《夢見まくら》第二十九話 咎人が生まれた日

「…………」

まったくかなくなった塊を、ぼんやりと見下ろす。

なにも、考えたくない。

……なにも考えたくないはずなのに、俺の頭は俺自の意思を無視して、目を背けたくなるひとつの結論に辿り著いた。

俺が渾の力で蹴り続けていた塊はヨーゼフではなく、皐月で。

皐月にはずっと、意識があって。

その皐月のを、俺は蹴り続けた。

つまり。

俺が、皐月を殺したのだ。

「――――――――あ」

俺は、その場に崩れ落ちた。

寒い。

焼けたと錯覚するほどの痛みを訴えていた腹部の裂傷からも、もはや何もじない。

を流しすぎたせいか、視界が霞む。

俺は、まるでその慘狀に初めて気が付いたかのように、ただ呆然と辺りを見回した。

赤。

の雨くらいでは到底浄化しきれない穢れが、そこにはあった。

地面には、未だに不浄のを垂れ流しつづけている、四つの塊が転がっている。

佐原の死

高峰皐月の死

玲子さんの死

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そして、俺の足元に転がっている皐月の死

「…………う」

見たくない。

見たくない。見たくない。見たくない。

見たくないのに、目を閉じることができない。

「……おえっ」

胃がひっくり返るような強烈な不快が消えない。

「おえええええ……っ」

堪えきれなくなり、俺は吐いた。

嘔吐が止まらない。

と思しき白濁との朱が混じった薄紅の吐瀉としゃぶつが、雨に濡れた地面を汚していく。

今の俺はまさに、ただただ延々と汚を吐き出し続けるだけの存在だった。

「――――あ、あ」

これは夢だ。

悪い夢だ。

――これもきっと、明晰夢に違いない。

そうだ。そうに決まっている。

俺は、その最後の淡い期待に縋りつき――

――そうやって、都合の悪い現実から逃げて、逃げて、逃げ続けて。

最期に辿り著いたのが……ここ・・なんじゃないのか?

「――――――――」

――その淡い期待が自の中で々に打ち砕かれた瞬間、から力が抜けた。

ばしゃん、という音と共に、俺のが汚水に沈む。

「……うっ…………ううっ……」

涙が溢れた。

もう、いやだ。

楽になりたい。

辛いのも、痛いのも、もう十分だ。

「……赦してくれ、皐月」

無意識だった。

「ごめん。ごめん。ごめんなさい。ごめんなさい……ごめん……なさい……」

俺は無意識のうちに、そんなことを口走っていた。

「赦して、許してくれ……俺を……」

自分のあまりの淺ましさに、涙を流しながら口元を緩ませる。

ああ。

何と救いようのない愚か者だろうか。

この期に及んで、まだ赦されようとしている自分自に。

この期に及んで、まだ救われようとしている自分自に、蟲唾が走る。

「……死ねば、いい」

死。

それは、天啓のように俺の心をとらえた。

この出量だ。

どうせ俺は助からない。

だから、せめて。

死んで皐月に詫びよう。

俺が犯した罪は、永遠に赦されることなどないのだから。

「…………あ、あ……」

死が、唯一の救いに思えた。

殘酷な現実に絶して、ただ安らかな死をむ、俺の耳の奧で――

『あはははは』

――楽しげな、奴の笑い聲が聴こえた気がした。

「――――ッ!?」

『あははははは』

はっきりと、聴こえる。

俺を、俺の無力を、嘲笑う聲が。

あの男の嘲笑が。

……いや、違う。

ヨーゼフの聲が聴こえるはずがない。

もう、アイツはここにはいないのだから。

『あはははははははは』

なら、この聲は何なのか。

先ほどからずっと聴こえ続けている、この聲は――

『あははははは』

「――っ!!」

耳にこびりついて離れない。

『あははははははは』

消えない。

耳障りな笑い聲が。

俺の無力を、嘲笑う聲が。

「…………ぁ」

そのとき、ふと、俺の頭に、ある考えが過よぎった。

「……あいつは、ヨーゼフは、まだ生きているんじゃ……ないのか?」

そうだ。

高峰皐月の言うことによると、あのはヨーゼフが創りだした魔獣というだけで、ヨーゼフの本というわけではない。

あの化の生死と、ヨーゼフの生死には、何の関係もないのだ。

つまり。

ヨーゼフは、まだこの世界のどこかで、のうのうと息を吸っているのではないのか。

『あはははははは』

「――――――ッ!!」

それを認識した瞬間、わけのわからない激が全を支配した。

荒れ狂い、今にもの中から溢れ出しそうなそれの正を、剎那、俺は理解する。

「――――――――殺す」

殺意。

ヨーゼフへの、殺意だ。

あの男は殺さなければならない。

皐月の魂を凌辱し、俺を半殺しにしたあの男を、俺は許さない。

許せない。

なら、

「……まだ、死ねない」

死んだら、全て終わってしまう。

全て、無駄になってしまう。

今までの俺の人生も。

今までの、皐月の人生も。

……そんな馬鹿なことは、到底認められない。

『あははははは』

「――――ああッ!!」

俺は両腕に力を込める。

足は、もうかない。

先ほどまでの酷使が原因であることは間違いなかった。

「こんなところで終わって……たまるかぁ……ッ!!」

這って進む。

このままでは、俺は死んでしまう。

二條に會わなければならない。

二條の言葉が本當なら、アイツは生きているはずだ。

「……はぁ……はぁ……はぁ………………ッ」

呼吸が荒い。

もう、ほとんど目は見えていない。

それでも進む。

一度止まってしまったら、もう二度と前には進めないという予があった。

「――――――――海斗!」

遠くから、聲が聴こえた気がした。

「…………に……じょう?」

……その聲に、返事をするのも億劫で。

『あはははははは』

俺はそのまま、意識を手放した。

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