《聲の神に顔はいらない。》403 運命の日の後 『完』
その日も別段、いつもと変わりない朝だった。既に大分寒さは和らいでいて日によっては時々汗ばむような日があるくらいだ。
私は自分の部屋(六畳一間)でパタパタと慌ただしくいてた。珍しくエプロンなんかして、コンロと向き合ってる。そしてレンジもぐるぐると食材を溫めるために回ってる。さらには元気ケトルではお湯を沸かしてた。
フライパンではハムと卵が焼かれてる。
(今日はうまく卵を割れたぞ)
いつもはグチャッてなって結局スクランエッグかな? とか思うくらいになるけど、今日はうまくいきそうだ。蓋をしてちょっと待とう。
そうしてる間に、チーンというレンジの音が聞こえてきた。
「あちち」
と言いつつ取り出したのはパックご飯だ。一応炊飯だってある。けど毎回炊くのは面倒だし、何よりも私はそんなにたくさん食べる方ではない。たくさん炊いて纏めて冷凍が効率的にはいいんだろうけど、そこまでできない。だから便利なパックごはん。
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確かにパックのままなら味気ないが、ほらこの通り、茶碗に移すだけでテンション上がる炊き立てご飯に早変わりである。
スマホのタイマーが鳴り出した。私はフライパンに向かって蓋を取る。ベーコンの焼けた匂いが鼻腔をくすぐってくる。そして綺麗に丸まった白がベーコンを包み込み、中心には黃が鎮座してる。
「うん、上出來だ」
私はそう言ってフライパンを持ち上げる。そして用意してた皿に移そうとする。
「うん、あれれ」
なかなかに落ちないな。私はとりあえずヘラをフライパンと料理の間に差し込む。すると引っ掛かりがとれてスルッと行ってぺちゃってなった。
「あっ」
それは全てが遅いことを意味してた。
ピロピロピロ――
という音がスマホからなる。私はなんとか食事を済ませて、家に鍵をかけてるところだった。ガチャっとカギをかけて、スマホを確認する。それはマネージャーからだった。
『ちゃんと起きてるか?』
「なんですかそれ? 私が仕事に遅刻したことありました?」
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『ないが、一回目が今日にならないともかぎらないだろう?』
「どれだけ運が悪いんですか私は……」
『悪いじゃないか』
「……」
否定できないな。確かに私は昨日なかなか寢付けなかった。なぜなら、今日は私の初めてのイベントなのだ。いや、私の……というのは間違ってる。私が個人でイベントをやることはない。私自のね。
今回のイベントはアニメのイベントだ。あのオーディションから既に一年とし経った。私はまだ聲優を続けている。それは別に靜川秋華の影としてじゃない。
私は『匙川ととの』として、堅実に仕事をもらって聲優として生き延びてる。そして今日のイベントは、ちょっと前に放送終了した私が出演してたアニメ『異世界行き拒否家族』のイベントである。
アニメ放送終了後の初イベントということもあって、もしかしたらここで二期の発表があるんじゃないかっていう予想とかでネットの方では盛り上がってた。そして私も今回のイベントのためにこうやって早々と準備をして家を出発してるわけだ。
『とりあえず遅れないのならいい。そういえばこの前のオーデション、合格したと連絡があったぞ』
「本當ですか!? ありがとうございます、頑張ります!」
私ははきはきとそういうよ。前は歩く時も下を……地面を向いて歩いてた。けど今は私は前をまっすぐに向けるようになった。上を見てもいい。青空が広がってて気持ちいい。東京の空気は悪いというけど、青空が広がってるだけで、とてもさわやかな気分になる。
それにし暑いと言ってもしだ。風が吹けば溫を下げてくれて、気持ちいい方が勝る。こんな快晴な日にイベントとはむしろ私には運が向いてるとみていいね。
こうやって前を向くと、実際は誰も自分なんて気にしてないと気づく。前は視線が怖かった。私は不細工だと自覚してる。だから恥ずかしいと、誰かが私を見て笑ってるんじゃないかといつだって思ってて、顔を上げられなかった。
でも私は一つだけ絶対に自信があるものができた。まあ前からそれはあったわけだけど、いうなれば、それは自分の中でだけのものであって世間に認められてはなかった。
だから外に出す自信にまでなってなかったんだと思う。けど今は、私は自分のことを聲優と自信を持って言えるだろう。私は先生のアニメの後もちゃんと仕事が取れるようになってた。
私の聲は聲優界隈では有名になってくれたのだ。だから私の顔出しNGなところも分かったうえでオファーが來たりする。そしてオーデションではちゃんと私でも……そうこんな私でもこうやって合格がもらえるようになった。
とうやら私の出るアニメはクオリティに本気だとオタク界隈では思われるようになったらしい。まあ実際、本當に聲優売りしたいアニメでは私なんか使われないからね。
間違っちゃいない。作品として完度を求めるとやっぱり聲優にも実力者的な人は必要で、そこで私は結構白羽の矢が立つ。
とてもありがたいことだ。
『それにしても、お前がイベントとはな』
「最近の技のおかげですね。だって私が出たら絶対にファンはがっかりですもん。しかも今日は靜川秋華だっているし……宮ちゃんも」
流石にその中に私が並び立つって……想像しただけで死蹴りだよね。そうなのだ、私は今、アニメイベントに向かってる。オーディエンスではない。出演者でだ。イベントNGのはずの私がなぜってなるだろう。その種はちゃんとある。でもそれはまだ……でも私だって一応さらにオシャレに気を遣うようにはなってる。
ぼさぼさだった髪はしっかりと解かしてなるべく纏まるようにしてるし、酷いところはピンで抑えてる。まあなんかピンが多くなってるけど……前よりは全然清潔出てるはず。それに前髪も片目だけ出してるのは変わらないけど、実際はちゃんと両目で見えるくらいにはなってる。目を隠してる前髪もわずかに短めにしたし、すいて目がけるようにはなってる。
さらに服も前は茶や黒しか著なかったけど、今はもっと明るめのもきてる。ミニスカートとかは無理だから、基本ロングスカートだけど、春らしい合いだ。
それでも私は自分が不細工なことは嫌というほどしってる。だからやっぱりアニメを好きな人たちの夢を壊したくはない。私の顔面はきっと夢を壊すだろう。それこそ靜川秋華や宮ちゃんくらいの顔面偏差値なら夢を壊すことはないと思うが、私では無理だ。
それに私は聲だけで……そのスタンスを崩すつもりはない。
『とりあえずイベントに參加するのは初めてなんだから、楽しんでくればいい』
「はい」
マネージャーはそう言って電話を切った。私は駅にり電車に乗った。それから現場に數十分かけてついた。すでに會場の設営とか機材の設定とかしてるスタッフはたくさんいる。
やっぱりイベント會場となると、いつもやってるスタジオ収録なんかとはスタッフの多さも熱気も違う。私はスタッフの一人に案されて控室の方へと連れていかれる。
そこで今日共演する皆さんとあった。今日はアニメに出演してた人たちはもちろん、監督や原作者である先生も現場に來てる。々と裏話とかする予定なんだろう。
「ととのさん!」
そういって宮ちゃんがだきついてくる。この子は本當に……うん、いい匂いする。の匂いだ。
「せんぱーい、おそいじゃないですかぁ? 調子乗ってますぅ?」
「乗ってないから。宮ちゃんくらい売れたら調子に乗るかもだけどね」
「それは私くらいって言ってくださいよ~」
淺野芽の奴はあざとく頬を膨らませて可いアピールを周囲にしてる。私を出に使うなと言いたい。けどこいつはいつもこうだからね。諦めた。
「私なんか全然ですよ」
照れながらそういう宮ちゃんだけど、宮ちゃんで全然なら、大半の聲優がミジンコになる。なにせ最近ソロデビューとかしてるし。一人でツアーとかやる予定だし……アイドル聲優の王道街道をこの子は突き進んでる。ポスト靜川秋華の最有力候補だ。
そしてそんな若手が迫ってる奴は……
「おはよう匙川さん」
「はい先生……おはようございます。えっとそれは……」
なんか先生にへばりついてる靜川秋華がいた。
「また先生に迷をかけてたんですか?」
「それはまあ……」
靜川秋華と先生のことは実はスキャンダルになってしまった。まあ我慢できなくなった靜川秋華が先生の家に押しかけてたらそこを週刊誌にパシャッとね。
よもや靜川秋華もここまでか……なんてなったし、先生も人気聲優とのスキャンダルで一時期かなり炎上して、これはアニメもやばいのでは? てなじだったが、まあなんか収まるところに収まったじだ。
普通の聲優……いや蕓能人なら部屋に行っただけとかなら「お友達」で通すだろう。けど靜川秋華は違った。なんと釈明會見で……いや、聲優がわざわざ釈明會見をすること自が初だったけど、それだけ靜川秋華は人気者だったのだ。
まあその釈明會見で靜川秋華は普通に開き直ってをんだ。
「私は先生のことが好きです。してます。それの何がいけないんですか? 私はファンにも謝してるけど、そのと先生へのは違います。だからこれは誰にも否定されるものではないとおもってます!
だから私は先生を好きということをやめるつもりはありません!!」
とかだった。まあ炎上したよね。でもそれは批判ばかりではなかった。はっきりとしたことを言ったことへの稱賛とかもあった。そして今はこうだ。なんかもう業界では公認的な? ファンとかももうそんなじだし、むしろ「いつ結婚発表するんだ?」的な空気である。
もちろん靜川秋華の人気は一時的に落ちただろう。でも、結局はまだトップにいる。靜川秋華とはそういうやつなのだ。私は先生にへばりついてる靜川秋華に近づいてこういってやった。
「あんまり迷をかけてると想つかされるよ……」
「あら、ととのおはよう」
なんかシャキッとして自分でたちあがった靜川秋華。どうやら効いたみたいだ。
「すごい……あの靜川秋華を……」
とかなんか現場で私の評価がちょっと上がる。てか私、靜川秋華の手綱役に呼ばれることもある。結局なんかバーター的な事がある気がしないでもない。
でもまあ、今はバランス的に丁度いいから不安はない。出演者も揃ったら、最後の最終確認とかをする。そして本番まで張のひととき……とか思ったけど、案外みんなしゃべってる。
皆はこれから人前に出るのに、人前に出ない私の方か張してる。
「匙川さん、いいですか?」
「はい」
私は一人場所を移する。私には出演とは別の役割があるのだ。その時、先にちょこっとだけ、ステージをみさせてもらった。最終リハの時も見たけど、やっぱり観客がってると空気が違う。なにせここに集まった人たちはわざわざ今日出演する自分たちを見に來たんだ。それにここだけじゃない。
今日の配信はネット配信もされてる。だから実際はもっと多くの人達に見られてる。私は自分の脈が速くなってることに気づいた。
私が連れてこられたのはこじんまりとしたスペースにマイクとモニターがある場所だ。簡易収録ブースみたいだが、まあ間違ってはない。そして複數のモニターにはイベント會場のカメラやステージ上のカメラの映像がさらに配信サイトの映像も表示されてる。そして別のモニターにはCGで作られた可いの子。
そうなのだ、私は今日、この子になって出演する。私はこの子に聲を當てることになる。この子はステージ上のモニターや、配信サイトの畫面に出てきて、司會進行を務めるのだ。
その聲が私だ。まあというか、この子自が、アニメで私が演じたキャラをモデルに作られてる。まずはちゃんとくかどうかを確かめて、彼の口と私の口が連とかするのを確認して、なんかカメラで読み取って表もつけてくれる。
実はこれが一番苦労した。だって私薄いって言われる方だからね。ちゃんと認識されるにはそこそこオーバーにリアクションをする必要がある。それがなれなかったけど、一生懸命特訓したのだ。
『それでは本番いきまーす』
そんな聲がマイクを通して流れてくる。私は皆さんと違う場所にいるからね。マイクと映像で狀況を確認しつつ適切なセリフをしゃべらないといけない。そしてこのイベント、まずはこのキャラのお披目からいくから私が最初に聲を発することになる。
私は心を落ち著かせる。意識して落ち著けるものじゃないが、マイクの前に立つとスッとり込める自分がいる。
「みんなガンバロー」
「おーー」
「はーい」
「りょかーい」
とかバラバラな聲もマイクにってきて、向こうは円陣でも組んでるのかな? わからないけど、私も心の中で「おー」と言っておいた。そしてステージのモニターに映像が流れだす。私はタイミングを計りつつ息を吸い込む。そして自慢の聲を発した。
私はきっと、本の聲優に一歩近づいたと、今は思ってる。観客の歓聲がここまで屆いてた。
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