《「お前ごときが魔王に勝てると思うな」とガチ勢に勇者パーティを追放されたので、王都で気ままに暮らしたい》116 PROMISE
數分後、遅れてジーン、ネイガス、ツァイオン、セーラ、そしてバートの五人が到著する。
抱き合うフラムとミルキットを見て、ジーンが骨に舌打ちをしたのは言うまでもない。
他の四人は、溶けた村人によってだらけになった広場を見て眉をひそめていた。
「これはまた妙なメンバーが集まってる」
エターナがそう言うと、視線が彼に集中する。
「エターナ、貴様もしぶとく生きていたか。もっとも、五満足とは行かなかったようだがな」
ジーンがそう言うと、インクがを噛んで目をそらす。
そんな彼をフォローするように、エターナはその手を握った。
「ねえ、セーラもそこにいるんだよね。回復魔法でエターナの腕は治せないの?」
「傷口を見せてもらわないとなんとも言えないっすけど……」
「いい、自分でもわかってる。もうあれから時間が経ってる上に、切斷された腕も無いから、魔法による治癒は難しいはず」
「……そう、なんだ」
インクとてわかっていた。
それでも、可能に賭けてみたかったのだ。
「問題はない、わたしにはこれがあるから」
そう言うと、エターナは魔法を唱え水の腕を作り出す。
それは通常の右腕と遜ないきで、開いたり閉じたりを繰り返した。
「用なもんだな、オレの炎じゃんなことはできそうにねえ」
「水使いの特権」
「ふん、僕にもそれぐらいはできるがな」
なぜか張り合うジーンだったが、もちろん誰も相手にしなかった。
そしてひっそりとリートゥスも鎧から黒い腕を揺らしてアピールしていたのだが、こちらには誰も気づいていない。
「と言っても、インクは納得しなさそう」
「だって……」
「インクは優しい子だからすぐには無理だろうけど、本當にわたしは平気。だから、早いところ前みたいに笑ってくれると嬉しい」
水の腕がインクの頭をでる。
それでも彼はやはり自らの罪を許容できないようだが――エターナがそばにいれば、いずれは解決するだろう。
そのやり取りを見てフラムたちも、エターナが腕を失った理由がインクにあることは察しがついていたが、首を突っ込もうとする者は一人もいなかった。
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「ところで、フラムのステータスが異常な數値になってる理由を聞きたい」
「その前に、今日ここでなにが起きたのかを説明しろ。助けてやった僕らにはその権利があるはずだ」
「人にを頼むときはもうし言いようがあると思う」
「エターナ、自分の立場を弁えろ。いいか、僕たちが來なければ、お前はヒューグに殺されていたんだぞ?」
「ジーンはほとんど何もしてないわよね」
「ネイガス貴様までっ! どいつもこいつも僕のおかげで命を救われたくせに橫柄な奴らだ! いいだろう、ならば僕の偉大さをそのにわからせてやる!」
「まあまあ、落ち著けって」
今にも魔法を放ちそうになるジーンを、ツァイオンが前に割り込んでなだめる。
まるで兇暴な猛獣でも手懐けようとしているようである。
「エターナさんって、ジーンさんと仲が悪いんですか?」
ミルキットが小聲で尋ねると、フラムは首を縦に振った。
旅のときからずっとそうだった。
というか、ジーンと仲のいい人間など一人もいなかったかもしれない。
相當人の良かったライナスは何かと気にかけていたが、かつてはそれすらもぞんざいにあしらっていたのだから。
しかし、その中でも際立って、エターナとジーンの仲は悪かった。
魔力は高いが水屬しか扱えないエターナと、魔力は劣るものの四屬をるジーン。
互いに役割が微妙に被っているからこそ、特に戦闘中なんかは罵倒し合うことも珍しくなかったのだ。
「エターナ、とりあえずこっちから話していいんじゃない? シアのこととか、溶けちゃった村人のことも気になるだろうし」
「……インクがそう言うなら」
インクに説得されるとあっさりと折れるエターナ。
そして「ふん」と鼻を鳴らして勝ち誇るジーン。
すると彼の後頭部に、拳より小さいぐらいの氷の固まりが落下した。
「ぐっ……エターナ、またか貴様ぁッ!」
「わたしじゃない。たぶんジーンがあまりに生意気だから、天罰だと思う」
「ならば八つ當たりで貴様の四肢を切り刻んでやる!」
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ジーンの周囲で渦巻く魔力。
今度こそ彼は本気だ。
エターナもけて立つと言わんばかりに構える。
「頼むから落ち著けって!」
「これが落ち著いていられるか、あのクソを殺す! 完なきまでに殺して原型を留めない片にしてやる!」
「できるものなら――」
「エターナさん、あれがムカつくのはわかりますけど、お願いだから冷靜になってください。私もカムヤグイサマの話を聞きたいんです!」
今度はフラムに説得され、エターナはようやく大人しくなる。
一方でジーンは、ツァイオンに加えてネイガスとセーラの三人がかりで、今にも暴れそうなところを抑え込まれていた。
バートはそんな彼らを遠巻きに眺めながら、大きくため息をついた。
「く――オリジンを倒したら絶対に僕の手で殺してやるからな!」
そう吐き捨ててようやくジーンは落ち著いた。
まだ二人のは火花を散らしていたが、ひとまずここでやり合うのは阻止できたようだ。
そもそもエターナは魔力の大部分を消費している上に怪我までしており、それどころじゃないはずなのだが。
「はぁ……どっと疲れた」
半分以上は自業自得なのだが――それだけジーンのことが嫌いなのだろう。
できれば、同じ空気を吸いたくないとまで思っているに違いない。
「えっと、それで……今日ここで何が起きたか、だっけ。先に確認しておくけど、フラムたちはカムヤグイサマのことをどこまで知ってる?」
「あいつは王都でいきなり現れて、私たちにカムヤグイサマについて教えてくれた人間を食い殺しました。それで、ミルキットたちがその生贄になる可能があるからってことで、それを止めるために、ファースの村を目指してきたんです」
「そしたらいきなり村が王都みたいな見た目になって、さらに空に顔が浮かび上がってびっくりしたんすよね」
それは何の前れも音もなく、フラムたちの目の前に顕現した。
ただの田舎村が巨大な都市へと姿を変え、空に満ちた灰の雲の裂け目から、の顔が現れたのである。
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「と思ったら、フラムが急に『魔法で私をあそこに飛ばして』って言い出すものだから、こっちにも驚いたわ」
「仕方ないじゃないですか。なぜか、ミルキットに危険が迫ってる気がしたんです」
ミルキットを抱き寄せながら、フラムはを尖らせた。
抱きしめられたミルキットは、話の容など頭にっていない様子で、主の橫顔を見てうっとりしていた。
「でも結局、カムヤグイサマそのものはどこにもいなかったですよね。ヒューグから似たような気配はじましたけど、やっぱりあいつの中にいたんですか?」
「その認識で間違いではない」
「村人たちが『ヒューグはカムヤグイサマの化だー!』って信じ込んじゃったから、合しちゃったんだよね」
インクはさらっとそう言った。
フラムたちの頭の上に疑問符が並ぶ。
「……どゆこと?」
普通に考えて、『村人が思い込んだから合する』と言われても意味がわからない。
彼がそう尋ねると、インクの代わりにエターナが答えた。
「そうとしか言いようがない。カムヤグイサマは、村人たちが信じたからこそ生まれ、そして信じた姿に形を変えていた」
フラムはさらに混する。
するとジーンが一歩前に出て、顎に手を當てながら語りだした。
「人間の想像が作り出した怪――いや、魔法ということか?」
「ムカつくけど正解」
「私はますますわからないんですけど」
「仕方ない、阿呆にもわかるように話を――」
やたら偉そうなジーンの言葉を、エターナが遮る。
「そこのシアって人をスキャンしたらわかる」
言われるがまま、へたりこんだままの黒髪のに、フラムたちは一斉にスキャンをかけた。
蚊帳の外だったシアに複數の視線が集中し、彼は視線をさまよわせ挙不審に困する。
「夢想……」
「希屬ということか」
初めて口を開いたバート。
彼もヒューグの関係者として、この村で起きた出來事には関心があるようだ。
「そう、ざっくり言うと“想像を現化する”能力」
「んだよそりゃ、そんな能力が本當にあるんなら、なんでもやり放題じゃねえか!」
「実際、わたしもポテンシャルは高いと思っている。ただし、その力は彼個人で制できるものではなく、周囲の人間も巻き込む」
「どういうことっすか?」
一連のやり取りを聞いて、ジーンは一人薄ら笑いを浮かべている。
おそらく『こんなこともわからないのか』と見下して悅に浸っているのだろう。
「発條件はおそらく、シア自がその現象――今回の場合はカムヤグイサマの存在を信じること。なおかつ、近くにいる人間が複數人、カムヤグイサマを強く信じることで、想像は実化する」
「要するに何だ。そこのお嬢さんと、ファースの村人がカムヤグイサマを熱く信仰してたから、あの化が生まれちまったってことか?」
頷くエターナ。
さらに彼は補足して説明を続ける。
「そして一度でも発してしまえば、そこから先でシアがカムヤグイサマを信じなくなったとしても、周囲の人々が信仰を続けることで実は維持される」
「でも、それはシアさんの魔法なんすよね? 確かに5000ってどんでもない量っすけど、その魔力だけじゃ、あんな地形を変えるような化を作れるとは思えないっす」
「そっか……私、わかっちゃったかも」
気まずそうにフラムが口を開いた。
「もしかして、カムヤグイサマを信じた人間全員から、魔力を吸い取ってたんじゃないですか?」
その言葉に、「そういうこと」とエターナは首肯する。
「じゃあ、私たちからも魔力が送られてたわけですね」
「なんでそうなるんすか?」
「いやだって、私たちは王都でカムヤグイサマの実を見たわけでしょ? それで、その実在を信じて、倒すためにファースまで來たわけで……」
ぽんっ、と手を叩き「ああ、なるほどっす!」と納得するセーラ。
あの時點で、フラムたちはカムヤグイサマが存在すると信じてしまったのである。
「結果、フラムたちから吸った大量の魔力で、カムヤグイサマはあんな無茶苦茶な力を扱うことができるようになった」
「あはは……なんかすいません」
自分が戦っていたカムヤグイサマが、自分のせいで強くなった化だったのだから、そりゃあ気まずくもなる。
マッチポンプもいいところである。
「ご主人様が謝ることはありません、だってそのおかげでヒューグを倒すことができたんですから」
「ミルキットの言う通りだよ。フラムの魔力が流れ込んだってことは、フラムの思い込みも事実に変わるってことだしね」
「あ、じゃあヒューグに私の攻撃が當たってたのって、私が『神喰らいなんだし神様に効くはず』って思い込んでたからなの?」
うんうん、と三度頷くエターナ。
それはフラムにとって、自をい立たせるための自己暗示のようなものだったのだが。
まさか本當に効果を発揮しているとは、フラムでなくとも誰にも想像できなかっただろう。
「ってことは、ミルキットが戦闘中に私のこと褒めてくれてたのも、そのためだったり?」
「聞こえてたんですね……そうです。ご主人様に、というよりは村人たちの信仰を揺るがすためだったんですが」
「なるほどね、だからヒューグのきが途中から鈍ったわけだ。でもあの聲って、誰かが風の魔法でサポートしないと、あんな風には聞こえてこないよね」
「それはわたしも疑問だった。離れた場所にいたわたしとインクが話してた作戦をミルキットが聞いて、決行できた理由もわからない」
フラムとエターナ、二人の視線がミルキットの方を向いた。
別に責めているわけではなく、単純に疑問に思っているだけなのだが。
もちろん、彼はそれがライナスの魔法によるものだと知っている。
しかし、彼はライナスを名乗らず、あえて『風の旅人』などとふざけた名前を使っていた。
つまり自分がそばにいることを、誰にも悟られたくなかったのである。
本來なら、主に隠しごとなど許されることではない。
だが今回だけは――そのおかげでフラムが助かったのだから、ライナスの意思を尊重する義務が自分にはあるのだ、とミルキットはじていた。
「ごめんなさい、私も誰があんなことをしてくれたのかはわからないんです」
もっとも、微かな表の変化から、その噓に気づかないフラムではないし、ミルキットとて隠しきれるとは思っていない。
それでも問いただそうとしない主の優しさに、想いが通じ合ったようで彼は罪悪を抱くと同時に、し嬉しかった。
「ミルキットが知らないなら仕方ない。とりあえず、わたしから話せることはこれぐらいだけど、他になにか疑問はある?」
「そのはどうするつもりだ?」
ジーンは顎でシアを指した。
「あ、あの、わ、私……その……」
いきなり話の中心に投げ出され、彼の目が泳ぐ。
自分の意思では無かったとはいえ、カムヤグイサマを作り出したのはシアだ。
ミルキットたちが跡に連れてこられる以前には犠牲者だって出ている。
裁かれても文句は言えない立場ではあるが――
「わたしはどうもしない」
「シアさんは私たちのことを助けてくれましたし……」
「むしろ謝するぐらいだよね」
エターナ、ミルキット、インクの三人は続けざまにそう言った。
「カムヤグイサマと実際にやりあったお前はどうなんだ、フラム」
「私もみんなと一緒かな。同じ希屬の持ち主だし、制できない苦しさはわかるつもりだから」
「そうか、ならば僕からもなにも言うまい」
あっさり引き下がるジーン。
てっきりフラムは、『僕の手を煩わせるクズめ!』と言って殺そうとすると思っていたのだが。
こうも素直だと、逆に気持ち悪い。
とはいえ、話がスムーズに進むのは悪いことではないので、あえて口には出さないが。
「つうことは、ここに捕まってる他の連中と同じように保護して、王都まで連れてくってことか」
「い、いいの? わ、私、ひどいこと、したのに……」
「制できないんなら仕方ないわ。元々の原因は、村人たちが生贄を要求するような神様を求めたことにあるんでしょ?」
「で、でも、わ、私は、カムヤグイサマの巫で、私さえいなければ、その……」
「よくわかんないけど、ようやくその巫からも解放されたわけでしょ? なら、これからはあなた自で選んだ人生を楽しまなくっちゃ。ね?」
「あ、えと……あ、ぅ……は、はい……」
有無を言わせぬフラムの満面の笑みを前に、シアはなにも言えない。
生まれたときから跡に閉じ込められてきた彼は、紛れもなくこの村の犠牲者だ。
ならば罰する理由などどこにもない。
彼がそうまない限りは。
「そういえば、生贄として連れてこられた人たちはどこにいるんすか?」
「姿はどこにも見えんな」
バートは村を見渡すが、自分たち以外の人影はどこにも無い。
なからず、生きたまま連れてこられた人々がいるはずなのだが。
「たぶん、まだ跡の中を彷徨ってるはず」
「この村にも跡があるのね」
「うん、それもとびきり広いやつでさ。カムヤグイサマに追っかけられながら出するの、大変だったんだよ」
つまり、その中から無事な人間を探し出すのも、それだけ大変というわけで。
エターナは地下に続く階段のある建を見ると、「はぁ」と憂げにため息をついた。
◇◇◇
跡部の人々を救出するため、手分けして探索をすることになった。
単獨行で迷っては元も子もないということで、二人組を作ることになったのだが――
「なぜ著いてくる」
「二人一組で行しろっつう話だったろうが」
ジーンとツァイオンが組むことになったのは、簡単に言うと余ってしまったからであった。
電燈に照らされた薄暗い跡の中を、ツァイオンがジーンを追う形で前へ進んでいく。
「僕が迷うとでも?」
「思わねえが、救出した人間と熱く喧嘩でもされちゃたまんねえからな」
彼が一人なら、間違いなくめるだろう。
フラムたちの目がある以上、なんだかんだで地上までは運ぶだろうが、それまでに怪我でもさせたのではたまったものではない。
「安心しろ、僕は救出などに興味は無い」
「じゃあなんで跡にったんだよ……」
ツァイオンは呆れ顔でぼやいた。
しかもその割には、ジーンの歩みには迷いがない。
まるで何か目的があるようではないか。
「やはりそうだな」
ジーンはふいに足を止めると、壁に手を當てながらそう呟く。
彼にぶつかりそうになったツァイオンは、「おっと」と聲を上げながら寸前で止まった。
「なにが“そう”なんだよ」
「分りの悪い単細胞魔族のために説明してやろう」
「いちいち罵倒しなきゃ喋れねえのかよ……」
「王國に存在する跡はその昔、人類や魔族が、オリジンと戦うために作り上げた施設だ。しかしこの跡は、それより以前に作られたものだと考えられる」
「要は、カムヤグイサマはそんだけ昔から存在してたってことか?」
ジーンの浮かべる『よくわかったな』と言わんばかりの意外そうな表に、ツァイオンのストレスがたまっていく。
ああ、確かに彼は間違いなく天才なのだろう。
頭脳だけでなく、他人を不快にさせることに関しても。
「その証拠はいくつもあるが、最もわかりやすいのは天井にぶら下がっている照明だな」
「魔力燈じゃないのか?」
「いいや違う。あのケーブルを通して供給されているのは、魔力とは全く異なるエネルギーだ」
「なんだってんなもんを使ってんだ?」
「これは仮説に過ぎないが、かつてこの世界に生きていた生には、魔力というものが存在しなかったのだろう」
「魔力が存在しねえ?」
ツァイオンは怪訝な表で聞き返した。
人間以上に魔法が日常生活に溶け込んでいる魔族にとっては、信じられない事実だろう。
「でも、昔の人間がオリジンを作り出したんだろ?」
「だからこそだ。かつてこの世界には、今とは比べにならないほど進んだ文明が存在した。それこそ、オリジンのような化を作り出せるほどの、な。しかしあいつは、一種の到達點だったんだ」
「作り上げたのはいいが、強すぎて止められなかったってことか」
「おそらくはな。オリジンの特を考えれば、おそらく當時の人類は同士討ちで滅びたのだろう。結果、この星は再起不能なまでのダメージをけた」
「その割には、オレらは普通に生きてるんだが?」
再起不能なダメージをけたというのなら、もはや誰も住めないはずである。
すなわちそれは、オリジンがんだ世界の完でもあった。
「ツァイオン、お前はこの大陸の外がどうなっているか知っているか?」
「どう、って……海があるな」
「はっ」
ツァイオンの答えは鼻で笑うジーン。
確かに、あまりにアホっぽい返答である自覚は彼にもあった。
もっとも、他にどう答えればいいのかわからない。
なにせ、大陸の近くに細々とした離島はあれど、紛れもなくその向こうには海しかないのだから。
「王國は大陸統一後、何度か海の向こうへと調査隊を送ったことがある。他に人間の暮らす島が存在するのではないか、資源の眠る場所があるのではないか、と期待したのだろう」
「オレらも何度か飛んで海を探したことあるが、なにも見つからなかったぞ?」
「ああ、それが答えだ。無いんだよ。この大陸の外には、火山の噴火により新たに生まれた人の住めない島と、かつて存在した島の殘骸以外、なにも無い」
この世界に暮らす人間や魔族にとって、それはごく當たり前のことだった。
なにを今さら――そんなを込めてツァイオンはジーンの方を見る。
すると彼は、近くにあった部屋の扉に手をばし、中にっていった。
そこは機と棚の並ぶ、なんの変哲もないカビ臭いだけの空間だ。
「マジで救出するつもりはねえんだな」
「そう言っただろう」
「で、この部屋はなんなんだ?」
「壁の案板を見なかったのか、資料室だ」
「何千年も前の文字なんざ読めねえよ、オレは研究者じゃねえんだ」
「それは読もうとしていないだけだな。ほら見てみろ」
ジーンは機の上に置かれた灰のケースを手に取ると、ツァイオンの前に突き出す。
そこには、『資料端末』と彼にも読める文字で記されていた。
「古臭い字ではあるが、確かに読めるな」
「だからそう言っただろう」
「何千年も前から文字が変わってないなんてこと、ありえるのか?」
「実際あったんだ、あると言うしかない」
言いながら、ジーンはケースを開く。
すると中は見慣れぬ裝置でびっしりと埋まっており、れるまでもなく急にりだす。
どうやら、開いた時點でスイッチがる仕組みのようだ。
そして、裝置は空中に畫面を映し出した。
「なんつうか、スキャンでステータスを見たときみたいだな」
「なからずルーツに共通點はあるのかもしれないな」
指で畫面にれるジーン。
するとまた別の文字と畫像が表示される。
「なるほど、これ自にかつての時代の資料が保存されているわけか」
「んなちっちぇえ箱にか」
「これがかつてと今の技力の差ということだ。ああ、しかし――興味深いデータばかりだ。こんなときで無ければ、部屋にこもって解析したいところだが」
「今はやめろよ」
「その程度は弁えている、見るのはしだけだ」
ツァイオンは、ジーンに多なりとも常識的な覚があることに地味に驚いていた。
「さて、問題だツァイオン」
「んだよ急に」
「この世界にはかつて、どれぐらいの人間が暮らしていたと思う?」
「今より発展してたってんだから……何千萬人とかか?」
再び鼻で笑うジーン。
さっきはともかく、今回は端末のデータを見ているだけのくせに、なぜそこまで偉そうに振る舞えるのか。
その調子のまま、彼は答えを告げる。
「約百億だ」
「ひゃっ……!? いやいや、どう考えても無理だろ! この大きさの大陸に百億だと!?」
「見ればわかる」
言われるがまま、端末の畫面を覗き込むツァイオン。
するとそこには、今とはまったく異なる世界の姿が描かれていた。
「ちなみに、僕たちが暮らしている大陸はここになる」
ジーンが指し示したのは、地図に描かれた中でもそう大きくない島であった。
「マジで言ってんのか?」
「ああ。そしてオリジンが作られてから十年後、世界はこうなったらしい」
まるで早送りでもするように時が過ぎていく。
すると徐々に破壊されていくのではなく、突如、が開いたように大陸の一部が消えた。
一箇所だけではなく、世界中のあらゆる場所で同じ現象が起き――そしてオリジンの存在するこの島を殘して、ほぼ全ての大陸が消滅する。
「冗談だろ……魔法もなしに、こんなことができちまうってのか?」
「ああ、その兵の概要ならここにあるはず――」
畫面が移り変わった途端に、ジーンの表が固まる。
「どうしたんだよ」
ツァイオンが聲をかけた直後、彼は端末の表面に手を當てて、ぼそりと何かをつぶやいた。
すると裝置からまるで植が長するように石で出來た枝が生え、側から破壊する。
そしてバチンッ、と弾けるような音がしたかと思うと、表示されていた畫面は消えてしまった。
「お、おい、なにやってんだよ!」
「見なかったことにした」
「あ?」
「こんなものは無かった、存在しなかった。そういうことにすると言っているんだ」
「さっきまで解析したいとか言ってたじゃねえか」
「よもや設計図まで殘っているとは思っていなかったのでな。これは現代に殘しておくべき技ではない」
「お前がんなこと言う玉かよ」
「……勝手に言っておけばいい」
ジーンは低い聲でそう言うと、壊れた端末を投げ捨てて部屋から出た。
彼が何を考えているのかさっぱりわからないツァイオンは、「ふぅ」と息を吐くと、ポケットに手を突っ込んで後を追った。
◇◇◇
「でもさあ、ヒューグが王都の景を再現したのはわかるんだけど、だったらカムヤグイサマが再現したあの変な世界はなんだったの?」
エターナと腕を絡めるインクは、彼にそう尋ねる。
この跡が、オリジンが生まれるより前から存在するものだということはわかった。
だからといって、カムヤグイサマが當時の景を再現できる理屈にはならないはずだ。
「わたしにそれを論理的に説明する自信は無い」
「エターナでもダメなんだ」
「たぶんジーンでも無理。もはやそういうもの・・・・・・として納得するしかない」
「と言うと?」
「土地に染み付いた記憶、あるいは過去に自分を崇拝していた者の記憶を呼び覚ました可能があるということ。いわゆるアカシックレコードと呼ばれる概念にアクセスした可能もある」
「あかしっく?」
「ざっくり言うと、世界が誕生してから今に至るまでの全ての出來事が記録された存在のこと」
説明を聞いて、インクは「ほへー」と気の抜けた返事をした。
たぶんよくわかっていないのだろう。
「つまり、シアの能力がやばいってこと?」
「簡単に言うとそうなる。それは彼に限った話ではなく、希屬全に言えることかもしれない。フラムの反転もそうだし、キリルの勇者だってそうだけど、世界の理を超えて、バグめいた挙を引き起こしている節がある」
「ばぐ……」
「不合のこと」
また「ほへー」と相槌を打つインク。
エターナは、そんな彼が一周回って可く思えてきたらしく、かすかににやつく。
「確かに、フラムのなんでもかんでも反転させるって滅茶苦茶だもんね」
「キリルもそう。リターンやブレイブを始めとして、どうやって立しているのか説明できないし、たぶん彼自も理解していない」
「なんでそんなことになっちゃったんだろうね」
「バグでも利用しないと、オリジンには勝てなかったのかもしれない」
魔力という概念が、オリジンに打ち勝つために作られたものなのか、はたまたオリジンへの耐を得る過程で偶発的に生まれたものなのかはわからない。
だが結果として、勇者は數千年前にオリジンを封印し、そして現在、フラムはオリジンを滅ぼすだけの力を得た。
星の選択は、間違ってはいなかったのだ。
「めんどくさいね、オリジンって。あたし、以前は屆かなかったからこそ偉大な存在だって思い込んでたけど、その姿が見えてくるたびに……すんごくちっぽけな存在に思えてきたんだ。こういうのを幻滅って言うのかな」
以前のオリジンは、インクにとって紛れもなく“神”だった。
しかし今は違うようだ。
「曖昧だからこそ、頭の中で勝手に神格化してたのかも」
「世界が狹いんじゃ仕方ない」
インクの場合、マザーによってあえてそうさせられていたのだろうが。
「インクはとっとと何もかもをオリジンのせいにするべき」
「そう簡単には割り切れないよ」
「わたしが言ってるのに?」
「エターナが言うから余計に」
思わずエターナは足を止めた。
當然、腕を絡めるインクも同時に止まる。
「わたしの言葉、プレッシャーになってた?」
「んーん、そういうことじゃないよ。知れば知るほど幻滅していくものもあれば、知れば知るほど好きになってくものもあるってこと」
「……それは、私のこと?」
「それ以外にあるわけないじゃん」
エターナの顔が紅する。
どうせ見えないだろうけど、と彼はたかをくくっていたが――
「あはは、エターナってば、顔赤くなってるでしょ」
どういうわけか、見抜かれてしまった。
「そんなことはない」
「わかるよぉ、溫が上がってるもん。嬉しいなー、あたしの好きなエターナが、あたしのことを好きでいてくれて。でもそれが悩みなんだよね」
の顔から笑みが消える。
好きになるのは、幸せなことばかりではないのだ。
「ヒューグと戦ってるときも、地下であたしたちを見つけてくれたときも、エターナってばすっごくかっこよくてさ。だから、余計にごめんなさい、って気持ちが大きくなるの。でも役に立ちたくたって、こんな目じゃなにもできないし、今だってエターナが導いてくれなかったら満足に歩くことすらできない。もっと、ちゃんと、恩返ししたいのに、なんであたしはこうなんだー! ってびたくなるぐらい、すっごく悔しいんだ」
誰かを好きになれた歓喜と誰かを好きなったがゆえの苦悩の間で、拳を強く握りながら揺れるインクの心。
それをあっさり解消できるような魔法の言葉は、この世に存在しない。
勵ましが逆効果だと言うのなら、エターナにできることなど、無言で、いつもどおりに寄り添うことぐらいだ。
「が重い」
「も、もうちょっと他に言うことあるんじゃない……?」
「無い。わたしはインクがそばにいるだけで十分だし、インクだってそう思ってる。なら、さらに深い場所にある心の問題は、インク自に解決してもらうしかないから」
「スパルタだ」
「人付き合いがあまり得意じゃないだけ。こういうとき、フラムなら気の利いた歯が浮くようなセリフでも言うんだろうけど」
「そうかなあ、ただエターナが照れ屋さんなだけじゃない?」
「それはない」
即座に否定するエターナだが、その頬はかすかに赤い。
溫の変でインクにもそれが伝わったらしく、彼が噴き出すように笑うと、エターナはを尖らせてすねるのだった。
◇◇◇
一方その頃、地上ではネイガス、セーラ、バート、そしてシアの四人が待機していた。
セーラは、バートや救出された人々の治療のため、ネイガスはキマイラに襲撃される可能を考慮してここに殘っている。
とはいえ、彼の治療にさほど時間はかからなかった。
元より重傷なのはではなく、盾の方なのだから。
「この有様では、オリジンとの戦いに加わるのは不可能か。盾がなければ正義執行ジャスティスアーツを発することすらできないからな」
「たぶん最初から數には數えられてなかったから、問題はないと思うわよ」
「そうなのか?」
「そうなんすか?」
バートとセーラはほぼ同時に言った。
「だってあなた、特にオリジンと因縁とか無いでしょう?」
「確かにそれはそうだが、數がいた方がいいだろう」
「ジーンがどう考えてるかはわからないわ、でもあいつが何の計畫も立てずに決戦を迎えるとは思えないもの」
「つまり、ここに集まった全員が生き殘ることを、最初から予測してたってことっすか。いくら天才でもさすがに無理っすよそれは。正直、欠けたのがガディオさんとキリルさんだけっていうのは、奇跡だと思うっす」
「私もそう思ってたんだけど――」
果たしてそれは、本當に奇跡だったのだろうか。
導は不可能でも、読むことは可能だったのかもしれない、そうネイガスは考える。
「マリア一人のきぐらいは、読めたんじゃないかしら」
「ねーさまの?」
「ええ。彼は王國でヒューグ、エキドナ、ヴェルナーの三名にコアを渡し、ライナスを始末した。そしてフラムを拉致し、ミルキットたちが避難していた跡を破壊したわ」
「ヒューグのコアは、聖が渡したものだったのか……!」
驚愕するバート。
一方でセーラは、苦しそうに顔を伏せている。
事実ではあるが、それを羅列されるのは辛いようだ。
「エキドナが化になって暴れれば、ガディオは復讐を果たすことができ、マリアはその死を利用することでオリジンへの義理立てもできる。ライナスとの戦闘の形跡を殘しておくことで、自らの未練を斷ち切りながら、エターナをミルキットたちが避難してたっていう跡に導することも可能よ」
その半端さは、まさに今のマリアを象徴するようである。
彼はどこまでも聖を捨てられない。
まるでそれは、呪いのようにどこまでも、彼を追い詰め続けるだろう。
「おらやネイガスが生きてたのも、ねーさまがそうんだから、ってことっすか」
「そこは間違いないわね」
それは他の予測に比べて、あまりにはっきりとした“事実”だ。
「でも、ジーンは助けにいくことを拒んだんすよね? 時間の無駄だ、って」
「あくまで彼は予測しただけで、導したわけじゃないわ。むまないに関係なく、未來はそうくって読んでただけ。だからストレスが溜まらないわけではないし、彼の場合は他人のなんて気にせずに好き放題に発散するタイプでしょう?」
「迷な男っすね……」
「しかも実際に頭はいいし、魔法の腕だって一流だから、余計に厄介だわ」
今のところは味方なので、どうにか役に立っているが。
できればプライベートではお近づきになりたくないタイプである。
「俺が戦力にカウントされていない理由は、まあ半分ぐらいはわかった。だが、それで勝てるのか?」
「勝つしか無いでしょう。とは言え、たぶん私たちは足止めぐらいにしかならないと思うわ」
「コアを破壊できるのはフラムおねーさんだけっすからね」
「フラム頼みということか。負擔が大きいな」
「それでも勝算があるからやるんでしょう、今はそう思うしかないわね。ま、私たちは私たちで必死にやるだけよ」
「ネイガスの言う通りっす、おらに出來ることを、全力でやってみせるっす!」
両手を握り、気合をれ直すセーラ。
ただし彼の場合、敵を倒すと言うよりは、もう一度マリアと心を通じあわせることが、最大の目的なのだが。
手遅れだと理解していても、無駄だとは思いたくない。
マリアが自分たちに幸福な終わりを與えようとしたように、彼にも間違ったままではなく、本來の自分を取り戻した上での終わりを迎える方法があるはずなのだ。
「な、なんだか……大変、なこと、起きてるんだね」
外の世界を知らないシアは、もちろんオリジンのことも知らない。
ゆえに、三人の會話のほとんどを理解できなかった。
「箱り娘ここに極まれり、だな」
「でも彼が見つかってたら、真っ先にオリジンに利用されてたでしょうね」
「それもそうだな。現狀でも、十分に他人に利用される危険は殘っているとは思うが」
「そのために、王國でしっかり保護することが大事だと思うっす」
「承知している、妙な奴らは近づけさせないさ」
以前の王國ならともかく、今の彼らにならある程度は安心して任せられる。
オティーリエやアンリエットも以前のように暴走はしないだろうし、スロウもまあ真っ當な人間で、道を違えないようイーラが手綱を握ってくれるはずだ。
會話が一區切りつくと、バートはふいにシアの方を見た。
目が合うと、彼は気まずそうにおどおどと視線を外す。
「不思議に思っていたのだが、村人たちの死を目の當たりにした割にはケロっとしているんだな。辛くはないのか?」
そう問いかけられると、シアはびくっとを震わせた。
いくらなんでも人見知りが過ぎるが、村人以外とほぼ喋ったことが無いのだから仕方がない。
「わ、わからない」
「わからない?」
「私は、み、巫で……その、みんな、そういう扱いしか、しなかったから。ふ、普段から、喋ってくれなかったし……たまに、子供が忍び込んで、あ、遊んだりしてたけど、その子も怒られて、い、いなくなっちゃった……」
その『いなくなった』がどういう意味なのか、バートはあえて深くは考えなかった。
にしても、徹底している。
それだけ、カムヤグイサマをこの世に顕現させたシアの存在は大きかったということか。
「同じ村人という意識が無かったのね」
「ご両親はいなかったんすか?」
「い、いるって……聞いたことは、あるけど、だ、誰かは知らない。たぶん、あ、あの中の、誰か」
シアが指さしたのは、村人が溶けた溜まりだ。
あの中に両親がいる――それを理解していても、シアは特に悲しくはなかった。
親として一度も接したことのない両親など、ただの他人と同じなのだから。
「それだけ狂的に信仰しておいて、よく今まで王國に気づかれなかったものだな」
「信仰心が高かったからこそ、誰も口をらせなかったんでしょう。一人でも裏切り者がいたらそれでおしまいよ」
二十年以上に渡る、完全なる隠蔽。
あるいはシアに會いに來なくなった子供のように、明らかになっていないだけで、“生贄”の裁で命を奪われた者もいたのかもしれない。
もっとも、先ほども言ったように、王國が気づいていたからと言って、それが必ずしもシアの幸せに繋がるわけではないのだが。
彼がまともに人間としての人生を手にれられる可能が生まれたのは、王國がほぼ滅びたからである。
「シアが悲しめないことを『虛しい』と思ってしまうのは、おらの勝手なんすかね」
「私は、悲しんだ方が、よかったって、こと? でも、か、悲しむって、よくわからないし。あの人たちがいなくなったって、私は……別に」
「そんなもの、結論を出す方が難しいわ。王都で暮らしていく中で、しずつ考えていけばいいのよ」
ネイガスが微笑みかけると、シアの表がようやく緩んだ。
これから先、しばらくは他の人々との覚や知識のずれで、彼は苦労するだろう。
しかし、崇拝される対象ではなく、対等な関係を築いていくうちに、いつかは人並みのを抱けるようになるはずだ。
元より、このファースで生きながら、生贄を拒み止めようとする善意を持ち合わせた人間なのだから、おそらく心配は無い。
その後四人の會話は途切れ、跡のり口となった民家の前で無言で待機していると、フラムは夫婦と思しき男をそれぞれ腕と背中に抱え、ミルキットは若いに肩を貸しながら地上に戻ってきた。
生存者第一號だ。
久しぶりに浴びたのに、救出された人々は目に涙を浮かべ、夫婦は二人抱き合った。
すぐにセーラが駆け寄り、怪我が無いか確認する。
とはいえ満足に食事もとれず、不安のあまり眠れていなかったようなので、衰弱している。
傷の癒えたバートは、「ブランケットでも探してこよう」と告げてその場を離れた。
彼に続いて、ネイガスも「じゃあ私は食べでも」と民家へ向かう。
「あ……」
治療の様子を立って見ていたミルキットが、ふらりとバランスを崩す。
彼を両手で慌てて支えるフラム。
「大丈夫? やっぱり休んでた方がよかったんじゃない」
「ご主人様と一緒にいたかったので……」
「そんな可いこと言われたら厳しく言えないじゃん……でも、次は一人でるから。ちゃんとここで休んでてね」
「……はい」
ミルキットはしょんぼりと肩を落とす。
離れる前よりも甘えん坊になっているのは、気のせいではないだろう。
跡を探索している間も、ずっとべったりだったのだから。
また離れてしまうのではないかと不安な気持ちはよくわかる。
フラムとて、手を離せば、また遠くへ行ってしまうのではないかと――本當は今だって、なりふり構わず抱き合って、何時間でもそうしていたいぐらいなのに。
ひとまず妥協案として、セーラの治療が終わるまでは抱き寄せておく。
ミルキットは一瞬驚いたが、包み込む溫にすぐさま安堵の表を浮かべる。
「ここで一人で休むより、こっちの方がずっと元気になれます」
「気持ちの問題でしょ、力はそうもいかないの」
「もどかしいです。どうやったらご主人様と離れずにいられるようになるんでしょうか」
「戦いが終わったら、かな」
「あとしですね」
「うん、あとし。だからもうちょっとだけ我慢してね。私だって本當は甘えたくて仕方ないんだから」
戦いが終われば、フラムは元通りの、ただの田舎から都にやってきたに戻るだろう。
化けの皮が剝がれる、と言うと聞こえは悪いかもしれないが、元々彼はそんなに勇敢でもなければ、見返りも無しに見知らぬ人を助けられるほど善人でもない。
そこらにいるの子と変わらない。
いや、むしろ平均よりも怠け者かもしれない。
ただ、他の人よりもしだけ無理ができてしまう分だったから、今はこうなっているだけだ。
「よしっ、力チャージ完了っ」
「あっ……」
フラムの両腕から解放されると、ミルキットは寂しそうに聲を出した。
まるでその反応を読んでいたかのように、主の手がぽんっと頭に乗り、顔を近づけ微笑みかける。
「すぐに戻ってくるから、休んで待っててね」
「わかり、ました」
納得はしていないが、フラムに言われてしまっては拒否することはできない。
最後に軽くを重ねると、彼はまた跡へと潛っていく。
甘く暖かな覚がのあたりから淡く広がり、ミルキットのが火照る。
このぬくもりが、フラムが戻ってくるまで保てばいいのだが――じっと休んでいると、滾々と嫌な想像が湧いて出てくる。
「ミルキットおねーさん、気持ちはわかるっすけど、じっとしていないとダメっすよ」
「セーラさん……でも、インクさんは今も、エターナさんと一緒に跡の中にいるんですよね」
「インクにも戻って來たら言うつもりっす。一緒にいたい気持ちはわかるっすけど、フラムおねーさんもエターナさんも、大切な人が無事でいてくれることを何よりんでるはずっすよ」
そんなことはわかっている。
ミルキットやインクだってそうだ。
けれど二人には力が無いから、相手を救うことも、その無事を確かめにいくことすらできない。
待つだけは、辛い。
自分の無力さを嫌というほど痛させられるから。
それでも、何もできない。
力の限界が近いのもまた、事実だからだ。
ミルキットはふらりと近くの民家に近づくと、地面に腰を下ろし、壁に背中を預けた。
どっと疲れが全に押し寄せる。
急に來たのではなく、今まではをかすことで麻痺していただけだ。
目を閉じると、すぐにでも意識を手放せそうだったが、さすがにそれは許されない。
戻ってきた主を迎えなければならないのだから。
彼はぼんやりと、治療を行うセーラの姿を見ながら、ひたすらにフラムのことばかりを考えていた。
◇◇◇
數時間をかけ、跡に閉じ込められていた人々は全員救出された。
犠牲者ゼロとまではいかないが、エターナたちがカムヤグイサマの気を引いていたおかげで、死者は最小限で済んだと言えるだろう。
ジーンはすぐにでも王都に出発したそうだったが、さすがに疲労困憊の人々を連れて移するのは難しい。
結局、その日はファースで休むことになった。
夜のうちに溶けた村人たちの死は片付けられ、町外れに霊碑が建てられる。
義理は無いが、ある意味で村人もオリジンに追い詰められた被害者ではある。
最低限の弔いぐらいはあってもいい――そんなエターナの提案によるものだった。
そして翌朝、全員を連れてファースを発ち、王都へと向かう。
フラムのペースなら數時間、だが一般人を連れて移すれば日をまたぐ。
途中で無人の集落に立ち寄り一泊。
そこで人狼型キマイラの襲撃をけたものの、フラムがいれば問題は無い。
ちなみに、リートゥスの自己紹介はその集落で行われた。
フラム自も、彼がやけに靜かだとは思っていたのだが――
「力がないところに驚かせたら、気絶させてしまうかもしれませんから」
一応、ミルキットたちの調を考えてのことだったらしい。
それでも十分にみんな驚いていたし、怨霊と聞いて怯えてもいたのだが。
夜は各々が自由に時間を過ごす。
當然のようにフラムとミルキット、エターナとインク、そしてネイガスとセーラは二人きりになり、ジーンはシアの能力に興味があるらしく、話を聞いていたようだ。
また、ツァイオンはフラムたちの部屋の隣で、壁をすり抜けてきたリートゥスと、シートゥムについて何やら語り合っていた。
あっという間に時は過ぎ、また日が昇る。
朝になって集落を出た一行が目的地である王都に到著したのは、夕方のことであった。
スロウやアンリエットに迎えられ、また離れ離れになった家族と再會し、人々は涙にむせぶ。
その姿をフラムたちが微笑ましく眺める一方で、ジーンはずっと難しい表で別の場所に視線を向けていた。
◇◇◇
完全には落ち、外は暗闇に包まれている。
そんな中、フラムたちは王都を発とうとしていた。
「もう行ってしまいますの?」
オティーリエがフラムの背中に語りかける。
振り向いたフラムは、苦笑しながら彼に言った。
「名殘惜しいみたいな言い方されると複雑なんだけど」
確かに共闘はしたが、フラムの中での苦手意識はまだ消えていない。
あれだけボコボコにされたのだ、當然だろう。
「別にそんなつもりはありませんわ、ただ単純に、早すぎるのではないかと思ったのです」
「私も同だ、一晩ぐらい休んでいってもよかったんじゃないのか?」
隣に並ぶアンリエットまで引き止める。
だがそうは行かないのだ。
「すでに制限時間が迫っている。セレイドに攻め込む前に一日は準備の時間がしいからな、もう悠長なことはできない」
タイムリミットは二週間。
今日までで、そのほとんど使い果たしている。
今から魔族領に向かい、準備を終わらせてギリギリといったところか。
「力になれなくて済まない」
「俺も、國王としてなにか出來たらよかったんですけど、すんません」
バートとスロウが頭を下げる。
「そういうのはいいから、無事に戻ってきて、王都が復興した暁には褒がしい」
「ちょ、ちょっとエターナっ」
「モチベーション維持、大事だから」
「あははっ、今からオリジンと戦うってのにすごいですね。わかりました、考えときます」
あっさりと安請け合いするスロウの橫腹を、イーラが肘でつついた。
「そんなに簡単に引きけちゃっていいわけ?」
「そんぐらいパーッとやりますよ、復興できたらね」
「じゃあ私はセーラちゃんととびきり豪華な結婚式を挙げたいわ!」
すかさず便乗するネイガス。
セーラは顔を赤くしながら、「な、なにを言ってるんすかっ!」と慌てて抗議した。
しかしまんざらではなさそうである。
「ならオレもシートゥムとの結婚式だな」
「幽霊でも親族代表として出られるんでしょうか」
「それまでに仏しなけりゃ大丈夫なんじゃないすか?」
ただでさえデコボコなツァイオンとシートゥムの挙式に、霊の母親まで出席するとは、もう滅茶苦茶である。
「フラムさんはなんか無いのか?」
「私は……ミルキットと一緒にいられれば十分だからなぁ。あ、でもドレス姿のミルキットは見てみたいかも」
「私も、ドレスを著たご主人様をみたいです」
「あれ、その場合って二人ともドレスになっちゃうのかな。それとも私がタキシードでも著る?」
「お直しで代するというのも面白いかもしれませんね」
結婚式の妄想をしながら盛り上がる二人。
実現できれば、たとえどんな形であろうとも幸せであることは間違いない。
「ジーンはどうする」
エターナが、腕を組み仏頂面のジーンまで巻き込んだ。
明らかに悪意のある話の振り方である。
「一人結婚式?」
「なんだその葬式よりも辛気臭い儀式は。僕は研究のために必要な時間と金さえ貰えれば十分だ」
「つまらない答え」
「貴様らのように結婚式で騒ぐほど浮ついてはいないからな」
浮ついているというより、無理に明るく振る舞おうとしているだけなのだが、それすら彼はお気に召さなかったらしい。
「話は終わったのか? ならばもう行くぞ、一分一秒ですら惜しい」
そう言うと、ジーンは同意すら取らずに城を出た。
「相変わらず自分勝手なやつ。じゃあ、私たちも行きますね」
彼に続いて、フラムたちも外へと歩き出す。
「必ず勝つと信じていますわ!」
「英雄たちよ、健闘を祈る」
「これまで數多の困難に打ち勝ってきたお前たちなら、必ずオリジンも倒せるはずだ」
「俺も頑張って王都を復興するんで、みなさんも頑張ってください!」
「フラム、ちゃんと生きて帰ってきなさいよ!」
最後に聞こえてきたイーラの至極真っ當なセリフに、フラムは思わず「ぶふっ」と噴き出し笑った。
そして足を止め、ニヤニヤしながら振り返る。
「な、なによいきなり」
「いや、最初に會ったとき、素人だった私をワーウルフと戦わせて殺そうとした人間が、今は『生きて帰ってこい』とか言うんだよ? そりゃ笑うって」
「せっかく綺麗に送り出せそうだったのに、そんなんで止まったわけ!?」
イーラの怒りももっともだが、フラムも笑わずにいられなかったのである。
「そもそも、あれはデインが……!」
「ふっくふふふ……っ」
「ああもう、人間ってのは変わるもんなのよ! あんただって最初に會ったときよりも、ずいぶんと格が図太くなってるわよ!?」
「たくましくなったって言ってよ、オリジンにも勝てるぐらいにね」
不敵に笑むフラム。
するとイーラも、その理屈が通ってるんだか通ってないんだかわからない拠に「ふふっ」と笑った。
「それなら大丈夫ね」
「うん、大丈夫。絶対に生きて戻ってきて、ミルキットと幸せになってやるんだから。そっちもスロウとうまくやってね」
力強い宣言に、迷いは無い。
あるのは、目指す未來は必ず摑める、という確信だけだ。
そして今度こそ背中を向け、フラムたちは王城を去る。
彼らの姿は王都の暗闇に飲まれすぐに見えなくなったが、それでもしばらく、イーラたちは英雄の消えた空を眺めていた。
◇◇◇
その後、一行は一直線に王國を抜け、魔族領を北に進んだ。
セレイドに攻め込む前に立ち寄ったのは、以前にトーロスやセイレルと別れた大きな集落だ。
未だその場所は、幾度となくキマイラに攻め込まれながらも、魔法で作られた壁によって被害を出さずに済んでいた。
「ツァイオン!」
トーロスの大きな聲に迎えられたツァイオンは「よっ」と手をあげて挨拶をした。
その音に引き寄せられて、建の中から魔族たちがぞろぞろと姿を現す。
約一週間ぶりとは言え、無事にまた會えたことを、抱き合いながら喜ぶネイガスとその両親。
彼とツァイオンの友人であるセイレルも、嬉しそうに近づいてきた。
「ここに戻ってきたってことは、いよいよ攻め込むの?」
「ああ、明日にはな」
「じゃあ今日はここに泊まっていくんだ」
「問題なけりゃな」
「問題なんてあるわけないよ、ツァイオン。僕らだけじゃなくて、みんなも喜んでる」
リートゥスもフラムの鎧から抜け出し、魔族と流している。
どんなにここで守りを固めても、オリジンを倒せる者がいなければ意味が無いのだ。
ゆえに、ここに籠もって祈り続けるしかない彼らにとって、フラムたちの存在は救世主に等しい。
そのせいか、魔族たちはフラムやエターナ、ジーンどころか、ミルキットやインクにまで殺到して、握手を求めたりしていた。
それだけ期待されているということだ。
プレッシャーをじるなと言われても無理な話である。
決戦を前に、フラムが背負う荷は、さらに重さを増していく。
◇◇◇
喧騒が落ち著くと、フラムたちは民家のうちの一つを借り、そこで作戦會議を行った。
だが、會議とは言ってみたものの、すでにジーンが作戦は決めており、その容もごくシンプルだ。
ゆえに、手元には説明するための紙とペンすら無い。
「まずセレイドに近づけば、十中八九、大量のキマイラが僕たちに押し寄せてくるだろう」
「突破する算段はあるんすか?」
「フラムが道をこじ開け、そこを抜ける。それだけだ」
話を聞いていたネイガスが、がくっと肩を落とす。
「気持ちいいほど正面突破ねえ」
「軍との戦いで使った地下通路は利用できねえのか?」
ジーンとて考えなかったわけではない。
敵にディーザがいなければ、採用していただろう。
「敵はお前ほど阿呆ではないからな。とっくに埋められているか、罠が仕掛けられているかのどちらかだろう」
「だからその言い方……まあ言っても無駄なんだろうが」
「仮にキマイラの軍勢を抜けられたとして、そこからどう戦う?」
「わかっているはずだエターナ。フラムがコアを破壊し、奴らを倒す。それ以外に方法は無い」
「つまりそれ以外の人員は時間稼ぎだ、と」
「そうだ」
言い切られるのはあまりいい気分ではなかったが、否定するものは誰一人としていない。
結局、ここに來るまで誰もコアを破壊できなかったのだから。
最終的には、フラムの反転に頼るしかないのである。
「薄々わかっていましたが、ご主人様が要なんですね」
「コアを破壊できるのはフラムさんですから、仕方ないことですが……」
「他に方法があるとでも? まあ、倒そうとすること自を止めはしない。しかしそれで命を落としても、僕は責任を取らないからな」
時間稼ぎに徹しておけば、命を落とす危険はぐっと減る。
その安全を捨ててまで因縁を果たしたいというのなら、そこから先は自己責任だ。
続けて、エターナは別の質問をジーンに投げかける。
「戦う相手の振り分けはどうする?」
「僕たちがあえて決めずとも、向こうから指名してくるだろう。例えば、どこまでも甘いマリアはそこのガキと戦おうとするだろうし、策士気取りのクズ執事は最初にツァイオンを狙うはずだ」
「むところだ、熱く戦ってやろうじゃねえか!」
バチンッ、と拳で手のひらを叩くツァイオン。
彼の溫度とは裏腹に、ジーンはその姿を冷めた目で見ていた。
「キリルちゃんは、私を狙ってくるのかな」
「それは無いな。彼がいなければオリジンの封印は解除できなくなる。つまりかず一番奧にいると見て間違いないだろう」
「でも、急にき出して戦いにしてきたらどうするの? 一対一なら私は互角で戦えるかもしれないけど、二対一、それもキリルちゃん込みじゃ絶対に勝てないよ」
「言われずとも、最初から彼にも足止めは仕掛けるつもりだ。僕と、エターナでな」
「……わたし?」
急に名前をあげられ、自分を指さしながら困するエターナ。
「相手は、死者であるガディオを最初に出してくるだろう。フラムが奴と戦い、マリアはネイガスとセーラが、ディーザはツァイオンが足止めをするとなると、殘るは僕とエターナしかいないだろう」
「ツァイオンは一人でいいの?」
「キリルを誰かが一人で止められると思うか? 彼より、ディーザの方がいくらかマシだと僕は考えている」
そこに関してはエターナも納得するしかない。
基本的に、元のステータスが高ければ高いほど、コアを使用したあとの能力も高くなる傾向がある。
彼は自我を失っているため、他に比べれば劣る可能もあるが、それでもブレイブを使えばディーザぐらいなら軽く越えるだろう。
「……わかった、仕方ない。ジーンとの連攜に自信は無いけど、やるだけやってみる」
「連攜など必要あるものか、天才の僕が貴様を引っ張ってやろう」
「そういうところが嫌なんだけど……」
エターナの隣で、インクが苦笑いを浮かべていた。
どうやら彼にも、エターナとジーンが不仲である理由がしずつわかってきたようだ。
「僕としては、本當は一人で相手をして、思う存分あのキリルの醜いツラをぐちゃぐちゃに躙してやりたいんだがな」
「まだそんなこと言ってたんだ……」
「懲りない男ですね」
リートゥスですら苦言を呈する有様である。
変わらないこその安心というのも無いとは言い切れないのだが、それでも不快なものは不快だ。
「エターナさん、ジーンがキリルちゃんに余計なことをしないよう、ちゃんと見張っててくださいね」
「なるほど、わたしにはそういう役割が」
「こんなときによくふざけたことを言えたものだな」
「いや、ジーンに言われたくないんだけど」
ジト目で睨むフラムと、「やれやれ」と何故か上から目線なジーン。
そんな彼を呆れた様子で眺める仲間たち。
らしいといえばらしい景だ。
ジーンの言う通り、世界の命運を左右する決戦の直前だと言うのに。
生きてさえいれば、生き殘ることさえできれば、いかなる狀況でも、人は自分らしくあることができる。
特別ななにかなど必要はない。
逆に言えば、命が無ければ、どんなに平和だとしても意味などないのだ。
それは誰だって知っている、とても當たり前のこと。
ゆえに、彼が普通の人間とはずれた覚の持ち主だったとしても、それからは逃げられない。
◇◇◇
話し合いが終わると、明日の朝までは自由に過ごすこととなった。
ツァイオンは友人と語らい、ネイガスはセーラとともに両親と団欒し、リートゥスはける範囲で魔族たちに聲をかけ、エターナはインクと寄り添いあう。
フラムも當然のようにミルキットと過ごすつもりだったのだが――與えられた部屋にる直前、ジーンの聲が彼を呼び止めた。
「大事な話がある」
彼にそう言って呼び出されるのは、これで二度目である。
一度目は、奴隷として売られたあのとき。
だから――嫌な予しかしなかったし、正直斷ってしまいたかった。
だって、戦いの前にミルキットと過ごせる時間は限られているのだから。
「どうしたの、ジーン」
「こっちに來い」
ジーンは碌に答えもせずに、背中を向けて歩き出す。
不安げに主の目を見つめるミルキット。
「ごめんね、ちょっと行ってくる」
「はい、お気をつけて」
フラムは彼の額にキスをして、ジーンを追いかけた。
小走りで隣に追いつくと、これもまたいつかと同じように、彼に問いかける。
「どこに連れて行くの?」
「……」
もちろん、返事は帰ってこなかった。
諦めたフラムは、無言のまま、ジーンについていく。
やがて建を出ると、魔族の気配がない路地へり、足を止めた。
「また私を売るつもり?」
「なんの話だ」
「覚えてない? 似たような言葉で連れ出して、私を奴隷商人に売ったときのこと」
「細かいだ。僕の脳には、そんな下らない些事の詳細に割くリソースは無いんだ」
ジーンは懲りていない。
オリジンとの戦いの前で無ければ、フラムは神喰らいを無言で引き抜いて叩き切っているところだった。
いつものジーンなら、そこで終わっていただろう。
しかし、彼はこう言葉を続ける。
「しかし、あのときの貴様が恐怖というを抱いていたというのなら、しは理解できないでもない」
すなわち、フラムの行に理解を示したのである。
「悪いものでも食べたの?」
彼は真っ先に、彼の頭を心配した。
それぐらい異常なことだった。
だが思い返してみると、最近のジーンは妙にしおらしいというか、大人しくて不気味ではあったのだ。
フラムを呼び出したことも、それに関連しているのだろうか。
「僕は正常だ、だからこそ嘆かわしい。僕の中に、このような凡人めいたが存在しているとは――才能の底を見てしまった気分だよ」
天を仰ぐジーン。
空を覆う分厚い灰の雲は、まるで彼の心を表しているようでもあった。
「僕の頭の中には、すでに結末までのシナリオが詰まっている。誰がどう戦って、どういう結果を殘すのか、全てを予測しているつもりだ」
「……はあ」
「だからこそ、必要なピースの數もわかるんだ。今のメンバーは、必要最低限であり、なおかつ最善だ。しかし、いかなる組み合わせ、いかなる人數であろうとも……オリジンとの戦いにおいて、犠牲は避けられない」
「死者が出るってこと?」
今までフラムに背中を向けていたジーンは素早く振り返り、まるで演劇でもしているように両手を広げ、「そうだ!」と大きな聲を響かせた。
「憎たらしいよ、あのが。どこまでも僕を愚弄し、あろうことか障害として立ちはだかるとはな」
「キリルちゃんのことを言ってるんなら、自分でやったんじゃん」
「あれは必要なことだった。オリジンの封印が解けなければ、あれを破壊することはできないからな。だから必然の流れの中で、確定してしまった死という存在が、僕は憎いのさ」
キリルがああなってしまったのには、多分にジーンの私怨が混ざっていたが、オリジンの破壊に必要だったというのもまた事実である。
最大の危機は、最大の好機でもあった。
しかし結果として、それは最悪の結末を彼にもたらすこととなる。
才能ゆえに、それが最善であると計算できてしまったがゆえに、選ぶしかなかったのだ。
「なぜ――死を與えられるのは僕でなければならなかったのか」
ジーンは悲しげな表でそう言った。
「え……死ぬのって、ジーンなの?」
「そうだ、僕は死ぬ。それはキリルを撃退し、オリジンを破壊するために絶対に必要なピースだ。避けられない、消えなければならない、怖い、悔しい、虛しい、悲しい――様々な凡人のがで渦巻いている!」
強い語調でそう吐き捨てる。
それが、ここ最近の彼の様子がおかしかった理由だった。
死の恐怖――それは相手がジーンであっても、等しく人に降り注ぐものなのである。
「なあフラム、お前は恐ろしくないのか? 僕という才能が、この世から消えて無くなるという事実が!」
「いや、それは……」
恐ろしいような、嬉しいような。
正直には言えないし、かといって自分の心も偽れないので、フラムは口ごもった。
それに、どうにも彼の言葉が軽く聞こえて、いまいち真剣になれない。
死の危険なんて誰にでもあるし、ジーンだけが持っているものではないだろう。
その不安をあえて、フラムを呼び出してまで吐していることに、いまいちピンと來ないのだ。
「よくわからないんだけど、それって絶対に起きることなの?」
「ああ、確実に訪れる未來だ。いや、あるいはエターナでも良かったのかもしれない。しかし無駄死にでは意味がないんだ。命を有効活用して初めて、活路が開かれる」
「なんでそれを、よりによって私に話そうと思ったの?」
嘆くのなら一人で嘆けばいい。
孤高を誇ってきたジーンにはそれがお似合いだ。
それか、多は話が通じていたツァイオンあたりに頼むか。
何にせよ、その相手がフラムである必要は無いはずである。
フラムがジーンを訝しむ中、彼は相手の顔を真っ直ぐに見ながら言った。
「フラム。お前がする者の元に、無事に帰ることはないからだ」
時が止まる。
彼は「伝えないのはアンフェア」、「僕と同じ立場だから」などと言葉を続けたが、フラムの脳には屆いていない。
呼吸や瞬きすらも忘れ、彼は聞こえてきた言葉の意味をリフレインし続けていた。
◇◇◇
ジーンとの話を終え、フラムはミルキットの元へと戻ってきた。
さあ、これから思う存分にひっつくぞ、と主に駆け寄るミルキットだったが、どうにも様子がおかしい。
フラムはどこか儚げな笑みを浮かべると、
「ついてきて」
そう言って、ミルキットの手を取って部屋から連れ出した。
向かった先は、集落の北にある集會所だ。
教會のような作りの建の中には、今は誰もいない。
普段は避難してきた魔族たちが寢床に使っているということなのだが、今はフラムが頼み込んで貸し切り狀態になっていた。
「どうしてここに?」
「大切な話をしようと思って」
「それならあの部屋でも良かったのでは――」
問いかけるミルキットの頭に、フラムが薄い布のようなものを被せた。
あらかじめ集會所に用意しておいた箱から取り出したものだ。
「これは……」
肩のあたりに垂れ下がった白のそれは、けるほどに薄い。
いわゆる、ヴェールと呼ばれるものだった。
そしてフラムはミルキットの手を引いて、足元にステンドグラスから、ぼんやりと明かりが差し込む位置まで移した。
「さて、じゃあはじめよっか」
「え、えっ?」
戸うミルキットを置き去りに、何かを始めようとするフラム。
「えーっと、健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも……だっけ」
「……?」
「あ、ミルキットは知らないか。結婚式のときにね、新郎新婦が誓いをたてる前に、神父さんがそういう言葉を言うの」
「結婚式、ですか」
「うん、私とミルキットのね」
さらっと言われ、ミルキットは固まる。
一方でフラムは、ニコニコと楽しそうに笑っている。
ご主人様の笑顔が可い――と関係のないことに意識を持っていかれそうになったが、冷靜になって考えてみると、とんでもないことを言われているような気がした。
いや、気がしたのではなく、言われている。
ドッ、ドッ、ドッ、とミルキットの心臓が高鳴りだし、溫が上がっていく。
「け、結婚……わ、私と、ご主人様が、ですか?」
「私が結婚するなら、ミルキット以外に相手はいないよ」
「え? あの、それは、私もそうなん、ですが……え、えっ、えぇっ!?」
落ち著くどころか、徐々に困の度合いを強めていくミルキット。
そんな彼を見て、やはりフラムはニヤニヤしている。
「私とご主人様が結婚なんて、そんなっ」
「嫌?」
「幸せすぎて頭が、ちょっと、大変なことになってます。人なだけでも十分で、十分すぎるぐらい、私には過ぎた幸せなのに、結婚。ご主人様と、結婚。ど、どうしましょう、この場合、お嫁さんはどっちになるんでしょうか!?」
「あはは、どっちだろうね。案外、どっちもだったりして」
お嫁さん同士の結婚でも構わないし、フラムが夫役になってみても面白いかもしれない。
あいにく、今は借りてきたヴェールは一つしかないし、タキシードも無いので格好からることはできないが。
「で、でもっ、急にどうしたんですか?」
「んー……ほら、王都を出るときにそういう話をしてたでしょ? そしたら居ても立ってもいられなくなっちゃってさ、一刻も早くミルキットと結婚したい! って思ったの!」
明るくそう話すフラム。
すると、今まで頬を赤くして困していたミルキットの顔から、表がふっと消える。
誤魔化せるはずがなかった。
なにせ、二人は互いに契りをむほど、深い絆で結ばれているのだから。
「噓、ですよね」
その言葉をけて、フラムの仮面をり付けたような笑顔が固まる。
こうなると、無理をしているのは誰の目にも明らかだった。
「ご主人様は、笑ってなにかを隠そうとしています」
「……やっぱ、ミルキットには通用しないか」
「わかっていたんですか」
「まあね。あ、でも……結婚したいって気持ちは、本當だよ」
「それも、ちゃんと伝わっていますよ」
二人は以心伝心をで現すように、見つめ合いながら手と手を繋ぎ、指を絡める。
「本當は、本心から笑いながら、曇りなんて無い心で幸せにやることだと思うんだけど。ごめんね、プロポーズがこんなネガティブな伝え方になっちゃって」
「ジーンさんから、なにを聞かされたんですか?」
「ミルキットに、すごく辛い想いをさせること、かな」
「私にとって辛いことなんて一つしかありません」
「……うん」
「ご主人様が、傍にいないことです」
だから、それが答えだ。
オリジンを倒してもフラムは戻ってこない。
ミルキットと過ごす気ままな日々なんて、そこには存在しない。
「私だってさ、やだよ。なんでこんなに頑張って、苦労して、痛い思いをして、悲しい出來事ばっか起きて……なのになんで、最後の最後でこんな邪魔されなくちゃなんないのか、って」
「どうしようも、無いんですか」
「一生會えなくなるわけじゃない。私にとっては一瞬で、でも、戻ってくるまでに、しばらくミルキットを待たせることになるかもしれない」
「……どれぐらい、でしょうか」
ミルキットの聲が震える。
フラムも拳を握り、を噛み、瞳を涙で潤ませた。
「運が良ければ、數年」
それは――二人が出會ってから今までの時間を考えると、あまりに長すぎる期間だった。
しかも“運が良ければ”ということは、數十年かかる可能もあるということだ。
その場合、フラムは両親との再會を果たすことすらできないだろう。
「だから、せめて、大切な思い出だけでも殘していかなきゃ、と思って。忘れられるの、嫌だから」
「忘れませんっ! なにがあったって、私はご主人様のものです!」
そうは言っても、數年という月日はあまりに長い。
今日という日の思い出がどれだけ強くても、いずれはとともに薄れていってしまうだろう。
フラムはそれが、何よりも怖かった。
「何十年経とうと、私の気持ちは変わりません。ずっと、ずっと、ご主人様だけをし続けます!」
「ミルキット……」
ミルキットの知る世界はまだまだ狹い。
今はそう思えても、より広い世界で、もっと魅力的ななにかに出會ったとき、心変わりすることもあるのではないかと――フラムはそう思うのだ。
だから、縛り付けたくない。
けれど一方で、永遠に自分のものであってしいとも思う。
彼の言う通り、何十年でもフラムのことだけを想って待ち続けてくれたら、と。
しかしそれは、もはやではなく呪いではなかろうか。
せっかく奴隷から解放されたミルキットを、それ以上の鎖で縛る、あまりに強い――
「私は、自分の全てをご主人様に捧げると決めました。私をそういう生きに変えたのは、ご主人様、あなたなんですよ」
ミルキットは縋るように、フラムの頬にれる。
「それ以外の生き方をむことなんてありえません」
「私に、そこまでの価値はある?」
「あります。この世に存在する寶石を全て束ねても屆かないほど、貴い価値が」
「ああ……そうだよね、ミルキットなら、そう言ってくれるよね。ほんと、悪趣味な神様が何度も私たちを引き裂かなければ、こんなに苦しむことなんて無かったのに」
「ご主人様が苦しむ必要なんてありません。確かに會えない時間は辛いですが、それでも、ただの生きた道として使われたあの頃より、あなたをせているだけで何十倍も、何百倍も――いえ、比べることなどできないほど、満たされているんですから」
虛無に人らしいの炎を燈したのは、フラムという存在だ。
彼が消えても、は消えない。
「だから、一人にしてしまったと嘆くぐらいなら、私を幸せにしたと誇ってください」
「……うん、誇る。そんでオリジンをぶん毆って、を張って帰ってくるから」
「はい。そしたらいの一番に、私に會いに來てくださいね」
「そんなの當たり前だよ、すぐに會いに來て、全力で抱きしめるから。でも……やっぱり、今までより強い繋がりはしい、かな」
フラムの手が後頭部に回され、ミルキットの包帯の結びを、片手で用に解く。
そして徐々に顔を覆う包帯は取り除かれていき、白いの、ため息が出るほどのがフラムの目の前に現れた。
彼の心臓はドクンと高鳴る。
頬にれ、指先でなめらかなのを確かめる。
主の一部が自らを舐めるたび、ミルキットは甘いに「ん」と小さな聲をあげた。
微かに細められる瞳が、やけにっぽい。
そして最後に頬を包み込むように手を當て、吐息が近づくほどの距離で見つめ合う。
「私の名前の半分を、もらってくれる?」
「私のような者がもらっていいのなら、喜んで」
健やかなるときも、病めるときも――そんなお決まりの文言はすっ飛ばされてしまったが、気持ちさえあれば契りは立する。
二人はを寄せ合い、重ねた。
両腕でしっかりと相手のを抱き寄せながら、全でその存在を噛み締め、溫を與え合う。
誓いのキスである。
奴隷で、誰が産んだのかもわからない彼には、名はあっても姓は無かった。
つまり、人生で初めて、彼が明確に家族と言う名の繋がりを得た瞬間だ。
に暖かな溫度が広がっていく。
好きの気持ちに、際限なんて無い。
フラムはし心配な節があるが、ミルキットが彼を忘れたり、他の誰かに走る心配なんて微塵も無いのだ。
どれだけされているか――というより、どれだけするだけの理由を與えてきたことか。
勝手に湧いて出てきたではなく、全てはフラム自の行の結果なのである。
名殘惜しそうに、二人はを離す。
そしてまた見つめ合った。
キスが隔てた數十秒。
フラムには、たったそれだけの時間で、関係が明確に変わったという実があった。
泡沫ではなく、夫婦というはっきりとした形に。
正式な手続きではないが、契りを終えた瞬間、フラムの中にあった『忘れられるかもしれない』という不安は吹き飛んでいた。
それだけでも、口づけをわした意味はあった。
互いのを瞳に込めて伝えあうように、視線を絡め合う二人。
しばらく黙ってそうしていた二人だったが、ミルキットが沈黙を破った。
「あなたのお嫁さん――ミルキット・アプリコットは、いつまでもあの家で、ご主人様の帰りを待っています」
ああ、なら妻を一人にするわけにはいかないな――と、フラムに使命が湧き上がる。
その強い想いは、彼を取り巻くあらゆる不安を消し飛ばした。
もはや恐れるものはなにもない。
またこうして抱き合うために運や奇跡が必要だというのなら、引き寄せるだけだ。
それだけの決意と力が、今のフラムにはあるのだから。
◇◇◇
そして翌朝、ついにフラムたちは魔王城のあるセレイドに向けて出発する。
ミルキットとインクとは、ここでお別れだ。
「すぐに戻ってくるんだよね?」
「そのつもりだから、いい子にして待ってて」
エターナとインクの離別に悲壯は無い。
最初から敗北など考えていないし、順調に勝てば今日中に戻ってこれるのだから。
そしてフラムとミルキットもまた、明るく別れを告げる。
「じゃあ、行ってくるね」
「はい……いってらっしゃいませ、ご主人様」
そう言って、れ合うだけの口づけをわし、二人は離れる。
あっさりしたものだ。
重要な言葉も行為も、昨晩のうちに済ませた。
だから最後は、これだけで十分なのだ。
ツァイオンとネイガスも友人や両親との別れを終え、集落に背中を向ける。
離れていく英雄たちの姿はあっという間に見えなくなり、見送っていた魔族たちは解散する。
一方でインクとミルキットだけは、その場に立ったまま、フラムたちが消えた方角を見つめていた。
「行っちゃったね」
インクが言った。
「はい、行ってしまいました」
ミルキットは、明るい聲でそう答える。
「みんな、戻ってくるといいね」
「戻ってきますよ、必ず」
彼は斷言した。
珍しく強い口調で言い切るので、インクはし驚いていた。
「……なんかミルキット、昨日より自信に満ちてる気がする」
「今までよりもずっと深く、ご主人様と繋がったんです。だから――」
怖いものはなにもない、と言えば噓になる。
けれど、信じているから。
主――いや、伴が帰ってくるその日まで、ミルキットは真っ直ぐに彼のことだけを想い、待ち続けるだけの強さを手にれたのだ。
◇◇◇
セレイドに近づくと、キマイラの群れが前方から迫ってくる。
まるで城壁が向こうから近づいてくるような迫力だ。
その壁・までの距離がある程度までまると、フラムは異空間より引き抜いた神喰らいの切っ先を天に向けて構えた。
するとジーンの作った巖が、その刃をコーティングし、巨大化させる。
さらにその上からエターナの氷が覆い、加えてフラムのプラーナが刃を形する。
高さ百メートルにも及ぶ、剣の塔。
フラムはそれを、キマイラの群れの頭上から叩き込んだ。
「うおぉぉおおおおおおおおおッ!」
がちぎれるほどの、獣のような雄び。
限界を越えた力の行使に、腕の筋は斷裂と再生を瞬時に繰り返す。
脳からもブチブチッと嫌な音が聞こえたが、すぐに治るのでなんの問題もない。
グシャアァァァァッ!
剣はキマイラたちを押しつぶし、さらに余波で周囲の群れを吹き飛ばし、突破口と呼ぶにはあまりに広い空白を作り出す。
「相変わらずすごい威力っす……」
「見とれてる場合じゃないわ。さあ、あのわからずや聖を説教しに行くわよ、セーラちゃん!」
「そうっすね。マリアねーさまに、おらの言葉を屆かせてみせるっす!」
ネイガスにお姫様抱っこされながら、セーラは先陣を切って突っ込んでいく。
「なにがあっても、シートゥムを取り返す……絶対に、オレはやり遂げてみせるからなァッ、待ってろよディーザ!」
続けて、いつになく気合のったツァイオンが、全に炎を纏いながら前進した。
「足を引っ張るなよ、エターナ」
「それはこっちのセリフ」
「ふん、気に食わんやつだ」
「お互い様」
相変わらず噛み合わないエターナとジーンは、口論になる直前ギリギリの會話をわしながら、魔法を利用してセレイドに向かった。
そして最後の一人――フラムは、剣を仕舞うと、遠くに見える魔王城を目を細め眺める。
「これが最後の戦い……」
「いよいよ復讐を果たすときが來たのですね」
「はい、ここで全てを終わらせます」
勝っても負けても、これが最後だ。
「ガディオさんも、マリアさんも、ディーザさんも、キリルちゃんも、そしてオリジンにも……全員に勝って、必ず、ミルキットの元に戻ってみせる!」
そう宣言して、走り出すフラム。
世界の命運を賭けた戦いが、今まさに始まろうとしていた。
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