それからは、絵さんと二人っきりのときは英語を覚える日々だった。さすがにアルファベットは覚えていたので、ひたすら単語を覚える作業。を指差して「What’s that?」と問う場合もあれば、ベビーシッターの絵さんが「This is a dinosaur」と教えてくれることもあり、順調に単語を頭の中にれていった。

文法については、子供向けのアニメやセXミストリートといったテレビ番組を見ながら覚えることにした。特にセXミストリートは、子供が英語を覚えさせるために作った番組らしいので、その話を信じて時間をかけて覚えていこう。

母がいるときは日本語、絵さんと二人のときは英語といった、日英がり混じった空間で生活を続けていた。もちろん「前世の記憶がある」なんて言うことはできないので、児らしく振舞う。ただし、オムツはすぐに卒業させもらったけどね！

ベビーシッターの絵さんがいるので保育園に通うこともなく、また、近隣で同年代の子供がいないため、母さん、絵さん、僕の3人だけの小さな世界が今の自分の全てだった。そんな日々が続き、語彙はないものの、たどたどし英語を喋るようになった5歳になったある日。

「絵。3ヶ月後にイギリスに引っ越すことになったわ。殘りの期間で準備するから手伝ってしいの。さすがにユキちゃんを置いて二人とも出かけるわけにはいかないから、買いは三人で行く予定よ。」

「次はイギリス？　仕事だとはいえ大変だ。し不安はあるけど、三人で買いするのは賛。ついにユキちゃんと一緒にお出かけ！」

「ええ。今までは、ユキちゃんを連れてお出かけができなかったから本當に楽しみね！　念のため、ボディーガード兼ドライバーも雇ったし安全には気をつけるわ」

「安全第一で行。萬が一でも起こったら大変」

「その通りよ。だから人選にも時間をかけたわ」

一人で本を読んでいると、母さんと絵さんの聲がリビングから聞こえてきた。引っ越しが決まったようで行き先は、どうやらイギリスのようだ。買いするのにもボディーガードが必要なの？　テレビでしか見たことがないから知らなかったけど、アメリカは治安が悪いんだな……。

そこでふと、海外転勤が続く會社とはどんな仕事をしているのか気になったので、母さんの職業について質問することにした。さて、子供っぽく聞いてみるか。

「お母さん。お仕事で、イギリスに行くの？　なんのお仕事しているの？」

「ユキちゃん。お母さんは貿易関係のお仕事をしているの。外國で売っているを買って日本で売るの。分かるかな？」

「うん！」

前世で子育てしていたときの記憶を思い出しながら、絶対に理解していないだろうといった、子供らしい返事をして、不審に思われない程度で會話を終わらす。母親に頭をでられながら、貿易関係というと商社に勤めているのかな？　と々と推測するのであった。

引っ越しするための手続きや買い。逆に売るものを選ぶなど、慌ただしい日々が続いた。外に出かける機會も増えたが、そこはアメリカ。ニューヨークは電車での移も多いと聞いていたが、移はベンツでの移だった。

「ユキちゃん。外には怖い人がいっぱいいるから、母さんや絵から離れてはダメよ。手はずっとつないでいましょう」

母さんや絵さんは目があうたびに、同じセリフを何度も繰り返していた。どんだけ治安が悪いんだよ。アメリカ怖い。

意外なことに、雇ったボディーガード兼ドライバーはだった。頻繁に話しかけてくれたが、訛がひどい上に早口だったので簡単なあいさつい以外は、よくわからなかった。ラテン系の人なお姉さんだったので目の保養にはなったが、仲良くはなれなかった。まぁ、今の僕には関係がないか。

話しかけてくれるときは笑顔だったので、子供が好きなだったのだろう。こんなと結婚していたら、前世ももうし違った生き方・死に方ができたのかな。もう妻や子供の顔も忘れかけてきたが、後悔だけは濃く殘っている。いや、強くなていると言った方が正確だろうか。

そう考えた瞬間に強烈な後悔が湧き上がり、憂鬱な気持ちになる。雲ひとつない天気と反比例するように、心の中は急に曇っていった。

イギリスへ飛び立つ日。今世では初めて人が多い場所である空港に到著。今日の服裝は、ニット帽に長めのコート。髪が肩までびているので、帽子をいだ後に癖が殘らないか心配だ。なぜか急ぐようにファーストクラスラウンジに向かう母親に手を引かれながら移。

歩きながら周りを観察すると、前世では主に男の仕事だった警備をがやっている。

「あれ？　おかしいな」

思わず誰も気づかない程度のボリュームで聲に出てしまった。一度気がつくと不思議と調べたくなるもので、手を引かれながら周囲を観察してみた。すると警備の人だけではなく、付・ドライバー全てだ！

しづつ焦り出した気持ちを抑えつけながら、さらに旅行客も観察する。母親と娘・20代のの集団・老婆。目にる人間全てがだ……ファーストクラスで人はないが、飛行機にいる人間も全てだ。

前世ではむしろ見かける機會が多かった「男」を、今世では見つけられなかった。

確かに、我が家には父親はいなかった。5年という短い人生を振り返っても男に會った記憶がない。もしかしたら「この世にいる男は僕だけなのか？」という最悪な想像が一瞬頭によぎる。もしそうであれば、家から出る機會がなかったことも、母さんが急いで空港を移するのも納得出來る。僕自の髪が肩までばしているのもカモフラージュのためだろうか−−なんとなく「この世にいる男は僕だけなのか？」という疑問の狀況証拠が揃ったようにじる。

だが、僕の知っている人間は、男が存在しないと種として存続することはできない。まさか、前世と同じように見えて実は違う世界なのだろか？　油斷していた。もっと早く、男に會ったことがないという異変に気付くべきだったし、無理してでも報を収集するべきだったかもしれない。

一人で考えても答えは出ない。ここは素直に、母さんか絵さんに質問するべきだろうか？

「なんで、の子ばかりなの？」

いや、ダメだ。5歳児が気にすることではない。この家庭は、心が安らぐ居心地の良い場所だ。この関係を壊したくない。生きる上で致命的な問題ではないだろう。今は聞くべきではない。

結局、イギリスにある新しい家に著いても、男に出會うことはなかった。