《「お前ごときが魔王に勝てると思うな」とガチ勢に勇者パーティを追放されたので、王都で気ままに暮らしたい》002 それは彼にとっての祝福だった

かの英雄、ジーン・インテージから『を売りたい』と話を持ちかけられた時、商人は思わず神に謝した。

勇者に関わりがある人間とコネが作れる上に、そのも勇者と関わりのあると來たもんだ、とんでもない高値で売れるに違いない。

商人は慎重に取引を進めた。

しでも彼の機嫌を損ねてはならないと、可能な限り探りをれるような真似は避け、徹底的に下手に出た。

“あまり探るな”、そんな空気をジーンが出していた、ということもある。

――思えば、その時點で商人は疑うべきだったのだ。

何かと報を隠したがるジーンに対し、疑念が無かったかと言われれば噓になる。

しかしそれは、期待が上書きしてしまう程度のものでしかなかった。

初めて期待を不安が上回ったのは、ジーンがフラムを引き渡す時、容赦なく罵倒するその姿を見た瞬間だ。

役立たず、と彼は言い切った。

自分が法外な値段で売りさばこうとしているを、それを買おうとしている男の前で罵る。

よくもまあ、そんなことが堂々とできたものだ。

あまりに明けけなものだから、商人も“単なるブラックジョークだろう”と自分に言い聞かせるしか無かった。

まだ信じていたのだ。

なくとも、買い取って、拠點に連れ帰り、フラムのステータスを確認するまでは。

「くそがっ、とんだゴミ摑ませやがって! おで大損じゃねえか! この、このっ!」

「うぐっ、うぅ……ふ、はひゅ……ひぐ……っ」

奴隷商人はフラムの髪を摑んで持ち上げ、腹部を何度も何度も蹴りつけた。

その度に彼は聲をらし、口の端からは涎が流れた。

落ちた雫が靴に付著すると、彼はさらに苛立たしげにフラムに暴行を加える。

フラムのステータスが全て0であることに気づき、奴隷商人の顔が真っ青になったのは、ジーンが去ってから數時間後のことだった。

他人のステータスを確認するのは非常に簡単だ、誰でも使える無屬魔法の『スキャン』で見てやればいい。

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フラム・アプリコット

:反転

筋力:0

魔力:0

力:0

敏捷:0

覚:0

--------------------

このように、大昔の偉人が作ったこの魔法は、大雑把な數値ではあるものの、対象の能力を數値化してくれる上に屬まで明らかにできる優れものだ。

本來なら、金を渡す前に確認しておくべきだった。

とは言え、もし商人がスキャンを使うような素振りを見せれば、ジーンは取引を拒んだのだろう。

それに、王國に名を轟かせる偉人が、こんな一介の商人を騙すようなみみっちい真似をするわけがない――そうタカをくくった結果がこれである。

を購してからすでに一週間が経過した。

買い手が見つかるはずもなく……と言うか、ステータスが全て0の無能など、買い手を見つけようという気も起きないほど全く使いみちの無い“商品”であり、もはやサンドバッグ以外の使い道は殘されていない。

だがそれも、もうおしまいだ。

フラムの顔を見るたびに、これから先も商人は自分の失敗を思い出してしまうことだろう。

まだ破産したわけではないのだ、これからも奴隷商人を続けていくのなら、心機一転して、堅実に商売をしていかなければならない。

だったらいっそ、こんな使いみちがない上に、見ているだけでイライラするようなゴミは、処分してしまった方が良いはずだ。

損してしまった分はしょうが無い、こんなグレーな商売をしている人間が、ジーンから金をせびれるわけがないのだから。

そう、結論づけたのだ。

フラムは、纏ったボロボロで汚れた白のシャツの襟を鷲摑みにされ、石造りの廊下の上を引きずられる。

今度はどこに連れて行かれるのか、もはや想像する気も起きなかった。

どうせまともな場所じゃない。

別の誰かに売られるのか、それとも殺されるのか。

どちらにしろ、未來は真っ暗だ。

奴隷の印を刻まれてしまった以上は、もう、故郷に戻ることも葉うまい。

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全てを諦めたフラムは、“どうしてこんなことに”と過去の行を悔やむこともやめていた。

そして商人は目的地までたどり著くと、目の前にある牢屋の鍵を開き、その中にフラムを投げれた。

ここは、彼が持つ拠點の地下。

そこに設置された、奴隷廃棄用の檻だった。

すでにフラム以外にも4人の奴隷がれられており、その誰もが自分の人生の終わりを確信し、死んだ目をしていた。

食事はもちろん與えられていないため、手足は限界までやせ細っているし、一番奧で座り込んでいるに至っては糞尿を垂れ流しにして、薄ら笑いを浮かべている。

とっくに壊れているのだろう、まだ心臓はいているが死んでいるようなものだ。

言うまでもなく、衛生狀態は最悪。

もちろん臭いも、無気力狀態のフラムですら顔をしかめてしまうほど、酷いものだった。

「溜まってきたし、そろそろ頃合いか」

外から牢の鍵を閉めた商人は、そう呟いた。

何かが始まる――しかし何が始まるのか、生ける死たちは誰ひとりとして興味を持たない。

商人は一旦準備のために牢の前を去ると、地下室からは呼吸音以外の一切の音が消え失せた。

地面に倒れ伏せっていたフラムは、ずるずると自分のを引きずり這いずると、部屋の端まで移し、壁を背もたれにして座り込む。

隣には、顔を包帯で覆った不気味な奴隷の姿があった。

「あなたは……ずっとここにいるの?」

話しかけようと思ったのは、ほんの気まぐれだ。

すると彼・・は、し目を見開いて驚いたような仕草を見せると、間を空けて返事をした。

「三日前からここに居ます」

フラムは相手がであることを、その聲で気づいた。

やせ細ったに、顔まで包帯で覆われているとなると、別の判斷がつかないのだ。

素の薄い灰の髪は肩までびており、その長さだけを見るのならと判斷できないこともないが、相手は奴隷、髪だってばしっぱなしにしている可能も考えられた。

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けれど、まっすぐに目を見た時、フラムは“綺麗な目をしている”とじた。

的な優しさを宿し、なおかつ澄んだ心を持った瞳。

きっと異なる出會いさえあれば、全く違う、幸せな人生を歩むこともあったのだろう。

「ここに連れてこられたってことは……やっぱり、私たち殺されるのかな」

「わかりません。ですが、ご主人様は私たちを処分すると言っていました」

「ご主人様?」

「先程の男です。今は、誰も私を買ってくれませんから、あの人がご主人様です」

「ああ……そう、なんだ」

その言葉から、彼は自分とは違う生きだ、とフラムは直した。

おそらくい頃からずっと奴隷として生きてきて、それが染み付いているのだ。

だから、あんな男でも、“ご主人様”と呼ぶことに抵抗がない。

包帯の隙間から見えるは、赤く爛れている。

ひょっとすると、その顔は、以前の主人からけた仕打ちの影響なのかもしれない――そんな想像をして、フラムは震いした。

包帯のには會話を続けようという意思は無い。

フラムが気まずそうに黙り込むと、しばし彼の方をじっと見つめて、そしてゆっくりと視線を床に向けた。

そのまま2人は並んで膝を抱えたまま、俯き、何でもない灰を見つめ続ける。

それからほどなくして、足音が牢屋に近づいてきた。

鉄格子の向こう側に姿を表したのは、もちろん奴隷商人の男だ。

彼はわざわざ持ってきた小さめの椅子を置き、そこに腰掛けると、偉そうに足を組んで言い放つ。

「さて、もうわかってるとは思うが、お前たちにはもう商品としての価値もない。つまり命の価値も無いということだ。そんな無価値なを飼っておく余裕は無いんでな、処分させてもらう」

だったら単純に殺せばいいだけだ、準備など必要ないはず。

「しかし、だ」

商人の口元が邪に吊り上がる。

「お前たちを買うのにも金が必要だった。今まで生かしておいたのにも、多なりとも食費がかかってる。死に際ぐらい楽しませてもらわなけりゃ、割に合わないとは思わないか?」

商人は奴隷たちに問いかけるが、誰も返事はしない。

リアクションが無いことに「ちっ」と舌打ちすると、彼は移し、鉄格子の前から姿を消した。

した先の壁には、どうやらハンドルが設置されているようだ。

彼は両手で金屬製のそれを握り、時計回りに回した。

すると牢屋の天井からザリザリと石同士がこすれる音が鳴り、小石と砂埃が落ちてくる。

フラムが気だるげに、音のした場所に視線を向けた次の瞬間――ドサッ、と天井に開いたから、人ほどの大きさをした何かが3つほど落下した。

いや、それは文字通り人だ、しかし生きている様子はない。

が、折り重なった狀態で天井から落ちてきた。

と、明のが床に飛び散り、牢屋に腐臭が満ちる。

ハンドルを回しきり、再び奴隷たちの前に姿を表した商人は、得意気な表をしていた。

「ふぅ……それが何だかわかるか? グールだよ。人の死が、殘留した魔力の影響で本能に従って勝手にき出す――要するに最低Fランクのモンスターってやつだ」

商人の説明に合わせるように、グールたちが、べちゃ、にちゃ、と不潔な音をたてて立ち上がる。

そして痙攣したようにを震わせ、首の向きを変え、獲を探した。

勇者の旅に同行していたフラムは知っている。

確かにグールは、最低ランクであるFランクのモンスターだ。

きは緩慢で、も腐でできているので非常に脆い。

「そいつら倒したら、そっから出して、また商品として売ってやるよ。しばらくは生き延びられるってわけだ。だが気をつけろよ、そいつらは……」

しかし一方で、Fランクだからと油斷した新米冒険者が、首を食いちぎられ犠牲になった、という話もよく聞く。

なくとも、戦闘の経験の無い一般人が、素手で相手にできるようなモンスターでは無い。

「あーあ、ほら言わんこっちゃない、早速群がってやがる」

部屋の隅で糞尿を垂れ流していたに、グールたちが殺到する。

彼らをかす本能とは“食”。

腐り朽ち果て、自らのから失われた新鮮なを求めて、生きた人間に食らいつく。

グチュ、クチャ、ズルゥッ――

壊れた彼び聲すらあげずに、3のグールに貪られ、殺された。

フラムと殘された2人は、とっくに自分の命など諦めていたつもりだったが、他人の死を目の當たりにして気づく。

自分はまだ、死にたくは無いのだ、と。

完全に諦観しているのは包帯のぐらいのものだ。

檻の中に満ち始めた恐怖を察して、商人はさらに口元を歪めた。

「大変だなぁ、どうにかしないと全員あのと同じ目に會うぞぉ? だが素手ではグールを倒せない、武が必要だ、そうだよなぁ?」

興が乗ってきたのか、男の口調が芝居がかってくる。

「おおっと、なんと壁に巨大な剣が飾ってあるぞ? 到底持てる重さじゃないが、もしもあれが最上級エピック裝備で、魔法エンチャントがかかっていたら、か弱い自分たちでも扱えるかもしれないなぁ?」

罠だということぐらい、考えずとも誰もが理解していた。

しかし、生きたいと願うのならば、それに縋る以外は無いのだ。

1人の男が真っ先に壁の大剣に駆け寄って、柄を握る。

もちろん、そんな巨大な金屬の塊を、やせ細った男が持ち上げられるはずもない。

ガンッ! と剝き出しの刀が、自然落下して石の床に叩きつけられ、小さな火花が散った。

それでも辛うじて柄を離さずに居るのは、彼なりの執念だろう。

とは言え、そんな執念の一何の意味があると言うのか。

音に反応して、無にもグールたちは彼に近づいているし、そんな有様では剣を振るって迎撃できるわけもない。

「はぁ、はぁ、はぁっ! こ、これで……これでぇっ、俺は生きて、生きて人生をやりなお……し……て?」

「お前の気持ち、見せてもらったよ。よく頑張ったな、その頑張りに免じて苦痛をし和らげてやろう」

「あ……あつい……か、、がっ、あぁぁああああああっ!」

剣を握った男は、突然にび出した。

よく見ると、手の甲の皮が剝がれ、と骨が剝き出しになり始めている。

いや、手だけではない。

腕も、肩も、首も――おそらく布の下にあるや足だって。

皮が剝がれ、さらにはまでもがどろりとと化し、人という形を捨てて流出していく。

「あっははははは! いやぁ、殘念だったな。それ、呪われてるんだわ。黒い刀とか見たらそれっぽいだろ? そこのフラムとかいうと同じだ。昔、上等なエピック裝備だと騙されて買わされて……俺も學ばないな。まあ、エピック裝備ってこと自は事実だったんだが、しかし強烈な呪いがかかっててまともに扱えない代だったんだよ。くっひひひ、ひゃはははは!」

商人は何がおかしいのか、げらげらと笑い聲をあげる。

「しっかし、そんなゴミが、今はゴミ駆除のための舞臺裝置になってくれてんだから、何に役に立つかはわかんないもんだなぁ」

彼が話している間にも、グールたちは次のターゲットへと近づいていた。

フラムではなく、もう1人のの方だ。

「なんで私の方に來るのよぉ……來るなっ、來るなあぁぁぁぁああっ!」

必死に手を振りながら、あとずさる

その足掻きようがツボにったらしく、商人はさらに笑っていた。

素手で勝てる相手ではなく、唯一の頼みの綱だった武も使いにならない。

もはや助かるは無い。

そう確信した彼は、最後の手段に出る。

「助けてください……お願いします、頑張りますからぁっ! ちゃんと売れるように、命がけで努力しますからあぁぁぁっ!」

力を振り絞って鉄格子に飛びつくと、両手で強く握りしめ、その隙間に顔を食い込ませながら命乞い。

殘っていた微かなプライドすら捨て、憎むべき相手に屈服する。

それで生きられるのなら構わない、化に食われて死ぬよりずっとマシだ。

「お願いしますっ、お願いじまずううぅうぅぅっ!」

必死の懇願を聞いた商人は、「ふっ」と優しい笑顔を浮かべ、立ち上がった。

鉄格子の前でしゃがみこみ、近い位置で目を合わせる。

「あ……あぁ……助けて、くれるんですか?」

今まで見たことの無い商人の表に、に希の小さなが燈る。

そんな彼に向けて、彼は一言。

「くっせえな」

と冷たく言い放ち、腰にぶら下げていた鞘からナイフを抜き取ると、下顎のらかい部分に突き刺した。

「げ……ぶべ……っ」

「あー……きっついわ、同じ人間とは思えないな、この臭い。いや、もう同じ人間じゃないか、こんなんと同じにされるとか勘弁してしいしな、ははっ」

は鉄格子の隙間に顔を押し付けたまま、ずるずると倒れていく。

刺さったナイフが支えになり、ちょうど商人と目が合う狀態になったらしく、椅子まで戻った彼はの死に顔を見て吹き出すように笑った。

――世界は、とても広い。

自分が知っていた場所はほんとに狹い、一部だけで、一歩外に出ると淀んだ腐食で満ちている。

出なければ良かった、本當は出たくなんて無かった。

フラムは呪う、自分を勇者のパーティなどに參加させた創造神オリジンを。

何がお告げだ、何が選ばれし勇者だ、そんなものさえ無ければ、こんな目に合うことは無かったのに。

朝からお晝まで両親の畑仕事を手伝って、溫かいお晝ごはんを家族みんなで食べて、午後からも同じようにしようと思ったら友達が遊びにってきて、両親は行ってきなさいって優しく送り出してくれて。

そして暗くなるまで他もない話をしたり、村のお店を回ったり、森までし冒険して花を積んでみだり。

家に帰ったら今度は夕ご飯の時間。

溫かい會話がそこにはあって、みんな笑ってて、寢支度をして夜が明けたらまた同じような一日が始まって――

それでよかった。

以上をんだことなんて無かったし、ほとんどわがままは言わなかったし、いい子だってみんな言ってくれたし。

そりゃあ不出來な娘だったかもしれない、ステータス0なんだから親に迷をかけることだってあっただろう。

けどそれが何? 他の子供たちだって多は迷ぐらいかけてるはずだ、フラムがかけてきた迷なんて可いものだ、実際両親だって“それぐらいの迷ならかけられた方が嬉しい”って笑ってくれた。

じゃあ、やっぱり間違ってる。

こんな――グールに食われて、無様にびながら死んで終わる人生なんて、何かの間違いに違いない。

「やだ……やだよぉ……こんな所で死にたくない……私、何も、悪いことなんてしてないっ!」

「ううぅ」と低いうめき聲をあげ、ひたひたと近づいてくるグールを前に、フラムの頭の中では、怒りとか、恐怖とか、とにかくとりどりの負のがミキサーにかけられたみたいに巡り巡っていた。

「いやしただろ、俺を騙して、大金掠め取ったじゃねえか。おとなしく死んどけよ」

「してないいぃっ! 私じゃないもん、それは私じゃないっ、私は悪くないのぉっ!」

事実だ。

勝手に売られて、勝手に奴隷にされて、勝手に殺されて。

その行為の責任が、全て被害者に押し付けられていいものか。許されるものか。

「いいや、悪いのはお前だ。高い金で売られてきたのにゴミだったお前が悪い」

世界のルールはそうなっているはずなのに、どうして、この場では商人の言うことの方が正しくなってしまうのだろう。

このままではフラムは死ぬ、為すもなく、無様に、不幸に、部屋の隅に転がっているような原型すら殘さないグロテスクな死になって終わる。

誰も弔ってくれない、誰も悲しんでくれない。

両親すら彼が死んだことを知らず、きっとどこかのゴミ捨て場に捨てられて、そのうち焼卻処分されてフラムという存在は消え去る。

「それでも死ぬのが嫌ってんなら……はっ、武でも握って戦うしかねえじゃねえの? あはははっ!」

――フラムの目に映るのは、地面に橫たわった巨大な剣。

その傍らには、白骨と化した男奴隷のれの果てが転がっている。

諦め、食われて死ぬのか。

抗い、溶けて死ぬのか。

どちらも変わらない、どうせ死ぬ、どうしようもない。

けど……剣を握って死ねば、抗った結果死んだという、ちょっとかっこいい事実だけが殘る。

もっとも、どうせ包帯のもあとで死ぬのだし、その記憶を覚えていてくれるのは奴隷商人だけだが――笑われて死ぬよりは、そっちの方が良いと思った。

「う……ぅぅうう……ううううううう!」

フラムはゆっくりと立ち上がる。

調は最悪、お腹も空きっぱなしで、にうまく力がらない。

それに、この一週間のうちに商人に振るわれた暴力が、彼をボロボロにしていた。

足はガニになってしまうし、ぷるぷる震えていて無様なことこの上ない。

事実、商人はそんな彼の姿を半笑いで見つめていた。

一歩、前に進む。

歩幅は小さい、このままでは彼が剣にたどり著くより早く、グールが彼に食らいつくだろう。

「は……あぁ、ぁ……ああぁぁ……っ!」

“それでも”。

理不盡な事態に直面した時、何度も自分に言い聞かせてきた言葉だ。

は心の中で繰り返す。

それでも、それでも、それでも――!

その度に、足は一歩前に進んでくれた。

回數が増える度に、歩幅が大きくなっていくような気がした。

けれど、悪夢を打ち砕かんとする勇敢な決意より、殘酷な事実の方がずっと強力だ。

気づけばグールは彼のすぐ隣にまで迫っており、ついにその爛れた腕が彼の肩を摑んだ。

「あ――」

人間離れした力で引き寄せられ、フラムのがぐらりと傾く。

グールは引き寄せた彼に左肩に口を近づけると、ぐちゃあとが糸を引く口を大きく開き、茶く汚れた歯で服を貫通し、に食い込ませた。

「ぎ、あぁぁあああっ……がっ、はっ、はひっ、ひぐうぅ……!」

ここ最近で痛みに慣れたつもりのフラムでも、耐えきれない程の激痛だった。

それでもグールはお構いなしに歯を進め、ついには布ごとを食いちぎる。

「がぁぁぁああああっ!」

ぶちりと自分の一部が剝離し、フラムの顔が苦痛に歪んだ。

耐えきれず、思わず倒れ込む。

それでも、彼の視線の先には剣があった。

まともにかなくなった左肩を諦め、足と右手の力だけで這いずり、武を目指すフラム。

「頑張れー、あとちょっとだぞー」

商人の気の抜けた応援が響く。

無関心を貫いていた包帯のも、いつの間にかフラムの方を見つめていた。

「ふー、ふうぅ……うぅ、うううぅうぅ、ぎ、ぐうぅぅぅうっ」

歯を食いしばり、鼻で荒く呼吸しながら、確実に近づいていく。

グールはべちゃりと倒れ込むと、そんな彼の右ふくらはぎに食いついた。

「あぎゃううぅっ!」

べりべりと筋を剝ぎ、咀嚼し飲み込む。

さらに別のグールが左の太ももを食らう。

最後の一匹もかかとを喰い、もはや彼の足は機能しなくなった。

もう右手だけだ。

が多すぎて、が冷たい、意識も朦朧としている。

痛みでいつ気絶してもおかしくはない、一瞬でも心が“諦めよう”と思ったらそこで終わりだ。

だから、きっとそれは、奇跡だった。

指先が――中指の先端が、剣の柄にれたのだ。

さらにフラムは腕をばし、冷たい剣を握る。

「これで……や、っと……」

これで、ようやくだ。

ようやく、溶けて、死ねる。

グールたちはさらにフラムのを食い散らかしている。

どうせ放っておいても死ぬ。

重要なのは、自分の意思で、剣を握って死んだということで。

だから何が変わるかと言われれば、よくわからないし、ただの自己満足と言われればそれまでなんだろうが。

奇妙な達だけはあった。

瞳を閉じると、痛みがふっと消えた。

妙に周囲が溫かくじられ、いつになくが軽い。

どうやら、いよいよ本格的にあの世が近くなってきたようである。

「……あ? なんだよ、それ」

商人の聲が聞こえるが、もう死にゆくフラムにとってはどうでもいいこと。

……そう、思っていたのだが。

「どうなってんだよ……なんで、なんで傷が治ってんだよっ!?」

彼の戸いように違和を覚えたフラムは、最後に一度だけと心に決めて、目を開いた。

すると――

「へ……?」

なぜかグールたちはフラムから距離を取り、立ち盡くしている。

その様は、どこか戸っているようにも見えた。

そして何より驚いたのは、グールに食い散らかされたはずの腳部の傷が、綺麗さっぱり治っていることだ。

もちろん肩も。

フラムは自分の手のひらを、目の前で何度か開いたり閉じたりしてみた。

さらには頬をつまみ、引っ張ってみる。

……痛い。

気のせいではない、夢でもない、つまりこのが軽い覚も――

フラムは立ち上がると、片手で剣を拾い上げる。

決して軽いとは言えないが、それでも持ててしまう。

ひ弱なフラムが、自分の長の8割ほどの大きさがある金屬の塊を、片手で。

「そっか……」

理屈はわからないが、結果は理解できた。

フラムは諦めなかった。

的な狀況にあっても、這いつくばって、自らの意思を通そうとした。

にみなぎる力は、その覚悟に対する見返りなのだ。

「……私、生きてていいんだ。そうだよね、そうだよ、何も悪いことしてないのに、こんな場所で死ぬなんて……間違ってるもんね」

っていたグールたちが、ゆっくりとフラムに向けて進行を始めた。

その不気味な姿にも、以前ほどの恐怖はじない。

は「ふぅ」と目を閉じて息を吐く。

意識を研ぎ澄まし、剣を握り締める手のひらに力を込め、自らの意思で、敵へ向かって前進した。

何も恐れることはない、刃のリーチはグールの腕よりも遙かに長い。

適切な間合いを見極めて、軽く剣を振るえば――

「はあぁぁぁッ!」

ブォンッ!

3のグールの上半が、同時にはじけ飛ぶ。

いくらが腐っているとは言え、先端が掠めただけで両斷するほどの威力。

到底、筋力0のが放った一撃とは思えなかった。

剣に何らかの仕掛けがあることは間違いない。

だが、フラムにとって今はそんなことどうでもよかった。

重要なのは、ここから生きて出ることである。

今度は鉄格子を封じる鍵に近づくと、両手で握り、力いっぱい上から振り下ろす。

ガゴンッ!

あっさりと鍵は破壊され、ギィと扉が開いた。

はそこから出て、商人の前に立つ。

「ま……待て、待ってくれ! いいから、このまま、出ていっていいから! だから……い、命、だけは……」

別にフラムに彼を殺す理由など無い。

そもそもほぼ戦闘経験すら無い彼は、人殺しになるつもりなどさらさら無いのだ。

それに、彼を殺した犯人だと明らかになれば、奴隷という立場を考えれば死刑は免れないだろう。

だから――

ドスッ。

フラムはあっさりと商人の顔に剣を縦に突き刺した。

幅広の刃は彼の頭の先端から顎までぴったりと斷ち切り、引く抜くと、頭蓋は花が咲くように見事に開いた。

と脳漿が流れ落ちる。

商人の中は、彼に“臭い”と稱されたよりもずっと不快な臭いを放っていた。

フラムの心は自分でも驚くほど落ち著いており、罪悪を覚えることも無い。

手のひらに伝わってくるは、グールを切った時とほぼ同じだ。

そう、彼はとっくに人型のモンスターを殺していたのだ、だったら腐りきった奴隷商人を殺すのも大した差は無い。

理路整然としたロジック。

大丈夫、フラムは正常だ、狂ってなんかいない。

ここ一週間で味わった経験で、しばかり価値観が歪んでしまっただけで。

フラムの握っている大剣には、最初から鞘が用意されていない。

いくら片手で扱えると言っても、剝き出しの刃をそのまま持ち歩くわけには行かない。

“どうやって仕舞えばいいのかな”――フラムがそう思った瞬間、大剣は粒子になって消えた。

そして彼の右手の甲に、赤い紋章が刻まれる。

「そういやエピック裝備って言ってたっけ……キリルちゃんの持ってる裝備もそうだったよね、念じるだけで収納できるってやつ」

これが、高い魔力を含有した“エピック”ランクの裝備の特徴である。

裝備はコモン、アンコモン、レア、レジェンド、エピックの5段階にランク分けされており、エピックに近づくほど能が高くなっていく。

これらのランクは、ステータス同様に裝備に対して『スキャン』を発させることで確認が出來る。

そしてランクがエピックの裝備は、所持者が念じることで自由に異空間に収納することが可能なのである。

単純に能が高く、かつ持ち運びに便利なこともあって、エピック裝備はべらぼうに高い。

ただの奴隷商人が持てるような代では無いのだが――おそらく人々の怨念を吸い込んだ“呪いの裝備”だから安価で取引されたのだろう。

まあ、剝き出しのまま運用しなくていいのなら、それに越したことはない。

無事、裝備の収納に功したフラムは、檻の中で座り込んだまま、自分の方を見つめている包帯のに近づく。

そして、無言で手を差しべた。

もちろんは首をかしげる。

「ん? じゃないってば。一緒に逃げようよ」

「どうしてですか?」

「いや、商人が死んだんならもうここに居る理由なんて無いじゃない」

「……」

はじっとフラムの顔を見たまま、黙り込む。

目は綺麗だが、何を考えているのかはわからない。

「もうっ、私だって商人殺したのがバレたらまずいっての。ほら、早く行こっ!」

待ちきれないフラムは、強引に彼の手を摑んで立ち上がらせた。

そのまま檻を出て、拠點の外へと連れ出そうとする。

「あの……」

「んー?」

「私の、ご主人様になってくれるんですか?」

フラムは思わず足を止めた。

「別にそういうつもりじゃないんだけど」

なぜ連れ出そうとしただけで、そのような結論に達するのか。

「でも、私を連れて行くんですよね? 使おうとしているんですよね?」

「使うって……」

「違うんですか? でしたら、どうして私を連れ出すんですか? ご主人様じゃない人について行っても、私はどうしたらいいのかわかりません」

は、っからの奴隷だった。

それもおそらく、生まれた時からずっと。

だから彼にとっての人間関係とは、“奴隷”と“ご主人様”以外に存在しない。

正直に言えば、フラムが彼を連れ出そうと思った理由は、1人だと心細いとか、寂しいとか、ただそれだけなのだが。

しかし包帯のが、主人になると言わなければ納得しないのであれば――

「わかったわかった、じゃあ今日から私があなたのご主人様になるから、付いてきてくれる?」

はこくりと首を縦に振った。

「じゃあ……まずは名前を聞いてもいい?」

「はい、ミルキットと申します。よろしくお願いします、ご主人様」

深々と頭を下げるミルキット。

「あー……よろしくね、ミルキット」

“ご主人様”という慣れない呼ばれ方に戸いながらも、彼の手を握ったまま再び走り出す。

拠點を出て、路地を抜け、大通りへ。

ここまでくれば、もう安心だろう。

久々に吸ったまともな場所・・・・・・の空気に、フラムはようやく、自分が人間に戻れたような安心を覚えたのだった。

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