未來が見える力があったとして、この現狀を変えることは出來たのだろうか。

今まで最高で、大切だったものがなくなると分かった時、彼は行を起こすことは出來たのだろうか。

否、おそらく彼はそれでもけなかっただろう。何もできなかっただろう。

そんな彼が、未來を読む力などない彼が、今の現実を変えることはできない。

運命としてけれるしか――

「……」

もう何日経つだろうか。何日、彼らと目を合わしてもらえてないだろうか。

そして――

「なぁ桜木、今日暇？　暇だよな。ちょっと付き合えよ」

肩に腕を回し、冷徹な聲が鼓をでる。それは今すぐここから逃げ出したいというを植え付ける種でしかなくて、その種は瞬く間に発芽する。

彼の聲に怯えだしてから、一何日経つだろうか。

＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊

死ぬという狀況に陥った時、人の行は決まってくる。

が竦みきが取れない者。冷靜な思考を持つことが出來ず死に狂いで逃げる者。生を諦め回顧する者。

ついこの間すべてを験した。敵に殺されると本能が理解した途端、力の有無に関わらずその足を引きずってでも逃げ、その敵が目前に迫った時、コンクリートで固められたかのようにきが取れず、敵にその拳でをえぐられた時、何故どうしてと自問自答を繰り返した。

そんな優希が、いざ自分と同じ狀況に陥った人をその目に移した時、どんなを抱くのか。

そんな優希が、いざ傍観者となった時、一彼らにどんな思いが脳裏に浮かぶのか。

「ぐぅぁあっ、う、うでがぁ！」

「なんだよ！　なんなんだよこいつらッ！」

ぼとりと生々しい音を立てて落ちた腕と滝のように流れる赤黒い。それは持ち主だけでなく、周囲の人間にも恐怖と不安を植え付ける。

突然壁から生み出されるように出現した魔族。死刑執行人のような狂気的な風貌の魔族が持つ武は、決して手れされたものではなく、春樹の腕は切られたというより、力ずくで捥ぎ取られたようにじる。

春樹は切斷された、肩口から骨をそぎ取られた傷口を左手で押さえる。

指の隙間から溢れる。上腕骨のいと三角筋の引き締まりつつも弾力のあるが、生溫かいをまとって掌の角を刺激する。

彼は抗っていた。親に反対されようとも、自らの夢をかなえる為、努力し行してきた。

強く、逞しく、真っすぐで、漢らしかった坊垣春樹は、跪いて恐怖する。

なくなった利き腕は、ボールを持つことも、包丁を握ることも葉わない。親に用意された料理人の道も、自ら作り出したラグビー選手の道も、一筋縄ではいかなくなり、そして葉うことはない。

――何故なら彼はここで死ぬのだから。

「ぁ……ぁぁ……ぁぁあああああッ！！」

釘町朝日はその手に握りしめられた刀剣を振り回す。それは従來の型通りの剣ではなく、棒を渡されどものようにがむしゃらで弱々しい太刀筋。

恐怖と焦り、不安というが彼のを委させ、こんな狀況だからこそ絶対に停止させてはいけない思考を、あっさりと停止させる。

そして――

「――ぇ？」

そんな間抜けな、聲にすらなっていない、空気がれたかのような音が彼の口から出てきたとき、肘から先が接合部分から溶けるように地面に落ち、その景と痛みを脳が捉える頃、聲を上げるよりも先に自らの違和に気付く。

右脇腹から左肩にかけて赤く上る一筋の線。その線から滲み出る朱のは、重力に従って下へと垂れ、そして――

「ぃ――いゃぁぁあああああッ！？」

その線を境に彼のはずれ落ち、仁王立ちの足は後から崩れ落ちる。

耳に響くような甲高い恵実の悲鳴は窟反響する。から零れるように姿を現す臓、によって汚れた白い背骨と肋骨、きょとんとした顔で直した好きな人の顔。

彼の心が破壊されるには、瞳に映った景だけで十分だった。

彼は苦しんでいた。過去のトラウマが、彼の大好きだったものを奪っていた。

こうして見ると彼のは細ながら逞しかった。

過去のトラウマから一度はその道を閉ざしたものの、結局諦めきれなかったのがそので示している。

そして、そのトラウマも過去のものとしてけれ未來を生きようとしていた彼は、おそらくこの先、釘町朝日は立派に夢を葉えるだろう。

だが、そうなる事は決してない。

――なぜなら彼はここで命を落とすのだから。

「……」

もうどうしたらいいか分からない。

目前に広がる景は、彼の神を容易に砕いた。

最初は興味を持っただけだった。敵チームの一人。突出した才能の持ち主でもなければ、容姿ばかりの男でもない。

ごく普通の中學生の男の子に、自然と目が吸い寄せられていた。

そして高校生になった時、彼は再び彼と再會した。まだ中學の頃の面影を殘しながら、し大人っぽくなっている朝日。

神格高校の、それも選抜クラスという場で再會するなど、運命と言わず何というのか。

彼は自然と彼の傍に足を運んでいた。

「……」

彼は願っていた。朝日が野球を辭めたと知った時、彼の瞳に映る釘町朝日という存在はし悲しく、小さく見えた。

けれど、そんな彼を放っておく事はできなかった。彼が過去の事で苦しんでいるなら解放したい。もっとずっと彼の傍で、彼の近くで、彼の大好きだった野球をしている姿を、この目でもう一度見たかった。

そして彼は見事に彼の過去を、心を塞いでいた殻を破り、彼は未來を歩こうとした。

あとは共に、隣を同じ歩幅で歩くだけ。

だがその足が共に歩き始める事はない。

――なぜなら彼はここで息絶えるのだから。

「――ッ！　……あ……さ、ひ……」

彼の元から鋭い鋼がを表す。

の滲むそれは、彼のもその刃に吸わせて。

共に歩こうと願った年の名を零しながら、そのを地面に打ち付ける。

絶のを表に浮かべながら。

「なろっ！　テイミー【変化】！」

「キュルルルッきゃいっ！」

最上の掛け聲と共に、テイミーはその姿を変化させる。小さなドラゴンは、こそを巨大化させ、赤い瞳は鋭く釣り上がり、牙と爪は鋭利な刃となって――そので地面を赤く汚す。

「テイミィィイ！」

先程までその聲を聞かせていたドラゴンは、一塊の棒によって潰される。

巨大な棒の下には、で汚れた空の羽が散らばっている。

彼は涙ながらにんだ。この世界に來て共に過ごした戦友は、ほんの數秒で塊へと化したのだ。

そして、いくら契約獣が死のうとも、敵はその攻撃を止める事はない。

「けぇぇぇんっ！　っあぅ！」

パートナーの死を絡む最上の背中を、一の斧が襲いかかる。

耳に響くび聲は、自分の名を呼んでいて、振り返ると同時に最上のは浮いたように吹き飛ぶ。

頭を打ち付け、痛みに目を閉じてしまうが、元にじる溫かみに、彼の目は開かれる。

「健……だい、じょうぶ……」

「ぁ、ありが――ッ！」

抱きつくように、健のは包み込むの溫もり。だがそれは、溫やのものだけでなく、の背中から溫かくも生々しいによるものだった。

「燈！　しっかりしろ！」

彼の背中には、深い傷跡。例え助かっても消えることのない、永遠の傷がその小さな背中に刻まれていた。

痛いはずなのに、人の心配などしている余裕などないはずなのに、彼の第一聲は、最上健の安否だった。

が消えていき、ピントの合っていない瞳は、それでも最上を映そうと必死にき、口端から垂れるは、次第に量を増すが、その口は僅かに笑みを刻んでいて。

「け……ん……」

その言葉を最後に彼の鼓は靜かになった。

眠るように彼の魂は消えていく。

彼にとって最上健は救世主であり憧れだった。失敗や恥を恐れず、自らの魂をそので表現する。例え下手くそと馬鹿にされようとも、哀れなコメントを送られようとも、彼はギターを手に取り、彼に勇気を與えていた。

そして、彼は巡り會えた。顔など見た事がないのに、彼のギターを聞いた途端、心に引っかかる何かをじた。

それは過去に自分を幾度も救ってくれた音であり、こうなりたいという願を表したものだった。

彼はんだ。彼の隣に立ちたいと。たとえ彼が好意を抱いているのは、自分ではなく親友だったとしても、それでも彼は彼の隣に居たいとんでいた。

だがその足が隣へと歩む事はない。

――なぜなら彼はここでその足を永遠に止めるのだから。

「……ッ――ぁぁぁああああっ！」

最上は立ち上がり、足元で転がるの手に握られた槍を持ち、ただがむしゃらに、やけくそに、彼を斬り殺した敵へと突っ込む。

彼の恨みの一突きは、敵の心臓にえぐりこむ。

だが、の壁に吸い込まれるように、槍は奧にも手前にもかず――

「――ぐっがぁ！？」

敵の斧、の命を奪い、今まさに彼のを吸ったその斧が、最上の首から左脇にかけて振り下ろされる。

が割かれ、骨は絶たれ、吹き出したは彼の顔を自ら汚す。

彼は訴えていた。自分を見てほしいと。彼の意識はただ一人、西願寺皐月へと向けられていた。その相手は自分とは違う人を意識していると分かりながらも、自らの技で、磨き上げて來たギターで振り向かせると。

自覚はないがそれはなくとも一人は救っている。

彼は正直に、純粋に自分を表現して來た。そしてこれからも、隣に居場所を求めた燈と共に歩き出そうと、強く思った。

だが、彼は二度と自分を表現する事はない。

――なぜなら彼はここで罷るのだから。

「ぃゃぁ……」

逃げなくては、抗わなくては殺される。そんな事は分かっている。だが彼のは小刻みに震えるだけで、一向にかない。

筋が固まり、神経が遮斷される覚。

恐怖、狼狽、恐慌――止まった思考回路が生み出す言葉はどれも同じ。

ただひたすらに死への恐怖。

そんな彼にも、敵は容赦なく襲いかかる。

両腕に持った鉈を本能のままに振り下ろす。

その鉈はの顔へと襲い、青年の背中を切り裂いた。

「は、春樹ぃ！」

「よう柑奈……無事……か……」

小柄なを包み込むは、片腕無き青年の。失により瀕死の彼は自らのを盾にを守り、その人生に終止符を打った。

目の前で人が死んでいく。大切な人が次々と死んでいく。

顔面に浴びた春樹のはまだ溫かく、彼が生きていると錯覚しそうになる。

彼はけれた。自に溢れ、努力し行し、その小さな背中に人を引き寄せけれていた。

自分第一の様に思えて他人の事を常に気にかけている。彼の無垢な笑顔に救われた一人に優希もいた。

だからこそ、疑問に思った。

――何故僕を見捨てたのか、と。

柑奈は揺れる瞳で辺りを見渡してようやく気付く。

ただ一人、この地獄の様な場所でたった一人だけ襲われていない事に。

他人事の様に仲間が死ぬ様を見守る白髪の年の元へと、震えるだけの足はいた。

そして縋り付くように、年の足にしがみつき、

「なんであんたはなんともないのよ！　何よここどういう事！　ねぇなんか言ってよ！」

を被った顔に流れる涙は、とわって落ちる。

そんな彼の表、いつも明るい笑顔の表は、困、揺、疑問のに染まっていた。

そんなに彼はコートのポケットから一つの石を取り出して、足に縋り付く柑奈の目にれんばかりに見せつける。

蒼く輝くその石は、柑奈の瞳に映り反する。

「この輝石は魔除石まよけいしって言ってな、これを持ってると魔族は味方と認識して襲ってこないんだよ。まぁ持続時間は後數分ってところだけど。現にここに來た君は襲われてないだろ？」

「なんで……そんなに冷靜なの……まるでわざとここに……」

震える聲は認めたくないだからか。

だが彼の想像を白髪の年は笑みを刻んで肯定する。

「君の予想通り、俺はわざとここに連れてきた。お前らに復讐する為に」

何を言っているのか分からない。なんの恨みがあって彼はここにいるのか。

その疑問は極限狀態の今、容易に表で現れる。

「ぁあ、そういえばまだ解除してなかったな」

優希は自らの顔を手で覆う。が抜け落ちた様な純白の髪は黒く変化し、郭などもしほっそりとしていく。

燃える様に輝く緋の目は、髪同様の黒に侵食されていく。

そして、その姿を見たとき、柑奈のは引き締められ、空気のれる音の様な聲で、

「さく、らぎ……あんた、生きて……」

「へぇ、こんな早く僕が死んだって報いってんのな」

優希の顔を見た途端、彼の目的が復讐という事に僅かながら理解した。

彼は引き締まったを無理やりこじ開けて、ぶ。

「仕方なかったのよぉ！　あんたに関わったらカンナ達が標的になる！　ああするしかなかったの！」

彼にも事があったのだろう。だが優希にそんな事は関係ない。彼の中にあるのは、彼達は自分を見捨てたという事実のみ。

「あんたにした事は謝る。償いならなんでもするから、お願い……助けて」

一人だけ助けてもらおうという醜いものではない。彼は一度死んでいる。春樹がいなければ死んでいた。救われた命、彼には生きなければいけない理由が出來ていた。

その為には友達を殺した相手にでも助けを乞う。それが最善と知ったから。意地もプライド捨て、恨みと憎しみを、を噛み締めて押し殺し、助けてと願う。

そんなに、優希は片膝ついて彼に顔を近づける。

お互いの瞳にお互いの顔が映り込む。

「古家達は僕の初めての友達だった」

ずっと一人だった優希にできた、最初で最後の友達だった。

「君の笑顔に僕は救われていた」

行を起こす事が苦手な優希の手を、柑奈は常に引っ張ってくれていた。

「あれほど楽しい時間を過ごしたのは初めてだった」

両親を失い、妹と二人きりになった時、優希の苦しく寂しい時間を埋めてくれたのは、紛れもなく彼達だ。

「けど……君達は僕を見捨てた」

助けてしいと願った。救ってしいと手をばした。あの時彼ら彼らが優希の聲を聞いてれば、差しばした手を取ってくれたならば、優希は苦しむ事はなかっただろう。

負の連鎖は止まっていただろう。だが彼らは関わらない事を選んだ。

友達だと思っていたのに。彼らには助けるだけの力があったのに。

今までの楽しい時間は噓だったのか。友達だと思っていたのは、優希だけだったのか。

「僕なら君を救う事は出來る。けど、君達が僕を見捨てた様に、僕も君を見捨てる」

「っきゃぁ！」

足元に縋り付いていた柑奈を、蹴り飛ばして突き放す。

魔除石を持つ優希から離れた柑奈は、途端に敵として認識されて、周囲の魔族がにじり寄る。

「君が今抱いてるのは、僕があの時、見捨てられまた一人になった時に抱いただ。今更謝っても過去は変わらない。過去の自分が選んだ道に後悔しながら、絶しながら、恐怖しながら――」

魔族の武は、地面に倒れるに標準を合わせる。

それは釘町朝日、相須恵実、最上健、谷燈、坊垣春樹の命を奪った道と、それ以外の人間をも殺して來たが滲む武の數々。

死を無意識に自覚したは、聲を出すわけでもなく、ただひたすらに優希を見つめて、

「死んでいけ！」

若き生涯に終わりを告げた。

全てが終わった時、優希の目に広がるのはの海と、無殘に切り裂かれた塊だった。

初めて知り合いを死に導いた時、優希には初めてのを抱きつつある。

喪失など微塵もじない。そこにあるのは、心のメッキを剝がしたかの様な清々しい気分のみ。

魔族は周囲に敵がいなくなったのを確認し、死となった彼らのを貪り、を飲み干して綺麗にしていく。

彼らはそれぞれ違う人生、濃な時間を過ごしていたのだろう。優希とてそれは違わないが、彼らは優希とは違う時間を過ごして來た。

けれど、どんな人生を送っていようと、死ぬ時はただひたすらに、

「呆気ない」

その一言だった。