僕は帰宅してからすぐにシャワーを浴びて、髪を乾かすこともなくリビングに立ち、調理を始めた。炊飯は煙を出し、自での調理は済んでるらしい。僕自もをかし、もともと刻んでおいた料理を持って調理を始めた。

――僕の従兄弟いとこ、黒瀬瑠璃奈はこう言った。

我々の五は頭と手足、この5つがいていないと人は死んでいる、と。

彼はタブレットとパソコン、攜帯を使い、最大5人とチャット、電話ができる。

僕は彼のような天才ではないし、最大でも両手をかすに盡きる。

2つのを同時にかすには集中力がいる。例えば、人間が2つの事を同時に考える事が不可能だと思えるように。

でも、僕はそれができる。包丁を右手に、左手は箸を持って鍋にあてる。そして次の手順もまた手が別々の働きをしてくれる。だから、7時の家族が起きてくるまでに朝食を作り終える事ができるんだ。

「兄さん」

唐突に響いた聲に、僕はピタリと手を止めた。振り返れば、テーブルの向こう側に1人のが立っている。

腰までびた黒髪、黃緑の寢間著をにつけ、にんまりと笑う。彼は僕の義妹だった。

「……代みよ、おはよう」

「おはよー。今日は何作ってるの？」

「まず、ピーマンと金平牛蒡の和えと、白魚のムニエル……あとはご飯と、あさりの味噌かな」

「ほほぅ……よく作るよね〜。あ、納豆ある？」

「あるよ。それより、早く顔洗って來なよって……」

「はーいっ」

代は僕の言いつけを聞き、元気に洗面所へと向かって行った。代は僕が中2の頃に父さんが再婚したの子供で、家の中を明るくするムードメーカーだ。僕がこういう格だから、逆に義妹が明るくなったんだ。

7時を過ぎると朝食も仕上がり、父と義母も揃って4人の食卓に著いた。テレビが點いて気な番組がしうるさわしく、代が隣でぺちゃくちゃ喋るのを耳にしながら、僕は黙々と食す。

その後は勉強道と支度を整えて高校に向かった。代はまだ中學生で、一緒に登校したりはしない。中學時代も、一緒は恥ずかしいからと斷っていたぐらいだ。

実際は僕の友達に、父の再婚を知られたくなかっただけだが――。

晴子さんは生徒會長だった、なんでも知ってる會長だった。

きっと、気付いてるんだろう――。

◇

電車で3駅の所を下車し、まだ都會だと思えるほど高いビルの立つ景を目にする。定期を1ヶ月買わなかったから、ここに來るのは修了式以來だった。時刻は7字45分、まだまだ早いのにスーツを著た男の人、シンプルな服裝のが駅の出り口からゾロゾロと足を進めていた。

僕はその波に乗らず、まだ誰も同じ服を著た人を見ない通學路を進んで、高校にった。持って著た上履きに履き替えて階段で4階に上がり、1-1の教室へとった。

「――――」

教室の景を見て息を飲む。のが照明となる教室では、いたずらな風がカーテンを揺らす爽やかな景が目にる。

次に、教卓前に座る人に目を向けた。彼は當たり前のようにそこに座し、背筋をばして1ミリも揺れる事なく靜かに佇んでいた。両手に新聞の端を持ち、彼はいつもの笑顔で記事に目を通している。

こんな早朝、誰も居ない教室で神代晴子は學生らしからぬ様子で新聞に目を通していた。小學4年生からか、彼はずっとこんな調子で、昔は僕も読まされたのが懐かしい。

そんな思い出を振り返りつつ、教室に一歩を踏みしめる。ぎゅむっと、しけない足音がして漸く彼は僕に目を向けた。

「幸矢くん、ちょっと來たまえ」

「……？」

挨拶ではなく突然呼び止める彼の聲に、僕は彼の機まで寄った。晴子さんは新聞を閉じ、畳んで機に置く。

「……なに？　早くしないと、他の生徒が來るよ？」

「わかっている。ただ、これを見てしい」

「……？」

彼は、機の中を指差した。僕は不思議がりながらも機の中に顔を覗かせる。機の中を見て、僕は細い目をさらに細めた。……へぇ。

「これは……？」

「心當たりはあるかい？　さすれば相當助かるのだが」

「いや、僕は知らないよ……」

これを誰がやったのか、僕は知らない。

機の中を畫鋲で埋め盡くされてるなんて――ね……。

「……私を嫌う生徒は居ないと思っていたが、表面上の問題か。今一度、キミに誤謬してもらうしかなさそうだね」

「はぁ……ここまで骨を折ったのに、くたびれ儲けだね……」

「いや、果はあった。キミは1月まで、これまで通りに頼む」

「うん……」

話を終えて、僕は自分の機にショルダーバッグを置いた。

前の方からジャラジャラと機の中を掃除する音を無視するように、僕は鞄に向かい続けるのだった――。

◇

晴子さんと會話を絶って、暫くすると教室にチラホラと生徒が見え始める。彼らは決まって晴子さんに聲を掛け、晴子さんもまた挨拶を返した。

この教室は、晴子さんに支配されている。誰もがあのに笑顔で話し、誰もが頭を下げて言う事を聞く。それは彼のカリスマがそうさせたに他ならない。初めは學級委員として晴子さんからみんなに1人ずつ挨拶をしていた。しかし、ある日突然その巡禮をやめると、逆に生徒達から晴子さんに聲を掛けるようになったんだ。

そんな事、普通じゃない。でも、今は誰もがそれを普通と思って彼に挨拶し、彼の言葉を聞く。何故なら彼は、"正義の味方"だから――。

一方、僕に挨拶をくれるクラスメイトは誰1人として居なかった。しかし、こうでなくては困る。僕はこのクラスの俳優・・としての役割があるから。

僕はヘッドホンでスピードラーニングを耳にしながらラプラス変換の公式を暗記をする。脳を2つに分けて考える――それは料理ではなく、勉強や會話でこそ真価を発揮するんだ。何かを同時にできるなら……そう思う人間はいっぱい居る筈だ。僕はトレーニングの末にそれを達したに過ぎない。

教室もガヤガヤ賑わうようになると、漸くHRのチャイムが鳴った。ゾロゾロと席に戻り始める生徒達、その中には晴子さんの姿もあった。

彼はHR前に擔任の所に行って前もってする準備を聞く習慣があり、実に立派な學級委員だった。

擔任もやって來て教室も靜かになるが、先生の後ろからって來た見慣れぬ顔に、僕は目を細めた。その人はこの高校のスカートを履いたまぎれもない子生徒。髪はスカートの下部より下にび、隨分とばしているようだ。背丈は晴子さんと変わらないだろう、160ぐらいか。なかなか発育の良さそうなをしているが、彼の鬱とした風貌が臺無しにしていると思う。

けれど――彼の目は、愉悅に満ちていた。

ずっと、晴子さんの方を向いて――。

「みんな揃ってるな。今日は挨拶をする前に、この転校生を紹介するぞ」

擔任のやせ細った男が黒髪のに手を向け、彼が転校生である事を告げる。の視線は、晴子さんに向いたままだった。

「北野きたのね、自己紹介して」

擔任がに自己紹介を促す。はクラスを見渡し、簡単に自己紹介をした。

「初めまして、皆さん。京西けいせい高校から転校してきた北野椛もみじといいます。人を驚かせることが好きで、さっきもつい神代さんにイタズラしちゃったの。よろしくね」

ニコリと笑って締めくくると、クラスがどよめく。京西けいせい高校は、この県にある、全國でも有名な進學校だ。一方この高校は中堅レベルかそれ以下の心でれる高校――親の転勤があったとしても、賢い人がレベルを下げて転校をしてくるだろうか？

高校生ならアルバイトして一人暮らしだってできるだろうに。

怪しいだった。髪が長く、妖しい笑みを浮かべて晴子さんに目をやり、あからさまに怪しんでくれと言ってるようなものだ。

今朝晴子さんの機にっていた畫鋲――まさか、転校生が――？

そんなのざわめきに悪寒をじつつ、北野というはこちらに向かってくる。僕の隣の席は不運にも空白だったから。

「……あら？」

「…………」

彼は僕の顔を見つけるなり、不思議そうな聲を出した。僕のことまで知ってるなら、いよいよ晴子さんを狙ってると斷定する他ない。

は僕を上から見下ろし、尋ねる。

「貴方……もしかして、苗字は黒瀬？」

「……そうだけど？」

「ああっ、やっぱり。瑠璃奈に似てると思ったのよね……」

「ああ……」

僕の従兄弟いとこで同年代の瑠璃奈は、確か京西高校に裏口學させられたらしい。彼を北野さんが知ってるってことは、しは學校に行ってたのか……。

「……貴方、瑠璃奈より淡白なのね。驚いたわ」

椅子を引き、スカートを抑えながら座る。

彼は瑠璃奈と話したことがあるようだ。晴子さんよりも行力があり、政治家の娘というコネを使いまわして単米國の教育省や外務省に話を付ける、死ぬほど忙しい、あの瑠璃奈と。

つまり、彼も只者じゃない人間というのは確実だった。

「黒瀬くんって呼ぶと瑠璃奈みたいで嫌だから、下の名前教えてくれるかしら？」

「……幸矢ゆきや。幸せに弓矢の矢で、幸矢だ」

「そう……。フフッ、よろしくね……幸矢くん」

彼は艶やかな笑みを見せながら、そう言って會釈をした。

薄気味悪い彼に対し、僕はただ黙るだけだった。