《「お前ごときが魔王に勝てると思うな」とガチ勢に勇者パーティを追放されたので、王都で気ままに暮らしたい》110 弱き者
魔族領國境付近の町、ヴォーラー。
フークトゥスを出たフラムたちは、クーシェナとミナリィアの姉妹を連れてここを訪れていた。
王國に近いせいか、このあたりになると生えている雑草や木は、フラムの見覚えのあるものが増えてくる。
むき出しの、砂が多めの地面の上に建ち並ぶ、無骨な石の建。
このあたりは雪も降らないためか、屋の形狀が北の方とは若干異なる。
かといって基本的な作りは変わらないため、例のごとく集會所以外の住宅には飾り気がなく、他の集落とける印象は大して変わらなかった。
そんな町並みを歩いていると、通りがかった住民たちがざわつきだす。
ネイガスとツァイオンもそれなりに有名人のようだ。
フークトゥスに比べて、この町では魔王の影響はそれなりに大きいとも言える。
同じ魔族領南側に存在する場所でも、國境線にほど近いと魔王が訪れる回數にも差があったのだろう。
ネイガスとツァイオンも、シートゥムの連れ添いで何度もヴォーラーを訪れたことがあるらしく、先頭を歩く二人の足は目的地を目指して迷いなく進む。
いつもならネイガスの隣を歩くセーラは、今はクーシェナとミナリィアのそばにくっついていた。
二人ともセーラには比較的心を許しているようで、言葉をわしては、時折、年相応に表をほころばせている。
町の中央あたりまで進むと、ネイガスとツァイオンは民家の前で足を止めた。
そして、呼び鈴が無いため、手の甲で玄関を叩き、家主の名を呼ぶ。
「トファノさん、いる?」
し間を開けて、トファノと呼ばれた老婆が姿を見せた。
ツァイオンは腰をかがめ、小柄な彼と視線を合わせて「よっ」と片手を上げた。
「おや、ネイガスにツァイオンじゃないか。無事だったんだねえ、良かった良かった」
トファノは二人の手を順番に握り、再會を喜ぶ。
そして、フラムたちの方に視線を向けた。
「人間のお客さんとは、珍しいねえ」
「詳しい話をすると長くなるわ」
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「なら中にりな。あたしも、聞いておきたいことがいっぱいあるのさ」
そう言って、家の中にっていくトファノ。
遅れてフラムたちも家にあがり、ネイガスがこれまでのあらましを彼に話した。
ディーザの裏切り、オリジンの復活、シートゥムの同化、リートゥスの存在。
驚くことばかりで、トファノはさすがに困った表をしていた。
だが、最も重要なのは――フークトゥスで保護した姉妹についてである。
「そうかい、ネイガスはこの二人の柄をあたしに預けようとしてるんだね」
前もって話を聞いていたためか、クーシェナとミナリィアに揺はない。
だが不安はまだある。
フークトゥスから離れたとはいえ、彼たちはまだ他者を信頼できる狀態ではないのだから。
トファノは彼たちを見ると、にこりと笑って言った。
「腹が減ったって顔をしてるねえ」
「別にそんなことないよ、いつものことだし」
「じゃあいつも腹が減ってるってことだ。腹が減ると頭はかない、ろくでも無いことばかり考えるようになる。難しい話をする前に、食事にしなきゃならないようだ」
強引な話の流れに、困った表を浮かべるミナリィア。
しかしトファノはマイペースに立ち上がり、部屋の隅で腕を組む男――ジーンを指さした。
「そこの難しい顔をしてるあんた」
「……」
もちろん彼は反応しない。
とはいえ、それで折れるトファノでもない。
「なに目をそらしてるんだい、眼鏡をかけたあんただよ」
「まさか僕のことを言っているのか?」
「それ以外に無いだろう。さ、作るから手伝いな」
「は? まさかこの天才に料理を手伝えと言っているのか? なぜそのようなことをしなければならない、納得できる理由を言え」
「うだうだ言わずにやるったらやる! どうせ暇なんだろう?」
「いや、待て暇などでは……クソッ、離せ袖を摑むな! おいそこの愚民ども、誰か助けろ! 僕のような天才の貴重なリソースが料理などに割かれていいと思っているのか!?」
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そう言って連れて行かれるジーン。
もちろん誰も助けない。
「あんたたちは疲れてるだろう? 適當に部屋でも使って休んでな」
トファノはそう言い殘してリビングを去っていった。
フラムはその様子を見てぼそりとつぶやく。
「あのおばあさん強いなあ……」
「私の母の時代はもっとすごかったそうですよ」
リートゥスの母――つまり先々代の魔王だ。
かれこれ百五十年以上前の話になる。
魔族なのだからそれぐらい生きていても不思議ではないが、今以上とは一どれだけの肝っ玉の持ち主だったのやら。
もしその頃のトファノにジーンをぶつけたらどうなっていたのやら。
「あのたくましさは見習いたいっす。でも、なんでジーンを指名したんすかね?」
「々と見抜いたんじゃないかしら、若者を矯正するのが趣味のおばあさんだから」
「さすがのジーンでも、あのばあさんには勝てねえだろうな」
苦笑いを浮かべるツァイオン。
どうやら彼にも、トファノに関する苦い記憶があるようだ。
何はともあれ、こうなってしまったら食事ができるのを待つしかない。
ネイガスとツァイオンは自主的に・・・・キッチンに向かい、料理を手伝うようだ。
殘されたのは、クーシェナとミナリィア、そしてセーラとフラム。
「おらたちは部屋で休もうと思うっすけど、フラムおねーさんとリートゥスさんはどうするっすか?」
「私は、フラムからあまり離れられませんから」
フラムというよりは、鎧からではあるが――離れられてもせいぜい數メートル、トファノの手伝いをするにはフラムがずっとキッチンの近くで待機しなければならない。
「私は町をちょっと散歩してみようと思ってたんだけど、リートゥスさんそれでもいいですか?」
「構いませんよ、私にとっても懐かしい場所ですからね」
「ってなわけで、私たちは外に出るから、セーラちゃんたちはゆっくり休んでて」
「了解っす! さ、行くっすよ」
セーラは姉妹を連れて、部屋へ向かう。
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あの二人の方がセーラよりもずっと年上なわけだが、互いにそこはあまり気にしていないようだ。
「フークトゥスを離れてから、クーシェナちゃんとミナリィアちゃん、明るくなりましたよね」
「あの町は彼たちにとって檻だったのでしょう。きっと外の世界は、初めて見るものばかりで楽しくてしょうがないはずです」
「そのままの勢いで幸せになってくれるといいんですけど」
「大丈夫ですよ、トファノに任せれば。彼、なんだかんだ言って優しいですから」
リートゥスの言葉には実がこもっている。
確かに押しは強いが、怖さはあまりじない。
姉妹も、彼になら安心して預けられるだろう。
「しかし、町を散歩するということは、なにか気になることでもあったのですか?」
「さっき外を歩いてたとき、この町の人たちってネイガスさんやツァイオンには驚いてましたけど、私たち人間には驚いてなかったじゃないですか。それに、町中でちらっと人間の姿を見たような気がしたんです」
「すでに他の人間がここに來ていると?」
「その可能はあるかと」
真相を暴くために外に出たフラムとリートゥスだったが、散歩を初めてものの五分ほどで人間と遭遇することとなった。
話は単純、王國でキマイラに襲われたのでここまで逃げてきたらしい。
フラムたちが王國にいたときよりもキマイラの被害は広がっており、今や國境付近にまで及んでいるとのことだ。
逆に考えると、王都周辺の危険は減ったと言えるかもしれない。
故郷の無事と、離れ離れになった大切な人――ミルキットやエターナ、インクたちのを案じ、フラムは青空を見上げた。
◇◇◇
「誰かの作ったご飯、か……」
部屋のソファでくつろぐミナリィアが呟いた。
隣で肩を寄せるクーシェナは、不思議そうに彼の方を見ている。
「ひあいぶい、あえ」
「うん、フークトゥスにいたときはずっとゴミ漁りしてたもんね」
彼は地獄を思い出し表を曇らせた。
もちろん、げられるべき存在であった二人に食事など與えられない。
唯一許されたのは、家庭から出たゴミをあさり、口にすることだけだった。
水だって真水がもらえるのは數日に一度だけだったのだ、病気になるのも當然のことだ。
「もうそんなことは無いっすよ」
セーラは優しい聲で告げる。
「本當に?」
「斷言するっす」
「れも、へーらのひりあいひゃ、ない」
「確かにトファノさんはおらの知り合いじゃないっすけど、ネイガスがああ言うってことは間違いないっす」
「ひんあい、ひへう?」
「信頼してるっす、だから二人にもおらのことを信頼してしいっす」
笑いかけるセーラに、クーシェナも「んへー」とだらしなく笑い返した。
一方で、ミナリィアはまだセーラたちのことも信じきれていないようだ。
「すぐに信じ切るのは無理だと思うっすよ。でもきっと、一緒に過ごしていれば、自然とそうなっていくと思うっす」
「トファノっておばあさんも、ネイガスっての人も、セーラたちには本當の姿を見せてないだけかもよ」
「それは無いっすね」
「どうして言い切れるの?」
「ネイガスと一緒にいたからっす。トファノさんもネイガスと一緒にいたっす、だから信じられるっす」
「……あたしは、そうはなれないかな」
「あ、おらみたいにはならない方がいいかもしれないっすね。ちょっと人を信じすぎるところがあるみたいっすから」
苦笑いを浮かべ、し恥ずかしそうに頬を染めるセーラ。
それを見て、ミナリィアは思わず吹き出した。
「ふふっ……なんか、セーラと話してると気が抜けちゃうね」
「むーろめーかー」
「そうっすかねぇ……でも、おらでみんなが笑ってくれるなら、それ以上に幸せなことは無いっす!」
両拳を握りながら宣言するセーラ。
彼のポジティブさは、真似するのは難しい。
それでも彼の影響をけて、傷ついた人たちはほんのしだけ前向きになれる。
姉妹と最初に出會ったのがフラムだったら、ネイガスだったら、ツァイオンだったら、あるいはジーンだったら――二人を救うことはできなかっただろう。
魔法の力は大したものではない。
キマイラや、オリジンに立ち向かうには不安が多い。
しかし、セーラだからできたこと、セーラでなければ出來なかったことが、確かにここに存在していた。
その出會いの奇跡を、クーシェナとミナリィアも噛みしめる。
「あーあ……こんな風に、誰かと普通に話をするなんて、もう二度と出來ないと思ってたのに」
「あのほき、いらい?」
「あの時……ああ、神樹の下で、父様や母様とご飯を食べたとき?」
頷くクーシェナ。
そんな思い出話があることは、セーラにとっても意外だった。
「ご両親は、そういうこともしてくれたんすか?」
その問いに、ミナリィアは首を橫に振った。
「たった一度だけ、両親の機嫌がとてもよくて、『家族ごっこをしてみたい』って母様が言い出したことがあってね。母様が作ったへったくそでまずいお弁當を持って、神樹の下でご飯を食べたことがあったんだ」
「ごっこ、っすか」
「想像とかじゃなくて、本當に言ってたからすごいよね。でも、悔しいけど、すっごく楽しかった。そのあとも神樹を見るたびに思い出すぐらいには、あたしにとっても、クー姉にとっても、大事な思い出だった」
「ミナ……」
どれだけ腐っていても、二人にとっての両親は彼らだけだ。
いや、普段がひどかったからこそ、逆に際立って、そのときのことを忘れられなくなってしまったのかもしれない。
「質素だったけど、下手だったけど、まずかったけど――おいしいって喜んでみたりしてね」
「ほんろうに、おいひかった」
味の問題ではない。
親が作ってくれた、最初で最後の料理。
それが大事なのだろう。
「母親が作ったってだけなのに、それだけでだよ? 単純だよ、子供って。どれだけ憎んでも、その記憶だけはキラキラ輝いてて、嫌でも忘れられない」
「似たようなもんっすよ、誰だって。おらだって、『もし教會に拾われずに普通に生きてたら』ってよく想像してるっすもん」
ないものねだりが無駄なことなんて、子供だって知っている。
だが、無駄でもやってしまうのだ。
虛しくなるだけだとわかっていても、求めずにはいられない。
「人間も魔族も一緒だね」
「そう、一緒っす。だからクーシェナとミナリィアも、きっと自分を肯定してくれる誰かと出會えれば、幸せになれるっす!」
自分自がそうであったように。
そして、願わくば、トファノやこの町で出會う人たちが、二人にとってそういう存在でありますように――と、セーラは心の底から願った。
◇◇◇
食事を終えると、フラムたちはヴォーラーに一泊することになった。
泊まることに、珍しくジーンは反対しなかった。
どうやらトファノとの攻防で神力を使い果たし、本人もダウンしてしまったようだ。
一方で元兇であるトファノの方はピンピンしているのだから、恐ろしいものである。
翌朝、フラムたちは早い時間に町を出た。
別れ際、姉妹とセーラは、「戦いが終わったら必ず會いに來るっす!」と小指を絡め約束をわす。
ヴォーラーでほんの一晩過ごしただけでも、クーシェナとミナリィアの顔つきはずいぶんと変わっていた。
それだけ、フークトゥスでは抑圧されていたのだろう。
次に會うときは、二人がもっと素敵な笑顔を見せてくれると信じて、一行は南へ向かう。
町から出ると、その先には行く手を阻むように配置された柵が現れる。
これが國境線だ。
空を飛べる魔族には意味のない障害だが、どちらかと言うと『ここから先は王國である』という主張を明確にすることが目的で設置されたものである。
それを飛び越え、ついに王國へ。
そこからほど近い、対魔族を想定して作られた前線基地は、廃墟と化していた。
當然、生きた人間は一人もいない。
キマイラによる殺戮の形跡と、られた死者、それとグール化した死があるだけだ。
また、そこからし離れた場所にある最寄りの町にも、人の気配はない。
ヴォーラーにいた人間に聞いた通りである。
逃げた人間も多かったそうなので、町の人間が全滅したということはないだろうが――二箇所だけでも、死者數は百人をゆうに越えている。
被害が大きいのは、魔族領側と王都側、両方向からキマイラが來たためではないかと推測されるが、それならヴォーラーが無事なのは不思議である。
ひょっとすると、ディーザが襲うのは避けるように指示したのかもしれない。
なぜなら、ヴォーラーは彼の生まれ故郷でもあるからだ。
彼に故郷への郷愁というが存在するとも思えないが、それらしい理由は他に考えられなかった。
もっとも、國境付近が壊滅しているからと言って、他の地方もそうとは限らない。
以前ならともかく、今のフラムはそう考えることができるようになっていた。
なにはともあれ、まずは道中の町に立ち寄りながら王都を目指すしかない。
ミルキットを探すにしても、避難所代わりに使っていた跡はその先にあるのだから。
本來なら長い旅路だが、今の彼たちが駆け抜ければ、一日もかからないだろう。
◇◇◇
『人間の心理とは不思議なものだな、ヒューグ。いや、今の私を人間と呼んでいいのかという疑問はあるがヒューグ、しかしだ、私は私のままなのだからそこで區別は必要ないと思うんだ。つまり私は今でも、どこまでもまともなニンゲンだよヒューグ』
右手から巨大な塊をぶら下げた男は、それをずるずると引きずりながら森の中を歩いた。
その前を走るオティーリエは、必死に聲をあげる。
『早くお逃げなさいっ! 足を止めてはいけませんわ、とにかく走って!』
まずは避難所から救出した一般人を逃がすことが先決である。
ヘルマンやヴェルナー、アンリエットは別の場所で避難民たちを逃している。
途中まで一緒だったエターナやインク、そして彼たちが連れていたミルキットはどこへ行ったのかはわからない。
ヒューグの振り下ろした巨大な腕に分斷され、はぐれてしまった。
『すなわち私が何を言いたかったかと言うとだなヒューグ、人というのは逃げられると追いたくなる。おそらくこれは好きな人間をいじめて犯したくなる現象とよく似ていると思うんだ、ヒューグ。そうだろう? そうだねヒューグ。私もそう思うよ』
『こっちは全力で逃げているはずですのに……間違いなく離れているはずですのに、なぜあの男はどこまでもついてくるんですの!?』
逃げても逃げても、なぜか離れない。
見えなくなったかと思えば、すぐ後ろにいる。
そしてあの、支離滅裂な言葉がどこからともなく聞こえてくるのだ。
力以上に、オティーリエの神がすり減っていく。
元から得の知れない男だったが、それにオリジンが混ざったことで、をかけておぞましい存在になっている。
ヒューグと遭遇したのは、エターナの魔法で崩壊する跡から避難民を救ったあとのことであった。
予定を変更して、助け出した彼らを王都から離れた町へ護送しようとしたオティーリエたちであったが、その道中でこの化とかち合ってしまった。
最初は、きが緩慢だったので逃げられると判斷し、固まって遠ざかろうとしたのだが、いざ逃げてみるとなぜかぴたりと後ろをつけてくる。
逃げても逃げても距離が遠ざかることはない。
きは遅いままで、特に急いでいる様子もないのに、である。
姿が見えなくなった次の瞬間には、また近づいてきているのだ。
この狀況が危険だと判斷したアンリエットは、分散して逃げることを提案した。
今の戦力ではヒューグを倒すことは難しい。
足止めは可能でも、仮にその隙に避難民たちを逃したとして、彼らがキマイラと遭遇しないとも限らないのだ。
つまり、それは『逃げ切れなくとも犠牲者が最低限で済むように』という苦の策であった。
そしてヒューグに追われる貧乏くじを引いたのが、オティーリエだったというわけである。
走るたびに、頭のカールしたツインテールが揺れる。
王都にいたころは艶のある赤だったが、長い間まともに風呂にもれていないせいか、しくすんでいた。
顔だって泥まみれだし、白い軍服だっていたるところが汚れている。
そんな苦労をしてまで王國の人々を助けた末に待っているのが、あんな化との鬼ごっこなのだからたまったものではない。
『特にあの、本當はずっと前から食べたいと思っていたんじゃないのかい、ヒューグ。そうだったヒューグ、あれはいいだ、もくて切るととても気持ちよさそうだし、きっと心臓なんてコリコリしていてとても気持ちいいよ、ヒューグ。つまりいただきたいね、そうだねいただきたいね、ヒューグ』
『わけがわかりませんわ、何なんですのあの男はっ!』
振り上げられる腕。
避難民たちは先に進んでいる。
相手の狙いはオティーリエだ、ゆえに彼はあえて違う道を選び前へ進んだ。
つまり、敵の攻撃を引きける覚悟を決めたのである。
いや、覚悟など決まっていない。
本當は嫌に決まっている。
せっかくアンリエットと想いが通じ合いそうなのに、戦いさえ終われば軍を抜けて、彼のそばで働けるのに。
そんな夢のような生活を前に、死ぬことなど許容できない。
しかし――振り上げられた腕が天にび、巨大な塔のようにそそり立つ姿を見て、さすがの彼も『もうダメかもしれませんわ』と心が折れそうになってしまう。
『私は最近気付いたんだヒューグ。何に気付いたんだいヒューグ。人は、死んでも、セックスができるんだよ、ヒューグ。いいやむしろそっちの方が気持ちいいんだよね、だって裏切らないから、ヒューグ』
ゴオォォオオオッ!
巨大な建造が倒れ込むように、ヒューグの腕がオティーリエに迫る。
彼は必死に避難民が逃げた方向とは逆に走り、最後には不格好に前に飛び込みながらそれを回避した。
ズウウゥゥゥンッ――
地面に叩きつけられた異形の腕は、大地をえぐるのみならず、生えていた樹木を幹を砕きながら押しつぶす。
人があの下敷きになれば、原型すら殘らないだろう。
『どうにか、避け――』
安堵するオティーリエ。
直後に“首への斬撃”の存在を思い出し、必死で転がり回避した。
おかげで、が流れる程度には傷が殘ったが、死は免れる。
だが、ヒューグの攻撃はそれだけでは終わらなかった。
彼の腕が、バラバラに分裂したのだ。
元々、彼の腕はオリジンの力によって様々な生を継ぎ接ぎして作られたものである。
それが切り離されたということはつまり――生の継ぎ接ぎ、そもそも生命として立しているのかも怪しい異形が、數千も野に放たれるということ。
人の腕にムカデのように昆蟲の足が生えたもの、羊の切り落とされた頭部に鳥の頭が付けられたもの、大腸を手足のように使い這いずるもの、右半分が犬、左半分が人ので四つん這いで近づいてくるもの――それらが一斉に押し寄せてくる姿は、彼にとって悪夢と呼ぶ他なかった。
ぬめりとしたが、を這いずる。
『ひっ……いや、お……お姉様……っ』
目前に迫る死に、オティーリエの頭の中を、これまでじたことのない恐怖が埋め盡くしていった。
◇◇◇
「お姉様あぁぁぁぁっ!」
急にんで起きたオティーリエに、ソファに腰掛けお茶を飲んでいたアンリエットは、を震わせ驚いた。
「はぁ……はぁ……」
上半を起こしたオティーリエは、汗の浮かぶ額に前髪を張り付かせながら、肩を上下させている。
アンリエットはティーカップをテーブルに置くと、ベッドに近づいた。
そしてオティーリエの頭をに抱き寄せる。
「またあの夢を見たのか」
「お姉様……あぁ、お姉様ぁ……」
ここは王城にある、アンリエットの自室。
アンリエットやヘルマンの助けにより、オティーリエはどうにかヒューグから逃げ切った。
だがそのまま彼に追い立てられる形で、王都まで戻ってくる羽目になったのだ。
しかも、あのとき別れたエターナたちは未だ行方不明のまま。
いつ彼が襲ってくるかわからない以上は、戦えない一般人を連れて王都の外に出るわけにもいかず、ずっとここに足止めされている。
食糧はあるし、部屋も余っている。
キマイラも散り散りになったのか、時折人狼型が姿を見せるぐらいのものだ。
人狼型なら、ここにいる全員が力を合わせれば、なんとか撃退できる。
籠城するにはうってつけの場所ではあるが――かれこれ一週間近くここに籠もっていると、心の方が先にやられそうだ。
アンリエットはともかく、ヒューグ戦で神的にダメージをけたオティーリエはこの狀態だし、何より避難民たちの神狀態が危うい。
打開策を考えるものの、現狀維持以上の最善が見つからない。
そんな狀況に、アンリエットは臍を噛む。
「わたくしたち……このまま、死んでしまうのでしょうか」
オティーリエがつぶやく。
「珍しく弱気なんだな。お姉様と一緒なら何でもできる、と言ってくれるお前の方がらしくて好きだぞ」
「ありがとうございます。ですが……」
この狀況では、さすがのオティーリエでも無責任に『何でもできる』とは言えない。
たとえアンリエットが共にあっても、である。
「どんなに窓を閉じても、王都に蔓延する死の匂いは消えませんわ。町を見下ろせば、キマイラにられたり、グール化した死者がを求めて徘徊している。建は燃え、朽ち果て、町並みは原型すら殘していない。わたくしたちの命だけが助かったとしても……王國は、もう終わりではないですか」
「終わらんさ」
「なぜ、言い切れるのですか」
「スロウ王は存命だ、私もいる、オティーリエもいる、ヘルマンやヴェルナーだって生きてる。ならば諦めるには早すぎるだろう。それとも何だ、お前は私と共に生きるより、諦めて死ぬ方を選ぶのか?」
アンリエットは発破をかけているようだ。
その言葉に、というよりも、彼に気を遣わせてしまったことを、オティーリエは心から恥じ反省した。
「そう……ですわね」
本心では、まだ完全に立ち直ったわけではない。
だがせめて、アンリエットの前だけでは強がろうと思った。
無論、それに気づかない彼ではないが、強がろうとするだけ、言葉をわす前よりはマシである。
表にも余裕が出てきたオティーリエは、アンリエットの腕から抜け出してベッドを降りた。
「気分転換がてら、顔を洗ってから他のみなさんの様子を見てきますわ」
「ああ、そうしてもらえると助かるよ」
見送られ、部屋を出るオティーリエ。
一人部屋に殘ったアンリエットはソファに腰掛けると、天井を見上げて大きく息を吐いた。
落ち込んでいる彼の手前、『諦めるな』などと言って虛勢を張ってみたものの、アンリエット自も困り果てていた。
この袋小路から、どう出したものか、と。
「救世主が現れるまで現狀維持、などと都合のいいことができればいいのだが」
食糧はまだしばらくもつ、水の心配もない。
問題は、生活面ではないのだ。
「果たして、敵――オリジンは、私たちをこのまま放っておいてくれるのか?」
彼に宿る戦士の勘が、そう遠くない場所に存在する敵意の存在を知していた。
◇◇◇
廊下に出たオティーリエは、その先にあるバルコニーを見つめた。
誰かが手すりに腕を置き、憂鬱げに王都を見下ろしている。
彼はその背中に近づくと、隣に並んで聲をかけた。
「ヴェルナー、何をしていますの?」
「……なんだ、オティーリエか」
気付いていなかったのか、急に現れたオティーリエに、ヴェルナーはし驚いた様子だった。
いや、驚いた理由はそれだけではないかもしれない。
そもそも彼がヴェルナーに話しかけるということ自、非常に珍しいのだ。
仕事中ならともかく、プライベートとなると特に。
「おいらは変わり果てた街を見てただけだよ。オティーリエこそ、そっちから話しかけてくるなんてどういう風の吹き回しだい?」
「気分転換ですわ。わたくし、々調子が悪いようですので」
「それは見てたらわかる。そんなにヒューグが怖かった?」
ヴェルナーは茶化したつもりだったが、オティーリエにとっては死活問題である。
今まで、どんな相手にも、敗北することはあってもここまでの恐怖をじることはなかった。
死にかけたのだから仕方がないのだが、その恐怖はアンリエットを想う気持ちにすら割り込んでくるのだ。
自らの幹を揺るがされているようで、不愉快極まりない。
「あー……ごめんごめん、今のはデリカシー無かった。でもさ、恐ろしいもんだよね。元はオティーリエより強いとはいえ、アンリエットと同等程度の教會騎士だったわけでしょォ? それがコアってのを使っただけで、あんな強大な力を持っちゃうっていうんだからさァ」
「ヴェルナー、まさかあなた、あれに憧れていますの?」
「とんでもない、おいらも化になってまで力がほしいとは思わないよォ」
彼の“強さへの執著”は、オティーリエもよく知っている。
スラム出のヴェルナーは、その戦闘能力一本で副將軍という地位まで上り詰めてきた。
だからこそ、強さこそが全てだと考えている節がある。
コアへのあこがれも、さっきは誤魔化してみせたが、多はあるのだろう。
とはいえ、『化になってまで力はほしくない』という言葉は紛れもない本音のようだが。
「たださ、実際問題どうするんだろうねェ。このままじゃジリ貧だよ?」
「お姉様だってそれぐらい考えていますわ」
「考えてるんだろうし、アンリエットの頭を疑うわけじゃない。ただ、考えたところで答えなんてでるのかなァ、ってさ」
逃げ道が無いのなら、どんなに考えても答えは出ない。
すでに詰んでいる・・・・・、その可能は十分にありえるのだ。
あとは死ぬだけの狀況にまで追い詰められているのなら、やはり希を持つだけ無駄なのでは――と考え込むオティーリエの表が、みるみるうちに曇っていく。
「ごめん、またもやデリカシーがなさすぎた。気分転換っつってんのにこんな暗い話は無いよねェ」
「あなたにそれを期待したわたくしが悪いんですわ」
「なにげにそれひどくない?」
「事実ですもの。わたくしは他をあたりますわ」
元より、対して仲のよくないヴェルナーにそれを期待すること自がおかしかったのだ。
オティーリエは後ろを向くと歩き出す。
彼は、バルコニーを出る直前で足を止めて、最後に一つだけ彼にたずねた。
「ねえヴェルナー、ずっと聞きそびれていたのですが」
「なんだい?」
「避難所が破壊されたあのとき、あなたはどうして外にいて、無事でしたの?」
彼は、避難所の人々を守る役目を任されていたはずだ。
それにあそこにいた人たちが言うには、跡が破壊される前兆は全く無かったのだと言う。
ならばなぜ、ヴェルナーは避難所の外にいて、難を逃れたのか。
振り返った彼は、いつもと変わらぬ調子で答えた。
「前も言わなかったっけ? フラムが急にいなくなったから、跡の外を探してたんだよ」
理由としては、妥當だ。
さほど矛盾もない。
納得するしかないのだが、オティーリエはどうにも釈然としなかった。
「ああ……そうでしたわね。それが聞ければ十分ですわ、それでは」
今度こそ、バルコニーを去るオティーリエ。
ヴェルナーは遠ざかっていく彼の背中を、目を細めながら見つめていた。
◇◇◇
バルコニーを出たオティーリエは、階段を降り、なんとなくヘルマンの部屋を目指す。
その途中、彼は一人の修道とすれ違った。
中央區教會でセーラと家族同然に暮らしていた、ティナである。
「あら、このフロアに何か用事でもありますの?」
「子供が泣いちゃって、おもちゃか絵本でもどっかに転がってないかと思ったのよ」
「なくともここにはありませんわよ、どちらかと言えば一階の倉庫を見た方がいいと思いますわ」
「倉庫って、鍵がかかってるわよね」
「先日わたくしが壊したからもう開くと思いますわよ」
決して神狀態が不安定だったからではなく、鍵が見つからなかったから仕方なく、である。
「ならよかった」
「と言っても、わたくしたちが生活していた場所に子供のおもちゃがあるとは思えませんが」
「おもちゃじゃなくても、あやせたらなんでもいいのよ」
そう言って、ひらひらと手を降って階段を降りていくティナ。
彼は、破壊された避難所ではなく、オティーリエたちが王都に戻る途中で合流した三人のうちの一人だ。
殘りの二人は、王であるスロウに、イーラというギルドの付嬢を名乗るであった。
オティーリエも階段を降りると、一階の広間の前に移し、微かに開いたドアの隙間から中の様子を覗き込んだ。
避難所から救出された人々は、ここに集められている。
ただし、一部はエターナが引率していたため、そのまま行方不明だ。
部屋の中には赤子の泣き聲が響いており、それをスロウとイーラが必死になってなだめていた。
スロウ、イーラ、ティナの三人は、各地の避難所を回り、気持ちの沈んだ人々を勵ましたり、傷を癒やしたりしていたらしい。
未曾有の災害に直面したことで、王としての使命が生まれたということだろうか。
そのおかげか、スロウの顔つきは、以前に比べるとほんのしだけたくましく見える。
あとは……騒のさなかで命を落とした彼の母の存在も、関連しているのかもしれない。
「気丈ですわね、母親の死を見つけたのはほんの數日前ですのに……」
「そんなところで見なくても、中にればいいのに。副將軍様が來てくれれば、みんな喜ぶと思うわよ?」
倉庫から戻ってきたティナが、オティーリエに聲をかける。
振り向いた彼は、弱々しく笑うと首を橫に振り否定した。
「今はむしろ、わたくしが勵ましてしいぐらいですもの。他人の支えになるには、もうし時間が必要ですわ」
「副將軍って言っても人間なのねえ」
「お姉様のように強くなれたらとは思っていますが……ところで手に持っているそれ、ひょっとしておもちゃの代わりですの?」
ティナは両手に木で作られた剣を握っている。
非常に軽く、サイズも実際の剣の半分ほどしかない。
「他にそれっぽいのが無かったから、とりあえず持ってきてみたの」
「確か、子供向けの験団のときに使っていたものですわね」
「そんなのやってたんだ」
「數年前に、一度だけ。結局は大臣から『軍は遊びではない』と言われて中止になってしまいましたが。実際は敵もいないので、兵士を遊ばせてばかりだったというのに」
「死者をけなすことになるけど、上の方の人たちっておい上に保的だったものね」
「とは言え、わたくしたちも子供の扱いは慣れていませんから、かなり苦労したものですが。一番懐かれていたのはヘルマンでしたわね」
「妹さんがいたのよね」
ヘルマンには、大事にしていた妹がいた・・。
おそらく王都から出たあとも、両親を含めて見つからない家族のことを心配していたのだろう。
結局は、ヒューグやキマイラに追われて王都に戻ってきたときに、まぬ形で再會を果たす形になったのだが。
グールとり果て、兄の命を奪うために、ぎこちないきで近づいてくる妹。
それをモンスターとして殺すしかなかった、ヘルマン。
死は家族の亡骸と一緒に、彼の手で城にほど近い宿舎の裏に埋められ、そこには手作りの墓が作られている。
「それはそれは大事にしていましたわ。いつも『仕事場に連れていって』とせがまれて困る、と楽しそうに語っていましたから」
「……報われないわね。信仰してた神にこんな目に合わされるなんて、馬鹿らしくなっちゃうわ」
「軍人であるわたくしたちも多は研究のことを知っていましたから……同罪なのかもしれませんわね」
民を守る軍人らしく、避難した人々を守ってはいるものの、原因の一端は軍にもあるのだ。
罪悪が、オティーリエの心をさらに深い場所へと沈めていく。
「誰もあなたたちが悪いとは思ってない」
「社辭令でも助かりますわ」
「本音よ」
「知っていますわ、ですが信じられないのです。今はまだ、もうし時間が必要なのでしょう」
「そう、ならもう何も言わないわ。早く元気になって、みんなの前に顔を出してあげてね」
ティナはオティーリエの橫を通り、広間にっていく。
そしてぐずる赤子に駆け寄ると、木剣をおもちゃ代わりに高い聲であやし始めた。
オティーリエはその様子を見て微笑むと、その場を去った。
◇◇◇
カンッ、カンッ、カンッ!
ヘルマンの部屋からは、繰り返し金屬がぶつかりあう音が響いていた。
一心に刃と向き合い、ただひたすらに槌を振り下ろす。
雑念は無い。
自己すら無い。
ただただ心を無にして、に染み付いたきを繰り返すだけだった。
爐が部屋全を熱し、額には玉のような汗が浮かぶ。
その覚すらも喪失している。
もはやヘルマンは、剣を鍛えるための一つの道と化していた。
そうしなければ、家族の死という現実に向き合うことができない。
そんな部屋の前で、オティーリエはドアノブに手をばそうとして、直前で止めた。
彼と顔を合わせたところで、何を話すつもりだと言うのか。
食事もせずに、顔すら見せない彼のことを心配しているのは事実だ。
しかし、今のオティーリエに家族を失ったヘルマンを勵ませるほどの心の余裕はない。
ヘルマンが打ち直している刃は、王都で見つけた二本の剣だ。
エキドナと思われる化の死の近くに落ちていた、フラムの剣である魂喰いと、ガディオが使用していた両手剣。
その二つを、一つに束ねようとしているのだという。
本來は不可能――いや、出來たとしてもまともな強度にはならないだろう。
しかし、一流の鍛冶師でもあるヘルマンが『できる』というのなら、そうするだけの価値はあるはずなのだ。
「ですが、彼は……」
剣を作り上げたところで、使い手であるフラムがいなければどうしようもない。
いや、フラムがいたところで、ヒューグのような化どもに勝てるはずがないのだ。
それでもヘルマンは止まらない。
理由はわからない。
しかし湧き上がる使命が、限界を越えてを突きかすのだ。
オティーリエはドアの向かいにある壁に背中を預け、叩きつけられる槌の音を聞く。
その中に、ヘルマンの心の奧底にある悲壯や虛無をじ、彼の表はさらに曇っていった。
そこに、先程までバルコニーにいたはずのヴェルナーが姿を現す。
彼はオティーリエに近づくと、「こんなところにいたんだ」と軽く聲をかけた。
「あなたもヘルマンに何か用事があったんですの?」
「いんや、おいらは外でグールでも狩ってこようと思ってさ。そんで一階まで降りてきたら、オティーリエの姿が見えたってワケ」
「好きですわね、あなたも。ここに來てから毎日のようにグールや死者と戦っていますわよね」
「こんなときに・・・・・・よくできるなって、そう思う?」
「思わないと言えば噓になりますわ」
なくともオティーリエには、わざわざ自ら出向いて戦いに參加する気力など無かった。
アンリエットも同様に、あえてグールを狩るということはしないようだ。
確かに數は減るかもしれないが、殺したところでまた別の死がグール化するだけだ。
それだけの人數の死が、この廃墟と化した街の下に埋まっている。
「こんなときだからこそ、だよ。人間の心ってのはさ、追い詰められたときこそ真の姿をさらけ出すものさ」
「真の姿……」
「こうして落ち込んでるオティーリエは、戦いに向いてない。一見して勇ましく見えるけど、中はの子ってことだろうねェ」
黙り込むオティーリエ。
つまり、彼を戦いから遠ざけようとするアンリエットの見立ては正しかったのだ。
確かに才能はあるのかもしれない。
だが、才能と人間の向き不向きは別の問題である。
「アンリエットも優しすぎる、やっぱり軍人には向いてないかなァ。あと、ヘルマンはっからの鍛冶師だねェ、見たまんまだけど」
「あなたはどうですの?」
「おいらは見ての通り、ただの戦闘狂さ。こんなときでも、を斬ってると心が安らぐ」
「それなら屋の方が向いてますわよ」
「他者を斬り捨てることで、自分の強さを実することが大事なんだ。おいらは、誰よりも強くならなきゃいけないから」
グール程度を斬ったところで、その求が満たされるものなのか――オティーリエには理解できなかった。
いや、他者の執著など理解できるものではない。
あえて踏み込んで否定する必要もない。
オティーリエがアンリエットのそばにいれば気持ちが安らぐように、ヴェルナーにとってのそれが、グールを殺すことなのだろう。
「んじゃ、おいらは行くね」
彼はおもちゃを買いに行く子供のように、無邪気に城を出ていった。
一人になったオティーリエは、最後に一度だけヘルマンの部屋の扉を見つめ――その場を立ち去り、アンリエットのもとへと戻っていく。
◇◇◇
ヴェルナー・アペイルンは、王都の貧民街で生まれた。
あの箱庭は、王國の法とは別の法律で統治されている。
力が全て。
力さえあれば何もかもが許される。
力さえあれば、殺人だって――
母はを売って生計を立てていた、だから父親が誰かは知らない。
暮らす家は、木片とボロ布で作ったテントとも呼べない代。
その中で、ヴェルナーはい頃から母が男にを捧げる姿を見ながら育った。
そして五歳のとき、母は薬中毒で発狂し、糞尿を撒き散らしながら死んだ。
そういった境遇の子供は、貧民街では珍しくない。
運良く孤児院に引き取られる者もいれば、親の仕事を継いで・・・を売る者もいたし、のたれ死んで死を闇市場に流される者もいた。
そんな中、ヴェルナーは一人の男に拾われた。
彼は子供を駒のように使い、貧民街で力を振るう有力者の一人。
子供たちは最低限の食事を與えられ、ひたすらに働かされ、その利益のほとんどを男に獻上しなければならなかった。
あるは、『あれは人の形をした化だ』と言う。
ある年は、『生かしてくれるだけ優しい』と言う。
ヴェルナーは、『どうでもいい』と自分以外の全てを切り捨て、ただただ力を求めた。
空いた時間があれば己を鍛え、り上がるための力を求める。
結果的に、彼は支配者であった男を殺すことに功し、そして貧民街を抜け出した。
新たな支配者にり代わることもできたが、そうしなかったのは、世界の広さを知っていたからだ。
力さえあれば、外の世界でもり上がれるはず。
そう信じ、圧倒的能力であっさりと軍の登用試験に合格。
さらに軍人となってからも次々と功績をあげ、笑ってしまうほど順調に出世し、副將軍の地位を手にする。
全てがうまくいっている。
このまま軍のトップに――いや、國のトップまで上り詰めてやる。
そう考えていたヴェルナーだったが、すぐに世界の殘酷な現実を知ることとなる。
筋。
才能。
努力だけではどうあがいても覆せないものの存在。
副將軍より上の世界はあまりに遠く、どんなに手をばしても更に離れていることがわかるばかり。
あまりに理不盡だった。
袋小路に迷い込んでしまったかのようだった。
そんなヴェルナーは、オリジンの復活という危機を――チャンス・・・・だと考えた。
王城から出ると、彼はその足で大聖堂へと向かう。
広場を歩いていると、生きた人の気配を察知したグールどもが、を求めて近寄ってきた。
彼は金屬の爪を両手に裝備すると、接近する數十に向かって突っ込んでいく。
すれ違ったのはほんの一瞬。
目にも留まらぬ速さで群れを通り過ぎると、彼の背後でグールが細切れになった。
に塗れた爪を見て、満足げに微笑むヴェルナー。
「限界なんてない、おいらはまだまだ強くなれる……!」
彼の纏う服の下では、マリアから與えられたオリジンコアが音もたてずに渦巻いている。
またも、彼の願に応え、人の形を維持したまま変質していた。
ヴェルナーは自らが切り刻んだグールの死に近づくと、その一片を拾い上げた。
そしておもむろに、を口に含む。
くちゃ、くちゃと音をたてながら咀嚼すると、なまぐさいそれをごくりと飲み込んだ。
「……相変わらずひどい味だ」
もはやヴェルナーのは、人以外をけ付けないようになっていた。
代わりに、食らった相手の力を取り込んでいる――そんな覚がある。
かといって、味覚が変わったわけではないため、彼は腐った人を無理矢理にでもに詰め込まなければならなかった。
ヴェルナーは地面に膝を付くと、を次々と拾い上げ、口に放り込む。
よほどひどい味なのだろう。
嗚咽をらしながら、顔をしかめ、それでも必死に食らいつく。
強くなるために。
強くなって、才能など無くても頂點に上り詰められることを証明するために。
だが同時に、虛しさもこみ上げてくる。
地面に這いつくばって死を漁る姿は、最低ランクのモンスターであるグールと何ら変わりない。
そこまでして、人のを捨ててまで、強さを求める意味とは一何なのか。
自分は強くなるために強くなったんじゃない。
強さの先に権力や支配があると信じて、力を求めたはずなのに――一この姿のどこに、権力者としての威厳があると言うのか。
「考えるなヴェルナー、何も……力さえあればいいんだよ、力さえあればどうにかなる……うっ……ぐ……」
渦巻く胃袋に満ちた生を吐き出しそうになりながら、よろりと立ち上がるヴェルナー。
「才能と筋にも恵まれたクソみたいなどもや、図がでかいだけの甘ちゃんにだって勝てるんだよ……今は、それでいいじゃないか……!」
ふらふらとおぼつかない足取りで、大聖堂へと向かう。
アンリエットたちが死を処理したおかげか、建の中に死は無い。
犠牲者たちの痕や、散らかった儀禮や書類などはそのままだが、街の有様に比べれば綺麗なものだ。
ヴェルナーは、そんな白で統一されたオリジン教の総本山を進む。
そして一階廊下の突き當りにたどり著くと、橫の壁にれた。
見ただけではわからないが、ここには魔力駆式のスイッチが隠されている。
ただし、単純に魔力を流すだけではかない。
特定の周期で魔力を流すことで作する、特殊な作りになっているのである。
「最初に流してから一秒空けて魔力を流す。次は五秒後、さらにその次は三秒後、最後は二秒後」
サトゥーキの部屋をしているときに見つけた資料。
その記述を頼りにスイッチを軌道させる。
すると、前方の壁がせり上がり、地下へ続く階段が現れた。
「よし、よしっ、よしっ!」
ヴェルナーのテンションがあがる。
王都での勇者たちとマザーの戦いの後、チルドレンと呼ばれた年のは、墓地に埋葬された。
しかしマザーのは、教會の希で大聖堂に収容されていたのである。
そしてそのまま、地下のの部屋に保管されている――資料にはそう書かれていた。
明かりすらついていない階段を、迷いなく降りていくヴェルナー。
今の彼は、暗所でも視界が閉ざされることはなかった。
その代わりに、全ての景が元とは違う何かに見えるようになってしまったが、ただ強さを求めるだけならむしろ便利なぐらいだ。
現れた扉を開くと、その先には、で満たされた明のケースがずらりと並んでいる。
その中には、人間の死が、死んた當時の狀態のままで浮かべられていた。
サトゥーキを除く樞機卿――トイッツォ、タルチ、スロワナク、ファーモを始め、先代教皇フェドロや、先代王ヴァシアスのまである。
教會は、いずれ失敗したネクロマンシーの研究を見直し、彼らを蘇らせるつもりだったのかもしれない。
しかし、ヴェルナーにとってそんなものはどうでもいい。
重要なのは部屋の奧、隅っこに置かれている片だ。
元人間だとわからぬほどただの塊だったが、それがマザー――マイク・スミシーの一部であることは、オリジンに與えられた知識によりすぐにわかった。
ケースの蓋を素手で破壊し、ヴェルナーは両手でをすくい上げる。
「これがあれば……今までとは比べものにならない、力が……! はははっ、あっははははは!」
壊れた笑みを浮かべながら、彼はそれに食らいつく。
噛みちぎり、丁寧に咀嚼し、初めて死の味をじっくりと楽しみながら――その力を、に取り込んでいく。
「お……おおぉ……」
コアを破壊されれば、化と化した人間から力は失われる。
例えばヴェルナーがエキドナの死を食らったところで、驚異的な力は手にらないだろう。
しかしマザーの場合は違う。
これは、マイク・スミシーという男が産み落とした・・・・・・、いわばオリジンの力で産み落とされた生命なのである。
無論、フラムに破壊されたため、コアは殘っていない。
だが代用となるコアならヴェルナーが保持している。
しかもオリジンの封印は解けており、コアに流れ込む力は以前の比ではない。
「ごっ、ごぶ……ぎ、ガアァァァアアアアアッ!」
グールや死者ならまだ、人間の形を維持することができた。
だがマザーを取り込んでしまったとなると、もはやそれすらも難しい。
人の形では許容できず、膨張していく。
もう戻れないほど変わり果てながらも、に満ちる圧倒的な力に、ヴェルナーは恍惚とした笑みを浮かべていた。
◇◇◇
地面の揺れと、外から聞こえてきた大きな音に、アンリエットとオティーリエは慌てて立ち上がり、窓の外を見た。
「なんですの、あれ……」
大聖堂が、側・・から破壊されている。
そして代わりに、赤いスライムのようながそこにはあった。
部屋でくつろいでいたオティーリエは、突然の事態に揺を隠せない。
一方でアンリエットはすぐに駆け出し、部屋を出た。
「お姉様っ!?」
慌てて追いかけるオティーリエ。
アンリエットが向かった先は、一階の倉庫だ。
そこには、王城の地下――玉座の間の真下にある寶庫から持ち出した、とある道が置かれていた。
高さ1メートルほどの臺座に、直徑は50センチほどの青い水晶がはめこまれた、キマイラの制裝置を思わせる外観。
「これは、王城に戻ってきた日に持ってきた魔法ですわよね」
「ああ、數年前にジーン・インテージに頼んで作ったものでな、この建を一時的に強力な障壁で覆ってくれる。どれぐらい耐えられるかはわからないが、時間ぐらいは稼げるだろう」
「……これは、どうして走騒のときに使わなかったんですの?」
ネイガスの攻撃や、フラムたちの走も、これがあれば防げただろう。
「致命的な欠陥があったからだ。この裝置は、確かに王城を守ってくれる。だが障壁展開時――」
アンリエットは困った顔で告げる。
「反で、王城の周辺にいる人々が吹き飛んでしまうのだ」
自分のことしか考えない――ある意味でジーンらしい裝置である。
しかし王都に人間がいない今なら、気兼ねなく使うことができる。
アンリエットは水晶に手を置き、機のために魔力を注ごうとした。
しかしそれをオティーリエが止める。
「待ってくださいませお姉様、まだヴェルナーが外にいますわ!」
「オティーリエ、わからないか?」
「何が、ですの?」
「さっきの化は、ヴェルナーだ。おそらくあいつは、跡から出した時點ですでに我々を裏切っていたんだ!」
「そんな……」
「フラムがさらわれ、ヴェルナーが跡の外で無事だった理由も、それで説明がつく」
つまり、アンリエットは王都に戻ってきた時點で、彼の裏切りに勘付き始めていたのだ。
それでも、彼は実際に避難民を助けてくれたし、今日まで長い間、同じ軍の仲間として付き合ってきた。
できることなら、気のせいであってほしい――そう願っていたのだが。
ズウゥゥゥンッ、と建全が揺れる。
ヴェルナーが迫っているようだ、もはや一刻の猶予もない。
「起するぞ、いいな!」
「わかりましたわ」
今度こそ魔力を流し、水晶が淡くを放ち、裝置が起する。
ぞわりと、中に込められた魔力が一気に広がっていくのを、オティーリエたちはでじた。
「これで、起しましたの?」
「そのはずだが……」
部屋自に変化はない。
だが間違いなく、東棟は魔力による障壁で包まれていた。
二人は倉庫から廊下に出て、窓から外の様子を眺める。
するとほんのしだけ青くのついたが、建を覆っていた。
そして、の塊からびた手がそれにれると、バヂッと弾かれる。
「ちょ、ちょっと何があったのよ!?」
広間から飛び出してきたイーラが、アンリエットに詰め寄った。
「ってひやああっ!?」
そして窓の外から見える不気味な塊を見て、腰を抜かす。
アンリエットは彼に手を差しべ、を引き上げる。
「あ、ありがとう……でも何よこれ、どうなってるわけ?」
「ヴェルナーだ。彼は裏切って、オリジンコアの力を得た」
「それ大丈夫なの!?」
「ひとまず建を障壁で囲んだ、三日はこれで誤魔化せる」
「地下に出路はないの?」
「東棟に地下通路は無い……いや、地下牢は跡を利用して作ったものだったはずだ、壁を破壊すれば出路は見つかるかもしれないな」
考え込むアンリエット。
だが、外を見ていたオティーリエは彼の袖を引き、慌てた様子で言う。
「お姉様、ヴェルナーの様子がおかしいですわっ!」
今までは様子を見るように手をばすだけだったが、今度は薄く広がり、建全を覆っていく。
そう、かつてマザーが王都全を包み込んだように、コアによって生まれた子宮・・で、この東棟を包もうとしているのだ。
のが遮られ、部に闇が満ちる。
すぐにオティーリエがスイッチに手をばし、魔燈で廊下を照らした。
「私は広間に戻るわね、パニックになってるだろうから」
「ああ、ならば私も――」
そう言って一歩踏み出したアンリエットは、そのまま固まってしまった。
「どうしたんですの、おねえさ……ま」
オティーリエも、彼の方を見た狀態で止まる。
「がああぁぁぁあああっ!」
そしてイーラも含め、三人が同時に頭を抱えて膝をついた。
まるでオリジンが復活したあの日のように、強烈な思念が、脳に流れ込んでくる。
立つことはおろか、自己認識すら出來ないほどに、思考をかきす。
「おね……さま、おねえ……さまぁっ!」
オティーリエはアンリエットへの強い執著でどうにか正気を保っていたが、イーラはそうはいかない。
「ああぁぁぁあああ! あああああああっ! ああああああぁぁぁああっ!」
おもむろに立ち上がると、頭を振りしながら廊下を一直線に駆け抜ける。
そして突き當りの壁に顔面から衝突し、その反で仰向けに床に倒れた。
「はっはははははっ、あー、はははっ、はぁああんっ、んぁっ、あー、ああぁああ!」
さらに寢転がったまま、ダダをこねるように手のひらで床を叩き、足をばたつかせ奇聲をあげる。
「オティ、リエ……これは……何、が……が、ががが、がっ、ぎゃっ、ぐ、ぎ……っ!」
障壁は理的な侵を防ぐことはできても、神汚染を防ぐことはできない。
いや、本來王城にはそのための防魔法もかけられているはずなのだが、オリジンの力が増した今、それは意味をなさない。
脳に、意味不明な思考と文字と聲と死と快楽と痛みと極楽浄土の混沌が、一気に流する。
「お姉様、お姉様、お姉様っ……!」
オティーリエは、必死にアンリエットにしがみついて、彼を呼ぶことしかできない。
そうして、アイデンティティをつなぎとめているのだ。
比較的神力が強いはずの二人ですらこのザマである。
広間の一般人がどうなっているかなど――考えるまでもなかった。
◇◇◇
國境を越えたフラムたちは、王都に到著するまでにいくつかの町に立ち寄った。
どこも魔族の集落に比べれば被害は小さい。
また、途中で遭遇したキマイラの數もせいぜい人狼型が二、獅子型が一程度のもので、やはり魔族領に比べるとないようだ。
それでも人間たちの怯えようは相當なもので、フラムが『人間だ』と言っても信じてもらえず、何度も命を狙わそうになった。
まあ、フラムは亡霊を連れているし、さらに二人も魔族を連れているのだから、混させてしまったのも事実である。
しかし一方で、魔族を好意的にけれてくれる人間も増えており、王國と魔族のわした停戦協定の効果を実することもあった。
結局、王都にたどり著いたのは王國にった翌日。
王都北側にある高い崖からその街並みを見下ろそうとしたフラムは、王城に起きている異変にいち早く気づき、険しい表を浮かべる。
「フラムおねーさん、何か見えたんすか?」
崖の下で待機していたセーラが尋ねる。
するとフラムは一言、
「私は先に行くから、みんなもすぐに王都に來て!」
そう言い殘して、王都に向かって跳躍した。
今のフラムに全力で走られると、追いつける者は誰もいない。
「どうやらあっちで何か起きてるみたいね」
「オリジンめ、死んだ街で何を企んでるんだ?」
「そんなん行きゃわかるだろ、オレたちも行くぞ!」
セーラがネイガスの腕に収まると、三人は一斉に駆け出し、王都に向かった。
◇◇◇
先行したフラムは城壁の前で飛び上がると、上に著地し塊と対面した。
フラムが真っ先に思い出したのは、マザーのことだ。
見た目が似ているわけではないが、なんというか、纏う空気がそっくりなのだ。
「気味の悪い姿ですね」
「私が以前戦った化と似てるんです。生き返ったのか、誰かが利用しているのか……」
どちらにしても、潰すだけだ。
飛び降り、一気に塊に接近するフラム。
走りながら各種裝備をにつけ、赤いマントをはためかせながら駆け抜ける。
「ふっ!」
まずは挨拶代わりの右ストレート。
十分な加速を付けたそれは、もはや砲弾並みの威力となっていたが――拳を突き出した途端、塊がフラムの目の前から姿を消した。
「逃げたようですね」
「そうはいかないっ!」
東棟を包んでいた塊はあっさり撤退したかと思うと、王城前の広場で一箇所に固まっていく。
元は大聖堂を破壊するほど巨大だったと言うのに、それは理法則を無視して小さく凝していった。
やがて人の形となり、見覚えのある顔で挑発的に笑う。
「久しぶりだねえ、フラム・アプリコット」
「ヴェルナー!」
怒りに表を歪め、ぶフラム。
避難所が潰され、彼がさらわれた最大の原因は、間違いなくヴェルナーの裏切りだ。
フラムにとっては彼も、憎悪の対象であった。
「君と戦うにはちょっと準備が必要かなァ、ここは撤退させてもらおう」
「そうはいかない! ここでお前も殺してやるぅっ!」
「いいのかなァ、おいらなんかに気を取られてて。あの建の中の人たち、死にそうになってるよん?」
「くっ……」
一瞬だけ東棟に気を取られるフラム。
その隙に、ヴェルナーは素早いきで姿を消した。
元々、速度には自信のあった彼だ、オリジンコアでその能力はさらに強化されている。
フラムならば探そうと思えば見つかるだろうが、まずは東棟の人々を助けるのが先決だ。
ヴェルナーと対峙している間に、他の四人も王都に到著したようだ。
罠が仕掛けられている可能も考慮し、フラムたちは固まって建に向かう。
覆っていた障壁はフラムの手によってあっさり破壊されたが、それでなぜジーンが不機嫌になったのかは、誰にもわからなかった。
◇◇◇
ヴェルナーの汚染から解放され、正気に戻った人々は、広間で放心狀態になっていた。
障壁起から、一日が経過している。
広間はににとひどい有様で、部屋の隅には死が積み重なっていた。
「ひゅー……ひゅー……」
その山の中から、微かに呼吸音が聞こえる。
オティーリエだ。
彼は、狂い、互いを傷つけ合う広間の人々ををして止めようとしたが、自もそれに巻き込まれてしまった。
そして丸一日に渡って暴行をけ続け、もはや瀕死の狀態であった。
それでもオティーリエは、アンリエットのことばかり心配している。
一緒に人々を止めようとしたことは覚えている。
やむを得ず、殺規則ジェノサイドアーツできを拘束していた姿も、覚えている気がする。
だがそのあと、広間から姿を消してしまった。
「ひゅー……かひゅ……おね……さ……は……ひゅ……」
オティーリエは必死に前に手をばし、死の山から這い出る。
「げほっ……お、ぅ……ヒー……ルっ!」
すると近づいてきたティナが、オティーリエに回復魔法をかけた。
傷を癒やすには足りないが、しだけが軽くなる。
「ヒ……ィル……っ! ヒー、ル……っ!」
さらに何度も回復魔法をけるうちに、オティーリエは両手を使って立ち上がれるまでになった。
するとそんな彼にティナはよろめきながら、しがみつく。
その目には涙が浮かんでいた。
「ごめんなさい……本當に、ごめんなさい……」
振るえる聲で告げられる懺悔。
おそらく彼も、オティーリエに対する暴行に參加していたのだろう。
「あなたがたは、誰も悪くありませんわ……」
全ての原因はヴェルナーにある。
しかし、急に攻撃が止まったということは、外で何かが起きたということ。
余計にアンリエットが心配になったオティーリエは、ティナをなだめ、その場に座らせると、広間から出ようとした。
すると、ちょうど出り口のところで、予想外の相手と出くわす。
「オティーリエ!」
「あなた、フラムですの? どうしてここに!?」
王都から逃げたはずのオティーリエ。
さらわれたはずのフラム。
互いに驚くのも當然であった。
さらにフラムの背後に待機する四人を見て、オティーリエはさらに困する。
「魔族に修道にジーン・インテージまで……本當にどうなってますの? いや、そんなことどうでもいいですわ。それよりお姉様を見なかったかしら!?」
オティーリエはフラムの肩を摑み、顔を近づけながら問いただす。
もちろん心當たりなどはない。
手を振り払って、広間にろうとしたフラムだったが――ぐちゅっ、とを潰すような微かな音に気づく。
「……二階から何か聞こえた」
「まさかお姉様がっ!?」
駆け出すオティーリエ。
フラムも並走し、二人は猛スピードで階段を――いや壁を蹴り上がり、二階に著地する。
そして上がってすぐの廊下で、まみれになったアンリエットと、笑うヴェルナーの姿を見た。
その景が、オティーリエの逆鱗にれる。
「てめえはッ、何してんだよぉおおおおお!」
フラムのトラウマを刺激する荒々しい聲で、剣を抜きヴェルナーに突っ込むオティーリエ。
その速度は、彼のステータスから想像できる速度を遙かに凌駕していた。
彼の暴走するは、どうやら人ののリミッターを外してしまうようだ。
「おぉおおおおおおおッ!」
ある程度まで近づくと、素早い剣のきで蛇咬アングイスを放つ。
しかしヴェルナーは溶けるように地面に姿を消し、そしてオティーリエの背後に立った。
「遅いなあ、オティーリエ」
「舐めんじゃねえぞクソッタレエェェェェッッ!」
振り向きざまの一閃。
しかしそれも溶けて回避。
そして今度は、完全に見えなくなってしまう。
「やっぱ弱いし遅いよなァ、人間って。あっはははははははは!」
ヴェルナーはそう言い殘すと、フラムがじていた気配すら消えてなくなる。
どうやら遠くへ移したようだ。
オティーリエはすぐにアンリエットに近寄り、ぐったりと倒れる彼のを抱き上げる。
「お姉様っ、お姉様あぁぁぁぁぁぁっ! ああ、どうしたらいいの、お姉様のが、だらけで、こんな、傷が……ああぁっ、死んじゃう、お姉様が死んじゃううぅぅぅ!」」
「オティ……リエ、私は、まだ……」
「お姉様ぁっ!」
ギリギリ命はあるようだが、腹部を貫かれてしまっている。
フラムは、遅れて階段を上ってきたセーラに急いでアンリエットの治療をするよう伝えた。
セーラのリカバーなら、すぐに傷は癒えるだろう。
「なんか釈然としないな……」
し離れた場所でその景を見ていたフラムは、顎に手を當て考え込む。
全的に、ヴェルナーの引き際が良すぎる。
どんなに怪我を負わせても、回復魔法で癒やされれば意味は無い。
なのになぜ、アンリエットにトドメを刺さずに彼は去ったのか。
「ああ、よかった……お姉様が死なない……よかった、よかったあぁ……」
「泣くなオティーリエ、人が見ているぞ」
ボロボロと涙を流すオティーリエを、アンリエットは頭をなでてめる。
「ありがとうな、えっと……セーラで良かったか」
「お禮はいいっすよ、おらも人の命が救えて嬉しいっすから」
相変わらずセーラの笑顔は眩しい。
「オティーリエがいて、アンリエットがいる。ヴェルナーは裏切って……あとは……」
その間も考え続けていたフラムは、まだ姿を見ていない彼・のことを思い出す。
「ねえアンリエットさん」
そして、彼は回復したばかりのアンリエットに尋ねた。
「ヘルマンさんはどこにいるの?」
「フラムか……ヘルマンなら一階の自分の部屋に……まさかっ!?」
アンリエットも、どうやらそれに気付いたようだ。
フラムは「チッ」と舌打ちをして、再び壁を蹴り、建の部を破壊するほどの勢いで一階に降りた。
なぜもっと早くに気づかなかったのか。
ヴェルナーがアンリエットを襲撃したのは、殺すためじゃない。
アンリエットがいなくなれば、絶対にオティーリエが騒ぎ出す。
それに釣られて、他の人間の興味もそちらに向くだろう。
つまり――これは囮。
オティーリエを始め、他の人間たちの意識をそちらに向けるための罠だったのだ。
廊下を駆け抜け、フラムはすぐさまヘルマンの部屋の前にたどり著いた。
暴にドアを蹴破ると、そこで彼が見たものは――
「ほんっと、人間って遅いよねェ」
ご機嫌に笑うヴェルナー。
そして、その爪で心臓を貫かれ、ぐったりとうなだれるヘルマンの姿だった。
アンリエットと違い、そのからは生気がじられない。
もう死んでいる。
ひと目みてわかってしまったフラムは、その場に立ち盡くした。
「あはははっ……ははははっ、あっははははは! やっべえ、やっぱこれやっべえよ! オリジンってすげえ、コア使ってよかった! おいら強えぇぇぇぇっ! あのヘルマンが無抵抗で死んだぞ? おい、おい!? あっはははははっ! 強い! 強すぎるうぅぅぅ!」
ヴェルナーは爪を引き抜くと、ヘルマンのを床に投げ捨てた。
そして笑いながら、死に馬乗りになり、ずたずたに引き裂いていく。
繰り返し、繰り返し、何度も何度も、壊れたおもちゃで遊び続ける子供のように。
「希もぉっ! 未來もぉっ! なんにもありませーん! 終わりだ、お前が弱いから終わったんだよヘルマン! 家族が死んだのも、妹が死んだのも、全部お前が弱いから! 弱いからっ、ざまあぁぁぁぁみろっ! 甘っちょろいことばっか言ってるから嫌いだったんだよ、嫌いなやつを殺せるのが強者の特権だぁっ! きっはははははぁっ!」
のけぞりながら、口の端からよだれを流し、ひたすらにに傷を刻み続ける。
それはオリジンによって狂わされたというより、ヴェルナーという男の人間的な醜さそのものであった。
「フラム・アプリコット、殘念でしたー! お前に渡そうとしてた剣はぁ、もうおいらが壊しちゃいましたぁっ! ざんねぇんっ、ざあぁぁぁぁんねええぇぇんっ! おいらのエクスタシーを邪魔することはでぇきませぇんっ! 素手じゃおいらを倒すこともでっきませえぇぇんっ! んああぁぁっ、最高だあぁぁぁぁっ! 絶頂するうぅぅぅぅ!」
部屋の床には、彼が渡そうとしていた両手剣が、無殘に砕かれ転がっていた。
り口で立つフラムは、剣の破片を、ヘルマンの死を、そしてヴェルナーの聲を聞き、を憤怒で滾らせる。
拳を握り、肩を震わせる。
「お、怒るか? 怒っちゃうかな? フラムちゃぁぁんっ?」
挑発に乗るつもりはない。
それを差し引いても、ミルキットが傷ついた原因は彼にある、フラムがさらわれた原因は彼にある。
元より恩義などないし、けをかけるエピソードだってない。
生粋の、正真正銘のクズだ。
ぶっ殺す以外に、他の処斷が思いつかない。
「ヴェルナアァァァァァァァァッ!」
フラムは絶し、不快に笑うヴェルナー目掛けて弾丸のように翔けた。
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