輝の一等星》修羅の一閃

家に戻った早乙真珠の生活はその日から、がらりと変わってしまった。

彼が逃げたことに激怒した父は、彼を牢の中に閉じ込められ、日のの差さない牢屋の中、そのまま彼は三日の間、食べを與えられなかった。

それでも三日間はあっという間のようにじた。

ずっと考えていたのは、五月雨麥のこと。

が真珠の知らないやつと、結婚するということ。

それが頭の中をグルグルと回り、過ぎ行く時間を加速させていったのだ。

三日の監は怒りからではないということを真珠は父から聞かされた。

父はもうすぐ14になる真珠に、『結界グラス』の引継ぎをするための準備なのだという。

『結界グラス』の引継ぎというのは、指を渡すだけではダメらしく、まず、『結界グラス』のみに頼らないような程度の力をに著ける。だから、父は彼に剣道をさせていたのだ。

今まで、自分の目指した正義のために振るっていた剣を否定されたような気がして、いやな気分であったが、父親に失することはなかった。すでに彼は父からむものなど何一つなかったからだ。

父は言った、は鍛えられているのだから、次の段階へ進むと。

力を使えるような、『結界グラス』に押しつぶされないような強い神力を短期間で鍛え上げるらしい。

その方法は、斷食と、殺し合い。

すでに三日間何も食べていなかった真珠は、コップ一杯の水だけ飲まされ、一本の刀だけを持たされ、暗く広いの中へと放り込まれる。抵抗する力など彼には殘っていなかった。

「クソ親父が……」

上を見上げて毒づくが、すでに父の姿は見えない。

口にった泥を吐き出して頭上を見る。高さは10メートル程度だが、足をかける場がないため上るのは困難だ。

刀を手に取ってから、あたりを見渡す。

かなり広いようが、はどれほどの大きさだろうか、なくとも學校のグラウンドよりも広いかもしれないと思った。

しだけ真珠が進んでいくと、すぐに自が囲まれていることに気付く。無數にる眼に、最初は野犬か何かだと思った。

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彼の眼が暗闇に慣れていくにつれ、次第にそいつらが何者なのかわかってくる。

そして、その正がわかった瞬間に、チッ、と彼は舌打ちした。

そこにいたのは、確かにだった。

しかし、それは本來ならば高等として存在していなければならない、真珠たちプレフュードに近いはずの生き

彼を囲っていたのは、ガリガリにやせ細った人間たちだった。

ぼろぼろの服をまとい、黒い髪がれている人間たちは、誰もが息が荒く、目は走っており、それだけ見れば小さな鬼のような雰囲気があった。

その手には一人ひとりが武を持っていた。包丁、斧、ナイフ、と飛び道こそないが、殺傷能力は十分なものばかり。

「そんなに警戒すんなよ」

気さくに話しかけてみるが、誰一人として返事を返してこない。あるのは隠せないほどの殺気だけである。父に真珠を殺せば外に出られるとか言われているのだろうか。

三日間何も食べていない真珠は、カロリーのない脳でこの狀況を考えるが、を流さずに終える方法がなかなか思いつかない。

じりじりと詰め寄ってくる、人間たちに真珠が一歩下がったときである。

背後から、一人の男が斧を振り下ろしてきた。

「……っ!」

刀を鞘に納めたまま、どうにかけ止める。相手も何も食べていないためか、力はさして強くはなかった。

その攻撃を境として、周りにいた人間が一斉に真珠へ襲い掛かってくる。

「くそっ!」

刀を抜いた真珠は、無我夢中だった、迫りくる脅威を払いのけるだけで一杯。

だから、人を殺したと実するのは、切ってしまった後。

の前に重なるように積まれた3つの死、それを前にして彼は自の所業に恐怖し、激怒した。

しかし、に流されている暇はなかった。次から次へと、人間は真珠に襲い掛かってくる。

どうやら、人間は何も食べないと、へと近づいていくらしく、武を落とされると噛みついてきたし、致命傷でなければ彼らはまるでゾンビのように起き上がり、彼を攻撃してきた。

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これは、父の書いたとおりのシナリオ。

結局、自分は父から抗うことはできないのだと、次々と消えていく命を刀でじながら、真珠は思う。

殺し合い、いや、真珠の一方的な殺はどれほど続いたのだろうか。気が付けば、彼の周りには生者はいなかった。これだけの人間を切っても刃こぼれをしない刀が恨めしかった。

その場に刀を落とした真珠はおぼつかない足取りでの隅へと行き、壁を背に座る。

自分が一何をしたのだろうか。

なんでこんな目に合わなければならない?

早乙の、『スピカ』の統に生まれたからか。父親が悪黨だったからか。それとも、自分が無力だからか。

くそったれの父親が、力のない自分が、理不盡な世の中が許せなかった。

「さすが我が息子だ、もう片付いたのか」

頭上から聞こえてきたのは父の聲。真珠は無視するように何も言わずに、座り込んでいた。

このから出ることができるならば、すぐに父へと切りかかっていただろう。

「返事はない、か……。せっかく、五月雨の娘のことを教えてやろうと思ったのにな」

「…………っ!」

聞きたいという気持ちと、耳をふさぎたい衝が渦巻いた。

真珠は返事をしなかった。だが、靜かに父の言葉に耳を傾ける。

真珠は自分で思っている以上に弱かった。この狹く暗い、怖い、寂しい倉の中で、太を求めていたらしい。

五月雨麥のことを思うだけで、その太のようなまぶしい笑顔を思い浮かべるだけで、どんなに苦しくても立ち上がれてしまうのだから。

「彼の結婚式は3日後だそうだ」

「…………」

3日後、真珠はなくともあと4日はここに閉じ込められているので、出席などできるはずもなかった。

反応のない真珠に、舌打ちした父はつまらなそうな表をしながら離れていった。

それからの時間は覚えていない、父が次から次へと落としてくる人間たちを殺しながら、考えを放棄しながら真珠は戦った。心の中では、一度でも、考え始めれば、罪の意識で自分が保てなくなるかもしれないと思って、恐怖していた。

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まるで機械の作業のように人を切っていく。

次第に、真珠は自分がだれかわからなくなっていた。

それは、鉄のようなの臭いと死臭と、汗と、胃の中にもの上がればすぐに吐いてただろう臭いが立ち込める中、いつの間にか二十人ほどの人間に囲まれていたときである。

時間の概念さえも忘れかけ、本能の赴くままに刀を振るい続けていると、ふと、真珠は、我に返った。

『―—止めろ』

そんな幻聴が耳元で聞こえてきたような気がして、最後の一人の首元で刀を止める。

気が付けば自は返りで真っ赤になっていたし、切れ味がよかったはずの刀も一本のなまくらと化していた。

――――俺が戦わなきゃならねえのは、こいつじゃねえ

「今日は、何月何日だ?」

真珠が問うと、男は震えた聲で答えた。

我に返った真珠は、自分の周りにある死の山に気づき、恐ろしくなる。

自分がやったということは、理解しているが信じられなかった。

震えが全に回り、その場に崩れそうになるのを何とかこらえる。震える足をこぶしでたたいて、なんとか、その場で踏みとどまらせる。

――――後悔なら後からでもできる、懺悔なんていくらでもしてやる

だから、今だけは。

「……こんなバカげたことに付き合っている暇はない」

いかなくてはならない、彼のもとに。

思った以上にかないに驚きながら、近くに転がる武を拾っていく。

そして、壁へと一本ずつ突き刺す。多危なっかしいが、贅沢は言っていられない。これで登っていくしかないのだ。

あいつが、自分のもとから去ってしまう前に、言わなきゃならないことがある。

たとえ、それが、あいつの迷になろうとも知ったことじゃない。

幸せを踏みにじることになっても、そのときは、死んで詫びてやる。

さよならも告げずに去っていこうとするあのバカ野郎に、一言いわなきゃ気が済まない。

將來の夢、お嫁さん。

真っ白な歩きづらいドレスにを包みながら五月雨麥は、そんな可らしいことを確か稚園の頃は書いていたことを思い出していた。

今思えば、実にくだらない、面白くない願いだと思う。

あの頃は、純白のウェディングドレスにひどくあこがれていたものだ。確か親戚の結婚式の影響だったか。

「……本當に、面白くないな」

式が始まるまで、もうし。

麥は、鏡の前で座り、自の服裝と化粧された顔を見る。

小さい頃に夢見た願いを実際に前にすると、ひどい違和があった。

自分がこんなにウェディングドレスが似合わないだとは思っていなかったし、普段あまり化粧をしないためか、しきれいになった自分の顔が自のものではないようにじたし、武に見さえ思ってしまう。

結婚相手とは、つい先ほど會った。なんでも地下世界最強舞臺である『獅子団』の副団長の息子なのだとか。もちろんプレフュードで、第8バーンのルードに近いというだけでオルクスに、信頼されている男だ。

貴族という割には弱くはなさそうだったし、顔も悪くはなかった。なくとも、総合的に見て、悪い印象はなかった。

しかし、あの男ほどではない。

「嫁にもらってくれるやつの気が知れない、か……」

彼に言われた言葉は、実はかなりショックであった。心臓が切り裂かれる覚を覚えたほどだ。

ほかの誰にどんな悪口を言われても、揺るがなかったはずの心が、深く傷ついた。それだけで、麥は自の気持ちの意味を理解していた。

彼は今日の式には來るのだろうか、來たとして、一どんな顔をしているのだろうか。

そんなことを考えてしまい、自の気持ちに諦めがついていないことに辟易する。

そういえば、小さいころは、良妻になって、夫と共に、夫婦円満な家庭を築いていく、なんてことを考えていたか。

今思えば、それは前提が間違っていた。

「その夫がしたやつじゃないと――と、これは言ってはいけないことだったか」

靜かに待っていると、父が部屋にってくる。どうでも良い世辭に適當に対応した麥は、彼とともに、式場へと向かう。

歩きながら、父に子供の頃の話などを聞かされるが、この男が自の権力のために娘を売ったという事実は消えない。麥は、空の返事を繰り返すだけだった。

扉が開いて、教會の正面扉が開いて、父の隣で赤い絨毯を歩いていく。確かヴァージンロードとかいうところだ。

その先には黒い服を著た婚約者が立っていた。

目の前をふさぐベールが邪魔だと思いつつ、麥はあいつが出席していないか、橫目で確認するも、彼の父親こそいるものの、その姿はない。

(やはり、私はその程度だったわけか……)

勝手に期待しておいて、勝手に裏切られた気になって、ショックをけている自分に失笑する。

そもそも、あいつがいたらいたで、自分はまた別の形で傷ついていただろう。

いや、考えてみればデートもしたこともなければ、灑落た會話一つだって、麥と彼の間では一度たりともなかった。

それなのに、どうして自分はここまで固執しているんだろうか?

ただ、政略結婚が嫌なだけではないのか?

自分はいったい何を求めているのだ?

麥が考えていると、いつの間にか式は進んでいた。

神父の新郎新婦と言われて、自分たちのこととは思えずに、「はっ、はい」と遅れた返事をする。こういう公の場でこのような失態をかますなど、人生で初めて出會った。

進んでいく式に、きっと幸せ一杯で訪れるだろうと思っていた結婚式は、も面白味もないものだと思っていると、指換だとか、神父の言葉だとか、麥の中ではどうでもいいものが進行していく。

考え事をしていたせいか過程を全く聞いていなかったが、途中で、「誓います」とか「捧げます」だとか、言わされたが、いったい何を誓わされたのだろうか。

「では、ベールを開けてください。誓いのキスを」

そして、気が付いたときには、目の前のベールが取られて、婚約者の顔が迫ってきていた。

驚いてしまった麥は、力なく婚約者のを押して一度距離を離す。そういえば結婚式というのはキスをしなければならないのだった。もちろん、知らないわけではなかったが、いきなりだったのでびっくりしたのだ。

麥は、困している様子の婚約者ともう一度向かい合う前に、もう一度だけ、式場に彼がいないか確認する。

きっと、あいつがいたら、きっと麥はできなかっただろう。

彼がいないことを確認した麥は、迫ってくる婚約者に対して今度はそのを任せる。

本當に良いのだろうか、そんな言葉が頭に浮かんだが、拒んだところで前には進めないこともわかっていた。

迫ってきた顔に対して、麥は靜かに、目を閉じる。

ゆっくりと顔が近づいていき、お互いの息がかかる距離まで、近づいてきたとき、

暴に式場の口が開けられた。

「ふざけんな!」

その聲に無意識に目が開いた麥は、侵者のほうを向く。

そこにはいつもの姿であいつの、早乙真珠の姿があった。

しだけやつれた顔であったが、いつもの道著を著て、その手に一つの袋とさやに納まったままの二本の刀。

壇上の麥たちから、一同の視線が一斉に彼に集まる。

先ほど麥が歩いた赤い絨毯の上を歩いてくる彼をだれも止めなかった。いや、あまりの急な狀況変化にあっけにとられているといったほうが正しいか。

彼が近づいてくるにつれて、嬉しいような、悲しいような、複雑な気持ちになる。

こんな姿を見られてくはなかった、なんて思い苦しくなる。

しかし、麥の前まで來た真珠は、いつものようにニカッ、と笑ってから、

「案外、似合ってんじゃねえか」

「……っ!」

まさか褒められるとは思っていなかった麥は、顔を真っ赤にさせる。つい一瞬前に、キスされそうになったときは、平然な顔をしていたのに、である。

すぐに真珠は「でもよ」と続けて、手に持っていた袋から一枚の服を取り出して、突きつけてきた。

それを見て、麥は、言葉もでなかった。

「やっぱり、こっちの方がしっくりくる」

渡された服を広げると、麥の普段使っている道著。

ついこの前まで普通に著ていたはずなのに、ひどく懐かしくじてしまう。

「真珠、お前は……」

「俺はまだお前に勝ててない、勝ち逃げなんて許さねえよ」

その瞬間、麥は自分がどうして、この男に拘っていたのか分かったような気がした。

拍子抜けしてしまうような、簡単な答え。

「帰るぞ、麥」

日々、勝てるはずもないのに、向かって來た真珠。それに一度たりとも負けない自分。

そんな日常が、彼と一緒にいる時間が楽しかったから、彼といる一瞬、一瞬に『生』をじられたからだ。

本當に、それだけだろうか?

「気に食わねえってんなら、今ここで俺を切れ。お前に切られるなら悪くない」

生意気な言葉と共に突きつけられるのは、鞘に納まった一本の刀。

結婚式をぶっ壊したことについての謝罪はどうやら一切ないらしい。

「だが、これはもう……」

決められていたことなのだ、そんな言葉が出かかったが、からは出なかった。

覚悟していたはずなのに、強いと勘違いしていた、自分の意思の弱さに驚く。

何が何だか、わからなくなって、涙が頬を伝う。

ダメだと思いつつも、否定したくない。

泣くなよ、と言いながら真珠は驚いた様子だった。いつもお姉さんぶっている麥が、泣いているのだから。

けれども、自分のことをカッコ悪いと思いつつも、麥は涙が止まらなかった。

はぁー、と息を一つついた真珠は、一本の刀を無理やり麥に押し付けてから、

「らしくねぇ、規則だとか、親が決めたからだとか、てめぇはそんなもんに収まっちまうじゃねえだろ」

「…………」

そうか。

真珠の顔を見ながら、麥は自分の考えていたことが違っていたことに気付く。

てっきり、彼と一緒にいる時間が惜しくて、その瞬間が楽しくて、まだ一緒にいたいからこの式に不服だったのだと、考えていた。

もちろん、それがないと言ったらウソになる。

五月雨麥は彼のことが間違いなく、好きなのだから。

しかし、彼には、それと同じくらいの、大きな理由がもう1つあった。

暴れ足りない。

ようやくわかった、何か足りないと思っていたもの。

そう、まだ、むき出しの刀として、自分は鞘に納まりたくなかったのだ。

我ながら子おなごらしくない理由に、おかしくて、ふっ、と麥は笑う。なんだか、安心した。

麥の反応が気にらなかったのか「なんで笑ってんだよ」と、言ってくる。麥は「すまない」と返してから、彼の手から刀をけ取る。

「決めたよ、私はお前だけには一生負けない」

「……すぐに超えてやるよ」

そんな真珠との応答をしていると、ようやく、式場にいた大人たちが騒ぎ始める。

式を臺無しにしてしまったからか、父がものすごい形相でこちらを睨みつけていた。

今日ここに集まったのはほとんどがプレフュード、真珠や麥の父をはじめ『結界グラス』を使える奴らもいる。

幸い、オルクスはいないものの、説得するにしろ、戦わずに逃げるにしろ、かなりハードルは高そうだ。

「こいつは渡せねえ、文句あるやつは前に出てこい」

真珠が、の程知らずにも、式に集まった大人たちに向かって、宣言する。

本來なら、頬を染めて恥じらうような場面かもしれないが、麥は初めから喧嘩腰なのが面白くて笑っていた。

覚悟は決めた、もう立ち止まらない。

刀を抜いた麥はきやすいようにウェディングドレスのスカートを刀で切ってから、殺気立つ大人たちを見る。

真珠と目を合わせてうなずいてから、麥は慣れない服裝で、刀を構える。

「さあ、始めようか!」

俺って、こんな奴だったっけ?

大人のにまみれた結婚式を思いのままぶっ壊してしまった完全なアウェーな狀態を見て、靜かに早乙真珠は思う。

いつもそれなりに空気は読んできたつもりだし、戦うにしても相手は選んできたつもりだ。もちろん、麥に対しては、いつも、馬鹿みたいに、がむしゃらに突っ込んではいたが、それは例外といっていい。

本來の自分はもっと、ズルくて、冷めている。

(心を熱くさせてしまうのは、どっかの誰かさんのせい、だよな……)

ああ、親父も怒っているな、なんて思いながら、真っ先に真珠の前まで來た父を見て思う。

本來ならば。格上相手なんて、手に余る。相手なんてしたくはない。

それは、今でもそうだった。

「失したぞ真珠、人様の幸せを壊すとは。貴様がこれほど愚かだとは思わなかった――だが同時に、嬉しくもある。あのから自力で出したこと」

手に持っているのは、父が大切にしていた我が家の家寶の刀であった。刀を生み出せる『結界グラス』を持つ父だが、こればかりはコピーできないだろう。

ゆっくり刀を抜くと、流石は家寶というだけあって、良い輝きを放つ刃が現れる。

「そして、貴様と一度、本気で殺しあえることに」

一度たりとも勝ったことがなかった父の指から『結界グラス』が出現し、両手から刀が出現する。真珠の持っているものと同じ本の刃

どうやら、父は勝負といっても死ぬことはない剣道ではなく、文字通りの殺し合いの切りあいをご所らしい。

息子を切ろうだなんて、とんでもない父親だと思いつつ、なぜか口元が笑っていた真珠は、靜かに構えた。

きっと、自分はこの世に生まれ落ちた瞬間から、塗られた宿命、ってやつを背負っちまっているらしい。

その道には、おそらく多くのがあることだろう。

一歩、歩くたびに、命が消えていく。

悲しく、罪深い、道のりになる。

それでも、歩みを止めることはしないと決めた。

自分にとって正しいと信じた道なのだから。

「てめぇの歪んだ正義、俺がぶった切ってやるよ」

そう宣言してしまって、ああ、は爭えないなとじる。

今、自分は本気で父親を殺そうと覚悟してしまったのだから。

父と剣をえたのは久しぶりであったが、慨などは皆無だった。彼の振るう剣は『結界』で作った模造品のはずなのに剣先まで殺気が込められており、けきるので一杯である。

どうやら親父は本気で殺しにかかってきているらしい。

「お前は、この式の意味がわかっているのか? 私たちの計畫を理解した上での行か? この式が破談となれば、そこから生まれた亀裂は私たちを殺すだろう。それをわかっていて我が家を潰す気なのか? それとも、ただ無知なだけか? どうなのだ、真珠!」

「んなもん、知るかよ!」

そうんで思い切り振りきると、彼の持っていた剣が弾かれて宙を舞ったが、すぐに父は新たな剣を手元に生していた。

「あの娘に惚れたのかどうかはわからないが、貴様の一時のなどのために、我が家、いや、この第9バーン全を巻き込むことなど、私は許さんぞ!」

それを見て、真珠は思う。

親父はわかっていない。

いや、忘れてしまったのだろうか。

剣が折れてしまった時點で、剣士として、すでに敗北しているということに。

ほんのしの期間、父は息子と剣をわらせていなかった。

その間、真珠は毎日のように、一人の剣士とぶつかっていたのだ。

今ならば容易にわかってしまう、目の前の『結界』に頼っている男が、彼には到底かなわないということを。一つ次元が違ってしまっていることを。

父の手から生された剣は先ほどよりも長いものであったが、関係ない。

が完了する前に先にいた真珠の剣が彼の左腕を切り落とす。

「…………っ!」

腕が落ちると、『結界』の力もまた消え、指が取れて真珠のもとへ転がってくる。

そして、自分よりも弱いものしか相手にしない自分はやはり卑怯者だと思いながら、真珠はそれを拾った。

「親父、俺はずっとあんたに憧れていた。強く正しい、そんなあんたに――」

を失い、立ち盡くした父に向けて、真珠は「だから、」と続ける。

「そんなあんただからこそ、俺の『正義』は絶対に汚させねえ」

この馬鹿息子が、とだけ言った父は、背を向けた。その背は怒りでわなわなと震えていたが、力を失った今、それ以上噛みついてくることはなかった。

父の後ろを姿から目を離すと、妙に靜かになっていることに気づいて、辺りを見ると、真珠たちが剣を振り回したせいか、結婚式場には人がいなくなっていた。花婿すらも。

「そちらも済んだようだな」

そして、祭壇の上には、一つの死と、真っ赤に染まったウェディングドレスを著て、涙を浮かべている五月雨麥の姿がある。

そのが彼の父のものだということはすぐにわかった。

に対して何か言うべきかどうかとも考えたが、自も父を切ったであり、何も言う資格はなかったし、言葉は一つとして頭には浮かばない。

「私は父の立場を知っていたし、この選択が決して良いものではないということもわかっている」

「…………」

「だが、私は、この選択に、この結果に後悔はしていない――守るものがあるからな」

ニコッ、といつもの不敵な笑みを浮かべた彼のついた顔をぬぐってから、壇上から手を差しべてきた。

そのとても細く華奢な手を握った真珠は、思っていたよりも遙かに強い力で引き寄せられて、再び壇上へと上がる。

麥に小さな指を渡される。それは、彼の父親がつけていたものだった。

け取ったものの、どうすればよいのかよくわからなかった真珠は、代わりに手に持っていた、先ほど拾った父の指を強引に彼に奪われる。

ほら、といってし顔を赤らめながら左手を差し出してくる麥。一が何をしたいのかわからない。

何もせずに、彼の顔を不思議そうに眺めていると、睨まれた。

「お前は何にもわかっていないのだな」

深いため息をついた後、麥は無理やり真珠の左手を持ってきて薬指に彼の持っていた指をはめてしまう。

そして、麥は真珠の目の前にもう一度左手を突き付けてきたので、同じようにやればいいのかと思って、同じ指につけてやる。

なぜか、嬉しそうに自分の指にはまった指を見た麥は、「行こうか」と言って、真珠の手を取って、壇上を降り、式を出るために早足で赤い絨毯の上を進んでいく。

これから自分たちがどうなっていくのかなんてわからなかった。なにせ、ここまでは勢いで來てしまったのだから。

だが、彼がいれば、どうにでもなるような気がする。

それが、あまりにも稚で淺はかな行だった。

先ほど自が開けた式場の扉を今度は二人で開ける。

作られた太が差し込むその先の外には『自由』が待っているはずだった。

「なっ……んだよ、こいつは……」

式場の外は、綺麗な石畳の道と脇には人工芝が広がっているはずだった。

だが、そこには彼の考えてもいなかったような景がある。

の山。

転がっている死の服裝からここに転がっているのが、全て先ほどまで式場にいた人たちのものだということは推測できる。

そして、それをやった人を特定するのもまた、容易であった。

橫たわっている死の山の中、唯一立ち上がっている、人

「今日は面白い狩りができるということでしたが、拍子抜け、全くつまりませんわ」

そこにいたのは一人の貴婦人である。

真っ赤なドレスにを包み、五月雨麥よりも癖の強い銀髪に青く冷たい目、クルクルと縦ロールの前髪、後ろは複雑に編みこまれていた。

上品に笑っている彼の周りに死は集中しており、その手に持っている傘には大量のが付著している。想像したくはないが、どうやら彼はそんな武とは程遠いその傘でここにいる奴らを全員殺したらしい。それも、真珠たちが各々の父親と戦っていたあの短い時間で。

その事実だけですでに、真珠の警報はうるさいほどに鳴っていた。

さらに、彼の纏う空気が彼の今まで味わったことのないような重圧を持っており、その場に立っていることすら、ちゃんとした意識がなければできないとじた。

「オルクス……どうしてお前がここへ?」

その人の名を震える聲で麥がつぶやく。彼がこんな聲を出すところを初めて聞いて、真珠もさらに不安が増した。

オルクスは優雅にほほ笑むと、

「言ったでしょう、『狩り』ですわ」

「狩り……?」

「はい、先日、第9バーンの『スピカ』と『アークトゥルス』の二家および、第8バーンの『デネボラ』の間で私わたくしの暗殺計畫があったことを発見しましたの。だから、どうやって殺しにきてくれるのだろうかと、こうやって私一人で貴方が集まる場へ參上しましたの」

親父たちが、こいつを殺そうとしていた?

真珠には彼の言葉の意味がよくわからなかった。というのも、彼はこのとき、目の前にいる貴婦人が誰なのかもわかっていなかったからである。

「失しましたわ、所詮はあの蛇に利用された方々だった、ということでしょうか」

そして、オルクスの目が、今度は真珠たちへとむけられた。

今の自分では到底手の屆かない、絶対に手を出してはいけない相手だとわかってしまっているためか、真珠は今すぐにでも逃げ出したい衝に駆られる。

そんな彼の揺を知ってか、「大丈夫だ」と麥はそっとささやいてきたが、彼の震えは止まらなかった。

「貴方がたの指に嵌っているのは父のものではないですか――つまり、貴方たちは『継いだ』ということですのね?」

「私たちは父の考えなど知らない、私たちは私たちの、彼らとは違う道を行くつもりだ」

「そんなことはどうでもよいのです――あなた方の手にその指があること、私にとってはその事実だけで十分ですから」

オルクスはやんわりとほほ笑むと、手に持っていた傘を持ちながらゆっくりと近づいてくる。

と目が合った瞬間、ぶわっ、と全に鳥が立つ。

そんなただならぬ空気に真珠は彼が、自分たちの話など聞いていなくて、ただ殺戮を楽しむためだけにこの場にいることに気付く。

「真珠、貴様は逃げろ」

そう告げた五月雨麥が前に出る。その橫顔には険しい表が読み取れた。

しかし、真珠の足はかなかった。震えているだけで、前にも後ろにも行かない。ただ、自分の足についている重りにしかなっていない。

「貴が先ですか? てっきり、殿方のほうが先かと」

「…………」

麥は、何も答えなかった。そもそも彼の耳に聞こえてくるはずがないのだ。

極限の集中。

それが彼の強さであり、という別以上の力を持てる理由でもあった。

「面白くありませんわ」

先にいたのは五月雨麥であった。

冷淡な目で見降ろしてくるオルクスに対して、一気に間を詰めた麥は下段から振り上げ、オルクスの心臓へと刀を向けるが――屆かない。

「良い刀ですが、貴のような未者が使うなんて、寶の持ち腐れもいいところですわ」

オルクスは彼の刀を、なんと、素手でけ止めていた。もちろん、刃先にはれずに。

次元が違うことを理解したらしい麥はすぐに、刀を返そうとするが、彼が力をかけてもピクリともかなかった。

その様子を、まるで傍観者のように見たオルクスは、手に持った刀を引き寄せる。

「刀というものは――こうやって使うのです」

オルクスが刀を引いたことによりバランスを崩した麥は、まるで吸い込まれるようにオルクスが持つ刃先に向かっていった。

次の瞬間、サクッ。

まるで、ケーキを切っているかのように彼の首へ刀が食い込んでいた。首が飛んだわけではない、オルクスは文字通り首の皮一枚で彼を生かしていた。まるで、おもちゃで遊ぶ子供のようにじた。

麥の首からはヒューヒュー、という音が聞こえてきた。彼は何か言いたげに口をかすが、真珠にはどうすることもできない。

絶対的な強者におびえた彼は、震えながらその場にへたり込む。命乞いの言葉も、麥へ言いたかったたくさんの言葉も、何も思い浮かばなければ、また、口に出すこともできなかった。

あんなにも強く、しかった彼が、簡単に殺されてしまったその景は、真珠の何もかもを壊していく。

涙が流れる、鼻水が垂れる、それら自分の粘は今までの自分の積み上げてきたものの全てをから絞り出してしまっているようにじた。

自分が何者なのか、どうしてここにいるのか、なんでこんなに悲しいのか、恐ろしいのか、何もかもがわからなくなる。

「貴方が新たな『ベガ』ですの?」

「…………」

オルクスの聲が、自分に問いかけてきているものと認識できなかった。まるでテレビの中から問いかけてきているよう。

真珠が何も答えないでいると、ふっ、と笑ったオルクスが、

「貴方にチャンスを差し上げます」

「…………」

そう言って、刀を真珠の前に置く。そして、數メートル先で首からを流し、のどから空気がれているのほうを見て、

「そこの小娘を殺しなさい――そうすれば、貴方は生かしましょう」

「…………っ!」

オルクスは、自分に麥を殺せと言っている。そうしなければ、自分を殺すと。

目の前に刺さった刀を、震える手で引き抜くと、倒れている麥を見る。

そんなこと、できるわけがない。

真珠の足はかなかった、オルクスに一矢報いるという考えは思いもつかない。自の無力と、自分も殺されてしまうのではという恐怖と闘いながら、死にゆく五月雨麥を見ることしかできなかった。

オルクスは、冷ややかな目で彼を見降ろしていた。まるでモルモットに向ける研究者のような、真珠を人として見ていない、そんな目。

「どうしたのですか? さっさとおやりなさい」

オルクスの言葉が頭に反響する。やらなければ、自分が殺される。

刀を杖代わりに使い、立ち上がった真珠は千鳥足で麥のもとへと歩いていく。頭の中で、どうして後ろにいるオルクスに切りかからないのか、と自分の中の誰かがんでいたが、彼がオルクスに刃を向けることはなかった。

を流して倒れているの前に立った真珠は、へ刀を向けたまま、止まる。風の音とともに、彼から聞こえてくる空気がれるような音が聞こえてくる。

麥の眼は真珠の目を見ていた。その眼にはまだがあり、彼がまだ生きているということを証明している。

自分が生きるためだ、仕方がないこと。

何もしなくても、彼はすぐに死ぬのだ。

ここに來るまでに多くの人を殺したはず。

いまさら何をためらう必要がある。

様々な言葉で自分を納得させようとするが、彼の手はそれ以上くことはなかった。父に刃を向けたときには、躊躇などしなかったのに。

無理だ、麥のその命を自らの手で絶つことなど、自分にはできない。

それは今更気づく、偽善的な行為ではなく、純粋なまでのだった。

そのとき、麥のがゆっくりといたではないか。

「まったく、仕様がない奴だ」

の聲が聞こえたような気がした、首にけがを負っていて普通に話せるかどうかも怪しいのに、いつものきれいな聲で、彼の耳には屆いた。

そして、彼の手には剣先から確かなが伝わってくる。

「…………っ!」

言葉は出なかった。

を貫いた刃を通って、一筋のが彼の手元まで流れてくる。それは暖かく、それでいて、どんなものよりも冷たくじた。

そのとき、早乙真珠は壊れた。

麥……、とようやく、真珠の聲が出たころには、すでに彼はこと切れていた。返事もなければ、閉じられた目が開かれることも、のどこかがくこともない。

涙が流れる、即座に湧いてきた後悔だけが、彼の中には殘っていた。

何度も、何度もその名前を呼ぶ。

聲が枯れるまで、嗚咽をえながら、名前を呼び続ける。

しかし、彼は二度と目覚めなかった。

散々遊びまわってしまったせいか、帰りによったレストランにて執事相手にデートの話を自慢話のようにしながら夕食を食べた後に、運転席から聞こえてくる熊谷の聲も聞かずにしばらく眠っていた琴織聖の意識が覚醒したのは、抱えられ、自室のベッドに寢かされたときであった。

背が小さいとはいえ、子供ではないのだから、こういう運ばれ方は嫌だといつもいっているはずなのだが、小さいころから傍に仕える老人は聞いてくれない。

広いベッドに橫になり、おそろいで買った髪飾りをでて、嬉しくなったあと、もうしだけ眠ろうと瞼を閉じかけた時である。

電話の呼び出し音が響いたせいで、眠ることはできなかった。

仕方がなく取ると、ディスプレイには『夏目翔馬』の名前が表示されている。

疲れているのであまり電話には出たくなかったが、昨日、デートについて彼に相談してしまっている以上は、出ないわけにもいかない。

『すまないな、こんな時間に』

「別に良いですよ」

真っ白な壁を見つめながら言う。おそらく彼の聞きたいことは今日のデートについてだと思っていたのだが、

『賭刻黎についてし聞きたいのだが』

「彼が、どうかしたのですか?」

そういえば、と、翔馬は第5バーンで詠を救出した後、彼と一緒にいたことを思い出す。

翔馬が聞いてきたのは、不可解と言わざるを負えないことであった。

『あの、俺を捕まえて何事かと思えば、涼のことを聞いてきたのだ』

「聞いてきた、というのは?」

『全てだよ、馴染の俺があいつの傍にいて見たことすべて知りたいと言ってきたのだ。その際に、俺が涼の馴染だってことも知っているみたいだった』

それは確かに不自然な話である。

が自分の仲間のことを知りたいと思うのは當然なのかもしれないが、ならば、どうして涼のことだけなのだろうか。

それも、本人の口からではなく、馴染の翔馬から聞いたというのだから気になる。

実を言えば、賭刻黎のことは聖もあまり知らない。

とあったこともたったの一度きり、それも、急いでいたためろくにはなしもしていないので、當たり前のことなのだが、どうして彼が自分たちと同じ道を歩いてくれているのかは疑問であった。

それともう一つ、と言った翔馬はさらに不可思議なことを聞いてくる。

『俺は賭刻黎に昔あったことがあるような気がするのだ、それもかなり昔に――お前ならば覚えていると思ったのだが……』

「それを私に聞くということは、私たちが子供の頃のことを言っているのですか? ありえないでしょう」

今は子供じゃないのかと聞かれると微妙なところにはなってしまうのだが、問題はそこではないだろう。

聖が言った『子供の頃』というのは、聖たちが一度バラバラになる前、四人で一緒に遊んでいた時の事である。

それは9年前のことだ、そこから黎の年を引いてしまうと、歩けているのかさえ定かではない年齢になってしまう。

『だがな……何処かで、いや、似たような人を見たような気が、な……あのを見てからずっと、頭に引っかかっているのだ』

「あの子の母親と會ったとかではないですか、あるいはお姉さん、とか?」

『その様子ならば、お前も覚えていないのだな――親族にしろそうでないにしろ、昔の記憶であのと似ている人間を思い出したら教えてくれ、気になってしようがないんだ』

わかりました、と言ってから、聖もしだけ黎というについて、思い出してみる。

本人ということはありえないにしろ、翔馬が言うくらいなのだから、きっと一度か二度會っただけの人ではないのだろう。

スカイブルーの髪に、青い瞳、確かに昔、そのワードを満たすは見たような気がした。

聖の脳検索にすぐに引っかかったのは、たった一人だけである。

だが、そんなはずはないとフルフルと頭を振って、自分の考えを頭の中から追い出す。

(そう、彼に関係あるはずが……)

もしも、聖の想像した人と関係があるのならば、聖や翔馬が知らないはずがないのだ。知らないということは、すなわち違うということなのだろう。

『ところでだ、今日のデートはどうだったんだ?』

「やはり聞いてきますか」

『そりゃあ気になるだろう、百合好家の俺としてはすでに自の妄想で押しつぶされるかもしれないと危懼する程度には様々なシチュを妄想しつくしたといって良い――そのせいで、原稿はだいぶ遅れてしまっているがな』

「原稿、とは?」

『まあ、こっちの話だ』

はははっ、と笑う翔馬に呆れながら、「しようがないですね」と言って涼とのデートについて話していく。

食べさせ合いをしたこと、おそろいの髪留めをかったことなどあったことを話していく。

デートの容を一つ言うたびに電話の向こうで彼の発狂したような聲が聞こえてきて、兄弟だろうか、後ろから「ショーマ、うるさいから出て行って」という辛辣な子供の言葉が聞こえてきたので苦笑する。

そして、話している途中で気づいたのだが、どうやら自分は、この話を誰かにしたかったらしいということだ。

今日のデート中はいろいろと調べて考えていたのだが、やりたいことの半分も実行しないうちに、楽しんで終わってしまった。

こんなデートで本當によかったのかどうかということ、涼は果たして楽しんでいてくれていたかどうかを客観的視點から第三者に聞いてみたかった。

「こんなことでよかったのでしょうか……?」

『告白は、したのか?』

いいえ、と言うと翔馬は「くっ、この意気地なしめ」などと、嘆いた様子で言ってくる。この男は本當に聖たちが付き合いだしたときにはどんな反応をするのだろうかと思う。

『なら、お前は涼にを持っているかどうかはどうなのだ?』

「すみません……」

『こんなことならば、デート前にもうし俺がアドバイスするべきだったか……』

いや、貴方それは漫畫や本で読んだ知識でしかないでしょう、という突っ込みを心の中でする。口に出してしまうのは非常に面倒だと思ったからだ。

「あの、私は涼が楽しんでくれたかどうかを聞きたかったのですが……」

すると、翔馬は、はあ、とため息をついてから、

『じゃあもう一つ聞くが、お前は、楽しかったのか?』

「もちろんですよ、だから涼が楽しんでいたかどうかわからないのではないですか!」

『なら問題ないだろう、あいつもそれなり以上には楽しんだはずだ――當たり前なことを聞くな』

翔馬のそんな言葉を聞いて、本當に責任のかけらもない言葉であったが、なぜか安心した。

今後の研究のため、などとわけの分からない理由で、更に詳細を聞き出そうとしてくる翔馬であったが、後ろから野太い聲で『翔ちゃん、そろそろ締め切りのことを考えてほしいでござるよ』と言われたためか、

『すまない、し忙しいようだ。詳細はまた今度聞かせてもらおう』

「はっ、はい……」

じゃあな、と言われて電話が切れる。まるで嵐のような男だと思った。

ただ話していただけなのに、異様なまでの疲労じていると、コンコンと、部屋がノックされる。

どうそ、と聖が言うと、熊谷がってきた。

「先ほど、飛鷲様が家をお出になりました」

「この時間に、ですか……?」

涼の家というか、學生寮の前には彼には緒で監視カメラが仕掛けてあるのだが(もちろん、変なことで使うわけではない)、この時間に彼が外出することなどないはずだった。

コンビニに行ったとか理由はいくらでも考えられ、別に気にすることでもないのかもしれない。

しかし、そのとき、またしても聖の電話が鳴りだす。

ディスプレイには『早乙真珠』の名前が表示されていたのであった。

ただいま、という聲にうっすらと意識が覚醒する。

記憶をたどると聖と遊びに行って、帰ってきた後、自分はしだけ寢てしまっていたらしい。

まだ眠り足りない気がして、目を開けるのを無意識で拒んでいると、部屋の中に誰かがってくる気配がする。

だれかはわからないが、気配は近づいてくる。ベッドの二階まで上がってきたということはもしかして起こしに來てくれたのだろうか。

「……リョウお姉ちゃん?」

視線をじていると、名前を呼ばれる。起こそうとしているのではなく、起きているのかを確認するかのような聲であった。

しばらくの沈黙。

夕食をまだ食べていなかったので、空のお腹が警報を鳴らしているのがわかった。

そろそろ、起きてご飯を食べるか、と思って目を開ける。

「それじゃ、いただきま――す?」

涼が目を開けた瞬間、の顔があった。

というか、れ合うかれ合わないかくらいの位置にある。

いつもなら、驚いているのかもしれないが、こそこそと部屋の中にってきて、起きているかを確認するような作を事前に確認していたためか、飛びのくことはなかった。

涼が目を開いたため、顔を近づけていた詠は、一瞬止まったのだが、

「まっ、いいか――それじゃ、遠慮なく」

「いやいや、そこは止めときなさい」

手を回して詠の後ろ首を摑み、引きはがす。

納得できない、といった講義の表を浮かべているが、相手にすることはない。

「で、なんでここにいるのよ?」

「それはリョウちゃんの、『フェイバリットラブリーシスター』だからだよ」

「…………」

百點満點の笑顔で平然とそんなことを言ってくる昴萌すばるめ詠よみ。

なんと反応したらよいのかわからなかった。そういうことを聞きたいのではない、いろいろスルーした上で言えばいいのだろうか?

涼が、何の反応もしないでいると、詠はぷくぅと頬を膨らませて、

「『よく來たわね、私の可い妹』とか言いながら、抱きしめてキスしてくれればいいんじゃないかな」

「できるわけないじゃない!」

まったく、この子はいったい何を考えているのだろう。まあ、冗談だってことくらいわかっているが。

涼はもう一度同じ質問をする。

は第5バーンにいるはずなのだ、力はなくなったとはいえ、元『ルード』である彼は、若いながらに廃れたバーンを良くするために盡力していると聖からは聞いていたのだが……。

「なんかね、よくわかんないけど、『オルクス』と『アンタレス』の両方がき出したから、第5バーンにいては危ないって言われたの」

「誰によ?」

ちゃん、と詠は答える。どうやら、彼は涼の家の場所だとか、ここに來るまでの道順だとかを賭刻黎に教えてもらったらしい。

確かに、『結界グラス』の力がなくなってしまった今、実質の裏切り者である彼を無防備狀態にしておくのは危ない。その判斷は間違ってはいないと思うのだが。

「貴が従うなんて、意外だわ」

詠はこう見えてかなり頑固で、自分の思ったこと、考えたことを納得しない限りは貫き通す。

涼や聖が言ったのならまだわからなくもないが、よく知らない黎の言葉を聞いているなんて、不思議であった。

「なんかね、初めて會った気がしなくて――ううん、誰かに似ていたような気がしたからかな……逆らいたくないというか、逆らわなくてもいいと思ったんだよ」

「ずいぶん曖昧ね」

「しょうがないじゃん。よくわかんないんだから」

まあいいけど、といった涼はそんな些細なことよりも、今考えるべきことはだということに気付いた。

「ここに來るのはいいけど、住むとなると許可とかいるわよ?」

「それについては、問題なしだよ!『私、長くは生きられないのです……だから、しの間だけでも、お姉ちゃんと一緒に住みたいんです!』……そんな迫真の演技で、じゃーん、寮長さんからもらっちゃった!」

そこには、この部屋の寮証明書。し前の彼だったら全くシャレにならない理由だったことは置いておいてあげよう。とりあえず、寮長に見つかって退寮処分とかにはならなそうだ。

ベッドは、狹いものの二人で使えばいいし、部屋自も広いので別に一人増えても問題ない。

あとは、ヴィオラに説明して許可をもらわないといけないのだが、その他に何か問題點はないかと考えていると、詠の持ってきたのだろう二つの荷が目にる。

一つは、リュックサックで、なんの違和もないのだが、もう一つはなんと銀るアタッシュケース。中學生には似つかわしくないものではあった。

「それ、何がっているのよ?」

「見たい? 私の知りたいの?」

リョウお姉ちゃんだけなら見せてあげても……いいよ、なんてびた様子で言ってくるので、見てはいけないような気がして、「別にいいわよ」と言った。

を尖らせながら、「もう、リョウちゃんは奧手だなぁ」なんて言うのを無視して、あくびをこらえながら、

「今、何時よ?」

9時半、と帰ってくる答えに、深いため息をつく。中學生が出歩いてよい時間ではない。

過剰な心配だということはわかっているものの、この第9バーンの治安は悪くはないのだが、妹思いの姉としてはこんな時間までの外出は許したくないわけで。

「なんで、もっと早く來なかったのよ。こんな時間まで外にいたの。貴に何かがあってからではおそいのよ?」

「心配してくれるリョウお姉ちゃん大好き!」

ごまかさない、といって抱き著いてくる詠を引きはがして、その場に正座させる。

まるで母親のようだな、などと自分でも思いながらも、力を失った詠が危険な目に遭い、彼が傷つくのは嫌なので説教を続ける。

その様子を扉の前でヴィオラが見ているが、気にしない。

昔から親のいないところで育ってきたので、詠が何かをするたびに、義姉である涼がいつも、怒っていたような気がする。

數分の説教で、「ごめんなさい」という言葉が詠の口から聞けたので、「今度から気を付けるように」と最後に言って、説教を終えようとしたとき、詠が何かを持っていることに気づく。

「それはなに?」

「ああ、これはね、さっき帰ってきたときにポストにってたんだ。手紙かな、リョウちゃん宛みたい」

あからさまに怪しい黒い封筒をヴィオラから渡されて、開けてみる。

中には一枚の手紙がっていた。

斬新なラブレターか何かかと思って気楽に見たのだが、その容が目にってきた瞬間、涼の顔がこわばった。

『私は9年前のを知っています。興味があるならば、明日、下記の場所に一人でお越しください』

9年前、それは涼が一度、すべてを失ったときであった。

父が母を殺し、當時の涼は母の焼死を見ていたのだが、父はそのまま逃走、以降今まで行方不明になっている。

手紙の下には場所と時刻が書かれていた。

以前、父の場所を知っていると騙されたことがあるため、この一枚の手紙を信じることは危険であるとは思う。

「何が書かれていたの、リョウちゃん?」

訊いてくる詠に「何でもないわ」と返す。下手な報を與えれば彼はきっと一緒についていくと言い出しかねない。

を危険な目に遭わせたくはないので、ここは々怪しまれても、何も知らせない方がいいだろう。

誰にも見られないように手紙を懐にしまった涼は、

「それよりもご飯、食べましょう。私、実はまだ食べてないのよ」

「うっ、うん……そうだね」

詠は明らかに手紙について気になるそぶりを見せていたが、ほらほら、と言いながら涼が背中を押しながらリビングまで連れていくと、諦めたのかいつもの笑顔に戻ったのであった。

早乙真珠が探していたもの、それは、自の過去だった。

過去、といっても彼の記憶がなくなったのではなく、彼の知らない過去である。彼が全てを失い、同時に得た瞬間に目を反らした『空白』。

しかし、彼がそれを手にれることは困難だった。というのも、彼がそれを取り戻すには々時間が経ちすぎていた。

かつて、彼の住んでいた家は別の人間が住んでいるし、道場は取り壊されていた。道場裏の真珠が放り込まれた大きなはすでに埋められており、彼の知っている町はいつの間にか消えてしまっていた。

記憶をたどりに、行くが、どこもかしこも変わってしまっている。長い間、真珠は『ミルファーカルオス』に住み込んでいた。だから、彼の知っている場所で、かつ、當時と変わらぬ場所はこの地上行きの巨大エレベーターしかなかった。

ずいぶん久しぶりのような気がする。

自分はここで何千という人間を殺してきて、その『』を地上へ送っていたのが、もう何年も前のように思えてしまうほどに。

口は封鎖されていた、今は誰も出りできないようになっている。人間も、プレフュードも。

立ち止のテープをくぐった真珠は、彼の手ほどに大きい南京錠を開けて建の中へとっていく。もちろん、琴織聖には許可をもらっていて、この鍵は彼からもらったものであった。

骸骨の能面野郎『アトラスさん』は、真珠のいく場所についてきていたのだが、道場の跡地を過ぎてから、急に姿をくらませた。當然、何も言わずに、である。

本當によくわからない正不明の怪人を相手にいろいろと考えるのは負けたような気がするので、無視した真珠は一人ここへときているのだ。

「……こいつは」

の中にると、一見清潔に見えるが、強烈な『死』の臭いが漂ってきて、鼻をふさぐ。し前まで自分がこんな場所で生活できていたのが不思議だった。いや、あのときはってきた人間にすぐ気づかれないようにとまめに掃除をしていたんだっけ。死臭など、簡単に取れるものではないのに。

當然、もうこの建の中に死などあるはずもないのだが、染みついているらしく、進んでも取れない臭いに軽い吐き気を覚えながらも、奧へと歩いていく。

彼の行く先は、この建のコントロールルーム。

地下から地上へのエレベーターをかすだけではなく、『』の加工処理の機械や監視カメラなど、この建の機を制している部屋である。

シンと靜まり返っている真っ白な廊下を歩いていると、この場所には後ろめたいものが、逃れられない罪が殘っているせいか、背筋が寒くなってきて、足音しかないはずのこの空間で、亡者たちが耳元でんでいるような気さえしてくる。

何かから逃れるように速足でコントロールルームに向かった真珠は、部屋の中にって、すぐに、中央のパソコンを起させてメインコンピュータに接続する。使われなくなったとはいえ、電気の供給がなくなっていなかったのは救いだった。

慣れた手つきで作していく。し前までは使っていたパソコンなので、手がなじんでおり、キーボードをたたく指が止まることはなかった。

メインコンピュータに接続し終わると、真珠の手が一度止まる。

真珠は今まで、一人のの幻影を追っていたが、その影を見ているばかりで、実際彼は、彼について知らないことが多かった。

彼の知らなければならない過去、それは、彼自のことではなく、五月雨麥のものだ。

あの日、彼は真珠の目の前で死んだ。

真っ白なウェディングドレスを著ながら、自よりも格の良いプレフュード相手に刀一本で応戦していたその姿は、今でも目に焼き付いている。

だが、真珠は、彼の葬儀には行っていないし、ましては、墓の位置など知るはずもない。

の死に向き合えなかった彼は、結局、れられずに、目を逸らしていた。

自分が彼の死を認めてしまえば、二度と彼は戻ってきてくれないような気がしていたからだ。

「……名前の通りじゃねえか」

つくづく自分は々しい男だと思う。

からの言であり、彼が死ぬ直前に殘したもの。両親の形見はさっさと処分してしまったというのに、麥からもらったこのデータだけは開けずにいた。

どうしてこのパソコンに彼言を殘せたのか、わからない。しかし、ミルファーカルオスにいて、このパソコンに向かっている間だけは、一度たりとも忘れたことがない。しかし、彼からもらったものであるため、捨てることもできない。真珠にとっては現実を突きつけられる恐怖の対象だった。

久しぶりに來たこの場所、座ったこの椅子は、しかし、前とは明らかに違っていた。見たじでは変わったものは何一つないのに、どうしてだろうか。

データ閲覧のロックを解除するためにパスワードを力し、ファイルを開いていく。

そして、出現した文字を見た途端、真珠は目を疑った。

『私は死なない、必ず戻ってくる――大好きだぞ、真珠』

書かれていたのは自分の記憶を否定しない限りは、決してあり得ないことだった。

「なんだよ……こりゃ」

クククッ、と自然に笑いがこみ上げてくる。

が死なない、なんて言葉を殘したからではない。

こんな一文のために、今まで怯えてきた自分がひどく稽にじたからである。

この文章の意図することはわからない。彼が生きているとしたらとっくの昔に接してきてもいいはずだ。それがないということは、考えなくてもわかる。

それでも、彼の一面が見られたような気がして、おかしなことに嬉しさがこみあげてくる。

馬鹿みてえ、とつぶやいた真珠はすぐにパソコンを閉じてミルファーカルオスを出ていく。てっきり涙の一つでも流すと思っていただけに、彼の殘したものは拍子抜けだ。

可能がほとんどないことは理解しているが、それでも、彼を信じるのならば、五月雨麥はどこかで、まだ生きているのかもしれない。それは真珠のありえない願いを肯定するものだった。

ああ、そうか。

こりない、未練がましい男だとはかねがね気づいていたが、目の前で死なれて、さらに何年という時間が経っていても、自分の気持ちは変わっていないらしい。

自覚してしまえば、恥ずかしさで頭から火が出るようなくらいに恥ずかしかった。

(俺って、あいつのこと、あんなに……)

故人に対してのが冷めていないことに、気づく。しかし、相手がいないのだから葉わないとわかっているのに、不思議なことに、まだこの気持ちを諦めるだとか、忘れようだとか思うことはなかった。

もしかしたら、振られたらストーカーになってしまうような危ないやつなのかもしれないなんて、自分のことを思いながら歩いていくと、目の前をバスが通っていく。乗っている客はなかった。

気が付けば、今日も夜遅くなっている。さて、コンビニで弁當でも買って帰るかな、なんて考えながら、しばらく歩く。

バスを使えば早いが、雲一つない夜空の下で歩くのは心地良く、乗る気が起きなかった。

次のバス停が見えてきてそこに先ほどとは違うバスが止まっていた。

時間的にあれが終バスか、なんて思いながら、ない客を乗せてバスとすれ違う。

「何やってんだ、あいつ……?」

見えたのは一瞬、しかし、以前に大けがをさせられたせいか、彼の姿を判斷するにはその一瞬で十分だった。

飛鷲涼、彼にとって、複雑な関係を持つ彼は、學生寮に住む學生。夜遊びのために、こんな時間に出歩いているような格でもないはずだ。

嫌な予がした真珠は、すぐに電話を取り出して、涼に連絡してみるが、つながらない。

ちっ、と舌打ちした真珠は、益々嫌な予が膨らんでいく。

真珠たちの大將である彼たちは真珠の知らない常識だとかは知っているが、殺し合いや戦爭、暗殺については経験がないのだ。

一人で出歩くには何か理由があると思った。夜食を買いに行くなんて、ちんけなものではなく、もっと、わからないが、大きな理由が。

一人でいる以上、それが安全なものとは思えない。

Uターンした真珠は、すぐにバスを追いながら、もう一人の『大將』へと連絡をしたのであった。

「毎度毎度すまぬな、武虎どの」

「別にいい、こういう処理は慣れている」

切ってしまった男、確か『アクラブ』といったか、の死が武虎一朗が統率する一団に運ばれていくのを橫で見ながら、賭刻黎は言った。

「相変わらず、凄い太刀筋だ。あんたにはきっと俺もかなわんだろうよ」

「不死が何を言っておる」

人ひとりを切ったというのにも関わらず、きにくそうな黎の著には返りは一滴も見當たらない。青や白が多い著であるため、が付けばすぐにわかるのだが、どこまでもきれいなままだ。

こいつも頼む、と黎は、『アクラブ』に渡された刀を一郎に渡すと、刀をけ取った彼は、鞘から引き抜き、

「よくもまあ、こんな『なまくら刀』で圧倒できたものだ。本當に、あんたの腕には寒気を覚えるぜ」

「名刀でないだけじゃ、なまくらでもなかろうに」

「だが、こいつじゃあ、俺は切れねえぜ?」

「……なら、試してみるか?」

「やめろ、お前ならこいつでも俺を殺しかねねぇ」

冗談じゃ、と笑いながら黎はいう。年の差は百年以上もある二人がそんな會話をわしているのは、一見不自然で、不思議に思うかもしれない。

しかしながら、一郎は黎の正を知っている數ない人間であり、同時に、彼の恐ろしさも知っていた。ゆえに同等の立場を崩さないのだ。

だがよ、といった一郎は、懐からたばこを、ズボンのポケットからはライターを取り出し、吸い始めた。

「こいつは一何のために、お前に挑んできたんだろうな?」

「……娘に煙を命じられているのじゃろう?」

「カレンの奴には緒にしておいてくれ、また説教は免だ」

この2メートルはあろう大男が半分とまではいかないものの、自よりも遙かに小さなに怒られているところを想像し、黎は吹き出しそうになった。

吹き出すのをこらえている黎を冷めた目で見ながら、すぐに一朗は話を戻す。

「『アクラブ』といやぁ、『アンタレス』のところの切り込み隊長じゃねえか。そんなやつを捨て駒にするとは考えにくい」

「何か裏があるといいたいのか?」

わからねえ、といった武虎一朗は、吸殻を落として足で踏みつける。それを見た黎がすかさず「吸殻はちゃんと拾え」といったので、ため息一つついた後、一郎はすぐに火の消えた吸殻を拾い上げた。

タバコといえば、賭刻家のバカ兄貴も未年なのに喫煙しようとしてタバコを買ってきたところ、父親に見つかり、散々に怒鳴り散らされていたことを思い出す。

(まさか、な……)

言われれば、彼は仲間の元を抜け出してきたと言っていた。その『仲間』はいったい何の目的で近くに來ていたのだろうか。

もしも、仮にこの『アクラブ』が囮だったとしたら。その高い対価を払ってでも得たいものがあったはずだ。

変な想像をしてしまった黎は、一刻も早く、帰らなければならないと思い、

「すまぬ、休養を思い出した」

「あっ、ああ……」

そのとき、走り出そうとした黎のもとに電話がかかってくる。すぐに電話を取り出してみると、相手は家からであった。

「どうしたのじゃ、何かあったのか?」

『……馬鹿野郎、てめぇ今までどこほっつき歩いたんだよ!』

いつも黎に対して冷めているはずの兄の、怒気を含んだその聲に、ただならぬ事態をじ取って、走り出す。確かにしばかり遅い時間だが、門限などで起こるような男ではないことをわかっていた。

「お主は無事なのか?」

『無事じゃねえよ! ……だが、俺のことよりもあのガキが……』

「シノノのことか、どうしたのじゃ!?」

拐された、その言葉に愕然とする。足を止めそうになったが、それではダメだと言い聞かせて家へと向かっていく。

失敗だった。

あのは、黎のことを知っていたのだ。

だからこそ、黎の実力がわかっていたからこそ、彼を封じるためにシノノを盾にする。

また、自分は繰り返すのか?

そんな言葉を振り払って、嫌な想像をすべて、振り払って、前に進む。今は、一刻も早く事態を飲み込まなければならないのだから。

いくら腕があろうとも、日ごろから訓練を怠っていなくとも、賭刻黎は小さなであったので、全速力で走り、家に著いたときには、かなり息切れをしていた。

「…………っ!」

家の中にったとたんにわかる、爭った痕跡。機は倒れ、壁は傷つき、の跡もあった。

慘狀に愕然としていると、妹が帰ってきたのがわかったのだろう、リビングから兄が玄関まで來る。毆られたらしく、目は腫れており、鼻にはの付いたティッシュが押し込まれていた。

「説明は……いらねえよな」

周りを見てから、不機嫌そうにそう言ってから、剛志は紙を突き付けてきた。それをけ取ってみると、和紙には、筆で場所と、シノノを返してほしければここに來い、という容が書かれていた。おそらくは、『アンタレス』の連中だろう。

書いてあった場所は、し遠い。なくとも、偶然で知り合いと會うような場所ではない。おそらく、運よく仲間が助けに來てくれることはないだろう。

つまり、敵は本當に黎の命だけを狙っているのだと考えられる。

(だが、妾にとっては好都合か……)

向こうは黎一人をおみのようである、これが明らかに罠だということは誰でもわかる。

しかし、黎は自分に降りかかる罠など恐れていなかった。それよりも、シノノのが心配だ。あの子は盲目、自分のに何が起こっているのか把握したとき彼は暗闇の中で絶するだろう。

「俺も一緒に行くってのは足手まとい、か?」

「……ああ、お主の実力では足りん」

今まで曖昧を貫き通していただけに、はっきり言ってしまってよいのかと一瞬考えたが、今は一分一秒時間を無駄にしたくなかった。

し、出てくる」

兄にそう告げた黎は再び家を出ていく。今度は、普段隠してある長刀を手に持っていた。

外に出ると、月のが彼を照らしてくる。

容赦なくを振りまいている太と比べると、黎は月の方が好きであった。

の月ではなかったが、彼は毎晩、月を眺めては考えにふけるのだ。

「今宵は満月か……」

人によってじ方は違うだろうが、なくとも黎にとって、満月というのは不吉なじを覚える月の形である。

(シノノ、どうか無事でいてくれ……)

丸い月を見た黎は若干の不安をじながらも、走り出したのであった。

人は犯した罪をどうやって償えばよいのだろうか。

その問いに一番簡単な答えをつけるならば『法律』である。懲役や罰金、あるいは極刑によって人は罪を償うことができる。

人を裁くは神じゃない、人である。

その點では法律という答えは、唯一無二のような気もしてくるが、それにがないわけではない。

法律というものは守るものがいて初めてその力を発揮するものである。

逆にいえば、守るものがいなければ法はその機能をなくしてしまうのだ。

世界には法ではさばくことのできない、つまり、人の手では裁くことのできない罪が數多く存在する。

それらを裁くのは人であってはならない。

故に、は修羅になった。

しかし、は一つの矛盾といつも戦うことを強いられていた。

が償いさせるのは、極刑、つまり死を持ってのもののみだということだが、罪を背負っているは未だ生き永らえている。

本來ならば、大切な人を狂わせてしまった彼は、まず自を殺さなければならなかったはずだ。

だが、にはそれができなかった。

死ぬのを恐れたわけではない。

死ぬ、などという選択ができていればは、もっと幸せだったのかもしれない。

は死ぬことを許されなかった、彼には、罪を償い続けなければならない理由があったからである。

今までは何度楽になりたいと思ったのか、わからないほどに苦しいことの連続である。

そして、これからもきっと、死ぬことが許されない、されど、死ぬよりもつらいこと道を歩いていくことになるだろう。

その道をいくら進もうとも決して咎人である彼は幸せになれない。

それをわかっているから、は思う。

この償いはいつ終わるのだろうか、と。

呼び出されたのは音一つない小さな工場であった。

今は使われていないらしく、中にると、鉄のさびた臭いが鼻につく。

賭刻黎がその小さな腕にはめた腕時計を見ると、時計は一時を回ろうとしていた。

が呼び出されたのは一時半であったが、警戒心を緩めることはなかった。

長い刀を持ちながら、黎は工場の中を進んでいく。暗く、々見にくいものの、地下世界の天井にある空に雲一つないためか、月明かりが小さな窓から降り注いでいるため、ライトが必要ということはなかった。

まあ、たとえ暗くて見えずとも、敵に場所を察知されてしまうライトを使うことなどそうそうないのだが。

「あなただれ~?」

「――――っ!」

気配もなく突然後ろから聲をかけられたため、黎は鞘に手を置いきながら、振り返りざまに飛び、聲の主との間合いを取る。

暗闇でよく見えないが、黎と同じくらいの長である。そして、聲も高く、まだ子供だということがわかった。

「名乗るならば、まずはお主からでというのが筋ではないか?」

「そうかもね~、じゃあ、私から――」

窓から月のがさして、明かりに照らされて、ようやく、聲の主の姿がわになる。

「私は、妖義ようぎだよ~」

「賭刻、黎じゃ……」

妖義と名乗ったは、黎とさほど変わらない年齢である。栗のふわふわとカールした髪を下げて、服裝はどう見てもパジャマ姿にしか見えない。にはヤギのぬいぐるみを抱えていた。手には黒の寶石がついた指がはめられていた。

は敵をかなり知っているはずであったが、この妖義というは見たことがなかった。

深夜にこんな場所にいるという理由だけで、彼を敵と斷定して切りつけてしまうこともできるが、はっきりと敵とわかるまでは手を出したくない。

「シノノは無事なんだろうな?」

「當たり前~」

ごしごしと眠たそうに目をこすりながら、妖義は近寄ってくるが、黎は刀を抜かなかった。

そんな黎に妖義は、その手を差し出してきて、変なことを言ってきた。

「そんなことよりもさ、黎ちゃん、あそぼ~?」

「あそ……ぶ?」

「うん! 鬼ごっこ!」

そういって無邪気な笑みを向けてくる。

今まで、黎と相対した敵の中で、しでも不意を突こうと戯言をぬかしつつ、切りかかってきた者はいたが、鬼ごっこをして遊ぼうなどと言ってくる輩は初めてである。

どういう対応をした良いかは迷うが、ここは仮にも決闘に選ばれた場所である。気を抜くことはすなわち死を現す、この場では、の言葉を信じろという方が無理というもの。

「馬鹿なことを言っていないで、早くシノノを返してもらおう」

「え~、そんなの面白くないよ~」

頬を膨らませて抗議してくる妖義を見て、一瞬、昔の記憶の中にいると被る。

そうだ、遊んでいる暇ではない。

ねえねえ、あそぼ~、とねだるに向かい、「早くせよ!」と黎は怒鳴った。はびくっ、と驚き、同時に恐怖している様子であった。

この娘が敵だろうとそうでなかろうと関係ない、賭刻黎がここにいる理由は一つ、呼び出してきた敵を切ってでもシノノを救出する。それが彼の役目である。

攻撃もしてこない小娘と遊んでいる暇などはないのだ。

後ろを向いた黎は妖義から離れていく。これだけ拒絶すれば、も離れていくだろうと思っていた。

しかし、次の瞬間、黎はさっきをじて再び振り返る。

「へぇ~、ちょっと、黎ちゃんって、面白いかも~――――殺しちゃいたいくらいに」

口調は変わっていないが、先ほどよりも明らかに違う。聲には殺気があり、同時に、小さなが発したとは思えないほどの『圧』があった。

にっこりと笑った妖義は、その指にはまった指から『結界グラス』を展開させた。

瞬間、妖義の抱えていたヤギのぬいぐるみが、まるで命を持ったかのようにき出し、同時に巨大化していく。

そして、元の可いぬいぐるみの原型がない姿に変貌していく。牙をむき出し、白池波は逆立ち、頭には黎の半ほどの巨大角を生やす一匹の巨大なモンスターとなる。

は驚いていた。

しかし、それはぬいぐるみが化けに変わったからではない。このの持つ力がわかったから驚いたのだ。

「お主は……『カプリコーン』だったのか?」

「そう、力の名前は『パーン』……でも、すぐわかっちゃったんだね~。黎ちゃんって本當に面白い、梅艶様が一目置いているだけのことはあるよ~」

の家名は『カプリコーン』第1バーンの『ルード』、その力は『変化と長』である。ぬいぐるみがこんな姿になったのはそれが原因だろう。

は再び、長刀を構えなおす。

「…………っ!」

いたのは、ヤギの化けくよりも前である。しかしそれは、『攻撃』ではなく、『防』のためであった。

鞘から抜いた刀で、守ったのは――頭上であった。

ギンッ、と鈍い音と共に、上から重の乗った短刀が黎の刀とわった。

が刀を振るうと、短刀で攻撃してきた、影は、數歩、彼から離れる。

そこに立っていたのは、黒い布で全を覆った、まるで時代劇で出てくる忍者のような格好の男であった。

今まで『アンタレス』の部下と思われる者を二人ほど一対一で切ってきたが、敵も馬鹿ではないらしい。

前には怪しげな忍者、背後からは鋭い牙と角を持ったヤギの化け――つまりは、二対一。

そうでなければ黎を倒すことなどできないと考えたのだろう。

「良い判斷――じゃが、まだ足りぬな」

先にいたのは、忍者であった、一瞬で數メートルの間合いを詰めた男は短刀を振るってきた。

の持つ刀の5分の1程度の小刀は、その小ささから常識的に考えて、黎の刀よりも早いはずであった。

だが、黎の刀は男の短刀よりも先に刃先を男の首元に迫っていく。寸でところで避けた男がまた黎と間合いを取る。

同時に今度は背後から迫っていたヤギの化けがその角を向けて真後ろまで來ていた。

は振り向かなかった。

刀を背骨に沿うようにまっすぐ立てる。すると、ヤギの角は刀に當たり、火花が散った。

クルン、と回転した黎はヤギへと刀を振る。

そこまでの作はまるで、第三者に見せるための『舞』のようならかなものであった。

「レイ様!」

だが、そのとき、奧からシノノの聲が聞こえ、揺した黎は攻撃を中斷して、一頭と二人との距離を保ちながら聲の下方向を見る。

すぐにその姿は見つけることができた。工場奧の鉄の柱に何重にも縛られていた。

そのそばには背の高い、黒いマントにシルクハットという青白い顔をした男が笑いながら、黎の持っているものと同じか、それよりも長い太刀をシノノの首元へ突き付けていた。

「止まれ、こいつの命が惜しかったらな」

これでは、シノノに近づくことはおろか、彼を傷つけないためには黎はその場に止まるしかなかった。

チッ、と舌打ちした黎は刀を下して、柱のように背の高い男を睨む。

「それでいい、実に賢い選択だ」

「……これは、『アンタレス』の命令なのか?」

「お前の問いなどに私たちが答える必要はない、違うか?」

そう言った長の男が、黎の後ろの二人に向けて、目で合図をすると、妖義は『結界グラス』をしまい、短刀を持っていた忍者のような男は一瞬でその場から姿を消した。

てっきり、黎に切りかかってくるのだとばかり思っていただけに、逆に疑わしい。

「どういうつもりじゃ?」

「お前を傷つけるなと、命令されているのでな」

こいつらのご主人様は黎を傷つけるように命令していないというのか?

命を狙うつもりではなかったのか?

「私は『シャウラ』という」

「やはり、『アンタレス』のものではないか」

シャウラといえば、『アンタレス』の中心で有名な男だ。主を神格化し、絶対服従を誓っていると聞いたことがある。

男は黎のことなど無視して、話を続ける。

「アンタレス様は貴様を異常なまでに危険視している。そして、同時に、特別視もしている。人間などには、いや、私たちプレフュードであっても、全くと言っていいほど無関心であらせられるあのお方が、だ」

「…………」

「私は興味があるのだ、あの方がお前のような小娘に対して固執するその理由に!」

そうか、と思う。

確かに、あまりおおっぴらに話せることではないが、この分だとあの、『アンタレス』は信頼できる部下であっても話していないらしいが、それでいて黎に対して、彼は良くも悪くも思いを持っているということか。

シャウラの走った目と、狂気に満ちた表から推測するに、この男は本當に主人のことが大好きらしい。狂わしいほどに。

そんな彼を見て、これは渉材料になる、と思った黎は、

「まずは、シノノを放せ。話はそれからじゃ」

「この娘を開放すれば、お前は教えるというのか、あの方がお前を見ているわけを」

「さあ……だが、なくとも、お主が部外者であるシノノを傷つければ、その時點でお前が知る可能は消えるじゃろう」

工場にいる敵は三人。さらに人質がいるのでは、黎にとってとても良い狀況とは言い難い。

しかし、黎にとってこの狀況で嫌なのは一點、シノノが彼らの手のにあることであった。

シノノのだけ保護できれば、あとは文字通り切り抜ければいいだけなのだ。

「約束はできないということか?」

「妾が持っている報が必ずしもお主の求めているものとは限らないということじゃ」

シャウラは無言で、その手に持っている太刀でシノノを縛っていた縄を切る。自由になったシノノは、すぐに立ち上がって、聲だけを頼りに黎の元へと駆け寄ってくる。

が解放されて気が緩みかけた瞬間、シャウラのきがまだ止まっていないことに気づき、黎ぶ。

「シノノ、伏せよ!」

「えっ……」

目を閉じたまま驚いた様子のシノノは黎の聲に反応したが、シャウラが『結界グラス』を発した直後に振り下ろした刀よりも早く伏せることはできなかった。

刀にでられたシノノの背中から鮮が噴き出し、彼は倒れる。

「おみ通り、解放してやろう――その魂をな」

次の瞬間には黎いていた。シノノのもとへ駆け寄り、彼を抱えながらシャウラとの距離を取る。

シノノを抱き上げると、傷を負っているのにも関わらず、気丈にもの顔には、笑顔があった。

には、わかりたくなかった。

どうして、この子は満足そうにしていられるのだ。

「シノノなら、大丈夫ですよ――だから、逃げてくださいです……レイ様の足手まといにだけはなりたくないですから……」

の二倍はあるだろう太刀の一閃をくらったは、そう言って苦悶の表を浮かべた。

傷跡を見ると、幸いなことに、彼の負った切り傷はそれほど深くない。黎の聲に反応したおかげで上しだけ下がっていたらしく、致命傷は免れている。

しかし、傷跡からはどす黒い呪詛のようなものが、まるでを侵食していくかのように広がっていった。

チッ、と舌打ちした黎はシノノの手を握って「すまぬな、しだけ待っているのじゃ」と言ってから、著を破って止をしたあと、思いもしない行に出る。

を、思い切り投げたのだ。

窓ガラスを突き破り、十數メートル程飛んだシノノのは工場の外の芝生の上に落ちる。

それは彼に盡くしたに対して良い仕打ちではなかった。おそらく、何も知らない人間たちは百人中百人全員、黎の行を非難するだろう。

「お前はいったい何者なのだ、賭刻黎!」

そんな黎の行を見て、たずねてきたのは、興気味に青白い顔がしだけ赤くなったシャウラであった。

なぜ、このタイミングでこの男はそんなことを聞いてきたのか。

それは、黎の一見異常に思えるその行のせいである。

この男の名前、いや家名は『シャウラ』。『結界グラス』の力は『毒針』……つまり、この男のもつ刃に切られたものは數十秒で、死に至るといったものだ。その範囲は5メートル。毒をまとうアンタレスの補佐を務めている家系だけのことはある必殺の力だ。

この力を知ったとき、初めて黎の行が正しいものだということがわかる。

シノノを『シャウラ』の近くに置いておけば、攻撃をけてしまった以上、彼はどんなに小さな傷であっても毒により苦しんだ挙句、殺されてしまう。ゆえに、『結界』の範囲の外にシノノを移させたのだ。

アンタレスの持つ『ヨルムンガンドトキシン』は特別な部類であり、多くの『結界』の力というのは範囲の外ではその効果を消す。シャウラから離れたシノノは毒により死から免れたというわけだ。

「妾が何者なのか……今はそんなことは、どうでも良いじゃろう」

靜かにシャウラの問いに言葉を返す。

その聲はとても靜かであったが、同時に、この場にいる全ての生きが恐怖するには十分なほどの圧倒的な重圧が込められていた。

の目を見た、シャウラが、また、背後で『結界』を開放した妖義の傍にいる、先ほどまで牙をむき出し威嚇していたはずの化けまでもが、彼を警戒するように、また、恐れるように、一歩引く。

過去に多くの過ちを犯してしまった黎は、生きながらえると決めたとき、たった一つだけルールを決めていた。

それは、一度守ると決めた者は必ずや守り通すというものである。

どんなことがあっても、絶対に殺してはならない。

そう、この先、賭刻黎は大切なものを失うことを許されていなかった。

二日前にあったばかりであった盲目のは黎にとって、すでに大切な、失ってはならない存在の一つになっていた。

その証拠に、彼が傷つけられ、黎は抑えきれないほどの『怒り』をじている。

「すまぬな、どうやら妾はお主らを許せぬようじゃ」

「そうはいうがな、私たちは三人、お前は一人。この差は埋められない」

そう言ったのはシャウラ。三人というのは、彼らの他に暗闇に隠れた巨の忍者のことを指しているのだろう。

三対一、數の差というのはこと戦いにおいて、あるいは殺し合いにおいては決定的な差となることが多い。

シャウラの言っていることは、常識の中での話ならば、あながち間違えではない。

ましてはその三人というのが、ただの無力な人間ではなく、その二人が『結界』という人知を超えた力を持ち、殘りの一人もまた相當に訓練されている『プレフュード』なのだから。

だが、ここにいる修羅に対して『常識』という言葉こそが最大の敵だということを彼らはわかっていない。

は、長い刀を抜いて構える。剣先にまで屆く殺気は、先ほどまでの彼とは比較にならないものである。

この空間を彼の殺気が包み込み、すべてを飲み込む。

「我が友を傷つけたことを、地獄で後悔せよ」

100年前、人間は『神日戦爭』にて『プレフュード』に敗北し、地下世界に追いやられた。

地下世界でのうのうと住んでいる人間の多くは知らないものの、それはしでも裏の事を知る者ならば誰でも知っていること。

しかし、『神日戦爭』にて、唯一、『プレフュード』の軍を圧倒した部隊があったことは、意外にもあまり知られていない。

その部隊の名前は『鬼神隊きしんたい』。

戦爭から100年以上たってしまった現在、その生き殘りは不老不死の力を持っている一人の男――そいつは鍛え抜かれたプレフュード相手でも互角以上に戦える戦闘技を持ち、死ぬことのないがあった、人に幻覚を見せることさえもできる龍――だけあるが、彼は當時、それだけの力を持ちながらも隊の中の序列では7番手であった。

かつて『プレフュード』に恐れられた『鬼神隊』、その中で特殊な力も持たず、一本の刀だけを握り戦場を駆け巡った剣豪がいた。

純粋な剣だけで他を圧倒した男は『剣聖』と呼ばれ、隊の中で4番手という評価をける。

8人で構されていた『鬼神隊』のメンバーの彼以外がすべて『神』を、それも最高クラスの力を所持していたことを考えればそれがいかに異例のものだとわかる。

彼らの働きも空しく、日本がプレフュードに敗北したあと、をひそめた彼はかにその技を子供へと伝えることとなった。

當初、継承されていく技は、戦のないこの地下世界ではすぐに埋もれてしまわないかと懸念されていたが、それは杞憂に終わる。

100年の間に『剣聖』が殘した剣は、一切の衰退をすることもなく、それどころか、代を重ねるごとにしずつだが確実に、長を遂げていったのだ。

代を重ねるごとに洗練されていった技は、ある一人の天才にけ継がれ、誰にも到達できない領域に達していた。

そして、100年たった今、再びその剣が地下の支配者たちに牙をむく。

最初にいたのはぬいぐるみから化けたヤギであった、黎よりも遙かに巨大なが、その角で彼を穿とうと接近してくる。

ヤギが黎に接する直前、他の二人、シャウラと闇から突然出現した忍者もまたいた。彼の逃げ場をなくす三方向からの攻撃であった。

だが、彼には誰も追いつかない。

どんなに手をばそうとも、見ることすらできない。

理想ですらも、屆かない。

憧れさえも、決して追いつくことはない。

そのスピードは、しさ以外の何でもない、一つの蕓

この場にいた黎以外の生きは、誰一人として彼の剣を目視することができなかった。

そう、それは一瞬、という言葉にしても長い。剎那の境地の間で行われた出來事。

が刀を鞘に戻す。

三方向から來たはずの攻撃は彼のもとに何一つとしてとどかなかった。避けられた攻撃は再び黎の元に來るかのように思われた。

そこで時間が一秒、二秒、と進み、ようやく、すべてが終わる。

頭から真っ二つにされる忍者、両腕を切斷されていたシャウラ、ヤギの怪は首を落とされた。

腕を切り落とされたシャウラはその場で膝をつき、壊れたおもちゃのようにクククッ、と笑い始める。

「これが……これが、アンタレス様が恐れていた力か! あの方がした力か!」

心の底からしていた主の考えを知り、主に近づくことができた、消えた両手からを流しながらも、それだけで嬉しそうに笑える男はやはり狂気に満ちていた。

そんなシャウラの前に立った黎は、

「冥土の土産だ、お前が知りたがっていたことを教えてろう」

そういって、笑い続ける彼にだけ、聞こえるように彼の耳元に口を近づけて、一言だけ、彼に告げる。

あの蛇姫、アンタレスと、賭刻黎の関係を。

目を見開いたシャウラは、充した目を黎に向け、しばらく彼を見ていた。すると、再び高らかに笑い始めた。

「そうか、そうか、そうか、道理であの方が固執するわけだ……ひどく、當たり前のことだったというわけか!」

狂ったように笑い続けるシャウラを冷めた目で、見降ろした黎は、もう一度長い刀を鞘から引き抜き、躊躇なく、その首を落とし、その場から立ち去っていく。

り口付近まで歩いていくと、震えている、妖義の姿があった。はその場にへたり込んでおり、その下には水たまりができていた。

妖義を一瞥した黎は、工場を出ていき、芝生の上で橫たわるの元へと向かっていったのであった。

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