《夢見まくら》第二話 図書館にて

時計のアラームで目が覚めた。急いで騒音の元を止める。

毎朝思うが、いちいちうるさくてたまらない。もうしマシな起こし方はないものか。寢起きでまだぼんやりしている中で、ふとそんなことを思った。

「……あれ」

そういえば皐月がいない。もう家に帰ったのだろうか。書き置きぐらい殘していってもよさそうなものだが……。

と、そこまで考えて気づいた。

攜帯のカレンダーを見てみる。表示された日付けは七月二十四日だった。夏祭りに行ったのは七月二十三日だ。つまり……。

「……夢か」

なんてベタな。

そうだ。冷靜に考えて、あれが現実であるはずがない。

前橋皐月はもう、この世にはいないのだから。

「しかし、夢にしてはえらくリアルだったな。一応自分で考えて行してたような気がする」

俗にいう明晰夢、ってやつかね? 詳しくは知らないが。

とりあえずだるいのは、夢の中でバイトをしたのに見返りが何ひとつとしてないことだ。せこいとか言うな。

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今はバイトしてないんだから、夢の中でも気付けよ俺、とも思う。

「……今度同じような夢見たら絶対バイトはサボる」

誰もいない部屋の中心で、俺はかに決斷したのだった。

「オッス! オラ佐原さはら! よろしくな!」

「知ってるから。何回聞いたかわからないぐらい繰り返し言ってるからそのセリフ」

俺は夏季休暇の課題であるレポートを作するために、k大の図書館の三階に來ていた。

k大の図書館は四階建てでかなり広い。蔵書も多く、學生が自習できるスペースや、許可制でパソコンが使用できる部屋もあり、なかなか充実した場所である。夏季休暇なので、俺と同じような目的でここを訪れたであろう學生の姿もちらほら見られた。

……その中に見慣れた顔を見つけ、話しかけてしまったのが運の盡きだった。

「いやーまさか海斗も課題をやりに図書館に來るとは。ここだけの話、海斗は課題とかやらない派の人間だと思ってたぜ」

「中學のときはやってなかったな。なんたら病ってやつだ。大學は単位取らないとどうにもならないしな」

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「そこなんだよ! 講義ならスマホ弄ってたら終わるんだけど、課題はそうはいかないからなー。さっさとやっておくに越したことはない」

スマホ云々のくだりで言っていることは最悪だったが、確かにその通りだ。

「で、今日は何の課題を持ってきたんだ?」

俺がそう聞くと、佐原は得意げな顔で言った。

「ふっ。聞いて驚くなよ海斗! 何と俺は、教授から俺だけのための特別な課題をもらっているのだ!」

「特別な課題? なんだそれ」

「いやー、教授にもらったんだよ! 俺があまりにも賢すぎるからって」

……怪しすぎる。あと教授にもらったって今二回言ったぞこいつ。気づいてないっぽいが。

そもそも教授が自分の意思で一人の學生に特別に課題を出すなんていうことがあり得るのだろうか?

「とりあえず見せてくれよ。気になるから」

「え? 気になる? もー、しょーがないなー海斗ちゃんは! そんなに見せてほしいなら見せてやるよ!」

佐原はえらく上機嫌な様子で、それを俺に渡してきた。ウザい。

「どれどれ」

……というか、中を確認するまでもなかった。

「……いや、あのー佐原ぁくん。これどっからどー見てもちょっと古いただのえろほんじゃね?」

「いやいや、それがただのエロ本じゃないんだよ! 自販機本!」

「いや、なんだそれ?」

「……な……に? 自販機本を知らんというのか貴様!?」

「んなことどうでもいいだろ……。で、結局お前の課題は何なんだ?」

これじゃただエロ本渡されただけじゃねーか。

「それは參考文獻として教授からけ取ったものだよ。エロの歴史を探求するための大切な資料さ」

そう言ってハァハァしながらおもむろにエロ本のページを開く佐原ぁくん。……もはやただの変態である。その教授がいったいどんな人なのかは知りたくもなかった。

「……なんかどっと疲れたから帰るわ」

「ん? おう、じゃーな海斗」

佐原はエロ本から顔を上げることなく俺に手をふった。……なぜだろうか、その所作の一つひとつにすごくイライラする。

階段を降りた俺は、課題に集中して取り組めそうな場所を探し始めた。

帰るというのは噓だ。課題にはまだ全く手をつけていない。このまま帰ったらここまで來た意味がなくなるし、家に帰ったら帰ったで、暑すぎてクーラーがないとやっていられない。電気代のことを考えると、家にいる時間はできるだけ短くしたほうがいだろう。

……そういえば昨日の夢の中では特に暑いとはじなかったな。蟬の鳴き聲も聞いた覚えがないし。所詮夢は夢、か。

「あれ? もしかして海斗くん?」

そんなことを考えていると、不意に聲を掛けられた。……こんなに耳に心地いい聲を発する人を、俺は一人しか知らない。

「こんにちは、涼子さん」

谷坂涼子たにさかりょうこ。それが彼の名前だ。黒髪ロングの人で、初めて會ったときは思わず「お人形さんみたい」と、意味不明なコメントを殘してしまった。

……未だに服部や二條にそのネタでからかわれ続けているのはだ。

「涼子さんも課題ですか?」

「課題? ああ、いえ、今日は本を借りに來たんです。家にずっといるのも退屈で……」

「服部に遊びにわれたりしないんですか?」

服部はアウトドアが大好きで、休みの日はよく出かけているらしい。……初めに斷っておくが、涼子さんは服部の彼さんである。うらやまけしからん。

「翔太くんは昨日からどこかに出掛けてるみたいで、連絡が取れないんですよ……。明日は友人と會う約束をしてるんですけどね」

そう言って涼子さんはふんわりと微笑む。本當にいい笑顔だ。こんなにできた人が服部の彼をしているなんて未だに信じがたい。

ああ、翔太くんというのは服部のことだ。服部翔太はっとりしょうた。それが服部君のフルネームである。

「そうですか。昨日は俺と二條と一緒に夏祭りに行ってたんですけどね。……ってあいつ、彼さんほったらかして何をしてるんだ!?」

い彼を連れて夏祭りに行くっていうのは、男の本懐だろう! ありえないぞ服部!

「あ、いや、昨日は翔太くんにわれましたよ? でも私の予定が空いてなくて。また今月末に他のところで夏祭りがあって、そっちにはわれてます」

「ああ、そうでしたか。いや、この辺の夏祭りには初めて行ったんですけどね、なかなか面白かったですよ。他のところで夏祭りがあるなら、二條でもって行こうかな……」

「それもいいかもしれませんね。……あ、ちょっと失禮しますね」

どうやら服部から電話がかかってきたようだ。……そろそろ時だろう。今日は課題を終わらせるために來たんだし。

涼子さんに別れを告げ、しばらくウロウロしていると、ようやく集中して課題に取り組めそうな場所を見つけた。

前橋皐月は目を覚ました。

……暑い。本當に暑い。窓とドアがちゃんと閉まっているせいで、蒸し風呂のような狀態になっている。一階だから多はマシなのだろうが、それにしても暑かった。

外からは蟬の鳴き聲が聞こえてくる。わたしは蟬の鳴き聲があまり好きではなかった。できれば耳を塞ぎたいが、耳栓のようなものはなさそうだ。わたしは嘆息した。

時計を見ると、既に午後三時を回っている。寢すぎだ。

をしながら、びをする。海斗はどこかへ出掛けているようだ。今は夏休みのはずだから、友人と遊びに行っているのかもしれない。

家主がいないなら好都合だと、わたしはエアコンの電源をれた。……そして、すぐに消した。

冷靜になれ皐月。誰もいないはずの家に帰ってきて、部屋が涼しかったらあまりにも不自然だ。

どうやら暑さのせいで、多頭の回転が悪くなっているらしい。しかし、この暑さは尋常ではない。さすがのわたしでもなかなかにつらかった。

と、いうわけで、し小腹も空いていたので出かけることにした。鍵を持っていないので、窓から出ることにする。この部屋の窓はマンションの外を囲んでいる雑木林に面しており、人の気配はなかった。

外に出て、窓を閉める。鍵はかけられないが、場所が場所だけに空き巣にられるとも考えにくい。不用心であることには間違いないが、これも全てエアコンを付けっ放しで出ていかなかった海斗が悪い、と自分を納得させた。

辺りを見回すと、一匹の貓がコンクリートの上で寛いでいた。ちょうど日になっているその部分は、寢転がるとひんやりして気持ちいいのだろう。

しかし、わたしがし近づいた途端、その貓はそそくさと逃げてしまった。……なんだかし悲しくなったが、いちいち気にしてもいられない。

空腹はどんどん増している。そもそもこんな時間に目覚めてしまったのが間違いだったのかもしれない。いくらこの辺りの人通りがないとはいえ、今のわたしの姿のことを考慮すれば、晝に外出するなど言語道斷である。

……やっぱり思考力が低下しているようだ。

とんでもないことをやらかしてしまう前に家に戻ることにした。再び窓を開け、家の中にる。窓はしばらく開けっ放しにしておいて大丈夫だろう。というか、せめて窓くらい開けておかないと熱中癥になりそうだ。

そう思い、窓を開けたのはいいものの、やはり暑い。何か涼めるものはないものかと辺りを見回していると、扇風機があるのに気づいた。

これは使える、と思ったわたしは、扇風機をつけることにした。扇風機をつけるだけなら、室溫に大した変化は起きないはずだ。扇風機をつけると、心地いい風がわたしの顔をでた。

しばらく風に當たって涼んだ後、牛あるかな、と思い冷蔵庫を開けた。冷蔵庫の中を見るのは初めてだったが、スカスカだった。

昨日、おばさんに料理は教わった、みたいなことを言っていたが、普段から自炊していた訳ではないらしい。そういえば昨日海斗が、まともな飯を食べたのは久しぶり、みたいなことを言っていたような気がする。

はすぐに見つかった。賞味期限を確認する。大丈夫そうだ。棚からコップを取り出し、一杯いった。

……ずいぶん長い間、リアルで牛を飲んでいなかったような気がする。昨日夢の中で飲んだはずなのに、その味がひどく懐かしくじられた。

を飲んでコップを洗い、完全にまったりモードになったわたしは、暇を持て余していた。お腹は空いていたが、晝に外出するのは危険だと、さっき結論づけたし、さすがにあんなスカスカ冷蔵庫から食糧をいただく勇気はなかった。

ふと、部屋の角を見ると、攜帯ゲーム機が置いてあった。たしかプレイなんとかという機種だ。最近はスマートフォンの攜帯アプリなどのせいで下火になっている印象をけていたが、海斗は持っていないのだろうか。

……どうせ暇なので、し弄ってみることにした。ゲームの畫面を開くと、どうやらレース系のゲームのようだ。どこかで見たことがあるような気もする。ゲームタイトルに見覚えは無いが、昔、海斗とやったことがあるのかもしれない。わたしはうれしくなった。

 

 

……気がつくと、六時を回っていた。あれから三時間近くゲームをしていたことになる。やりすぎた。夏なのでまだ外は明るいが、何となく損をした気分になった。     

ちなみにゲーム機の畫像フォルダには、健全な男の子の好きな畫像が大量にっていた。ちょっとイラっとしたが、消したら流石に気づかれると思ったので放置した。

意味もなくゲーム機のボタンを連打していると、遠くから足音が聞こえた。……その音はどんどん大きくなっている。

部屋の場所から考えて、海斗以外の人がここまでくる可能は極めて低い。わたしは急いでゲーム機をもとの位置に戻し、扇風機の電源を切り、窓を閉めた。撤収だ。

ドアの前に家主の気配をじたわたしは、まくらの中へと姿を隠した。

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