《「お前ごときが魔王に勝てると思うな」とガチ勢に勇者パーティを追放されたので、王都で気ままに暮らしたい》EX6-9 ヴィクティム

クロスウェルの怒りは、本來オリジンに向けるはずだったものだ。

だがその対象がいなかったからこそ、行き場のない想いをキリルにぶつけると決めた。

八つ當たりを言われようが、理不盡と罵られようが、もはやそれぐらいしか、彼の人生にはせることが殘っていなかったから。

そんなクロスウェルの前に、オリジンが立っている。

いや――今や自分は“夢想”の力により復讐心だけを切り取られた別の何かだが、しかしそのに宿した想いは本のクロスウェルと大差ない。

立っている。

存在している。

つまり――殺すことができる。

『君は……復讐相手として、とても優れた人間だと思うよ』

キナを殺したオリジンの力を、偽とはいえ利用するなど、その行いはクロスウェルから見るとどこまでも外道だし、キリル自もそういう嫌がらせを行おうとした可能はある。

だが彼への謝の念が不快を凌駕している。

詰んだはずの復讐は、ここで果たされるのだ、と。

そして振り上げた戦斧は、さらに変形し、波打ち、鋭く尖った殺傷力の高いものへと変わる。

それをクロスウェルは力いっぱいに叩きつけた。

斧がキリルにれる瞬間――本來ならば風が吹き荒れが飛び散り、あたりは目にも耳にも騒がしくなっていたはずだ。

しかし現実は靜かなものだった。まるで時が止まったようである。

『は、ここまで――』

キリルはその刃を、たった二本の指でけ止めていた。

『禍いでこうも変わるものか、キリル・スウィーチカ!』

が無言でその指に力を込めると、斧は歪み、ひび割れ、ついには砕け散る。

元は自分のだからか、クロスウェルはし痛そうに顔を歪めると、しかしすぐさまに腕の形狀を剣に変えてキリルに接近した。

『しかし私の“果たすべき”は変わらない』

鋭い刺突。

キリルは軽く拳を突き出し、正面からぶつける。

Advertisement

剣はぐにゃりと曲がり潰れ、その衝撃はクロスウェル本人にまで及んだ。

バランスを崩しながらも、彼は剣に変形した左腕を前に突き出す。

を狙ったその刃を、キリルは命中する前に摑み、握りつぶした。

そして、そのまま腕ごと引きちぎる――

『……意趣返しのつもり、がっ』

千切れた腕を投げ捨てたキリルは、すぐさまハイキックで彼のうるさい顔を蹴飛ばす。

素早くスマートな、決して派手さはない一撃ながら、クロスウェルの頭部は跡形もなく消失した。

コアを使う前のキリルでは、傷をつけることすらできなかった相手を、である。

ブレイブ・リバレイト使用時、キリルのステータスは平均八萬を超える。

フラムと比べれば足りないかもしれないが、それでも“最強”と呼んで差し支えのないレベルの能力だ。

だが、スパイラル・ブレイブを使用したキリルのステータスは、そこからさらに・・・・・・・三倍される。

--------------------

思。コ僭フ引≒ORIGIN

:勇/原初

楜力:248891

魔リォ:253162

:243719

抗ャ :258867

不可:241022

--------------------

まずキリルのその醜い姿に驚愕し、思わず“スキャン”を発した村人もなくなった。

そしてその數値を見て、さらに驚くのだ。

重たいを引きずって、ようやくキリルに追いついたショコラもそのうちの一人だった。

「あれが……先輩なの……?」

もちろん、あの渦巻く顔を見た瞬間には『気持ち悪い』と思う。

だが――すぐにそんな気持ちは、キリルへの尊敬へと変わる。

「自分は勇者じゃないとか言っときながら……そういうこと、できちゃうんじゃないですか。先輩は」

あるいは、呆れているとも言えるのかもしれないが。

それのどこが“普通”だというのか。

Advertisement

指摘しても彼は否定するだろうが、ショコラは思わずにはいられない。

間違いなく今のキリルは、普通の人間よりもずっと強い心を持っているのだ、と。

に意味はない。私が私である意味もない。それでも定義された以上、私は私として、魔力が盡きるまでここにありつづける』

クロスウェルの腕も頭も、即座に再生して元通りになる。

『つまり、どちらかが果てるまでの比べというわけだ。キリル・スウィーチカ、お前の無茶は一どこまで続くかな?』

意思なきキリルは答えない。

ただ手をばそうとするクロスウェルに反応し、視認不可能な速度で剣を縦に振った。

空間が斷裂する。

が一瞬だけずれると、クロスウェルのも真っ二つになった。

彼の後ろにいる野次馬も巻き込まれかけたが、キリルの意思か、はたまた偶然か、服の裾が切れるだけで済んだようだ。

斷裂したクロスウェルは、しかしすぐさま元の姿に戻った。

苛立ちからか、キリルの渦が脈打ちがあふれる。

「アルターエゴ」

は抑揚のない聲でそう呟くと、七の分を作り上げた。

はクロスウェルを囲み、各々が別の部位を突き刺す。

「スプレッド」

彼のに埋沒した刃から無數の針がせり出した。

針はその先端がさらに複數に分かれ、またその先端が複數に分岐すると、まるでを張るように相手のを刃で埋め盡くしていく。

やがて小さな人のでは収めきれなくなり、皮を突き破って表に突き出る。

『微々たるものだ……再生など、今の私にとっては。元より実が無いに等しい存在なのだから』

を針で覆い盡くされたクロスウェルだが、そのを捨てると、すぐに真橫で再構・・・される。

彼の言葉通り、そのの特は“キリルの縁者以外はれない”のではなく、“キリルの縁者にしかれない”というものなのだろう。

Advertisement

れられない多數に対して、れられるのはたった三人のみ。

そういう意味で、今の彼は“限りなく実が存在しない狀態に近い”と言える。

ゆえに再生に必要となる魔力コストは非常に小さい。

何なら、キリルと打ち合っているときのほうが消耗が大きかったぐらいだ。

『私の計算が正しければ、私よりお前が盡きるほうが早――』

なおもキリルはクロスウェルの言葉を聞こうとはしない。

意図的なものか、それとも通じていないのか。

どちらにせよ、仮にキリルが正気だったとしても、その戯言に取り合おうとはしなかっただろう。

たちはそれぞれにクロスウェルに斬りかかり、を細切れにしていく。

しかし直後に再生。

ゼロ距離からのブラスターで微塵にする。

しかし直後に再生。

手足を斬り落とし、浮いたを膝で天高くまで打ち上げる。

地上からキリル本人と、分たちによるブラスターの――なおも再生。

、再生、、再生、幾重にも、幾十重にも繰り返し、なおもクロスウェルの口元には笑みが浮かぶ。

「アルターエゴ・セブンソード」

キリルの姿をした分たちが、人の大きさほどの剣に形を変える。

剣たちは彼が腕を振り上げると、空中のクロスウェルに向かって飛翔した。

刃が掠ればが抉れ、突き刺さればがくり抜かれる。

七の刃がそれぞれに、男のを貫いたなら、今度は彼の頭上で止まる。

天を向く刃がくるりと回り、地上に狙いを定めた。

一方で地上に立つキリルも、何やら天に向かって手をばしている。

『それでも出し惜しみしないのか。エンターティナーだな』

そして空と大地の間には、クロスウェルしか存在しない。

「サテライト」

キリルがそう言うと――天の剣がを吹いた。

帯と帯が重なって、の“柱”が墮ちてくる。

クロスウェルは試しに腕を差させてみたものの、それは防と呼べるほどの効果を発揮しなかった。

れる前の段階で、その高熱に焼けて、爛れて、溶けて――そして実際にれてしまえば、もはや蒸発するしかない。

シュワッ、と鍋に殘った小さな水滴が消えるように、クロスウェルはに呑み込まれ消滅する。

だがそこにはまだ、彼の“存在”が殘っている。

「リフレクション。続けて、アルターエゴ・リフレクター」

その柱が大地を焼けば、村人とて無事では済まなかっただろう。

だからキリルは掲げた手、そこから展開する明のフィールドでそれをけ止めた。

そしては反し、拡散する。

空の上で“サテライト”を放ったばかりの剣は、その刃を赤熱させながらも、再び変形する。

次は表面に鏡を埋め込んだ“盾”の形狀である。

盾たちは素早くき回ると、地上のキリルが反した線を、その鏡面でけ止める。

七つの鏡は、そのの一筋すら、逃れることを許さない。

つまり――その中央にいる再生したクロスウェルは、數え切れないほどのを貫かれ、全を余すことなく焼き貫かれるのだ。

『はは、お前は私にプラネタリウムでも見せてくれているのかい?』

なおも余裕を見せるクロスウェル。

彼のは焼かれた先から再生する。

それは治癒というよりも、この世界に姿を“投影”しているようである。

だとすれば、大本を消さなければ意味はない。

だがおそらく――その大本は、キリルの手の屆く範囲に存在しない。

距離の問題ではなく、概念として、おそらくこの世界でそれに干渉することができるのは、理屈を無視して“有”と“無”を反転させられるフラムぐらいのものなのだ。

はクロスウェルを限界まで焼き続けた。

キリルの魔力の限りを盡くし、“死の回數”を稼ぐのに最も効率の良い方法を使ったはずだった。

それでもまだ、苛立たしいことに、彼は消えない。

の反は無限ではなく、やがてしずつ弱まっていく。

それがもはやクロスウェルのを貫くことすらできなくなると、盾たちは反をやめ、再び彼の頭上へと集まった。

「アルターエゴ――ラグナロク」

盾は一つに同化し、一本の神々しい剣となる。

それは重力に導かれ落下し、クロスウェルの背中を貫いて、ズドオォンッ! とド派手に地面に突き刺さった。

まるで大砲でも著弾したかのような音に、村人も、キリルの両親も肩をびくっと震わせ驚く。

『面白いショーだったよ、キリル・スウィーチカ』

だがクロスウェルは、何事もなかったかのように刃からするり・・・と逃れ、立ち上がる。

しかし彼はニタニタと笑うばかりで、キリルに攻撃を仕掛けようとはしなかった。

クロスウェル自、今のキリルに勝てないことは百も承知だ。

だからこそ、もう彼に手を出そうとはしていなかった。

つまり、お互いに・・・・、攻撃するだけ無駄。

いまの戦況は、そんな不な狀態だった。

しかし一方で、憎しみに支配されたとはいえ、聡明な彼は理解している。

このまま待っていても、じきにフラム・アプリコットが來てしまうことを。

そうなれば、クロスウェルなど反転の能力で、存在そのものを消されてしまうだろう。

クロスウェルにとって重要なのは、いかにしてキリル・スウィーチカの目の前で両親を殺すか。

そして絶に沈む彼の首をどうやって刈り取るか。

だがこの狀況、もはやクロスウェルにキリル本人を殺すのは困難に思えた。

ならば彼が果たせる最低限・・・の復讐とは何か。

そしてその最低限を最大活用するためには、何をすべきか。

ぶちゅっ、ぶじゅるっ――キリルが剣を振るうたび、渦からが吐き出される。

それを見て青ざめる彼と親しいであろう村人や、怯える彼の両親を見るだけでクロスウェルは悅に浸ることができた。

無論、それだけでは足りるはずもないので、そのまま彼はふらりふらりとよろめくように、キリルの両親に近づいていく。

き出した彼を、キリルは剣でとにかく切り刻んだ。

破壊と再生を繰り返しながら後退するクロスウェル。

別にふざけているわけではなく、再生にリソースを奪われる今の彼には、その程度のきが限界であった。

そしてこのまま村人たちに近づいていけば、今の理を失ったキリルならば、戦いに巻き込んで殺してくれやしないか――そう期待していた。

もちろん小賢しく、みっともなく、醜い企てであることはクロスウェルも理解しているが、そのようなプライドは復讐の前に無意味である。

何より、自分で手にかけるより、キリルに殺させたほうが彼が負う心の傷もより大きくなるだろう。

想像し、歪む紅の口。

キリルは無心でそんな彼を細切れにしていたが、ふいに手をのばすと、

「お前は――」

人の言葉で聲を発し、顔を鷲摑みにした。

「つまらない奴だ」

絞り出すように、殘ったわずかな理でそう言い放つキリル。

が憤っているのは、クロスウェルの企みに気づいたからだろう。

『復讐に面白みが必要か? 重要なのは、殺せるか否か。それ以外の結果に意味などない』

その気になれば顔を変形させ逃れることもできた。

だがクロスウェルはそうしない。

どうせ破壊されるのなら、その後に再生したほうが速いし、何より攻撃が徒労に終わったことで相手の心を疲弊させることができるからだ。

さあ潰せ。

憎しみのままに顔を潰してみろ。

そして殺しても殺しきれない私を前に臍ほぞを噛め。

そう無言で挑発するクロスウェルに、キリルは――

「ソウルバインド」

足元から絡みつく蔦ツタで、彼のきを封じた。

オリジンの力によりその蔦はねじれ、さらにクロスウェルの足を強く締め付ける。

きを封じたか、しかし――』

「っ……そんな、ものではっ……止まらない、って?」

けない……これは、魔力の流れまで止めているのか』

キリルにとっても初めて使う魔法だが、『彼を止めたい』とすれば自然と魔法は頭に浮かぶ。

幸いにも、魔力を封じる希の存在は、エターナから話だけは聞いていた。

だからその発想にたどり著くのはそう難しいことではなかったのだ。

今のクロスウェルのはいわば魔力そのもの。

つまり魔力の流れがせき止められてしまえば、変形は不可能である。

『つくづくでたらめだな、勇者という存在は』

「はぁ……はぁ……」

キリルの呼吸がれる。

力の消耗から來るものではなく、脳を埋め盡くすオリジンの聲の中で、自我を保つのが困難になっているから、である。

実際のところ、オリジンが存在しない今、それは模しただけのただのノイズにすぎない。

だがばっちりと、人類を皆殺しにしたいという意思は殘っているのだ。

『しかし限界が近いようだな。一時的とは言え人の言葉を発せるほど自我を取り戻せたのは、さすが勇者といったところか。だが、それはどこまで保てる? 完全に乗っ取られれば、私を殺すという意思すらも消えてしまうのではないか?』

「消えない……この距離なら、目の前に、いるお前を……殺す……!」

その意思を示すように、キリルはクロスウェルの顔を握力だけで引きちぎった。

そしてもう一方の手で握った剣を、顔を喪失した頭部に突き刺し、ゼロ距離からのブラスターで焼き盡くす。

首から上が吹き飛ばされたクロスウェルは、すぐに頭部を再生しようとしたが、傷口に蔦が巻き付くことで阻止された。

『ああ、惜しかった。お前たちが逃げう様を楽しんだりしなければ、とうに目的は達していただろうに』

頭部がなくなろうと、平然とクロスウェルは言葉を発する。

元より彼の聲は、“音”という概念とは別のものだったのかもしれない。

「舌なめずり、して……逃がすなんて……はぁ、あ……死ぬほど、かっこ悪い……!」

『まったくだ、私らしくもない。キナも守れず、お前も殺せず、矜持すら捨て。晩節を汚すとはまさにこのことだな』

「だったら、これ以上、汚す前に、私が――」

腕を切り落とす。

蔦が絡みつく。

やはり再生はしない。

足も切斷。

切り落とされた腕と足を念の為にブラスターで焼卻。

殘るにも刃を突き刺し、クロスウェルのを地面に釘付けにする。

あとはブラスターで焼いてやれば、彼は完全に死に絶える。

村人や両親、そしてショコラが息を呑んで見守る中、キリルのきはそこで止まった。

だけになり、をよじるだけが一杯のクロスウェルのに、彼の渦から吐き出されるがボタボタと落ちる。

『はて、これ以上の醜態を曬す前に、私を殺してくれるのではなかったのか?』

「はぁ……ふうぅ……」

『それとも不安なのか? このまま私を殺し、ターゲットを失ったあと、自分に宿ったオリジンが村人たちを皆殺しにしやしないかと』

「ふううぅ……は……」

『私もそう思うよ。そのオリジンコアのベースは、あくまで“村人たちの想像”だ。彼らはオリジンにまつわる複雑な事など知らない。ゆえに彼らにとってオリジンとは、『人類を滅亡させる邪悪』程度の存在でしかない。すなわちそのコアに宿るのは、オリジンに似た――限りなくそれに近い――しかし“人を想う意思に弱い”といった弱點を廃した、ただただ人を殺す意思を宿しただけの、雑な模造品。だからこそ、私を殺したあとに、お前は間違いなく村人を殺す。自分の家族も、後輩も、皆殺しにする。だからこのまま、フラム・アプリコットの到著を待とうとしている。違うか?』

「ぺらぺらと……!」

『隙間・・を見つけてね。要は“時間稼ぎ”だよ』

時間、そして隙間――意味のわからぬ言葉から、キリルがクロスウェルの意図を察したのは、一秒後のこと。

その一秒のうちに、彼はソウルバインドの“隙間”からの一部をばし、地面を掘り進める。

だがそれは決して理的な・・・・隙間ではない。

クロスウェルのを構するのは、確かのその大半が魔力だ。

言ってしまえば、人間でいうところの水分のようなもの。

だが全て・・ではない。

だからコツさえ摑んでしまえば、魔力以外の、魂だとか、アカシックレコードから引用した記憶だとか、そういったものをって、の一部を変形させることができてしまうのだ。

そして彼は変形させたの先端を針のように尖らせると、キリルの両親の足元から、その心臓を狙いそれを突き出す。

青ざめた顔で娘の捨ての戦いを見守っていた二人は、その接近に気づくことすらない。

だがキリルには見えていた。

止めなければ。

しかし両親までは距離がある。

ここから手をばしても間に合わない。

何より、オリジンコアのせいでき出すまでにラグが生じる。

ならばラグを生じさせずに、止める方法は一つ。

針と地続きで繋がっている、この男を殺すことだけだ――

「ブラスターッ!」

クロスウェルに突き刺さった剣から、が照される。

彼のは一瞬で蒸発し、放たれたは地面をどろどろに溶かした。

斷末魔すらない、あっけない終わりである。

元よりクロスウェルはすでに死んでいたのだから、そうなるのは仕方のないことなのだが。

しかしキリルの脳には焼き付いている。

死に際の彼が殘した、に浮き上がる“笑み”が。

「倒したのか……?」

「そ、そうよ。キリルが勝ったのよ……ねえ、そうよね、キリルっ!」

本當なら抱きしめて、その勝利を祝いたいところだ。

しかし蠢く顔のを見て、それができる人間は、たとえ両親だったとしてもそうそういない。

そしてその判斷はおそらく正しい。

なぜなら、『クロスウェルを倒す』という第一目標を失ったキリルには、もはや頭に流れ込む濁流のような“異”を制することができなくなっているのだから。

「う……あ、ぁ……」

キリルが、一歩前に踏み出す。

続けて二歩目、三歩目と、しずつ速度をあげて、両親に近づいていく。

「キリル……?」

不安げに名前を呼ぶ母。

だが返事はない。

ただうめき聲をあげ、顔からを流しながら、意思など無い怪のように接近する。

「あ、あ……ああ……あ、ぃ……」

手には剣。

柄を握る力は強く、手の甲には管が浮かんでいる。

殺気と呼べるほどはっきりしたものはじられなかったが、今のキリルは寒気がするような“良くない何か”を、間違いなく纏っていた。

「キリル、わからないのか? お父さんとお母さんだぞ? キリル、キリルっ!」

「お、お……あ……あ……」

「そうだ、お父さ――」

キリルはそこで、剣を振り上げた。

明らかに、父を傷つける意図で。

「キリル……」

「お、お……あ……あ……っ」

きっと『逃げて』とでも伝えたいのだろう。

苦しげに絞り出されるうめき聲は、わずかに殘されたキリルの意思の表れだ。

「おいキリルっ! 俺たちの顔ぐらい覚えてるだろっ!」

「こっちを見なさいよ! あたし! あんたの馴染!」

「そうだぞキリルっ! お前勇者なんだろ、そんなもんに負けるんじゃねえぇえっ!」

その様子を見守る村人たちが、一斉に聲をあげはじめた。

誰もがキリルのを案じ、そして彼を信じて。

しかしそれとは対照的に、キリルはひたすらに『逃げて』と願う。

心配してくれるのは嬉しい。

だが――ここでもしもキリルが誰かを傷つけるようなことがあれば、それは紛れもなく本の“罪”として彼を一生苛み続けるだろう。

それに、あのクロスウェルの復讐を最高の形で立させてしまうことになる。

それだけは、避けねばならなかった。

「キリル……お願い、正気に戻って……」

しかし父も母も逃げようとはしない。

キリルは勇者だから、どうにかなるはずだと信じているのだろうか。

それとも、かつて娘の本心を見抜けず、深く傷つけてしまったことを悔い、全てをけ止めようとしているのだろうか――

どちらにしたって両極端だ。

その不用なの在り方に、心打たれても――止まらないものは止まらない。

足は前へ、腕にも力がこもる。

この距離でも、軽く魔力を使ってやれば、両親を巻き込んで二、三十人は殺せてしまうだろう。

そして事実、キリルのはそれを実行しようとしていた。

止まれ。

止まれ。

止まれ――

強く願っていると、は止まらなかったが……誰かが背中に、ぽふんと抱きついた。

それは足を鈍らせるまでもないような、軽い

「先輩……ここは、可い後輩に免じて、元に戻りませんか」

その気になれば引きずりながら前に進めたが、不思議なことに腳が止まる。

パワー……だったらよかったのだが。

そんな都合のいいことは起きない。

ただ単に、殺害対象が両親からショコラに移っただけである。

「どうせ私は死にますから。なんか、今は一周回って逆に苦しくなくなりましたけど、これってヤバいやつですよね。がおかしくなりすぎて、逆に苦しさをじることもなくなったってやつです。嫌ですよねぇ。もちろん第一位で嫌なのは死ぬことですけど、第二位は、あんなよく知らない男のせいで死ぬことだったりします」

ショコラは背中にぐりぐりと額を押し付ける。

「お父さんが死んで、家族みんなであの世に行けると思うと怖くないかと思ったんですが、んまあそんなわけないですよね。うちみたいな家庭は余計に。でも……もう、死ぬのは避けられないと思うので、だったらいっそですね、毒より、先輩の手で殺してもらった方が――あうちっ!」

キリルのは、まとわりつくショコラを鬱陶しそうに振り払った。

そして剣の先を彼に向ける。

「あいたたた……暴ですねえ、先輩。ショコラちゃんへのがそうさせてしまうんでしょうか」

パンパン、と砂埃を叩いて立ち上がるショコラ。

確かにそのきは、先ほどまでの鈍さが無い。

だが一方で顔は悪く、なんてほぼ紫である。

すでに死んでいると言われても不思議ではないほどだった。

「ぅ、ううぅ……」

「でも嬉しいです。私を前にしても、殺したくないって思ってくれる先輩が。付き合いは家族ほど長く無いんですけど、本當に、私のことそれなりに大事にしてくれてるんですね」

「ぅ、ああぁあ……あああっ!」

振り上げられる刃。

それを穏やかにショコラは見つめる。

「あ、悪いとか思わなくていいですよ。あとちょっとでフラムさんが來るかもしれませんが、この様子じゃ間に合いそうもないですし。だったら、私は大喜びでを捧げます。あ、先輩にを捧げるって言うとすごくやらしいじが――」

「ぅ、ううぅ……!」

「あ、ごめんなさい、調子に乗りました。でも、私以上にふさわしい人間なんていませんよ。だって、もとを正せば――私の下らないわがままが、この事態を引き起こしたんですから」

ショコラは憂げに目を細め、今日までの出來事を振り返った。

五年前の母の死。

未來の見えない父との生活。

復讐のためにキリルに近づき、お菓子職人になってしまった日。

憎んでいたはずのキリルに、希を見出していた毎日。

そして母は蘇り、そんな日々に甘えたショコラは、父までも失った。

因果応報。

だったら――彼が死ぬのもまた、因果の巡りなのだろう。

「さ、先輩。容赦なくずばっとやっちゃってください!」

そして彼はできるだけ気に、キリルに向かって言い放つ。

あるいはショコラが死に怯えていたのなら、もうしは耐えられたのだろうか。

それとも結果は変わらなかったのか。

「あ……あ……ああぁぁぁああああッ!」

キリルは言葉にならないびをあげて、剣を振り下ろす。

ザシュッ!

刃はを切り裂いて、の奧深くまで沈み、大量のが故郷の地を汚した。

    人が読んでいる<「お前ごときが魔王に勝てると思うな」とガチ勢に勇者パーティを追放されたので、王都で気ままに暮らしたい>
      クローズメッセージ
      あなたも好きかも
      以下のインストール済みアプリから「楽しむ小説」にアクセスできます
      サインアップのための5800コイン、毎日580コイン。
      最もホットな小説を時間内に更新してください! プッシュして読むために購読してください! 大規模な図書館からの正確な推薦!
      2 次にタップします【ホーム画面に追加】
      1クリックしてください