輝の一等星》白き龍は淡い夢を見せる

琴織聖は、小さいころから、自が周りとは違うと聞かされて育てられたせいか、友達を作ることが下手であった。

聲はかけられるし、苛められることもない。

靜かなだと言われ、遠目から観察されるだけの、學校ではただの置のような存在。

熊谷に言われ、將來のために彼らのにも慣れておけということで、人の生を飲むようになってから、ますます彼の周りから人は居なくなっていった。

月に二度ほど、膨大な數の生徒の中から一人を選び、熊谷に連れてきてもらってそのを吸う。熊谷の隠蔽により、その事実は吸われた本人以外は誰も知らない。

だが、真実というものは時に、噂となって流れ出す。

中學では二年生の時から、高校の一年後半から、琴織聖は人のを吸う、吸鬼などと噂されるようになった。真実なのだから、仕方がないとも思っていたが、そんなに友達などできるはずもなく、時間だけが過ぎていった。

ある日、聖が出合ったのは、とても奇妙なであった。

を吸われながらも、自分と友達になってほしいなどと言ってくる、変な。凜々しい姿が印象的の、綺麗なであった。

初めはからかわれているものだと思っていた。

しかし、その後、彼は、『友達だから』などという理由で、毒の蔓延する場で、逃げずに自分を守ってくれた。

どうしようもないくらいに、嬉しかったのを今も鮮明に覚えている。

それは初めてできた、友達であるはずだった。

しかし、そのすぐ後に、聖自にできた二人目の友達であり、涼の後輩である長峰葵を聖が至らぬ故に、殺してしまった。これは間違いなく、聖の責任である。

出會った日にこの二人は友達だから、と熊谷に言っておけばよかったのだ。

たったそれだけで、涼が危険な目に合わなかったし、葵が死ぬこともなかったのかもしれない。

(そう、全部、私のせいです……)

涼と喧嘩をしてしまった、いや、これは絶だろう。

悲しくないはずがない、泣きたくないはずがない、しかし、泣いてばかりもいられなかった。

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罪を償うわけではない。これは自己満足である。

薄暗い電燈だけがともるくらい地下世界を歩いていく。

『人間とプレフュード、共存はできないというのね』

悲しそうな顔でいう、涼のそんな言葉が、頭を渦巻いていた。

その言葉に、聖は、無理だと、答えていた。

だが、もう二度と、自の周りでこんな悲しいことを絶対に繰り返さないためには、涼の言った通り、人間とプレフュード、二種族の『共存』が必要不可欠になってくる。

第9バーンだけに限るならば、その理想を葉える可能を、聖は持っている。

『リベレイターズ』との和睦渉さえ、功すれば、葉うのだ。 

命を懸けて、 この試みが功した暁には舊友たちにしでも喜んでもらえるだろうか、そんなことを思いながら歩いていく。

周りには、ガラの悪い十人程度の、制服を著た『リベレイターズ』が、聖が逃げられないようにと、囲うようにして歩いている。

足跡だけが響く、この気味の悪い窟は地獄へ続く道だと言われても、すんなりれられそうなほどに聖の心を不安にさせていた。

やはり、『天の羽』はおいてくるべきではなかったのかもしれない。

今更そんなことを思うが、もう遅い。

、『羽』は先日の毒のせいで以前ほどにを防げなくなっており、一対一ならばまだしも、大勢を相手にできるほどの面積はなくなっていた。

囲まれている今の狀況では、そんなものを持っていても、敵に警戒心を持たせるだけであり、やはりない方がよかったのだろう。

どれほど歩いたのかわからないが、ようやく狹い窟から抜ける出口が見えてくる。

トンネルを抜けたそこは大きく開けていた。大空である。

簡素な家が並び、彼らがここで暮らしていることがうかがえる。不自由は多そうだが、なくとも聖が通った場所は活気に満ちていた。

自分たちは、日本解放、正義を遂行するために戦っている。彼らの士気の高さはここからきているのだろう。

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ふと、今自分がやろうとしていることは彼らにとってひどい仕打ちになるのかもしれないという不安に駆られた。

聖が渉を立させ、この第9バーンの人々が解放されたのなら、彼らがここにいる意味がなくなる。突然、彼らの存在意義を奪うことになる。

(何を私は考えているのでしょうか……)

頭を振って変な考えを頭の外へと追いやる。平和になるということがいけないことというのか。

最終的に彼が通された場所、それは、大空のさらに奧に位置する、宮殿であった。

宮殿といえばシャンデリアや赤い絨毯と言った煌びやかなものを想像するかもしれないが、ここは建てられた時間こそそう古くはなさそうだが、広さだけの、まるで地上の古代文明の作った宮殿のようである。

聖がると、王座に座る男が、軽い口調で話しかけてきたが、その姿を見て、聖は絶句した。

「いや~、待った待った、くたびれちゃうところだったよ」

「…………っ!」

ここは『リベレイターズ』の第9バーンの拠點である。そう、人類解放軍のための場所だ。

「そりゃ、驚いちゃうよね。だって俺――プレフュードだもん」

「早乙真珠! 貴方がどうして……」

彼は、『ルード』と呼ばれる、このバーンの実質的な支配者である。この第9バーンの中では聖よりも権力があると言ってよい男だった。

涼の一撃により負傷していた彼は、のところどころにまだ包帯が見える。涼の一撃を防いだ両手に、壁に打ち付けたときにあばら骨、他至る所を骨折しているのだ。

そんな彼が、我が顔でここにいるということは、どうやら敵の本拠地に忍び込んだわけではなさそうだった。

「俺はこの第9バーンの支配者だ。それはどこでも言えること――いいか、良く聞けよ、この最下層を支配してるのも俺なんだよ、ここ地下世界のし上にいる連中はただの『食料』そして、ここにいる連中は俺の『駒』なんだ」

「ならば……どうして、『リベレイターズ』として、テロリストとして『ジャスティス』と戦わせているのですか。どちらも貴方の『駒』なのでしょう?」

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聖が言うと、ケケケッ、と早乙真珠は生理的に不快な笑い聲を上げる。

「馬鹿か、てめぇがいる限り、『ジャスティス』は俺の言うことよりもお前の言うことを聞きやがる。なにせ廃れたっていっても、お姫様だもんな。それじゃあ、俺の『目的』に支障が出ちまう」

「……目的?」

高らかに笑いあげた早乙真珠が、一指し指を店へと突き出して、

「全地上を支配することだよ」

それは、一介の地下の統治者ごときが、踏み出してよい領域ではなかった。

彼の言ったことはつまり、地上の王である『デネブ』を倒し、自が地上を統べる王となろうというのだ。

そんな彼の言葉に対し、聖は率直な想を述べた。

「……馬鹿げて、います」

人間はプレフュードに負けて、ここにいる。つまり、彼らを手駒にしたところで、地上の制服などできるはずがないのだ。

「そう一概には言えないよ、大昔の三國での大戦の恨がある。『ベガ』や『アルタイル』を今なお支持している輩も多い。そんな彼らに戦う気を起こさせ、地下からは人間が一斉に反旗を翻す。國なんて簡単に傾くと思うけど?」

なんと愚かな男だ、そう聖は思った。

あまりにも、世の中をなめすぎている。覇王『デネブ』がそう簡単に倒せるのならば、百年以上も彼の一族がプレフュード全を治めていられているはずがない。

さらに、彼は大きく見落としている部分がある。

「一どれ程の人が、プレフュードが、死ぬと思っているのですか!」

今度こそ、どちらか一方が完全に滅んでしまう可能だってある。ずっと殘っていく、戦爭の深い傷跡をそんな容易に殘すべきではない。

だが、そんな聖の言葉を真珠は一笑した。

「それがどうした、誰も死ななきゃ戦爭じゃねえだろ。戦爭になんなきゃ俺が世界を牛耳るなんてできるはずがねえ」

「……っ!」

平和のための渉に來た聖は、目の前が真っ暗になるような覚を覚える。

この男にはあらゆることが不足している。

倫理観、想像力、世界観、道徳など、プレフュードとしても、人間としても足りていない生きなのだ。

だが、それをまかり通してしまうような力を持ちつつある彼は、本當に『どうしようもない』狀態であった。

「平和にしようとは、考えないのですか?」

聖を上から見下ろした早乙真珠は、聖を指さした。

「俺が王になれば、平和になるだろう――それに、な」

真珠の目に、ゾッとして、反的に逃げようと足の向きを変えるが、近くにいた『リベレイターズ』數人に取り押さえられてしまう。

「俺の新しい國には三國時代の王などいらないんだよ――お前ら、この何も知らないお姫様を散々に辱めたのち、殺せ」

「…………っ!」

いくら聖が人間よりも能力面で優れているプレフュードだとしても、人間の大人、それも男數人に囲まれれば、抵抗することができなかった。

その時、初めて無防備でここへ來たことへの後悔が頭の中を支配した。

「私は、『ベガ』の末裔です! 気軽にれることなど――きゃ」

これが、プレフュードならば、『ベガ』の筋ということで、支配先を早乙真珠から琴織聖へと寢返らせることは難しくない。

だが、人間とっては、『ベガ』だろうが、『アルタイル』だろうが関係なかった。

四方八方から引っ張られた服は容易に破け、あっという間に、聖はピンクの下著上下のみの姿にされてしまう。

今、周りには彼の味方は居なかった。

誰一人として守ってくれる者がいない狀況など、もしかしたら、生まれて初めてかもしれない。

こうなることは用意に予想できたはずだ。

最悪の事態にも覚悟をしていた。

だから、助けを求めることさえ、願ってはいけない。全ては自分が招いたことなのだから。

周りからの不埒な視線に耐えられず、聖の心は早くも壊れていく。

「やめて……ください…………」

震える聲で、涙を流して、そう言う聖を、高みの見をする早乙真珠は――笑っていた。

腕が摑まれる、抵抗はできなかった。

(こんな……こんな初めては…………あんまり、です)

崩壊していく心を抑えきれず、もう、その場の空気に抵抗する気もおきなくなり、自の無力を呪いながらも思考放棄していく。

一人のの姿が頭に浮かぶ。

きっと、これは、報いなのだと思った。

「そこまでだ、やめたまえ!」

だが、その時、宮殿の隅から、聞き覚えのある聲が、辺りに響いた。

周りの注意が一斉に聲の方へと向く。

完全に全てを諦めていた、聖の目にがともりかけ、彼はその侵者を見る。

「誰だ、お前は?」

者に、問いかける早乙真珠の機嫌はすこぶる悪かった。よほど、聖が犯され、死にゆく姿をみたかったのだろう。

そんなこの地下の支配者に対して、侵者は、ふっ、言い人差し指で眼鏡を直しながら、

「名乗るほどのものじゃないさ、とある百合男子とでも言っておこうか」

夏目翔馬、聖は彼のことは知っていた。夏祭りの時、涼と仲良さそうにしていた男だ。

だが、ろくに話したこともないため、知っているのは名前だけ。

なぜ彼がここにいるのか、皆目見當が付かなかった。

「けっ、お姫様を助けにきた王子様気取りかよ、だけどな――」

「お前は何を言っている。琴織聖の王子様は俺じゃないし、俺は助けるつもりもないんだ」

「……何が言いたいんだ」

このタイミングで止めておいて、助けるつもりがない。彼の言は、全く意味が分からないものであった。

だが、次の言葉で、ここにいる全員が、彼の考えについていけなくなったのである。

「凌辱ものは嫌いじゃない、だが、どうして相手が男なんだ! ここには綺麗ながたくさんいただろう、彼たちにやらせるべきだ。そうじゃないと俺は納得いかん!」

シンッ、と辺りが靜まり返った。

誰も彼の言葉の意味がわからなかったのだ。

絶命の狀況から、突然、おかしな空気に放り込まれた聖は、ようやく、思考を取り戻してきたためか、

「ちょっ、そこは助けてくださいよ!」

などと思わずツッコミをれていた。

聖のびにより、凍った空気が溶け、早乙真珠が、チッ、と舌打ちする。

「てめぇらは続けていろ」

聖の周りの人間に言った真珠は、懐から一丁の拳銃を取り出し、容赦なくぶっ放した。

その音により、我に返った人間たちは再び聖を囲む。

だが、聖は自よりも、また涼の大切な友人を傷つけてしまうことの方が怖かった。

銃弾は、彼の頬かすめただけに終わる。

「逃げてください! 早く!」

聖が、腹の底から聲を出して、ぶが、その聲が屆く前に翔馬は、柱の影へと隠れていた。

その間に、聖は、再び、貞が奪われそうになっていた。

(今度こそ、もうダメ、ですか……)

そう思った時、再び、彼の聲がここへ響いた。

姿は見せずに、柱の後ろの、真珠の持つ銃が當たらない位置から、しかし、先程から変わることのない堂々とした聲で、

「……これは俺なりの気遣いだ」

翔馬の言葉は、聖に言っていのではないようだった。

「忠告する、お前らのような男たちではな、そこのお姫様を殺すことは愚か、辱めることさえもできん。今すぐにここから逃げろ」

「……何が言いてえ?」

「俺は馴染だからな、あいつのことは良く知っている」

だからこそ言える、と言い放った翔馬の言葉に、聖の周りの男たちの手が止まる。

苛立っている真珠は柱の方へ何度もするが、翔馬の言葉は続いた。

「お前らじゃ役も力も不足している、その子に手を出すならば、最低ここにいる十倍の兵士を用意しておかなければならないのだ」

「そう簡単にここに來られるはずが――」

早乙真珠が、何かを言いかけて、言葉を止めた。

理由は簡単、ゴウンッ、という音が、辺りに響いたからである。

何度も、何度も、音は続き、その音量は徐々に大きくなってきているようであった。

「本の王子様はし手荒いぞ」

翔馬の言葉が終わった直後、ズドンッという音と共に、なんと、天井が崩れた。

何が起きたのかわからない聖であったが、驚いた男たちの拘束が一瞬解かれたため、砂煙で方向がわからないままだが、走ってその場から逃げようとした。

すると、すぐに、壁にぶつかって倒れる。

いや、壁にしてはらかすぎる。それに、何か、懐かしい匂いもした。

「あんたそんな恰好で、何やってんのよ」

懐かしくもしい聲が、耳へ屆く。それは、間違いようのない、彼の聲であった。

「……りょ…う……?」

の姿を見たとき、不安だとか、恐怖だとか、そう言ったいろんな負のが吹き飛んだような気がした。

同時に、一度止んだはずの涙が、流れる。

「涼! 私は……私はっ!」

その場で座り込んだ聖は、泣きじゃくる。

どうしてここに彼がいるのか、なぜ助けに來てくれたのか。そんなことはどうでもよかった。

ただ、ここに飛鷲涼がいるという事実だけでよかった。

ポンポン、と涼に頭をでられる。

耐え切れなくなった聖は、涼の抱きつき、泣いた。

涼が拒絶することはなかった。

それが嬉しくて、回された涼の手が溫かくて、ほんのしの間であったが、ここが敵地であるということさえも忘れた。

「手、借りるわよ」

「……えっ?」

泣き止んだ聖の手を取った涼は、ポケットから真っ赤な寶石のついた指を取り出して、

それを聖の左手薬指へとれた。

「……ありがとう、ございます」

戻ってきた指を、右手で握りしめた聖は、指がいつもと違うことに気づく。

についている、寶石が、赤く、り輝いているのだ。

「『羽』……?」

出現した『天の羽』は、驚くべきことに、完全に元の姿に直っていた。毒の浸食により、元の十分の一程度になってしまっていたのだが、完全に元の形に戻っている。

下著姿の聖は、真っ赤な『羽』を羽織るように著ると、もう一つの違和を持った。

変わったことはあと二つある。

「これは……弓……?」

一つは袖の中に、白い弓があったのだ。取り出してみるが、今まで、そう、この指と十年以上の時間を共に過ごしているが、こんなものは一度も見たことがなかった。

そして、もう一つは、聖の頬に涼が『結界グラス』の力を使うときに出てくるものと同じような、星に一本の斜線を引いたような模様が浮かび上がっていたこと。

ただし、涼についた星は蒼に対して、聖のものはピンクであった。

「お嬢様、服をお持ちしました」

気づけば、そばに熊谷が、替えの服を持って立っていた。服をけ取ってきていると、ちょうど聞終えた頃に、この場の砂埃は完全に消えていた。

「おっ、お前は、飛鷲涼! なんでここに居やがる、いや、それよりも、どうやって天井を崩しやがった」

ニコッ、とさわやかな笑顔を早乙真珠へと向けた涼は、

「それなら簡単よ、第9バーンからぶっ壊してきたんだから、天井から來たのは當たり前よ」

「……化けが」

聖は、ここへ來るために、第9バーンの階段からってきたからわかっていた。ここから、聖たちのいつも生活をしているバーンまで、長さだけで何百メートルもあるのだ。

それを、地面を壊して、ここまで掘り進んできたというのか。

あまりにも馬鹿げた考えで、思いつくことは愚か、実行して、そして功する奴は真珠の言った通り本の化けぐらいしかいないだろう。

「翔馬の攜帯のGPSがここで止まっていたから、上ではちょうど空き地だったしね、ちょっと後始末が大変だけど、間に合ったから結果オーライってことでいいわね?」

左目を包帯で、隠れている涼だが、その表はわかりやすいものだった。

の腕とは思えない巨大な蒼い右腕、この力の底知れなさがわかる彼の行だった。

「てめぇら、何とかしやがれ!」

ちっ、と舌打ちした早乙真珠が、涼に一撃でやられてことを思い出したのか、後ずさりながら命令する。

だが、なんといつの間にか背後にいた熊谷が、彼に摑みかかり、あっさりと捕まえてしまったではないか。

「ナイスよ、流石熊谷」

涼が、熊谷に親指を立てながらそう言った。この二人に接點があったとは聖は知らなかったので、砕けた話し方で接する涼にし驚きがあった。

まだ、怪我が治っていなかったとはいえ、あまりにもあっけなく捕まってしまった早乙真珠を助けようと、先程まで聖の周りにいた男たちが詰め寄ってきたのだが。

「別に、來てもいいけど……命の保証はできないわよ――『フェン』!」

そう言った涼は、自の五倍ほどに太い柱に向かって、コツンッ、と右手の拳をぶつける。

カシュッ、ズドンッ、という衝撃が辺りを襲う。

次の瞬間には、確かにあった巨大な柱は、木っ端みじんに吹っ飛んでいた。

それを見た『リベレイターズ』は、武をその場に落として、両手を上げる。降伏の作だ。

「涼、その名前……」

今確かに、彼はその右腕に『フェン』という名前を付けていた。

「正式名稱は『フェンリル』、北歐神話で神を飲み込んだ化けからきているわ」

「どうして、化けの名前なんか……」

らしさのかけらもないその名前だと思ったのだが、涼は、ふふっ、と笑って、再び聖の頭の上に左手を乗せる。

「やっぱり一度、護るって決めたからには、神でも倒せなくちゃならないでしょう?」

「護るって……」

聖が聞くと、涼は自分で言っていて恥ずかしくなったらしく、顔をそむけた。

そんな涼の言葉としぐさに、聖のはドキドキと脈打っていた。

辺りを見ると、さっきまで何もかもが怖いと思っていたものが、別段怖くなくなっている。

早乙真珠は捕まった、彼に協力していた『リベレイターズ』も降伏した。

「これで、終わり……ですね」

聖はそう、呟いた。

第9バーンの『リベレイターズ』は捕まり、これから聖の計らいにより第9バーンの人間が地上のプレフュードに食われることもなくなる。

だが、涼の顔は決して良くはなかった。彼は、首を橫に振る。

その視線の先は、宮殿のり口である。

「いや……どうやら、『これから』のようね」

の視線を追っていく。

先にあったのは、何かので真っ赤に染まっている、筋質のに鋭い瞳を持つ、『生命』。

そう、絶対的な『生命』が、真っ直ぐに向かってきていたのだった。

                 ※

幸運なことに、この地下空間の上は、葵の墓がある墓地から、車で二十分數程度の場所であった。もしも、涼たちのいた場所とは、反対方向に窟が作られていたのならば、聖を助けることはできなかっただろう。

翔馬の攜帯の位置から、真っ直ぐに掘り進むなどという力技は、結果的に功したにしろ、失敗する確率の方が高かった。

だからこそ、琴織聖の救出には本來、飛鷲涼が行うものではない。

涼がここに到著するよりも早く、ここへは十人の『ジャスティス』が來ているはずだったのだ。

だが、ここに彼らの姿がない。

これは彼らが、聖を裏切ったわけではなかった。

今、涼の前へと歩いてくる『強者』、彼がどうして早乙真珠のもとにいなかったのか、その全にこびりついている真っ赤なで、大把握できた。

この男は、十人もの『ジャスティス』をたった一人で、しかも、この短時間で殺してきたのだ。

怖気がした。

「てめぇは……」

「合うのは、二度目、ね」

この人を服従させる獨特の雰囲気で、完全に思い出した。

武虎一朗、『ミルファーカルオス』の前の駅で、一度會っている。その時彼は涼に地上へ行こうとするなと忠告もしてくれた。

その忠告を守っていれば、葵が死ぬこともなかったのだろう。

「あの地獄から生きて帰ったか、それならば、この狀況もおかしなことじゃねえ……か」

彼と戦って勝てるとは思えないというのもあるが、エレベーター前での一件というのも大きな理由であるため、彼とは戦いたくはなかった。

「もう全て終わったわ、貴方たちが戦う必要もなくなった。これ以上プレフュードが人を殺すことはないわよ、だから――」

だから、戦う必要がない、そう言おうとしたところ、橫やりがった。

「おい、武虎! こいつらを殺せ! そして、俺を助けるんだ!」

早乙真珠の言葉を聞いた武虎一朗は、殺気を放ち始める。この殺気は生きならば誰でもじ取れるらしく、武を投げて投降していた『リベレイターズ』たちが一斉に逃げていく。

涼は、汗をかいていた。

これは、運からくるものではなく、冷や汗である。圧倒的な者の前に立つ、それだけで重圧になるものなのだ。

人間は、年を取るにつれて威厳を放ち、やがて急激に衰え死んでいく。

だが、百年以上も生きている不老不死の男は、『威厳』を衰えさせることなく、むしろ長させながら、人の生を超越する時間を生きてきていたのだ。

「すまねえな、お前らは殺させてもらうぜ」

そう言った武虎一朗は、を変形させる。

彼のには龍の骨がある、それが不老不死などという人知を超えた能力を彼に與えている。

を変異させた一朗は、頭に日本の白い角が生え、背中には銀の龍の翼、手足は白いうろこに包まれ、瞳のは金へと変する。

「『白龍はくりゅう』……ここに來る時點で、出會うことは覚悟していましたし、いろいろと調べもしました。しかし、よもや相対すことになるとは思いませんでしたが……」

隣で、聖が言う。どうやら、『神図鑑』の龍の部分に書き込んでいたのは彼だったらしい。

「調べたのなら話は早いわ、弱點は?」

アドルフの持っていた毒が、水に弱かったように、この一見最強弱點のないように見える『白龍』にも何か、簡単な弱點があると思ったのだが、聖は首を橫に振り、言葉を濁しながら、

「……いいえ、ありません」

その報は非常にショックだが、し考えれば當たり前のことだった。

あの図鑑を書いた『プレフュードたちが彼の弱點を知っていたのならば、今彼が生きているわけがない。

「要するに、倒すためには……」

「真正面からぶつかって『戦闘不能』にするしかありませんね」

「無茶言ってくれるわね」

言葉にするのは簡単だが、果たして真っ向勝負ができる相手なのか疑問ではある。

まるで、作戦も何もあったものじゃない、格上相手だというのにため息が出る。

しかしながら、涼に迷いも不安もなかった。

それは、自にある程度の対抗できる力があるから、というのもあるが、それ以上に、『らしくない』からだ。

「さあ、私たちらしく、いきましょう!」

翼を大きく羽ばたかせた一匹の龍が、彼たちに襲いかかってくる。

涼は右手で迎え撃とうとするが、武虎一朗と涼の間に、聖がってくる。

「任せてください――『羽』!」

聖の纏う羽に、龍と化した一朗の拳がぶつかる。

龍の拳が布きれごときに妨げられるだろうか、などという涼の杞憂はあっという間に消え去る。

聖は、いとも簡単に、違う、『天の羽』が龍の拳による、エネルギーを完全にシャットアウトしており、その攻撃を止めていた。

武虎一朗の止まったこの一瞬、それこそが好機である。

「吹っ飛びなさい――『フェン』!」

聖の背後から、跳んだ涼は、その拳を、一頭の『白龍』へと、ぶつける。

「…………っ!」

カチッ、ズドンッ、という音が響き、衝撃が辺りに飛んでいく。

飛鷲涼の指の力、『フェンリル』は一撃必倒のものである。膨大なエネルギーの全てを一転に置き、発させる。

例え、一頭の不死の龍であれど、全に波のように伝わり、外部部ともに破壊していく、その力の前ではけなくなる。

しかし、だからと言って、涼の自の力自が強くなったわけではない。

あくまで右手にその名の通りの『怪級』の力を持っただけに過ぎないのだ。

能力は常人とさほど変わらない。故に、敵に攻撃を當てることがまず難しい。

だからこそ、初撃において、龍を倒せなければ、この戦いは彼たちの圧倒的に不利となる。

「……なん…で、よ……」

涼は、をかみしめながら呟く。

武虎一朗は無傷であった。

ただし、その位置は聖の前ではなく、そのはるか後方で、膝をついていたのであるが。

「ちっ、そいつを食らっていれば、流石にやばかったぜ」

これが、涼が倒した早乙真珠や『ジャスティス』と、武虎一朗との違い。

彼の能力は確かに、特筆すべき點がある。常人ではとてもではないが、敵わないだろう。

しかし、もしも、一朗が何の力を持っていなかったらどうなのか。

それでも、彼に敵う者はないだろう。

百年以上前の戦から、今までずっと戦い続けてきた男の、経験から導かれる勘と殺し合いに対する覚悟の差である。

(これは……ちょっと、やばいわね……)

能力においては、涼も、聖も、プレフュードのが濃いかの違いだけで、普通の人間の子よりし強い程度のものしかないのだから。

それに涼は、左目がない。視界が、武虎一朗や聖に比べて乏しいのだ。

一撃目で、『フェンリル』に無警戒である、最初で勝負を決めなければ、その威力を知った武虎は、確実に涼の右腕を警戒し、二度と、毆らせることはなくなるだろう。

立ち上がった一朗は、再び翼を羽ばたかせた。だが、先程のようにすぐに向かってくるわけではなかった。

「あまり気乗りしないが、確実にてめぇらを殺してやる」

彼の言葉に、直的に『何か來る』とじ取った涼は、彼の一挙手一投足を警戒して見る。

しかし、結果的にそれが仇になったということがわかったのは、彼の金の目を見てしまってからである。

がどこかへ吸い込まれていくような覚を覚えた。

ぐるぐると頭の中が回っていく。何が起こっているのか、考えることもできなかった。

 

「あ……れ……?」

涼が気づいたときには、彼は宮殿にはいなかった。

ここは、良く知っている場所だ。

二階建てのベッドの上、そう、寮の部屋の寢室である。

一瞬、今まで全てあったことが夢のようにじた。

時計を見ると、時間は七時前、學校へ行くにはそろそろ起きなければならない時間である。

ベッドから降り、朝食を食べなければと自然と脳が思い、目をこすりながら、リビングへと向かう。

「あっ、おはようございます。先輩!」

「えっ……」

良い匂いと、ジュージューという食をそそる音が辺りに響いたリビングで、彼がいた。

「せーんぱいっ! どういたんですか?」

エプロン姿の、長峰葵が、涼に抱きついてきた。

いつもと変わらない、日常であるはずなのに、なんだか、無に懐かしいような気がした。

「えっ、ちょっ、先輩?」

っている葵を抱きしめたが、確かに実があり、夢でも幻でもないようにじた。

だが、なぜだろうか、いつもよりも彼が遠い気がした。

「葵……」

「今日の先輩、ちょっと変ですよ? まあ、葵としては役得ですが」

えへへ、と笑う葵の顔は、間違いなく彼のものであった。

ちょっと待ってくださいね、といった葵は、パタパタと朝食の準備にとりかかる。皿を並べてトーストとスクランブルエッグ、野菜と次々に食べが出てくる。

その當たり前の景を見ていると、どうして自分が、葵と會ってこうまで嬉しくなってしまったのか、わからなくなった。

自分は『ありふれた日常が、すごく幸せ』、などと思うような人間であっただろうか。

席に著いた涼が、並べられた食事を食べると、

「とても味しいわ」

「それはよかったです」

嬉しそうにニコリを微笑んだ葵を見て、一瞬、変な、そう、彼が死ぬ景などがフィードバックされる。

(これは……夢……?)

そうだ、どこからかはわからないが、全てが悪い夢だったのだ。

酷い夢を見てしまったせいか、脳裏にトラウマが刻まれているらしく、頭が痛かった。

「? どうしたんですか、先輩? まさか本當は不味かったり……」

不安そうにのぞき込まれる顔を見て、涼は首を橫に振って、

「違うわ、ちょっと昨日変な夢を見てね……」

「夢、ですか?」

どういう、と聞かれるが曖昧な笑みを返すだけにしておく、自が死ぬ夢の話など、彼も聞きたくはないだろう。

「今日は、部活はいいのかしら?」

「はい、朝練は珍しくお休みなのです」

そう、と言って再び、皿の上にある野菜を食べる。

どうしてだろうか、何気ない日常なのに、とても幸せで、それでいてどこか不安の殘ってしまう景であった。

ねえ葵、と涼が聞くと、「何ですか?」と聞いてくる葵。

「琴織聖、って知っているかしら……」

「…………知りませんよ、そんな

ということは、聖との出會いも夢だったのだろうか。

そう、といった涼は、今度はスクランブルエッグを食べようと箸で卵を取って口に運ぼうとしたとき、ある違和に気が付いた。

卵を皿に戻した涼は、

「どうして、琴織聖が『』であることを知っているのかしら?」

琴織聖、彼であることは、実際に會っていないと分からないことだ。『聖』なんて名前は、男でもあるものだからだ。

つまり、彼は聖のことを知っている。

「いや、だって先輩はの子にモテるし、葵は先輩が大好きなんですよ……」

揺しながら、取り繕っているのがバレバレだ。それに、その発言もおかしいのだ。

だが、ほんのしだけ涼は迷いを見せた。本の葵ではない、しかし、その姿、聲は全く同じなのだ。

の違いで、彼が『生きている』と言った事実を否定してしまってよいのだろうか、と。

それでも、目の前にいるは、はっきり言って不快であった。

「葵は誰であろうと人のことを『知らない』なんていわないわ――貴は、誰?」

長峰葵という人は、他人を悪く言わない。嫉妬心でさえ笑顔で隠してしまう、そんな優しく強いである。

目の前のはそんな葵を侮辱しているのだ。

とてもではないが、許せるわけがない。

次の瞬間、涼は、何が起こったのかわからなかった。

頭と、背中に痛みをじ、ようやく、理解をする。この葵に化けたが涼を投げたのである。涼は壁に頭と背中を打ったのだ。

當然、本の葵には人ひとりを投げるような力を持っているはずもない。

「やだなぁ、先輩。葵は葵ですよ」

「これ以上、噓をつくことはやめなさい、本當に、許さないわよ?」

けたけたと笑いながら歩み寄ってくる『葵のような何か』はいつの間にか、のいたるところが欠損していた。

とても生者とは言えない姿である。

「許せないのは葵の方ですよ、先輩、あの時どうして助けてくれなかったんですか?」

「……っ」

そう言った葵は、涼の首をつかみ上げる。

息ができない、苦しい、そんなの悲鳴が聞こえるが、涼は抵抗することができなかった。

右手で、彼を毆ればいい、それだけで彼は『壊れる』。

だが、できない。

「葵、先輩のせいで死んじゃったんですよ」

の言っていることは、正しかった。

世界でたった一人しかいない、可い後輩を、涼は、護ることができなかったのだ。

これ以上、彼を傷つけることは、涼にできるはずもなかった。

を投げられる。今度はテーブルをひっくり返し、様々なものが涼に突き刺さった。

いつの間にか、見えていると錯覚していた左目も見えなくなっており、中が痛んだ。

そして、自分が今、武虎一朗と戦っていたことを思いだし、今、自分が見ているのは彼が見せている幻覚であるということも理解した。

先輩、と言いながら近づいてくる葵もまた、幻覚。

そうは分かっていたとしても、涼には彼の毆ることなど、出來るはずもなかった。

『先輩』

その時、幻聴が聞こえた。

全く恨みのない、純粋な、葵の聲が頭に響いていきたのだ。

またこれも、『白龍』の力か、などと思うが、歩み寄ってくる『葵』は口を開いていない。

「あ…おい……?」

『先輩は、神様って信じますか?』

何を言っているの?

『葵は信じますよ。願い、葉っちゃいましたから』

人は、様々なとき、幻覚を見るという。たとえば、生死の境目であるときだ。

涼のそばに、もう一人、葵がいた。

これはさっきまでの葵の仮面被った鬼ではなく、本だとなぜか、直で分かった。

ただし、これも、幻覚であることもわかっていた。

『先輩、葵のことわかっているなら、葵が先輩を恨むはずがないこともわかっていますよね。だって葵はまだ死んでいませんから』

「どういう、こと……?」

言っている意味が分からない、彼が生きているはずはないのだ。

えへへ、涼の前へとくる葵は、涼の顔を指さした。

『葵は、いつも先輩と一緒です。そう、ずっと、共に生きていきます!』

「…………………っ!」

の言葉と、作の意味が、わかったとき、涼の目に一筋の涙がこぼれた。

葵が、涼を恨むはずがなかった。

は、涼のために、その命を最後まで使っていたのだから。

葵に手を引かれて涼は立ち上がると、今まで目の前にいたはずの本の葵の姿は消えていた。

立ちあがった涼は、そっと、左目の包帯を解いていく。

先輩、先輩、と不快な鬼が歩み寄ってきているが、涼は両目を閉じた。

包帯を解いた涼は、ゆっくりと、両目を開ける。

よく見えなかった、いや、違う、これは涼自が泣いているからだ。

「葵……貴、こんな姿になってまで――」

 私を、助けてくれるの?

「――ありがとう、葵」

迫ってきた鬼へと右腕を振り下ろす。

仮初の世界が壊れていき、涼は再び宮殿に立っていた。

そして、涼が毆った鬼の代わりに、その場所には武虎一朗の姿があり、正面から涼の攻撃をけた彼のは、宙へ浮き、やがて地面に落ちた。

涙をぬぐった涼は、再び両目を開く。

涼の目は、左右で全く異なる彩を放っていた。

右目は、彼が生まれてきてから今までずっと変わっていない藍。一方で、左目は亡き親友と同じ真紅であった。

その赤く輝く左目は、幻覚などを消し去り、涼に真実の世界だけを見せてくれた。

涼の『フェンリル』の一撃を食らってもなお、武虎一朗は、起き上ってくる。直撃したはずなのに、やはり、彼もまた化けである。

「不老不死だとか、百年前の戦爭の生き殘りだとか知らないけれど、もう一度この世界で多くの人を、プレフュードを、巻き込む戦いをしようとしているなら――それは傲慢すぎる考えよ!」

多くの人の犠牲の上に生きている涼は、人間一人の『死』というものが。例えそれがのつながった家族でなくとも、どれだけ辛いものなのか知った。

多くの人間とプレフュードの『死』でり立つ、多くの者が悲しむ世界を作ろうなんて、神でさえ願ってはいけない世界。

迷うことなく走った涼は、立ち上がった武虎一朗との間合いを一気に詰める。

「そんな考え、私の『フェンリル』が食いちぎるわ!」

「ぐっ――うおおおっ!」

避けられないことを悟ってか、一朗もまた、右手の拳を涼へと振り下ろす。

拳と拳が衝突する。

宮殿にダイナマイトのような発音と、風圧が、二人の拳の間を中心に起こった。

この瞬間で、既に勝負はついていた。

「…………」

何も、口を開くこともなく、その場に倒れる武虎一朗。やはり不死らしく、かろうじて息はしているようだった。

れた息を正した涼は、彼が幻覚を見ている間にも、誰かが殺されていないことを切に祈りながら――辺りを見回した。

そこには――馬鹿をやっている三人と、目を閉じ、その場で立つ一人がいた。

まず、涼は全痛むを引きずり、琴織聖の元へ行くと、

「お父様! 今日はどこへ行くのでしょうか!」

なぜか、そこにはいない『お父様』と間違えられ、聖に抱きつかれる。型の割に、普段あまり無邪気な笑みというのを見ないためか、非常に新鮮に映る。

「そうですか! 遊園地……楽しみです!」

「いや、私は何も言っていないのだけれど?」

まあ、きっと、彼は涼に話かけているのではなくて、見ている幻覚に話しかけ、幻聴という答えをもらっているのだが。

聖を見ると、ボロボロの涼とは逆で、傷は一つもなかった。おそらく、『天の羽』を著ていたから毆られても傷一つつかなかったのだろう。

外から見れば壊れている聖をもうし眺めたいとも思ったが、これ以上抱きつかられると、もう一度院しなければならなくなりそうなので、そのおでこにピシッ、とデコピンをした。

「痛いですよ、いきなり何をするのですか、おとう、さ……ま?」

「お父様じゃなくて悪かったわね」

かぁ、と赤くなった聖は、どこかへ走り去ってしまった。一応ここは『リベレイターズ』の拠點なのだが、まあ、『天の羽』があることだし、大丈夫だろう。

「さて、お次は……と」

馬鹿をやっている二人目、この中では最もどうしようもない風に見える―――夏目翔馬である。

「ああ! ようやく俺の夢が葉った! 涼×聖もいいが、攻めとけが逆でも全然いい! 俺は今、長年の夢を見ているのだ!」

いや、それ本當の夢だから。

幻覚を見せられている人をいたって冷靜な第三者の立場から見るとこんなにも『痛い人』に映ってしまうのか。まあ、翔馬の場合は終始あんなじかもしれないが……。

自分が葵の幻覚を見せられていた時、一どんなことを口走っていたのだろうか、とても不安になるのだが……。

その間にも、翔馬の幻覚はエスカレートしているらしく、彼は両手で顔を隠して(ただし、指の隙間は空きまくっているが)、

「いかん、それはいかんぞ、涼! お前ら二人とも初めてなんだからそんな激しいプレイは――」

「いい加減にしなさい!」

一瞬、本気で『フェンリル』でぶっ叩いてやろうかとも思ったが、なんとか、頬への左ストレートだけで勘弁してやる。

ふぐぅ、と言って倒れた、翔馬は、すぐに起きあがり、キョロキョロと辺りを見回し、

「何をする! そういう約束だったではないか!」

「どういう約束よ!」

涼がツッコムと、腕を組み、うーんと唸ってようやく、今まで自分が幻覚を見ていたことをわかってくれたらしいのだが、すぐに涼へと詰め寄ってきて、

「なぜ、なぜだ! 俺の、俺の夢を、そう夢でも良かったんだ! どうして起こした!」

怪我人である涼のをグワングワンと揺らしながらび始める。目には涙まで溜めて。

こいつ、本當に一度『フェンリル』で頭を毆った方がよいのではないのではないだろうか。

うああっ、などと散々涼への非難の言葉を述べた翔馬もまた、何処かへと走り去ってしまった。

翔馬の退散で、辺りが靜かになると思ったのだが、もう一人の馬鹿のせいで、まだ辺りはうるさいことこの上なかった。

「やめろ! やめてくれ! 俺が、そう、俺が悪かった! 何でもする、何でもするから!」

そう言いながら、何もないところで土下座し始めているのは、早乙真珠である。額には大粒の汗がにじんでおり、かなり怖い幻覚を見ていることがわかる。

涼は、しお灸をすえることも大事だと思い、彼をそのまま放置し、その近くで、佇んでいる老執事、熊谷の元へと行く。

「貴方幻覚をなかったのね」

「武虎一朗はその眼で、幻覚を見せると存じていましたので、終始目を閉じてございました」

「……それ、逆に危なくないかしら?」

武虎一朗が先に早乙を助けようと向かってきたら一どうするつもりだったのだろうか。

すると、熊谷は、まるで涼の心を読んだかのように、

「目を閉じてでも、誰がどこにいるかくらいは分かりますので、勝てぬとわかったときはお二人だけでも擔いで帰還するつもりでございました」

ニコニコ、と平然と言ってのける熊谷。これは冗談ではないのだろうか。

結局、この數日間で々な人と會い、別れたわけだが、この爺さんが一番『謎』だと涼は思った。

「いっ、命だけは! いくらでも毆っていい! 蹴ってもいい! 何でもするから!」

「なら、遠慮なく」

煩いというのもあるが、このままでは神的に死んでしまいそうなので、早乙真珠の頭を、ゴスッ、毆ったのだが、あっけなく、彼は気を失った。

さて、と言った涼は床で倒れている武虎一朗の元へと歩み寄る。

驚くべきことに、彼は、まだ意識があった。

ただ、立つことはできないらしく、その鋭い眼だけをこちらに向けていた。

「言い忘れていたわね――ありがとう」

「……? 一何のことだ」

彼の忠告を聞きれていれば、間違いなく葵は死なずに済んだし、涼も知りたくもないこの世の真実を知ることはなかった。これは優しさがなければ出ない言葉だ。

この禮の言葉は彼のそんな優しさに向けたものであった。

「なんで、あの男――早乙真珠の下についたの? 彼はプレフュードで、貴方たちにとって『敵』のはずだけれど……」

流石は不老不死と言ったところか、もうが修復されていっているらしく、彼はを起こした。

「てめぇは一つ勘違いしている、俺の敵は別にプレフュードなんかじゃねえ」

「聞いたんだけど、貴方は、百年前の、『神日戦爭』の生き殘り……死んでいった仲間のために戦っていたんじゃないの?」

「確かに俺は、戦爭で多くを失った。一時は復讐しようともした。だが、それは十年以上前の話だ。今は、安息だけを求めている」

「なら、もっとおかしいわ、それだと貴方がここにいる意味がないじゃない!」

何でもないただの日常にを置きたいのならば、『リベレイターズ』の拠點で、戦っていることと矛盾してしまう。

一朗は、一瞬、かなくなった早乙真珠を見てから、

「俺には、もちろんのつながりはねえが――娘がいるんだ。今年で八歳になる」

「……復讐を止めたって、その子のおかげかしら?」

返事はなかったが、それは無言の工程を意味しているようにじた。

「俺の娘――カレンは、今、そこに気絶している男に監されている。あいつは俺と違って頑丈さの欠片もねえ娘だからな、簡単に殺されちまう」

そのの名前を聞いて、に引っかかるものをじた。

確か、地上行きのエレベーターから出する時だ、結局どうなったのかはわからないが、を一人、見つけたが、確か彼も同じ名前であったはずだ。

「熊谷! あの日、私と葵の他にもう一人の子がいたはずだけど……」

涼が聞くと、熊谷はにっこりと和な笑みを浮かべ、

「カレン様ならば。こちらに保護しております」

だそうよ、と涼が言うと、一朗はちっ、と一度舌打ちして、

「骨折り損のくたびれ儲けって、のはこういうことかよ……」

ふー、と安心したように、その場で大の字に寢転がった一朗は目を閉じたのであった。

その後、一連の出來事は様々な進展が訪れることとなった。

まず、早乙真珠は、裁判にかけられることなく、しかし、涼の頼みにより死刑だけは免れて、第9バーン奧の刑務所へと『無期懲役』という名目でることとなった。

落ち目とはいえ、流石は王家の一族らしく琴織聖が、地上と々と渉してくれ、この第9バーンから地上へ行くことは止となった。

そして、武虎一朗はというと、第9バーンの更に下、つまり、元『リベレイターズ』の人々を娘のカレンと共に導いてくれている。プレフュードと戦いたい殘黨は、他のバーンの『リベレイターズ』の拠點へと逃げていったらしい。テロ活をするわけでもなく、かといって、地上に出るということもなく、一つの小さな『町』として、ちゃんとやっているらしい。

この件に関わった様々な人々の話を聞いたのが、一週間後の、學校の一番奧の部屋の中である。

「それで私が聞きたいのはまず、ここが『何の部屋』なのか、よ。いくら出資者だと言っても貴専用の部屋ではないのでしょう?」

部屋の中では、聖がいつも通り、偉そうにふかふかの黒い椅子に座っていた。涼はその前に置いてあるソファに座っていたが、どうもこういう足腰に優しすぎる素材に慣れていないせいか、すぐに立ち上がってしまう。

十日とし前には、ここの窓ガラスは割れたはずなのに、すでに綺麗に戻っていた。

「ああ、言い忘れていましたが、出資者というのは噓です」

「さらりと、貴ね……」

「私の祖父が、この學校の『創設者』なのです」

「へー、そんな昔から『ベガ』家ってここに住んでいたのね。ということは、まさかこの部屋は『王族』に由來がある部屋!?」

「もちろん、それも噓ですが」

「私に喧嘩でも売っているのかしら……?」

にこやかな笑みを浮かべたまま、辺りに『結界グラス』を出現させる。右手には『フェンリル』がその姿を現しかけた。

不老不死の龍ですら壊してしまった右手だが、聖は見たところで、顔を変えない。

「本當はですね、作らせたのです。私が學したときに」

「どうせ、それも噓でしょう?」

前二つよりもよほど現実味がないことだ。既存の建に新たな部屋を作る、しかも自分以外の所有に、だ。あり得ない。

だが、世の中、金の力とはすごいものだと痛する。

「學校の理事長にしばかりお小遣いを差し上げましたところ、快く了承してくれました」

學校の一部を工事することをだろうか、それとも、一室の工事代を含めてだろうか。どちらにしても普通に生きている涼には考えられない金がいた気がしてならなかった。下手したら橫領で即逮捕レベルの。

まあ、世間にばれたところで、聖が手回しするのだろうが。

「それよりも、左目の調子はどうでしょうか」

「ちゃんと見えているわよ、まあ、時々『見え過ぎ』って時があるけど」

どうやら眼球をくりぬかれていた涼に、目の移植というものを行うように指示したのは他でもない聖の指示らしい。

本來なら、葵のにこれ以上の傷を負わせるなんて、などと怒るところなのだが。

「長峰葵、彼が私に告げました、『自分の眼を先輩に使ってほしい』と。彼からの最後の贈り、大切に、死ぬまで使ってあげてください」

「……わかっているわ」

涼が気絶した後、しの間、葵はまだ生きており、聖に最後の願い言ったあと、安らかに息を引き取ったらしい。

本當に、最後の最後まで、彼は涼のことを思っていてくれた。

それを考えるだけで、涙が出そうになる。

「私、一人じゃ何もできないのに、こんなにも弱いのに、どうして葵は最後まで、自分が死ぬ直前まで、私のことを考えていてくれたのかしら……」

思わず、そんな言葉がれた。

涼自、自分が口に出していたとは思っていなかったため、聖からこんな答えが返ってきて非常に驚いた。

「簡単なことですよ、涼が弱いからです。もちろん、理的なものの強さではありませんよ。涼が、後輩である長峰葵でさえ心配で死にきれなくなるほどに、あまりにも弱かった。それだけですよ」

「あんたね、もうし――」

だから、と言った聖に指を突き付けられた涼は、口をつぐんだ。

「……だから、あの子に張って誇れるくらいに、強くなってください。迷い苦しみ、間違え後悔し、その先にある強さにたどり著ければ――いいえ、たどり著かねばなりません」

そう言う聖の姿は、まるで、子供を諭す母親のようであった。

見た目はお子様型なので、し威厳というものが足りないような気もするが。

強くなる、彼が言っているのは、きっと的なものや神的なものであるが、それでいて、もっと本的な、そう、誰もが求めることさえ忘卻している、言葉に表せない、明だが、確かに存在している、そんな強さなのだと思った。

「貴と一緒ならば、どこまでも強くなれる。歩んでいけるわ。だから、ずっと一緒にいて、私の思いを、け止めて!」

「えっ……」

涼がこけそうになりながらも、聖の元へと行き、機の前で、バランスを崩した。

そのせいで聖の顔の目の前に顔を近づけるようなじになってしまった。

聖は絶句している。しかし、これはいきなりの告白の戸いからではなかった。

というのは、當然、これは涼が言ったものではないからだ。

普段の低い聲を、裏聲まで使って高くし、涼の後ろから全く似ていないモノマネをし、揚句涼の背中を思い切り押す。こんなことをするのは第9バーン広しといえども、たった一人だけだ。

「翔馬、何すんのよ! っていうか何を言っているのよ!」

ふん、と鼻を鳴らしながら、眼鏡を直した翔馬は、

「お前らは様々なフラグを回収してきた! もはやくっつくだけだろう! だというのに中々進展しないものだからな、俺がひといだというわけだ」

勘違いを肯定化し、偽を真にしようと努力する。それは世の中の常識を覆す人間のあり方で、その努力は稱賛に値するが、その熱意をもっとどこか他のところへ向けてほしい。

だが、その時、不意なことで涼は抵抗もできなかった。

ちゅ、と聖が涼の頬へとキスをしたのだ。

「どうやってこれ以上の関係になれますか?」

「うっ……おおおおっ! リアルな百合きたぞ! ようやく、俺の、俺の夢が葉った!」

なぜ、そんなにうれしいのかわからないが、涙を流しながらび、喜ぶ翔馬。

段々と、友達にキスされたという事実に脳の理解がついてきた涼は、

「せっ、聖、貴、そんな気があったわけ!?」

「? いえ、そう言うわけではありませんよ?」

自分のしたことの意味を分かっていないのか、素で疑問符を浮かべている聖は補足した。

「『リベレイターズ』の拠點をどうやって探し當てたのか聞きました。彼がいなければ私はもっと大切なものを奪われていたわけですし、別にこのくらいの『ご褒』は上げてもよいかな、と思ったわけです」

泣きたいことに、馴染なのに反発することしかできない涼に対して、涼よりも翔馬と関わった時間が圧倒的にないはずの聖の方が夏目翔馬という男の扱いになれているのであった。

「で、でも、好きでもない人にキスなんか……」

「涼って意外といのですね、頬っぺたではないですか」

「それでもよ!」

「うおおおっ、これ以上のシチュはまだか! まだなのか!」

うっさい! と涼は翔馬を外に追い出した。

ちょうどその時、晝休み終了を告げるチャイムが學校に鳴り響いた。

終わりのせいで、馬鹿なことをやっているだけで終わってしまったような気がしてしまった。

「授業、行きましょう」

この部屋にいて、さぼられてはなんとなく良心が許せないため、涼は返事も待たずに聖の手を取って歩き出す。

キーン、コーン、とこの學校の鐘はし大きすぎるなと思っていると、

「……何でもない人にキスなんかしませんよ」

ボソッと、聖が後ろで何か言ったような気がしたが、鐘の音のせいで聞き取れなかった。

「何か言った?」

「午後の授業は私のクラス、育なので間に合わないな、と」

それを先に言いなさい、と言った涼は聖の手を引いたまま走り出す。

ねぇ、葵。

が死んでしだけ強くなったような気がしていたけど、そんなことは全然なかったわ。

戻ってきてなんて無理なことは言わない。

だから、待っていて。

きっと、いつかは私もそこにいく。

その時にはを張って、會っても恥ずかしくない私になっていると約束するわ。

絶対に、貴に笑われないように生き抜いて、立派な先輩として貴に會いに行く。

それまでは、私の中で助けて頂戴。

向こうであったら、また、四人で遊ぼうね。

バイバイ、アオちゃん。

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