《悪役令嬢のままでいなさい!》☆25 黙する獻者
帰宅した私は、深夜になるのを待って家を出た。
相も変わらず父は娘の夜間外出に顔をしかめていたけれど、小うるさいことはなんにも言わない。仕事だと理解しているので説教しても無駄だと分かっているのだ。
特別勤務で山崎さんも一緒に向かうことを伝えれば、いつものごとく彼は頷いて、ビールと枝豆を食して酔っ払って就寢した。42度設定の風呂にも1時間くらい浸かっていた。
銃刀法がある日本で、警察から許可されているとはいえ剣を背負って出かけようという娘のことを心配していないのだろうか、と。ごく普通の親子関係からすれば信じられない行に思えるだろうけれど、から同じように爺様が出していく姿を見てきた父にとったら殘念ながらこれは日常風景にってしまうらしい。
己と妻はマトモに生きていると思い込んでいる彼には悪いけれど、たまに一般と常識がズレていることに自覚がないだけなのではないか、と娘からしたら複雑な心境になる。師の家庭という特殊環境で育てば無理もないが。
まず、きやすい恰好に私は著替えた。
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例のサポートタイツに、紺ジャージのショートパンツ。Tシャツとパーカーに袖を通して。桐の箱で眠っていた神剣、野分やリュックに財布を持ち出すと、リビングのテーブルにラップがかけられたお皿が載っていた。
ちょっと大きめの紙皿に、母が夜食に作ってくれたんだろうサンドイッチがしずかにあって、パサッとしたライ麥パンにハムとチーズが挾まれたそれを、有難くいただいた。マヨネーズの味がした1個はその場でかじりついて、殘りはぐるっとラップに包んで弁當にしようとリュックにれた。
気合をれ直してスニーカーの紐を結び、玄関のスロープを下りると、山崎さんはもういつもの白い軽自車の近くで待ってくれていた。目立たないことが第一なので、スーツではなく私服を選んでいる。
きやすい服裝で現れた私を見て、山崎さんはため息をついた。
「お嬢様のそのファッションを見ると、憂鬱になるようになってしまいましたよ」
「仕方ないじゃない、きやすいんだもの」
私はを尖らせた。大の面倒事の際には、こんなスタイルをしているので、すっかり山崎さんの中で非常事態と結びつくよーになってしまったらしい。
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事件の度に高頻度で運転手として呼び出される山崎さんならではの悩みといえよう。
「普段は大人しめの恰好をしているんだから、許してちょうだい」
そう言うと。
「その落差が余計に……いえ、失禮しました」と、彼は半笑いをした。
「……野分は、あんまり活躍してほしくはないのですが」
彼が見たのは、私の下げている神剣のことだろう。山崎さんの言葉に、私は返事をする。
「悪魔祓いに役不足にならなければいいけど」
「お嬢様には、もっと穏やかに暮らしてほしいんですよ。私は」
そう訴える彼に、私は笑って車の中に乗り込んだ。
こんな12時も過ぎた深夜なので、當然ながら真っ暗い道中は車もなくすいていた。煌々と電気のついたコンビニと消燈されて沈黙する家々との落差が激しい。
彼は、ラジオをつけることもなく無言で運転をしていた。普段の送迎と気持ちを切り替え、真面目な表でアクセルを踏んでいる。
渋滯もなく、うっかり屋の貓がとび出してくることもなく。勿論バイクに乗った不良が突っ込んでくることもなく學校の駐車場についた小さな軽自車は、しごくスムーズに停まった。
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がら空きの駐車場で運転手さんには、車で待機してもらうことになる。最悪の事態が起きた場合、死傷者が増える可能があるからだ。
ヤバイ、と思ったらすぐに私なんか見捨てて排ガス吹かして逃げるように念りに伝えたのだけど、にあつい山崎さんは悲しそうな顔をするだけだった。
そんな彼を殘して軽自車から出ると、
一呼吸おき、私は爺様の形見の剣を引き抜いた。スラリと振り下ろすのは神剣、野分だ――――、鋼の刃が、街燈に照らされて鈍く反した。
蛇のように曲がりくねった特徴的な刀は古代の蛇行剣に則ったつくりになっていて、誰だってこのようなフォルムの剣の切れ味がよいとは思えないだろう。このままで武にするんなら、こん棒みたいに毆った方が手っ取り早いかもしれない。
今。私の意識が冴え冴えと研ぎ澄まされていくのは、これでアヤカシを殺してきた経験があるからだ――。
野分は剣と一口にいっても、草薙の下位互換として考えられた呪である。元からこのまんまで武として切ることを念頭においておらず、警察からも扱いの刃になっているくらいで。
刃渡りはゆうに法律を無視した長さの野分は、からの相棒である式行使の依代なのだ。私のために爺様が贈ってくれたもので、長年使っているために霊力が鍛えられた鋼に充分に馴染んでいる。
リュックを肩にかけ、野分を右手に握りしめて並木道を歩く。
無音の闇の中で。青々とした桜の枝が、やかにざわめいた。
先日から、全く変わらない赤のペイントの周囲にはテープがおけ程度に張られており、黃と黒の立ちり止アピールを私は見なかったことにした。
用意してきた白いスプレー缶をリュックから出して、蓋を開けるとツンとした刺激のある臭いがした。このペンキ塗料のにおいは好きじゃないので顔をしかめる。
……意を決して、野分を構えた。スプレー缶を魔法陣に近づけ、いつでも剣を振れるように――、
「――無駄なことは、止めとけ。月之宮」
悲鳴を上げそうになった。不意打ちにかけられた聲に振り返ると……、やれやれ、と言わんばかりの柳原先生が立って煙草を吹かせていた。
ネクタイは緩められ、ワイシャツは第二ボタンまで開けてある。ラフに灰スーツを著崩した彼に、私は小さくんだ。
「なんでいるんですか!?」
雪男、柳原政雪は、「だって、オレ教師だし」と訳わからん返事をしてきた。
「確かに、お前さんのやりたいことは、理に適ってるんだけどなあ……儀式が功する前に魔方陣を破壊して、悪魔を殺すってのは強引な力技だが。正攻法ではあるさ」
「だったら、何で邪魔するんですか」
私がムッとすると。柳原先生は煙を吐き出して、こう言った。
「多分、この魔方陣、普通の悪魔召喚じゃないんだよなあ……」
「え!?」
驚きの聲を上げてしまった。その反応を見た彼は、憂鬱そうに事を話す。
「これが出來てから、この辺りの霊的バランスがれたみたいでな。月之宮家の人間には気の毒なことだが、活発化した付近の雑妖が毎晩暴れてんだよ」
私は、顔を引きつらせて言った。
「じゃあ、やっぱり破壊した方がいいんじゃ……」
「手遅れなんだわ」
彼は、おっくうそうにびをした。
「オレの予想では、この魔方陣の魔は、発見された初日には既に完遂しちまってんじゃねーかと思うんだよ」
柳原先生ゆきおとこの言葉に、私は聲を潛めた。
「……その、拠は」
「ああ、……雑妖ってのは、アヤカシの中でも特にちっぽけな力しか持ってないんだが、その分、強い波やエネルギーなんかを真っ先に察知するんだ。今回の騒々しさときたら、前兆にしては元気すぎてな――っと、」
唐突に、先生は説明を止めて虛空を見やった。目を眩しそうに細め、ぼさっとした灰の髪が風に煽られる。
戦ぐ風がだんだん強まっていく――。
ゾクリ、と異変をじて、彼が見上げた空高くに視線を移すと。
星のない夜空から、小さな雨粒のようなモノが一斉に降って來るのが見えて驚いた。これはなんだと目を見張ったら、どうやらそのシャワーは先生が噂していた雑妖の群れのようだった。
生きのいい雑妖が全力で、わらわら群れになって何かから逃げていて。
聲帯があったら悲鳴をあげているんだろうと思わせるほどに、酷く怯えた、か弱きアヤカシたちは飛び跳ねながら逃走していた。
その慌てた様子に、悪さをしていたんだろう雑妖は一何に焦っているのかと疑問を覚えていると――、
瞬間、その群れが凄まじきスピードで両斷された。
何か鋭い刃で吹き飛ばされたように、千切れて、ちぎれて……バラバラにされた雑妖怪イキモノは、グラウンドに落ちていく……。
「頑張るよなあ、あいつも」
吹きおこる強風の中、空を眺めた先生が呟いた。
夜闇の空から降ってきたのは、黒いツバサを広げた男子だった。ポニーテールをなびかせ、どうやらパーカーに細のジーンズという出で立ちで。
相當に苛立っているのか、地面から襲い掛かった雑妖を勢いよく蹴飛ばした。
グラウンドの中央で闘している男子のシルエットだけで、何故だろう、それが誰なのか分かってしまった。
「鳥羽君……?」
私は、呟いた。……図書館で呑気に私たちと魔法陣を調べていたのに。
「おうよ。見なかったことにしてやんな、月之宮」
柳原先生は低い聲で言った。
助けを乞うようにきした雑妖に、容赦なく疾風の刃を鳥羽君は叩きつけた。
放たれた斬撃によってのけぞった雑妖怪はこの世から葬られる――居合いよりも速い切斷に、かそけきアヤカシはきっと死んだことも理解できぬままに絶命してしまったのだろう。
勢い余り、衝撃の余波で上空に砂埃が上がった。
消石灰の含まれた塵がサラサラ舞い上がり、鳥羽君1人を殘して全ての吐息が消えてしまったグランドは不気味な靜寂に包まれていて。すべてを掃討し終えた彼は顔を上げて夜間照明のホワイトライトを見た。
背筋をばした鳥羽君は、いつになく烈々とした佇まいで。黒く立派なツバサで空を飛ぶこの男子の気質が人間めいてじていたことが噓みたいだ。
尊大な気配をまとい、無慈悲に格下のアヤカシの命を奪っていく彼の本質は人外にしか思えなくて……悲しくなってしまうほどに殺しに手慣れ過ぎていた。
を痛ませることなく雑妖怪を狩り盡くした天狗は、辺りを見回して、どこにも撃ちらしがないことに靜けさから判斷すると、パーカーのポケットに手を突っ込んだ。
フードが翻り、羽の尺骨や腱をかして。
地面を蹴り、鳥羽君は再び上空へ飛び去った。猛禽類の如き鋭いのこなしで、彼方へと消えていく。
……もう、絶句するしかない私に、柳原先生は苦笑した。
「魔法陣は詮索してもいいが、あいつの事は、オレも知らないからなあ……。一応、擔任だっつーのに」
そうぼやいた先生は、鳥羽君の去った空っぽのグラウンドを眺めている。ちょっとだけ寂しそうだった。
深呼吸をして、私は星のない空を見上げた。當然ながら、厚い曇りのどこにも人間の振りをしているクラスメイトの姿なんかどこにもなかったけれど……。視界に焼き付いた面影に虛しく笑う。
ああ、ショックだったともさ。笑えることに、あの天狗が人間の高校男子だと錯覚すらしかけていたことに、たった今、気が付いてしまったんだ。
きっと、嬉しかった。
遠ざけていた當たり前の學校生活のようなものを味わって、どこまでも普通の小娘として扱ってもらえたことが嬉しかったんだ。
相手がアヤカシだからこそ、月之宮財閥の名前に眩まずに接してもらえていたのだと気が付きたくなかった。だってそうだろう、そんなことを認めたら師としての仕事にこれほど差し障るはないじゃないか。
正を現したこの闘を見てしまっても嫌悪することができない、自分にけなくなって。明日も何も知らずに無邪気なままだろう白波さんをそっと思った。
異形の姿を見られたくはないだろうに、あどけない笑顔のために夜に雑妖退治をしている鳥羽君のことを知ったら彼はどんな表になるんだろう。
「……なんで、真面目に教員やってるんですか。先生、アヤカシでしょう」
ポツリと私の問いかけに、しばし沈黙した後。
雪男はおどけて口端を上げた。
「そんでも、オレ、人間が大好きなのさ」
暗闇で見た、彼はその時確かに、照れくさそうな笑顔であった。
帰る前に、魔法陣に々白ペンキで上書きしてみたものの、悪魔は影も形もいなかった。
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