《夢見まくら》第十六話 現れた
二條が病院の外から戻ってきた後、俺と二條は病院の擔當者に呼び出された。
擔當者の話では、服部は出は酷いものの、命に別狀はないらしい。案外、人間のは丈夫にできているんだな、と場違いな心をしてしまったのはだ。
それを聞いてし安心した俺たちは、もう一度キャンプ場に向かうことにした。服部の応急処置をしていたため、そのままキャンプ場に殘してきたテントやタープなどを回収しなければならなくなったからだ。
俺が電話で服部の母親に事を説明すると、自分もすぐそっちに向かうから、できればキャンプ場に殘してきたものを回収して病院で待機しておいてほしい、と言われた。
俺は二つ返事で了解した。
後で考えてみれば、運転するのは二條なので俺が了解したのも変な話だったかもしれない。
車に乗る前に、二條が念りに財布や靴など自分の持ちをチェックしていた。
「何か無くしたものでもあるのか?」と聞いたが、「なんでもない」という返答が返ってきた。
し気にはなったものの、二條が言いたくないことなら無理に聞き出すのも悪いだろう。
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ゆっくりしていても仕方ないので足早に車に乗り込んだ。病院に來た時より車の雰囲気は大分マシになったものの、依然として頭を悩ませる問題は殘っている。
佐原のことだ。
狀況的に、あいつが服部を毆りつけた犯人である可能は非常に高い。
服部に危害を加えた機や服部に対して殺意があったかどうかなど他にも気になる點はいくつかあるが、最も俺が恐れているのは佐原に出くわすことだ。
お姉さんの言葉通りなら、俺は佐原に殺される可能がかなり高い気がするからである。
そして、恐らく俺では武を持った佐原に勝てない。……いや、下手したら素手でも殺られるかもしれない。
はっきり言って、かなり怖い。
「犯人は現場に戻って來る、って言うじゃん。二條、怖くない?」
「お前が言ってるのはちょっと違うやつだと思うんだが……ああ、佐原のことか」
二條は合點がいった、という様子で頷いた。
「大丈夫だよ海斗。俺は佐原程度の奴には負けな……いかん、これ死亡フラグって奴じゃないのか」
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「縁起でもないこと言うなよ」
「悪い悪い。でもまぁ、俺はそうそう死なねーと思うぞ。唐揚げ事件憶えてるんだろ? 大船に乗ったつもりでいろ」
二條は別段気にした風でもなく、そう言い切った。
それは、自分の力への絶対的な信頼からか。
……し、二條が羨ましかった。
◇
「雨、降りそうだな」
キャンプ場に到著し、車から降りた俺はそう呟いた。
今朝、二條と一緒に朝日を眺めていたときは晴れていたが、今現在、俺たちの上空には巨大な灰の雲が浮かんでいる。朝には特にじなかった、にまとわりつくような熱気が気持ち悪かった。
幸いまだ雨は降っていないが、天気が崩れるのも時間の問題だ。テントやタープは雨が降り出す前に片付けておきたい。
考えることは同じなのか、キャンプ場に來ている他の人たちの中には、俺たちのようにし早めのテントの片付けにっている人もいた。
俺たちもゆっくりはしていられない。
「さて、さっさと片付けますか」
「ああ」
◇
テントとタープを袋に押し込み、その他もろもろをトランクに詰め込み終わった俺たちは、折りたたみ椅子に腰掛けて、折りたたみ式テーブルをトランクから引っ張り出し、様々な種類の菓子パンをテーブルに広げ、牛を飲みながら一息ついていた。
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大量のにまみれていたテントや、真っ赤に染まった著替えなどは、管理人さんにもらったゴミ袋に押し込まれることになった。さすがに服部も二度とあのテントを使う気にはなれないはずだ。
その他の持ちは俺と二條が選別し、トランクに詰め込んだ。中には佐原の私も含まれているが、それらをどうするかは俺たちが家に帰った後に決めても遅くはない。重要參考人である佐原は、この場にはいないのだから。
雨はまだ降り出していない。腕時計を見ると、まだ午前八時過ぎ。キャンプ場の朝は早い。
…………疲れた。
今日は活を始めるのが早すぎたし、服部の流事件からずっと気疲れする狀態が続いてたからな。
當然ながら、俺たちが病院にいても服部の狀態が良くなるわけではない。心配は心配だが、醫者から大丈夫だと言われれば心の余裕も出てくる。しぐらいゆっくりしたいと思っても罰は當たらないだろう。
二條も同じ気持ちなのか、こうとしない。
「あのー」
俺と二條がまったりしていると、誰かが話しかけてきた。
二條のほうをチラ見すると、涎を垂らしながら寢ている。……こうとしなかったんじゃなくて、寢てたのか。
二條には世話になっているので俺が応対することにした。
「はい?」
見ると、アロハシャツを著た若い男だった。
この人は確か……そう、昨日のあのカップルの片割れ、男のほうだ。
昨日ボートレースのおかげでムードをぶち壊された禮參りにでも來たのだろうか。
それとも、彼がいない俺と二條への當てつけだろうか。
それとも、りあじゅう、のだいばくはつを見せてくれるのだろうか。
「お友達の方、大丈夫でしたか? かなり危険そうな狀態でしたけど」
言いながら、男は心配そうな顔をしていた。
……いけないいけない。リア充だからって敵視しすぎだ。
「一応、命に別狀はないらしいです。荷を回収したら、すぐ病院に戻るつもりですが」
どうでもいいが、この発言は思いきり矛盾している。俺と二條は今現在大絶賛まったり中だ。
「そうですか、よかった。……あ、そうそう」
男は思い出したように言う。
「君が海斗君、で合ってる?」
「はい、そうですけど」
はて、この辺りに俺の名前を知っているような奴なんていたっけ?
そう思いつつ、男に続きを促す。
「君のこと探し回ってるの子がいたよ。薄い茶髪の」
薄い茶髪のの子?
「名前は確か……玲子さん、だったかな。海斗君に會ったら、自分が海斗君を探してるってことを伝えておいてくれって頼まれてね」
ああ、玲子さんか。
……いやいや。
「玲子さんが? 何でですか?」
自分で言ってて悲しくなるが、玲子さんが俺を探す理由がわからなかった。
「さあ、僕もそこまでは……。それじゃあ、確かに伝えたからね」
それだけ言うと、男は去っていった。
「玲子さん……か。一俺に何の用があるのやら」
あなたの命ちょうだい、とか言われたらどうしよう。
一応、二條を起こしたほうがいいかもしれない。
……というか、そんなことを言い出したら俺の中で現在危険度最高ランク認定の佐原が野に放たれている時點で危険がいっぱいなのだが。
そう思って後ろを見ると、普通に起きている二條がいた。
「ありゃ?」
「うん? どうした海斗」
「さっきまで寢てなかった?」
「あ? ああ、寢たふりだよ。野郎の応対なんてしたくなかったから、お前に投げた」
「……ああ、そう」
やったことはともかく、そこまではっきり言われるとむしろ清々しかった。
やっぱりこいつ、そんなに格よろしくないような。俺が言えたことでもないんだが。
「あれ」
今度は二條が聲を上げた。
「どうした二條?」
「あれ、玲子ちゃんじゃねーか?」
二條が指を指したほうを見ると、白いワンピースに亜麻の髪のが、こちらに向かって手を振っていた。
噂をすれば、だ。
慌てて俺も手を振り返す。
玲子さんは、なぜか段差がない所でこけそうになりながらも、車が停めてある俺たちのところまで歩いてきた。
……しふらついているように見えるが、大丈夫だろうか。
「やっと見つけた……どこに行ってたんですか?」
息を整えながら、最初に玲子さんが発した言葉はそれだった。
それはつまり、玲子さんは、今朝服部のに降りかかった災厄を知らないということである。
「誰かに聞いてないかな? 昨日玲子さんにも紹介した服部って奴が、誰かに頭を毆られて病院に運ばれたんだよ。俺らはそれに付き添って病院まで行ってたんだ」
佐原が犯人かもしれない、というのは伏せた。不確定な報をわざわざ伝えても何の意味もない。
「あと、服部の頭を毆った人間はまだその辺を彷徨いてるかもしれないから、玲子さんも気をつけて」
「あ、牛!」
俺が改めて玲子さんのほうを見ると、玲子さんはテーブルの上にあった牛パックに目を奪われていた。
「……俺の話、聞いてた?」
「はい。服部さんが病院送りになって、海斗さんと二條さんが付き添いで病院に行って、服部さんを毆った人がまだこの辺にいるかもしれない、というところまでは」
こちらの質問に的確に答えながらも、視線は牛パックに向いたままだ。
どうやら、不審者が辺りを彷徨いているかもしれないというところも、あまり気にしていないように見える。
「あ、そう……」
まあ、ちゃんとこっちの話を聞いてくれていたなら問題ないか。
……でも、なんか玲子さんの雰囲気が昨日と違うような。
気のせいか?
「それに、今さらですよ。もうみなさん、帰る準備を始めてます。誰だって、毆られたくはないでしょう?」
「あ、ちゃんと話は広まってたのか。それなら安心だな」
玲子さんの質問は、あくまで確認程度のものだったというわけだ。
「玲子さん、牛好きなの?」
玲子さんの牛パックを見る目がりだしそうな勢いだったので、思わず聞いてみた。
「ええ、大好です! ちょっと頂いてもいいですか?」
「はあ。それじゃどうぞ」
新しい紙コップを開きっぱなしのトランクから取り出して牛を注ぎ、玲子さんに渡した。
「ありがとうございます、海斗さん」
お禮を述べながら紙コップをけ取った玲子さんは、牛を一口飲んでから息をついた。
「はぁー。落ち著きますね」
その端正な顔を緩め、リラックスした表をしながら玲子さんがしみじみと呟く。
俺はボーッと、玲子さんの橫顔を眺めた。
その橫顔が、どことなく皐月に似ている気がした。
「どうしたんですか海斗さん。わたしに惚れましたか?」
「……いや。なんとなく知り合いと似てるような気がしただけ」
「そうですか」
何気無くすごいことを口走った玲子さんは、相変わらずリラックスした表で俺のほうを見つめている。
「そういえばさ」
「何です?」
「昨日は俺のこと、兼家さんって呼んでなかったっけ?」
「……気のせいでしょう」
玲子さんは微笑みながら、そう言った。
「……そうか。気のせいか」
「ええ。気のせいです」
……なんでだろう。
この子と話していると、不思議なほど心が落ち著く。
なにか暖かいものが、俺の心を満たしていくような、そんなじがするのだ。
……どうしてだろう。
この子と話していると、どうしようもないほどに、涙が溢れ出しそうになるのは。
左手で目を拭う。
今の自分のが、よくわからなかった。
俺は喜んでいるのか。それとも悲しんでいるのか。
ただ、この會話をどこか懐かしいとじている自分がいるのは確かだった。
だが、俺のそんな傷は。
「玲子ちゃん」
二條の、冷たさを孕んだその聲にかき消された。
その聲は別段大きくもないはずなのに、妙に辺りに響いたような気がする。
「一旦、海斗から離れてくれないかな」
今まで俺たちを靜観していた二條が、玲子さんを鋭い目で睨んでいた。
「二條……?」
俺が戸いの聲を上げたのも、無理もないことだと思う。
俺は、こんな二條の顔を見たことがない。
こんな、何かを堪えるように相手を睨みつける、二條の顔を。
「……なるほど、葉月がわざわざ俺にかけてきたのは、この為か」
二條はし納得したような様子で、俺と玲子さんを見ていた。
「昨日見た時もし妙だとは思ってたんだよ。今は昨日より濃くなって、はっきり見える・・・」
「……? 何を言ってるんだ、二條?」
俺の疑問の言葉は、二條に無視された。
二條の言葉は続く。
「君、どこからどう見ても一人なのに、何で二人分・・・なのかな?」
意味が、分からない。
「それに、それで隠してるつもりか? お前、酷い臭いがするぞ」
「あ、あなたは……」
玲子さんは、二條のただならぬ様子に言葉を発することができないようだ。
「おい、二條……」
二條が何を言っているのか分からない。
「……あなた……もしかして……」
玲子さんは狼狽えた様子で、二條を見ている。
「俺はお邪魔か? まあまあ、そんなに邪険にしないでよ」
二條は微妙に口元を歪めながら、目を細めた。
「改めて、俺らと一緒に朝食でもどう? 前田玲子さん。……いや」
そして、決定的な一言を告げる。
「――前橋皐月さん・・・・・・」
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