幾度となくじた恐怖、何度も経験した不安。しかし、今までそれが偽であることに気付く。

刻々と近づいてくる自分の死に、靜止した世界が優希をけれた。

泣きながら必死にぶ助けの聲を、跳ね除ける三人の背中。

振り向きざまにこちらを見た顔は、噓でも心配ではない。

――囮になってくれてありがと。

そう言ってるような気がして。

嘲笑うように響く木々の喧騒も、竜崎が作った魔族の死から放たれる異臭も、狩猟虎に肋骨が折られた時の痛みも、今は一切じない。まるで外側からの報も、側からの痛みも、無意識に拒絶しているような、そんな覚。

弾丸鼠ガンガル―が後ろに迫っても一切そちらに目を向けない。涙、鼻水が顔を覆っているのに拭きもせず、ただただ徐々に小さくなる三人の背中を見つめるだけだった。そして、次第に三人の姿は見えなくなる。

「ぐぅぁっ！」

足に絡まったツルは、そのまま近くの木に優希を縛り付ける。まるで生きているかのように。いや、生きているんだと優希は思った。この世界が、優希にとって都合の悪いように出來ているんだとそう思うようになった。嘲笑う木々、蔑む風、大地は優希を無視するように靜かでいる。

そして、迫った弾丸鼠ガンガル―は、マナを込めた拳で、優希の左足を――

「ぐぁああ゛ああぁあ゛ああああああああ！！！！」

折れた砕けた抉られた。どんな表現でも表せない痛みが優希の斷末魔を生み出した。

痛い、痛い痛い、痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い―――――――――――――――――――――――――――――。

途切れそうになる意識をマナはお節介なことに呼び止める。

殺してほしいと幾度も思う。何故生きているのか幾度もじる。

響く斷末魔はが潰れて音になっておらず、きが取れないために抑えることもできない。ただじる激痛をぶことで誤魔化すしかない。

目前の敵は縛り付けられた優希をサンドバックかと思っているのか、いまだ痛みが消えず泣きぶ優希の右腕を無慈悲に――

「ぁうあああ゛あぁああ――――――ッ！」

毆る。骨が折れる音を鮮明に聞いたのは初めてだ。痛みが一瞬で伝わりそして消えた。肘より先の覚も一緒に。

優希は涙で霞む視界を移させ、右腕の存在を確認する。視線の先にあるのはへし折れた骨がを殘したまま現実にその姿を見せつけている。

覚がない右腕に、いまだ激痛が走る左足、そして今度は――

「ぐぅあっおえぇうぷっ！」

腹が潰れた。胃が心臓の上まで押しこまれ、大腸と小腸はお互いの位置が分からないでいる。

口から吐き出すと胃が混じったは狩猟虎の時とは比べにならなくて、恩恵者の力が優希の意識をそれでも保つ。

この世界は、否、元の世界も合わせて確実に敵だ。すべてうまくいかない、すべて都合が悪いように出來ている。プラスに始まっても終わりはマイナスでしか終わらない。

次は肩、次は右足、次、次、次――

肩が外れた、肋骨はさらに折れた、腕の覚は無くなり、臓はその居場所をとどめておらず、吐き出した胃は草木を汚し、全から流れるが大地を潤す。

もうすでに死んでいる。はずなのに、恩恵者の頑丈さが今も尚優希を生かせる。

「ころ……して……」

意識か無意識か、優希は訥々と聲をこぼす。言葉など通じるはずがないのに、それでも、優希は、

「殺して……ください……」

聲を出す。屆かない願い。いや、屆くはずだったのだ。恩恵者でなければ、竜崎の命令に従わなければ、戦える恩恵ならば、戦える仲間がいれば、異世界に來なければ。どれか一つでも持っていればこんなことにはならなかったのに。

「っ……ぅ……」

もうどこが毆られているのか分からない。何故自分の目は弾丸鼠ガンガル―を映しているのか分からない。

――なんでこうなったんだっけ……

――僕は何で毆られてるんだ……

――僕は何で生きているんだ……

――なんで生かせるんだ……

では死ぬのか？

――聞いたことがある聲だ……誰だっけ……思い出せない、いつ聞いたかもどこで聞いたかもなあにも思い出せない。けど、なぜか安心する。

――死ぬ？　死にたい、死にたいさ。もういっそ楽になりたい……

ではなんで生きている。生きることを拒否しているのに、なんでお前の意識はまだそこにある？

――そんなもの……僕が知りたいさ

なら教えてやろう――

「答えは記憶の中にある」

「――――」

突然の変化に優希は言葉を失った。

上下左右前後ろ、どこを向いても純白の世界。すべてのが抜け落ちたような、どこまで高いのか、どれほど広いのか、部屋の外なのか中なのか、そもそも部屋の中なのか、一切の報が見つからない。

その世界に立つ優希のは全くの無傷で、何よりも突然現れたキトンのような服を著た彼に、吐き出す言葉が見つからない。

銀に輝く腰あたりまでびた長髪、黒真珠の瞳、艶やかなと、引き締待っているが出るところは出ている完璧な容姿。彼の笑みは嘲笑うかのようだが、なぜか安心する。

「君は？」

止まった思考をフル回転させ吐き出した言葉。彼は優希の聲に嬉しそうに笑みを浮かべる。

彼がく度服が揺れ、隙間からさらにが出して、優希は頬を染める。

「おっと可い反応をするものだな。そんなに見たいなら見せてやろうか？　ほらほら」

挑発するように笑顔で布を巻き上げる彼に、優希は目のやり場に困り、

「だ、大丈夫ですからっ、僕の質問に答えてください！」

この反応を待っていたかのように、彼は揶揄うのを辭めて、自らのに手を置いて、

「私の名前は……パンドラだ」

名前を言う直前、突然元に何かが引っかかったように詰まってから、彼はパンドラと名乗った。

パンドラと言われて思いつくのは『パンドラの箱』、開けると厄災が降り注ぐと言われるものだが、

「ふ、不吉な名前だね……」

苦笑いしながら彼の名前に想を述べてみる。そもそも、この世界に元の世界と同じ神が存在するのだろうか。今のところ出會った神はエンスベルのみ。エンスベルと言う神はなくとも優希は聞いたことが無いもので。

「不吉とは失禮な奴だな。私はお前の恩人だぞ」

そう言った彼に、優希は首を傾げる。

その反応を橫目に、彼は優希の周りをまわりながら、

「いくら恩恵を持っていても、あれほど臓をえぐられて、骨を砕かれて、が噴き出しているのに、生きているはずがないだろう。お前ほどの練度なら尚更だ。私がここからお前のにマナを與えて命を繋いでいたんだ」

彼の言葉に優希は謝――ではなく、

「なんで……助けたんだ……」

非難。

死にかけた、死にたいと思うほど苦しんだ、本當なら死んで楽になれたのに、彼のお節介のせいでもっと苦しんだ。彼も優希の敵の――

「みを葉えたんだ」

彼の言葉に優希は敵と認識しかけた思考を止める。足を止めてまっすぐ見つめる彼の瞳は噓を言いてるとは思えない。笑っていながらも、悲しさを持った不自然な表。家に居た頃の自分と似た笑顔を振りまく彼に親近が湧いてくる。

「み？　……僕のみは死にた――」

「本當にそうか？」

被せるようにそう言った。

彼は優希に肩がすれ違うほどに近くに行くと、首だけ振り向き優希の橫顔を覗く。その行に合わせて優希も彼と視線を合わせる。長は優希よりし低いぐらいだろうか、近でじる彼の存在に優希の鼓は早くなる。

「私はお前のみを葉えただけ、死にたいとんでいるなら死んでいる。あの場で生きているのはお前が行きたいとんでいたからだ。お前の心の奧底にある本當の願いはな」

「でも……」

そんなことを言われても実が沸かない。死んだ方が楽になれたのに、すべてから解放されたのに、それでもなお、優希は生きたいと願ったのだろうか。

何故にそう願った、何が優希を生かせていた？

「本當のみって何なんだ……」

頭がおかしそうになる。自分のことなのに答えが一切見つからない。

混する優希に彼はある方向を指さした。

その指先に導される優希の視線。空間に映寫したように畫面が浮かぶ。

それが映したのは、

「かな……え……」

短いツインテールを揺らす小學生五年生の妹、桜木香苗。

あれは友達と投稿している所だろうか、楽しそうに笑っている。

その景に優希も思わず笑顔がこぼれ、その反応にパンドラも笑顔。ただ、彼の笑顔は優希の反応を惜しんでいるようで。

「を見て笑うなど、お前はなかなか面白い趣味をしているのだな」

「ち、違うよっ！　ほら、三人の真ん中にいるツインテールの子、あの子は僕の妹なんだ」

「なるほど、ロリコンではなくシスコンなんだな」

「ちがっ……うのか？　いや、違うと思う」

否定しようとした途端、優希は妹との接し方を思い出し、一概に否定しきれなくなる。

その反応を楽しんだ銀髪のは、畫面をタップするかのように指をかして、場面を切り替える。

「これは？」

「あぁ、僕が神格高校ってところに推薦狀が屆いた時だよ。僕らみたいな環境の人には決して立ちれない世界だと思ってたから夢だと疑ったね、一枚の紙であれほど喜んだことは無いと思う」

「だろうな、人がこれほど歓喜する姿はそうそう拝めない。見ろ、あの涙ぐんでる阿保面の男、稽じゃないか」

「當の本人が橫にいるのに言っちゃうんだ……まぁ今見たらホント凄い顔してるけど」

そして、次の場面。それは優希にとっては思い出したくないもので。

「これは何をしているんだ？」

「……お金を渡しているんだ」

竜崎に金銭を要求される優希の姿。この景に優希は顔を俯かせながら彼の質問に答えた。優希の返答に彼は首を傾げる。

「何故だ？　お前は人より金銭面では厳しい環境だろう、他人の世話が出來るほど余裕はないはずだ」

彼の言っていることは的確だ。普通ならそう思うだろう。ただ、現実は厳しいものだ。

そして、優希の答えを待つ前に彼は次々と場面を進める。

毆られ、騙され、遊ばれ使われ。そんな苦痛の一年半。

ただそれでも笑顔を忘れていないのは、一人のの姿。

家に帰ると元気にお帰りと言って、今日あったことを夕食時に楽しそうに話す。真面目で努力家で、優希よりもしっかりしていた自慢の――

「香苗……」

無意識に流れた涙が、優希のみの答えを示した。

そして、その答えを言葉にしたのは隣でほくそ笑む銀髪の。

「つまり妹がお前が生へ執著する理由か」

香苗にしてやれることはたくさんある。しなければいけないことがたくさんある。香苗の家族は優希だけなのだ。友達、保護者的存在、支えてくれる人はおそらく優希よりたくさんいる。それでも優希は彼の傍にいなければならない。それが兄の務めなのだから。

「けど、その願いは屆かない――」

「と思うか？」

優希のセリフに続ける彼を、涙を流している瞳で見つめた。

優希の願いは元の世界に帰る事。それはおそらく他のクラスメイトも同じだろう。しかし、それはかなわない。言われたのだ、帰ることは出來ないと、召喚した本人からその口で。

「えっ……」

その時優希の止まりかけた思考は突然の閃きにき出した。