《天の仙人様》第58話
ルイス兄さんと共に平原へと歩いている。なんと、今日の朝に模擬戦をしたいと、そういうことを俺たち兄弟に言ってきたわけである。最初は、気が大きくなっているのかと思ったわけだが、表からしてみてもそういうわけでないということはわかった。ならば、なぜそのようなことを口走ったのかが理解できなかったが、われたのだから、行ってやろうと、そういう気持ちである。
後ろから、兄さんの背中を見ているが、なんというか、頼もしさはない。失禮かもしれないが、兄さんの背中は弱々しくじるためか、今すぐにでも死んでしまうのではないかと心配してしまうのだ。これは、カイン兄さんすら思っているらしく、憐みの目を向けているわけである。だが、この後ルイス兄さんに対して攻撃を行うのは、その憐みのをこもった視線で見つめている人間たちであるのだが。
男の勝負というわけではないが、平原には俺たちしかいない。あとは、小さな蟲たちが遠くにいるのがわかるだけ。それぐらいしかなくとも、くは存在しない。ハルたちを含めた陣は魔法の特訓でもしているのだろうか。まだ、ルイス兄さんは、アリスの魔法を見てはいないから、驚きで顎が外れるのを楽しみにしている。
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兄さんはまるで、死地に行くかのような覚悟を決めた顔をしていた。自分で言ったのだから、ある程度は勝算があるのかとも思っていたのだが、そうではないようだ。死を覚悟している兵士の顔である。自分の命がここで盡きることを自覚しているのだ。どんな生き方をすれば、あの顔を模擬戦で出すことが出來るのか。鬼気迫るものがあるのだ。それだけ、恐ろしいことをしているという思いがあるのかもしれない。
「で、どうするんだい兄さん。一人ずつ戦うのかい? それとも、二人を相手にするのかい? オレとしてはどちらでもいいんだけどさ」
「そうだな……二人相手にしようかな。うん」
兄さんは、口調にというものを乗せずにそんな言葉を発した。だが、顔つきは変わらずであった。そうまでする必要があるのか。何に駆り立てられているのか。その疑問が盡きない。だが、俺は何も聞くことはしない。答えなど知る必要はないのだ。ただ、その事実をけれるだけでいい。
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カイン兄さんはし、ほんのしであるが手に持っている木剣を握る力が強まる。二人相手で戦うという挑発に対する怒りではない。兄さんの明らかな慢心ともとれる態度に対するなのである。般若のような顔であった。怒りとも、悲しみとも取れた。その二つが混ざり合ったような獨特の表である。
いや、ちがうな。兄さんは慢心していない。明らかに警戒を見せている。用心深く頭の先から足の先まで見落とさないように見ているのだ。それなのに、どうして二人を相手にするといったのか。一人ずつではだめなのだろうか。さすがに、どれほど強くなろうとも、俺ら二人で挑んで簡単に負けるほどやわな鍛え方はしていないはずだ。勝つに決まっているとは思わないが、確実に負けるとも思わない。それだけの自信がある。訓練から裏付けされた確固たるものなのだ。これを打ち砕くには相當に骨が折れることであろう。
「もしかしたら、奧の手があるのかもしれないよ、兄さん。王都で何かを習得している自信があるのかもしれない」
「オレもそう思うんだけども、明らかにそんな様子を見せていないじゃないか。普段通りに剣を構えてこっちを警戒しているだけだ。たいていは何かを隠しているのなら、普段とはわずかに構えが変わるものなのだけれど」
「うーん……學校に行く前から格段に剣の腕が上がったわけではなさそうなんだよねえ。今まで見たことのある兄さんのイメージのままだ。……でも、どうしてあんなことを言ったんだろう」
もし、俺たちを混させることが目的なのだとしたら、ルイス兄さんの思は功している。それほどまでに分からないのだ。未知というものに恐れている原人のようなものであるのだ。いや、現代人でも恐れる。未知というのは恐怖そのものなのだ。知らないことほど怖いものはない。だからこそ、知ろうとする。だが、知りすぎるのもダメだ。やはり恐怖を殘さなくては、人は長しない。
仕方ないというばかりに、ゆっくりと剣をルイス兄さんへとむける。どうしようもないのだ。ありとあらゆることが起きても大丈夫なように脳でシミュレートする。とんでもないものとして、兄さんが巨大化して襲い掛かってくる可能すらも考えるのだ。それほどまでに、用心しなくてはならない。それほどまでに、普段通りのルイス兄さん、という存在が危険なものに思えて仕方がないわけである。ただそこにいるだけでありながら、警戒のランクを一段も二段も引き上げざるをえない。氷のように、しんとしてこちらを見ているだけのはずなのにもかかわらず。
戦いは始まっているのだ。俺たちは、相手の隙をうかがっている。ルイス兄さんがわずかでも魔力を作して魔法を放とうとしているのが確認され次第、すぐにでも飛び掛かれる準備は出來ている。もっとも、素早く行できる瞬間を維持したままぴたりとかすことなく、彫刻のように固まるのだ。その姿は蕓にも勝るとも劣らないわけであるが今はそのようなものを鑑賞し、嘆し、稱賛するわけにはいかない。
カイン兄さんは、わざと……わざとらしく肩を揺らした。何もしない。ただ、くように見せかけるだけ。わずかにぶれるだけ。しかし、それに反応しなければ襲い掛かれる。的ながら能的に敵をい出すのだ。ルイス兄さんは、魔力をすぐにかして、指を構える。あれを鳴らされれば魔法が発現することは確実であろう。そのわずかな時間の間に、俺は間合いを詰める。瞬間を勝ち取れなければダメなのだ。數瞬の遅れが負けにつながる。それが戦いであった。
構えられている指へ向かって木剣を振り下ろす。手を引くと同時に、パチンと綺麗な音が響く。俺の顔の近くに魔力の塊があるのがわかる。じられるのだ。渦巻く力が。これが発でもしようものなら、吹き飛んでしまうだろう。一応、殺傷能力はないと思うが、それでも痛いことには変わりはない。時間というものを可能な限り排除したような速度での展開であった。
俺の口はにやりと歪んでいる。わずかながらに命がかかっているとさえ思ってしまう。の気が高いのだろう。アドレナリンが出ているのだろう。生死をかけているとさえ勘違いするほどの瞬間の出來事なのだ。
「《水》」
俺は、魔力を気、更にはに混ぜ込んでいく。素早くだ。音の一つですら短する必要があるほどの時間の猶予のなさの中で、俺の右腕に魔力をしっかりと纏わせる。そして、魔力の塊へと腕を突き刺す。そして、かき回す。俺の干渉で、魔法の発現を妨害するわけである。それに気づいているようで、とっくに放棄しているようだ。ルイス兄さんの干渉がない。ただの、魔力だまりのようなものへとり下がっている。
俺の腹めがけて剣が払われる。橫薙ぎの軌道は剣でける。幸いにも兄さんの力では俺の防を突破できない。それに、わずかな直を逃すような相手と戦っていないのだ。カイン兄さんは腰を低くしながら、死角から斬りあげるように剣を振るう。間一髪のところで狀態を逸らして避けられたようだが、振り上げられた剣はそのまま振り下ろされる。より鋭さを増しながら。ルイス兄さんは、跳んで回避をするしかなかったようだ。ゴロゴロと転がりながら、距離を取る。
走ったほうが早いので、立ち上がるころには俺たち二人の剣が振るわれる。兄さんは足踏みをすることで土の壁を生み出した。それを見ると同時に俺たちは飛び退いた。これで振出しへと戻る。
「危ない危ない。あれに當ててたら、剣を奪われるところだった。兄さんは、もうそんな魔法まで使えるようになったのか」
カイン兄さんは、笑みを浮かべながら、兄さんをじっと見ている。逸らすことなどなく視界におさめ続ける。土の壁が崩れて、その先にいる兄さんと目が合う。
「はは……やっぱり二人とも強いなあ。調子に乗って攻撃なんかしようとすると、確実に倒されちゃうだろうな……」
ルイス兄さんは、汗をたらしながら、狀況を口に出して分析している。口に出すのはいいことだ。整理しやすくなるから。しかし、どの程度まで理解できているのかを敵に伝えるので、できるだけ無口でいるのも悪くはない。悪手となるかどうかは結果を見ればわかることだろう。
剣先を兄さんへとむけ直す。試合は振出しへと戻ったが、わずかながらに減った魔力と力。その差をどうやって対応していくのかが重要になっていくのである。
空は青く、雲一つなく青く、ただひたすらに青く、手抜きでもしたのかのような景である。何もない。何も飛んでいない。ただ青があるだけであった。それ以外には何もない。地面へと視線をおろすことでようやく他のものが見えるのだ。だんだんと。
視線が地面へと完全に下りてくると、そこには息を荒くしながら、ルイス兄さんが倒れていた。カイン兄さんは軽く座っているだけなようであるが。
「やっぱり、二人は無謀だったみたいだね、ルイス兄さん」
俺は、そう話しかけた。兄さんは表を作る気力すらなさそうで、苦悶の表を浮かべながら、こちらを見やる。
そう、俺たちが勝った。兄さんが防に回ると、攻撃を當てられなくて、じれったかったが、力が先に無くなったのはルイス兄さんである。その差が勝敗を分けたといってもいいだろう。やはり、力は大事だとじる。
「はあ……はあ……結構強くなったつもりだったが、やはり勝てなかったか。これでも、學年主席なんだけどなあ」
ぼやくように呟かれた言葉は空気中へと溶けて消えた。カイン兄さんは立ち上がり、素振りを始める。俺も同じように兄さんの真似をする。
やはり、兄さんも納得いかないのだろうな。実質引き分けみたいなものだ。力がなくなった相手を倒しても、満足は出來ないだろう。防の上から倒せないと本當の勝ちとは言えない。その思いが俺たちは強かった。たしかに、戦場では力がないやつを倒しても勝ちは勝ちだろう。だが、ここは戦場でありそうではなかった。俺たちの勝ちの條件としては、相手を疲れさせることではなく、相手の防の上から叩き潰すことであるのだ。ならば、出來なければ負けのようなものである。
それからは、ルイス兄さんが力を回復し終わるまで、俺たち二人で素振りをし続けるのであった。
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