昨日、貧で卒倒した白波さんに対する、鳥羽君てんぐの過保護は翌日。金曜日に持ち越された。

彼が重いものを持てば、強引に奪い。宿題の終わっていないところは、特別に見せてあげる。そして、私と希未には余計なことは喋るなと言わんばかりの態度をとっている。どうやら、白波さんの心労の原因は半分くらい私たちに責任があったと考えているのがまる分かりだ。

「おー、小春。昨日貧起こして保健室に世話になったんだって？今朝、偶然保険醫さんと會ったときに聞いたんだが」

休み時間、擔任の雪男、國語擔當の柳原政雪教諭が教室にプリントを抱えてって來た時の彼のセリフである。しだけぼさっとしているグレーの髪はいつも通りだが、本日は眼鏡を掛けていた。

「どーした？食事を減らしたりしてんじゃないだろうな？高校生はまだ長期と重なるから、ダイエットも程々にした方がいいと先生は思うぞ」

柳原先生の言葉に、私は思わず突っ込んだ。

「食生活は、先生だって大概じゃないですか」

先生は、うっと言葉を詰まらせた。に覚えがあったのだろう。

本日のお姫様待遇に居心地が悪そうにしている白波さんは、「ちゃんと食べてますよー」と苦笑いした。貧なのに、重病人のような扱いをされるのはけっこう複雑な心境のようだ。

「栗村のせいですよ、大の原因は」

鳥羽君が、じろりとこちらを睨んだ。三學年棟に行くのを自らも容認したくせに、そういうところは棚上げしてしまったらしい。私の隣にいた希未は、むすっと頬を膨らませた。

「本當にちゃんと食ってんのか？こんなちまっこくて」

柳原先生が、座ってる白波さんに視線を合わせた。

「小春ちゃん。今日の調理実習出れそうか？」

「だ、大丈夫です」

午後の家庭科でオーブンを使うから、確認しておきたかったらしい。大ざっぱに仕事をしているようで、意外とマメなところがあるのだと私は驚いた。

「じゃー、先生からの特別サービスだ」

先生は、ポケットから取り出したチョコを白波さんの手のひらに、３個手渡した。元々溫自が低いアヤカシなのだろうか、狀態がよく味しそうなものだった。

希未がそれを見て「ひーきだー」と軽口を叩く。鳥羽君は、ぱあっと目を輝かせる白波さんにし不機嫌そうな顔をし、そっぽを向いた。柳原先生はそんな希未の聲など素知らぬフリをし、プリントの山を教卓に置いて笑顔で立ち去った。

まったく、飄々としたご仁である。

私は、視線を外した。そろそろ家庭科室への移をクラスメイトは始めている。　ロッカーから持ちをとってこようと席を外すと、ふと誰かの気配をじた。

振り向くと、こちらを見つめる気そうな子がいた。ぼうっとした眼差しで、鳥羽君が白波さんに話しかけている様を切なそうに眺めている。両手で本を抱えた三つ編みの、遠野ちほさんだった。

「……遠野さん？」

話しかけると、びっくりしたようにこちらを見た。彼に近づく私の存在にも気づかなかったようだ。

「え、あ、月之宮さん……」

ささやくような聲で、遠野さんは呟いた。

「もうすぐ、移しないと次の授業はじまっちゃうよ。その本、料理だけど持っていくの？」

私が笑いかけると、彼は「……あっ」と慌てて機の中に大事そうに抱えていた薄桃の表紙の本をしまった。読書家で有名な彼に何を読んでいたのか尋ねると、はずかしそうに「今日は、攜帯小説なの……」と顔を赤らめてしまう。

ものをクラスで読んでいたことがバレてしまい、恥ずかしそうにしていたけれど……何か言いたそうにもしていた。

しばらくの葛藤の後、

彼は、勇気を出したのか顔を上げ、私を真剣な眼差しで見つめた。――これは、遠野さんにはすごく珍しいことだ。いつも、下を向いて人目を避けながらひっそりと生活しているのである。

「…………あ、月之宮さん。あの、ね、ちょっと聞いてもいいかな……」

「なあに？」と私が振り向くと、遠野さんは泣きそうな顔になった。

「…………し、白波さんって……鳥羽君と付き合ってる、のかな」

彼の質問に、私はこれまで、そう云えばあの２人にお互いがあるのかを尋ねたことがなかったことに気が付いた。……正直のとこ、鳥羽君はかなり怪しいとは思うのだけど。とりあえず、白波さんを獨占させておけば満足げであるのだから。人並みの常識はありそうだけど、私の祖父曰く、『アヤカシの執著ほどたちの悪いものはない』だ。

――だから、遠野さんに、回りくどくそれを伝えなくてはと口を開いた。

「……違う、んじゃない」

……どうして。

『あの二人、お似合いだよね』と告げるつもりだった。言おうとしたのに、何故かその言葉が途中ですり替わっていた。

鋭い針がにつかえる要素など、どこにもなかったはずだ――片思いだろうクラスメイトに、中途半端な同心でも湧いたとでも？……まさか？

意味も分からず、躊躇ってしまった自分に戸っていると。

遠野さんは笑みを作り、「ありがとう」と呟いて機の上に置いてあった教材を抱きしめ、廊下に向かって走り去った。……彼に期待を持たせるようなことを言ってしまった私は、彼が消えた引き戸を呆然と眺めた。

なくとも鳥羽杉也という生徒は、白波小春さんを毎日眺めて過ごしていること。……それだけでも教えれば、彼の心に決著がついたろうに。妖怪とはできるだけ関わらせない方がいいと分かっていたのに、どうして私は、遠野さんの気持ちを無下にできなかったのだ。

三つ編みの彼の、悲しそうな笑みにが痛んで。

後悔に心が重くなりながらも、ロッカーの４ケタ暗証番號を力した。そうして目的のを取り出すと、希未のいる方へと足を向けたのだ。

友人、栗村希未は、教科書やらなんやらを小脇に抱えて私を待っていた。先ほど結いなおしたらしい、お団子頭がちょっと新鮮だった。いつも楽しそうに暮らしている娘だが、今日は特に調理実習の容がクッキー作りだったものだから移中もぴょこぴょこ跳ねていた。

家庭科室では、先に鳥羽君と一緒に著いていた白波さんが、さっそくエプロンと三角巾を制服の上に著ているところだった。チェックのプリーツスカートから膝をのぞかせ、どこか不安そうな表をしていた。ロングヘアーをゴムでお下げに結んである。

彼の髪は、羨ましいことにによってカラメルになるのだ。その綺麗な合いに、ベージュにパステルピンクの水玉エプロンはとても似合っていた。裾やポケットにあしらわれた麻レースがらしさをひかえめに付け加えていて、元には上等の木ボタンが３つ並んでいた。

鳥羽君はといえば、どこにでも売ってるような黒いエプロン姿だった。髪型はどうやらポニーテールのまま実習に臨むらしい。

白波さんが、私を見つけて駆け寄って來た。

「月之宮さんっお母さんが新しくエプロンを駅ビルで買ってくれたんだけど、この恰好周りから浮いてないよね……？」

なるほど、似合っていたわけだ。やわらかい雰囲気がしたのは、母君が白波さんに選んであげた結果だったのだろう。私は、白波さんに言った。

「鳥羽君は気にってんじゃないかな？」

正直に云えば、可すぎたので意地悪を言いたくなったのだ。白波さんはし考えた後、

「……つまり、浮いてるってこと！？」とむしろショックをけた。赤面とか気になる異への恥じらいというものがない白波さんの反応に、私はちょっと天狗が哀れになった。ちらりと彼の様子を見ようとしたとき、希未にタックルされ、私はよろめいた。

「話してないで、早く著替えないともう時間ないよっ」

希未は、一年次から見慣れたオレンジと黃の星柄のエプロンを著ていた。友人のいう通りであったので、私も袋を開けて著替えを取り出し手早くに著けた。えんじのＡラインのデザインで、紐を通し前で結ぶ。形のいい蝶々結びにまとめていると、鳥羽君がこちらを見て言った。

「おい、そう云えば月之宮って料理できんのかよ」

私は笑顔で答えた。

「お母さんに習ったことはあるわよ」

ただ、全部失敗しただけである。……流石に今回はクッキーだから何も起きまい。去年の調理実習を知っている希未が申したそうな顔をしていたが、結局殘りの２人には何も言わなかった。

いざ授業が始まると、クラスでの席順に則って私と白波さんと鳥羽君と、あともう２人の生徒で班になりクッキーを作ることとなった。

白波さんと私で材料を計量する。他の人がオーブンの予熱のスイッチをれてる間に、彼は手慣れた手つきで小麥をふるい、生地を混ぜた。

鳥羽君は用な指先で型抜きをちゃっちゃと行い、私は卵の黃を天板に並べられたクッキーの表面に塗っていく。順調に済んだ作業に一息ついてノートをまとめた。

――結果。そうした経緯で、鳥羽君は目の前に山盛りになったクッキーを試食し、顔をしかめて言った。

「……なんで、すっげえ旨いやつと、吐きそうなくらいクソ不味いやつが同じ生地からできるんだよ!?」

私も、三枚ほどで、件の不味いクッキーを引き當てた。

一緒に作った他のクラスメイトも、１回顔がネズミになったあとは、最早このロシアンルーレットに挑戦するつもりはないらしい。

終業の鐘が鳴った私たちは、無理やりこの産業廃棄を山分けすると、苦み走った顔で調理室を後にした。

健気にも部室で魔クッキーを完食しようとしていた白波さんを放課後に発見した鳥羽君は、やけくそのように彼の分まで頬張った。顔が白黒している彼を橫目に見ながら、私はひっそりとオカ研からトイレと偽って食堂まで抜け出した。

希未は、なんとなく私の考えてることが分かるようで止めはしなかった。

殘飯用の蓋付きのごみ箱の前で、恐らく自分が原因で悲劇的な結果となった焼き菓子を２人には黙って焼卻処分にしてしまおうか悩んでいると。ふいに後ろから誰かの聲が掛けられた。

「――捨ててしまうのですか？」

驚いて振り返る。暗がりの電気の消された食堂に、金の髪をした男子生徒がうっすら笑顔を浮かべて立っていた。悪い生徒が食を末にしようとしているその現場を、しかと青い瞳の生徒會長、東雲椿は見てしまったらしい。

なんてバッドタイミング。

「……悪いことをしているのは分かってます。ほっといて下さい」

怯んだ私がそう突っぱねると、先輩は言った。

「責めているのではありませんよ。……ただ、そうですね。それを本當にしくてたまらない人間もいることも考えてもらえませんか」

「……世界に食べに恵まれない人がいることも、分かってるんです」

そう、私は若干みじめな気持ちになりながら言った。

會長キツネのご指摘は正しい。

アヤカシなのに、人間のなんかいとも簡単に殺せるくせに。彼に人としての道理を説かれてしまっているのが、いたたまれなくて仕方なかった。自分でもこの行いがマズいことだって気づいていただけに、ニンゲンとしてけなくなってしまう。

……いつもだったら死ぬ気でに押し込むところだったのに、あの鳥羽君のカッコわるい姿を見てしまったら、孤軍闘に頑張る気力が失せてしまったのだ。

東雲先輩は、私を諭すように告げた。

「いえ、それよりももっと近に。……つまりですね、君が今捨てようとしている菓子を、この僕に譲ってもらいたいんですよ」

虛をつかれた私は、彼に言う。

「死ぬほど不味いですよ、これ」

「悪食ですから、平気ですよ」

聡明であるはずの彼は、そんな世迷言を口にして微笑む。……このような劇を手にれたくなる人がいるとは、これが価値観の相違というやつか。なんとも理解しがたくなりながら、私は問いかけた。

「そんなに、白波さんが好きなんですか」

前髪がかかった、くろまなこが憂いを宿してこちらを見た。青い、青い眼差しが、いつになく深海の奧のようにゆらめいている。アヤカシだと分かっているにも関わらず、その影のある表に私は息を潛めた。

その瞳が眇められた瞬間に、剎那、在された妖気がおどろおどろしく怨嗟の念をもって――。

東雲先輩キツネは、固まっている私に近づくと、手の中にあったラップで包まれたクッキーをひょいと私の手のひらから取り上げた。そうして、指先をばして――こんなことを靜かに囁いた。

「そうだ、と云えば月之宮のお姫様は僕に優しくしてくれるってのかい？それは実に笑えないなあ」

そう言うと、彼はくしゃりと私の頭をぜたのだ。