《聲の神に顔はいらない。》393 運命の日 28

先生が戻ってオーデションは再開したんだろう。順調に呼ばれては戻ってくる。そのペースも次第に早くってるような気がする。でも時々、なかなか時間がかかったりしてて、そんな時は、周囲からも「もしかして結構いいじ?」とかそんなじで見られてた。

だってやっぱりすぐに終わると、それだけあっさり終わったのかなって思われる。別に悪いわけじゃないとは私たちはわかってる。順調にやれれば、それこそ何回もこういうオーデションを経験してる聲優ほど、こういうオーデションは何事も無ければ、それこそすぐに終わる。

だって事務所と自分の名前を伝えて、そして臺本を片手に練習してきた役のセリフをし喋るだけだ。だから本當なら、時間がかかるものじゃない。だって、先生たちや監督さんのような制作スタッフ側から喋っくるってのは珍しいからだ。

まあだからそれが來たら、「おや」と思うし、時間がかかったらそういうことがあってるのかって思う。

普通に新人っぽい人なら、ただ慣れてないだけで、そういう時は、々とスタッフが気を使って説明とかしてくれるから、その分時間がかるる。まあけど、こっち側にも、そして制作側にも、時間は有限であって、いつだってアニメの現場はゴタゴタとしてる。だからこそ、聲優のオーデションだけ時間を掛けるなんて破ってられないわけで……でもだからって蔑ろにされるてるわけはない。向こうだって必死だ。私たちだって、そのアニメの出來を左右してると、自負してるしね。

確かにアニメは作畫が注目されがちだ。それは間違いない。最近、作畫崩壊をワンクール全話でやらかしたアニメに主演した私としても、それは否定なんてしない。というかできない。

私はあのアニメでも必死に全役をやりきったわけだけど……やはり聲だけで、全てをカバーするなんて事はできなかったと思う。まあ最期の方はネット上では『聲だけで想像したほうが面白い――』なんて言われてリしてたから、ある意味でありがたかったけど……でもそれだけ。私は結局、聲だけであの作品を救うことはできなかったんだ。それが現実だ。

私の自分の聲に絶対の自信を持ってるし、これしかない。でもそれでも駄目なのも確かで……やっぱりアニメは相乗効果を出してるんだと思う。作畫と演出、そして音楽と、私たちの聲……それはきっと足されてるわけじゃない。

名作と呼ばれる作品達は、それらが互いに反応しあって、ありえない相乗効果をだしてる。倍乗くらいにはきっとなってる。

「靜川秋華さんお願いします」

そんな聲が聞こえてきた。既に淺野芽依もオーデションをけて、かえってしまった。宮ちゃんも、他の仕事があるそうだ。田中さんは戻ってきてまだ居てくれる。それに本郷さんも。後は此のグループでは私だけ……なんか嫌な予がする。

これまでの経験上、靜川秋華と一緒のオーデションに來たときって、なぜか私が靜川秋華の後に呼ばれるんだよね。

(いやいや、まさかそんな……)

とは思ってるが、なんか嫌な予がする。

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