夕食を終え、就寢時刻まで各々が自由に過ごしている頃。

魔王城の二階にある窓から、麓を見下ろすニーズヘッグの姿があった。

「ニーズヘッグ、どうしたのこんな所で」

たまたま通りがかった僕は、思うところがあって彼に聲をかける。

「ここは領地がよく見えるだろう？　最初に比べれば立派になったものだ、と慨にふけっておったのだ」

「確かに、まだ大して時間は経ってないはずなのにね」

喋りかけながら、僕はニーズヘッグの隣へ移する。

「ああ、短期間でここまでやってのけたことを、おぬしはもっと誇るべきだ。恥ずかしがって謙遜している場合ではないぞ？」

僕に當たりするように、ニーズヘッグは肩でぐりぐりと小突いてきた。

まるで友達のような距離に、僕の心臓がしだけ跳ねる。

月明かりに照らされた彼はとても綺麗だ、油斷すると見惚れてしまうほどに。

「私はな、ここに來るまでずっと一人で生きてきた。竜族は極端に數がない、その代わり強い力を持ち、壽命も長い。數十年に一度1新たな個が生まれれば良い方だ」

「竜がそんな沢山居たら、とっくに天下を獲ってるよ」

「……いや、私が言いたいのはそういうことではなくてな。とにかく、孤獨だったのだ。対等に付き合える相手など居ないからこそ、他者から奪い生きてきた」

「後悔してるの？」

「そんなものはとうの昔に捨てておる。私は、力を持つ者としてまっとうな生き方をしてきただけだ。必要だからそうしてきた。だが……今の私は、どうにも必要ない生き方をしている気がしてな」

僕たちと一緒に居るのが嫌ってことだろうか。

々と面倒な部分はあるけど、僕個人としては、ニーズヘッグのことはかなり気にってるんだけどな。

もちろん、人って部分も加味してね。

そこを無視できるほど、僕は清廉潔白な聖人にはなれない。

「なあ魔王様、跡の中で私がおぬしにパンを渡したことを覚えておるか？」

「あー……そういや、一口もらったね」

「渡したあと、私は死ぬほど驚いたよ。完全に無意識だった。損得勘定をせず、自然と他者に分け與えていたのだ。それがどういう意味か魔王様にわかるか？」

「いや、わかんないかな」

「そうだろうな、私にもわからん」

ズルッ。

思わずコケてしまう僕を見て、ニーズヘッグはくすりと笑った。

くそう、むかつくけどやっぱ人だな。

「そう睨むな、わからんのは事実だが……ああ、なんと言えば良いのか。特別なのだ、きっと。私にとっておぬしという存在はな。今まで居なかった、私の人生において初めての”何か”。それが魔王様だということを、伝えておきたかった」

「よくわかんないけど……たぶん、僕が思ってることと同じと考えていいのかな」

「そう、なのか？」

「うん、こんなを渡したいと思える程度にはね」

ぶきっらぼうな態度で、僕は手に握った小さなそれをニーズヘッグに握らせた。

「これは……」

彼の手のひらの上にあったのは、小さな指だった。

指には、跡で見つけたボスが落とした寶石がはめこまれている。

「最近、ニーズヘッグが僕のせいで々と心配をかけたみたいだから。しは恩返ししたいなと思って、作ってみた」

「い、いいのかこんなもの！？　たぶんすごいだぞ？　水のアーティファクトに次ぐお寶なのだからな」

められた魔力の大きさは、指を作った僕が一番良く知っている。

「まあ、どうせ僕には必要ないものだから」

「だからと言って私に渡すとは、もうし冷靜に考えたらどうなんだ。貰ったからにはもう返さぬがな」

「じゃあ黙って貰ってよ、サイズもニーズヘッグに合わせたんだからさ」

「いつの間に測ったのだ？」

「魔法でどうにでもなるよ、僕は魔王だからね」

そう言い捨てて、僕は自室へと戻ろうとニーズヘッグに背中を向ける。

廊下を去る直前、ちらりと後ろを振り向くと、指を月の明かりに照らしながら、嬉しそうに眺めるニーズヘッグの姿があった。

なんだかんだ言って、素直に喜んでくれてるんじゃん。

指を作るのは初めてだから不安だったけど……苦労した甲斐はあったみたいだ。

機嫌よく部屋に戻ると――ベッドの上に、來訪者が座っていた。

窓から勝手にってきたらしい。

まあ、彼が勝手に侵するのは今に始まったことではないんだけど。

「レモン、今日もまた不法侵かい？」

「許可をもらえなかったのです。魔王さまは、ニーズヘッグといちゃいちゃしてましたですから。邪魔をするわけにはいかないと思い、こっそりったのです」

ちょこんとベッドの上に座りこむレモンはどこか不機嫌そうだ。

理由はわかってるんだけどね。

「いちゃいちゃって……僕とニーズヘッグは別にそういう関係じゃないんだけど」

「”まだ”なっていないだけなのです。見た限りでは、すでに軌道に乗っているじがするのです。いかがわしい関係になるのは時間の問題なのです」

「そう見えるかなあ？」

「見えるのです、間違いなくです。王はを好むものです、そういうのもありだとは思うです。ですが、ここにもはっきりと好きと告げているレディがいるのですから、もっと私のことも相手してくれてもいいと思うのです」

要するに、そういうことだ。

レモンは僕のことを大層気にっていて、今著ている服を仕立ててもらった後も、こうして定期的に僕に會いに來ていた。

そして惜しげもなく好意を僕にぶつけてくる。

嫌いじゃない、けどさすがにサイズ差がありすぎてね。

特殊癖の持ち主じゃない僕には、レモンをそういう対象として見れないんだ。

こうやって話してる分には、楽しいからいいんだけどさ。

「んなの相手をして大変だとは思うですよ、魔王さまも」

「してないから、仮にニーズヘッグがそうだったとして他に誰が居るの？」

「グリムです」

本じゃないか。

「あとはザガンに」

百歩譲歩しても妹的存在でしかない。

「他にはフォラスもです」

あれで中がまともだったらね……。

「それにスライム族のミュージィさんも興味がありそうな雰囲気です」

最近配下に加わったばっかりじゃないか！

「私も含めるとすでに5人もいますですよ。魔王さまは、サバトでも開くおつもりなのですか？」

「レモンは想像力かだねー」

「ん……うぅ、こんなことででられても嬉しくないのです、やめるのです！」

とか言いながら、顔は嬉しそうだ。

ちょろいちょろい。

やりすぎて慣れられても困るので、ほどほどの所で止めておいた。

レモンはれた髪を両手で直しながら言った。

「そういえば、大事なことを言い忘れていたのです」

「今度はどうしたの」

「そう興味なさげにしないでしいのです、これは本當に大事なことなのです」

だったら先に言ってほしかったな。

「昨日のちょうど今ごろ、近くでケットシーを見かけたのです」

「ケットシー？」

「貓の姿をした二足歩行の魔なのです。先ほどグリムに聞いた所、本來は城の北東あたりに住む魔との事なのです」

「スライム族や樹人族みたいに配下になりにきたってことなのかな」

「私からは偵察のように見えたのです」

様子見しているのか、それともまた別の目的があるのか。

昨日のこの時間現れたということは、今日も付近に居る可能がある。

周辺の広範囲を魔法で探知してみる？

いや、それより僕の覚を研ぎ澄ましたほうが効率がいいか、自分のだからイメージもしやすい。

能力はフィジカルアップなわけだし、五の能力を引き上げる魔法ならこれしかない。

「センスアップ」

拡張された覚は、城で暮らす魔たちの息遣いはおろか、領地全てのあらゆる音聲すら聞き取ることができる。

「……？　魔王さま、魔法を使ったのです？」

近くで喋るレモンの聲が、やけに鮮明に聞こえた。

「今日もケットシーが來てるかもしれないと思ってね、探知してる」

「そんなことまでできるのですか。便利すぎるのです、魔王さまの魔法は」

言われなくたってわかってるっての。

これはオーク、これはスライム、これはフェアリー――音聲の取捨選択を繰り返し、異を、配下にしていない魔の聲を探す。

『あしたも……しゅぎょー……がんばる、ぞ……ぐぅ』

違う、これはザガンの寢言だ。

夢の中でまで修行のこと考えてるのか、健気だなほんと。

『指、か。ふふふっ、キザったらしいことをしよって、魔王様のくせに』

これはニーズヘッグの聲だ。

聲だけで嬉しさが伝わってくる、ああもう恥ずかしいな！

『ねむいにゃ』

ん……にゃ？

そんな特徴的な語尾の住人いたっけか。

『夜行のくせに夜に眠いとは何事にゃ』

『眠いものは眠いにゃ、いくら命令とはいえ監視だけとは退屈すぎるにゃ』

『今は耐えるにゃ。追い出されてしまった以上、長老の命令に逆らえば見捨てられて終わりにゃ』

『……むぅ、世知辛いにゃ』

2人いる。

どちらも聞いたことの無い聲だ。

「ケットシーって喋る時に語尾に”にゃ”をつけたりする？」

「ああ、グリムがそんなことを話していた気がするのです。私はあざとすぎると思うのです」

つまり、どうやらこれがケットシーの話し聲のようだ。

しかし、いくら貓の魔だからって、”にゃ”はないでしょ、”にゃ”は。

レモンの言うとおり、いくらなんでもあざとすぎるしベタすぎる。

ま、現在位置がわかったし、逃げられる前に首っこを捕まえておくかな。

配下になるべきか決めあぐねているのだとしても、先手は取っておきたい。

後手に回るより、そっちの方が遙かに話の主導権を握りやすいからだ。

「もしかして、見つかったのです？」

「うん、フェアリー族の里からし離れた木の上で監視してるみたいだ。ちょっくら懲らしめてくるよ」

「むう、行ってしまうのですか。こうなるなら報告しなければよかったのです」

「おかげで事前に察知できたんだ、暇が出來たらいくらでも付き合ってあげるよ」

「その時が來ることを、期待はせずに待ってるです」

出來る限り約束は守りたいけど、忙しいのでそうもいかないのが現狀。

せめてしでも機嫌を直してくれるようにと、ケットシーの元へと向かうついでにレモンを家へと送っていく。

小さなを肩に乗っけると、レモンは「これぐらいで私が満足すると思ったら大間違いなのです」と言いながらも上機嫌になってくれた。

名殘惜しそうな彼を家に送り屆けると、フィジカルアップで能力を向上させ、夜の森へと足を踏みれる。

聞こえる音を頼りに、気だるげに城周辺の監視を続けるケットシーを発見。

音を消し、気配も消し、素早くその背後に迫った。

「……にゃ？」

その首に手刀をとん、と當てるとケットシーはマヌケな聲を出した。

ケットシーは、大きくなった貓がそのまま二足歩行になったかのような姿で、正直すごく可らしい。マスコットキャラにしたいぐらいだ。

もっとも、魔は見た目によらないから、油斷は出來ないけどね。

「な、何者にゃ！？」

手刀を當てられなかった方のケットシーが、裏返った聲でんだ。

何者だって聞かれたら、この場合、僕が答える言葉は一つしか無い。

「魔王だ」

そう言い切ると、2のケットシーのがびくんと震えた。

まさか親玉がいきなり現れるとは思ってなかったんだろう。

「そう警戒しないでしいな、なにも殺そうってわけじゃないんだから」

我ながら無茶なことを言ってると思う。

首に手刀を當てながら”殺す気はない”とか言うやつの言葉なんて、僕だったら絶対に信じない。

「ただ、君たちの目的を知りたいだけなんだ。

そういうわけで、僕を一番偉い人の所まで連れて行ってくれないかな？」

僕は怯えさせないよう、出來る限り優しく言ったつもりだったんだけど、それが余計に怖かったらしく――ケットシーたちはをこまらせ、「にゃう」と怯えながら首を縦に振った。