「だ、大この辺りのはずだ！  取り敢えず一度降ろしてくれ！」

  半ば悲鳴のような形で俺の背中から制止の聲が上がる。こうやって森の中を高速で飛び回るというのは、恐らく彼にとって初の験だろう。それでもこうしてピクリともかず、背中の上でじっとしているというのは非常に優秀だ。

  ……まあ、恐怖で竦み上がっているというのが事実として一番正しいのだろうが。証拠に呼びかけてきた彼の聲は震えており、初めこそ恐る恐ると腰に回されていた腕が、今では音がしそうなほど締め付けられている。正直苦しい。

「了解、ちょっと苦しくなるけど我慢してくれよ！」

  炎の噴出を止め、後方に向けていた手を前方へと転換。慣で進むを止める様に、再度炎を起こす。

  急激に逆ベクトルへの力が掛けられた影響か、全にかかる尋常ではない圧力。顔が歪みそうになる程の急減速を歯噛みしながら耐えつつ、細かい姿勢制を行いながら地面へと足をり付ける。

ーーガガガガガガガッーー

  激しく音を立てながら地面が削られる。俺達のが漸く停止したのは、著地點から隨分と離れた場所だった。

  溜息をつき、いつのまにか流れていた額の汗を拭う。人一人を抱えて飛ぶというのは初の験だったが、どうにか安全に終える事が出來た様だ。

  地面に膝をついて、背中からベリオを降ろす。彼の足取りが若干ふらついていたのは、恐らく怪我のせいでは無いだろう。

「……ふう、到著だ。短い間だったが空の旅をお楽しみ頂けたかな？」

「そ、空は空でも低空じゃないか……流石にこんなスリリングだとは聞いてなかったよ」

  げんなりとした表で文句を呟くベリオ。顔もあまり良好とは言えず、若干青ざめている様にも見える。

  確かにあの急制の連続は、慣れていない者には辛いものがあったか。俺だって最初からこの技を上手に扱えた訳では無く、速度に振り回されてあちこちに激突しながら苦節の末に習得したのだ。翻って見れば、この程度の調悪化で済んでいるベリオはかなりセンスがあるのかも知れない。

  苦しげに曲がった彼の背中をゆっくりとさすってやるとしは回復したようで、彼は薄い笑みを浮かべてこちらを見る。

「悪いな。ちょっと腹の中がシェイクされたようで、うぷ……」

「あんまり無理はするな。我慢出來ない様だったらし休むか？」

「いや……気遣いは有難いが、いつ狂獣やエルフの奴らが現れるか分からない。早く探し出して帰らなければ」

  その調では続けられまいと心配して聲を掛けたが、ゆっくり首を振ってその申し出を斷るベリオ。彼は覚束ない足取りで歩き出すと、辺りの草むらをガサガサと漁り始めた。

  一人で見つけるのは難しかろうに、隨分と健気な男だ。俺は肩を竦めると、彼の後に続いて周辺の捜索を開始する。

  とはいえ、ただ無言で探し回るのも味気ない。場を繋ぐ意図も含め、俺は熱心に探し回るベリオへと話しかけた。

「そういえばさっき言ってた狂獣、そしてエルフ。この森に居るとは聞いたが、一どういった存在なんだ？」

  俺の疑問に一瞬手を止めて顔を上げるベリオだが、すぐに作業を再開。そのまま手を休める事なく、ゆっくりと口を開く。

「……狂獣はいつからかこの森に住み著いていてな。鋭い牙に、機敏なき。それでいて強靭で堅牢なと高度な知を併せ持った獣だ」

「それにしては隨分と騒な呼名を與えられている様だが？」

「ああ、知こそあるがそれを平和的な方面に生かす気は無い様でな。人と見れば獲とみなし、問答無用で襲ってくる。その狂った様から狂獣って訳だ。全く、奴が何を思ってるかは知らないが本當に腹の立つ話だよ」

  ガサゴソと草木を掻き分けながら、チラリとベリオの橫顔を盜み見る。その苦々しさときたら！  まるで苦蟲を百匹ほど噛み潰した後、良く咀嚼して呑み込んだ様な顔と言えば伝わるだろうか。苛立たしげな聲も合わさり、狂獣とやらにどれだけ辛酸を舐めさせられているのかがありありと分かる。

  しかし狂獣の特を鑑みるに、もしかしたらそいつは魔獣なのでは無いだろうか。伝聞だけで決めつける事は出來ないが、人間大陸に出現しているような魔獣とは大方の特徴は一致している。勿論ただの獣である可能も十分にあるが。

  もうし詳しい話を聞いても良いのだが、彼の雰囲気が見るからに不機嫌になってきた。そう言えば、彼らは狂獣に追いやられてきたのだった。その話題が続けば快く思えないのも仕方がない。空気を変える為、もう一つの質問へと移る事にした。

「そんじゃあエルフってのは何だ？  まさか耳が長くて白な、偏屈共の集まりって事はないよな？」

  エルフとは森の賢者であり、決して森から外に出ることのない防人として描かれる事が多い。空想の産であったはずだが、獣人がいるのならばエルフが居ても確かにおかしくはない。これもまた話の知識を元に、茶化した風に肩を竦めながら言う。

  そんな俺に対し、ベリオの返答は至ってシンプルなだった。

「ああ、その認識で大方間違ってないだろう……というか俺もエルフにはあまり詳しくなくてな、後は俺達獣人と敵対しているという事くらいしか知らん」

  一切こちらに顔を向けず、至って真面目にそう答えたベリオ。ある種予想通りの返答に、竦めた肩から力が抜けていくのをじる。

  しかし、これは々期待外れだ。狂獣のことを知れたのは収穫と言えるだろうが、これでは別途でエルフの報も収集しなければならない。

  掻き分けても掻き分けても広がるのは草むらの緑。ひたすら続けても終わりの見えない作業に若干の徒労を覚えていると、唐突に脳裏に聲が響いて來た。

『ふむ、ならば我が解説してやろうか？』

  してはいけない筈の聲。俺はビクリと肩を震わせると、慌ててベリオの方を確認する。彼は相変わらずペンダント探しに夢中なようで、此方には一切目を向けていない。よし、これならば聲にも気付かれていないだろう。

  俺はをなで下ろすと、次いで虛空に向かって睨みを効かせながら小聲で文句を呟く。

「（バカ、人目のあるところで話し掛けてくるなよ！  お前の存在がバレるだろ！？）」

『安心しろ、これは主殿の神に直接話し掛けている。そう心配せずとも、あの有象に気付かれる可能はゼロだ。主殿も態々返答を口に出さず、思うだけで十分に伝わる』

「（無象って、お前……）」

  相も変わらず俺以外の生命に対しては辛辣な當たりだが、今更それを追及し矯正させる程の余力は俺にはない。それに、彼の言うことが本當なのであれば態々修正させるようなことでもないだろう。

  試しに口に出さないよう、頭の中で言葉を念じてみる。

（これでいいか？）

『うむ、しっかり伝わっている。それもこれも、我と主殿の同調率が高いからだな！ 我の の一部エーテルの通りも悪くない……上手く行けば一化も夢ではないかも知れないな』

（一化って……流石にちょっと気持ち悪いわ）

『なにおう！？』

（あ、これ考えてること筒抜けなのか）

  便利だか不便だかよく分からない能力である。まあ、近くにいる奴に気兼ねなく霊と話し合いが出來るというのは確かに利點だ。とりあえず知っているというエルフの事について遠慮なく聞かせてもらおう。

『隨分と現金な思考よな？  まあいい、そもそもエルフというのはな……む？』

  と、何故かそこで言葉を切る霊。思考の中で急かそうとしたその瞬間、俺の覚は刺し貫くような敵意を捉えていた。

  この覚は何度も味わったことがある。それこそ嫌になる程、何回もだ。別が変わろうと、種族が変わろうと、どんな者にも共通するこの。

『ーークク、來客のようだぞ主殿。我の話を聞くのも良いが、落ち著くためには一先ずもてなした方がいいのでは無いか？』

  癪ではあるが、確かに霊の言う通りだ。この狀況下では話を聞く余裕などあるはずが無い。全く、最悪のタイミングだ。俺の口から思わず舌打ちが零れ落ちる。

「見つかった！  バグス、ペンダントが見つかったぞ！」

「そうか。喜んでる所悪いが、この場からさっさと離れた方がいいかも知れないぞ」

「え？」

  無事見つけることが出來たのか、形見のペンダントを握りしめたベリオが喜を浮かべて走り寄ってくる。それ自は喜ばしい事だが、それを共に喜んでいられる時間はどうやら無さそうだ。

  ベリオを手招き、手早くこの場から離れる準備を整える俺達。ベリオの腕を腰に回させ、さあ出だと意気込んだーーその瞬間だった。

  メシリ、と音を立てて歪む背後の木々。

  ズシリ、とまるで地震のように揺れる大地。

  そして、地の底から響くような唸り聲。

  振り返ったベリオが、絶的な聲を上げる。

「……き、狂獣だ」

  日も暮れて來た森の中に、獣の咆哮が響き渡った。