできないのだ。涙をこらえるように父さんは上を向いている。俺たち兄弟三人と、ケイト母さん、ハルたちもははばからずに涙を流す。今までの思い出がフラッシュバックしてくるのだ。たった五年、されど五年だ。している人と生活している期間など、一年も十年も百年も変わらない。ただ、いなくなることに対する喪失が同じくらい辛いということだ。
空いてしまうのだ。空っぽの世界に放り込まれるのだ。どれだけだろうか。俺には味わったことはない。祖父母が死んでしまうというのとはわけが違うのだ。より近な存在へと変わっていけばいくほどに、その重さは計り知れないものへと変わってしまうのだ。俺はそれを味わったことがないのだ。親が死ぬ前に死んだのだから。世界一の親不孝者なのだから。そして、今まさに、仙人という力を持ちながらも、無殘に死に向かっている母親に対して、何もしてやれないのだ。これほどの不孝な人間はいるのか。いやしないさ。力があるのに、それを使えないのだから。そんなものでしかない力は、持っている価値も意味もない。なにもない。その程度のことなのだ。それがまさに、俺自に突き刺さっているのである。
「そうですか……ありがとうございます」
無理やりを押し殺すようにして、父さんは何とかその言葉を絞り出した。そして、使用人たちにお醫者様を送るように告げた。それがいっぱいだった。
お醫者様は屋敷を出て帰っていった。使用人が俺たちに教えてくれた。どうしようもなく俺たちはいまだに部屋にいるのだ。ぼやけた瞳で母さんの寢ている姿を目におさめているのだ。全く正確に見れているわけではないというのに。それでも、今生きているということが確かな狀態の母さんの姿を映し続けていたかった。これがいつ消えてしまうかという、恐ろしさから目を離したくはなかったのである。
「うっ……くっ……母さん、母さん……」
カイン兄さんの嗚咽がれている。俺たちの耳にしっかりと屆いている。やめてくれ。それを聞いたら、よりつらくなる。辛いは共有したくないのだ。一人ならば、押しつぶされなくとも、二人ならば押しつぶされることもあるだろう。辛いことの共有は別れはしない。増えるのだ。倍々に増えていってしまうのだ。幸せは別れて行けども、そうはならないのである。それを避けられないことに俺はが絞められていくのである。
ケイト母さんが俺とカイン兄さんの二人を抱きしめる。涙を流しながら。それでもこらえようとしながら。彼だってつらいのだ。それを俺はじている。抑えきれないびをの奧に無理やり押し込んでいるのである。俺たち二人の実の母ではないが、彼も俺たちの母親なのだと実する。二人の母親にされることの幸福をじるが、それがもうすぐ終わることに対する虛しさもまた會った。まだまだ、一緒にいたいというのに、そうはいかないと天が試練を與えているように見えて仕方がない。
「大丈夫よ、大丈夫。サラはそう簡単にあなたたちを捨ててあっちへ行ったりはしないわ。自分の息子がまだ人もしていないのよ。だから、死んだりはしないわ。勝手に治ったりするのじゃないかしら。だから、元気を出して。泣いちゃだめよ。男の子はね、泣いちゃダメなの。泣いたら、サラが心配しちゃうでしょ。病気を治すことに専念させるために、息子は泣いちゃいけないの。これが親孝行なのよ」
ダメだ。ダメなんだ。それでもダメなんだ。止まらないんだ。どんなに我慢しようとしても、止まらない。干からびると思ってしまうほどに涙が流れてしまう。かろうじて、聲をらさないように出來ているだけだ。肩に海が出來てしまっている。それほどに涙が止まらないのだ。もう、諦めてしまっているのか。諦めてはならないのに。俺こそが今この瞬間も、母さんが死んでしまう、息を引き取ってしまう瞬間の、その時まで諦めてはならないというのに。絶対に、助けなければならないという意思でもっていなくてはならないのに。
をかむ。思い切り。痛みを出す。的な痛みだ。だが、それは神の痛み、そして揺を和らげ、消し去ってくれるのである。そうしなければ、負けるのだ。負けから引き分け、そして勝利へと持っていくためには、神が弱ってはならないのだ。
「お前たちは寢なさい。ここにいたってサラが治るわけではないのだ。もう遅いのだから、さっさと寢なさい。サラの看病は俺たちと使用人に任せておけばいい」
父さんの言葉を聞いて、俺たち五人の子供は靜かに部屋に戻った。それしか出來ることがないのだ。何かないかと考えても、俺には思いつかない。混しているのだ。ならば、寢て冷靜になったほうがいい。そうすることで、母さんを救う案を思いつくかもしれない。その思いを可能な限り膨らませる。
「アラン、お義母様は大丈夫かなあ。死んじゃったら嫌だよ。私のことも大切にしてくれたのに、いなくなったらとっても悲しいよ。んなことを教えてもらったし、これからも教えてもらいたいのに」
「あたしも。お義母様が死んじゃったら嫌だよ。死んでほしくないよ。いなくなっちゃ嫌だよ。ずっと一緒にいてほしいよ。もう一回、ううん、ずっとずっとあの優しい笑顔を見ていたいよ」
「そうだな、ハル、ルーシィ。俺だって死んでほしくない。だったら、俺たちが見つけるんだよ。母さんを治す方法を。死ななくていい方法を。だから、そのためにも、これからのためにも、しっかりと寢て休まなくちゃならないんだ」
彼たちは頷いた。俺たち三人は、そうしてベッドの中へとった。だが、眠りにつくまで相當な時間を要してしまったのは仕方がなかった。それほどまでに心配だったのだから。
次の日、起き上がった俺はすぐさま著替えて、母さんのもとへと向かった。靜かに扉を開けると、そこには靜かに眠っている母さんと、その看病をしている使用人がいた。
「アラン様、おはようございます」
「ああ、おはよう。母さんは?」
「今はぐっすり眠っております。ですから、心配しなくても大丈夫ですよ」
「そうか……ありがとう、母さんを看病してくれて」
「いえいえ、謝する必要はございませんよ。私共の仕事ですし、それに、私達だって、サラ様がいなくなってしまうのは恐ろしいですからね。ですから、看病は任せてくださいませ」
「うん、わかった」
俺たち家族は、素晴らしい使用人に囲まれているのだと、謝の念が絶えない。だから、俺も使用人たちに任せっきりにならずにしたいと思う。母さんの病気を治す方法を考えるべきなのだ。俺の仙人の力でさ。
俺は、母さんの寢ているベッドのすぐそばにまで近寄り、母さんの手を握った。そして、じっくりと、母さんの気の巡りを診ていく。俺が出來るのはこれだった。
母さんの気はれている。歯車が抜け落ちたように、ボロボロであり、気が今までの巡り方を忘れてしまったかのように、しっちゃかめっちゃかに、好き勝手にき回っている。これはひどいものだと、俺は顔をしかめてしまうほどであった。
俺は、ゆっくりとその気を正常に戻すように気を巡らせていく。自然に流れるそのものとして、調和を行っていく。母さんのぬくもりが俺の中に流れ込み、俺の熱も母さんに流れており、二つが混じり合うように、溶けながら、二つに分かれていくのだ。そうして、母さんの気の巡りは元の正常で、しいものへと戻った。しかし、これは一時的なものでしかない。これを何度もやっていく必要があるし、他にもいい考えがあれば、それを実踐していくしかない。なくとも、これだけで終わるほど簡単な問題ではないのだ。
しかし、母さんの寢顔は、苦しそうにししかめていたのだが、今は穏やかに眠りについているようだった。俺の力でしは苦痛を取り除けるのなら、何度でもやる。それが、母さんの息子であり仙人としての俺の仕事なのだから。
「あら、サラ様のお顔が穏やかになられましたね。きっと、アラン様に手を握られることで力が湧いているのでしょう。勇気づけられているのですよ」
「うん、俺だって母さんが元気になることを願っているんだ。母さんが元気になってくれるのなら、ずっと握り続けてたっていいさ」
俺は、母さんの顔を朝食の時間まで、じっと見つめていたのだった。
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