《「お前ごときが魔王に勝てると思うな」とガチ勢に勇者パーティを追放されたので、王都で気ままに暮らしたい》EX2 人の姿をした螺旋の獣は、太を浴びてひどくみすぼらしい気持ちになった

王都の北東、厳しい山岳地帯の中に、その村はあった。

雪に閉ざされた境、“フィフ”。

オリジン教が栄える以前、別の宗教の修行僧が使っていた寺院跡が殘るその場所には、五十人ほどの人間が暮らしているという。

麓の村との行き來すら困難なフィフにそれほどの人數が殘っているのには、理由がある。

付近の山中に生息するとあるモンスターの皮が高く売れるのだ。

も獨特の風味で、一部の好者には需要があるのだという。

つまり、住民のほとんどは“狩猟者”だ。

「はぁ……ふぅ……」

そんなフィフを目指す、一人のがいた。

マリア・アフェンジェンス、當時十六歳。

は教皇フェドロ・マクシムスの命をけ、調査・・のためここに派遣されたのである。

で、護衛も付けずに。

まださの殘る顔立ちをした彼を、こんな視界の大半が雪で埋め盡くされた場所に送り出すなど、常識ではありえない。

しかしマリアは“聖”だ。

念の為、修道服の上から厚手のコートは羽織っているものの、そのに雪がれることはない。

を包むの魔法が、その熱で溶かしてしまうからだ。

足元も同様で、マリアが歩いてきた跡は、まるで雪が自ら道を開けたかのように地面が見えていた。

神の奇跡――その景を見たオリジン教の信者は、口を揃えてそう言うだろう。

実際は、ただ魔法を発し続けているだけで、同じの使い手なら再現可能なのだが。

「……ようやく、見えてきましたね」

視界の彼方に、淡いがいくつも見える。

レンガ造りの立ち並ぶその村は、人口の割に廃れてはいなかった。

狩猟者のおかげで金銭的には潤っているのだから、當然と言えば當然だろう。

だが、マリアにとってそんなことはどうでもいいことだ。

の目的は村にあるのではない。

フィフに設置された教會――そして寺院跡。

果たすべき使命は、そこで待っている。

◇◇◇

「せ、聖様!? まさかここまで一人で來られたのですか!?」

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マリアが教會の門を叩くと、迎えた司祭はひどく驚いた様子だった。

同じく修道士と騎士たちも、平然と立つ彼を見てあんぐりと口を開けている。

それもそのはず。

大聖堂に相談・・し、対策班の派遣を要請したのは司祭本人だが、聖であるマリアが來ることは聞かされていなかったのだから。

「おいお前たち、何をぼーっと突っ立ってるんだ! 早く暖かい場所に聖様をお連れしろ! あとは溫かいスープを用意するんだ。お前はブランケットを!」

慌てた様子で指示を出す司祭。

マリアは苦笑しながら、優しい聲で言った。

「お気になさらずに、は冷えていませんから。ですが腳は疲れてしまったので、し座らせていただけると助かります」

「そんなものはお安い用です! 他には何かございませんか? 何なりとお申し付けください!」

焦りを通り過ぎて、司祭はもはや興の域にまで達していた。

というより単純に、憧れの聖様が目の前に現れて、テンションが上がっているだけという可能もあるが。

しかし、ここまで言ってくれた相手を前に、何もお願いしないのは逆に気が引ける。

マリアは仕方なく、彼に告げた。

「それでは……お恥ずかしいのですが、食事もいただけますか? 荷を減らすため、干しと水しか持ってきていなかったのです」

「かしこまりました。お前たち、食事だ! とびきり上等な、うちで出せる最高の食事を準備しろ!」

司祭の言葉をけて、修道士は駆け足でキッチンへと向かった。

「いえ、そこまでは……」

困り顔のマリアのつぶやきは、どうやら彼には屆いていないらしい。

だが、どのみち止めても無駄だろう。

とは、信者たちにとってそういう存在なのだ。

◇◇◇

ほどなくしてマリアは、教會の応接室に案された。

暖爐の火が部屋全をほどよく暖めており、椅子に座ると同時に彼は軽くため息をつく。

外を歩いても特に寒い思いはしなかったが、ああも延々と雪だらけの景を見ていると、心が冷えてくる。

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揺れる炎を見ていると、まとわりついた氷が溶けていくようだった。

心地よさにを任せ、できればぐったりとテーブルに突っ伏したいところだが、さすがにそれは許されない。

なにせ、マリアは聖なのだから。

代償・・として、それなりの立ち居振る舞いというものが求められるのだ。

「それで聖様、調査依頼については……」

司祭が立ったまま彼に尋ねる。

「落ち著かないでしょうから、まずは座ってください。それと、わたくしに対して必要以上にへりくだる必要はありませんわ。本來、司祭様の方が地位は上なのですから」

「いえいえそんなわけには! 聖様は、私たちオリジン教徒にとって信仰すべき存在。私の方が立場が上などと、口が裂けても言えません」

教會の禮拝堂には必ず、“オリジン像”が設置されている。

それは創造神オリジンを模したと言われるものだが、“聖”はそれとよく似た存在だった。

すなわち生きた偶像なのだ。

オリジンから直接、“お告げ”という形で啓示をけ、人々に恵みを與える者――それが聖

教皇や樞機卿も同じくお告げを聞くことができるが、それは大聖堂に存在する洗禮の間で、オリジンによる洗禮をけたからこそだ。

だがマリアは違う。

は生まれ持ってオリジンと信する力を持ち、洗禮をけずともお告げを聞くことができる存在――というのが、聖の設定・・である。

そんなものを使わなければ信者たちを制できないほど、教會は腐敗しきっているのだ。

教皇や樞機卿たちが王國との繋がりを深め、その行為に政治的な意図が濃く出るたびに、まともな・・・・聖職者たちは嘆いた。

彼らはオリジン教の本懐を忘れ、私利私に走っているのではないか、と。

騎士団の過剰な規模拡大にしたってそうだし、薬草止にしたって、どう考えても教皇たちの私腹をやすためのものとしか思えないのだから。

まあ、実際のところはそれこそがオリジンの目的であり、彼は最初から王國民に恵みを與えようとは思っていないのだが――そんな事を、末端が知るはずもない。

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さて、そうなってくると、聖職者たちは當然のように教皇たちに不審を抱く。

反教皇派と呼ぶべき派閥が生まれ、オリジン教の分裂は時間の問題となった。

そのガス抜きのために生まれたのが、聖である。

教皇たちが忘れた“本懐”を彼が果たす、つまるところ彼らの時間稼ぎ。

無論、最初は聖というシステムに対する反発もあったが、それを払拭したのは他でもない、マリア自だった。

はとにかくよく働いた。

王國各地を渡り歩き、多くの人々に無償で手を差しべたのである。

結果、聖は教皇たちの思通りの効果を発揮し、今やその名前だけで全ての聖職者から無條件の信頼を得られる存在になった。

「しかしフェドロ様も人が悪い。聖様が來られるのなら、前もって伝えてくださればいいのに」

「気を遣わせないためだと思いますよ。わたくしが來ると聞いたら、司祭様は手厚くもてなしてしまいそうですから」

「こういう場合、もてなせない方が気まずいものです。ですが――弱りましたね」

「どうなさったのですか?」

「果たしてこの調査依頼を、聖様に任せていいものか……」

深刻な表で眉間に皺を寄せる司祭。

マリアは心配そうに彼の顔を覗き込む。

「わたくしはそのために來たのです、遠慮なさずにおっしゃってください」

微笑むと、司祭の頬が赤く染まる。

とは偶像――すなわちオリジン教徒にとってはアイドル的な一面もある。

彼が焦っていたのは、ただ単に教會の偉い人がやってきたから、という理由からだけではないのだ。

「せ、聖様が……そう、言われるのでしたら」

司祭は「おほんっ」と咳払いして気を取り直すと、この村で起きた出來事について語りはじめた。

「実は、この教會には四人の修道士が居たのですが、そのうち三人が寺院跡に向かったまま行方不明になってしまったのです。すでに一週間が経過していますが、未だ手がかり一つ見つからず……」

「なぜその三人は寺院跡に?」

「噂を確かめに行ったと聞いております」

「噂、ですか」

「ええ……なんでも、この村に存在しないはずの“六人目の修道士”が寺院跡周辺に現れるとかで」

フィフの教會に所屬する修道士は、全部で五人だ。

ちなみに全員が男である。

「そのお話は、村の人から聞いたのですか?」

「いえ、行方不明になったうちの一人が言い始めたようです」

「つまり噂ではなく、目撃談の類いなのですね」

「……今になって思えば、そうだったのでしょう」

それは、村に伝わる伝承の類いではない。

だが、目撃した本人はともかく、殘りの二人は“寺院跡に出る幽霊の話”など信じなかったはずである。

だからそれを確かめるため、そして度試しのために、わざわざ夜に現場へと向かった。

娯楽のない境の教會における、貴重な暇つぶしだ。

「モンスターにやられた可能は?」

「戦闘の形跡はありませんでした。それに彼らも修道士のはしくれ。冒険者で言うところのCランク程度の力はあるはずですから、この一帯に生息するモンスターを前に全滅するということは考えにくいのです」

「そうですか……確かに奇妙なお話ですね。教皇様に調査依頼を出して正解だったと思います」

マリアの言葉に、司祭はほっとした表を浮かべた。

フィフの教會には、五人の修道士に加えて、二人の教會騎士まで常駐していた。

これは村の規模を考えれば、かなり多い人數だ。

人數が増えたのは、雪で閉ざされたロケーションが煩悩を捨て去る修行場所としてぴったりだから、という理由もあるのだが――しかし、それだけ居れば大抵の問題は解決できるはず。

そんな恵まれた環境でありながら、大聖堂への支援要請を出さざるを得ない狀況に追い込まれてしまったこと。

それは管理者たる司祭にとって恥だったに違いない。

己の保を考える者であれば、裏に冒険者、あるいは村の狩猟者を雇って解決しようとするケースもあり得ただろう。

だが彼はそうはしなかった。

自らの名譽よりも、仲間や村の安全を取ったのだ。

「早速、明日にでも寺院跡を調べてみましょう。案を頼めますか?」

「もちろんですとも! 案だけでなく、聖様のご命令は全て遂行する心構えでおります」

「ふふふ、あまり肩に力をれないでくださいね。わたくしなんて、ただの十六の小娘なんですから」

「やけに謙遜なさるのですね、それだけ秀でた力と優しき心をもっていながら」

「優しき心……ですか」

マリアの笑顔が微かに曇る。

そして彼は、自嘲ぎみに言った。

「過大評価ですよ。聖というだけで、誰もがわたくしを無條件で信用する。困ったものです。わたくしはそこまで完璧な人間ではないのに」

「聖様……」

司祭は何も言えなかった。

かけられる言葉は、引き出しを片っ端から開いても見つからない。

仕方のないことだ、彼はライナス・レディアンツではないのだから。

「……ごめんなさい、愚癡っぽくなってしまいましたね。それでは明日の計畫を練りましょうか」

「は、はい、そうしましょう」

再び元の笑顔に戻ったマリアは、司祭と向き合って話を続けた。

◇◇◇

翌朝、マリアは教會を出て寺院跡へと向かった。

に付き添うのは司祭だけでない。

殘る一人の修道士と二人の騎士――すなわちフィフの教會に所屬する全ての人員が、聖を護衛すべく彼の後ろを歩いている。

全員で向かうことを提案したのは、他でもないマリア自だ。

もちろん司祭も最初からそのつもりであったが、彼が自らそう言い出したことに、彼は微かな違和を覚えた。

自分のことを『未者』と呼ぶマリアだが、その実力は折り紙付きだ。

若干十六歳にして、冒険者で言うところのSランク級の力を持っているのだから。

ちなみにフィフの教會では、司祭がBランクで、殘る修道士と騎士はそれぞれCランク程度の戦力だ。

彼ら四人が束になって立ち向かっても、マリアを倒すことは不可能だろう。

それだけの力の差がありながら、なぜ全員を連れてこなければならなかったのか。

もちろん、司祭がマリアを疑うことはない。

だが不安にはなる。

、この寺院には何が潛んでいるというのか。

わざわざ聖が派遣されたのは、マリアほどの実力者でなければ対応できない危険がここにあるということなのだろうか。

様々な考えが司祭の頭の中をめぐるうちに、

「ここが寺院跡ですか……」

いつの間にか目的地に到著していた。

マリアの目の前にあるのは、その大部分が朽ち果てた、石の建造

すら殘っていないこの場所には、隠れられるようなスペースはほとんど無い。

もちろん雪をしのぐこともできないので、一週間以上ここに留まるのは、並の人間には不可能だろう。

幸い、今日は珍しく雪が降っていないため、調査は楽に進めることができた。

マリアたちは、手分けをして寺院跡に行方不明者の痕跡が殘っていないか、丹念に調べる。

しかし失蹤から時間が経っていることもあって、なかなかそれを見つけることはできなかった。

「風の魔法でも使えたのなら、簡単に見つけられるのかもしれませんが……」

マリアがつぶやく。

ここにいるのは、教會関係者ばかり。

つまりの使い手しかいないのだ。

は回復魔法を得意としており、また攻撃魔法の威力もそこそこなのだが、他屬ほど用ではない。

回復魔法という唯一無二のアドバンテージがあるのだから、それ以上を求めるのは贅沢なのかもしれないが、日常生活において役立つ場面というのは火や風の方が圧倒的に多かった。

そして、調査開始から三時間。

寺院跡の大部分を調べ終え、あきらめムードも漂い始めたそのとき――

「あっ!」

マリアが聲をあげる。

反応して、全員の視線が彼の方を向いた。

「ここ……なにかあるみたいです。蓋、でしょうか」

床とほとんど區別がつかないが、指でると微かな段差のようなものがじられた。

司祭たちもマリアと同じように石床をで、確認する。

「本當ですね……さすが聖様、私たちだけでは絶対に気づけませんでした」

「いえ、わたくしも見つけたのは偶然ですよ。しかし――どうも、指で開けるものではなさそうです」

當然、取っ手などは存在しない。

おそらく、何らかの仕掛けで開くものなのだろう。

だが、仕掛けを探すつもりなど無かった。

マリアは司祭たちにその場から離れてもらうと、自は蓋のすぐ傍に立ち、両手を前にかざした。

「ジャッジメント!」

魔法を唱えると、人の大きさほどのの剣が空中に浮かび上がり、高速で落下する。

「おぉ、これが聖様の魔法……!」

剣の大きさは、消費した魔力量によって変する。

蓋を破壊するだけだ、マリアはそれにさほど力を込めたつもりは無かったのだが、司祭から見れば十分に巨大だったらしい。

刃は地面に突き刺さる。

するとその衝撃によって蓋は砕け散り、大きながあいた。

舞い上がった砂埃が晴れると、司祭はその中を覗き込む。

「これは……階段?」

「そのようですね。奧に続いているようですが、ここからでは先に何があるのか確認はできません」

「まさか、修道士たちはここにっていたのでしょうか」

「可能はあると思います。そうでもしなければ、この寺院跡で忽然と姿を消すなんてこと、ありえませんから」

階段の奧は暗く、深い闇に覆われている。

どこまで続いているのか、その先に何があるのか、想像もつかない。

だが幸い、の使い手であれば、暗闇を照らすことはできる。

まだ空も明るい。

すぐにでも部の探索を進めれば、日が暮れる前に戻ってくることも可能だろう。

「どうしますか司祭様。一旦戻って準備を整えるか、それとも――」

「いえ、すぐに中を調べるべきかと。これ以上、私たちの都合で聖様の時間を奪うわけにもいきません」

「そこは気になくてよろしいのに」

「そういうわけにはいきますまい。では、ここは私が先導して――」

「いえ、わたくしが行きますので、みなさんは後ろからついてきてください」

先ほどから十六歳のの後ろをついていくという構図に若干のけなさをじていたのだが、マリアにそう言われたのでは何も言い返せない。

マリアは魔法で周囲を照らす球を作り出すと、それを自分の前方に浮かせて、階段を降りていく。

それは長い長い階段だった。

足元や壁の狀態からして、寺院跡ほど古いものではなさそうである。

「こんなものが寺院の地下に……」

司祭含め、修道士や騎士たちも驚いている様子だった。

フィフのようなど田舎に、何の目的があってこのような手の込んだ地下施設を作ったのか。

ついに階段が終わり、マリアの目の前に近代的な金屬の扉が現れる。

跡というロケーションとはますますミスマッチなの登場に面食らう司祭たちをよそに、マリアは躊躇なくそれを開き、部に足を踏みれた。

「これは……なんという……」

「王都でも中々見ないほど、進んだ・・・建ですね……」

天井の魔導燈で照らされ、金屬で作られた灰の壁と床。

無機質ではあるが、それがフィフの教會や民家よりも遙かに高度な技で作られたことは、誰の目にも明らかだった。

前方にまっすぐびる廊下の左右には無數の扉が並び、また途中にはいくつかの丁字路も見える。

聲の響き合からしても、かなり広いことは間違いない。

呆然と目の前の景を見守るマリアたち。

すると突き當りの廊下を、ゆらりと人影が橫切る。

「今のは……修道士でしょうか?」

「行方不明になったうちの一人です!」

見えたのは一瞬だったが、司祭は背格好からすぐに判別できたようだ。

同伴した修道士たちも、ようやく仲間が見つかり、表が明るくなる。

「やはりここに迷い込んでいたようですな」

「そうですね。この施設が何なのか気になりますが、調べるのは後です」

今度は司祭を先頭に、小走りで廊下の突き當りに向かう一行。

そこまでたどり著くと、行方不明の修道士が消えたL字路の方を向いた。

すると再び、修道士は廊下を曲がって左に消えていく。

「お、おい! 待ってくれ!」

なぜか逃げようとする修道士。

後ろからついてきていた騎士の一人が、思わず大きな聲で呼びかけた。

だが反応は無く、マリアたちが再び突き當たりまで進むと、廊下の奧でまた同じように修道士が走り去る。

「なぜ、私たちから逃げるような真似を……」

司祭は首をひねる。

「変、ですね。それに今の、最初に見かけた男とは別の方でしたよね」

「ええ、一番目、二番目、三番目とそれぞれ違う修道士だったようで」

「全員が無事だということをアピールしたいのでしょうか」

「にしてはふざけすぎです。まったく、聖様のお手を煩わせるとはなんという不屆き者……すぐにとっ捕まえてやりましょう!」

拳を握り、強く宣言する司祭。

マリアは三度苦笑しながら、逃げる修道士のあとを追った。

すると、行方不明の修道士たちは、今度は十字路の中央に三人揃って立っている。

司祭が近づいても逃げる様子も無いが、彼が何度呼びかけても反応もしない。

ただ、背中を向けて突っ立っているだけだ。

「おいお前たち、いい加減にしろ!」

司祭は三人に大で近づいていく。

どうやら、今度は逃げないようだ。

ばした手が中央に立つ修道士の肩に置かれ、強引にこちらを振り向かせる。

すると――

「何をへらへらしているんだ」

司祭の言葉通り、男は薄ら笑いを浮かべていた。

続けて両側の二人も振り返り、似たような表を浮かべる。

「顔もいいしやつれてもいない。こんな場所に一週間以上も居たというのに、ずいぶんとまともな生活・・・・・・をしていたようだな」

言葉に棘はあるものの、司祭の言葉に怒りはじられない。

部下の無事が確認できてホッとしているのだろう。

「まあ、説明は戻ってからしてもらうとして――聖様、申し訳ありません。あっさり見つかってしまいました」

「彼らが無事であるのなら、それに越したことはありません」

「見たかお前たち。何がどうなってこんな場所に潛んでいたのかは知らんが、あんなにも素晴らしい聖様のお手を煩わせたんだぞ? しぐらいは反省のを見せたらどうなんだ。ん?」

三人は相変わらず薄ら笑いを張り付けたままだ。

その様子に、一行が違和を覚え始めたとき、そのうちの一人がはじめて口を開く。

「ここに來たとき、僕たちと同じ格好の男を見かけたんです」

「そうか。その話も出てから聞くから今は――」

「夜で明かりも無い中、ぽつんと立っていて。とても怪しかったんですが、いざ話しかけてみると彼は自分を『オリジン教の関係者だ』と名乗りました」

聞いてもいないのに、彼は事の経緯を語り始めた。

司祭は肩を落として大きくため息をつく。

「言い訳したって無駄だぞ、反省文と謹慎は避けられないと思うんだな」

「教會以外にオリジン教の施設があることを僕たちは知りませんでしたから、とても興味があったんです。それで、言われるがままに階段を降りて、この施設に足を踏みれました」

「おい、私の話を聞いているのか?」

「驚きました。教會よりもよっぽどお金のかかった施設が、こんな地下に広がっていたんですから。話を聞くと、ここが出來たのは十年ほど前のことだそうで、かの天才研究者であるエキドナ・イペイラ史が関わっているそうです。ご存知ですかエキドナ・イペイラ。い頃から神と呼ばれもてはやされ、その評価のまま長した化ですよ。ああ、でも當時の名前は今と違ったそうなのでエキドナ・イペイラと言ってもわからないかもしれませんが、と彼はケラケラ笑っていました」

「……何の話をしているんだ?」

さすがに異変に気づき、司祭は饒舌に語る男を睨みつけた。

なおも彼は、力ない表のまま言葉を続ける。

「ところで僕たちはとある部屋に案されました。曰く、ここは“キマイラ”なる研究を行っていた施設のれの果てだそうで。『れの果てなのになぜこんな場所にあなたはいるのですか』と聞くと、その男はこう答えたんです、『私もれの果てだから』と。もちろん僕たちは首を傾げました。意味がわからなかったからです。しかし僕たちはすぐにその言葉の意味を知ることとなりました」

じりじりと、司祭は三人から距離を取る。

気づけば二人の騎士は剣を抜いて、彼らに刃を向けていた。

敵意はない。

だが異常だった。

男は人の言葉を話してはいるものの、司祭とのコミュニケーションが立していないのは誰の目にも明らかだったからだ。

力裝置が壊れ、ただ一方的に出力しているだけの狀態。

ただし、その行為が何のために行われているのか、まだ誰にも理解できていなかったが。

「ちゅうちゅう、ちゅうちゅう、ちゅうちゅう」

まるでネズミの鳴き真似でもするように、男はを突き出しながら言った。

「口の中に――ああ、いや、それが口だったかどうかはよくわからなかったんですが、たぶん口みたいなです、。そこからにゅるりと管のようなものが挿し込まれて、ちゅうちゅう、ちゅうちゅう、ちゅうちゅう。どうやらそれが彼にとっての生行為であることは、見ている彼らにはわかったらしいのですが、當事者である僕は痛みでそれどころではありませんでしたから、ただただび聲をあげるばかりでした」

「生行為……?」

「司祭様、彼から離れてくださいッ!」

マリアは必死に呼びかけるが、空気に呑まれているせいか、司祭のはうまくかない。

こわばった両腳で、足裏を床にこすりながら後ずさるので一杯だ。

味方側・・・の修道士と騎士は、司祭を守るために彼に駆け寄りたかったが、場を支配する張り詰めた雰囲気がそれを許さない。

それはいわば、ギリギリまで膨らんだ水風船のようなもの。

わずかなきっかけ――例えば前に踏み出すほんの一歩だけで破裂し、中・・をぶちまけてしまうだろう。

だが今、風船の中にっているのは水ではない。

弾けて、広がって、れた瞬間に命を落とすなにかだ。

「ちゅうちゅう、ちゅうちゅう、ちゅうちゅう」

言葉と同時に、脈を打つ、修道士の腹部。

しかし、たとえ風船が割れなかったとしても、いずれそのときはやってくる。

待つか、自ら踏み出すか、その違いだ。

現在、この場に自ら前に踏み出せる勇気を持つ者はいない――

「どくどく、ずるずる、ぼこぼこ」

それはやがて全に及び、まるで側でなにかがうごめくように、男のは変形する。

けれど彼の表は変わらずに、平坦な聲でこう告げた。

「孵化までは、およそ一週間かかると、彼からの伝言を皆様にお伝えいたします」

修道士たちが行方不明になったのは一週間前。

すなわち“一週間後”とは――

「ぼこぼこ……ぼ……ご……ッ」

――今だ。

そいつらは一斉にの卵から孵化すると、口や耳、鼻はもちろんのこと、後ろから眼球を押しのけて両目からも這い出てくる。

八本腳の黒い影。

「く、蜘蛛っ!?」

司祭がを震わせその名を呼んだ。

そう、現れたのは蜘蛛だ。

腳までの大きさは人の拳ほど。

生まれたばかりでそのサイズなのだから、長すればもっと巨大になるに違いない。

そんな彼らの特筆すべき特徴は、蟲であるにもかかわらず、頭部の中央に沢のある桃の渦を巻いたを持っていることだった。

何のために付いているのかはわからない。

だが“”からは絶え間なく、人のを思わせる赤いが吐き出されていた。

が小さいため、発する音も當然小さい。

しかし、卵嚢に変えられた三人の修道士から生まれた蜘蛛の數は、司祭の視界に映る限りで數千匹。

それだけの數が一斉に螺旋を脈させれば、不快な音は廊下に響き渡るほどになる。

くちゃくちゃ、ぐちゅ、くちゅ、くちゅ――

夜の河原で鈴蟲が合唱するように、粘著質な音が反響し、マリアたちを包み込んだ。

辛うじてけていた司祭はついに完全に腳を止める。

止まりたいんじゃない、けないのだ。

まるで糸に縛り付けられたかのように、目の前の異様な景に、今度こそ完全に呑まれてしまっている。

「し、司祭様ぁッ!」

そのとき、一人の騎士がいた。

勇敢な男だったのだろう。

彼は司祭の前に飛び出すと、「エンチャントライト!」と剣にの魔法を付與し、迫る蜘蛛の大群に切りかかった。

によって熱を帯びた刃は、蜘蛛のを容易く切り裂く。

だがあまりに數が多すぎる。

剣をふるったところで、全滅させることなど不可能だった。

「こ、ここは通さないからな! 教會騎士として俺は司祭様を守り……守って……うわぁぁぁあああああッ!」

騎士としての挾持が、その強がりを生んだのだろうか。

彼はがむしゃらに剣を振り回す。

しかしその足元には、すでに蜘蛛がへばりついている。

八本の腳を素早くかし鎧の上を駆け上る。

騎士はそれに気づくと素早くそいつを握りつぶしたが、それも間に合わなくなってくる。

さらに鎧の節・から側に侵する蜘蛛も現れ、もはや彼が埋め盡くされるのは時間の問題だった。

もう助からない――その様子を見ていた誰もがそう悟り、歯を食いしばりながら諦めるしか無い。

別の騎士は素早く足の止まった司祭に近づき、そのを引きずるように蜘蛛から距離を取った。

「司祭様、早く逃げましょう。もう私たちにはどうしようもありません!」

「あ……あぁ、そうだな、早く逃げなければ」

ようやく正気を取り戻した司祭は、自らの足で走り出す。

「聖様も、早く!」

騎士の呼びかけに、ぼーっと蜘蛛たちを眺めていたマリアも頷き、彼らに続いた。

「あぁ、痛いっ、痛いんだよぉおおッ! クソッ、クソォッ、嫌だ、死にたくないぃッ!」

後ろから聞こえてくる悲痛な斷末魔。

司祭たちは苦しげな表を浮かべながらも走る。

特に共に切磋琢磨してきた騎士は、その現実から逃避するように首を左右に振っていた。

「聖様……僕たちはどこに逃げたら良いのですか」

施設の構造など、マリアが知るはずもない。

そのことは問いかけた修道士だって知っていたが、すがらずにはいられなかった。

は神の代理人なのだから、きっと助かるを導き出してくれるはずだ――と。

しかしマリアは黙ったままだ。

「答えてください聖様ッ! オリジン様のお告げを聞くことができるのなら、僕たちを救ってくれるはずですよね!?」

「……」

「なんとか言ってくださいよ、聖様ぁッ!」

「落ち著くのだ、聖様とてこの狀況に戸っておられる!」

「じゃあ助けに來た意味なんてないじゃないですか! 僕たちを救うためにここに來たんじゃないんですかッ!」

責める修道士も、諌める司祭も、そして口をつぐむ騎士も――誰もが冷靜さを欠いていた。

蜘蛛が孵化したのは十字路の中央。

つまり施設のちょうどど真ん中だ。

行方不明者の死を利用して喋らせていたのだがあの蜘蛛だとするのなら、あいつらにはある程度の知能が存在する。

であれば、司祭たちが逃げようとしていることはおそらく彼ら・・も理解しているはずだし、その移速度から言って、すでに出口に続く道は塞がれているはずだ。

道などない。

襲われた騎士を助けなかった時點で、マリアの力の底はしれている。

強引に突破するのも不可能だろう。

「どうして……どうしてこんなことにっ……!」

修道士の瞳に涙が浮かぶ。

さらに彼の心を追い詰めるように、背後からかさかさ、くちゅくちゅと蜘蛛たちが近づいてくる音が聞こえる。

並走する騎士が一瞬だけ振り向くと、彼は「ひっ」と引きつった聲をあげた。

の床が、壁が、天井が、全て黒に埋め盡くされていたのだ。

そして頭部に付いた螺旋は、一様に自分たちの方を向いている。

もう、司祭を救った彼の聲は聞こえなくなっていた。

まとっていた鎧は、中が空の狀態で、蜘蛛の大群の上で転がされている。

足がすくんでも、心が壊れそうになっても、今は走るしか無かった。

まずは目の前の曲がり角を目指して。

あそこを通り過ぎて、もう一度曲がれば、そこには出口がある。

逃げられるのだ。

そんな拠のない儚い希だけを原力に、彼らは走り続け――直後、みはあっさりと八本の腳に踏みにじられた。

目指していた曲がり角の向こうから、蜘蛛の群れがわらわらと現れたのだ。

「……そんな」

誰かの口から、自然と失れた。

完全に挾まれた――もう逃げ場所はない。

そう思われたが、まだ終わりではなかった。

いっそ終われた方が幸せだったかもしれないが、ちょうど真橫に、部屋へのり口があったのだ。

その先に何が待つのかはしらないが、一分一秒でも生き殘る道があるのなら、選ばずにはいられない。

「部屋にるぞ! 聖様も早く!」

「わたくしは――」

司祭が扉を開くと、飛び込むように修道士と騎士は中に逃げ込む。

だがマリアはその場で足を止めたまま、両側から迫りくる蜘蛛に向かって手をかざした。

「聖様、一なにを!」

「教皇様から與えられた役目のため、何もしないわけにはいきません!」

の両手から魔力が放たれる。

らしい自己犠牲、そして神じさせるの粒子――その景は、さぞ神的に映ったに違いない。

「ディヴァインウォール!」

魔力が壁となり、廊下を塞ぎ、蜘蛛たちの進行を食い止める。

もちろん気休めにしかならない。

彼らは螺旋の力を用いて、すぐにその程度の薄い壁は突破してくるだろう。

だが――無意味ではない。

ひょっとすると、室には逆転の一手が奇跡的に殘されているかもしれないのだから。

「司祭様、早く中に! そう長くは食い止められません!」

「そ、そんなことはっ……」

「早くっ!」

強い言葉に押されて、司祭は悔しげに部屋にり、扉を閉じた。

ここで駄々をこねたところで、無意味なことを悟ったからだ。

そしてすぐに鍵を閉める。

もちろんこれだけで蜘蛛の侵を止められるとは思わない。

「お前たち、椅子や機を持ってくるんだ! バリケードでしでも時間を稼ぐ!」

「司祭様、聖様は……」

「……くっ」

拳を握り、うつむく司祭。

その表で、修道士と騎士は想像がついてしまった。

「そんな……まさか、僕があんなことを言ってしまったから……僕の、せいで……っ」

膝をつく修道士。

足を止め、若干の落ち著きを取り戻した今だからこそ、余計に後悔は大きくなる。

行方不明になった三人や、蜘蛛に喰われた騎士の死だって、まだ消化しきれていないというのに。

いっぱいに絶が満ちて、自然と彼の瞳からは涙が溢れた。

さらに修道士は地面にくずれおち、床に額をこすりつけながらを震わせる。

「っ、う……うぅ……こんな、こんなはずじゃ……あのとき、寺院跡に行くみんなを僕が止めていたら……こんなことにはぁ……っ!」

「悔やんでる場合ではない! 聖様の犠牲に報いるためにも、私たちは生き殘らねばならないのだ!」

司祭の喝をけても、彼は立ち上がらなかった。

心が完全に折れてしまったのか――司祭は「はぁ」とため息をつくと、騎士とアイコンタクトを取る。

幸い、こちらはまだけるようだ。

二人は協力して、部屋中の椅子や機を扉の前に重ねた。

これも気休めにしかならないことはわかっているが、無いよりあった方が、神的な安定を得ることができる。

「ふぅ……こんなものか。しかしこの部屋は――」

バリケードを作り終えた司祭は、改めて部屋の中を見回した。

棚の中に並ぶ得の知れない薬品や、生のサンプル。

また、別の棚には書も収められている。

彼はそこに近づき、うち一冊を手にとる。

そして表紙の下のほうを見て、目を剝いた。

「この紋章は、まさか……」

気のせいだと思いたい。

だが手にとった本を投げ捨てて別の本の表紙を見ても、同じマークが刻まれている。

次の本にも、さらに次の本にも――

「司祭様?」

司祭の奇妙な行に、騎士は彼に歩み寄った。

そして床に落ちた本を手に取る。

「これは、オリジン教のシンボル? ということは、この施設は教會が作ったもの……?」

「どうやら、そういうことらしいな。あいつらが寺院跡で見つけた修道士というのも、この施設で働いていた教會関係者のれの果てかもしれん」

「つまり、教會があのような化を作り出していたということですか!?」

あの異様な蜘蛛と、棚に並んだサンプルの數々――騎士がその結論に達するのはごく自然なことであった。

「私たちは、なんとしてもここから逃げさなければならない」

「司祭様……」

「人を救うために存在する組織が、このような非人道的な実験に手を染めるとは、言語道斷だ! 一刻も早く、この事実を多くの人々に知らしめ、オリジン教を在りし日の姿に戻さねば!」

教會の腐敗は、司祭だって知っていた。

それでも、今までは『どうしようもない』、『仕方ない』とれてきたのだ。

そして、せめて自分の周囲にいる人々にだけでも、正しい教會のあり方を知ってもらえれば――そう考え、行してきた。

しかしそれは一方で、『この程度の悪事ならば目をつぶってもいい』という妥協でもある。

いかなる善人にも、そういった“ライン”は存在する。

教會は司祭が設定したそれを超えてしまったのだ。

「司祭様、私もお供いたします」

仲間を失った騎士もまた、強い覚悟で司祭に同調する。

とはいえ――まずはここから逃げ出さなければ、なにも始まらない。

「しかし弱ったな、この部屋に別の出口があるとも思えん」

「いいえ司祭様、こういった地下空間には、空気をれ替えるためのがあるはずです。例えば、天井近くについたあの蓋の向こうなら――」

騎士が指さしたのは、部屋の角にある通気口のり口と思しき鉄の蓋だった。

司祭は「ふむ」と顎に手をあて、手頃な椅子を持ってそこに近づく。

そして、試しに両手で持って軽く揺らしてみた。

「しっかり止められているな。破壊しなければ外せそうにない」

保管されていた書の日付からして、この施設はなくとも十年ほど前から存在したことになる。

それだけの日數が経過してもなお、建が劣化している様子はなかった。

蜘蛛が保全しているとは考えづらい。

おそらく、最初からかなり頑丈に作られていたのだろう。

「でしたら私が、この剣で壊しましょう」

「いいや、これぐらいなら魔法で――」

蓋に手を近づける司祭。

だが、彼は魔法を発する直前で手を止めた。

「あ……あぁ……あ、ひ……」

男の、怯えたような聲が聞こえたからだ。

振り向くと、修道士が壁を見て顔面蒼白になっていた。

それだけでなく、彼のズボンの間あたりがぐっしょりと濡れている。

どうやら失してしまったらしい。

あまりに異様な怯えように、司祭は眉をひそめながら、彼の見ている壁のほうへと視線を向けた。

そこはちょうど、騎士の立つ場所の真後ろ。

數多の書が並べられた棚の、その上から――長く、黒く、むくじゃらの“腳”が二本、びていたのだ。

「あれ、は……」

考えなかったわけではない。

行方不明になった修道士たちが、卵を産み付けるための袋として使われたのなら――どこかに“親”がいるはずだ、と。

だが、本能的に考えないようにしていたのだ。

子蜘蛛だけであれだけ絶的なのに、そこに親蜘蛛までいたとなれば、もはや生き殘る可能はゼロになってしまうのだから。

だから、今だってそれを『幻覚だ』と思いたかったし、無理なら『誰かがイタズラで巨大な蜘蛛の腳を壁に張り付けた』ということにしたかった。

しかしし前までそこに腳など存在しなかったことを、司祭は知っている。

だから、そう思うこともできずに、壁を見たまま言葉も発さず肺が痙攣したように淺い呼吸を繰り返しているうちに――がさりと、そいつはいた。

ワンアクションが大きい。

子蜘蛛の時點で、人の全力疾走とそう変わらない速度だったのだ。

あののサイズなら、人間の認識できる最短の時間で、數メートルの移が可能だろう。

(すまない――)

剎那、司祭は心の中で謝罪した。

そこに立つ騎士に、『逃げろ』や『伏せろ』と言えたはずなのだ。

だが恐怖のあまり、聲が出なかった。

見ていることしかできなかった。

「司祭様、一どうし――」

騎士が聲を発する。

それに反応するように一瞬で棚の裏から現れ天井まで移した親蜘蛛は、彼の頭上から飛びかかった。

「あぐっ!? な、なに、が……があぁっ!?」

腳の一本一本が人の大きさほどある、あまりにおぞましき螺旋獣。

それこそがオリジンコアをに宿したこの施設の“主”であり、実は生まれた子蜘蛛はオリジンが生機能を模しただけの“分”なのだが、そのようなことを彼らが知る由もない。

蜘蛛は頭部の螺旋を騎士の頭部に押し付けると、そこから管をばし突き刺した。

「あぐっ」

頭蓋骨は水たまりに張った薄氷のようにぱきりと容易く貫かれ、脳の深くまで侵する。

「あっ……しさ、い……しさっ、が……げぶっ、ぎ……ぎっ」

痛みとも呼べない気持ち悪さが、騎士の意識を埋め盡くした。

飛び出るほど開かれた瞳からはだらだらと、涙と呼ぶことが憚られるほど下品に明のを垂れ流し、舌はだらんとびて、口の端から落ちたよだれが床を汚した。

の筋は次第に遅緩し、排泄が鎧の側を汚す。

ちゅうちゅう、ちゅうちゅう。

なおも蜘蛛は彼の脳を吸い取り、意識を奪っていった。

ひょっとすると、オリジンの化にしては、そいつは優しい方だったのかもしれない。

なにせ、殺される本人には大した痛みは無いし、なくともその意識は人間としてあっさり死ぬことができるのだから。

じきに騎士の魂は召され、ただの袋と化した。

それでも蜘蛛の食事は終わらない。

さらに管を長くばして、にある臓という臓を吸い盡くす。

その景を、司祭は唖然と見ていた。

宿るは恐怖でも憤怒でもなく、“無”。

あまりに常識外の出來事が起こりすぎて、思考が完全に停止してしまったらしい。

一方で、一番最初に蜘蛛を発見した修道士は、もちを付くような形で首を左右に振りながら號泣している。

もはや失する尿も殘っていないほど、ズボンは水浸しだ。

それでも後ずさるという行を取るあたり、実は司祭よりも冷靜なのかもしれない。

「う……う……うわぁぁぁああああッ!」

そして彼は逃げるために、部屋の出口――つまりバリケードにすがりつき、積み重ねられたそれを崩し始めた。

とにかく外に出たい、その一心で。

もちろんそれだけ騒げば、蜘蛛は黙っていない。

食事を終えて空っぽの卵袋になった騎士の死を投げ捨て、ゆっくりと、舌なめずりでもするように修道士の背中に近づいた。

「ひっ、ひぐっ、やだっ、やだあぁぁあっ! たずけてくれっ、だずげてよぉ、オリジン様あぁぁぁぁっ!」

子供のように泣きじゃくり、崩した椅子や機を蜘蛛に投げつけながら、外を目指す。

結果として、彼は間に合った。

バリケードを崩し終え、扉の鍵を震える手で開くと、部屋の外に飛び出すことに功したのだ。

「やった――」

無論、その先に待っているのは――子蜘蛛の大群なのだが。

「ひっ、いいぃぃいっ! 離れろっ、離れろよぉおおっ! 僕は逃げるんだ、僕はぁ、今日までっ、正しく、頑張ってオリジン様を信仰したんだ! だから、生き殘るはずなんだあぁあああ!」

子蜘蛛にまとわりつかれ、に張り込まれながらも、彼は走った。

たぶん、その時點でもう、完全に心は壊れていたに違いない。

「ははははっ、生き殘るぅっ! 生き殘らせてぇっ! ママー! パパァーッ! 帰るからっ、僕ぅ、オリジン様の力で帰るからあぁっ! ああぁぁ! あ、ああぁっ……あ……僕、は……ぁ……」

気は弱いが、信仰心は強いほうだった。

一人だけ“度試し”に參加しなかったことからもわかる通り、真面目な男で、それなりに將來も期待されていた。

だが、彼は最大の過ちを犯していたのだ。

「おぉ、神よ……」

そうやって祈る司祭にしたってそうだが――“信じた神がオリジンだった”という、どうしようもない過ちを。

要するに、祈ったところで救われるはずがないのだ。

結局は自力でどうにかするしかない。

子蜘蛛が獲を食らったのを見屆けると、親蜘蛛は司祭の方を向いた。

「ジャッジメント!」

の剣が浮かび上がる。

別にマリアに倣ったわけではなく、ジャッジメントはにおけるもっともポピュラーな攻撃魔法なのだ。

大きさは人の肘から指の先ほどで、當然聖には及ばない。

だが金屬の蓋を破壊するには十分すぎる威力があるはずだった。

しかし差し向けられた剣は、蓋を破壊するでもなく、貫くでもなく、ガギンッ! と弾かれてしまった。

無論、無傷というわけではないが、それでも司祭が想定していたよりもダメージは小さい。

「くっ、こんな場所まで頑丈に作ってあるのか! ならばもう一度、ジャッジメント! ジャッジメント!」

司祭は同じ魔法を繰り返す。

間違いなく効果は出ている。

蓋全は歪み、フレームの形は変わり果て、固定のために取り付けられたネジは外れる寸前だった。

だが背後から迫る蜘蛛はもうすぐそこまで著ている。

さらにドアから侵した子蜘蛛も部屋を埋め盡くしつつあった。

時間がない。

司祭は自らの手が焼けることを覚悟で、外れかけの、の剣で熱された蓋に手をばした。

ここまで來れば、魔法よりも手の方が早いはずだ。

「ぐっ……く、くおぉおおおおおおッ!」

吼える司祭。

すると蓋は外れ、人一人が辛うじて通れるほどのが開く。

そして彼は足場にしていた椅子を蹴るようにして飛び上がり、通気口にり込ませた。

背後で振り上げられた蜘蛛の腕が空を切る。

そのきで生じた風を背中にじると、司祭の全が粟立った。

しかしこれで、あの悪夢のような部屋からは逃げ切れたのだ。

もっとも――ここにったところで、逃げ切れる確証はないのだが。

埃っぽさに咳き込みそうになるものの、そんな余裕は無い。

腕を必死にかし前に進む。

狹い通路で一旦首を曲げて後ろを確認すると、親蜘蛛が中にり込もうと、の頭部をぐちゅりぐちゅりと何度もり口に打ち付けていた。

が飛び散り、司祭の足元もわずかに赤く汚れる。

「はぁ……はぁ……あのようなものは……存在してはならない……!」

そうつぶやくと、彼は匍匐前進で前へと進みはじめた。

ほどなくして親蜘蛛が頭部を打ち付ける音は聞こえなくなる。

し遅れて、れ替わるように子蜘蛛たちが司祭を追った。

カサカサ、クチュクチュと、不快の極みと呼べるほど気味の悪い音を通気口に反響させながら。

「ふっ、ふっ、ふっ!」

司祭の力の消耗も大きい。

きにくい司祭服ということもあって、なかなか思うように前に進めない。

一方で子蜘蛛たちは、廊下や部屋にいたときと同じ速度で近づいてくる。

蓋を開くことを考えると、長い間ここに滯在はできそうになかった。

(仕方ない……このあたりが限界か)

その場しのぎであることは否めない。

だが生き殘る可能を見出すには、生き延びることこそが最低條件なのだ。

橫に新たな出口が見えてくると、司祭は小さめのの剣をそこにぶつけた。

すると今度は、都合のいいことに一発で外れる。

元からネジが緩んでいたのだろう。

そしてその先がどうなっているかも確かめずに、外に出た。

落下し――

「うぐっ!」

冷たい床に、背中を打ち付ける。

痛みでがうまくかない。

だが生存本能がに鞭を打ち、無茶を通す。

彼は両手を使って素早く立ち上がると、周囲を見渡す。

――ではない。

どうやらそこは廊下のようだ。

左手に三人の修道士の死が見える。

「おお、ここは!」

司祭の表が明るくなった。

奇跡だ、奇跡が起きたのだ。

左に修道士たちの立っていた十字路があるということは、右には――出口があるはず。

幸い、このあたりにはなぜか子蜘蛛もいない。

通気口からもなかなか姿を現さない。

逃げるには、今が絶好のチャンスだ。

走り出そうとした司祭だったが、カツン、カツンと足音が聞こえてきてその場に止まる。

(聖様……? いや、普通に考えればあの狀況で生き殘るのは不可能なはず)

冷靜に考えれば逃げるのが正解だ。

見知った誰かが現れたとしても、そいつはすでに蜘蛛に支配されている可能が高いのだから。

だが彼の人の良さゆえか、『見捨てることになる』と思うと、すぐさま出口に走ることはできなかった。

いつでもスタートを切れるよう構え、足音の主が見えるのを待つ。

角の向こうから見えたのは――金の髪を揺らし、綺麗な白い修道服をまとった、無傷のマリアだった。

その姿は、追い詰められた司祭にはオリジン以上に神々しいものに見えたに違いない。

「聖様……ぶ、無事だったのですね……!」

「……」

マリアは無言で歩み寄る。

その姿を見た司祭は、背筋に冷たいものをじた。

「聖様……? まさか、あなたもあの蜘蛛に……」

「……いえ、そうではありません」

ようやく口を開くマリア。

その聲のトーンから、彼が正気であることはすぐにわかった。

司祭はほっとをなでおろす。

「はあぁ……そうですか、安心しました。さあ聖様、すぐに出しましょう。この施設は危険です!」

「……」

は再び黙り込む。

そして、司祭の前で靜止した。

これっぽっちも慌てた様子のないマリアに、彼は首をかしげる。

そもそも、無傷というのも妙な話だ。

の作ったディヴァインウォール――の壁が突破されるのは時間の問題だった。

子蜘蛛は両側から迫っており、あの部屋のように通気口のり口があったわけでもない。

大量の蜘蛛相手には、いくら聖としての圧倒的な魔力があっても突破不可能なのは、彼が認めていたはず。

なのに、どうやって、無傷でここまでやってきたのか。

「……困ったものです」

マリアは心底悲しそうにそうつぶやいた。

「何が……ですか?」

「わたくし、最初にあなたに話したと思うのですが」

「はあ……ええと、申し訳ありませんが、聖様は何のことを話しておられるのです?」

その言葉に一応、司祭は彼との會話を必死に思い出そうとした。

だが思い當たるような會話は無い。

なくとも、今の狀況を結びつくようなものは一つも。

しかし一方で、マリアは大きなヒントを出していたのだ。

もっとも、それが“ヒントだった”ことに気づけるのは、最初からその事実・・を知っている者だけだが――

「誰もが無條件に聖を信用することに困っている、と」

「へ……?」

マリアは手をかざす。

の剣が生み出される。

ジャッジメント――すなわち斷罪の刃。

本來それは、罪を犯した愚か者を裁くための、聖なる剣だ。

「ご……ふっ……」

それが、司祭を貫いた。

ジュウ――とと流れ出したが焼け、獨特の臭いが彼の鼻腔を満たす。

さらにこみ上げたが口から吐き出され、そこに鉄臭さが加わった。

「ど……どう、して……? あなた、は……教皇……さ、まが……」

「ですから、そういうことです」

マリアは髪をかきあげ、冷たく言い放った。

その背後から、大量の子蜘蛛を引き連れた親蜘蛛が近づいてきていた。

だが彼らはマリアを襲うことは無く、まるで従うかのようにその場で止まる。

「そ……そんな……じゃあ、さいしょ……から、聖……さ、ま……が……」

「教會には、人の命よりも大事なが沢山ありますから」

「そんな……ものは……!」

――そんなものは無い。

司祭はそう言いたかったに違いない。

ああ、確かにそれは正しい意見だ。

マリアだってわかっている。

だが、大化した権力が正しさを踏みにじるのは、世の定めだ。

それに何より――マリア自が"過ちの象徴”なのだから、そんな彼が正しさを貫く道理はない。

「それでは、わたくしはこれで」

マリアが司祭の橫を通り過ぎて、施設から去っていく。

「や、やめてくれ……」

すると蜘蛛たちがき出す。

まずは子蜘蛛が、まるで先ほどまでは加減していたとでも言うように、素早く司祭に殺到した。

「せめて……魔法、でっ……ぎいっ、がああぁぁ! 焼いて……ごろ、じ……っ!」

口、鼻、耳――それだけではなく、開いた傷口からも、子蜘蛛たちはり込む。

彼の臓を求めて。

さらに親蜘蛛も近づくと、の螺旋からにゅるりとねじれた管が現れた。

「こ、こんな、ばけも……に、食べられ……う、あ……いやだぁぁぁあああああああッ!」

最後の力を振り絞ってぶ。

どういうわけか、他の死と違って、司祭は最後まで“目”を喰われなかった。

それはおそらく、彼の死に様が、より殘酷で醜いものになるよう、オリジンが仕向けたからだろう。

「……相変わらず、悪趣味ですね」

階段を上りながらマリアが言う。

お前が言うんじゃない、と自分を責めることも忘れずに。

だが何を言おうが、常に彼の脳に響き続ける、“お告げ”という名のノイズに変化は無かった。

◇◇◇

「ねーさまっ!」

小さなの子はマリアを見つけると全力で走り、そのままタックルを仕掛けた。

そしてぼふっとに顔を埋めると、背中に腕を回してぐりぐりと押し付ける。

「んんぅーっ、ねーさまの匂いがするっすー!」

「ったく、いつまでもセーラはねーさまっ子だな。そんなんだから今日もおねしょ――」

「エド、それは関係ないっす!」

へらへらと笑うエドを指さしながら睨むセーラ。

そんな二人のやり取りを見てジョニーは苦笑しながらマリアに頭を下げる。

「ほら二人とも、聖様に失禮じゃないか」

「やめてください。他の人ならともかく、あなたたちにまでそういう扱いをされるとさすがに悲しいです」

「だよなぁ。マリアは今でも俺らの妹分だからな」

「同い年のくせに偉そうっすね。こんな手のかかる兄貴分が居てたまるかって話っす」

「おぉ? 言ってくれるじゃねえかセーラ、今朝だってあんだけ盛大におねしょを――」

「だからその話はやめろって言ってるじゃないっすか! おらだっての子なんすよ!?」

荘厳な大聖堂には似合わぬ賑やかさ。

マリアはフィフでは見せることの無かった、心からの微笑みを浮かべた。

「まあ、エドじゃないけどさ、マリアもそういう顔ができるなら安心かな」

「……え?」

「さっきまで暗い顔してたっすもんね」

「そういうこった。俺らはそんなマリアをめるためにだな……」

「エドはただ騒ぎたいだけっす」

「まったくその通りだ。恩著せがましいったらありゃしない」

「お、お前ら二人がかりで……っ!」

セーラだけならまだしも、ジョニーにまで加勢されると、エドも強くは出られないらしい。

「くすくす……相変わらずですね、三人とも」

マリアは口に手を當て、肩を震わせて笑った。

セーラはそんなねーさま・・・・の笑顔が昔から好きだった。

最近は聖としての役目が與えられ、別の場所で暮らすことであまり見られなくなっていたが、かつては同じ教會で暮らしていたのだ。

もちろんエドとジョニーとだって面識がある。

また、三人の保護者であるティナもまた、マリアとは関わりの深い人間であった。

「ところで、今日はどうして大聖堂に來たのですか?」

「そんなの、ねーさまに會いにきたに決まってるじゃないっすか」

「……わたくしに?」

「あー、なんつうか、あれだ。一応報告しといたほうがいいかもしれないと思ってな」

「僕とエドさ、ようやく試験にかって教會騎士になれたんだ」

その報告に、マリアの表がほころんだ。

作ったものではなく、自然とそうなったのである。

「おめでとうございます! 目指しているとは聞いていましたが、十六歳で合格するなんて。なかなかできないことですよ」

「だろー? 俺らすげーんだわ」

「調子に乗るな」

「っす!」

ジョニーとセーラのチョップがエドに直撃する。

容赦ないツッコミに、エドはを尖らせてすねた。

「痛えなぁー……いいだろお、今ぐらい調子に乗らせてくれたって。どうせいざ騎士になったら、嫌ってほど団長たちに絞られるに決まってんだからよぉ」

「確かに、教會騎士団の訓練は厳しいと聞いたことがあります。ですが、選ばれた時點ですでに狹き門をくぐっているのです。誇るべきだと思いますよ」

「ほら、マリアだってああ言ってるんだしさ」

「とか言いながら、誰も止めないと、いつまでも調子に乗ってるのがエドだからさ」

「その通りっす。そうやって何回ティナに怒られてきたと思ってるんすか」

そして巻き込まれてセーラとジョニーまで怒られるのだ。

理不盡極まりないが、そうでもしないとめんどくさくてエドを止める人間が誰もいなくなってしまう。

「みみっちいよなぁ。マリアもそう思うだろ?」

「あはは……わたくしは……」

「だからマリアを困らせるなっての」

「っすー!」

ずばっ、と再びエドをチョップが襲う。

まあ、マリアが困っているのは事実ではあるが、しかしそんなやり取りも楽しんでいた。

おしい。

當たり前の日常が。

憎悪も謀略も関わりない、太に照らされた彼らのような存在が――

「聖様」

いつの間にか近づいていた修道士が、マリアに聲をかけた。

セーラ、エド、ジョニーの表が一気に引き締まる。

大聖堂に務めている時點で、教會での地位はかなり高いはずだ。

顔を知らずとも、無禮な行いがティナに知れようものなら、今晩の夕ご飯は豆一個になるに違いない。

「トイッツォ様からお話があるとのことです」

マリアの顔から表が失せる。

いつも・・・の聖の顔になる。

「おっと、忙しいのに時間を取っちゃってごめんね」

「んじゃ、俺らはそろそろ行くわ」

樞機卿からの直接のご指名――ただ事ではない。

エドとジョニーは空気を呼んでか、セーラの手を引いてその場から離れようとした。

「ねーさま! その……おらにはよくわかんないっすけど、がんばるっすよー!」

ただ一人、マリアの異変に気づいたセーラだけは、最後まで必死に彼に聲をかけていた。

いや、正確にはエドとジョニーも勘付いていたのだが、樞機卿の名前を出されてしまっては、その威厳の前に黙るしかなかったのだ。

「あ……」

マリアは遠ざかっていくセーラの姿を、寂しげに見送る。

「いかがなされましたか、聖様」

そんなセンチメンタリズムを斷ずるように、修道士は聲をかけた。

「いえ……」

『よもや、”まだ戻れる”と思っているのか?』

マリアの耳元で、幾重にも混ざりあった聲が囁く。

「っ……!?」

息を呑み振り返れば、至近距離で螺旋がこちらを見ていた。

青紫の管が浮かび上がる、パンパンに膨らんだ紅の管。

それがみっちりと顔に敷き詰められ、渦を描いている。

だが――すぐにそれは消え、元の修道士の顔に戻った。

幻覚だったのか、それともオリジンからの忠告だったのか、マリアには判斷がつかない。

しかしどちらにしたって、彼ら・・がセーラたちへの憧憬を許さないことはわかっていた。

「わたくしは……ええ、わかっております。人も魔族も憎い……わたくしから全てを奪ったこの世界の命が……」

ぶつぶつと呟くマリアに、修道士は首をかしげる。

「……ですが」

戻りたいと思う気持ちが無いわけではない。

いや、それは幻だ。

さが呼び寄せる、引っ張られればやがて後悔するような、間違った傷でしかない。

あと二年も経てば、完全に忘れ、り果てることができるだろう。

だから今は踏みとどまらなければならない。

だまりを追ってはならない。

この世を滅ぼすために。

全ての生きとし生けるものへの仇をすために。

り果てなければ。

彼ら――教皇や國王や樞機卿やフィフの地下で見た修道士、あるいは教會に所屬する研究者――のような、醜くモラルに欠けた軽蔑すべき化に。

殘酷は赤と黒のマーブル。

そんな鉄の匂いがする溜まりに、染み込むまで心を浸して。

    人が読んでいる<「お前ごときが魔王に勝てると思うな」とガチ勢に勇者パーティを追放されたので、王都で気ままに暮らしたい>
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