《天の仙人様》第164話

ぼんやりと見えていたものがはっきりと見えてくるようになる。あの馬車の中にカイン兄さんが乗っていることだろう。と思っていたのだが、そうではなかった。どうやら、兄さんも馬に乗っている。しかも、恐ろしい程に高貴さがみられるのだ。上に乗っているのがカイン兄さんということを考えてしまうと、アンバランスに見えなくもない。なにせ、高貴という言葉からは出來る限り離れようと行しているのではないかと思えてならない人が乗っているわけなのだから。

それらが近づいてくると、兄さんの乗っている馬がどれだけ貴重な馬なのかということに気が付いた。クルメリーシアンと呼ばれる種類の軍馬である。自分たちの気にった人間しか上に乗せることはないという、気難しい格をしているため、數を確保していても、運用できる人間がない。一部の國では、それに乗ることが出來れば隊長に昇進されるという話もある。ただ、それだけの面倒くささを手懐ける価値がある。疲れ知らずで一日駆け回れるとか、突撃の衝撃で十數人をミンチにできるとか、いろいろといわれている。それだけの逸話がある名馬なのだ。実際には見たことがないのでどうかはわからないが、それぐらい出來て當然だと言わんばかりの自信がみなぎっているようである。

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父さんたちも當然、この馬の価値が変わっているため、口を大きく開けて、唖然としている。なにせ、自分の息子がクルメリーシアンなんて馬に乗っているのだから。想像もしていなかったことだろう。だが、そのおかげで兄さんが外に出て馬に乗っている理由もわかる。兄さんにしかなついていないのだろうということがすぐにわかってしまうのだから。俺も、あのような馬に憧れはあるが、そう簡単に目にすることすらも出來ないのだから、羨まし気に眺めることしかできない。というか、そもそもなぜ帝國は兄さんにあれほどまでの貴重な馬をあげようと思ったのか。それが謎である。

「みんなそんなに集まってどうしたんだい? たしかに、もうそろそろ帰ってくるとは連絡したが、そんなに集まって待っているとは思わなかったな。どれだけ心配していたんだい? たしかに、いくつか文化の違いがあって困ることはあったが、大きな問題もなくこうして帰ってこれたのだからさ。安心していいよ」

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のんきなことである。久しぶりに會う家族の顔をいち早く見たいという思いはないのだろうか。帰ってくる側だから、そういう思いがあまり浮かばないのかもしれない。あまりにも楽観的過ぎて呆れかえって俺たちは何も言おうとすらしなかった。なにせ、それならば、仕方がないというような一種の一というものがこちら側には流れてしまっているのだから。リリ義姉さんが駆け寄るように近づいていく。馬に蹴られないように注意しながらであるが、兄さんの隣に立つと、ぎゅっと手を握り締めた。彼は俺たち以上に兄さんに會いたくて仕方なかったことだろう。それをわかったようで、優しく微笑みながら頭をなでている。おしいものでも見るかのようである。ほほえましくじる。出來ることならこれが一切崩れることなく続いてほしいことだ。

馬車の扉が思いっきり開いて、一人のが出てくる。その雰囲気をぶち破ってくるかのようで、あまりにも不気味に、恐ろしく映ってしまった。俺の覚えている限りでは彼は使節団として參加してはいない。つまりは、相手の國からついてきたというわけなのだろう。俺は、しばかり嫌な予がした。いいや、しなんてものではない。すうと寒気が走り、今すぐにでも目を背けたいという衝が駆け巡っているのだから。ルイス兄さんの方へと顔を向けると、彼もまた汗をだらだらと流している。そして、その焦っているような兄さんの顔に恐ろしいまでの形相を向けているがいた。リリ義姉さんである。二人の間でどんなやり取りがあったのかはわからないが、なくとも、想像していた方向に転がっていないということだけはわかる。

「どちらさまですか? この國を出発するときには、あなたはついていってはいなかったと存じておりますが……? それなのに、使節団の中にいるということは、何かしらの理由があるのですよね。國王陛下にお話しすることがあり、その使者として來ているのですよね? そういうことですよね……?」

「あ、リリ……そのだな……あの……」

何とかしてカイン兄さんがその怒りを収めようとしているが、それは全く意味をなすことはなく、ただしどろもどろと言葉が続くことはない。それはさらなる怒りを買うだけでしかないのだが、それに気づいていないようで、それでも何とか言葉を発しようという努力のみが、その意思のみが先行していて余計に慘事を生んでいるようにしか見えなかった。哀れである。ただ、助ける気は全く起きないが。自業自得ということではない。関われば、こちらにも飛び火をするから、無駄に燃え盛りたくはないというだけである。対岸の火事といえるだろうが、対岸との距離が數メートルも離れていないのであれば、俺たちもまた無関係を裝えるだろうか。

リリ義姉さんは可能な限り取り繕うように笑顔を見せているが、今にもはがれそうなほど脆くじる。抑えきれていないのである。れ出している怒気が聲の端からにじみ出てしまっているのだ。ただ、そのはそれを見てもなんとも思っていないようであった。明らかな実力の違いが彼にその余裕を持たせているのであろう。帝國出の人間は、子供であろうとも、食獣を相手に、善戦することが出來るという話があるくらいなのだから。しかし、その二人の間に立っているカイン兄さんはこうなることをわかっていたのだろうか。わかっていなかったのかもしれない。汗をだらだらと流している。三兄弟そろって焦りが顔に出ているのか。似たもの兄弟であるが、それを笑って言えるような和やかな雰囲気ではない。そうであることをこれほどまでに祈ったことはないだろう。ハルたちの間で生まれる空気とは明らかに違うわけなのだから。

明らかな空気の差が不気味さをより醸し出していると言える。俺は今すぐにでも逃げだしたくなる。一歩後ずさりしていた。本能的に思ってしまっていたらしい。それが行に現れたのだ。だが、逃がすわけにはいかないと、ルイス兄さんが腕を摑んでくる。この空気の気まずさを一緒に味わいたいのだろうか。俺は嫌だ。自分が當事者であれば、甘んじてれても、自分がそうでないなら、出來る限り関わることを回避するだろう。兄さんもそう思っているだろう。だが、兄さんの場合は、全くと言っていいほど足がける狀態ではないのである。ガタガタに震えていて今にも折れてしまいそうだ。を支えていることが、驚異的まである。

「ねえ、ダーリン。なんか変なの人が文句を言ってくるんだけど。どうなっているの? この國では、人の結婚に口出しをするようなの人がたくさんいるの? なんかじ悪いよね。あたしとダーリンとの仲に文句を言うような他人がいるなんてさ。確かに、國は違うけど、それはで簡単に超えられるような障害なわけだしさ」

「ダーリン! なんですかそれは! いつの間にあなたはそんな関係を家の旦那と築いたのですか! あなたも、何も言わずに黙っているのはどういうことですか! あの、ちんちくりんなに唆されたからといって関係を持ってしまったのですか! まるで、低學年の學園生みたいにちみっこいと! あれだけ、していると言ってくれたのに! 他の國で黙ってを作ったのですか!」

「ち、違うんだ! これは、彼が勝手に言っているだけなんだ! オレは彼に手を出してはいない! 本當だ! 信じてくれ! 神に誓って、彼には何もしていないんだ! ただ、彼がついていくって言ってきかなかったから、こうして連れてきているだけで!」

兄さんはあまりにも必死であった。まあ、わからなくもないが。みじめに見えなくもないが、たとえ慘めであろうとも、今この狀態を治めるためには、男が泥をかぶる必要があるだろう。だから、兄さんは頭を下げることが出來るのかもしれない。そして、それは真剣であればあるほど、伝わるものだ。やましさを敏じ取れてしまうのがというもの。それをじさせることがないということは、彼にも伝わるはずである。むしろ、伝わっていなければ、相當に大問題である。なんとか、その真摯さが伝わってくれたようで、リリ義姉さんの怒りもしは収まったようである。とはいえ、彼のことを睨み付けている目つきは変わりないが。

というか、彼はあそこまで大きく怒りをあらわにするのだというのは新たな発見である。普段からニコニコとおしとやかに振る舞っている姿しか見たことはないために、その姿を見ることに驚いている。出來れば、そんな発見は全くと言っていいほど必要がなかったが。その姿は、カイン兄さんにのみに見せるべきではないだろうか。俺たちの前ではいらなかった。……本當に。

兄さんからの話を聞くと、どうやら前試合ということで、皇帝陛下の前で模擬戦をすることになったそうだが、その相手があの、ルールイであったらしい。兄さんと同じ歳に、帝國一の學校で主席卒業だそうで。で、彼と戦うことになって、兄さんが勝ったそうだが、その時に惚れられたとか。やはり、帝國のは強いものに惹かれるのか。そういう下地があるせいで獣人じゃなくても同じを持っていることがよくわかった。どうやら、彼はドワーフであるらしい。だから、あの背丈の小ささということだ。とはいえ、に詰まっている筋の量は男にも引けを取らない。は筋質なではないが、度がすさまじいらしい、ってみると、ガチガチにいという話だ。これは、本に書いてあるから、誰もが知っているような話ではあるが。しかも、そのままこの國までついてくるというのはなかなかの覚悟がいるのではないかと思うわけだが。

どうやら、彼は帝國軍の千人隊長を務めている兵士の娘なのだとか。小さいころから訓練漬けの毎日だったそうで、自分以外の同年代の男に初めて會ったからということで、惚れてしまったらしい。やはり、帝國というところか。伝子レベルで染みついている。そして、彼の父親にも強い男に嫁ぐのは構わないなんて言われたらしい。これは、責任を取って妻に迎えれるのだろうか。ルールイがついてきているのも、國王陛下に結婚の許可を取り付けるためなのだとか。まあ、許可を出すことだろう。

それを聞いて、リリ義姉さんが頭を抱えたように悩んでいる。その可能は危懼していただろうが、まさか実際に起こってしまうとはといったところだろうか。現実のこととして目の當たりにしてしまうとそれなりにつらいことだろう。ハルが近寄っていき、めている。ハルは適任なのだろうか。まあ、同じ悩みを抱えてそうではあるが。そう考えれば、ルイス兄さんの奧方たちは、仲が良くて羨ましいことではあるが。たぶん、その中の良さに兄さんは関與していないのだろうけど。

ここで、ただ世話話をしていても、ダメであろう。兄さんたちは帰國の報告に王城へと向かう。ルイス兄さんもその後に続いていく。リリ義姉さんだって、ルールイの乗っていた馬車へと乗り込んで、王城へついていくことにしたそうだ。なかなか行力のあるである。ただ、乗った馬車の中で爭いが怒らないことを祈るが。無理だろうとは思うけれども。そして、背後からじっとした視線を向けられる。そちらへ顔を向ければハルが見つめていた。不気味にが抜け落ちたかのような顔つきである。

「ど、どうしたんだい? そんなにが抜けてしまったみたいな顔をして。何か思うところでもあったかい?」

「リリ義姉さんは、とても大変だと思わない? を一人占めできると思っていたところに、変なってきたのだからね。カイン義兄さんはどうやら、結婚には乗り気ではないみたいなところが、まだ救いようがあるけど。どこかの誰かさんみたいに全ての出會ったに対してを振りまけるようではないみたいだからね。そういうところは、ちょっとうらやましいとは思うよねえ」

俺の心に深く、とげが刺さった。じとっとした目を向けられたままに、今までのうっぷんでも吐き出すかのようであった。いろいろと出てくる。俺は申し訳なくも思っている。しかし、これで謝ってしまうと余計に彼の怒りをかうだけなのでそういうことはしない。嫌味たらしく言われているほうがましなのだ。それに、この生き方を変えることは出來ない。そもそも、だけではないのだし、全ての生きとし生けるものにを捧げているだけなのだから。

もそれがわかっているようで、俺に不満をぶちまけるとすっきりしたように腕を組んでくる。俺はそれをれた。らかくそして、溫かなが伝わってくるのである。

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