放たれた球を、エリスが爪で切り裂く。

球形を保てなくなった魔力の塊は、式破綻を起こし、形を歪ませながら発し、衝撃波を放ち消失した。

「くうぅっ！」

視界を埋め盡くす閃を腕で目を隠し防、さらに吹き飛ばされそうな風を足を踏ん張って耐える。

が當たっているせいか、ちりりとが焼けるがあったが、痛みと呼べるほどではなかった。

ある程度まで衝撃波が収まると、いつの間にか前方から迫っていた次の球を橫っ飛びして避け、素早くレイアを見據える。

魔法を放っているのはやはりあの人間の方だ、人形であるリースはあくまで意思疎通のための道に過ぎない。

なぜ本人の口で喋らないのか――と言う疑問はあったものの、エリスはすぐさま思考を破棄した。

”どうせ死ぬのだから考える必要もない”のだ。

「はあああぁぁっ！」

エリスはレイアに向けて跳躍する。

一気に爪で首を刈り取ろうとしているらしい。

そんな彼の姿を視界に捉えながらも、レイアは回避運すら取らなかった。

恐怖でがかないのか――それとも、他に防の手段があるのだろうか。

エリスは訝しみつつ、仮に何らかの魔法でインターセプトされたとしても、すぐに対処できるよう思考に余裕を持たせておく。

『単調だ、やっぱり人外なんてそんなものか』

人形の聲が聞こえた。

そしてリースは、布で出來た拳を構え、レイアの前に立ちはだかる。

「ぬいぐるみ程度で止められるわけがッ！」

『僕はレイアを守る、でなきゃ”リース”である意味がない』

リースは飛び跳ねると、レイアに向かって振り下ろされた爪をけ止めた。

ガギン、というまるで金屬とぶつかりあったような。

ただの布ではない、おそらく魔法によって強化が施されているのだろう。

エリスは一旦人形と距離を取る。

だがリースは彼を逃がさない、黒貓人形は二足歩行でちょこまかとエリスに接近し、飛び跳ね、顔、腹、そして足にと続けざまにパンチを放った。

『諦めなよ、避けたところで君に勝機はない！』

エリスはリースの攻撃をギリギリで避け続けた。

だがこのまま続けていてもキリがないこともわかっている。

敵はリースだけではないのだ、すでにレイアは新たな球を生み出し、こちらに向けて飛ばそうとしているのだから。

「目障りなのよぉッ！」

リースが著地したタイミングを狙って、エリスは蹴りを繰り出した。

だが人形はそれを避けることもしない。

真正面からけ止めると、エリスの足をがしっと両手でつかむ。

「うそっ！　きゃあああぁぁっ！？」

そしてそのままを引きずり倒すと、摑んだままぐるんぐるんとエリスを振り回した。

『だから僕は言ったんだ、の程を知れと！』

リースが手を離す。

するとエリスのは投げ飛ばされ、そのまま壁面に衝突した。

城全に響くような破砕音。

彼はレンガ造りの壁にめり込むと、ゆっくりしずつずり落ちて行き、ぐったりと地面に倒れ伏した。

そこにレイアが、先ほどよりも巨大化した球を向ける。

『吸鬼のくせにに弱くないってのは解せないけど、さすがにこれでおしまいさ。じゃあね吸鬼、せいぜい、あの世で人間に手を出したことを反省しな』

リースが捨て臺詞のように言うと、レイアの手から球が離れた。

エリスのをすっぽりと飲み込むほど大きな魔力の塊が、彼に迫っていく。

ようやく意識を取り戻したエリスは、顔を上げて近づくそれを見たが、がうまくかない。

――お姉さま、怒るだろうな。

勝手に抜け出して、勝手に都を殺そうとして、そして勝手に死んで。

さすがに千草も想を盡かすだろう、ただの嫉妬の末の暴走で命を落とす眷屬など、捨てられて當然だ。

「ごめんなさいお姉さま……私、馬鹿で……」

「本當ですよ、無茶しすぎです」

「え？」

エリスの耳元で、死ぬほど聞いた、そして死んででも聞きたかった大好きな人の聲が聞こえた。

死の間際に聞いた幻聴かとも思ったが、エリスの影から彼は姿を現す。

「ですが、私の半端な行為が引き起こしてしまったことですから。馬鹿なのはお互い様ですよ、エリス」

そして千草はエリスの前に立ちはだかり、突き出した左腕で球をけ止めようとした。

しかし、球はまるで腕にまとわりつくように姿を変える。

先ほど、エリスが切り裂いたとは本的に別の魔法らしい。

そのまま包み込んだ腕を焼き盡くし、消滅させる――それがレイアの放った魔法だったのだ。

「お、お姉さま、腕がっ！？」

「け止められると思ったんですが、思ったより強い魔法だったみたいです」

千草は落ち著いた様子で言った。

『新しい吸鬼……しかも影を使ってる所を見ると、君が親玉みたいだね。でも、手負いの狀態で僕たちには勝てない！』

「手負い？」

千草は首をかしげると、ほんのしだけ、左腕の切斷面に力を込めた。

すると――ずるり、とそこから黒い影が溢れ出し、失われたはずの腕を形する。

やがて影は本來ののに変化すると、失われたはずの左腕は完全に再生した。

『馬鹿な、いくら吸鬼とは言え、そんな再生速度見たこともない！』

「他を知らないのでコメントできませんが、この程度・・・・なら影を使えば造作も無いことですよ？」

千草の態度には余裕がにじみ出ていた。

レイアはそんな彼に、エリスとの格の違いをじていた。

殺意のようなプレッシャーは無いが、それが逆に不自然で恐怖を煽る。

『つまり、ミヤコを魅了してたのも君ってことか。だが殘念だったね、魅了はすでに解呪した、もう二度とミヤコは君に會いに來ないだろう』

「……そうですか」

千草は複雑な表で、一瞬だけ目を伏せた。

悲しむべきか、喜んで良いのかわからなかったのだ。

「それにしてもあなた、影先生の知り合いだったんですね」

『その呼び方……転移されてきた生徒たちと同じだ、もしかして君も転移者なのかい？　いや、まさか――転移と同時に死んだチグサ・ヒナタ？』

「おや、私のことも知ってるんですか」

『どうしてあの狀態から生きて……いや、吸鬼になってるってことは、君をそういうにした吸鬼がどこかに居たってことだ。そんなのあいつしか居ないじゃないか――』

レイアの脳裏に浮かぶのは、し前に”姫”を魅了しようと城に忍び込んだ1人の吸鬼。

結局、姫の狀態がおかしいことに気づいた騎士が切り伏せ、退治し、死は廃棄場に捨てたと聞いていたのだが。

『騎士め、あのカミラとかいう吸鬼を始末したとか言っておきながら、殺し損ねてたのか？　しかも、よりによって転移者に力を貸すだなんて――冗談じゃない、つまり吸鬼の力と転移者の力のハイブリットってことだ、危険すぎる！』

「何を言っているのかよくわかりませんが、私がカミラに命を救われたのは事実ですよ。いえ、正確にはお互いに命を救いあったということになるのでしょうが」

『ダメだ、ダメだ、ダメだ、君みたいな化を野放しにすることは出來ない。ここで始末しないと！』

「……話が通じていないような気がするのは気のせいですか？」

千草はし寂しそうに、エリスにそう問いかけた。

そんなやり取りの隙に、一瞬にしてリースが千草の背後に迫った。

「お姉さま、後ろッ！」

「私はエリスを連れて帰りたいだけなのですが」

千草は振り向き、リースの拳を片手でけ止めた。

いとも容易く。

普通の人間が、普通のぬいぐるみを摑むかのように。

『そこの吸鬼とパワーが全然違う！』

「あまりエリスを舐めていると、さすがに怒りますよ？」

『ちぃっ！』

リースは千草から距離を取る。

『後始末が大変だからあんまり使いたくないけど……！　く、ああぁぁぁぁぁあああッ！』

リースの――ぬいぐるみの布を突き破り、側から無數の刃があらわれた。

素早いきを利用して、あの刃で斬りつける算段なのだろう。

さらにレイアはぼそりと詠唱を呟き、無數のの玉を周囲に浮かび上がらせた。

だがそれらを見ても、千草の余裕は揺らがない。

いつものように、優しげな微笑みを浮かべるだけだ。

『その澄ました顔を、いつまでも続けられると思わないことだ！』

リースが地面を蹴り、千草へと特攻を仕掛ける。

千草はゆっくりと右手を前にかざした。

すると彼の背後にある影から、無數の黒い手が現れ、リースを絡め取った。

『なっ……影が……！』

そしてそのまま影は全を優しく包み込むと――

ブチィッ！

一気に多方向に向かって、人形を引きちぎった。

「っ！？」

レイアの表が恐怖に歪む。

大量の魔力を注ぎ込み、強化したはずの人形が、いとも容易く破壊されてしまうなんて。

確信する。

自分の前にあらわれた、このヒナタ・チグサという吸鬼は――今まで戦ってきたどんな敵よりも、遙かに強い、と。

向かうところ敵なし、王國の誇る最強の魔、それがレイアだった。

人間相手ならば、例え強力な魔力を持つ転移者ですら敵わない、それが彼だというのに。

「ごめんなさい」

目を見開いて千草の方を見ていたレイアは、深々と頭を下げる彼を見てさらに驚愕した。

「ただの人形と思っていたんですが、どうやらその反応を見る限り、大事な人形だったようですね」

「……っ、……」

「元に戻すので、そんなに怖がらないでください」

再び千草の背後から影がびると、ばらばらになったリースのパーツをかき集める。

そして影がそのい目を補っていき、あっという間に黒貓人形は元の形に戻ってしまった。

「それと、お詫びの印としてあなたにプレゼントです」

しかし、一度壊れてしまった人形には、すでにレイアの魔力は篭っていない。

ただのぬいぐるみであるはずだった。

しかしリースはひとりでに立ち上がると、レイアへと近づいていく。

『やあレイア、僕はリースだよ』

「っ……！？」

『レイアがしてくれたおかげで、こうして自我を持つことができたんだ』

ゆっくりとレイアに歩み寄っていくリース。

その姿を見て、レイアは必死で首を左右に振り回した。

違う、違う、これはリースではない、とでも言うように。

「ぬいぐるみに殘った記録を元に影で人格を形させたんです。もちろん何も仕込んでいませんから、きっと今まで以上に仲良くできると思いますよ」

千草には善意しかなかった。

本當に、心の底から、良かれと思って人形を再生し、自我を與えたのだ。

だがレイアには――それが善意であることを理解できるからこそ、得が知れず、けれることができなかった。

手のひらに球が浮かぶ。

彼はそれをリースに向けて放ち――

『レイア、どうしてそんなことするの？　待って、ねえレイア、僕はずっとレイアのことを守ってきた。だって、僕はレイアのことが大好……ぎゃああぁぁぁあああッ！　熱いっ、熱いよぉ、助けて、レイアっ、レイアぁぁぁぁぁ……っ！』

リースを、消失させた。

薄暗い空間に斷末魔のびが響く。

それを聞いたレイアは、を震わせながら、涙を流してへたり込む。

「ごめんなさい。喜んでくれると思ったのですが、まさかこんなことになってしまうだなんて」

そう言って、千草はゆっくりと、茫然自失の狀態になったレイアへと近づいていく。

そんな千草の様子を、地面に倒れたままのエリスはうっとりとした表で見ていた。

これだ、これこそが自分がしているお姉さまなのだ、と。

「っ……こ、こない、で……」

「やっと聲を聞くことができました。安心してください、今日はまだ、あなたを魅了するつもりはありませんから」

「……や、やだ……」

「ですがお詫びは、しっかりとしておかないといけませんので。今度のはきっと、レイアさんも喜んでくれると思いますよ」

「ゃ……やぁ……っ」

恐怖に顔を歪めながら千草を見上げるレイアのに、ゆっくりと影がびていく。

はっきりとした形を持たない、泥のような暗闇。

それらはレイアのをぴったりと覆うように這ってゆく。

「ぁ……あぁっ……」

最初は恐怖の聲をらしていたレイアだったが――

「ん、ぁ……あ、は……はあぁっ……」

次第に聲に熱が篭っていく。

いつの間にかレイアが纏っていたゴシック調の服は溶け、全はぴったりと、てらつく影に包み込まれていた。

それは全て、いわば千草の手のひらである。

「直接っていませんから、これなら魅了は行われないはずです。あとはゆっくりと、でるように、気持ちよくしてあげますね」

「は、はひゃぅ……や、うぅ……ッ！」

レイアがをびくびくと痙攣させる。

全に襲い來る、人間では到底與えることのできない、人外の悅楽。

それを、ほとんどそういった知識の無いレイアが與えられるのだ。

抗えるはずもなかった。

「んあっ、ああぁっ、や、やらぁっ、やなのおぉっ……！」

「こんなに可い聲をしているのに、黙っているだなんて勿無い」

レイアの顔は紅し、目は潤んでいる。

もはや彼の脳は完全にその覚に支配され、千草への恐怖すら消失してしまっていた。

千草はレイアが溺れ始めたのを確認すると、さらに影を広げる。

首から下までを覆っていた影は徐々に上へと這い上がり、最初は口へと侵していった。

「はっ、はがっ……お、おおぉおおっ……！」

舌からへ、から食道、肺、さらには胃腸――外側だけではなく、影は側までり込んでいく。

やがて口だけではなく、耳や鼻、目、ありとあらゆる隙間からり込んでいき、レイアは心が壊れそうな快楽を全で味わされる。

「おっ、おひっ、ひ、ひゃ……ん、がぁ、ああぁぁぁぁあっ！」

聲からレイアということは判別できたが、外見はもはやただの黒い塊だ。

まるで死にかけの蟲のようにを震わせる彼を、千草は上機嫌に眺めていた。

影はレイアの脳から細胞の一つ一つに至るまで全てに染み込み、支配し、逃げようという意志すら刈り取って行く。

とにかく”気持ちいい”とじる以外の全てのを奪われ、はそのまま意識が朦朧とするまで、そのを清らかなままで汚され続けるのだった。

◇◇◇

レイアの反応が薄れてくると、千草は影を取り払い彼を解放した。

影に飲み込まれていた服も元に戻り、そして先ほどの反省を活かしてか黒貓人形のリースも特に細工はせず、そのまま再生させる。

「ま、ま……て……」

を震わせながら、涙と涎を垂れ流すレイアは、立ち去ろうとする千草に向かって必死で手をばした。

もちろん屆くことはないが、千草は彼の神の強さに銘をけ、足を止める。

「お姉さま？」

「し待っててください、エリス。彼に伝言を殘しておこうと思います」

そう言ってレイアに近づくと、しゃがんで耳元に口を近づけた。

「影先生に伝言をお願いします」

「わた……しが、ど……して……」

「別れの言葉ぐらいいいじゃないですか」

それでもレイアは納得していなかったが、千草は一方的に言い放つ。

「”ごめんなさい、今までありがとう、みゃー姉”と。そう伝えておいてください」

「みゃ……ねえ？」

レイアにはそう言われてもさっぱりだろうが、伝われば十分だ。

今日を最後に、都がもう二度と會いにこないというのなら、それでもいい。

なぜだか千草には、そう思えた。

つまるところこれが、エリスの不満の原因である、千草に殘った”人間らしい部分”と言うことになるのだろう。

しかし、都が二度と會いに來ないのなら、それももうおしまいだ。

もはや千草が人間らしいを抱くことは無いし、ひたすらに吸鬼として、己がむ世界を実現するために進み続けるだろう。

「さあ、帰りましょうエリス」

「うん……怒らないんだね、お姉さま」

「私にも反省點はありましたから。ですが、それでも怒ってほしいと言うのなら、おしおきぐらいは考えますよ」

そう言って千草は妖しく笑った。

その表を見て、エリスは頬を赤く染める。

何をされるか、すぐに想像できたからだ。

「……じゃ、じゃあ、おしおきだけお願いしよっかな」

恥じらいながら言うエリスのを抱きしめると、2人は影の中に溶けるように消えていった。

レイアはその景を見ながらも、何も出來ない。見送ることしか出來ない。

自分の無力さに打ちひしがれながら――2人が消えた瞬間、張り詰めていた糸が切れるように、彼は意識を失った。