教室を出た後、僕と椛は無言で昇降口まで降りた。夕日の差込む茜の廊下を歩き終え、僕は靴を履き替えようとして、後ろに続くが立ち止まってるのに目が行き、僕もきを止める。

「……どうしたの、椛」

「……聞きたいことがあるの」

「…………」

僕は何も答えず、彼の方に向き直った。帰らないことから、質問を聞いてくれると思ったのだろう。椛はいつもの艶やかな目で話し出す。

「――何故貴方は戻ってきてくれたのかしら？　私のことなんて、放っておけばいいものを……」

「……。確かにね。俯瞰的に見て。僕が厄介者の君を助ける義理はない。……でも、君が無謀にもクラス全員を敵にするから、それは慘むごいと思って止めただけさ……」

「……。私を侮っているのね、幸矢君。酷いわ」

「…………」

椛は一歩踏み出し、右手でそっと僕の頬にれた。大事なものをるような慎重で優しい手。しかしその手は悪魔の手だ。このは今、笑っている。

「――私がたった30人程度を相手にできないと思ってるのかしら？　別に、言い爭う必要はない。始末してしまえば――ね？」

「…………」

なんとなくわかった、晴子さんが競華に椛の相手を任せる理由。この、今日ここでやるつもりか――。

ニィッと笑い、椛は校舎の中へ走って行った。ひとまずは見失わないように偵察しよう。まったく、の子の相手は疲れる――。

足音を消して走り、椛を追う。普段より遅い走りだが、普通のの子を追うには十分過ぎた。椛を追って行くと、彼は4階に向かって行く。何をする気かはわからないが、最善策として僕は走りながら競華に電話をれた。

《……なんだ、幸矢？》

「もしもし、競華？　椛がき出したよ。今4階に向かってる」

《……なんだ、そんな事か》

「…………」

呆れ果てた彼の発言を聞き、僕は立ち止まった。なるほど、もう手は打っていたようだね……。

「今、どこ……？」

《育館だ。北野もなかなか手の込んだ事をする。育館の照明全てにペットボトルを使った、小中學生が作りそうなダサい弾が付いていた。ボタン1つで照明の雨を降らせられただろうな》

「…………」

《案ずるな、今ハズしている》

その時、電話越しにチョキンというハサミでビニールのようなものを切る音がした。ダサい弾……起と酸素などの燃焼材をグルグル巻きにしたのかな。

ハズしてくれるのはありがたいけれど、それより……。

「……君も椛も、どうやって育館の天井を歩けるのか、とても気になるんだけど」

《北野がどうしたのかはしらんが、私は普通に登ってあとは磁石の靴を履いている。宙ぶらりんで、落ちたら怖いがな。1足2kgはあるが、貴様の重ではコイツを履いても落ちるだろう》

「……ああ、そう」

なんでそんな靴を持ってきてるのかは知らないけれど、椛と競華が全面戦爭するつもりなのはわかった。しかしながら、競華の先読みには恐れる。椛が行を起こす前に止めるなんて……。

《……おい、幸矢。安心するのはまだ早いぞ。北野は4階に居ると言ったな。それが、どういう事かはわかるだろう？》

「…………」

椛は、1組に執著していた。いや、実際には晴子さんに執著していた。その彼が今、4階に居る。球技大會の練習をしてる今なら、教室にっても1人だろう。練習をしているみんなの荷は、當然教室にある――。

「……人って、怖いね。その気さえあればどんな酷い事でもできてしまう」

《育ち方の違いだ。私達のように高貴なら、こんなマネはしない》

「……今度、彼の育ち方について聞いてみるさ」

話はBluetoothの片耳ヘッドセットに乗り換え、僕はクラスに急ぐ。1組の教室に著くと、中に椛が居るのを確認し、一度その場を過ぎ去って男子トイレにった。ここなら椛はってこない。

「競華……椛がやるならきっと、弾だよね？」

《もしくはガス類だろうな。練習から戻った所を絶やしにできる》

「わかってるよ……窓は開けておくし、心配しなくていい」

《…………》

競華からの返事はなかった。何か変な事を言ったか……？

《……幸矢》

「うん……？」

《貴様は手出しするな。私が1組に行く》

「……何故？　使える人間コマは使った方がいいんじゃない？」

《貴様が北野の妨害をして、貴様等の関係が膠著するのはまだ・・早い。北野ごときのトラップ、大したことではない》

「…………」

既に1つのトラップを解除して疲弊している所に、4階まで階段で上がらせて罠を解かせるのは、の子にやらせたくない。

――なんて言えば、富士宮競華は怒るだろうな。

「……じゃあ、君に任せるよ。僕は晴子さんの練習合でも見學しようか……」

《フン。相変わらず、くだらんごっこ遊びを続けている。あんなのが一國主になろうとのたまうのだから、世も末だな》

「小さな夢しか語れない政治家よりは、幾分マシだと思うけどね……」

《誰でもそんなものだ。若者には希が見えるから、つい大きく映ってしまう。私からすれば、晴子はまだまだだ》

「……。君がそう言う拠は知らないけど、晴子さんは――」

《幸矢》

「……何？」

《4階に著いた。切るぞ》

その聲が聞こえた剎那、プープーとスマートフォンからは虛しい音しか聞こえなくなった。僕は電話をポケットの中に仕舞うと、ため息を吐く。

頭がいいのは結構だが、もうし融通のきく格になってしいと願うのだった。

◇

私の信念には撤退、待機、その他の脆弱な気質など存在しない。1-1にはまだ北野が居たが、私は臆する事なく教室にった。

1歩踏みしめると、北野が私を見る。獲が掛かった――そう嬉しそうに笑う姿には吐き気を覚えた。

「――あら、富士宮さん。1組に何の用かしら？」

北野は教室の隅にある花瓶から手を離して私を見た。その花瓶の中に何か薬品を混ぜたようだな、今回はガスか。

「北野椛……貴様こそ何をしている、と言うのは愚問だな？」

「ウフフ、私の事をよくご存知なのね。幸矢くんに聞いたのかしら？」

「黙れよ、瑠璃奈の犬っころ」

「――ッ！？」

瑠璃奈の名前を出すと、北野は一歩引いて驚愕した。……驚き方に恐怖が混じっていた。瑠璃奈にトラウマがあるようだな。

そんな事はいい、私も會社があるからさっさと終わらせよう。

「……富士宮さん。あなたは一……？」

「そんな話をしてなんになる。安心しろ、今日の所は貴様をこの部屋から退室させるだけだ。なるべく手荒な真似はしない」

そう言って私は白いのったペッドボトルを3つ、近くの機に置く。白くて味しい白サイダーと書かれたパッケージ、しかしその中はてんで違う。このペットボトルは、育館の天井から持ってきたものだ。

「――フッ化アンモニウムか。いつか幸矢が話していたな。こんな危険をペットボトルにれるなんて、イカれてるとしか言えん。せめてジャムの瓶にでもれれば良いものを」

「……フフ、それで？　ソレを使って私を退室させる、と？」

「そんなわけあるか。私は貴様と違って、そこまで見境なくない」

そう言いながら、私はブレザーのポケットから鍵を取り出す。

「……井之川駅のコインロッカー、2行4列目の鍵だ。そこにお前の興味を引くものが置いてある」

「……私の、興味を？」

「行けばわかる……が、明後日から某國の大統領が來日するだろう？　コインロッカーは使用止になる」

「……話が見えてきたわ。コインロッカーは數時間後に使用止になる、ね」

「そういう事だ」

おそらくコインロッカーの中は全て撤去されるだろう。17時には撤去するとネットで調べたが、実際はもっと早いかもしれない。今は15時39分、余裕で間に合うだろう。

私は鍵を廊下に向かって投げた。

その剎那、私の橫を北野がすり抜けていく。

束の間にも満たない數瞬――彼はボソリと呟いた。

「いつか貴方も打ち倒すわ――」

その不穏な言葉に対し、私は――

「やってみろ――」

挑戦で返すのだった。

後ろを振り返れば、既に北野の姿はない。

……さて、では私は奴の仕掛けた罠を潰すとしよう。

挑んでくるならば対抗する。

力がないならば握り潰す。

策略を、爭いを。

さぁ、見せてみろ――北野椛。

コインロッカーの中を見て、私に萎しない事を願うぞ――。