《蛆神様》第59話《鯉ダンス》-五-

私の名前は刑部マチコ。

パニックになっている小島ハツナの母親ミツコを連れて、不死のバケモノ『コイ人』から逃走している二六歳の探偵だ。

現在。

コイ人から逃げ続ける私たちは、郊外にある廃ビルにを潛めている。

「刑部さん……一いつまで逃げればいいんですか?」

廃ビルの六階フロア。

打ちっ放しのコンクリート壁に囲まれた何もない部屋で、力の消耗が激しいミツコがガラガラ聲で私に訊ねてきた。

コイ人を殺すこと計三回。

クロスボウで脳天を突き刺したのが一回。

駅のプラットホームに突き落として電車の轢死で二回。

工事現場の重機に頭部が吹っ飛ばされての三回。

どれも即死だ。

だが。

結果的に、どれも無駄に終わっている。

コイ人は死なない。

死んでも近くの『』を乗っ取ることで、新たな『コイ人』として蘇り、標的をどこまでも追跡してくる。

無限に追跡してくるコイ人を殺したところで意味はない。

コイ人をる人

大原トモミをどうにかしない限り、この逃走劇は終わらない。

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「ミツコさん。走れますか?」

ミツコはかぶりを振った。

専業主婦の中年。かれこれ一時間近く走っている。

力的にここらが限界だろう。

このままではまずい。

五人目のコイ人は人混みに紛れてどうにかまくことはできた。

だが、所詮はその場しのぎでしかない。

痕跡や臭いやらを追跡すれば、私たちがこの廃ビルに逃げ込んだことはコイ人にそのうちばれる。時間の問題だ。

ばれる前に。

何か手を打たなければ。

私はスマホを取り出し、ハツナに電話をかけた。

「もしもし? マチコさん?」

八コールでハツナは電話に出た。

電話越しから人の聲や音楽が聞こえる。

まさか。

「狀況は?」

ハツナの口から「あ」と聲がれた。

私は思わずため息をつく。

やられたな。

ハツナのことだから、呑気に人と遊んでおいて忘れることなんて馬鹿なことはしないのはわかっている。

敵の罠。

おそらくトモミだ。

のペースに巻き込まれている。

そう私は推理した。

「どこにいるの?」

「カラオケボックスです」

「トモミは大勢の中にいるのね?」

私はハツナから狀況を聞き出した。

コイ人は殺しても蘇る不死の怪であるが、コントロール元となる大原トモミは生の人間だ。

の人間の彼を止めることができれば、コイ人の無限の追跡から逃れることができる。

できるなら、直接私が大原トモミに接すればよいのだが、この狀況下でハツナたちのいる場所に合流できる余裕はない。

「トモミを止めるためには、まず『二人きり』になりなさい。それが絶対條件よ」

頼みの綱となるのはハツナだ。

あの子に私たちの命の保証がかかってくる。

だが、もし。

トモミを説得できない場合。

最悪の場合、トモミを『始末』しなければならない可能がある。

あくまでも。

最悪の場合だ。

いくらトモミが敵だとわかっていても、ハツナにとって彼が親友なのはわかっているし、親友を殺してほしいと頼むことや期待すること自、倫理的にやってはいけないことだ。

どうにかして。

ハツナがトモミを止めてくれる。

そのことを祈るしか今はできない。

「ハツナはなんて?」

だんだん呼吸が落ち著いてきたミツコが、電話を切った私に聲をかけた。

「二人きりになるよう私は指示しました。あとは、彼がどうにかすることを祈るしかありません」

「トモミちゃんのご両親……わたし、電話番號わかります! 大原さんの家に直接電話かけてみたら?」

私は首を橫に振った。

「大原さんのご両親に今の狀況を伝えたところで電話を切られるのがオチです。それに、自分の娘が人を殺そうとしているといきなり聞かされてすぐに信じると思いますか?」

「それは」

ミツコは押し黙った。

その提案は私も最初考えた。

仮にトモミの両親が娘の様子を確認するために電話をかけたとして、トモミが素直に電話に出るとは限らない。

いずれにしても。

トモミの両親を説得する方向では現狀を打開できない。

ぐるるるる。

を鳴らす獣の鳴き聲が聞こえた。

びくつき悲鳴をらしそうになったミツコの口を押さえつけ、私たちは部屋のに隠れた。

コイ人が廃ビルにっていた。

パクパクと口を上下にかしつつ、あたりを見渡している。

私たちを探している。

近い。

距離にして六メートル。

濡れた素足でコンクリの地面をひたひたと歩いている。

私とミツコは息を殺し、コイ人がこちらの存在に気づかずに通り過ぎていくのを待った。

スマホの著信が鳴った。

コイ人が振り向いた。

「くぎゃあ!」

びと共に。

コイ人はコンクリート壁を一撃で砕した。

砕した壁の外。

著信音が鳴り続けるスマホが一臺あるだけ。

首を傾げるコイ人の背後で、私とミツコは忍び足で橫切った。

よし。

うまくいった。

とりあえずコイ人がスマホに集中している間、このフロアを出しよう。

そうミツコに合図した。

すると。

「あ」

走り過ぎた疲労のせいか。

ミツコの足がもつれ、その場で転倒した。

コイ人の首が180度後ろに回転する。

耳をつんざく雄びが、フロア中に響き渡る。

「ミツコ! 避けろ!」

たまたま近くに置いてあった鉄の棒。

私はそれを手に取り、不意打ちでコイ人の頭に思いっきり叩きつけてやった。

が。

コイ人の頭に鉄の棒は命中せず、大きな人間の方の手が鉄棒を摑んでいた。

鉄棒を摑んだコイ人は、片手で鉄棒を飴細工のように折り曲げてみせる。

「バケモノめ……」

クロスボウは矢を撃ち盡くした。

トウガラシスプレーも中を使い果たした。

狀況から見て萬事休す、か。

いや。

まだなんとかなる可能がある。

「こい! バケモノ! 私を殺したいんだろ!」

私はコイ人を両手を使って挑発する。

コイ人は私の方にを向け、奇聲を発しながら私の首元を狙ってきた。

「そんなんじゃ私は殺されないぞ!」

私は中指を立てて、後ろに下がりながらコイ人を挑発し続ける。

とんっ。

背中に何かがれた。

私は振り返り、ぎょっとなった。

しまった。

下がりながら挑発し続けたせいで、壁に追い込まれていたのに気づかなかった。

完全に追い込まれてしまった。

「ぎぇええ!」

袋小路に追い込んだコイ人が、猛ダッシュで私の目掛けて突進してくる。

壁を背にした私。

やばい。

逃げ場がなくなった。

このままでは殺される!

って、このコイ人は私に対して思っているのだろう、きっと。

なかなかおめでたい奴だ。

「ぎ?」

コイ人が突進した先には壁がなかった。

壁ではない。

取り壊したビルの壁だった場所。

日除けのために、遮率の高い布切れを被せられた壁代わりの『目隠し』だ。

その目隠し目掛けて、突進をかけたコイ人。

ビルの外に真っ逆さまに落ちていった。

「し、死んだのですか?」

おそるおそるミツコはビルの外を覗こうとする。

あれぐらいで死ぬのなら、こんな苦労はしない。

とりたて。

時間は稼ぐことができた。

この間に廃ビルの最上階に向かおう。

廃ビル一階に常設されていた館地図によると、最上階は部屋數も多く、隠れるポイントとしてはうってつけだ。

コイ人が探すのも一苦労するだろう。

その間に、ハツナと連絡を取り合えばどうにかこのピンチを凌ぐことはできるはずだ。

そう思った。

「うじゅうじゅう」

ぞくっと寒気が走った。

頭の上に影が落ちている。

嫌な予しかしない。

私は後ろに振り返らず、ミツコにいった。

「ミツコさん。先に逃げていてください」

打撲と複雑骨折。

魚頭のバケモノは、満創痍でありながら壁をよじ登ってきた。

よほど私を殺したいのだろう。

背中越しから、ビシビシと伝わってくる。

「ぎぇえええ!」

三度めの雄び。

いい加減、耳がバカになりそうで嫌な気持ちになる。

ハツナ。

頼む。

はやくなんとかしてくれ。

コイ人の追跡から逃れようとする私は、近くにいないハツナに対して心の中で懇願した。

続く

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