《曹司の召使はかく語りき》2話 仕事の話
私の一日は、まず寢ぎたない主人である、哉様を起こすところから始まる。
次男ゆえに跡取りではないが、將來は大企業の一端を擔う人材として優秀な私の主は、朝が弱い。もう一度言うが、本當に弱い。
大學二年生になった主は、講義や會社との仕事、友人たち(主に)との流に忙しい。たまに帰ってこない時もあるが、ほとんどは自分の部屋に帰ってきて寢ている。
起こせと言われている時間ぴったりに私は哉様の部屋の前に立つ。
こんこん、とノックをして外から聲をかける。ちなみに、返事が返ってくるときは寢る間を惜しんで読書やゲームをしている時か手伝っている仕事を片付けている時だ。要するに、貫徹している狀態。
「哉様、おはようございます。朝でございます」
聲は聞こえない。いつも通り、睡している様子である。どうしてご自分で目覚ましをかけずに寢ているのか。ぜひとも目覚ましをセットした上で起こしに來いと言ってほしい所である。
「哉様?――…、りますよ、ゴシュジンサマ」
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らちが明かない、とため息を吐いて私は部屋の扉を開ける。
昨日掃除をしたばかりの部屋は綺麗なまま、部屋の奧の大きなベッドで私の主である哉様はすうすうと穏やかな寢息を立ててベッドに沈み込んでいた。
相変わらず、綺麗なお顔だと思いながら見慣れたその人を、そっと揺さぶる。
「哉様、哉様。おはようございます、朝でございますよ」
「…………、う、るせ…」
「申し訳ございません、哉様。ですが哉様がお命じになった仕事ですので」
「…………あと、24じかん……まて」
「待てません。明日になってしまいます。朝から授業があるのでは?」
うう、といううめき聲をあげながら哉様は寢返りを打った。ころん、と私の方を向いて薄ら開いた目で私を恨めし気に見上げてきたので、そっと目にかかっている前髪をはらった。
「おはようございます、哉様。朝の支度をしてくださいませ、食事が冷めてしまいます」
「……ねむい」
「あと、樫木昴様がいらしております」
「…ああ?昴?なんでまた」
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樫木昴、という単語に目を開いた哉様は起き上って髪のをかき上げながら唸った。樫木様は哉様の馴染のような方で、星城家とは家族ぐるみの付き合いをしている。
樫木様は、軽薄なプレイボーイだ。――失禮、との流を大切にされている人である。王子様のような容姿に穏やかな口調、星城哉様を和とするなら樫木様は洋のしさを持っている。
お早く支度をお願いいたします、と一歩下がって頭を下げる。哉様は大きくびをしてベッドから降りた。春とはいえ上半なのはどうにかしてほしい。風邪を引いたこの方の看病をするのは私なのだ。
著替えるためにベッドから離れた哉様に背を向けるようにしてベッドを整える。
星城家は家族仲はいいが、なにぶんそれぞれが忙しいので朝晝は各自で食べ、夕食はなるべく家族でというルールがある。なので、旦那様と奧様は一番先に食事を済まされ、次に東輝様(哉様の兄にあたる人で跡取りであるので、実に多忙。優しいお兄ちゃんタイプ)が、そのあと藤賀様(高校二年生になったばかりの哉様の弟。明るく元気な育會系)が食事をそれぞれとり、最後が哉様という変わらない順番が、私が哉様に仕えるようになってからずっと続いている。
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「ナギ、俺の攜帯とってくれ」
「かしこまりました」
ベッドサイドで充電されていたスマートフォンをそっと持ち、著替え終わった服類の代わりに手渡す。後ほど本業のメイドさんたちに渡せば、私の仕事は終わりである。
――私の仕事。
私は星城家ではなく、星城哉様に仕える召使なので、基本的に哉様のの回りの世話を言付かっている。と言っても、スケジュール管理はご自分でされているし、いずれ執事が付くだろう。私が任されているのは、朝彼を起こすこととこまごまとした雑用、日中は自分で勉強をしたり星城のメイドさんたちの手伝いをしたり、お使いに走ったりと、要するに哉様の雑用係だ。これで三食おやつ付きに加えてお給料ももらえるという破格の待遇。分も何もない私にとってこれほどに安全で幸せな職場はない。
そして、哉様の気分転換に付き合うというのも仕事らしい。気分転換は気まぐれだ。ドライブの時もあれば、買いもあるし、スポーツでもあるし旅行でもある。その時の気分で決まる。
學生という分に加え、次男という気安さもあるのだろう。けれどいずれは兄である東輝様を支える人間になるという意思はあるらしいので、仕事もしずつ手伝っているようである。
ちなみに、私がにまとうメイド服は星城で他の方が著ているものとは別の、哉様が作らせた特注品のらしい。別に、一緒でいいと最初は言ったのだが、自分だけの召使だと區別しなければという理由で違うものになった。
クラシカルなメイド服は落ち著いたオリーブ。白いエプロンをかけて、ばせという命令でばしている黒髪は後ろでざっとまとめている。
「本日の朝食は、トーストにオムレツ、ポタージュスープに溫野菜サラダとなっております。昴様はお食事は済ませてこられたそうですが、食堂にお通ししますか?」
「…そうだな、そうしてくれ」
「では、私は昴様をお迎えに行ってまいります」
抱えた洗濯を置くついでに、と哉様の部屋の前で別れる。哉様は食堂へ、私は応接室へ。
洗濯をメイドの先輩たちに渡し、応接室のドアをノックする。最初、星城の家の中が広すぎて迷ったものだが、さすがに今は迷うことなくたどり著ける。走らないように、優雅に、けれどお客様をお待たせしない速度でたどり著いた応接室では、ソファに緩く腰掛けた樫木昴様が優雅にティーカップを傾けていた。さすが洋風、王子様然とした所作がよく似合う。ちなみに私の主は和室がよく似合う。
「お待たせいたしました、昴様」
「待ってないよ、ナギちゃん。今日はあまり苦戦しなかったみたいだね、哉は食堂?」
「はい。お迎えに上がりました」
じゃあ行こうね、とティーカップをかちゃんと置いた昴様が立ち上がり、私は扉を開ける。センスのいいシンプルな格好の昴様が通り過ぎると、爽やかなコロンの香りが漂った。のツボをよくつく香りと格好ですね、と心呟きながら私は昴様の後ろに付き従った。部屋の片づけは、通りかかった先輩メイドさんがすがすがしい笑顔で取り掛かっていたので、一禮しておく。星城家に関わる人間は、もれなく仕事が早い。
「ナギちゃんは今日はどうするの?」
「私は他の使用人の手伝いをと思っております。そのあとは哉様から課題を出されておりますので、それを」
「哉が課題?」
「恐れ多いことですが、容赦なく宿題が出されております」
全くだ。使用人に対するものではないだろう、と思うが、高校に通っていない分それ相応の知識を得られるのは有難い。自分の部屋ではなく、日中は使用人の休憩室で課題を片付けているので、他の使用人さんや執事さん、調理に攜わる人たちから教えてもらっている。みんながいい先生である。たまに、見つかると、暇なときは東輝様や奧様、藤賀様が嬉々として教えてくれる。どうやら、家庭教師のような真似事が楽しいようだ。
旦那様はどちらかというと休憩にってくれる。そっと渡してもらうお菓子は味しくて、隠れて食べている。あまりおおっぴろにして他の使用人さんを不快にしたくないので。たぶん、知られてはいるだろうけども。
課題を出す哉様は終わりました、と報告すると答えをくれるので自分で採點する。採點が終わったらまた次、という順に私は著実に高校生と同じ學力を手にれつつある。
――ちなみに、哉様が大學の課題をするときや仕事をするときに、夜な夜な呼ばれて一緒に私も自分の宿題を片付けているという、不思議な構図が出來上がることが大半であるのだが。
どう考えても、道連れにするためだけに課題を出しているような気がしてならない。
「お兄ちゃんみたいになってきてるよね、アイツ」
楽しげに笑う昴様にはあ、とあいまいに返事をする。
どちらかというと、兄は藤賀様だと思っている。東輝様はなんだか最近チチオヤのようであるし。――もちろん、本人達の前では、言えないが。
食堂にると昴様はにやにや笑いながら食事を片付けてコーヒーを飲んでいる哉様に絡み始めた。この方たちは、仲がいいのか悪いのか、わからない。
「おっはよ、とーやチャン」
「気悪い聲を上げるな。で?用件は」
「ナギちゃん君のご主人様、冷たいよ」
コーヒーを飲み干した哉様は立ち上がる。
この人たちは背が高いせいもあって、立っていると威圧がある。星城兄弟と昴様が集合すると、きらきらしすぎて目をそらしたくなったものだ。最近は慣れた。
「じゃーん、良いもの貰ったからおすそ分け」
「……映畫観賞券?」
語尾にハートマークを付けながら差し出したチケットをけ取らされた哉様はチケットを読み上げて首を傾げた。
「プレミアム試寫會のチケット、今日の日付のやつを貰ったんだけど今日はデートの予定がっててね。彼は映畫があまり好きじゃないようだし。哉、今日行っておいでよ」
「ああ?R指定モノじゃねえか」
「だいじょぶ、R15だから。海外で話題沸騰のゾンビ同士の映畫だって~」
「…絵面が気悪い」
「それに、ナギちゃんゾンビ好きでしょ」
確かに、ゾンビ映畫は好きだが、仕えている主人と映畫は割と気を使うのであまり好きじゃない。主に周りの視線が鬱陶しい。
ということで、固辭しようと思ったところ、ふんと鼻で笑った哉様がチケットをすっとしまい込んだ。見に行くのか、ソレ。
「ありがたく貰っておく。――ナギ、夕方連絡するから出かける支度を済ませておけ」
そして、私も行くのか。決定か。
だが殘念ながら、私は哉様の決定を覆すほどの熱も権力も持ち合わせていないので、かしこまりました、と頭を下げるにとどめた。
ゾンビがする映畫なんて、ちょっと楽しみに思ったのは緒だ。昴様とデートをする予定をれさせた映畫が苦手な、しだけ謝します。
「昴様、ありがとうございます。哉様、お気をつけていってらっしゃいませ」
「夕食は外で済ませると伝えておけ」
「……ご隨意に」
正直、今日の夕食は私の好きなオムライスだというので楽しみにしていたのだが。
傍に立っていた執事さんが、殘念だね、というように私の肩を叩いた。オムライス、と呟いた言葉は颯爽と出ていった哉様と昴様の靴音にかき消されてしまった。
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